物語の展開上、人死に&暴力描写やグロテスクな表現がありますのでご注意下さい。
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[2020.7/13]『黒木姉弟シュプールへ行く』を全面改訂しました。主に改行の塩梅を見直した形となりますが、細かい部分の表現にも手を加えてあります。
加えて、あとがきを投稿しました。≫あとがきを読む。
お客様のお名前は 智子 様。
おつれ様は 智貴 様ですね。
「ほらほら
粉雪をぶっかけられて怒っている弟をからかうように、私はそう言って颯爽と斜面を滑り出す。スキーなんて中学の林間学校の時にやって以来だったけど、インストラクターの人からレクチャーを受けて何度か練習しているうち、すっかりコツがわかって上手いこと滑れるようになったのだ。さっきだって弟の前で派手に横滑りのブレーキをかけてあいつを雪まみれにしてやったもんだ。
(へへっ、遅い遅い)
私が複雑な軌道を描いて巧みに雪原を滑っていく一方で、ずっと後ろのほうからついてくる弟ときたらなんともつまらん堅実な滑り方ばかりしてやがる。万が一転んで怪我でもして部活に支障が出たら嫌なんだとさ。
(せっかくこういうとこ来たんだから、うんと楽しまなくっちゃあな)
今日の私達は朝からスキー場(ゲレンデって言うんだぞ)に来て以降、合間に休憩を挟みつつずっとこうして滑りっぱなしだった。スキーなんて危ないだけでつまらん遊びだと思っていたけど、上達してくるとこれが中々面白くなってきたものだから、柄にもなく私ははしゃいでしまっているのかもしれない。
「おい、そろそろ戻るぞ」
「なんだよ、もうへばったのか?」
麓のほうまで滑りきった私が待ってあげていたら、遅れてやってきた弟がゴーグルを外してそんなことを言ってきた。私はまだまだ滑れるぞ。なんか自分でもびっくりするぐらい体がよく動くんだが、やっぱ楽しいからかな?
「ちげーよ。ほら、なんか天気悪くなってきただろ」
「おっ……?」
言われてゴーグルを外した私が空を見上げてみれば、からっと晴れていた筈だったのがいつの間にかどんよりとした灰色の雲で満たされていた。風も随分と出てきたみたいで、それを受けるほっぺたや鼻が冷気のせいでちくちくと痛くなってくる。
随分長いこと滑っていたが、いま何時ぐらいなんだろうか。だいぶ日がかげってきているところを見るにそろそろ日没の時間が迫ってきているのかもしれない。
「んじゃ、こんくらいにしとくか」
「ああ」
ここらが切り上げ時かと、私達はインストラクターの人が待っているレストハウスへと向かう。
「おっ、もういいのかい?」
「あっはい、えと、なんか弟が疲れちゃったみたいで」
「ちげーっての……」
長椅子に座っていたインストラクターの人が、重たいスキー板を担いでやってきた私達を見てそう声をかけてくる。
「ははは、案外お姉ちゃんのほうがスキーに向いてそうだね」
じゃあ戻ろうか、と立ち上がったインストラクターの人が脇に置いていた自分の荷物を持ち上げて駐車場へと私達を引き連れていく。この人は
「
「あ……その、あ、明日までです」
雪深い山道を車で走っている途中、助手席へ座る私へ俊夫さんがたわいのない話をしてくる。絶賛冬休み中の私としてはもちっと滞在していたいところなんだが、弟の部活の関係でそんなに長居することが出来ない。
「へぇー、せっかく上手くなってきたのに勿体ないね。来年も来なよ? 君なら絶対もっと滑れるようになるよ」
「あっ、えと……ど、どうしよっかなー……」
一応褒められて悪い気はしないけれど、この手の気安い誘われ方が苦手な私は曖昧な返事をしてしまう。
年がら年中スキーのことばっか考えてると自嘲するだけあって、俊夫さんは見込みのある私にもっとスキーの楽しさを知ってもらいたいと思っているみたいだ。今日だって筋がいいと見た私へとりわけ熱心にあれやこれやと教えてくれていたからな。
「やめとけよ。調子乗ってるとそのうち怪我すんぞ」
そんな私達のやりとりを聞いていた弟がふいに後部座席から口を挟んできた。
「んだよ、おまえ私より下手じゃねーか」
「いやいや、智貴君はお姉ちゃんのことが心配なんだよな?」
「そんなんじゃないっすけど……」
弟の後ろ向きな言葉を俊夫さんが気さくに茶化してみせる。
まあスキーは面白かったし、またいつか弟と一緒に来てみてもいいかもしれない。タダで泊まらせてもらえる訳だから、交通費以外は我が家の懐が痛むってもんでもないしな。
*
「二人とも先戻ってていいよ。荷物は俺が下ろしとくから」
日がとっぷりと暮れた頃にようやくペンションへ戻ってこれたのだけど、そのまま車は建物の裏手へ回って停車した。使わせてもらったスキー板やらストックやらは俊夫さんが片付けてくれるらしいから、お言葉に甘えて私達は手ぶらで車を降りる。
(うひゃー、すげえなこりゃ……!)
