このたびは『原幕小の七不思議』をお読みくださりありがとうございました。敬愛する
当作品の執筆にあたっては古きよきファミリー向けホラー映画っぽさを目指していたのですが、とりわけ邦画『学校の怪談』シリーズの第一作目(一九九五年夏公開)に強く影響されています。作者がこの映画のことを知ったのは公開当時に流れていたテレビコマーシャルからで、そのキャッチーな音楽と主演の野村宏伸氏の絶叫顔が印象的でした。実際に鑑賞したのはその翌年のことで、夏休みに地元の公共施設にてくだんの映画が子供を対象に無料上映されることを知って興味がわいた作者は試しに観てみようと思い立って上映日に足を運びました。セミもギャン鳴き、日差しがギラつく真夏のことでした。そこで目の当たりにしたこの映画のおもしろさにいたく感動し、上映が終わったあともしばらく座席でぼんやりしていたのを覚えています。映画の終盤ではちょっと泣いていました。このときに映画から与えてもらった思い出が当作品を書く上での大きな原動力になったことはまちがいありません。
『学校の怪談』シリーズは二作目・三作目・四作目と続いていくことになりますが、個人的には一作目がもっともお気に入りです。劇伴が素晴らしい作品でもあるのですが特にエンドロールで流れる曲は最高の一言に尽きます。本当に素晴らしい映画なので興味を持たれたかたはぜひご覧ください。
蛇足ではありますが当作品のあれこれについて以下に解説させて頂きます。とはいえこれはあくまで作者の個人的な見解に過ぎませんので、物語を受け取ってくださった読者の皆様それぞれの見解とはまた別にある解釈のひとつに過ぎないと思って頂ければ幸いです。
■登場人物について
*黒木智子
原作主人公としての智子はピュアな面を持ちつつもかなり擦れたところのある陰気でイカれた高校生なんですが、当作品では中学時代のひねくれ期がやってくる前のリトルな年頃であるという点を踏まえ、ネットのアングラ文化に傾倒しつつもまだまだ素直さがあって弟への接し方もうんと柔らかい感じにさせて頂きました。しかし原作において「小四のころまでは普通に人と話せていた」と自身を振り返ってもいた智子でしたので、では五年生からはどのような心境の変化があったのか……というところから人物像を考えた結果、孤独と挫折に苛まれつつも活路を求めてあがくことをやめなかった原作初期の智子を彷彿とさせる要素を加えさせて頂きました。
智子が今江先生から改めてオカ研立ち上げを促された際に歯切れの悪い返事をしていたのは、大人と子供のあいだに存在するどうしようもない壁を表現できたらという意図がありました。先生は児童に深く寄り添うことのできる素敵な御仁ではありますが、やはり子供には子供だけの世界というものがあり、そのなかでともにあってくれる人として期待していた相手が実は大人だったというのは智子としても一抹の寂しさを覚えずにはいられなかったようです。先生のことはもちろん大好きな智子ですが、それでも同年代の友達として花子先輩に抱いたときめきは替えの利かないもの。時代を超えたひとときの友情は智子のふしぎな思い出として胸のなかにそっとしまい込まれるのでした。しかし新たなオカ研がこれから活動していくなかで先生はきっと今後もみんなにとって心強い存在となってくれることでしょう。
*黒木
わたモテという作品はなんといっても智子と智貴、このふたりから全てがはじまったとも言えます。ヘンテコな姉に振り回されて気苦労の絶えない寡黙な弟と、そんな弟にべったり依存するおしゃべりな姉。よくケンカするふたりだけれども根底には互いへの深い愛情(あるいは執着)が垣間見える。初期のわたモテにはそんな黒木姉弟のエピソードがたくさんあり、わたしがいち読者として強く惹きつけられたのもこの点でした。両者とも幼い頃はまだ性格がうんと丸くて姉弟仲もすこぶるよかったらしいので、当作品を書かせていただくにあたってはぜひその辺りを掘り下げていきたいと考えていました。
第一章の開始時点で既に色々あってお姉さんと距離ができてしまっている当作品の智貴ですが、三年生のころまでは周囲へ折あるごとにお姉ちゃん自慢をしていてそのシスコンぶりはみんなの知るところだったので、智貴の友達(
第八章の智貴が姉の語る幽霊電話の話を素直に信じるところは、彼が第一章にてあかずの小屋の怪談を疑ってかかる場面との対比でもあるのですが、実際は四年生になってからもお姉ちゃんの話を真に受けやすいところを引き継いでいるのではないかと思います。もこっちにおどろかされた際に「びくっとなった」のも、そして儀式に挑む姉を心配して様子を見にいったのも、なんだかんだ今でもお姉ちゃんの言葉を無視できない性分の表れという感じですね。
*
原作における登場は二年生編中盤の修学旅行エピソードからと、まあまあ後発組であるこちらの仲よしコンビ。当作品では冒頭から登場して早々に智子と関わってもらうことになりました。
途中から一時的に智子と離ればなれになっていたゆりまこ組ですが、舞台裏ではピンチを乗り越えるため彼女らなりに奮闘しており、特に田村さんは消火器の噴射でバケネコたちをけん制したり、真子に噛みつかんとしていた紫キババアのクリーチャーじみた大口(口腔内に無数のキバがハリネズミのようにびっしり生えている)にボンベをぶちこんだりと勇敢に戦っていました。死鬼との卓球勝負の際に持ち前の怪力で窓を叩き割ろうとしていたのも実は彼女。
音楽室でのゆりまこの合唱シーンはそうしたふたりだけの冒険を締めくくるような感じにしてみました。当作品の真子はクリスチャンという裏設定があるのですが、教会にかよう彼女は小さいころから〈きよしこの夜〉を歌い慣れていて、それを度々聴く機会のあった幼馴染の田村さんも自然と歌い方を覚えていたということにしています。
真子には度々おばけを怖がる役割を担って頂いたのですが、ただ怖がるのではなく、怪しいバイクに対して「助けが来たのでは」と希望的観測にすがろうとしてみたり、バケネコに慈悲を求めたり、例のあの人におべっかを使ったり、神さまへ救いを求めたり、限界が来て暗闇のなか恐慌状態に陥ったりと、なるべく一本調子にならないよう工夫してみました。
その対比として、田村さんは決して悲鳴をあげず、あまり動じない人としてえがくように意識していました。日常においては朴念仁的な形で表面化している彼女のパーソナリティが、非日常である裏幕のなかではおばけたちに負けない強さとして機能しているというふうに書かせて頂いた次第です。
第八章における真子のあの唐突な友達宣言ですが、これは智子がマキ戻しの世界に取り込まれてしまった折、ちょうど原作における修学旅行編の荻野先生のおせっかいのように花子先輩がみんなに智子の交友関係のことでサポートをお願いした結果という感じだったりします。
真子がポーチに入れてあった鍵束は裏幕脱出時に消えてしまったのですが、ひとりぼっちの先輩を撮影したときの写真データはバッチリ残っていたので、のちに智子はこれをプリントアウトし、「マジモンの心霊写真」としてクラスメイトに見せびらかしたりします。
*ヤンキー娘/
