もこっちの楽しい日常   作:ニックワンワン

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★イラスト
DDT様が作中のクライマックスの場面をイラスト化してくださいました。作者様にご許可頂けましたので、この場を借りて紹介させて頂きます。
https://twitter.com/DDT000125/status/1253908966360244224

≫[2020/7/13]あとがきを投稿しました。


【クロス】かまいたちの夜 黒木姉弟シュプールへ行く(7)

かまいたちの夜明け

「……ぼくが犯人だって? そりゃ本気かい?」

 

 弟が犯人を名指ししてから場の雰囲気が一気に張り詰めたのだけど、それに似つかわしくない穏やかな声でみきなんとかさんがゆっくりと口を開いた。

 

「本気じゃなきゃこんなこと言わねぇよ」

「おいおい、ちょっと待ってくれよ」

 

 眼前から僅かたりとも目を逸らさない弟が語気も鋭くそう返せば、両手を持ち上げたみきなんとかさんはそれをなだめるような仕草をしてみせる。

 

「まいったな、まさか手が似てるってだけでぼくを疑っているのか? いくらなんでもそりゃあんまりだ」

 

 私としてはもう決定的と言っていい程の理由だったけど、そんなものは証拠にならないとみきなんとかさんは困り顔で弁解し始める。

 

「ぼくみたいな手をした人なんて、世の中いくらでもいるだろう……そんなことで犯人扱いされてちゃたまらないよ」

 

 眉をハの字にして心底弱ったような声を出すみきなんとかさんが、おおげさにかぶりを振った。

 

「君達だってさっき犯人扱いされたばかりじゃないか。なのに、今度は別の人を疑い出す。疑心暗鬼はもうウンザリだよ。いい加減にしてくれ」

 

 かと思ったら、今度はやや語気を強めて私達を責めるように睨みつけてくる。こんな風にされると本当にこの人が犯人なんだろうかという気持ちがうっかり湧いてきそうになるけれど、これはきっと演技なのだ。騙されてはいけない。

 

「別に手のことだけが理由じゃない。あんたが犯人だと思った理由は他にもあるんだ」

 

 相手を追及する材料が一つだけというのでは心許ない。故に私達を散々苦しめたメガネのあの多段構えの手口に図らずも則る形で、弟は犯人の逃げ道を塞いでいこうとする。

 

「夕食の時、ここにいる皆があの田中って客と居合わせていた……だったら、唯一あいつになりすませるとしたら後からペンションに来たあんたしかいないんだよ」

 

 これは消去法だ。あの場でヤクザと同じ空間にいた人達は必然的に容疑者候補から外さなくてはいけない。あのとき忙しく料理を運び回っていたバイトの人達やおばさんは勿論のこと、厨房のほうにいて姿を見せなかったおじさんだって夕食が始まる直前にはロビーのほうで大阪夫婦を出迎えたりしていたのだ。だとしたら、やっぱり疑わしいのはみきなんとかさんだけってことになる。いつの間にか食堂にいたヤクザだったけど、きっとみどりさんが私達を呼ぶ前からなんのかの言ってあの場に居座っていたのだろう。

 

「そんなこと言われてもな……」

 

 そうした指摘を受けても尚、身に覚えがないと言わんばかりに難しい顔で唸るみきなんとかさん。

 

「……そうだ! ご主人、覚えてますか?」

「は? な、なんでしょう」

「ほら、ここに来る前にぼく、電話したじゃないですか」

 

 みきなんとかさんは急に何かを思い出した様子でおじさんへと話しかけた。やっぱりな、それを持ち出して来ると思ったぜ。

 

「ああ、はい……確かにそうでしたね。夕食が終わったぐらいの時に、今からお越しになると……」

「でしょう? あの時ぼくは駅にいたんですよ。吹雪がひどくて、ここまで来るのも一苦労だったんですから……このペンションと駅を行ったりきたりする時間なんて無いと思いませんか?」

 

 その電話なら私もおじさんの傍らで少し聞いていたのを覚えてる。ちょうどメガネ達もその場に居合わせていた筈だ。あの時の電話がどうやらみきなんとかさんによるものであったことは弟にも共有しておいたから、おかげでそれに対する答えを私達は既に見出すことが出来ていた。

 

「確かにその通りだ。でも、電話は別に駅から掛けなくてもいい」

 

 みきなんとかさんを見据えたままの弟が、改めて彼の主張を崩しにかかる。

 

「あんた、確か自分で言ってたよな? 近くのバス停に公衆電話があるって。そっちを使えば時間の問題は解決出来る筈だ」

「ああ、言ったね……そんなことも」

 

 その指摘を聞いて、おじさんがあっという表情を作る。だけどもみきなんとかさんのほうは特にうろたえる様子もなく、それがどうしたと言わんばかりだ。

 

「田中って客は随分早く食堂から出ていった。今思えば、ペンションから抜け出して公衆電話を使う為だったんだろうな」

 

 そう、これこそがヤクザがメシを早々に切り上げてった理由なのだ。近場にあるとは言えどこの吹雪だ。徒歩でそこまで辿り着くのはそれなりに時間が必要だと踏んだからに違いない。

 

「バス停の近くにでも車を隠しておけば、電話をかけた後でそれに乗って頃合を見てペンションに戻るだけでいい……勿論、その時には変装を解いた全くの別人として泊まりにくる訳だ」

 

 みきなんとかさんがここに到着した時、凍えかけて大変だったとボヤいていた。あれは実際のところ、徒歩で電話のあるところまで向かう際に思いのほか苦労させられたことを言っていたのだと思う。なにせこの天気なのだ、おじさんや俊夫さんが言うように自殺行為に近いものがあったのだろう。

 

「では、智貴くんが見た雪の不自然な崩れというのはひょっとすると……」

「ええ、実際にこの人がペンションを一旦抜け出していった跡だったんでしょうね」

 

 私の隣でモップを手にして控えるおじさんが確認してみれば、弟は振り返らずに口で肯定してみせる。誰にも気付かれずここを出ていこうとするのなら、例の部屋の窓から飛び下りるのが手っ取り早いって訳だ。外で大きな物音がしたって、誰もが雪の落ちる音と考えて気にも留めなかったのだろう。

 

「なるほど、君も上手いこと考えるもんだな。確かにその方法なら、どうにでもなりそうな気がするよ」

 

 弟の説明を聞いたみきなんとかさんは、一旦納得したような様子でうんうんと頷いてみせる。

 

「でも駅から電話したのは本当だよ? 証明してみせろって言われたらどうしようもないけどね」

 

 あくまでとぼけるつもりなのだろうか、それでもこの人はのらりくらりと弟の追及をかわし続ける。駅から電話したことを証明する術はないと言う彼だったけど、それは逆を言えば近場の公衆電話を使ったことを私達が証明することだって出来ないと言外に含めているようなものだ。

 

「まあ、ぼくが思うに……田中って人は夕食が終わってからはすぐ逃げたりせずにしばらく例の部屋の中にいたんじゃないかな? でなきゃ誰が窓を割ったっていうんだい? ぼくはあの時ずっと皆と一緒にいたっていうのに」

 

 今度は窓が割れた時の状況を持ち出して、みきなんとかさんは自身を弁護してみせる。

 

「亜希ちゃんが見つけてきたあの板だって、ひょっとしたらあれこれ推理されることを見越した犯人が君やお姉さんに罪を着せようとして、逃げてくついでにわざとあそこに埋めていったのかもしれないよ。おおかた警察をかく乱するつもりだったんだろう」

 

 弟に向けてみきなんとかさんがそんなことを言ってくる。確かにあの板きれのせいで私達が散々な目に遭わされたことは本当だ。メガネの考えたトリックは単独犯では不可能な手口だったからこそ、私達二人に疑いが向けられてしまったという訳だ。

 

「いや、違うな。あの板はあんたがペンションを抜け出す前に仕掛けてったものだ。その仕掛けを使って窓を割ってみせたんだ」

 

 だけども弟はそうした可能性を切って捨てる。

 

「しぶといね君も……そんなにぼくを犯人にしたいのかい?」

 

 それを受けてみきなんとかさんの目に鋭い光が宿り始めたように見えた。

 

(粘りやがんなこいつ……)