途端、吹きすさぶ大量の雪に容赦なく襲われたものだから、私達は雪壁の合間を通って足早に玄関へ向かう。
ゲレンデで見たあの怪しい雲行きは、いまやすっかり猛吹雪をもたらすようになっていた。あそこで切り上げて帰って来たのは正解だったかもしれん。
「おお、おかえり二人とも。スキー面白かったかい?」
「うん、結構よかったよ」
雪で濡れてしまったスキーウェアや帽子を乾燥室に預けて玄関口で靴を脱いでいたら、ちょうどロビーにやってきた小林のおじさんが私達を出迎えてくれた。球蹴りバカの弟のほうはそうでもなかったみたいだけど、私としては本日のスキーをなかなか楽しめたんじゃないかと思う。
「もうちょっとしたらご飯だから、シャワーでも浴びて着替えてきなさい」
「はぁい」
厨房から漏れてきたらしい食欲をそそる匂いがロビーに漂っていたから、私は自分が腹ぺこになっていたことに気付く。壁にかけてある鳩時計を見るとそろそろ六時半に差し掛かりそうな頃だった。朝からゲレンデに出かけて今までずっと滑りっぱなしだったもんな、そりゃ腹も減るわ。
ともあれ私は一旦自室へ戻るべく、弟と連れ立ってロビーから続く階段を上がっていった。
ベッドの上には私が今朝出かける前に脱いで畳んでおいた部屋着がある。この部屋には自分以外誰もいないから、髪をまとめていたヘアゴムを解いた私は誰に気兼ねするでもなく今着てるものをさっさと脱いで再びそちらへと着替えていく。
そう、弟と私は別々の部屋を取ってあるのだ。このペンションはどこもツインルーム以上の部屋しかないのだから別に二人でおんなじ部屋に泊まったっていいのに弟のやつときたら私と相部屋になるのが恥ずかしいみたいで、おじさんに頼み込んでわざわざもう一つ部屋を用意してもらったのだ。おじさんは親戚だから身内のよしみで全部タダにしてもらってるけど、これがもし他所さんだったら部屋代二倍増しだぞまったく。
(おっと、こいつを忘れちゃいかんな)
ベッド脇の小棚の上に置かれていたルームキーを手にするついでにその傍らのネックレスをつまみ上げた私は、部屋から出る前にそいつを首に付けてみる。付けた姿を手鏡でちょっとばかし確認してみるけど、小さな十字架に細い鎖を通したそれは今着ている黒のタートルネックと相まって中々さまになってると思う。興味本位で買ったはいいが滅多に出番が無くて机の引き出しの中で眠っているこいつだけど、私だってこういうところに来た時ぐらいはちょっとばかし攻める感じのお洒落をしてみたいのだ。
◆
「おばさーん、このゲームやっていい?」
着替えを済ませた私はロビーで時間を潰すことにしたがそれにあたり確認しておきたいことがあったので、厨房から出てきた
「ああそれ? んーどうかしらねぇ、いいけどもう壊れてるんじゃないかしら」
一応の許可を求めた私に対し、おばさんは特に咎めるでもなくそんな風に言ってロビー奥の廊下へと姿を消していった。
(今どきスーファミなんて置いてやんの)
私も現物を目にした事が殆ど無いそれは、大昔に出たゲーム機の類だった。テレビ台の中で埃を被っていたこのゲーム機はお父さんが若い頃に流行ったもので、ずっと前に家族でここに泊まりに来た時にお父さんが懐かしそうにこいつで遊んでいたのを私は覚えている。
随分と黄ばんでしまったらしい筐体やコントローラーを台から取り出しテーブルの上に並べた私は、コンセントを繋げたり付属のケーブルの端子をテレビに繋げたりして遊ぶ準備を整える。昨日は宿泊客の人達が談話室に居座ってたから出来なかったけど、今はちょうど誰もいないからこの隙にちょっとばかし遊んでやろう。いやまあ、おばさんの言う通りとっくの昔に壊れてるかもしれんけど物は試しだ。
同じくテレビ台の中に収められていたプラスチック製の小さなカゴの中にはゲームカセットが幾つか入っていたのだけど、面白そうなもんはないかなと私はカセットのラベルを確認していく。
(おっ、これいいんじゃね?)
