正直その為だけに浅野君を引っ張り出してきた所があるのは否定しない。
「それで、話って?」
あの後浅野君が私に話があるという事で、近所の喫茶店まで二人で足を運んだ。話だけなら私の家でもいいのだが、暗殺に使用している銃やナイフは当然として、他にも見られたくないものがある。それとは別に、きちんと掃除が出来ていない部屋に人を呼ぶのはどうかというのもあった。
私がこの家に初めてやってきたのは一月ほど前で、それ以前は一年ほど無人の家だったのだ。最優先で居住空間などは簡単な掃除を行なったものの、生活に関係ない部屋は依然埃が薄らと積もっている状態だ。特に両親の部屋には一度も入っていない。正直どう扱うのが正解なのか私の中でまだ答えは出ていないのだ。
まぁそんな理由もあって話し合いの場に喫茶店を選んだ訳だ。何も頼まないのもおかしいのでカフェオレを注文した後、早速本題に入る事にした。
「あぁ……君は、E組をどう思う?」
急かす私の言葉に返ってきたのは、そんな問いかけだった。
「どうって……普通、だと思うけど」
正確には普通どころの騒ぎではないのだが、まさかここで馬鹿正直に暗殺教室の事を伝える訳にはいかない。だが内容に目を瞑るならやっている事は普通だろう。授業は普通のそれだし、体育だって体を鍛えているだけだ。それを指導しているのが人間じゃなかったり殺し屋だったり、体の動かし方が特殊なだけで。
「……普通な筈が無いだろう? 本校舎と比べれば何もかもが劣っているというのに」
「あー……まぁ、確かに」
本校舎を全く知らないので比較が出来ないが、集会の時にチラリと見た感じで大体はわかる。確か創立10年なので校舎は真新しいものだったし、あの規模の校舎なら空調なんかもしっかりしてるんだろう。ボロボロでエアコンなんて存在しない木造校舎と比べればその差は歴然だ。
「うん。まぁ、本校舎に比べると違う所が多いな」
私の答えが満足のいくものだったのか、浅野君はつらつらと語りだした。
「そう。環境は劣悪、待遇は最底辺……そんな所に所属するのだから、そこにいる生徒はそれだけの理由がある。その多くは成績不振、つまりは負け組だ」
「ッ……!」
いや、まぁ。確かにそうなんだが。そのE組生徒がいる前で堂々と普通そういう事言う?
色々言い返したくなったが、事実なので跳ね返される未来しか見えない。眉間に皺が寄ってしまったのは仕方ないとして、言葉は何とか飲み込むことが出来た。
「理由がある以上はE組に行かなければならない。それがこの学校のルールだし、理事長の方針だ。それは僕も当然だと思ってる……が、僕はあの人ほど冷酷で非情じゃない。
成績不振となった生徒に情状酌量の余地があるのなら、それは可能な限り考慮するべきだと思う」
「……つまり?」
「つまり……僕は君を救いに来たんだよ。岸波白野さん」
そう言って、浅野君は鞄の中から一枚のプリントを取り出し、こちらに寄越してきた。
「これは?」
「明後日の中間テスト、その出題範囲だ」
「出題範囲って……」
渡されたプリントには、確かに各教科ごとのテスト範囲が綴られている。でもそれなら二週間前に烏間先生から貰ってるし、今更これに何が―――
「……え?」
一瞬、何が書いてあるのかわからなかった。見間違いかと思って目を擦っても、そこに書いてある文字は先程と一字一句変わらない。目を皿にして上から下までしっかりと確認していく。
「範囲が……変わって、る?」
最後まで目を通した後、それが間違いでなかったことを認識した。
そう、私達に配布されたテスト範囲より今渡されたテスト範囲の方が広い。しかも一ページ二ページどころの話じゃなく、大幅に塗り替えられている。
どういう事だと視線を戻せば、したり顔で頷いた浅野君が説明を始めた。
「それは今朝発表されたものでね。進学校の生徒たるもの、直前の詰込みにも対応できなければならないとの事で、範囲の変更があった」
「――そん、な」
「突然だったからA組でも困惑の声が上がったが、理事長が教壇に立って教えきってしまったから何も問題は無いんだが……」
「……理事長……ッ!!」
―――やられた。
私のささやかな反抗がトリガーになったのかは不明だが、少なくともこの出題範囲変更に先日のE組訪問が関係していることは間違いないだろう。ここで徹底的に私達を叩き潰して劣等感を刻み込み、反抗心を無くすつもりだ。
何かしてくるんじゃないかとは思っていたが、精々が問題の難易度を上げるくらいだろうという考えは甘かったらしい。まさかこんな自分の権力をフル活用した規格外の一手を打ってくるなんて……!