 

 初めの頃は情に訴えるようにして困り顔を見せたり不機嫌になってみせたりしていたみきなんとかさんだったけど、今は妙に落ち着いているようだった。それは己のアリバイに絶対の自信があるからだろうか? だとしても次から次へと追及されているというのにこうも平然としていられるものだろうか? どこか開き直っているようにも感じられるその態度が気味悪く感じられてしまう私だった。

 

「ねぇ、どういうことなの? 美樹本さんはどんな仕掛けを使ったっていうの……?」

 

 ソファーのほうでビッチさん達と身を寄せ合っていたメガネが弟に質問してきた。元々のトリックの提唱者としては、例の紐付き板が実際はどう使われたのかが気になってしまったのだろう。

 

「大体は河村さんが言ったような感じで合ってますよ。ただ、それを一人でも実行可能で、なおかつ時間差で窓が割れるような方法にしただけです」

 

 問われた弟がそう答えてやれば、更なる疑問を顔に浮かべるメガネ。当然いまの言葉だけでは理解出来ないであろうから、弟は詳細を説明してやる。

 

「あの板きれを使って、窓と屋根の雪とを繋ぐというところは変わりません。違ったのは、実際は雪が落ちるタイミングを自分で操作せず成りゆきに任せたってことです」

「成りゆきって……?」

 

 トリックに関するメガネの推理は、実際のところイイ線いってたと思う。だけども私達二人が犯人に違いないという先入観に縛られるあまり、余計な当て推量を盛り込んでしまい真相を見誤っていたのだ。

 

「屋根の上の雪は、一定以上積もりさえすればわざわざ板を引っ張らなくても自然にそのうち落ちていきます。美樹本さんはそれを利用したんですよ」

 

 これこそが真相だった。みきなんとかさんが談話室で皆とワイワイやってた時に窓を割ることが出来たのは、こうした時間差トリックを使ってみせたからだ。

 

「なるほど! 確かにそれなら皆とここにいるだけでそのうち自動的にアリバイが作れちまうって訳か」

 

 手にしていたモップで自分の足元を小気味よく小突いた俊夫さんが、感心したような声を上げる。

 

「その通りです。河村さん、あの脅迫状の内容を覚えていますか? 今夜十二時に誰かが死ぬと、そう書いてましたよね?」

「え? ええ、そうだけど……」

 

 顔をみきなんとかさんに向けたままの弟が、言葉だけでメガネにそう問いかけた。

 

「きっと美樹本さんは、屋根の上の積もり具合からして、雪の落ちる時間が遅くともそれくらいになると踏んでいたんです。結局、吹雪が思った以上に激しいせいでそれよりも随分早く仕掛けが作動してしまったんですが、本人にしてみれば自分がペンションに来た後であればいつ窓が割れてくれても構わなかったんでしょうね」

 

 どうもしっくりこなかった例の脅迫状の内容だったけど、こう考えると納得がいく。犯人にしたって、狙った箇所の雪が屋根から落ちるタイミングを完全に予測することなんて出来る訳がないのだ。だからこそある程度時間に余裕を持たせておいたのだろう。

 

「あの脅迫状を出した目的は、おそらく仕掛けが上手く作動しなかった時の保険だったんじゃないでしょうか? ああしてペンションの人間を不審がらせておけば、後から周りを焚きつけて例の部屋を調べさせることだって出来たんですから」

「はぁ~、よう悪知恵が働くもんやなぁ」

 

 今度はソファーの上でジェニーを抱っこしていたおっさんが、弟の説明に感心してみせる。

 一方のみきなんとかさんといえば、先程からどこか退屈したような様子で顎ヒゲの辺りをぽりぽりかいたりしていた。一体何を考えているのやら、その様子は甚だ不気味だ。

 

「ちょっといい? さっきの仕掛けの話なんだけど……」

 

 話を静かに聞いていたみどりさんだったけど、気になる点があったのか弟に声をかけてくる。

 

「それって板にくくりつけておいた紐を窓の取っ手に結んでおくってことでいいの?」

「そうですけど」

「だったら、取っ手に結ばれたままの紐はどうやってほどけたの? 誰かが部屋に入ってほどかないと駄目なんじゃないの?」

 

 細かいようだけどそうした問題がまだ残っていた。弟が説明したトリックでは取っ手に紐を結びつけておく必要があるのだ。窓が割れる時まではしっかり結びついていて、用が終わったらひとりでにほどけていく。そんな仕組みでもなければ板は依然として取っ手からぶらさがったままになってしまうだろう。

 

「それは……正直言って分かりませんでした。でも、特定の方向から引っ張った時だけほどけたり、あるいは引っ張り続けることでほどけていく特殊な結び方があるのかもしれません」

「ふぅん……そういうもんかしら」

 

 こればっかりは私達にも皆目見当がつかなかった。だから、ここは言ったもん勝ち作戦でいく。メガネのヤローに何度か使われたこの手口も、自分達が攻める側に立って使う分には案外便利だったりする。どっちみち犯行に使った証拠品があの窓の下に埋もれていたっていう揺ぎない事実があるんだから、細かい手口が謎だったとしても然程問題ではないのだ。

 

「まぁ、俺達の推理としてはこんなもんです。後は……」

 

 ひとまずこちらの主張は一通り言い終わった。きっと皆もこれでみきなんとかさんが犯人と見て間違いないのだということを信じてくれただろう。

 

「本人が認めるかどうか、ですけど」

 

 だけども皆から一斉に疑惑の目を向けられてしまった犯人がどういう反応をするのか、それが問題だ。素直に罪を認めるのか、あるいは尚もシラを切り続けるのか、はたまた逆上でもしてしまうのか。

 

「ふぅ……なんだかなぁ」

 

 ため息をついたみきなんとかさんが、疲れた様子でそう呟いた。

 

「なるほどね、よく分かったよ。その窓のトリックってやつかい? うん、よく出来てると思うよ。実際、上手いことやれば本当にそういうことが出来ちゃうんだろうな。ははっ」

 

 なんとも他人事のような言い草だけど、同時にどことなく私達を小馬鹿にしているようにも聞こえてしまう。

 

「まあでも、やっぱりぼくは犯人なんかじゃないよ。どうせ信じてくれないんだろうけど」

 

 投げやりな様子でうそぶくみきなんとかさんだったけど、どうやらもう推理の内容自体に反論するのは諦めて、あくまでシラを切り通すことに徹するつもりらしい。これはもしかすると警察に逮捕された後も「弁護士を呼んでくれ」とか言って延々とゴネ続ける気でいるのかもしれない。

 

「で、ぼくをどうする気だ? 皆して袋叩きにでもするつもりかい? そんなことして、ぼくが無実だったら全員傷害罪で逮捕だな」

「一応、地下室に入って頂きます。後のことは警察に任せますので、ひとまず今晩だけでも我慢してください」

「はぁ、まいったなぁ。なんでぼくがこんな目に……」

 

 あくまでも無実を訴えるみきなんとかさんが自分の扱いについて尋ねてみれば、おじさんがそう答えてみせる。おじさんとしても彼が大人しくしてくれるのなら、これ以上事を荒立てたくはないようだった。

 実のところ、本当は犯人が暴れ出した時のことを考慮して弟はおじさん達と手短にこっそり打ち合わせしてあった。何かあれば弟とおじさん、そして俊夫さんの三人掛かりで取り押さえるつもりでいたのだ。

 

「分かった分かった、分かりましたよ。地下室でもなんでも行こうじゃないか。それで皆の気が済むのならね」

 

 両手を上げて降参の意を示すような素振りをするみきなんとかさんは、もうすっかり抵抗する意思はなさそうだった。彼がわずかでも妙な動きをすればその顔面に蹴りを叩き込んでやろうと、弟なんかはこれまで少しも気を抜かずその一挙手一投足を見張り続けていたようだったけど、こうも潔い態度を取られるとなんだか拍子抜けだ。観念したというよりも、「こいつらには何を言っても無駄だ」と諦めきっているようにも見えてしまうから、本当に私達の推理が当たっていたのかどうかすら少しばかり不安になってくる。

 

