最近、彼女の日常は劇的に変化した。
彼が来てから。それは突然だった。
私だけではない職場全体が浮き足だっている。
その原因はラウンジに座っている彼だ。
見事な金髪をなびかせて座る彼はそれだけで絵になる。
最近は一種の名物になっている。いや名物人か。
なぜかというと彼はここ最近ずっとここで本を読んでいるからだ。
それだけで?と思うだろうがその量が半端ではないのである。
目の前にある大量に積まれた本の山がそれを物語っていた。
ここはガリア国立文献資料図書館。
ガリア国内の多種多様な書物が収容されている。
中には貴重な資料まで。
私はそこの役員の一人として働いている。
貴重文献を扱うといえば聞こえが良いが、お堅い職場だ。
出会いなんて考えるまでもない。
ほぼ皆無。
そんな時に現れた金髪の君(職場内で呼んでる)
色めき立たない訳がないのだ。
当初はその容姿が目を惹いたが、今では彼の際限のない知識欲に話題が持ちきりだ。
朝からふらりと現れては館内の本を片っ端から手に抱え、お気に入りの屋外ラウンジの席で、それらを読み耽る。
これが1セットだ。彼がすごいのは朝から晩にかけて読むのではなくものの数時間で本の山を読み終わると、次の棚を物色し始める事だ。
これを1日で3セットする事もある。
あまりの早さに内容を理解しているのだろうかと疑問に思い、何度か質問をしたことがあった。
私が話しかけたかった訳ではない。
驚く事に彼は全てを暗記していた。
しかも彼独自の視点から語られる本の内容は新鮮で、それだけで一日中聞いていられる程だ。それ以来、私達はこの類稀な愛読家が来るのを楽しみにしていた。
今日も彼は昼ごろには1セット目の山を読み終えた。
このタイミングでお茶を出す。
「今日もお疲れ様です、どうぞこれ」
「ん?これはすまない、ありがとう」
「いえいえ〜お気になさらず。それにしても凄いですよね、今日は何の本を読んだんですか?」
感謝された事にテンション上げつつ、何を熱心に読んでるのか聞いてみる。
「今日もガリア公国の歴史についての勉強です、興味深い歴史ばかりなので、ついつい読み耽ってしまいました」
「良いんですよ、このご時世ですから、こういう時間は大切ですよね。それにしても、ガリア公国の歴史に興味がおありなんですね、例えばどのような事に?」
おすすめを後でピックアップしておこう、用意してさし上げれば私の評価は鰻登り間違いなし。
そのつもりで聞いたところ彼はジッと私の目を見る。
な、なにかしら。まさか私に惚れ!?
なんて事を考えていると彼は微笑み。
「いえ何でもありません、そうですね俺が特に気になるのはランドグリーズ大公家とヴァルキュリアの伝説に関してです」
「大公家とヴァルキュリアの伝説!私も好きな題材です、やはりガリア公国と言ったらですよね!」
「え、ええ、お詳しそうですね?」
「はい、大学時代は卒業論文の題材にしたほどです」
金髪の君の目が光る。わ、かっこいい。
「ではあのランドグリーズ家の噂は本当なのですか?つまり彼らがヴァルキュリアの血を引いているという」
「それは確かにそういわれていますが、確証はありませんヴァルキュリアなんて御伽話の存在ですから、ですが何かしら関わっている事は確かです、過去の文献や遺跡を見ても彼らは確かにいた、なら古い歴史をもつランドグリーズ家がヴァルキュリアの血を引いていてもおかしくはない」
全ては歴史の謎に包まれている。私が大学で調べていた時もランドグリーズ家に関する資料は少なかった。三世紀から存在して千四百年以上もの歴史をもつ家だか当時の文献は紛失していて残っていないのだ、残っているのは当時の遺跡だけ。
そういえばバリアス砂漠には当時の遺跡跡が多く残っているという。今は帝国に占領されているらしいが、あるいは考古学者なら、他にも知っているかもしれない。
そう伝えると彼は成程と腕を組み考えに耽る。
彼が何を知りたいのか興味は尽きない。できれば朝から語り合いたいものだ。なんなら夜まで。
「あ、あのもし良ければ、これから私と食事でも」
「すみません妻を待たせていますので」
妻と言う言葉に後ろから悲鳴が上がる。きっと皆聞き耳を立てていたのだろう。ぶっ倒れる者までいた。当の私は放心して声も出ない。
彼は不思議そうに首を傾げ、そして美味しそうにお茶を飲んだ。
ラインハルトの宣言により発動した計画、
それにより首都ランドグリーズの日常が劇的に変化した、という事はなく。何事もないように翌日、その翌日も特に何かが変わった予兆はない。
あれから優に一ヶ月が過ぎようとしていた。
その間、ラインハルトが何をしていたかというと、取り憑かれたように本を読んでいる。