「……E組の君はそうじゃないだろう? 変更された範囲もそうだが、変更前だったとしても成績は怪しかった筈だ」
浅野君の声で現実に戻る。
「だから、僕が直々に教えてあげよう」
「―――え?」
「今から数時間と明日の放課後、E組校舎でも勉強出来るよう課題も出す。そうすればテストの結果が悲惨になるという事は無い。
「いや、ちょ」
「まぁ君が着いて来れるならというのが条件だが、そこに関しては心配していない。記憶に穴があったとしても地頭の良さは変わらないだろうから――」
「ま、待って。待ってくれ」
自分の計画を淡々と話す浅野君の言葉を両手を突き出して遮る。話の流れが速すぎて着いて行けない。
「……何かな?」
「その、意味が分からない。本校舎の生徒の君がたかがE組の生徒一人にそこまでする理由は無いだろう?」
「理由ならある」
「……何?」
「君に、本校舎に戻って来てほしいからだ」
「――――――」
……は? 本校舎に、戻る?
「戻れるものなのか?」
あ、ズッコケた。
「……そこからなのか」
「……その。なんか、すいません」
「いや、いい。君がどこまで覚えてるのか確認を怠った僕のミスだ」
そう言って、浅野君は本校舎復帰の説明をしてくれた。
E組は特別強化クラスという名称の通り、主に成績不振の生徒が集められる。つまり逆に言えば、成績が優秀ならE組にいなくてもいいという事だ。
自分の成績が優秀だと示す……つまり、一学期と二学期で合計四回あるテストのどれかで上位50位以内に入り、元のクラスの担任が復帰許可を出せば本校舎に復帰できるらしい。担任の許可が必要というのは、成績不振でなく素行不良の生徒かどうかを判断するためだろう。
成程。これなら、さっきの「救いに来た」という言葉の意味も分かる。劣悪な環境から整えられた素晴らしい所へ、その為に力を貸す。救い出すというのは文字通りの意味だったという訳だ。
「……うん。復帰の仕組みは理解した」
確かにそういう事になっているなら、私を本校舎に戻したい浅野君が勉強を教えると言ってきたのも納得できる。
だけど、理解が出来ない。
「でも、何で私なんだ?」
結局のところ、私の疑問はこれに尽きる。E組から一人復帰させたいというのがこの一連の行動の理由なのだとしたら、別に私じゃなくても良いはずなのだ。
「さっきも言ったけど、情状酌量の余地だよ」
「……はぁ」
「岸波さんは事故で長い間眠っていて、目を覚ましてからもリハビリ生活で勉強の時間なんて無い。それに加えて記憶の欠落だ。こんな状態で確認のテストを受けたとしてもE組行きは確定的だろう。新学期が始まる前だったからとはいえ、もう少し時間を置いてから確認を行うべきだった。
……E組行き確定の状態でテストを受けさせられたんだ。それが個人の不勉強ではなく事故が原因。なら、復帰に対して助けがあってもいいだろう?」
そう言って浅野君はいつの間にか来ていたコーヒーのカップを口元へ運んだ。話は終わりという事だろう。
彼の説明には穴は無い。あの時はそういうものなのだと思って言われるがままだったが、言われてみれば確かにと思う。もう少し記憶に関して調査をしてからテスト問題を作ってもおかしくは無かったし、何ならそのまま進級して、不足している学力は放課後の個人授業とかでも大丈夫だったろう。あの大幅に変わった出題範囲を教え切った理事長なら、一月か二月もあれば合間の時間で授業を行っても間に合った筈だ。
なのに私には理不尽に確認テストが実施されてE組行き。望んだわけでも無い事故が原因で劣悪な環境に押し込まれているという事であれば、成程、確かに情状酌量の余地はあるのかもしれない。
「―――他にも、何か理由があるんじゃないのか」
だがそれでも、『私』を助ける理由は無い。
事情があってそれを考慮するべきだというのなら、他にも考慮に値する人はいるだろう。
例えば磯貝君。彼がE組行きになった理由は成績ではなく校則違反で、禁止されているアルバイトをしていたせいだという。だがその理由は家計を助けるためであり、遊ぶ金欲しさなどという浮ついた理由ではない。世間一般では美徳とされているような理由だ。それで成績が落ちていたわけでも無いのだから、考慮の対象には十分含まれてくるだろう。
例えば中村さん。成績は多少低下していたらしいがそれでも本校舎に留まれる範囲で、E組行きの理由は素行不良だ。髪型や制服、教師への態度や出席日数が関係しているらしい。それらを徹底的に矯正するよう促せば何も問題は無いだろう。
他にもテストを弟の看病で欠席せざるを得なかった矢田さんなど、情状酌量の余地がある人はいる。その中で何故私が選ばれたのか。それにも何か理由がある筈だ。
そういう考えを込めて視線を向け続けていたら、ほんの少しだけ目を見開いた後、浅野君はカップを置いた。
「……あぁ、あるとも」
君が眠る前の話になる。
そう前置きした後で、浅野君は説明を始めた。
◆
「今僕が本校舎で何て呼ばれてるか、聞いた事があるかい」
「いや、それも無い」
「……『五英傑のリーダー』。そう呼ばれている」
「五英傑……?」
何、その去年の夏に調子に乗って付けたみたいな名前……?