「申し開きがあるのでしたら、あとは警察にでも話してください。なんなら弁護士を紹介しましょうか?」

「へぇ、伝手でもあるんですか?」

「ええ。私も昔、その手の職に就いていましたので」

「そりゃあ大したもんですね。じゃあ、お願いしようかな」

 

 いくら怪しくても頭から犯人だと決め付けるのはポリシーに反するのだろうか。おじさんはみきなんとかさんの今後に配慮したようなことを言ってやる。この分だとみきなんとかさんは警察に逮捕された後もゴネる気満々のようだ。

 

「で、その地下室ってのはどこにあるんだい?」

「すぐそこですよ。さあ、こちらにいらしてください」

 

 大儀そうに立ち上がったみきなんとかさんがそう尋ね、前に進み出たおじさんに促されるまま、すごすごと皆の前を通り過ぎようとする。地下室の入り口はちょうど下駄箱の隣にあって、外側から鍵が掛けられるようになっているので誰かを閉じ込めるにはもってこいなのだ。

 

(やれやれ……どうにかなったな……)

 

 一時はどうなることかと思ったけど、きっとこれで今夜は安心して眠れる筈だ。傍らの弟を見やれば、こいつも幾分かほっとした様子で私のほうに目を向けてきていた。

 

「なぁ、とも……」

 

 頑張った弟をちょいとばかしねぎらってやろうと、私は声をかけようとした。だけども、それを最後まで言い終えることは出来なかった。誰かが横から私の首に素早く腕を回すと、そのまま強引に持ち上げてきてあっという間にどこかへ引きずっていってしまったからだ。

 

「ぐぇっ………!」

 

 首に巻きついた大蛇のように太いその腕は力の加減なんてされてなかったから、私の喉は締め上げられてしまいカエルの鳴き声のような音を漏らしてしまう。途端、あちこちから悲鳴が上がったのが聞こえる。

 

「おっと、全員動くなよ……。こいつの首がへし折れてもいいのか?」

 

 頭の上からドスを利かせた声が聞こえてくる。その一言を聞いただけで、私はもがく気も失せて全身がすくみあがってしまう。随分印象が違って聞こえるけれど、これはきっとみきなんとかさんの声なのだろう。

 いつの間にか私は玄関口のほうまで連れていかれたようだった。少し距離を置いたおじさん達が、血相を変えてこちらを見ているのが伺える。弟のやつなんかは今まで私が見たこともないような表情でいるようだった。

 

「たひゅ、たひゅけてっ……!」

 

 体の震えが止まらないでいる私だったけど、どうにか搾り出すような声で助けを求めようとする。

 なんてこった、こんなことになってしまうなんて。みきなんとかさんは大人しく観念したように見せかけて、こうして人質を取る機会を虎視眈々と狙っていたのだ。

 

「やはり……やはりあんたが犯人だったのか……!?」

 

 おじさんが怒りもあらわにそう声を荒らげる。その様子は今にも犯人に飛びかっていきそうだったけど、私がこうして人質に取られている以上、ぐっとこらえるしかなかったようだ。

 

「そうだよ。そこの小僧が言ったとおりさ。俺が死体をあの部屋に運んだ。見破られるはずはないと思っていた。こんなところにとんだ名探偵がいたもんだ」

 

 そこの小僧、というのは弟のことなのだろう。なにやらぺらぺらと白状し始めたようだけど、とうとうみきなんとかさんは本性を現したという訳だ。いや、いい加減犯罪者に「さん」付けはやめよう。こんなやつは「犯人」と呼んでやるだけで十分だ。

 

「……これからどうするつもりだ?」

 

 視線だけで人を殺せてしまいそうな程の圧を込めつつ犯人を睨みつけた弟が、低く唸るように問いかける。そしたら犯人は、ふっと照れたように鼻で笑ってみせると顔の辺りから何かを剥がしていくような音を鳴らす。やがて地べたに何かがぽとっと投げ捨てられたのだけど、見ればそれはモジャモジャの付けヒゲのようなものだった。

 

「あー、かゆい。のりがよくないのかな。早く取りたいと思ってたんだよ……そうだな、じゃあまずは顔でも洗ってこようかな?」

 

 そんなことを言って頬をポリポリとかいてみせる犯人。どうやら変装を解いてみせたらしい。結局あのヒゲ面は、なるべくヤクザと同一人物に見えないようにする為のカモフラージュに過ぎなかったということか。

 ともあれどこかとぼけた調子で冗談のようなことを言ってみせる犯人だったけど、場に似つかわしくないその軽い態度が今はひたすら恐ろしく感じられてしまう。いまやこうして沢山の人間と対峙していても尚、まるでどうってことないように感じているようだ。

 

「ぐええっ!?」

「ほらほら、動くなって言ってるじゃないか……大切なお姉さんがどうなってもいいのか?」

 

 急に私の喉を締め上げてきた犯人が、そう脅してみせる。どうも弟が何か動きを取ろうとしたから、それをけん制したようだ。

 

「全く油断ならん小僧だな……おかげで、こいつを取り出す暇もなかった」

 

 そう言って犯人は私を片腕で拘束したまま何やらごそごそとやり始めたのだけど、やがて私の顔の前に差し出されたその手には黒い何かが握られていた。

 

(や、やっぱ持ってやがったぁ──!?)

 

 それが何か分かった途端、体中の血が逆流しそうな感覚を覚えた。犯人が取り出したのは、なんと拳銃だったのだ。それを受けてまたしても皆の中から悲鳴が上がる。ヤクザなだけにもしかしたら拳銃なんて持ってたりするかもしれないと、そうした可能性を弟に訴えていた私だったけど、当たってほしくもない予想が的中してしまったようだ。

 ともあれ私を締め上げたまま器用に銃をスライドさせて弾を装填してみせた犯人は、そのまま眼前の皆へと銃口を向ける。

 

「なんてこった……なんてやつなんだ、あんたは……あんたって人は……!」

 

 まさかここまで凶悪なやつだったなんて思わなかったのだろう、おじさんの顔には怒りと同時に絶望一歩手前のような色まで浮かび始めている。

 

「……あんた、何なんだよ。ウチに一体何しに来たってんだ? なんでわざわざ死体なんか持ってきやがったんだ? あの死体は、あんたの仲間なのか?」

 

 俊夫さんが警戒心をむき出しにしつつ責めるような口調でそう尋ねてみせる。ヤクザもん同士の仲間割れが原因で殺人が起きたんじゃないかと踏んでいたこともあって、あの死体が犯人の仲間だったんじゃないかという憶測が俊夫さんの中にあるようだ。

 

「あいつは相棒だよ。といっても、一緒の仕事は今回が最初で最後になったがな」

「……仕事だと?」

 

 案の定、ヤクザと例の死体の主はそういう間柄だったらしい。どういう仕事なのか知らないが、どうせ犯罪みたいなことなんだろう。拳銃なんて持ってやがるから、その相棒と一緒に何かやらかそうとしたのかもしれない。

 

(あっ、こいつもしかして……!?)

 

 不確かではあるけど、ひとつだけ思い当たるフシがある。私は自分の部屋で寝転がっていたとき、ヤクザの正体についてあれこれ考えていたことがあった。その時に私は、ヤクザが先日から巷を騒がせている噂の銀行強盗犯だったんじゃないかと憶測を巡らせていたのだ。こいつは拳銃なんて隠し持ってやがった訳だから、案外本当にその見立ては当たっていたりするのかもしれない。

 

「まあいいじゃないか、とりあえず仕事仲間だったってことさ……色々あって殺してしまったがね」

 

 だけどもこんな状況で、それを直接こいつに確認する訳にはいかない。今はただ、首にきつく巻かれた腕のせいで息をするのもせいいっぱいなのだ。

 

「死体を完全に消すのは君達が思っているよりもずっと難しい……だから発想を逆転したんだ、下手に隠すよりも堂々と誰かに見つけて貰えばいいと。このペンションにあいつを持ってきたのは、そういう理由からだ」

 

 外から持ち運んだ死体をあの部屋に放置しておいて、さもこのペンションで殺害されたように見せかける。その上でちゃんとしたアリバイを作っておきさえすれば、駆けつけた警察の前でも堂々としていられる。そうして警察が外部犯の線を疑って捜査している隙にどこぞへ高飛びするつもりだったと、犯人はそんなことを丁寧に説明してくる。