それだけだ。もっと積極的に動くと考えていたイムカからすれば肩透かしだ。あれ以来、またラインハルトと二人きりで夫婦の真似事をしている。それが嫌な訳ではないが身体が鈍ってしまわないか心配だ。
今日もラインハルトに付き添って図書館に来ていた。
読書に興味はない。
暇を持て余し館内を散歩する。
それがイムカの今の日課だ。今日も今日とて本の背表紙を意味もなく眺めていると、あのぉと声を掛けられた。
眼鏡をかけた青年だ。しかも同じダルクス人だった。
「こんにちは初めまして同郷の人がいるなんて珍しいですね」
「誰?」
そっけないイムカの態度に、青年は苦笑する。
「あはは、そんな顔しないで僕の名前はヴァン、気軽にVと呼ぶ人もいます、よろしくお願いします」
「イムカ」
「イムカさんと言うんですか良い名前ですね、ガリア人ですか?」
「違う、連邦から来た」
「ああ、どおりで」
首都に来てイサラ以外のダルクス人と喋るのは珍しい。
というか初めての事だった。
何故かというとダルクス人の多くは壁外に立てられた難民キャンプにいるからだ。無論ダルクス民族だけではない、国内の過半数を占めるガリア系民族もだ。帝国軍から逃げて来た人々が続々と首都に到着しているが、その多くを収容できる余裕がランドグリーズには無い。
急遽、壁外の埋立地を活用しているがそれも長くは保たないだろう。
ガリア公国の新たな社会問題になりつつある。
そういった理由からこのヴァンという青年も外国人である可能性は高かった。
「外国人のイムカさんから見て、このガリアという国はどうですか?」
「どうって何が?」
「良い国だと思いますか?」
問われて思案する。
この国に来て色々とあった、ダルクス人に対する差別や偏見は存在する、正規軍と義勇軍の対立といった問題もある。他国と同様多くの問題を抱えている、だがそれでも。
「良い国だと思う、他国と比べてもガリアは安定している」
イムカは肯定した。
本心からの言葉だった
色んな問題を受けても、それでも諦めず対処しようとする人達がいる事をイムカは知っている。
だから良い国だと思う。
「本当にそうでしょうか僕はそうは思いません」
しかしヴァンはそう思ってないようだ。首を横に振り、
「イムカさんは安定と言いましたが僕にはこの国が嘘をついているようにしか見えません」
「嘘?」
「見てくださいよ、この壁内にいる人達を。戦争しているというのにまるで自分達は関係ないとばかりに振舞っている、外で何が起きているかも気にしない、そう見えませんか」
確かに壁内は戦時とは思えない程に平和的な雰囲気が広がっていた。
「金を払えば衣食住が保証される壁内、片や璧外では腹を空かせた人々が大勢いるというこの状況を彼らは見て見ぬふりをしている」
「それは土地に余裕がないから」
「知っていますかこの街の空き家の数を?全て入れれば難民キャンプの半分は補える事でしょう、宿屋やホテルにも未だ空きはある、余裕はあるのですよ、そう金さえ払えばね」
高級ホテルの一室を借りているイムカからすれば身につまされる思いだ、イムカはこの一ヶ月なに不自由なく生活していた。本来であれば自分も璧外で生きる側の人間だ。
ラインハルトがいなければ今頃は私も。
「だからこそ僕はこんな世界を変えたいんです。ああ、すみません初対面の貴女にこんな事を言うなんて僕の悪い癖だ、同じ境遇のダルクス人を見るとつい、謝罪も込めて食事でもどうでしょう?」
「いや、いい、夫がいるから」
「そうでしたか、それは重ね重ね失礼しました」
「ダルクスの事を考えている同胞と会えたのは嬉しい、皆で力を合わせればダルクス人もガリア人も助けられると思うから」
「そうですね、つまり僕達は同志ですお互い夢をもって生きていきましょう、そうすればきっと偽りのない世界を創れるはずです」
「そう応援する」
世界を変えたい。
何だか大仰しいなと思いながらもイムカは頷いた。
こういった大言壮語はダルクス人らしくはないが、イムカは嫌いではなかった。ヴァンほどではないが自分にも身に余る大望があるから。
それから暫く話をした。ヴァンはもう少し首都に滞在するらしい。また会う約束をして別れた。正直また会えるとは思っていなかったが。
しかし意外にもイムカはまた彼と再会する事になる。
後に7月事件と呼ばれる、その最中で。
それがまさかガリア公国に激震を走らせる事になるとは、この時のイムカには知る由もなかった。
「お〜いイムカ帰るぞ」
「分かった今日は早い?」
「なんか知らんがカード貰った、これで好きなだけ持って帰って読めとさ」
「何で今になって?」
「さあ?」