ゆりまこと同じく原作での登場は二年生編の中盤からとなる吉田さん。当初は智子のおかしな行動や物言いに憤慨して度々暴力を振るっていましたが、いつしかすっかり仲よくなっていまや智子の交友関係を語る上で欠かせない存在にまでなったのは初期から追ってきたいち原作ファンとして感慨深いものがありますね。
原作の謹慎エピソードで彼女自身が言ったところによれば「小さいころは怖い話が苦手だった」とのことなので、当作品ではそれを取り入れた人物像にさせて頂きました。オカ研への誘いを断固拒否した彼女ですが、非会員ながら今後も智子たち新生オカ研の怪奇調査になんだかんだで巻き込まれていくポジションになりそうです。
吉田さんは仲間たちのなかでもとりわけ裏幕脱出に気合を入れていましたが、彼女は秋に控えている遠足をものすごく楽しみにしていたので、第三章ラストのあとに智子から「脱出方法はない」と聞かされた際は東京ネズミーランド行きがブチ壊しにされたと感じてかなりおいかりだったと思われます。第四章冒頭の智子がややおどおどしていたのはそれもあってのことでした。
ちなみに第二章にて言及されていたウサギの「とんすけ」という名前ですがこれは吉田さん命名によるもので、ディズニーアニメの『バンビ』に出てくるウサギのキャラクターにちなんでいます。吉田さんはこんなふうに飼育小屋の動物たち全員をそれぞれ愛称で呼んでいる模様。裏幕脱出後、吉田さんは脱走中であったとんすけのことを思い出して慌てますが、今江先生がちゃんと保護して飼育小屋に戻してあげていたことを知ってほっとするのでした。
*今江
原作では一年生編の文化祭エピソードに登場して以降、心優しい頼れる生徒会長として智子を何かと気にかけてくれていた今江先輩。当作品においても当初は原幕小の児童会長として身元を偽ることなく本名のままで裏幕探検に参加させる予定だったのですが、構想を練るうちこの物語には子供たちを守り導く保護者的存在が必要だという考えに至り、先生として原幕小へ赴任して頂く事になりました。
先生のオカルト好きは小学校を卒業したあとも留まるところを知らず、中学においてはオカ研を正式な部として立ち上げ、続く高校・大学でもグループの中心となってその手の活動に励んでいたようです。こうした過程で先生は幽体離脱法や数々のまじないを会得していったのですが、怖い話に関する知識や実体験も豊富ですので、林間学校の折、先生が児童たちに話してあげたとびきりの怪談は智子やゆうちゃんを震えあがらせたにちがいありません。
今江先生が化けていた花子先輩ですが、これは映画『学校の怪談』の一作目に登場するある人物がモチーフになっています。映画のネタバレになるので詳細は伏せますが、もしご覧になる機会がありましたらなるほどと思って頂けるかもしれません。最後に智子が花子先輩(の正体)と再会できる展開にしたり、だけども若干の喪失感を覚えずにはいられないのも、くだんの登場人物に対してわたしが感じた色々の反映です。
今江先生の描写は本作のなかでもとりわけ苦労した部分でして、作者の人間性に重なる部分、心理的なとっかかりとなる部分がほとんど見当たらない御仁ですので、人徳あふれる彼女の言動や生き方の根源がなんであるのか、といった部分が中々つかめず悩みました。そうした部分をうやむやにしたまま作者都合で動かしていくだけのうすっぺらい存在になってしまえば、それこそ原作の今江さんという素晴らしいキャラクターに申し訳ないと思っていただけに、筆を進めていくうち彼女が段々と自然な感じで動き出してくれてほっとさせられました。
ちなみに初期案のほうでは十数年前の過去から裏幕へと迷い込んだ六年生となっていて、時間の流れが歪んでいる裏幕のなかで智子と本来あり得ないはずの出会いを果たすという展開に。そのため裏幕を脱出する際に今江さんだけがもといた時代に帰っていってしまうというお別れが待っています。事件のあとで智子が昔の卒業アルバムを片っ端から調べてみると、ある年度の卒業生のなかに今江さんの姿が。その優しげな笑顔を見ているうちもう一度会いたくてたまらなくなった智子はひとり涙するのですが、のちにある女性が学校を訪ねてきます。そうして担任から呼び出しを受けた智子が職員室へ行ってみると……。
*耳たれ犬
原作ではキモイーヌ、クンニーヌ、そしてマロといくつもの名を与えられている彼ですが、当作品では原幕小の子供たちに愛される存在として登場してもらいました。
誰も名前を知らないけれど、学校近くの家の前におとなしく人懐っこい耳たれの犬が繋がれていてみんなにかわいがられている。これは作者自身の子供時代の体験にもとづくものでして、通学路の途中にある古民家にて本当にこんな犬が飼われていたのです。普段は裏庭にいる彼が時々軒先に繋がれていることがあり、そんなときはわたしも含めた子供たちが彼としばらくじゃれあったりしていたのを覚えています。ただ、彼に意地悪をする子がいたらしく、そのせいであるときからすっかり表に出てこなくなりました。それでも一部の子供は裏庭に忍び込んで彼をなでに行っていたようですが……。
*警備員さんたち
智子と仲よしだった前任のお兄さんには原作・喪44に登場のサボリーマン氏を、智子が苦手としている後任のおじさんには喪23に登場した見回りおじさんをそれぞれ割り当てています。
*よっちゃん
原作初期から登場し、智子の高校生活三年間を通してクラスメイトであり続けた
実はリトル智子のご近所さんで、
■作品テーマ
当作品にはふたつの核となる要素を持たせてあります。ひとつは作中に登場した多数の怪異たちで、これは「わたモテの原作要素を様々な形で怪談化する」というテーマに沿ったものです。そしてもうひとつは、挫折していた智子がもう一度立ち上がれるようになるまでをえがくというもの。
原作初期の一年生編における智子の孤独や日々の生きざま・考え方というのは大変に興味深く、それゆえ作者の過去作でも何度か題材にさせて頂いたのですが、今回はそうした初期智子が本来ずっとあとの出来事であるはずの二年生編修学旅行エピソードの世界と、時系列を超えて交わっていくというコンセプトのもとにやらせて頂いた次第です。挽回を狙いながらも残りの小学校生活を諦めつつあった智子が、期せずしてつどった仲間たちとの冒険を通し等身大の自分のままで生きていく道を見出せるようになるという、そうした物語をジュブナイル小説的な趣に乗せて書いていきたかったのです。
また、『学校の怪談』シリーズは過去と現代との重なりあいという要素を持った作品でもありますので、当作品にもそうした要素を持たせたいと思っていました。成瀬家のひいおばあちゃんが大昔の思い出を智子に語って聞かせたり、子供時代の姿へと戻った今江先生が智子たちと行動をともにしたり、オカ研が残したノートに智子が様々な局面で導かれていったり、かつて原幕小にかよっていた子供たちの置き土産とも言える各世代の七不思議に智子らが出くわしたりするのも、時代を超えてそれらが交錯する感じを意識してのことです。
ちなみに当作品では原作の智子をふたりのキャラクターとして分解しており、初期智子ならではの度を越した奇行ぶりやアクの強さは例のあの人が担い、思慮深く繊細でありながらも鬱屈した内面や人に嫌われがちな素行面をリトル智子が担う形となっています。本来はこの二者のパーソナリティがひとつのキャラクターのなかに詰め込まれている訳なので、原作の智子というのはつくづくユニークな存在だと思わされます。