 

「あいつは……そう、(みなみ)とかいうけちな野郎だったんだが、やつは元々偽名を使ってここに泊まる筈だったのさ。そうして後から来た俺と合流することになってたんだよ。なのにやつのおかげで予定が随分狂っちまった。人生ままならないもんだよ、全く」

 

 思い出すような調子でそんなことを語り出す犯人。なにやらこいつなりの事情があるようだけど、そんなの私達には関係ない。こんなやつが死体を引っさげて泊まりに来るなんて、ただひたすらに迷惑極まりない話だ。

 

「俺だって本当は大人しくしてるつもりだった。警察が来たら後は任せるつもりでいたんだ。だからこそちゃんと外部の人間の犯行だと思えるようにしておいたってのに」

 

 愚痴を吐き出すように語り続ける犯人だったけど、こいつの言葉が本当なら今まで私達がやってきたことはヤブヘビだったとでも言うのだろうか。

 

「でも、君達があれこれ騒ぎ立ててしまったんだからしょうがないじゃないか……だからこういうことになるんだ」

 

 その口調はまるで皆を責めているようだった。周りの人間が余計なことをしたから、今のような最悪の事態を招いたのだと言わんばかりだ。

 確かに途中までは本当に大人しくしてるつもりだったのかもしれない。でも、どのみちメガネが例の板きれを見つけちまった時点で手遅れだったのだ。内部犯の可能性を決定的に生み出してしまうあれが見つかった時点で、計画がおじゃんになったこいつはきっと私達全員を始末する算段を始めていたのだろう。確証はないけれど、そのように思えてならない。

 

「運が無いな、俺も……。電話が使えれていれば、全ては丸く収まっていたんだ。警察と連絡さえついておけば、()()()()が疑心暗鬼になることもなかった」

 

 さっきまでは「君達」呼ばわりしてたのに、急に「おまえら」と来たもんだ。こうした微妙な呼び方の違いには、犯人なりの恨みつらみが表れているのかもしれない。

 ともあれ電話が使えなくなったことは、どうやら犯人にとって大きな誤算だったらしい。思い出してみれば電話の断線が発覚した際、こいつは真っ先に近場の公衆電話を使うことを提案したのではなかったか。あれはつまり、当初の計画が狂うことを恐れたが故のことだったのだろう。

 

「そしたら、くだらない犯人探しに俺が付き合わされることもなかった。ただでさえ疲れてたってのに、この吹雪の中を連れ回されたんだぜ? 正直クタクタだよ」

 

 自分勝手な都合を並べ立てていった犯人は、最後にふぅとため息をついてみせる。犯人探しになにかと消極的だったこいつの態度は気の弱さから来るものだと誰もが思っていた。だけど結局、そんなものは演技に過ぎなかったのだ。今ならそれがよく分かってしまう。

 

「さあ、告白タイムは終わりだ。ご主人、ロープがあるだろう。洗濯ロープでもなんでもいい。持って来てくれないか」

「自分で持って来るんだな」

 

 言いたいことを言い終えた犯人は、おじさんに銃口を向けつつそんな要求をする。だけどもおじさんは、腕を組んだまま犯人を睨みつけてそれに応じる気配はない。

 

「おや、撃ちたきゃ撃てって顔だな……さて困ったぞ」

 

 そう言って犯人は銃口をすうっと動かしていく。

 

「ひゃああっ!?」

 

 そうしたら、こいつは私のほっぺたに銃口を押しつけやがったのだ。それだけのことで、私は今まで考えていたことの全てが吹き飛び最早どうでもよくなってしまった。

 

「おい、何をする!」

 

 一転して悲壮な顔つきになったおじさんが、手を広げて犯人を制止するような姿勢を取る。頼むからやめてくれと、そう犯人に懇願しているようにも見えてしまう。

 

(いやだ……! いやだ……! いやだ……!)

 

 私自身も、こんなひどいことをやめてくれるなら今すぐ犯人に土下座でもなんでもしてしまいたい気分だ。今日あったことは絶対誰にも喋らないから、どうか勘弁してくださいと、恥も外聞も捨てて惨めったらしく命乞いしたくなる程に、頬に突きつけられた銃口は私の心を一瞬にしてへし折ってしまった。

 

(なんで……なんで私がこんな目に……!)

 

 かつてこれ程までに自分のことを可哀想と思ってしまったことはない。まるで無理やり心の中のスイッチを押し込まれてしまったように、何故だか次から次へと自己憐憫の思いが溢れて止まらないのだ。涙が出そうになる。いや、もう既に私の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになってしまっていた。犯人に捕らえられてからというもの、どうやら私はずっと泣きベソをかいていたようだ。

 

「いいのかい? かわいい姪の顔が台無しになるぜ」

 

 殺し文句だ。こう言われて、おじさんがつっぱねられる訳がない。こいつはそのことを分かっているのだ。とうとうビッチさんが恐怖のあまり嗚咽を漏らして泣き出してしまったのだけど、犯人を刺激しまいとしているのか、その泣き声をどうにか押さえこもうと必死で口元を押さえている。誰かが「げす野郎」と憎々しげに呟いたように聞こえた。

 

「おじさん……ロープ、どこにあるんですか?」

「あ、いや、うむ……」

「大丈夫です、俺が持ってきます」

 

 犯人の言う通りロープを持ってくれば、きっと全員縛られてしまう。そしたら後は犯人の思うがままだ。かといって犯人の要求を突っぱねれば、私のほっぺたに風穴が空きかねない。板ばさみになったおじさんは、冷や汗を流してどうにも動けなくなってしまっているようだ。そうした辛い気持ちを察したのか、弟が自ら犯人の使いっぱしりになることを申し出た。

 

「どちらでもいい。早くしてくれないか?」

 

 しびれを切らした犯人がそう促してきたものだから、結局おじさんはロープのありかを渋々弟に教えてやる。決断出来ないでいる自分のことが心底情けないと思っているような様子だったけど、おじさんがそんな風に自分を責めることなんてないのに。悪いのは全部犯人のやつなのに。

 二階に上がっていった弟が、やがて数本のロープを手に下りてきた。そうしてそのまま何も言わず、相手の出方を伺うように犯人を睨みつける。

 

「それだけしかなかったのか?」

「……ああ」

 

 先に口を開いたのは犯人のほうだった。どうもロープの本数に不満があるらしい。

 

「まあいい。まずは男から縛れ。後ろ手にロープの端だけ使って、一本で二人縛るんだ」

 

 単に縛るだけでは安心出来ないのか、用心深い犯人は細かく注文を付けてくる。先に男の人から縛っていこうという算段のようだ。

 

「結び目は後で調べるぞ。緩かったら、まずこいつの……そうだな、腕の一本でもへし折ってやることにするか」

「うわぁぁん! や、やめてよぉぉぉ!」

 

 そう言って弟を脅しつける犯人だったけど、その言葉は私にとってまるで死刑宣告のようだったから叫ばずにはいられなかった。

 

「待つんだ智貴くん、変な気を起こしちゃいかん!……さあ、遠慮しないでわたしを縛ってくれ!」

 

 あっと言う間に目の中が涙でいっぱいになって視界の滲む私だったから、そのとき弟がどんな反応をしたのかは分からない。だけども強く制止するようなおじさんのその声を聞くだけでも、弟がどんな気持ちでいるのかがなんとなく察せられてしまった。きっと弟は、我を忘れて今すぐにでも犯人に飛びかかっていきたかったのだろう。

 

「他の連中もよく聞いとけ。誰か一人でも反抗するようなことがあったら、それは全員の責任だ。見せしめに誰を選ぶかは俺が決める。怪我したくなかったら、周りの奴が妙なことを考えないようによく見張っとくんだな」

 

 わずかな抵抗にも制裁を加えると、改めて皆の顔を見回しながらそう宣告してみせる犯人。こうして強く怯えさせることで、この男は私達の心を支配しようとしているのだろう。

 

「すみません……ほんと、すみません……」

「大丈夫だ、もっと強く縛ってくれて構わないよ。そう、それでいい」

 