目を引かれた一つのカセットがあった。そのカセットに貼られた黄色いラベルには気味の悪い廃墟の絵が描かれていて、タイトルロゴのデザインも実におどろおどろしい。いいねこういうの、気に入ったよ。『
(よし、まだ動くぞこれ)
筐体の著しい色あせ具合からして相当昔に買ったと思われるゲーム機だったけど、カセットを差し込んで電源スイッチを入れてみれば特に問題なくテレビにゲームの映像が映し出されたものだから感心してしまう。スーファミはとことん頑丈で長持ちするって聞いたことがあるけどマジみたいだな。
(おーなんだこりゃ、やっぱホラー系なやつかな……)
雷鳴のエフェクトや禍々しい音楽と共にでかでかと画面に映し出されたのは、ラベルにも描いてあった不気味な廃墟の絵とタイトルロゴ。流石大昔のゲーム機だけあってなんとも古臭い感じのグラフィックだけど、これはこれで雰囲気があって悪くない。
(ん? ここで名前を決めんのか?)
タイトル画面の音楽にしばらく聴き入っていた私だったけど、そろそろゲームを始めようとスタートボタンを押してみる。すると新しくセーブデータを作成するっぽい画面が出てきて名前の設定を求められたので私は適当に『ちんちん』と入力していく。
「なんだそれ?」
遅れて二階から下りてきた弟が声をかけてくる。その湯上り顔からするとこいつはおじさんの勧めたとおりシャワーで軽く汗を流していたのかもしれん。どうせまた後で風呂に入り直すってのによー。運動部のたしなみなんか?
「いいとこ来たな。まあここ座れよ」
私は自分の隣を手で叩いて座るよう促してやったのだけど、弟はそれを無視して私が座っているのとは別のソファーへと腰かけてしまった。まあいいや、なんかちょっと怖そうなゲームだから弟にも私のプレイする様子を傍で見ていてもらおう。
「ほら、昔ここに来た時お父さんがこいつで遊んでたろ? おまえもちょっとやらせてもらってたじゃん」
「そうだったかな……」
私の言葉にそう返す弟だったけど、あの頃はこいつも随分と小さかったから覚えてないのかもしれん。
「おい、やめろ」
「えっいいじゃんか別に」
弟と話しつつコントローラーを操作していた私は、先程入力した名前を一旦消してから『智貴』と入れ直してやったのだけど、それに気付いた弟が待ったをかけてきた。
「しゃあねえな、じゃあこれだ」
「ぶん殴んぞ」
もっと粋な感じにしてやろうと、私は先程入力してやった名前の先頭へ更に『ちんちん』と付け足してやる。
「あっ!? なに消してんだテメー!」
私のちょっとしたおふざけに目の色変えた弟が、急に立ち上がってゲーム機の電源を切りやがった。
「意地悪すんなよー、姉ちゃんにゲームさせてくれよー」
「おまえがアホなことすっからだろ」
「わかったわかった。もう変な名前つけないからさ、な?」
ははは、ムキになりおって。こうやって弟をからかうのはゲームより面白いかもしれん。スキーだってこいつよりうんと上手く滑れたし、今日は完全に私のペースだな。
「だからケイコに任せるのは嫌だったのよ!」
「……でも、お料理がおいしいって、ここにほら、書いてあるでしょ?」
「おいしいものが食べたければ、東京にいくらだってあるでしょう? まったく……」
「まあまあ。いいじゃないの。雰囲気だって悪くないしさ。こういうところの方がサービスいいと思うわよ」
なにやら上から声が聞こえてきたと思ったら、何人かが騒がしい様子で連れ立って階段を下りてきた。見ればそれは宿泊客と思しき三人組の女の人達だった。昨日も今日も見た覚えのない顔だったけど、もしかすると私達がスキーに行ってる間に新しくチェックインしてきた人達なのだろうか。
女の人達は夕食が始まるまでこの談話室で待つつもりなのかもしれない。この分だともうおちおちゲームもやってられないと思った私は渋々スーファミを片付け始める。
「あっ、ねぇあなた」
「えっ!? あ、は、ハイなんでしょか……!」
フロントの前でたむろしていた三人組のうち、さっきまでぷりぷり怒っていた一人が私に近寄って声をかけてきた。
「写真撮ってほしいんだけど、お願いしていいかしら?」
「あっはい、い、いいです」
そう言って自分のスマホをこちらに差し出してきたのは、髪が長い女の人だった。ちょっと派手目で綺麗な人だったから、私はえらく緊張してしまう。なんでこっちに言ってくるんだよと思ったりしたけど、目つきの悪い弟は怖がられてしまったのかもしれない。
「あっ、じゃあ撮るんで……」
フロントを背に三人並んでポーズを取った女の人達を私はひとまず撮影してあげる。
「どう? ちょっと見せて」
「えと、こんなんですけど……い、いいですか?」