■文体について
智子たちの年代に合わせて児童書的な雰囲気を出してみたいという思いがあったので、なるべくひらがなを多くして堅苦しい言い回しや語句の使用を避けるよう意識していました。ただ、そうなると作者のボキャブラリーの乏しさから表現の手札が減って文章が単調になりがちでして、そこをどうクリアしていくかという点にだいぶ頭を悩まされもしました。そうしたこともあり力不足から文体の徹底ができず中盤以降は普段の書き慣れたスタイルに戻っているところが多々出てきてしまっています。
文体ひとつとっても(そしてそれ以外のあらゆる全ての部分も含め)本職の児童文学作家の先生方は偉大であると、今回のチャレンジを通し改めてそのように思わされた次第です。
■作中の時期について
原作では連載開始時期に沿った二〇一一年以降の世界が舞台となっていますが、当作品はそれよりもずっと過去の二〇〇六年、原作・喪102にて回想のなかの幼い黒木姉弟が仲よく人気テレビアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』を観ていたあの小学校時代の夏を舞台としています。
原作では日がな自宅のパソコンや手持ちのスマホにかじりついている智子ですが、当作品ではそのどちらもまだ買い与えられていないという設定でして、学校のパソコン室が使えないときはもっぱら携帯電話(ガラケー)でネットサーフィンに没頭している模様。
当時の子供たちへの携帯電話普及率については調べてみても実際のところどの程度だったのかはっきりしなかったのですが、当作品の智子の場合は四年生になって塾通いをはじめた事がきっかけで親から持たされたとしています。喪119にてえがかれた、お母さんと幼い智子とのツーショット写真はあの解像度の低さを見るにガラケーのカメラで撮影したのちにスマホへと引き継がせたデータだったのかもしれません。ガラケーを購入したその日にお母さんと一緒に自撮りしたって感じしませんか。
■原幕小学校について
当作品では「原幕小」という、原作には存在しない架空の学校を用意し、そこに数々のわたモテ要素を盛り込ませて頂きました。学校の造りについては読者のみなさまの思い出のなかにある小学校と重ねて頂くのが一番という思いではあるのですが、一応ながら配置図(下記参照)を作ったりもしていました。わたしのかよっていた小学校を一部参考にしつつも架空の施設としてレイアウトされたものとなっています。※この配置図はフィクションであり、実在の人物・団体・場所とは一切関係ありません。
校内に祠が隠されていたという設定の原幕小ですが、これもわたしの母校がもともと神社のあった敷地の上に建てられていたという話を参考にしています。在学中はこのことを全く耳にした事がなかったのですが、大人になって母校の歴史を調べてみた際にそうした成り立ちがある事を知り、不思議な気持ちになったものです。ちなみにこの神社、具体的にどのようなものであったのかといった具体的なことはわからずじまいでした。謎の神社……。
配置図上には存在するものの作中には登場しなかった学童保育施設ですが、これは本来講堂として建設されたものであり、作中では光姫人形の目撃場所のひとつとしても噂されていたのですが、智子たちの時代ではもう講堂としては使われておらず放課後に鍵っ子の児童たちの一部が時間を過ごすための場所となっています。智子が名前を忘れてしまった図書委員の子──
「
里崎家の人々は茂子原の地に古くから根をおろす忌孤神信仰に傾倒していて、原幕小の中庭に生えているあの大きな古木もそのころにご神体として祀られていたものだったりします。かつて里崎屋敷の敷地内には邸内社(その家の人だけが参拝するためのプライベートな神社)が存在していたのですが、幕末の混乱期に屋敷ごと打ち壊され、ご神木だけが残ったようです。
■地理について
学校同様、智子たちの住む茂子原市も作者の故郷の町を幾分か参考にしています。希心ノ森のモデルとなった場所も実在しており、作中同様に古い歴史を持つ場所として知られています。また、市の名称や立地・沿岸部の工業地帯については前述した千葉県某所がモデルでして、「姉弟崎」という名称もこの辺りに存在する地名をもじったものです。
資料として智子たちの住む町の地図の詳細版も以下のように作ってみました。実在の町を一部分でも参考とする以上は配慮が必須であると考え、架空の土地として再構成すべく随所に意図的な改変やデフォルメを加えてあります。第四章と第六章の前書きに掲載した簡易版と違って本編には登場しなかった児童たちの家や続編案の諸々のアイディアなども反映してあります。※この地図はフィクションであり、実在の人物・団体・場所とは一切関係ありません。
■エピローグ
全九章となっている当作品ですが、もともとの予定だとそれに加えて後日談を書くつもりでした。第九章ラストのホラーっぽいオチの余韻を大事にしたくて結局お蔵入りにした次第なのですが、この没エピローグでは一気に時間が跳んで秋になりまして、智子が隣の席の
本来はこのエピローグにて、オカ研ノートに書かれていた「例のあの人は実在する」という記述に関する裏事情も具体的にえがく予定でした。先生がかよっていた当時の原幕小では例のあの人がブームになっていたというのは作中でも言及していたことですが、更に時が進んで夏休みも近くなったころ、「例のあの人を見た」と真剣にうったえる子供たちが続出するようになっていきます。それまでの面白半分のでまかせな目撃証言とは一線を画するもので、校内の各所で例のあの人が本当に目撃されるようになり、子供たちを心底恐怖たらしめるようになった結果、不登校になる子が出たり、集団下校騒ぎになったりと、段々と集団ヒステリーの様相を呈していきます。それを受けてオカ研のほうでも真相を確かめようと調査に乗り出したところ、例のあの人の姿を実際に目の当たりにしたのでおおいにおどろかされたというのがノートに残されていたくだんの記述の真相でした。
ともあれ事態を重く見た先生たちが例のあの人の噂をやめるようにと子供たちへお達しを出すようになったのですが、あるとき全校集会で校長が改めて子供たちに「例のあの人なんていません」と説いていたところ、C棟の屋上に例のあの人が突如姿をあらわしてパフォーマンスをはじめたものだから、それを目撃した先生たちも大慌て。学校中が大騒ぎになりパトカーまで出動する事件へと発展していきました。この辺りは例のあの人の元ネタでもある「口裂け女」の噂が実際に引き起こした社会現象と重ねています。
こうしたことは当時の子供たちが例のあの人に過剰なまでの関心を寄せて大量のエネルギーを集中させたためで、このエネルギーを使って例のあの人は自身の姿をみんなの前に映し出せるようになったのです。といっても彼女自身が表の世界に直接やってきている訳ではないので、触れたりすることはできず幽霊のような状態でした。