 ともあれ手始めにおじさんが後ろ手に縛られていったのだけど、弟を気遣ってかそんなことを言うおじさん。犯人の言いなりにならざるを得ない弟の罪悪感を少しでも和らげてあげたいのだろう。やがて縛り終わった弟は、おじさんから伸びる紐で今度は俊夫さんの腕を拘束して二人を繋いでいく。

 次はおっさんと人妻さんが。そしておばさんとみどりさんが順に縛られていった。そのまた次はOL三人組が一本の紐を使ってどうにかワンセットで繋がれていく。ロープの本数は限られているから、二人一組のままでは全員を縛りきれないとみた犯人の指図だ。そうして残っているのは弟と私だけになってしまった。残るロープはあと一本。

 

「よくやった。それじゃあ、お姫様を解放してやるとするかな」

「わわっ……!?」

 

 犯人が急にそんなことを言い出したと思ったら、私の首に巻きつけていた腕を解いて背中をどんと押してきた。前のめりになりながらたたらを踏む私だったけど、危うく倒れこみそうになったところを弟がどうにか受け止めてくれた。そのまま力の限り弟に抱きついて、目いっぱい泣きじゃくってやりたかったのだけどそうも言っていられないようだ。

 

「さあ、まだロープが残っているだろう。そいつで弟を縛ってやるんだ」

 

 玄関口に立つ犯人が、私達に銃口を向けてそう指図してくる。弟の胸に抱かれたままの私は、後ろを振り返りここに来てようやく犯人の顔を見てやった。

 

(これが……これがこいつの、本当の……)

 

 そこにいたのは最早別人だった。皆の前で演技をしていた時のあの温和そうな雰囲気は微塵も残っていなかった。いかにも山男といったふうのもじゃもじゃヒゲも無くなって、今はぞっとするような冷徹さを湛えた鋭い顔つきへと変貌している。こんなにも恐ろしい目つきをした人間を私は生まれて初めて見たものだから、また足がガクガクと震えだしてしまう。とてもではないが、こいつが私や弟と同じ人類として扱われる存在だとは信じられなかった。私達とは決定的に何かが異なる別種の生き物、あるいは別世界からやってきた存在のように思えてならない。こいつと比べたら、あのメガネのなんと善良なことだろう。今ならあいつと抱き合ってキスだってしてやれそうな気分だ。

 

「なにをしている。早く言う通りにしろ」

 

 最後に残るのは非力な私のほうがいいと考えているのだろう。残ったロープで弟を縛るよう、犯人は改めて私に命令してくる。このままではまたどんな脅しをされるか分かったものではなかったから、そっとロープを手渡してくる弟に促されて、私は渋々弟のことを後ろ手に縛り始めた。こんなやつの言いなりになるしかないことが悔しくてたまらなかったから、皆を縛り上げていった弟の辛さがいまや痛い程分かってしまった。だからせめてもの抵抗にと、少しばかり緩めに縛ってやることにする。手を抜いたと思われないギリギリの範囲でだが。

 

「俺達をどうする気だ?」

 

 私に縛られながら、なんとはなしに弟が犯人へと質問を投げかける。

 

「安心してくれ、殺しはしないよ」

 

 そうしたら、妙に柔らかい口調でそんな答えを口にしてきたものだから、私だけでなく他の皆も意外そうな様子で犯人の顔を見やってしまう。

 

「明日辺りにここへ荷物が届けられることになってるんだ。そいつを受けとりゃ、もう用は無いのさ。君達のそのロープはほどいてやれないが、俺がいなくなった後にでも自力でなんとかしてくれ」

 

 今後の予定についてそう皆に言い聞かせていく犯人。仮にこいつが噂の銀行強盗犯だったとしたら、その「荷物」とやらはもしや銀行から奪った金だったりするのだろうか? 警察が捜査の手を広げて血眼で下手人を追っている中、大金を持ち歩きながらその目をかいくぐっていくというのは如何にも骨が折れそうだ。東京からこの長野まで逃げ延びてくる間だけでも、奪った金を一旦手放しておきたかったのかもしれない。その為に宅配便を利用したってことも考えられる。実際のところは知る由もないし、真相を知ったところで何か意味がある訳でもないから、私としてはどうでもいいことなのだけども。

 ともあれさっきの犯人の口ぶりからすると、ひょっとしたら命だけは助けてくれる望みがあるのかもしれない。そんなふうに私の中で犯人の言葉を信じてしまいたい気持ちが湧き上がってくる。よく考えれば見えすいた嘘に決まっているのに、それでもこんな状況ではすがりたくなってしまうのだ。

 

「そんなこと言って、本当は俺達を始末するつもりなんじゃないのか?」

 

 だけどもそうした私の弱い心を一喝するように、弟が犯人へ鋭い言葉を投げかける。弟は犯人の語る甘い言葉などハナから信じちゃいないようだ。

 

「……確かに今まで人を殺したことは何度かあるが、カタギに手を出したことは一度もないんだ。本当だ、信じてくれ」

 

 そうして尚も皆を安心させるようなことを言ってくる犯人。

 ああ、そうか。分かったぞ。こいつは恐れているんだ。このままじゃ間違いなく殺されると思えば、誰だって死に物狂いで立ち向かっていくに違いない。この期に及んでまだ用心深さを見せる犯人が、そうした事態を警戒して私達の抵抗の意志を削ごうとしているのだ。

 

「よし、縛ったな……」

 

 弟を縛り終えるのを見届けた犯人が、こちらへと歩み寄ろうとしてくる。だけどもその足元にまとわりつくようにして、何も知らないジェニーがすり寄っていった。先程の騒ぎが起きてからまたどこかへ姿を消していたジェニーだったけど、しばらく様子を見て戻ってきたのだろう。犯人がうっとうしそうに足の先で追い払うような仕草をするのだけど、ジェニーはそれが分からないのか無邪気に甘えようとする。

 

(どうしよう、ジェニーが……!)

 

 悪魔のような犯人だったから、このままでは苛立ったこいつがジェニーに危害を加えるに違いない。慌てて私が呼びかけてみるのだけど、ジェニーは知らんぷりだ。

 

「まったく、妙に邪魔ばかりする猫だ……」

 

 ふっと笑った犯人が、意外なことにそっとジェニーを懐に抱き上げると、食堂のほうへと軽く放って素早くドアを閉めてしまった。

 

「ちょっとどいてろ」

「あ、は、はい……」

 

 こちらを振り返った犯人がそう言って手で払うような仕草をしてきたので、私は言われるままに後ずさる。それを見届けた犯人はやがて弟の背後へと回りこんでいき、ロープの縛り具合を確認し始めるのだった。

 

(ああ、そうか……だから猫の毛が)

 

 ジェニーを蹴飛ばしたりしなかったのは単なる気まぐれだったのだろうか。あるいは皆の目を気にしたからかもしれない。ともあれ何事もなくてほっとした私だったけど、ここに来て例のヤクザのコートのことを思い出してしまった。あのコートには、ちょうどさっき犯人がやってみせたような感じで猫を抱き上げたと思しき痕跡があったのだ。

 おそらくジェニーは、夕食後に犯人が部屋の中であれこれ仕込みをしようとした際にもドアの前でにゃんにゃん鳴いて騒いでいたのだろう。そのことを不審に思われてはいけないと焦った犯人が、一応変装しておいたままの姿で廊下に出て、ひとまずジェニーをあの物置に放り込んでしまったに違いない。だからこそジェニーはあんな所に閉じ込められていたのだ。

 

「こんな、ゆるくちゃ駄目だ。もっと離れてろ」

 

 どうやら私の縛り方に納得いかなかったらしい。犯人は拳銃を振って再びこちらへ指図してきたものだから、私は階段下の辺りまで後退させられる。そのとき足元に何かが当たったのでちらりと目をやってみれば、そこには弟が持ってきていたあのストックが落ちていた。

 

「これくらい……しておかないとな」

 

 やがて犯人は私に背を向けたまま、弟のロープをきつく縛り直し始める。手にしていた拳銃は腰のベルトに挟んでおいたようだ。

 

(これ、チャンスなんじゃね……!?)