スマホの持ち主が私の隣に立って画面を覗き込んで写り具合を確認してくる。途端に少し強めの香水の香りが私の鼻をくすぐったけど、むしろこの女の人にはそれが似合ってるように感じられる。
ああしまった、私もゆうちゃんの香水を持ってくりゃ良かったな。ていうか今の私、ちょっと汗臭いのかもしれん。
「あっいい感じー。ありがとね」
「はは……ど、どもです」
「ねぇあなた達、どこから来たの?」
「えーと、ち、千葉です」
「へーそうなんだぁ、あたし達さっき来たばかりなんだけど……」
そうして女の人達となりゆきでソファーに座りあった私は、三人からそれぞれ自己紹介を受けることになった。私としてはこういうノリの人達と会話するのは苦手だったのだけど、変に思われないようどうにか頑張って言葉を搾り出していく。
弟はといえば最初に軽く頭を下げただけで特に改まって挨拶するでもなく、さっきからソファーのはしっこで他人事のようにこちらを見ていやがる。一応おまえも私のツレだと思われてんだから、しゃんとしろよなもう。
ともあれこの女の人達のことがある程度わかった。私に写真を撮らせた勝気そうな髪の長い女の人は
次は
でもって最後のおっとりした感じの人は
三人とも東京に住んでいて、同じ会社に勤めているOL仲間なんだそうな。なんだか早くも名前を忘れてしまいそうだったから、私は心の中で順にビッチさん、メガネさん、お菓子食ってる
「えーっ、高校生なの!? 全っ然見えないし!」
「あ、よ、よく言われます……」
「やだー、スッゴイかわいいんだけどー」
今度は私が自己紹介する番ということであれこれ伝えてみたら、隣に座っていたビッチさんがえらく驚いてみせた後にはしゃいだ様子で私の肩へと手を回して抱き寄せてきた。思わず私は「ひゃぁ」と小さく悲鳴を上げてしまったのだけど、その様子が面白いのか皆してクスクス笑っている。ああ、こりゃイジられてんなー私。
「じゃあそっちの子は彼氏かしら?」
「あっ、いやっ、ちがくて……」
弟を見やったビッチさんがいきなりそう尋ねてきたものだから、私は慌ててそれを否定しようとする。
「〈弟〉です」
「そ、そうそう、こいつ、弟の智貴っていって……」
するとそれまでだんまりしていた筈の弟が急に横から口を挟んできやがった。「弟」ってところだけやけに力がこもっていたように感じるけれど、こういう時だけ口を開きやがるんだからしょうがないやつだ。
「あっホントだね。なんか結構似てるかも」
「智子ちゃんの方が妹みたいなのに逆なんだねー」
私と弟とを見比べたメガネさんと川本さんが得心のいった様子でそんな感想を述べる。親戚の人達にもよく似た姉弟だと言われるんだが、そんなに似てるのか? 私は弟みたいにブサイクってわけじゃないんだが。
「ねぇあなた達、明日も滑りにいくんでしょ?」
「えっ? あっ、そーですね、い、いきますけど……」
スキー好きのビッチさんが知りたがったので本日のゲレンデの具合なんかを教えてやっていた私だったけど、今度はそう尋ねられたものだからひとまず頷いてみせる。本日の好調な結果に気を良くしていた私だったから、もちろん明日も弟を連れて再挑戦するつもりだ。
「じゃあさ、あたし達と一緒にいきましょうよ」
「え、えぇー……」
私としては弟と二人だけのほうが気ままでいいのだが、ビッチさんときたらやけに乗り気みたいだ。私がそこそこ滑れることをさりげなく自慢してみせたのがいけなかったのだろうか。メガネさんやお菓子の人はそんなにスキーが好きでもなさそうな感じだったから、同好の士を見つけてちょっと興奮してるのかもしれない。
「そ、そですねー、えと、まぁーそのー……」
なんとか言い訳を探そうと目を泳がせる私だったけど、こんな時に限って弟が「やめとけよ」と口を挟んでくれないのが恨めしい。さっきからビッチさん達に何聞かれても「はい」とか「まあ」とかクッソつまらん返ししかしないもんだから、皆すっかり私にばっか話しかけてくるようになったじゃないか。姉ちゃんだって疲れるんだぞ。
ともあれ私がビッチさんの誘いにどう返答したものかと困っていると、玄関の向こう側から車のエンジン音が聞こえてきた。
「誰か来たみたい」
私と同じく車の音に注意を向けていたメガネさんがそのように言う。ゲレンデに出かけていた他の客でも帰ってきたのだろうかと思う私だったけど、やがて玄関扉にぶらさがっているベルが派手にカランコロンと鳴った。
「ひゃあ、助かった。死ぬかとおもたわ」
なんだかデリカシーの無さそうなでかい声でぼやきながらロビーに姿を表したのは、頭のてっぺん辺りがバーコード状に禿げあがった小太りのおっさんだった。その傍らにいるのはおっさんとは対照的にほっそりとした感じの、三十代ぐらいの綺麗な女の人だ。奥さんか何かだろうか?