ともあれ大騒動になった結果、先生たちは例のあの人パニックの鎮静化に苦労させられるのですが、噂の拡大を手伝っていたオカ研が先生や保護者会の人たちから槍玉にあげられることに。一時は会の存続すらも危ぶまれたのですが、ひとまず例のあの人のことは金輪際取りあげないことを約束させられた当時の今江先生たちなのでした。先生が妙にオカ研と自分のつながりを秘密にしたがるのもこの辺りに理由があったというふうに考えていました。
こうして思わぬ形で冷や水を浴びせられたオカ研メンバーはつまらない気持ちを引きずったまま夏休みを迎えますが、しかしこのころ今江先生は新たな興味深い情報をつかんでいました。それは長らく調査に進展のなかった「裏幕」の謎を解くカギ──「きこさん」というおばけに関する古い噂でした。夏休み中の研究テーマはこれで決まりと、早速調査に乗り出すオカ研でしたが、このなかで先生は「かつてきこさん祭りをおこなった子供たちは何故失踪してしまったのか」という部分も解明しようとします。そうして調査を進めていくうち、希心神社の神主だった人──集団失踪事件以降は毎年お盆の時期になると学校を見張っていた──の子孫を探し出し、当時の神主さんが持っていた色んな資料を見せてもらったりしていました。そこできこさん祭りの正しいやり方や、儀式をおこなう上での諸々の注意点を知ることになるのですが、かつて昭和初期に儀式をおこなった子たちは中途半端な知識しかなかったために表の世界へ戻ってこれなかったのではないかと今江先生は考えます。裏幕におばけ軍団が待ち構えているなどとまだこの時点では知らない先生だったので、ゆうちゃんのひいおばあちゃんに止められていたにもかかわらず抑えきれない好奇心からとうとう仲間たちとともに儀式を決行してしまい、そこで散々な目にあったという訳です。このときの先生はマリアさまやキツネヘビなどには遭遇しなかったものの、代わりにメシマズ魔女やブチキレ校長には殺意全開で追いかけられた模様。
多くの子供たちにトラウマを刻んだ例のあの人ですが、この年の夏休みが明けるころになると彼女が蓄えていたエネルギーはすっかり散ってしまい、加えて子供たちからも「名前を呼んではいけない例のあの人」として腫れもの扱いされるようになってしまったため、人前に姿をあらわすこともなくなったという感じです。
なお今江先生がこんなにもオカルト好きになったのは、小学校低学年の頃に高学年の先輩たちから七不思議について教えてもらったのがきっかけ。この七不思議というのは当時まだその内容を覚えている児童がギリギリ残っていた八〇年代仕様のものだったのですが、先生が高学年になる頃にはすっかり忘れ去られていました。それが寂しい先生は「わたしたち自身で新しい七不思議を見つけよう」と思い立ち、当時参加していた児童会の一部メンバーを巻き込む形でオカ研を発足させるに至ったのですが、これがちょうど九〇年代前半の全国的な怪談ブーム到来と重なったこともあり彼女らの活動はおおいに充実したものとなります。しかしそんな今江少女も成人して教職に就いたのちはオカルト絡みの活動をすっかり卒業し、教師として子供たちとどう向き合っていくかということにひたすら心を砕くようになったので、かつて熱心に調査していた七不思議に関する記憶が今となってはややおぼろげなのも無理ならぬことでした。
■新聞マンガについて
智子が愛読している新聞マンガですが、これは山本ルンルン先生の『宇宙の
■七不思議について
作中に登場した歴代の七不思議たちですが、防空壕・旧校舎・あかずの小屋・隠し穴のよっつだけは別として、それ以外はいずれも原作から大なり小なりネタをひっぱってきたものとなっています。また、私見ではありますが中学高校において流行る怪談というのはグロさ・陰鬱さ・リアルさといった要素を帯びる傾向があり、逆に小学校では(怖い内容のものであっても)どこかしら幻想的な要素を帯びた怪談のほうが受け入れられやすいのではないかと考えていまして、そうした点を意識しつつ歴代の七不思議を考えていった次第です。
各世代の七不思議の流行時期は基本的に地続きではなく、怪談の類が一時的に廃れる空白期間を挟んだあとに次世代の噂が育っていくというサイクルを繰り返す傾向にあります(ただし九〇年代七不思議については初代オカ研の登場によって成立が促進された結果、あまり空白期間を経ずに誕生しています)。また、戦時中は怪談を楽しむどころではないという時勢であったため、噂の流行っていた年数自体が短く、次の世代の七不思議が生まれるまでの空白期間も長かったとしています。今江先生世代の七不思議は二〇〇〇年代初頭まではまだ少しだけ語り継がれていたのですが、智子が原幕小へ入学するころにはすっかり忘れ去られていたようです。
それではいくつかの七不思議につきまして、元ネタなどに関する解説を以下に書かせていただきます。ここで触れられていない七不思議についても大半は何かしら原作要素にちなんで考案したものなので、気になったかたはぜひ原作マンガをチェックしてみてください。
*隠し穴
これは『学校の怪談』第一作目の映画版やそのノベライズ作品(集英社文庫版のほう)に登場する謎のワープホールに設定を盛って膨らませたものとなっています。ちゃんと表の世界へと戻るための脱出路としても機能するのですが、魑魅魍魎うごめく裏幕のなかで無事に探し当てるのは至難の業。
今江先生はこれを通って裏幕へとやってきたのですが、このときは誘い込み役のタカ(正体は祭壇に供えられたあの折り紙で、ターゲットが関心を抱きそうな存在に化ける)に誘導されるまま三年三組の教卓の前までやってきたということになっています。
*運動会の歌
この古い歌の作者は不明らしく、地域によって歌詞も微妙に異なっているのだとか。おもに戦後世代のかたがよく耳にしたそうなのですがひょっとしたら戦時中から既に存在していたのでは……などと考えてもいます。
歌のあとに聞こえてきたのは「
*死鬼
原作三年生編の智子のクラスメイト・
死鬼との卓球勝負ではもはや正攻法での勝ち目なしというところから、智子ならではの屁理屈を駆使した立ち回りをえがいてみた次第なのですがお楽しみ頂けましたでしょうか。実は智子たちが卓球室を出ていく際の死鬼とのやりとりには本来もう少し続きがありました。死鬼が休憩時間に制限を設けてきたり、「戻ってこなかったら迎えにいく、必ず」と釘を刺してくるといったものです。ですがこれは後味が悪く爽快感を減じてしまうのでイカンということでその辺りは思いきって削らせて頂いた次第です。
*蠱毒の壺、黒い短冊、安藤くん
結局作中ではどのような災厄を引き起こすのか曖昧なままに終わったこれら呪い系の怪談たちですが、呪いの影響はそれぞれこのようになっています。安藤くん(智子から安藤呼ばわりされてる絵描きのクラスメイト・
*家庭科室の魔女
原作にてその殺人的にマズい手料理で智子をはじめ数々のキャラを苦しめてきた料理好きの
魔女は食事中にたびたび味の感想を求めてきますが、彼女は自分の料理が相手に喜んでもらえるぐらいおいしいと思いこんでいるため、その認識を改めさせるためにはっきり「マズい」と伝えてやらないといけません。しかしいけにえは体の自由を奪われているためしゃべることができず、代わりにかっくん人形が「ウン、ウマイ」と勝手に答えてしまうため、気をよくした魔女から「たくさん食べてね」と際限なくおかわりさせられるという悪循環。