 

 咄嗟にひらめいた私は、躊躇することもなく足元のストックをそっと拾い上げた。このままいけば、きっとみんな殺されてしまう。弟を縛り上げる犯人の姿を目にした瞬間、私の頭の中にそう遠くない最悪の未来のビジョンがほんの一瞬、だけどもぞっとするほど明確に浮かんできた。

 

()らなきゃ、()られる……ッ!)

 

 チャンスは犯人が前かがみで私に背を向けている今この瞬間しかない。そう思うのと体が動き出すのとはほぼ同時だった。

 

(くそ犯人っ! 私の牙突を喰らいやがれ!)

 

 こいつのさきっぽでテメーのお菊さんを容赦なく貫いてやる。素早くストックを両手で構えた私は犯人のお尻目がけて無我夢中で突きを放った。これまでの分の怒りも乗せた全力の一撃だった。

 

(あっ……)

 

 そうして、犯人を悶絶させた隙に皆のロープを解いて全員で袋叩きにしてやるつもりだった。なのに、突き出した矛先は狙いが逸れて犯人の腰元の拳銃に当たってしまう。

 

(外したァ──!?)

 

 最後のチャンスだったというのに、とんだ大失敗だ。犯人の腰元から弾かれていった拳銃が固い音を鳴らして床に落ち、そのまま滑っていく。驚いた犯人がストックを突き出した姿勢のまま固まっていた私のほうを一瞬だけ振り返ったけど、拳銃を落としたことに気付いてすぐさまそちらへ飛びつこうと駆け出した。

 

「おごっ」

 

 途端、それに反応した弟が足で素早く妨害したものだから、犯人が受け身も取れず盛大にころんでしまった。ロビーに響き渡る程の大きな音が鳴ったから、どうやら顔面をしたたかに床へ打ち付けたようだ。そしたらすかさず弟が、拳銃の落ちていたところまで走り寄る。そうして今度は床に落ちていたそれを、足を使って器用に私のほうへと滑らせてきた。

 

「それ持って二階行ってろ!」

 

 硬直していた私だったけど、弟の声を受けて我に返ったものだから慌ててストックを放り投げ、手前に落ちていた拳銃を拾い上げる。それはずっしりと重く、うっかりしていたら取り落としてしまいそうだった。

 

「させるかぁぁ──ッ!」

 

 がばりと勢いよく上半身を起こしてこちらを振り返った犯人が吼える。私を逃がすまいとして、すぐさま立ち上がろうとしたのだ。その顔からは先程までの冷えびえとした鋭さが消え、代わりに赤熱するマグマのような憤怒の色がありありと浮かび上がっていた。その剣幕があまりにも獣じみていたものだから、ああやっぱりこいつは人間じゃないんだなと、そう思わずにはいられなかった。

 ともあれ拳銃を手に大急ぎで階段を上がろうとする私。だけども一段目で早速けつまずいてしまいそうになり、たまらずよろめいてしまう。極度の緊張のせいなのか、足が上手く動かせないのだ。

 

「がふぁっ」

 

 またしても犯人がうめき声を上げる。何かを盛大に蹴り飛ばしたような、凄い音がした。

 

「なにしてんだ! 早くいけ!」

 

 弟が改めて私にそう叫ぶ。

 蹴り飛ばしたのは弟だった。弟の足元で犯人が顔を押さえて膝をついている。後ろ手を縛られてはいたが、足が自由だった弟は犯人が立ち上がる前にその顔面へと強烈な蹴りを喰らわせてやったらしい。

 

(逃げなきゃ……っ!)

 

 モタモタしていて捕まったら、今度こそおしまいだ。

 手にした銃で戦ってみようかと一瞬だけ考えたりもしたけれど、すぐにその考えは打ち消した。銃なんて一度も撃ったことのない私だったから、こんなにも人の密集してるところで闇雲にブッ放しでもしたら下手すると関係ない人に当ててしまいかねない。

 果敢にも足技だけで立ち向かう弟の邪魔にならないように、犯人にまた人質にされてしまわないように、私は一刻も早くどこかへ避難しないといけないのだ。

 

「うおっ!?」

 

 そうして姿勢を取り戻した私は急いで階段をのぼり始めたのだけど、不意をつかれたような弟の声が聞こえたと思ったら、そのまま激しい物音がする。

 思わずそちらを振り返ってしまったが最後、私はもうそこから目が離せなくなってしまった。弟のやつがあおむけに床に組み伏せられて、犯人がその上へ馬乗りになっていたからだ。足技を厄介と見た犯人が弟を引き倒して寝技に持ち込んだ結果なのかもしれない。両手を縛られている弟だったから、それに抗う術はなかったのだ。

 

「かはっ……!」

 

 弟が声にならない悲鳴を上げた。犯人がその大きな両の手を使い、全身の体重を乗せるようにして首をグイグイと絞め始めたからだ。必死に抵抗する弟の足が激しく床を叩く。

 

「やめてぇ────!!」

 

 それを見たおばさんがたまらず悲痛な声で叫んだ。他の皆だって口々に怒声や悲鳴を上げている。もう私には考えている余裕などなかった。滑るようにして階段を下りていった私は、手にした銃を両手で構えてあらん限りの大声を張り上げる。

 

「なにしてんだテメェェェ! 撃つぞコノヤロ──ッ!」

 

 その怒鳴り声を受けて犯人の動きがピタリと止まった。皆も一斉に口を閉じてしまったから、ロビーはしんと静まり返ってしまう。

 

「さっさと手ぇ上げろ! 殺されてーのかっ!?」

 

 喉が張り裂けそうだったけど、そんなの構うものか。銃口を犯人に向けつつ、ペンション中に響き渡る程の声量で私は威嚇してみせる。

 

「おっと。待て待て。落ち着けって」

 

 さっと弟の首から手を離してみせた犯人が、ゆっくりとこちらを向いて私になだめるようなことを言ってくる。弟の攻撃で鼻柱が折れでもしたのか、その口元は著しく血で汚れていたのだけど、さながら捕食中の肉食獣のようだ。

 圧迫から解放された弟が犯人の下で苦しそうに咳き込んでいる。弟は今、元々テーブルがあった場所で組み伏せられていたようだけど、その傍らでテーブルがひっくり返っていた。

 

「やめておけ、撃てる訳がない。おまえには無理だ……さっさとそれを返すんだな」

 

 ぷっ、と口に溜まった血を吐き捨てた犯人が、ひどく落ち着いた声色で話しかけてきた。その口調はどこか私に言い聞かせているようにも思えてしまう。

 

(この野郎、ナメやがって……!)

 

 場合によっちゃ本当に引き金を引く覚悟だって出来てるんだ。私をみくびるんじゃないぞ。そう心の中で言い返すのだけど、何故かこいつが「無理だ」と言ってくるだけで本当に無理そうな気がしてしまうから危険だ。

 

「さっさと立てよ……! こっちは本気なんだぞっ」

 

 ともあれ相手の言葉に耳を傾けまいと、私は銃で脅すようにして強い態度で命令してやる。だけども犯人はうすら笑いを浮かべたまま応じようとしない。

 念の為に拳銃の安全装置をちらりと確認してみたのだけど、それはきっちり解除されていたようだ。若気の至りでかつては銃器に興味があった私だったから、この拳銃がなんていう名前で、安全装置がどの部分にあるのかといったことが大体分かってしまうのだ。

 

「ほう、じゃあ撃ってみるか? 俺じゃなくて弟に当たっちまうかもしれないぜ?」

 

 挑発するようなことを言って私をじっと見据えてくる犯人。

 

「素人がしっかり狙って撃つなんて、そうそう出来るもんじゃないんだ。狙いが外れてうっかり味方を殺しちまったやつを俺は知っている。きっとおまえだってそうなるに違いない」

 

 この距離なら外す筈がない。頭ではそう考えるのだけど、犯人の言葉はいやに説得力があった。

 

「俺が殺すんじゃない。おまえがその手で自分の弟を殺すのさ」

「う、うるせー! テキトーこいてんじゃねぇ!」

 

 聞いちゃいけない、聞いちゃいけない。こいつのペースに乗せられちゃいけないんだ。分かっちゃいるのに、手元が勝手に震えてきてどうにも狙いが定まらなくなってしまう。こんな調子で引き金を引いたんじゃ本当に弟のことを撃ってしまいかねない。