「ああ
ベルの音で来客に気付いたらしいおじさんが、食堂から出て来て二人を出迎える。
「えらい吹雪き始めよって、迷うところやったわ。ホンマかなんなぁ」
そんな風に言って、おっさんは体や頭に付いていた雪を手で払っていく。
(おおー、関西弁ってやつかこれ)
私もアニメなんかでこんな喋り方をするキャラは見たことあるが、実際に関西弁を使う人をこうして目の当たりにするのは初めてだ。喋り方以外にもおっさんのその態度から見た目まで私が抱いている関西人、というか『大阪人』ってやつのイメージにピッタリで笑ってしまいそうになる。
そんな風に私が思っていると、七時ちょうどを指した鳩時計が急にポッポポッポと鳴き始めた。
「食事の用意ができましたので、食堂へどうぞ」
まるで鳩の鳴き声を合図としていたかのようにタイミング良く食堂から出てきてそう案内したのは、俊夫さんとは別にもう一人いるペンションの従業員。日焼けした肌とポニーテールが特徴的な、みどりさんという女の人だ。
その案内を受けて立ち上がったビッチさん達が「また後でね」と言い残して、扉が開きっぱなしになった食堂の中へと入っていく。
「じゃあ荷物と上着は運んでおきますから、香山さん達も食堂へ」
「ああ、ほなそうさせてもらうわ」
フロントでは、ロビーに上がりこんで記帳をしていた新顔の二人におじさんが食事をすすめている。
(おっさん、もっと喋ってみてくれ)
大阪のおっさんが喋ってるだけでなんだか面白い私は、宿泊名簿にせかせかと記帳しているその丸い背中をじっと見てしまう。そうしたら、おっさんの後ろに立っていた女の人が私の視線に気付いたようでこちらに目を向けてきた。
(わっ……)
なんだか恥ずかしくて咄嗟にうつむいてしまった私だったけど、失礼だったかなと思い遠慮がちに顔を上げてみれば、女の人は静かに微笑んでこちらを見つめてきていた。吹けば飛んでしまいそうな儚げな印象の人だったけど、その顔にはなんだか面白いものでも見たような色が少しばかり浮かんでいる。
もしかして変なやつだと笑われてしまったのだろうかと不安がよぎる私だったけど、やがて女の人は私にそっと会釈をしてきたので、慌ててこちらも頭を下げる。
「あっ、おい待てよ」
そんなやりとりを尻目に腰を上げた弟が食堂の中へとさっさと入っていこうとしたものだから、私は思わず呼び止めてしまう。だけども弟は聞こえてない振りをして、そのままロビーから姿を消してしまった。姉を置いていくとはけしからんやつだ。一声ぐらいかけてけよなー、私だって腹ぺこなんだぞ。
記帳を終えたらしい大阪のおっさんまでもが食堂に向かったものだから、おっさんの後ろをついて歩く女の人と一緒に私も食堂へ入っていく。なんとなくの印象だけどこの人は『人妻』って感じがするから、心の中で人妻さんと呼ぶことにしよう。
食堂に入ってから私は弟の姿を探す。すると奥の席でこっちを見ていたあいつと目が合ったから、私はそちらへ行って椅子に腰を下ろした。食堂内の幾つかあるテーブルには既にフォークやらスプーンやらの食器類が配膳されていて、おばさんやみどりさん達が各テーブルへと料理を運んできている。
「二人とも、何か飲みたいものある?」