しかしこのかっくん人形というのはいけにえと体の感覚を共有しており、それは「食」の感覚についても同じこと。彼自身も本当は魔女のお弁当が極めてマズいと感じているため、いけにえが悶絶死せずにがんばっておかわりを続けていけば、やがて限界を迎えたかっくん人形が激しくえずきはじめ、それにともない魔術も解けてしまいます。体の自由が戻ったいけにえのほうもたちまち今まで食べさせられたものを吐き戻すことになるのですが、魔女はこの光景にショックを受けて泣き崩れてしまうのでその隙に逃げてしまえばいい……というのがこのおばけに関する一応の対処法。鉄の胃袋を持つ
*紫キババア
元ネタは原作二年生編中盤から登場のぽっちゃり系イジワル美少女・
そのチャーミングな八重歯が特徴的な南さんは食べることが大好きな食いしん坊キャラでもありますので、人の生き血をすすって腹を満たそうとする吸血おばけとして登場してもらいました。リトル智子による悪口同然な八重歯いじりによって無事呪いから解放された田村さんですが、南さんに対しては普段から思うところが色々あったので智子の毒舌ジョークはことのほかウケたようです。
*サチ・ノリ・マキ
原作で南さんの取り巻き的存在として登場した三人組が元ネタで、当作品でも陰口大好きな意地悪グループとしてその陰湿さを発揮していただきました。
顔なしフレンズなあの子たちですがこれは作者がずっと前に考えていた以下のわたモテ都市伝説が原形になっています。
『【
彼女らに出くわすもただ笑われるだけで済んだ智子でしたが、これはサチ・ノチ・マキがターゲットの友達力を目当てに襲ってくるおばけだったから。たったひとりの友人に転校されてしまったぼっちの智子には取りつくおもしろみがないと考えた模様。
*きこさん
これは原作にて智子を度々恐怖させてきた従姉妹のきーちゃんこと里崎希心に相当するキャラクターなんですが、外見は智子の過去回想に出てきたちびっこ時代の姿をイメージしています。
おばけとしての性質は都市伝説の「ひきこさん」をモデルにしており、一見とぼけた感じながらも中々エグい事をしてくる上、逃げ出せたとしても犬化の呪いのせいで結局助からないというヤバさ高めな存在。かなりの力持ちなので仮に智子が相撲を取ってきこさんを水田に封印しようとしてもみぞおちに膝を入れられ返り討ちにあいそうです。
*マリアさま
原作二年生編から登場のクラスのマドンナ・
「動く二宮金次郎像」のように彫像を題材とした怪談をやらせて頂いたのですが、戦後期の怪談には一体どのようなものがあったのだろうと考えたとき、戦時下における諸々の出来事のなごりを感じさせる話も存在していたのではということであのようないわくが付いた次第です。マリアさまのおばけとしての性質は初見殺しですが、智子は図らずも旧校舎にまつわる密室トラップに救われた形になりました。
*白紙の書状
原作の智子が入学初日の自己紹介にてウケ狙いで披露するも盛大にすべった渾身のギャグが元ネタ。
この笑い地獄な怪異の被害を受けるキャラクターは普段とのギャップがあるほうが美味しいということでぜひ田村さんでと考えていました。後半のゆりまこパートでは彼女をおおいにハジケさせてみたのですが絵面的にキャラ崩壊寸前な感じになってしまったかもしれません。
*化猫党
原作修学旅行編からの登場となる「うっちー」こと
なぜキモキモと連呼するのか、キモビトってなんやねんと思われたかたへ。これは原作におけるうっちーの口癖にちなんだものでして、彼女は智子を見かけるとすぐ「キモい」と口に出すのです。当初は日陰者で変人な智子に対する嫌悪感や恐怖心から出てきたこの「キモい」ですが、その後うっちーが智子を好きになっていくにつれて意味合いが大きく変わり、いつしか屈折した親愛を表す言葉として用いるようになっていきます。しかし当然ながらキモいキモいとしつこく言われる側の智子からするとケンカを売られているようにしか感じられないため、互いの気持ちはすれ違っていくのですが……。ともあれこの言葉は原作におけるうっちーというキャラクターを象徴するものとして読者から受け止められるようになった次第でして、当作品でもそうしたうっちーの代名詞となるセリフを取り入れさせて頂きました。「キモビト」というのも原作三年生編の七夕エピソードにてうっちーが智子への嫉妬混じりのあてつけに短冊へしたためた〈七夕に キモビトのキモいこと この上なし〉という謎の句が元ネタ。
化猫党はもっと早くに智子の前へあらわれる予定だったのですが、花子先輩とキツネヘビが出揃わないうちに遭遇すると詰みかねない強敵なので結果的にかなり遅めの登場と相成りました。あのバケネコ屋敷は原作における雌猫の間という位置付けで、内御前の部下であるバケネコファイブは青山大学見学組(大隣さん・宮崎さん・かよ)とそうでない組(岸さん・ナツ)とで役割を分けてみました。
当作品は原作の修学旅行編を意識した物語でもあるので、裏幕へ送られたリトル智子の同行者もおもに修学旅行で行動を共にした仲間たちで固めてあります。そのため智子と同じ修学旅行班のメンバーでありながらも早々に別行動を決め込んだうっちーはリトル智子の同行者足り得ないとの判断からクラスメイトとしての登場は見送らせていただきました。しかしそれではうっちーだけ仲間外れにしてしまったような感があり寂しかったので、代わりに裏幕探検の後半に控える強敵としてハッスルして頂くことに。今江先生が子供時代に遭遇したときはヘビを見せてやることでそれきり現れなくなったのですが、今回は内御前が智子のことを獲物としていたく気に入っていたため予想外の執念深さを見せたようです。
当初の案だと他にも「きもいきもい」という名の、うっちー単体のおばけを考えていまして、教室の壁や窓一面にうっちーの歯ぎしり顔がたくさん浮き出て「キモキモキモ……」と一斉に騒ぎ出すという感じでした(これは映画『学校の怪談2』に登場したあるおばけがモデル)。ちなみに智子の創作怪談のひとつに「人面ゼミ」というものがあり、没となった「きもいきもい」の性質はそのままこのセミおばけに受け継がれているとしています。
*キツネヘビ
UMA(未確認生物)枠で登場させたこちらのおばけですが、元ネタは原作の智子が冬シーズンになるとよく巻いている愛用のキツネマフラー。もの言わぬ防寒着ながらも愛嬌があり不思議な存在感を放つ彼ですので、当作品においても智子と仲よしな存在として登場させてみました。
キツネヘビのチビはA棟非常階段を巣にしているのですが、智子は普段から昼休みにひとけの少ないあの場所へ隠れてはこっそり携帯ゲームで遊んだりしていたので、そうするうちにキツネヘビから匂いを覚えられ、当人の気づかぬ内にすっかり懐かれていたようです。表の世界に帰ってきた智子はその後もお母さんに隠れてキツネの襟巻きを持ち出してはチビを懐かしんでいたのかもしれません。
余談ながらキツネヘビに与えられたあの「チビ」という名前ですが、これは作者が子供のころに家で飼われていた犬につけていたものだったりします。彼は雑種でしたがキツネのようにとんがった鼻先をしており、よく地面を掘っていて穴ぐらっぽい場所にもぐるのが好きだったので、そんな彼のことを時折「キツネチビ」と呼んだりしていました。チビ~ッ!