「五英傑は、僕と各教科のスペシャリスト四人を合わせた呼び名だよ。僕は他の四人を束ねる立ち位置にいる。因みに担当教科は僕が全般、他の四人は数学以外で一教科ずつだ」
「へぇ」
どうやらグループの名前らしい。各教科のトップに君臨する生徒……つまり成績絶対主義の本校舎における最上位の存在で固まってるという訳か。それで五英傑と――あれ?
「全般って、浅野君が数学担当じゃないのか?」
今の説明だと、浅野君だけ他の四人と担当が被っている。数学以外も得意だという意味でそう言ったのなら、自分の担当は数学だとハッキリ言うはずだ。なのに口にした言葉は全般。
某ゲームで言うなら、四天王とチャンピオンが纏めて五人組にされてるようなものだろう。
「あぁ、本来なら、僕は五英傑じゃなくてその上にいる頂点だからね。五英傑の一角を兼任している今が可笑しいんだ」
うわぁ、上にいるのが当然とかいうエリート発言。普通こんなこと聞かされたらどうかと思うが、この世の全ては我の物とかいうこの人以上の傲慢なお方を知ってるので特に気にならない。
「だから、五英傑は本来もう一人いる。……君だ、岸波さん」
「え?」
……は? 何、私が五英傑……?
「あの事故が無くて無事に本校舎で三年になっていたら、君に数学の席に座ってもらう予定だった」
そこから浅野君が語ってくれたのは、彼から見た
何でも私はあの問スターがひしめく椚ヶ丘のテストにおいて常に成績順位一桁をキープ、多少の浮き沈みはあったものの、今現在他の五英傑となっている四人と鮮烈な二位争いを繰り広げていたらしい。中でも数学の成績は97点以下は取った事が無いという程の好成績で、一度は浅野君と満点で並んだこともあったという。
どうやら以前の私は相当優秀な人物だったらしい。確認のために理事長が足を運んだのも何となく理解できる。しかし、という事は私も今の本校舎の生徒達みたいに当時のE組を嗤っていたんだろうか。そう考えると嫌になる。
「目が覚めたら本校舎に戻って来るだろうと思っていたんだ。しかし眠っていた時間は予想以上に長く、そしていざ目覚めてみれば――」
「――E組行きになった、か」
「そうだ」
頷く浅野君。話は終わったとでも言いたいのか、再びゆっくりとカップを傾けた。
「……ふむ」
少し考える。
話を聞いて、『私』を本校舎に戻そうという行動の理由は理解できた。五英傑を再結成、ないし再出発させる事であるべき形に戻したいのだろう。それで何がしたいのかは不明だが、彼の中で外せないものなのかもしれない。
他の人を組み込めば私を救い上げるなんて手間は必要ないのだろうが、本校舎に彼が求める水準に達している生徒がいないという事だろう。
「……さて、長々と話してしまったが、理由も理解してくれたところで本題に戻ろう」
前のめりになっていた姿勢を正して浅野君が言う。特に乱れてはいなかったが、つられて私も座り直した。説明も全て終わり、彼の目的も理解した。なら、後は思った事を告げるだけだ。
「優秀な成績を取ってA組へと返り咲き、君の居場所を正しい形に戻す。そのために協力するよ」
「すまないが、その話は受けられない」
◆
ピタリ、と。握手のために差し出したであろう手が止まった。先日の理事長を思い出す。
「――――なん、だって?」
「その話は受けられないと言った。私は本校舎に戻るつもりは無い」
E組を出る。それはつまり暗殺教室を辞めるという事だ。殺せんせーを殺すと決めた私にそんな事は出来ない。それに暗殺教室の説明を烏間先生に聞いた時に言われたのだが、国家機密漏えい防止のために、暗殺教室を離れる生徒には記憶の改竄処理が施されるらしい。記憶の処理がどういったものなのかは不明だが、頭の中身を覗かれる様なものだろう。色々と隠し事がある私はそんな事をされるわけにはいかない。
「……何故?」
「E組でやる事が出来た。途中で投げ出すのは性に合わない」
「……E組で出来るような事は、全て本校舎でも出来ると思うが」