「あっはい……えと」
私達のところへスープを運んできたエプロン姿のみどりさんが気安い感じでそんな風に尋ねてきたから、私はテーブルの上に置いてあったメニュー表を確認する。
「あ、じゃあこの木いちごジュースってやつで……」
昨日は物珍しさから「こけももジュース」ってやつを頼んだんだけど、他にもおいしそうな地元産のフルーツジュースが各種取り揃えてあったから今度はこいつを飲んでみたい。
「オッケー、弟くんは?」
「コーラでいいです」
「おい、せっかくなんだからもっと違うの頼めよ」
なんでそんなどこにでもあるようなのを頼むんだよ、こういうとこに来たんなら他所じゃ飲めないレアなもんを頼めよな。弟の分もちょっと味見させてもらいたい私としては、俊夫さんおすすめの信州産完熟りんごジュースなんてのを注文してほしいところだ。
「コーラで」
「あはは、じゃあコーラね」
人の話を聞いてない弟は強引に注文を通しやがった。たまにこいつは耳ついてんのかなと思うことがあるけれど、たぶん聞こえないふりをしてるだけなんだと思う。お姉ちゃんの声に耳を傾けない意地悪な弟にいつか天罰が下りますように。
「うめーなこれ」
「ああ」
みどりさんが置いていったスープに早速手を付けた私達だったけど、これがまたうまいのなんの。流石ガキん頃から料理人になるのが夢だったというだけあって、おじさんの料理の腕は相当なものだった。まるで高級レストランにでも出てきそうな料理をタダで食わせてくれるってんだから余計においしく感じてしまう。昨日の夕食も随分と楽しませてもらったから今日はどんな献立なのか楽しみだ。
とか言って油断してたら、おばさんが作ったあのクソマズ料理が混ざってたりしてな。おばさんは料理が超ド下手クソなんだけど、本人はそれでも一応料理好きということらしい。ずっと前に家族みんなでここに来たとき不意打ちでおばさんの手料理を食わされて吐きそうになったことを思い出すぜ。以前私に豚の餌以下の生ゴミを食わせやがったあのクラスメイトといい勝負だ。
(おっ……? なんだあいつ)
夢中でスープを味わっていた私だったけど、ふと食堂のすみっこにいた一人の客の姿が目に入ったものだからぎょっとしてしまう。そいつは部屋の中だというのにロングコートを着てつばの広い帽子を被り、色の濃いグラサンをかけていたのだ。見るからに怪しいそいつは男の人みたいだったけど、まるで外国のマフィアって感じだ。
(ありゃたぶんヤクザだな……)
そう結論付ける私だったけど、昨日は見かけなかったところからしてビッチさん達と同じように本日チェックインしてきた人なのかもしれない。
(ヤクザがスキーなんかすんのかよ。〈ヤク〉の取引でもすんのか……?)
そういえばと食堂内を見回してみる私。私と弟以外にいる客といえばビッチさん達三人組にさっき来たばかりの大阪夫婦、そしてあのヤクザだけだ。私達がスキーに出かけてる間にチェックアウトしてしまったのか、昨日見かけたお客さん達の姿は見当たらず、今いるのはどれも今日初めて見かける新顔ばかりだった。もしかしたらこの中に取引相手がいたりして。大阪のおっさん辺りが怪しいな。
(うわっ……!)