*ワイハ星人
原作三年生編の東京ネズミーランド遠足エピソードにて登場するアトラクションキャラクター・宇宙コアラのコワリィッチが元ネタ。
初期案だといかにも無害そうなマスコットキャラクター風の姿なのに凶暴性剥き出しで襲ってくるエイリアンとして考えていたのですが、かわいいもの好きの吉田さんがショックを受けないよう夢と魔法の王国へいざなう平和な存在にしてみた次第です。彼女が目撃したのは銀色の円盤か、はたまた歌って踊るコアラだったのか……。
作中では触れずじまいでしたが、かつてあの屋上ガーデンには天体観測用のドームが設置されており、ワイハ星人の噂も当時そこを利用していた地元青少年クラブの子たちのなかから出てきたとしています。
*マキ戻し
これは原作二年生編終盤で智子が妄想していた留年エピソードを怪異化したもので、更に誘導役として原作のまだ黒髪三つ編みメガネ姿だった頃の中学時代ゆうちゃんも加えています。
初期案では「テストの名前欄に『マキ戻し』と書くことで過去に戻れる」という、「緑のペン」的なおまじないとして考えていましたが、最終的にあのような感じで能動的に襲ってくる脅威度の高い怪異にしてみました。智子が思い出の世界に行っていたあいだは精神的な次元にその身を隠していたので仲間たちからはこつぜんと姿を消したように映ったことでしょう。
智子の抱える孤独や行き詰まり感、そして過去への執着は本作のテーマのひとつでもあったのですが、そこへせまっていくための仕掛けとして原作の留年if妄想を使わせて頂きました。ラストバトルの相手として例のあの人をもってくるというのも実はだいぶあとになってから決まったことでして、元々はこのマキ戻しエピソードを最後のヤマ場に据えるつもりでいました。強化型例のあの人との戦いはあくまで物理的なクライマックスなので、智子自身の心の決着はゆうちゃんに別れを告げて仲間たちのもとへ戻る気になったあのときすでについていたという次第です。
はじめは智子から携帯を取りあげようとするほどの強引さを見せていたゆうちゃんでしたが、智子がキツネヘビに導かれていくうちに引き留める力が段々と弱くなっていく。これは意図的にえがいていた部分でして、マキ戻しは智子の心に取りつく怪異(個としてのおばけではなく超常現象の一種に近い)でもありますので、ゆうちゃんの一連の行動は智子自身の深層心理下でのせめぎあいが反映されたものとしても見て頂けるよう意識していました。「あの頃に留まりたい」という智子の強い未練があるために仲間たち=現実からの働きかけを智子に代わって遠ざけようとする一方で、いざ本気で帰る気になったら力ずくで引き止めることもできずただ問いかけるだけで、智子の決意を受けて見送るしかなかったという感じです。
花瓶のことで今江先生に褒められていた智子ですが、これは現実でも実際にあった思い出のひとつで、それがとりわけ智子の中で印象に残っていたので改めてあの精神世界のなかで再現された形です。原作における小四時代の智子が実際にどのような学校生活を送っていたのかは不明ですが、当作品においてはそれなりの優等生であり、そのことを本人も自負していたということになっています。色々と年相応のずるさやエゴが芽生えてきていると言えど、かわいい弟のためにもいいお姉ちゃんでありたいという思いが強く、幼い智貴が智子のことを賛美するために書いた作文『ぼくのおねえちゃん』のなかで語られる自慢の姉としての姿をいまだ保てていた時期だったのかもしれません。
ちなみに思い出の世界のなかでゆうちゃんが朗読していた『キモビトと内猫』ですが、あちらは宮沢賢治先生の『どんぐりと山猫』のパロディだったりします。
*例のあの人
例のあの人は原作初期の智子の奇人変人ぶりを擬人化(?)したかのごとき存在なんですが、例のあの人ブームの過熱に関するあらましは原作マンガを取り巻くこんにちまでの盛況ぶり、とりわけ二〇一三年アニメ版放映当時の盛り上がりに重ねている部分もあったりします。
オカ研の活動時期は一九九二年から一九九四年にかけてだったのですが、これはちょうど九〇年代オカルトブームまっただなかであり、例のあの人もそうした時代の産物という位置付け。
傘剣法の達人である例のあの人が繰り出すあの強烈な突きは原作の喪53からひっぱってきたネタでありますが、拙作における彼女がこのような技を使えることになっているのは、噂の流行った当時の少年たちに大人気だった『るろうに剣心』の影響があったからとしています。作中で披露した「
例のあの人の作中における位置付けとしてのモデルについて。これは『学校の怪談』第一作目に登場した用務員の幽霊・クマヒゲさんとその強化バージョンである凶悪モンスター・インフェルノを意識してもいます。このクマヒゲさんは最初のうちはヘンなおじさんぐらいの存在だったのが段々とバケモノじみてきて、最後は自分の体の一部を破壊されたショックでものすごい怪物と化すラスボス的存在なのですが、こうした部分を例のあの人にも取り入れてみました。ニカっと笑う例のあの人に智子がゴムまり顔で絶叫したのも、野村宏伸氏演ずる小向先生がクマヒゲさんに絶叫させられた名シーンへのリスペクトだったりします。
この映画では他にもテケテケというコメディリリーフ的な役割を持ったイタズラ好きの妖怪が出てきますが、これも例のあの人の立ち振る舞いにおけるモデルのひとつになっています。ふわふわ浮いた例のあの人が智子の背中にくっついていて、それを見たみんなが逃げる。顔をくちゃくちゃにかき回して百面相をする。カマをもっている。こうした部分はいずれも前述のテケテケが劇中で見せた特徴を踏襲させて頂いたものでした。
このテケテケ自体は刃物で切りつけるといった極端に手荒な真似はしてこないおばけなんですが、例のあの人の噂における「カマを手に襲ってくるひ弱な変質者」という危険人物的な設定は『学校の怪談』第一作目と同時上映された『トイレの花子さん』に登場する殺人鬼がモデルになっています(花子さん映画は類似のタイトルがいくつかあるが、ここでは豊川悦司出演のものを指す)。余談ながらこの花子さん映画には挿入歌として『I Wish…』という曲が用いられているのですがこれがまた超名曲なんですよ。許されるならば智子が三年三組の教室で花子さんに助けられる一連の場面のイメージソングにさせて頂きたいなどと勝手に思っているくらいお気に入りです。
例のあの人はなぜ「ブキショーニン」という呪文を恐れるのか。これこそ原作未読のかたにはとりわけ意味不明だったこととお察ししますが、これは智子の中学時代の小っ恥ずかしい言動が元ネタになっています。彼女はかつて中学時代に『ヨルムンガンド』というマンガに影響されて「私は将来武器商人になる」などと得意げにアピールしていたことがあるんですが、しかしこれはやがて本人にとって思い出したくない恥ずかしい過去となってしまいました。それをあるとき進路についてゆうちゃんと話していた際「武器商人になるんだよね」と蒸し返されたものだからさあ大変。智子の顔がたちまち羞恥に染まり、体は震えて冷や汗ブワリ、目もなんだかチカチカする。そんなふうにたった一言で大恥をかく羽目になった智子でしたのでこれは使えると思い、あのような形で例のあの人の弱点として取り入れさせていただきました。
*やべー奴
