戦国御伽草子 殺生丸   作:HAJI

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第十一話 「再会」

『母上……母上!』

 

 

ただそう叫ぶしかない。それしか言葉が浮かんでこない。でも、その声が震えて止まらない。涙も止まらない。男の子は泣いたらダメだと分かっているのに、我慢ができない。

 

 

『犬夜叉……?』

 

 

母上がそう呟きながらぼくを見つめてくれる。大好きな声と、優しくて温かい臭い。でもその声は今にも消え入りそう。綺麗だった顔は真っ白になってしまっている。握ってくれている手はほとんど力が入っていない。もうわかっていた。もう母上が長くはないことを。

 

病。それに侵された母上は日に日に弱っていった。大丈夫、心配いらないと自分を励ましてくれる母上。でも一向に良くならず、もう今は立つことすらできない。布団の中でずっと横になるだけの生活。

 

そして今。それが分かってしまった。どうしてかは分からない。それでも、もうすぐ母上とは会えなくなってしまうのだと。

 

 

『ごめんなさい……犬夜叉。幼いあなたを残したまま、母はいなくなってしまうでしょう……』

 

 

もう喋るのも辛いはずなのに、母上はそんな自分の事よりもぼくのことを心配している。今だけじゃない。生まれてからずっと、母上はずっと自分のことを心配してくれていた。半妖である、ぼくのことを。

 

 

『……っ! そんなこといわないでよ! ぼくが、ぼくがきっと母上を治してあげるから! だから、だから……!』

 

 

ぼくを置いていかないで。一人にしないで。そう叫びそうになるのを必死に我慢した。それでも流れる涙は止められなかった。ただ悔しかった。情けなかった。何もできない、子供の自分が。半妖の自分が。自分が大人だったら。もっと力があれば母上を救えるかもしれないのに。自分には何もない。

 

 

『大丈夫です、犬夜叉……あなたは一人ではありません。きっとあの方が……』

 

 

そう言いながらいつものように母上は頭をなでてくれる。自分が何を言いたかったのかも全部分かった上で、母上は微笑んでくれる。いつもと変わらない、大好きな母上のままで。

 

それがぼくが母上と話した最期の言葉。その夜、朔の日に母上はいなくなってしまった。もう二度と会えない、ずっと遠くへ。

 

それからはただ生きるための日々だった。母上がいなくなってからすぐに屋敷から追い出され、ただ必死に食べ物を探し続ける毎日。人里に下りて助けを求めたこともある、妖怪の仲間に入れてもらおうとしたこともある。でもその全てが無駄だった。

 

半妖だから。

 

ただそれだけで人間からも妖怪からも仲間外れにされる。馬鹿にされる、いじめられる。悔しかった。どうしてこんな目に遭わなくてはいけないのか。何も悪いことはしてないのに。ただ半妖と蔑まれる度に、怒りが収まらなかった。おれはいい、でもそれはおれを生んでくれた母上を馬鹿にしていること。

 

 

―――カラダが熱い。

 

 

自分の身体が自分の物ではないみたいに熱い。血が沸騰しそう。視界が全て赤に染まる。分からない。自分が赤い鬼にやられてしまったのまでは覚えている。でも、もう何も考えられない。あるのはただ、今身体を支配している衝動に身を任せることだけ。

 

 

『ん……』

 

 

ゆっくりと目を覚ます。そこは見たこともない場所。洞窟の中だろうか。でも分からない。どうして自分がこんなところにいるのか。自分は確か、あの時。そう思い出しかけた瞬間、一気に目が覚めた。

 

それは臭いだった。母上とは違う、でも同じぐらい優しくて、温かい。安心できる臭い。それに誘われるように歩いていった先には妖怪がいた。父上と同じ臭いがする、自分にとっての忘れられない再会。それは――――

 

 

 

 

「……っ!」

 

 

跳ね起き、思わず周りを見渡す。きょろきょろするも辺りには妖怪はおろか人っ子一人いない。そのことに安堵しながらもようやく思い出す。自分が知らず木の上で眠ってしまっていたことを。