そうしてヤクザのことをしばらく観察していたら、うつむき加減でじっとしていたそいつが私をほんのわずかに見てきたような気がしたから慌てて顔をそらす。
(なんだよもう、あんなやつが泊まってんのかよ。おちおち眠れやしねーじゃねーか)
せっかくこっちは遠路はるばる長野くんだりまでやってきて羽を伸ばしにきたってのによー。姉弟水入らずの時間になんとなくケチをつけられたような気がして、私はちょっと不満に感じてしまう。
「おい、すみっこのほう見てみろよ。ヤクザがいんぞ」
私はヤクザに聞こえないよう、声をひそめて弟にそう伝えてやる。
「いやちげーだろ……」
「どう見てもヤクザだってありゃ。警察呼んだほうがいいんじゃねーの? 拳銃とか持ってるかもよ」
いまいち警戒心の薄い弟が寝ぼけたことを言うけど、私にゃわかるんだ。危険な匂いをプンプン放ってやがるからな。仮にあれがカタギもんだというのなら、それはそれでヤクザごっこをしてるやべーやつということになる。
「はい、お待ちどうさま」
「あっ、ど、ども」
私達がヤクザについてああだこうだとひそひそ話をしているうちに、みどりさんがスープに続く他の料理と共にさっき注文しておいた飲み物を運んできてくれた。まあ得体の知れない客のことばっか考えててもメシがまずくなるだけだな。とりあえず今は食事の時間を楽しもう。
あー、うんめーなぁこのジュース。弟にもちょっと飲ませてやろうかな。
途中で席を立ってトイレで用を足した私は、足早に食堂へと戻ってきた。あまりにもおいしい料理だったから、私がいないうちに欲張った弟が人の分までこっそり盗み食いするのではと思うと気が急いてしまう。
「あっ、へへっ……」
OL三人組がいる席の前を通ろうとしたら、私に気付いたらしいビッチさんがニッコリ笑って手を振ってきた。そのまま無視するなんて失礼だったから、一旦足を止めて私なりに愛想よく応えてみせる。
「あたっ!?」
そうして前方不注意になっていた私が前に向き直って歩き出した途端、進行方向に立ち塞がった誰かにぶつかってしまい、尻餅をついてしまった。一体誰だよと前に立つ相手を見上げた私だったけど、その姿を目にして途端に血の気が引いてしまう。
(ヤクザッ!?)
目の前に突っ立って私のことをグラサン越しに見下ろしていたのは、あの得体の知れないヤクザ風の客だった。ヤクザは随分と大柄な体格をしていたようで、こうして下から見上げているともの凄い威圧感だ。
(やばい! 因縁つけられる……!)
慌てて立ち上がろうとする私だったけど、腰が抜けてしまったのか足に上手く力が入らない。
「ごごっ、ご、ごめんなさいぃぃぃっ!!」
喉から搾り出すような声で私はヤクザへ必死に詫びを入れずにはいられなかった。相手は裏社会の人間なのだ、ちょっとぶつかっただけでもどんな目に遭わされるかわかったものじゃない。他のお客さん達も何事かとこちらへ一斉に注目する。
と、何やら周りの目を気にしたらしいヤクザが焦った様子で私にさっと手を差し出してきた。これはつまり、私のことを引き起こしてやろうということなのだろうか。ヤクザの親切を無下にすると余計に怒らせてしまいそうだったから恐る恐るその手を握る。ごつごつとした硬い感じの、ちょっとばかし毛深い大きな手だった。
(ん? 怒ってないのか……?)
私の手には恐怖と緊張のせいでじっとり汗が滲んでいたものだから、不快に思われやしないかと生きた心地がしなかった。だけどもヤクザは特に気にする様子もなくこちらを軽々と引き起こしてみせると、私の肩をぽんぽんと叩いてそのまま何も言わず食堂を出ていってしまう。
「ふ────……」
助かった。特に気を悪くした様子はなかったから、ひとまず見逃してくれたのかなと安堵した私は盛大にため息をつく。
「なにしてんの?」
「いや、ちょっとぶつかっただけ」
様子を見に来たらしい弟が、何があったのかと尋ねてくる。私のあまりの怯えようを見て息を呑んでいたらしい他のお客さん達も、何事もなく済んだのを見届けて安心したのか食堂内の空気は再び緩やかなものになった。
どう見てもヤクザなあの客だったけど、もしかすると案外本当にただのヤクザ好きな一般人なのかもしれない。ともあれ食堂を出ていったヤクザは早めに夕食を切り上げでもしたのか、それきり戻ってくることはなかった。
*
「ふぃー、食った食った」
食後のデザートをたいらげた私は、お腹をさすりながらコーヒーの残りをちびちびすする。今食べたのは追加注文で頼んだ「ミシシッピ・マッドケーキ」というへんてこな名前のチョコケーキなのだけど、以前ゆうちゃんのバイトしていた店へお呼ばれしてごちそうしてもらった時に見かけたこれのことが私は長らく気になっていたのだ。あん時は遠慮して一番安いケーキを頼んでしまったのだけど、この場においては気兼ねする必要は全くない。気前のいいおじさんはお年玉だって弾んでくれるし、身内の私達がこうして泊まりに来れば全部タダでご馳走してくれるってんだからありがたいぜ。