原作二年生編の序盤にて彗星のごとく現れたメガネっ娘かつ野球狂のライバルキャラ・小宮山
そんな小宮山さんの化身であるこのおばけにはフルパワー状態の例のあの人と対決してもらうことを当初から考えていましたので、終盤のここぞという局面で満を持しての登場となりました。ただ、彼女については実のところ最後のほうまで具体的な仕様を決めかねていたおばけでもあります。もともと決まっていたのは例のあの人への対抗馬であるということ、そして呼び出すには召喚の呪文が必要という二点のみ。いざ彼女のことを書くにあたってどうしたものかと頭をひねっていた際、『ノーライフキング』という八〇年代邦画(ドラクエⅢ的な超人気ゲームソフトとそれにまつわる子供たちの集団パニックをえがいた作品)を観る機会があり、そこから着想を得てあのようにゲームっ子の生み出したおばけが誕生した次第です。
*ヒナーボール/加速するパスの怪
これは智子が二年生の頃に体育のバスケでクラスメイトの
結局智子らは遭遇せずに済みましたが、もしおそわれた場合はまだ加速がゆるいうちにダメージ覚悟でボールをキャッチし、そのまま四次元水路にダンクシュートしてやるというのが有効な対処法。そうすると「ヒナ──!」と叫びながら水流に飲み込まれていきます。
なんで叫び声がヒナなのか。原作をお読みのかたにはおわかりかと思いますが、これは元ネタの岡田さんが三年遠足編にて智子から「お前の親友の根元
*蠱惑マント
戦時中に流行ったという怪人・赤マントのパロディ的なおばけです。原作のどの部分を引用してきたかがわかりにくいかもしれませんがこれは中学時代の智子がなりきりごっこの延長で黒ずくめの衣装を着込みイトーヨーカドーの屋上に佇むなどしていたころにちなんだものとなっており、アニメ版オリジナルエピソード〈モテないし謎めいてみる〉にて後輩男子の
いつも時計塔の上に立っていて、話しかけるとひとりごとのように自身の考えた厨二病的な設定を滔々と語って聞かせてくれます。本人曰く、自分は軍の特命を帯びて行動中なので関わってはいけない……、あなたを危険にさらしてしまう……、などとカッコつけて諭してきたりします。懐には古めかしい鉄砲玩具を忍ばせており、近寄るとこれでちくちく攻撃してくる模様。
*喪蠱入道
原作の智子がいつぞやか福引で当てた大きなぬいぐるみが元ネタで、昼間は寝ているが夜になると地響きを立てながら校内を散歩しはじめるというおばけ。千葉や茨城に古くから伝わるダイダラボッチ伝説にゆかりのある存在で、奈良時代以前にまでさかのぼる非常に古い起源を持つそうな。茂子原市一帯の土地は喪蠱入道が造成したとされていて、ゆうちゃんの学校の近くにある
没案のひとつとして、眠りから覚めた喪蠱入道が暴れだしたので智子がショボーンをけしかけるという展開などもありました。この場合のショボーンは「茂子智公の大首」という設定にしておき、智子が「おまえの胴体はあれだ!」と入道を指さし、それに騙されたショボーンが入道の頭上に乗っかろうとまとわりついて巨大おばけ同士のケンカがはじまるという具合です。
*キコノカミ
最後の最後に登場したこちらの謎の少女こそは一連の事件の黒幕であり、裏幕世界の創造主にしてそこに潜むおばけたちの支配者。原作にて成長と共にいよいよ迫力を増してきた後期きーちゃんに相当するキャラクターでもあります。
当作品は彼女の笑い声で締めくくられますが、これは『学校の怪談』第一作目のエンドロールにて女の子の怪しい笑い声が聞こえてくるという印象的な演出に強く影響されています。第一章の最後のほうで智子が聞いた誰かの笑い声も、これから起きるであろう「お祭り」への期待に胸をふくらませる彼女が発したものでした。作中では触れませんでしたが智子は裏幕のなかでこの神さまに観察されており、祠の前で目を覚まして以降は精霊馬(智子がふたつ用意していたうちの、細長ナスビのほうが化けたもの)にまたがるキコノカミが姿を隠しつつずっとついて回っていたのです。
キコノカミが使役するタカ(智子が用意した折り紙が化けたもの)には表の世界の子供たちを裏幕へと誘導する役目があるので智貴のことも当然狙っていたのですが、先生が彼に「大人」と書いたお守りの札を持たせた上で「もし知り合いに呼びかけられても絶対ついていかないように」と言い含めておいたためことなきを得た模様。
あかずの小屋に隠されていた例の祠ですが、もともと小屋などはなく祠の前に校舎も置かれていませんでした。希心神社の神主さんが存命だったころはちゃんとキレイに手入れされていたのですが、歳月を経るごとに扱いがぞんざいになっていき、やがて七〇年代になるとC棟が建設され、祠がすっかり隠れてしまう形になりました。しかし工事中はおかしなことが続発し、完成してからも一階南側の各教室で怪奇現象が起きるようになったので、それもあってあの辺りの教室はクラブ活動のときぐらいにしか使われなくなってしまったようです。祠自体が厳重に隔離され、そこへ至る道も封鎖されてしまったのにはなにかしらの理由があったのかもしれません。
ちなみにこの祠、悪霊や妖怪などに取りつかれた子供が参拝するとたちどころに祓ってくれるようです。キコノカミは子供を連れ去る祟り神であると同時に守り神でもあるということで、昔の人々は忌孤神がなるべく悪さをしないようにという願いをこめて「希心」というもうひとつの名前を神社につけたのでした。
かつて原幕の地で代々おこなわれてきたという「きこさん祭り」、これはお盆期間中に連日開催され、おおぜいの人で賑わう活気あるものだったのですが、初日だけは神社関係者と数人の子供のみで執りおこなう習わしとなっていました。そのあいだ希心ノ森は関係者以外立ち入ることの許されない場所となり、秘密裏に選ばれた子供たちは神主さんの見守るなかで儀式をおこない、神さまのおわす世界へといざなわれていく……。
そうして神域とも呼べる「裏の世界」で神さまとの交流を果たした子供たちはやがて神主さんの助力のもとで表の世界へと帰還することになるのですが、神域で見聞きしたことは口外してはならず、儀式の詳細についても誰かに漏らしてはならないという決まりになっていました。が、なかには口をすべらせてしまう者もいたようで、昭和初期に失踪した「怪奇研究
研究會にとって不運だったのは、神域から帰還するにあたっての正確な手順を把握しきれていなかったこと。彼らが知りえたのは裏の世界から祈祷する手順のみだったのですが、実際は本編で智貴が手伝ったように表の世界からの働きかけも加えないと出口はひらかないのでした。
もうひとつの不運としては、学校七不思議の影響によってキコノカミの神域が大きく変質してしまっていたことでした。今江先生の言ったように裏幕では人の思いが形を成すという法則が働いているのですが、校内に祠を設置して以来、学校に渦巻く子供たちの様々な想念を取り込み続けた結果、かつての神域は魑魅魍魎の
キコノカミはお菓子が好きなので、帰りの儀式をおこなう際はこれを祭壇にお供えするのが習わし。でもひとつ注意しないといけないのは、お供えものに誰かの私物を交ぜてしまわないこと。そうしないと私物の持ち主がキコノカミに
智子が裏幕に残してきてしまったあのサンバイザーはお供えものとしてキコノカミの手に渡ったので、これ以降智子はこの神さまと霊的なつながりを持つことになるのですがそれはまた別のお話……。もしも黒木会長率いる新生オカ研の今後の活動が『私たち原幕オカルト研究会!』というシリーズ作品(下記画像参照)としてつむがれていくとしたら当作品はその第一作目という扱いへ転じることになりそうです。