 

「彼の首を絞めたりしたのは悪かった……ちょっと頭にきただけだよ。ほら、さっきから鼻血が止まらないんだ。こんなことされたら誰だって怒るだろう?」

 

 なにやら口調を柔らかくした犯人が、急にそんなことを言ってくる。それがどうにも気味悪くて、こちらが優位な筈なのにちっともそんな気がしてこない

 

「殺すつもりなんてない、本当だ。さっきみたいに抵抗されたら保証はしないが、出来れば誰も傷つけたくないんだ。頼むから大人しくしておいてくれよ。俺にこれ以上、皆を傷つけさせないでくれ」

 

 まるで私を説得でもするように、さもすまなそうな声と表情で語り出す犯人。

 

「ご主人の料理は美味しいし、奥さんも気が利いて優しい。可愛い猫だっている。いいペンションだよ……壊したくないんだ。馬鹿な相棒がここに泊まりたいって言った時に止めてりゃ良かった。ずっと後悔してるんだ」

 

 嘘だ! 嘘だ! こんなのハッタリに決まってる! 聞くんじゃないぞ、私。こいつの言葉に絡め取られてなるもんか。きっと弟だったら、犯人に何を言われたって全て突っぱねてみせる筈だ。

 ふと組み伏せられている弟に目を向けてみれば、苦しそうな様子で荒い呼吸を繰り返しながらも私のことをじっと見つめてきていた。「こいつの言うことなんか絶対に信じるな」と、弟の目はそう強く訴えてきているようだった。

 

「それに、君がこのまま俺を撃ったとしても間違いなく過剰防衛になる。日本の法律はややこしいからな……俺には皆をどうこうする気なんて本当に無いのに、それでも撃つってんなら君はきっと有罪になっちまうだろう。なんなら君のおじさんに聞いてみなよ。元弁護士なんだろう? その人」

 

 今度は法律のことまで持ち出してきて、私をどうにか懐柔しようとする犯人。こんなの脅しに決まってると思いつつも、不安になってしまった私は思わずおじさんのほうを見てしまう。

 

「どうなんだい? ご主人。無罪放免って訳にゃいかないよな?」

「……ああ、確かにそうかもしれん」

 

 おじさんは静かな口調でそう肯定してみせた。どうもマジみたいだ。こんなのってあるか! 悪いのは全部犯人なのに、私まで罪に問われてしまうだなんて。

 

「だから智子ちゃん、ちょっと下がってなさい」

 

 おじさんがそう言うやいなや、突然犯人に向かって駆け出した。それは一瞬の出来事だった。腕を縛られて俊夫さんと繋がれていた筈のおじさんが、両手を伸ばして犯人に勢いよく飛びかかっていったのだ。

 

「貴様っ!?」

 

 慌てて立ち上がろうとした犯人だったけど、そのままおじさんが犯人へと力任せに体当たりしたものだから二人してソファーのほうへと吹っ飛んでいった。そしたら今度は後を追うように俊夫さんが走り出し、床に落ちるモップを素早く拾い上げつつ犯人ともみ合うおじさんに加勢する。やっぱり俊夫さんも両腕がいつの間にか自由になっているようだった。見ればおじさん達がいた場所には切断されたロープの残骸が落ちていた。これはひょっとすると二人のうちどちらかが小さいナイフでも隠し持っていたのかもしれない。

 

「ねーちゃん! これほどいてくれ!」

 

 呆気に取られていた私だったけど、素早く自力で立ち上がった弟がこちらへ駆け寄り背を向けてくる。とにかくこの隙に弟の戒めだけでも解いてやらねばと、一旦銃をズボンのポケットに差し込む。

 

「だ、駄目! ほどけないよぉ!」

 

 だけども犯人のやつが念入りにきつく結び目を縛っていたからか、私の力ではびくともしないようだった。そのことを悟った弟が軽く舌打ちする。

 

「どっかに隠れてろ!」

 

 私のほうを一瞬振り返ってそう言い残した弟は、おじさん達に加勢すべく駆け出していく。下駄箱を派手に引っ倒してみせたりして狂ったように暴れまわる犯人に、おじさん達も手こずっているようだ。

 ぞっとしたのは、皆を相手に暴れながらも犯人が度々私のほうを凝視してきていることだった。どうにかして私から銃を奪い返したくて仕方がないのだろう。こうしてはいられないと、私は慌てて階段を駆け上がっていく。何がなんでもこの銃をあいつに奪われる訳にはいかない。このまま自分の部屋にでも籠城しておけば、きっとおじさん達があいつをやっつけてくれる筈だ。

 

「ヴォオオオオオオオオオオアアアアアアアアアア──ッ!!」

 

 まるでペンション全体が震えるような怒号が放たれたものだから、階段を上りきらないうちに私の体がびくんと硬直して足が止まってしまう。犯人が雄叫びを上げたのだ。だけどもそれはもう人間のものじゃなかった。けだものの咆哮と言ってよかった。

 馬鹿力で大きな下駄箱を抱え上げた犯人が、そのままおじさん達へと倒れ込むようにして前のめりで突進していく。木の爆ぜる音やら皆の叫び声やらがごちゃ混ぜになって、もう何がなんだか分からなくなる。

 

(逃げなきゃ……! 隠れなきゃ……!)

 

 死に物狂いで暴れる犯人のせいで、ロビー内はもう乱戦の場そのものだ。いつなんどき犯人がこちらへやってくるか分からないのだから、止まっている場合ではなかった。そうして前に向き直った私は足に力を込めて再び階段を駆け上がっていく。だけども今はその一段一段が、おかしいぐらいに長く感じられて仕方がない。意識ばかりが加速していくけれど、まるで鉛のように重く感じられる足の動きがそれに追いついてこない。早く、早くこれを上り終えなければ。廊下に出るまであと三段、あと二段、あともうちょい……。

 そうしてようやく上り終えたその時。誰かが猛烈な勢いで階段を駆け上がってくる音が聞こえた。それが誰なのかなんて振り返らなくても分かる。だけども私は振り返らずにはいられない。案の定、階下から迫ってくるのは犯人のヤローだった。顔は血まみれで、獰猛そうな歯がくいしばるようにむき出しになっている。ぎらついたその目は大きく見開かれ、目玉が今にも飛び出してきそうだ。そこにいたのは一匹の魔物だった。その魔物が今、私めがけて突進してきているのだ。

 今から部屋へと逃げ込む余裕はあるだろうか? その前にこの怪物が私に喰らいついてくるのではないだろうか? そうした思いがよぎった途端、私の手はひとりでにポケットの拳銃へと素早く伸びる。拳銃を抜き出し、両手で構えるまでの動作は自分でも驚く程にスムーズだった。もうやるしかないと、たった一つの思考だけが私を支配した。ここでヘマをすることが私のみならず他の皆にどういう結果をもたらすのか、考えるまでもなかったからだ。廊下の壁にそっと背を預け、まばたきもせず眼前の魔物に狙いをつける。

 ──ねーちゃん、と階下から弟の叫ぶ声が聞こえた気がした。

 

(待ってな、いま姉ちゃんがこいつをやっつけてやるから)

 

 私は迷うことなく引き金を引く。まさか撃たれるとは思っていなかったのか、驚きのあまり魔物はその直前に人間へと戻っていた。あっと口を開けた間抜けな顔で、後ろへのけぞりながら両手で待ったをするような仕草をしていた。

 耳をつんざく破裂音が二階の廊下中に響き、一気に銃口が跳ね上がった。のけぞる犯人がそのまま盛大に階段をずてんどてんと転げ落ちていく。おかしな姿勢で階段下に倒れ込んだ犯人は、目を閉じてぴくりとも動かなくなったようだ。それを見届けた私はやがて力なく銃を下ろし、そのまま廊下にへたり込んでしまった。

 

 ◆

 

 階段下の犯人はやがて誰かによって引きずられていったようだ。ロビーのほうから皆の話し声が聞こえてくるが今はその音がとても遠く感じられる。吹き抜けから下を覗き込んでみれば皆の様子が見えるのだろうけど、立ち上がる気力もなかったから私はずっとぼんやりしたままだ。おじさん達はどうなったのだろう。弟のやつは無事なのだろうか。