「おいしかったかい?」
「あっうん、ごちそうさま」
食べ終わった客の食器を従業員の人達と手分けして下げていたおじさんが、私達のところへ来て料理の感想を聞いてくる。
「すみません、何から何まで」
「はは、遠慮なんかしなくていいんだよ」
おじさんに頭をぺこりと下げてそんな風に言ったのは、私と同じくケーキを食べ終わって一服ついていた弟。こいつめ、自分が目上だと思った人の前ではかしこまってやがんの。
「しかし智貴くんは本当にお父さんに似てきたね。こうしてみると彼の若い頃にそっくりだよ」
目を細めてそうしみじみと語るおじさんは、なんだか我が子の成長を喜ぶ父親のような感じだ。おじさんと今日子おばさんの間には子供がいないのだけど、だからなのか昔っから親戚の寄り合いで顔を合わした時なんかはいつも私達のことを気にかけたりしてくれる。
「ああ、そうだ。二人とも、明日帰るのはちょっと厳しいかもしれないよ」
「えっどうして?」
思い出したようにそう口にするおじさんだったので、私は聞き返す。予定だと私達は明日の昼過ぎぐらいには荷物をまとめて家に帰ることになっているのだ。もちろん時間が来るまでは弟と一緒に最後のスキーを楽しんでおくつもりなのだけども。
「ほら、ずいぶん吹雪いてきてるだろう? どうも予報じゃ明日ぐらいまで近年にない大雪になるそうだ」
「ふーん……」
おじさんが言うには夕方頃から降り始めたこの雪はどんどん酷くなっていくそうで、明日はスキーどころか道が塞がって帰ることすらままならなくなるらしい。閉じ込められた時の一応の備えとしてスノーモービルとかも置いてあるそうだけど、とりあえずは雪が止んで再び道を通れるようになるまでは大人しくここで待つしかないとおじさんは言う。
そりゃまあ、そういうことならしゃあねえよな。明日滑るのを楽しみにしてたビッチさん辺りはたいそう残念がりそうだけども、一応ネット回線も来てるこのペンションだったから私としては部屋にカンヅメになったとしても別に構わない。
そうだ、例のスーファミでもやって暇潰ししよう。二人で遊べそうなゲームで久しぶりに弟と対戦でもしてみるか。私の部屋にもテレビがあるから、あれを使えば誰にも気兼ねせずに済みそうだ。
「マジすか……」
だけどもおじさんの話を聞いた弟が渋い顔をする。さては予定通りに帰れなくなったもんだから部活のことが気になってるんだな。サボりとみなされて後で顧問や先輩達にしごかれちゃうってか? 大変だなぁおまえも。まあ球蹴りのことなんか忘れてもう少しのんびりしてろってことだよ。
「後でお母さんにも言っておきなさい。まあ冬休みが終わるまでずっといてくれたって構わないがね」
そう冗談めかしておじさんはにこやかに笑う。毎日こんな風にご馳走を食べてたら流石の私も川本さんになってしまいそうだったから、それはちょっと遠慮したいところだ。
ともあれお母さんからは夜になったら必ず家へ電話をするよう言いつけられていたから、後で連絡ついでに猛吹雪のことも伝えておこう。
「ねぇあなた、ちょっと来てちょうだい」
食堂の出入り口に立ったおばさんが、なんだか困った様子でおじさんを呼んでいる。
「どうした?」
「それがね、お客様が……」
呼ばれるままにそちらへと足早に向かっていったおじさんは、そのままおばさんと一緒に食堂から出ていってしまった。
「行こっか」
「ん? ああ……」
そろそろ部屋へと戻るべく、私は弟に声をかけて二人一緒に席を立つ。
◆
「ちょっとちょっと。落ち着いて話して下さい。一体何があったんです?」
「だから! 今部屋に戻ったら、床にこんな……こんな物が……!」
私達が食堂から出ると、例のOL三人組が必死な様子でおじさんに何かを訴えていた。メガネのお姉さんが震えるその手に持っていた小さな紙切れをおじさんに突きつける。
「これは……? いや、こんなもの誰かのいたずらでしょう」
「でも……誰かがあたし達の部屋に入ってこれを置いていったんですよ……?」
だから気持ち悪くてとてもあそこじゃ眠れないと、怯えたように言うのは、メガネさんの後ろで腕を抱いていたビッチさんだ。
(なんだ? 何があった?)
ただならぬ場の雰囲気に足を止めて様子を見ていた私達だったけど、やがて私に気付いたビッチさんがちょいちょいと手招きしてくる。
「ねぇ智子ちゃん、これ見てよ。なんだか怖いでしょ……?」
「え、何これ」
メガネさんから借り受けた紙きれを私に見せたビッチさんが、不安の滲む声でそのように訴える。紙に書かれた文字を見た私も、その物騒な内容に思わず息を呑んでしまった。そこには赤いマジックでこう書き殴られていたのだ。
続く