 

 

(ちっ……嫌な夢見ちまったぜ。最近見ることなんてなかったってのによ)

 

 

舌打ちしながらついさっきまで見ていた夢を思い出す。昔の記憶。思い出したくもない嫌な記憶。とにかく周りに誰もいなくてよかった。かごめはともかくあいつに見られたら何を言われるか分かったものじゃない。

 

そんな中、ふと気づく。自分が何かを抱えたまま眠ってしまっていたことに。それは

 

 

(鉄砕牙……そうか、こいつのせいで……)

 

 

自分の刀である鉄砕牙。それを抱えて眠っていたせいで自分はあんな夢を見てしまったのだろう。正しくは鉄砕牙のせいではなく、その臭いのせいで。

 

 

(くそっ……やっぱり臭いが染み込んでやがる。しばらく取れそうにもないか……)

 

 

何とかしようとするがどうしようもなくあきらめるしかない。今の鉄砕牙には元の持ち主、つまり殺生丸の臭いが染みついている。水で洗ったり、土に埋めたりしたものの臭いはなくならない。二百年間、あいつが持ち続けていたのだから当たり前。その臭いが嫌いなわけじゃない。だがそのせいで自分が昔に、子供に戻ってしまうような気がしてどうしても落ち着かなくなってしまうのが嫌だった。

 

 

(ったく……あいつらも全然変わってなかったな……)

 

 

あきらめてもう一度木に横になりながら思い出すのは再会した二人の姿。妖怪なので当たり前だが、五十年前と全く変わっていなかった。邪見については小さくなってしまったのではと思うほど。相変わらず殺生丸の家来を続けているのだろう。ほとんど無視されているのによく続くものだと呆れるしかない。

 

 

(あいつ……まだ俺が妖怪にいじめられてると思ってやがったのか)

 

 

思い出すのは人頭杖を振り回しながら自分をいじめる妖怪を追い払っていた邪見の姿。どうやら五十年以上たっても邪見にとって自分は子供らしい。その騒がしさもだが、自分のことを心配していたのか涙目になっていたのには焦った。かごめからは見えなかったようだが、恥ずかしさで変な汗をかく羽目になった形。いつになっても邪見は邪見、ということなのだろう。

 

 

(殺生丸の野郎……子ども扱いしやがって……!)

 

 

それ以上に腹立たしいのが殺生丸。その強さもだが全く容赦がなかった。まだその傷が痛むような気がする始末。同時に百年以上経っても埋まらない差を見せつけられた気分。腹立たしいことこの上ないがそれはまだいい。何よりも気に食わないのは首根っこを掴んで持ち上げられたこと。それは殺生丸が自分が駄々をこねたり、我儘を言った時に無理やり連れて行くときのスタイル。小さいときはそれが面白くてわざと反抗したりしたこともあったが今は違う。殺生丸からすればいつもと同じことをしただけなのだろうがこっちは恥ずかしいことこの上ない。かごめに見られてしまったのもマズかった。身内での自分の扱いを他人に見られた気分。

 

 

「……けっ!」

 

 

一人舌打ちしながらただ空を見上げる。自分が殺生丸たちの元を離れて五十年。封印されていた時間を含めれば百年以上。それだけの時間がありながら、何も変わっていない。殺生丸たちが、ではなく、自分自身が。強くなることも、妖怪になることも。あのままではダメだと。殺生丸を超えてやると息まいた結果がこれ。強さは言うに及ばず、人間になりたいなんて願った挙句に五十年も封印される顛末。どんな顔をしてあいつらに会えばいいのか。だがそんな自分の葛藤など知らないとばかりに殺生丸はただ問いかけてきた。

 

 

『――――犬夜叉、なぜお前は力を求める』

 

 

そんな理解できない問いかけ。自分にとっては当たり前すぎて考えたこともないもの。強くなりたい。お袋に心配をかけないために。親父を超えるために。殺生丸のようになるために。半妖だと馬鹿にされないために。自分の居場所を作るために。

 