「いや、E組でしか出来ない事だ」
「それは、何かな?」
そう問われて、少し言葉に詰まった。ここで暗殺の事を話すわけにはいかない。殺せんせーの事は当然ながら国家機密。他の生徒は家族にまで箝口令を敷かれていると聞いているし、部外者に話すなんて以ての外だ。
なので、もう一つの理由を話す。
「理事長への反抗」
ピクリと浅野君の眉が上がった。言葉は発さずにそのまま腕を組み、機を窺う猛禽の様な目がこちらを向いている。続けろという事だろう。
「……以前の私がどうだったかは知らないが、今の私は底辺が逆らう事は許されないという椚ヶ丘のシステムを良く思っていない。だから反抗する」
「それは本校舎に戻るという形で達成できるだろう」
「出来ないよ」
浅野君の反論を跳ね返す。
確かに本校舎に戻る、つまり成績50位以内に入るというのは底辺の反逆だろう。一番下の人間でもここまでやれるのだという証にはなる。
だがそれだけだ。そこで本校舎に戻ってしまえば私は本校舎の生徒になる。強者のルールで生きる上位の人間になるのだ。その後のテストでいくら好成績を出したとしても、それは『五英傑なら当然の結果』であり、底辺が逆らう事ではない。復帰のシステムにあやかった、ただの上位者だ。
底辺でも逆らうという抗戦の構えを見せるには、自分自身が底辺にい続けた上で逆らわなければならない。身分制度を廃止して平等になろうと貴族が主張した所で、その利を貪り続けている時点で説得力は無くなる。それと同じだ。
そういう説明をすると、浅野君から返ってきたのは軽めの溜息1つだった。
「……僕は理事長からすべてを支配しろと教育されてきた。だからいずれあの人の事も支配する。
その時僕の手足となって行動したのなら、あの人への勝利は君の功績でもある。それじゃあ駄目だと言うのか」
「……あぁ、論外だ」
きっぱりと拒絶の意思を告げる。長々と続いてしまったが、話はこれで終わりだ。
先程よりも深く長い溜息が返ってくる。呆れと怒りが混ざったようなそれの主は、理解不能と書かれた顔でこちらを見ていた。
「……解からないな。何故、弱者で居続けようとするんだ」
「こっちにはこっちの都合があるんだよ。
……出題範囲の変更を教えてくれたことは、素直に感謝する」
これに関しては正直に感謝を告げておく。これが無ければテスト当日は散々な結果に終わっていた事だろう。この量を明日一日で全員が詰め込む事になるが、問題無いだろう。何せ今年のE組には、
そうかと呟いて浅野君が席を立つ。伝票を持っていかれたので自分の分を出そうとしたが、別にいいと跳ね除けられてしまった。
「僕に着いて来ないなら君も敵だ。……僕に従う道を選ばなかった事、いつか後悔させてあげよう」
その言葉を最後に、浅野君は私の前から遠ざかっていく。さっさと会計をすませて帰ってしまった。
「……後悔、ね」
そんな事する筈が無い。
私がやると決めたのは殺せんせーの暗殺で、私が逆らうと決めたのは理事長だ。この二つの条件を満たすならE組に留まるしかない。どちらも自分にとっては譲れない事で、自分で選んで決めた指針だ。後悔なんてしない。
そして何より、私がついて行きたいと思ったのは
「とりあえず、殺せんせーに報告だな」
呟いて、すっかり飲むのを忘れていたカフェオレに口をつける。中の液体は、もうすっかり冷めきっていた。
念のため言っておくと、浅野君に白野への恋愛感情はありません。
「以前から目を付けていた優秀な人物が理不尽な理由でE組行きになったのを助ければ忠誠心の高い駒を得られるかも」くらいの考えです。しかしはくのんには通用しない。
本能寺が復刻されましたね。ノッブに一目惚れしてFGO始めたはいいものの開始時期が四章実装辺りだったので配布と知って絶望してた私としては、やっとカルデアにお迎え出来てよかったです。沖田さんも欲しいけど多分出ないだろうなぁ。
次回でテストも終わらせて、一気に修学旅行まで進みたい所です。