■その後の色々な噂について
新生オカ研を立ち上げた智子のもとにはやがて怪奇めいた噂話が続々と集まってくることになるのですが、そのなかにはこういうものもあったりするかもしれません。
*手すりでポン
階段をくだった手すりの先で女の子がこっそりしゃがみこんでいることがある。これは人になでられたがっている幽霊で、誰かが自分の頭に手を置いてくれるのを待っているという。なでてあげると喜んで、お礼に教室の花瓶の水を新しくしてくれるらしい。
*ポイント制呪いのノート
机のなかに見覚えのないノートが入っていて、そこには自分の毎日の行動が採点形式で記録されている。このノートは捨てても燃やしても翌朝には元通りになって戻ってくるが、減点が続いて合計ポイントがマイナス一〇〇になると死刑宣告され、ノートの本来の持ち主である「記録者」が裁きを下しに来るという。
*魔の日常クラブ
放課後になると、使われていないはずの空き部屋で誰も知らないクラブ活動が行われているらしい。あるときこのクラブに入部したKさんという子がいて毎日楽しそうにしていたけれど、気になった児童が後をつけてみたところKさんは誰もいない部室でくつろいでいただけだった。しかしKさんには他の部員たちが見えているらしい。
*ゲス乙女ササキF
とてもまじめで運動の得意なFさんという子がいたけれど、あるとき誰かにひどい噂を流されて死んでしまった。Fさんは幽霊になった後も噂の出どころが気になって成仏できず、自身の名誉を傷つけた犯人の「T・K」をさがし回っているので、同じイニシャルの子がFさんに出くわすと犯人と間違われゴリラ並みのパワーで引き裂かれてしまうという。
*休みごろしの鏡
学校の教材室に鏡が隠されていて、これには学校が大好きだった子の怨念が宿っている。この鏡に映りこんでしまった者には休日がぜんぶ消える呪いがかかり、毎日学校へ通わなくてはならなくなるという。
*見せたるおじさん
かつて千葉県全土を震撼させた露出狂の変質者。女装しているけれど本当は男で、元々どこかの学校で先生をやっていた。ずっと前に警官隊との戦いで死んだはずだったが、お墓が壊されたせいで封印が解けてしまいウインナーの力を持つ怪人として復活してしまった。彼が現れるとき、どこからともなく「見せたる、ウインナー見せたる」と声が聞こえてくるという。
長くなりましたが『原幕小の七不思議』のこぼれ話は以上となります。締めくくりとして、以下に続編案のプロローグを記します。
■続編案『里崎家埋蔵金伝説』
八月の終わりに
智子の住む
そうしたなかにあってひときわ目立っていたのは一本の松の木だった。いつの時代から生えているのか、太くうねったその黒い松は森の広場にずっしり根をおろし、とげとげの葉とともに毎年たくさんの松ぼっくりを生み落としてきたのだが、そんな彼もまた今回の嵐によって一生を終えざるをえなくなったひとりだ。一日中続いた暴風雨に耐えきれずあわやひっくり返った大松は横倒しとなり、長く土に埋まっていた根っこをさらけだすこととなった。
嵐が過ぎ去ったあとの森はそれこそごみ箱を逆さにしたような状態で、ちぎれた枝々や葉っぱはもちろん、辺りの住宅街から飛んできたごみがそこかしこに散乱していた。しかし町がようやくひとごこちつくころになるとやがて自治会が清掃しにきたり、市の依頼を受けた土木業者が木々の残がいをせっせと運び出しはじめた。智子もこうした美化活動に参加したひとりで、あぶなそうなものがあらかた撤去されたあとの森にやってきて地元のボランティアと一緒にごみ拾いをしていたのだった。
「智くーん! きてきて、ほら!」
手にした火ばさみをカチカチ鳴らす智子が、少し離れた先にいた弟をさかんに呼びつける。その声にハッとなった智貴がお姉さんの呼びかけに応じて駆け寄ってきた。
「なんだよ」
「これこれ、なんかヘンなの出てきたんだけど」
大きなくぼみのなかに立つ智子が火ばさみの先っぽで足もとのなにかをひっかいてみせる。すると土くれが取り払われ、そのなにかが一層あらわになった。
「なんだろうね、宝箱かな?」智子がおのれの予想を口にすれば、
「知んねーけど……」くぼみにおりてきた智貴も興味深げに目を落とす。
智子がさっき見つけたそれは、ぼろ布が巻かれた箱らしきものだった。希心ノ森のなかでも有数の大きさを誇っていた松の木は嵐のときに根もとから倒れてしまったので、今はもうない。その松の生えていた場所は土が掘り返されたようになっていたのだが、ごみ拾いに一区切りつけた智子が休憩がてらここでモグラやミミズを探していたところなにかが埋まっていることに気づいたという訳だ。
しゃがみこんだ智子が火ばさみで土を掘りさげていくとやがて地中にあったものが全貌をあらわすが、それは確かに箱なのであった。中々の年代物なのか箱をくるんでいた布はすっかり朽ちており、智子の手で容易く取り払われていく。そうして顔を出した箱の表面は泥にまみれながらもつるりとした感触があり、緑がかった乳白色の石でできているようだった。智子が低学年のころに学校で使っていたお道具箱にも似たそれは、しかしフタのところに家紋のようなものが彫られているなどありきたりな品ではないことをうかがわせる。
おどろきの掘り出し物に期待を膨らませた智子が早速箱の開封を試みるが、フタが貼り付いたように固まっていて中々あけることができない。
「これさ、持って帰っちゃおうか」
おもむろに立ち上がった智子が辺りを見回しつつそんなことを言いだした。
「誰かに見せたほうがいいんじゃねえの?」
しかしそれに同意しない智貴は引きとめるような言葉を口にする。出土した謎の箱にただならぬものを感じた智貴であったから、お姉さんの提案に乗るのはまずいと判断したらしい。
智貴は遠くのほうでたむろしていた自治会の一団を見やるがそのなかにはお父さんの姿もあり、他の人と協力してワゴン車から飲み物のはいったダンボール箱を運び出しているようだった。
「そんなことしたら横取りされちゃうよ」
弟からのしごくまっとうな意見に口を尖らせる智子はあくまで箱をわがものにせんとする構えだ。まだ中身を調べてもいないのになにかすごいお宝が収められているにちがいないと確信しているかのような反応だった。
「でも勝手に持ってったら盗んだって言われそうじゃん」
そもそも他所様の土地に埋まっていたものをことわりもなく持ち出すというのは悪いことかもしれない。だから改めてお姉さんをたしなめようとする智貴であったが、
「いいの。お姉ちゃんが第一発見者なんだから」やはり頑として聞き入れない智子。
そうしてまだなにか言いたそうな弟に火ばさみを預けた智子は、箱を持ってくぼみを飛び出し「すぐ戻るから」と言い置いて風のように駆けていった。
九月にはいった今も辺りからはまだセミの鳴き声が届いてくるけれど、夏の終わりと嵐のせいでずいぶん数が減ったからか往時の勢いを失ったその歌声はどこか遠く感じられる。セミのやかましさを好ましく思う智子としては彼らの衰えようにもの悲しさを感じずにはいられないが、しかしいまこのときばかりはそうしたわびしい風情を忘れ、奇妙な箱の正体に胸をときめかせていたのだった──。