だがその全てを否定された。下らない、と。自分が強くなりたいと思う理由の存在に。分からない。殺生丸が何を言いたいのか。どうして否定しながらこの刀を渡してきたのか。

 

そのまま雑念を振る払うために木から飛び降り、鉄砕牙の柄に手をかける。鞘から抜き放った瞬間、錆びた刀身は巨大な牙へと変化する。それが親父の遺した刀、鉄砕牙の真の姿。

 

 

「風の……傷!!」

 

 

そのまま全力で鉄砕牙を振り下ろす。その衝撃によって地面が割れるがそれは目の前だけ。本当なら一振りで山を吹き飛ばすはずの威力は欠片もない。未だに自分が鉄砕牙を使いこなせていない証拠。だがまだあきらめるわけにはいかない。この刀を使いこなすことが強くなる近道であるのは間違いないのだから。そのまま再び鉄砕牙を振り上げようとするも

 

 

(……っ!? こ、この臭いは……!)

 

 

臭いを感じて思わず手を止めてしまう。自分にとっては慣れつつある臭いがこっちにやってくる。慌てて鉄砕牙を鞘に納め、地面の割れ目を埋めて証拠を隠滅。息を乱しながらも何とか平静を装う。

 

 

「あ、犬夜叉! やっぱりここにいたのね」

「かごめか。どうした、じゅけん勉強とかいうのでこっちに来れないんじゃなかったのか?」

「うん、でも一段落したらこっちに遊びに来たの。もしかして待っててくれたの?」

「けっ、誰がそんなこと。鼻持ちならない臭いがしたから起きただけだ」

「もう、またそんなこと言って。わたしも怒るわよ」

「ふん、じゅけんだが邪見だかしらねえが、そんなもんに四苦八苦している奴に怒られてもちっとも怖くねえよ」

 

 

まあ、と怒りをあらわにしているかごめ。だが謝るつもりは全くない。嫌ではない、お袋や桔梗のように安心できる好きな臭いだがそんなこと死んでも口にはできない。何よりもさっきまでしていたことを誤魔化すことの方が先決。どうやらかごめには気づかれなかったようだ。内心ほっとしかけるも

 

 

「おらは知っとるぞ、犬夜叉。またかぜのきずごっこをしておったのを」

 

 

ひょこっといつの間にそこにいたのか。七宝がこちらをからかうような笑みを見せながらそんなことを暴露する。かごめの臭いばかりに気を取られて予断してしまっていたらしい。

 

 

「え? 犬夜叉、まだ鉄砕牙で遊んでたの?」

「あ、遊んでねえ! しゅ、修行してただけだ!」

「嘘をついてはいかんぞ、犬夜叉。おらは知っておる、犬夜叉がいつも嬉しそうにその刀を抱いておるのを」

「っ!? て、てめえ!」

「犬夜叉!」

 

 

ばっちり一部始終を見られていたことを知り、そのまま七宝に飛びかかろうとするもかごめに制されてしまう。それが分かっているのか、七宝はそのままこっちにむかってべーっと舌を出している。腹立たしいことこの上ない。

 

 

(こいつ……いつの間にかかごめに懐きやがって……!)

 

 

後で一発ぶん殴ってやると決めながら改めて七宝に目を向ける。狐妖怪であり、ひょんなことで知り合ったのだがあれよあれよという間にいつの間にか居座っているこども。生意気この上ないが、かごめがいるため大きく出るわけにいかない。最近の頭痛の種。

 

 

「もう……でももう修行なんてしなくてもいいじゃない。鉄砕牙は使えるようになったんだし」

「ふん、本当の鉄砕牙の力はこんなもんじゃねえ。一振りで山だって消し飛ばせるんだからな」

「山を……? 百の妖怪じゃなかったの?」

「お、同じようなもんだ! とにかく、遊んでるわけじゃねえんだからな!」

「かごめ、分かってやれ。犬夜叉はそういう年頃なのじゃ。やはりおらがしっかりせねば」

 

 