 

(さむ……)

 

 冷たい床に座り込むうち、体が随分冷えてきた。ヤクザの部屋から漏れ出る冷気のせいもあるのだろう。

 

(ああ……あいつ、死んだのかな)

 

 疲れた頭でそんなことを考える。さっき私は犯人のやつを撃ってやったのだ。あいつはあの後ぴくりとも動かなくなってしまったから、きっと本当に死んでしまったのかもしれない。

 

(殺しちゃった……)

 

 仕方がない。ああするしかなかった。指が硬直しているせいなのか、いまだ手にしたままの拳銃は呪いがかかったように私の手から離れてくれない。こんなものでもあれば、私のように非力な人間でも簡単に人が殺せてしまうのだ。

 

(私、人殺しになっちゃった……)

 

 だけども、いい。それでもいいんだ。みんなの命が助かったのだから、私のやったことは間違っちゃいない。逆上して弟のことを手にかけようとした犯人、あんなやつは死んで当然の人間だった。そう言い聞かせ続けないと自分の心が何かに押しつぶされてしまいそうな気がした。

 と、誰かがゆっくりと階段を上がってくる音が聞こえてくる。顔を上げてみれば、ロープをほどいてもらったらしい弟のやつがこちらへやってくるのが見えた。

 

「ねーちゃん……大丈夫か?」

 

 私の前までやってきた弟は、膝をついて私と目線を合わせてくる。犯人との戦いの激しさを物語るように、顔のあちこちにすりきずや打撲のあとが残っていた。

 

「あ、うん……大丈夫」

 

 私は気の抜けたような声でひとまず応えてみせる。言いたいことが色々あったように思うけれど、全部忘れてしまった。

 

「ともき……」

「どうした?」

 

 意識せずして弟の名を口にしてしまう私。そうしたら、弟は次に私が何を言い出すのだろうかと神妙な面持ちで耳を傾けてくる。こっちの話をしょっちゅう無視してきやがる弟も、今度ばかりは姉の言うことが気になって仕方ないようだ。

 

「私がムショに行っても、ちゃんと元気でやるんだぞ」

「……なんだって?」

 

 さっきまで言いたかったことを忘れた代わりに、新たに言ってやりたいことが湧き上がってきたものだから、私はそれを口に出す。だけども私の言葉がイマイチ理解出来ないのか、弟が聞き返してきた。

 

「姉ちゃんがいなくても落ち込むんじゃないぞ。たまにゃ手紙とかも書いてやっからさ」

「おい、ちょっと待て」

 

 時間があれば面会にだって来ればいい。別に毎日来てくれたって構わないけど、こいつにも部活やら勉強やら色々やらんといけないことがあるだろうから仕方がない。

 

「そうだ……私の部屋のぬいぐるみ、あれおまえにやるよ。姉ちゃんの匂いがするから寂しくないだろ?」

「待てって。落ち着け。何言ってんだ?」

 

 益々訳が分からないといった顔をする弟だったけど、私も自分が何を言ってるのかよく分からなくなってきた。

 

「だって私、人殺しだし。警察に捕まるし」

「……」

 

 私は今まで自分の人生が面白みに欠けたつまらんものだと思っていた。平凡でありきたりどころか人よりも少々潤いや彩りが不足気味の不公平な人生だと思っていた。だけども、そうした生活も今となっては高嶺の花だ。例え相手が凶悪犯罪者だったといえど、殺人の罪を犯してしまった私があの日常に帰ることはもう出来ないのだ。

 

「ごめんな。ずっと一緒にいてやりたかったけど、もう無理みたい」

 

 これからの弟のことが心配でならない。お姉ちゃん子なこいつのことだから、きっと目に見えて憔悴してしまうんじゃないだろうか。私が弟についててやらないと駄目なのに。ずっとずっと傍にいてあげないと駄目なのに。姉としての責務をまっとう出来ないまま弟と離れ離れになってしまうことが無念でならない。

 

「ねーちゃん、なに勘違いしてんだ?」

「……へ?」

 

 だけども弟は、訝しげな様子でそんなことを言ってくる。勘違いって、なにが勘違いなの?

 

「あいつ、別に死んじゃいねーぞ」

「お?」

 

 どうも弟のやつは、犯人が死んだ訳ではないと言っているようだ。そんなまさか。姉ちゃんを安心させようとして嘘を言っているんだろう。

 

「でっ、でもっ! わ、私、う、撃っちゃったし!」

「いや、当たんなかったんだろ? ほら、あそこ……」

 

 弟がそう言って吹き抜けの天井を指さす。そちらに目を向けてみれば穴のようなものが空いているのがハッキリと見えた。もしかすると私の撃った銃弾はあんな見当違いの場所に飛んでったというのだろうか。

 

「え……? え……? で、でもあいつ、なんか死んでたっぽかったけど……」

「頭打って気絶してただけだよ。ふつーに息もしてた。どこも撃たれてなんかいなかったぞ」

 

 素人が狙って撃つなんてそうそう出来るものじゃない。まったくもって犯人の言う通りだった。てっきり私が射殺してしまったものとばかり思い込んでいたが、どうもマヌケなあいつが自爆しただけということらしい。

 ああ、ひどい冗談だ。なんて馬鹿な話なんだろう。こっちはもう人生終わりだと思って絶望してたってのに、全部私の勘違いだったなんて! 疲労感が全身にどっと押し寄せてくる。

 

「あ、これ……手から取れなくなっちゃって……」

 

 気が抜けたせいか片方の手は拳銃から剥がれたのだけど、もう一方の手はグリップを握りしめたままひどく硬直していたから自力ではどうにもならなかった。だから私はひとまずセーフティレバーを下げておいてから、弟に銃を握ったままの手を差し出した。ひっぺがすのを手伝ってほしいのだ。

 こちらの言いたいことを察した弟が、早速私の手を取ってその指を一本ずつゆっくりと開かせていく。やがてすっかり指が離れたところで、弟はそっと拳銃を取り上げて床に置いた。

 

「は────……」

 

 そのことが切っ掛けになったのか、ここで私はやっと安堵のため息をつくことが出来た。今ようやく心の底からほっとしたのだ。そうしたら、なんだかもう体に力が入らなくなって弟にしなだれかかってしまう。すかさず弟が抱きとめてくれたような気がしたけど、私はそのまま眠り込むように意識を失ってしまった。

 

 ウーウーと外から聞こえるけたたましいサイレンの音で私は目が覚める。どうもふかふかのベッドの上で寝かされていたらしい。窓のほうに目を向ければ、外はすっかり明るくなっていた。

 

(吹雪、やんだのかな……?)

 

 予報が外れたらしくいまや嵐は過ぎ去ってしまったようで、あれだけペンションを包み込んでいた風切り音はもう全く聞こえなくなっていた。どこからかドサドサっと雪の落ちる音が聞こえてくる。

 

(おっ……)

 

 ふと隣側のベッドに目を向けてみれば、そこには弟がいた。布団も被らずベッドの上で身を起こしたまま、弟が腕組みしながら静かに寝息を立てていた。

 

(ずっと見張っててくれたのかな?)

 

 なんとなく私はそう思ってしまった。ひょっとしたら弟はこうして寝ずの番をしていたのかもしれない。あれから結局どうなったのか私には分からないのだけど、ひとまずこの分だと大丈夫そうだ。

 やがてサイレンの音が鳴り止んで、バタリ、バタリと何台かの車のドアを閉める音が聞こえてきた。警察がやって来たのだ。早速何人もの人達の雪を踏みしめる足音がし始める。

 

(あ、起きた)

 

 外の騒ぎに気付いたのか、弟が目を覚ましてしまったようだ。やがて私のほうを振り向いたのだけど、こちらを見つめたまま寝ぼけまなこでぼうっとしている。

 弟が目を覚ましたら、言ってあげたいことがあった。ごくごく平凡な、いつもの私達らしい言葉を。大切な大切な、二人のいつもの日々にかかせない挨拶を。

 

「おはよう、智貴」

 

 それは、私達をあの愛すべき日常へと連れ戻してくれるおまじないの言葉なのだった。

 

 

黒木姉弟シュプールへ行く 完

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