うんうんと何かを悟ったかのように頷いている七宝。今なら風の傷が出せるような気がする。そういえば鉄砕牙が使えるようになったのもこいつが来た時から。七宝の親父を殺した雷獣兄弟と戦った時からだった。無我夢中だったから分からないが、とにかく鉄砕牙が使えるようになったのにだけは感謝してやるべきなのかもしれない。

 

 

「けっ……で、結局何の用だ。つまんない用なら俺は昼寝しに行くぜ」

「もう、さっき言ったでしょ? 遊びに来たの。気分転換にね、ほら犬夜叉!」

「……?」

 

 

そう言いながらかごめは何かを袋から取り出してこっちに投げてくる。それを受け取るぐらい何でもない。なのに、そのままただ自分はそれを見つめることしかできなかった。

 

 

「――――」

 

 

ぽん、とそれが自分の頭に当たったまま地面に落ちる。それは球だった。なんの変哲もない、ただの球。でもそれから目が離せない。脳裏に一瞬蘇る。思い出したくない記憶。

 

 

「……? どうしたの、犬夜叉? 七宝ちゃんと一緒にボール遊びしようと思ったんだけど、具合でも悪い?」

 

 

かごめが心配そうな顔をしながらこっちを伺っている。それを自分はただ呆然と眺めるしかない。そう、何でもない。かごめはただ球遊びに自分を誘ってくれているだけ。当たり前のこと。

 

 

『まぜてー!』

 

 

遠い昔、幼い頃、その当たり前ができなかった自分。自分が半妖なのだと、思い知らされた原初の記憶。でもそれはここにはない。半妖の自分も、妖怪の七宝も関係ない。かごめはただ自分たちと遊ぼうとしている。それが、どれだけ凄いことか気づかぬまま。

 

 

「ふふっ、分かったぞ。犬夜叉、お前さては球遊びも知らんのじゃろう。まったく、仕方ないのう。おらが教えてやってもいいぞ?」

「だ、誰がそんなこと! さっきから調子に乗ってんじゃねえぞ七宝!」

「ひっ!? た、助けてくれかごめ!? 犬夜叉の奴がおらをいじめるんじゃ!」

「犬夜叉、おすわり!」

 

 

そのまま七宝を球をもって追いかけ回すもかごめのおすわりによって撃沈されてしまう。ここ最近日常になりつつある展開。二百年前から変わっていないこともあれば、変わっているものもある。それでも自分は強さを求め続ける。その先に、自分が求めるものがあると信じて――――

 

 

 

月明りだけが辺りを照らす森。その中にある滝壺に身を晒している者がいた。それは女性だった。腰にも届くかのように黒く長い髪。滝に打たれながらも色褪せることのない肢体。何よりもその美貌。男なら見惚れぬ者はいないであろう美女が水浴びをしている。ただその表情はただ儚げだった。次の瞬間には、ふっと消えてしまうのではないかと思えるほどに。

 

 

「…………」

 

 

ひとしきり体を洗った後、女はただ自分の身体を見つめている。その表情は曇り、どこか忌々し気ですらある。それは当たり前だった。女にとって、先ほどの水浴びは体を洗うためではなく、自らの穢れを払うに等しい行為だったのだから。それでも、何度洗おうともそれを払うことはできなかった。その身体に染みつく臭いからは。

 

そのまま女は装束を身に纏う。巫女装束。それを纏った瞬間、女は完成した。見る者があれば、その美しさに彼女こそが巫女に相応しいと思うだろう。それを女が望んでいなかったとしても。

 

 

「……誰だ?」

 

 

僅かに顔を動かしながら女は森の茂みに向かって問いかける。その先に自分を覗いている何者かがいることを見抜いていたかのように。ほどなくしてそこから一人の男が姿を現す。女以上に、月明りが似合う容姿をした人ではないもの。

 

 

「やはり貴様だったか……」

 

 

男はただ淡々とそう告げる。その感情は表情からは読み取れない。それはまた女も同じ。

 

 

それが殺生丸と桔梗の五十年ぶりの再会だった――――

 

 

 

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