ラインハルトが予測した通り現在、ガリア諜報部は多忙を極めていた。開戦からフル稼働していた訳だが、ここ一カ月と22日は目眩を覚えるほどの忙しさだ。
理由は多々ある、難民の監視、連邦及び帝国のスパイ対策、敵味方入り乱れる諜報戦の数々に、さしものラムゼイ・クロウ中佐ですら音を上げかけた。
目の周りに隈を作っている既に三徹目だ。
「くそっ……手が回らねえ!」
悪態を吐く。いつもの彼らしからぬ苛立った言動に、周りの部下達も驚かない。皆んな疲れ切った表情だ。彼の気持ちが痛いほど分かる。
現在、ランドグリーズを中心に巻き起こっているそれは一カ月前から激しさを見せていた。動きが活発になったと言っていいだろう。難民や連邦のスパイとは明らかに異なる動きをしている。
敵間諜の類が入り込んでいた事は分かっていたが、以前として敵の情報が掴めていない。まるで影を相手にしているような気分だ。
というのも敵が全く情報収集の場に現れないのだ。
まるでこちらを、揶揄っている様な節がある。
こちらを疲れさせるのが狙いか。卑怯な奴らだ。
確実に検挙率も落ちている。
というか件の敵は一度も検挙に成功していない。
そのため諜報部は総がかりで事に当たっていた。
それでも人手が足りないのだ。圧倒的に。
ラムゼイに至ってはリエラを使ってまでいた。
死亡していたと思われたリエラが帰還したのを喜ぶ暇もなかった。
これ幸いとばかりにリエラも巻き込んで首都の清掃活動をさせていた。イムカが見たのはそれだった。
結局それでも埒が空かずネームレスにも手伝わせる為に帰還させる事にした。
そろそろ到着する頃だろう。
この一カ月、優秀な戦果を誇ってきた懲罰部隊422にならもしかすると現状を変える力があるかもしれん。ラムゼイはそう考えていた。
「それじゃあ開けるわよ」
そう言って緊張した面持ちでリエラがゆっくりと扉に手をかける。そこは空き部屋だと思われていた部屋の扉だ。だが夜な夜な誰かの声が聞こえると通報があり諜報員が駆けつけた流れとなる。
その中に一端の諜報員の顔つきになっていたリエラの姿があった。この一カ月で他の諜報部員からも認められて行動を共にしている。
こういう時、率先して前に出るリエラは自然と頼りにされた。
「ーー動かないで!」
突入したリエラが拳銃を構える。シンと静まった部屋。人の姿はない。すぐに警戒を解かず隠れられる場所もない事を確認する。影も形もない。
「……誰も居ないようね」
そこでようやくふぅっと安堵の息を洩らす。
肩の力を抜いて拳銃を下す。ほっとした反面、リエラの顔は優れない。
「また空振りだわ、これで今日だけで三回目だね」
「ああ、そして……またこれだ」
諜報員の視線の先には機械が置かれている。
ボックス型のそれは無線通信機と呼ばれる物だ。
それに付随するようにラッパの形のような機械が取り付けられていた。拡声器だ。しかもかなり高性能な。
ここから夜な夜な不審な音が出ているのだ。調べてみたところ毎回バリエーションが違うらしい。演劇のような声を聞いたと言う者もいれば、朗読するような声を聞いた者もいた。稀に歌声が流れる事もあるという。
共通するのはそれが全て男の声だと云う事だ。
これと同様の物が首都中に点在していた。リエラが確認しただけでも屋内と屋外に7箇所あった。
「……しかし考えたもんだ、まさか空き家を利用するとはな」
「ああ……今のご時世、無人の家はいくらでもあるからな」
彼らが言っているのはガリアの社会問題になりつつある増加する空き家問題。なぜそれが起きるのか、その理由は単純で、その世帯家族は避難しているからだ。辺境の疎開先か主に連邦に逃げている事だろう。
今回、それが敵に狙われた。通信機械の設置場所として。
これが諜報部が後手に回っている要因だ。
家主に許可を取る必要があるからだ。
それが分かっているだけで数千世帯、詳細報告ではもっとあるらしい。数えるのも嫌になる程に。きりがない。
スイッチをOFFにして電源を切る。
「これで今日のノルマは達成だね……」
仕事が終わったリエラはやたら時計を気にする。
今日はいつなくソワソワしている。諜報員がそれを見て苦笑する。事情を察した。
「今日の夜に到着するんだったな?……いいぜ、行ってやりな。後は俺達に任せな」
「でも……」
「リエラは正式な諜報部員じゃないのに今まで頑張ってくれたからな、……今日までありがとう」
「お仲間さん達によろしく」
「みんな、短い間だったけどありがとう」
「もし懲罰部隊から抜けられたら正式に諜報部に推薦させてもらうぜ、アンタ諜報部向きだよ」
何だか涙が出てきちゃうよ。リエラは精一杯の笑顔で彼らに別れを告げた。ありがとう、みんな忘れないよ。
死神と呼ばれたリエラが初めて誰一人失わずに部隊から離れる事が出来た。それがとても嬉しかったのだ。
心が浮かれていたら街道を進む足も軽やかだ。
鼻歌まで歌う。
いよいよ今日は皆に会える。……彼に会えるんだ。
そう思うといつの間にかリエラは走っていた。
彼らのいる宿舎に急ぐ。
そして遠くにあの特徴的な黒の軍服を目視する。
向こうも気づいたようだ。一人の若者が駆けてくる。ずっと会いたかったあの人だ。
「……クルト!」
「リエラ!」
二人が抱きしめ合う。まるで恋人のように強く。
離れていた時間を取り戻す様に。
クルト・アーヴィングとリエラ・マルセリスは再開を果たした。
「よかった!本当に……良かった!生きてるって信じてたっ」
「うん、私も信じてた、また会えるって!」
「っ……リエラ、リエラ!」
「……もしかして泣いてるのクルト?」
泣きながらクルトは笑う。
「泣いてたら……悪いか?嬉しいんだ本当に」
びっくりした。クルトがこんな顔をするなんて。
……悪くない私だけだもんねクルトのこんな顔見れるなんて。誰にも見せてあげないんだから。
ネームレスの仲間達が集まっている部屋の真ん中に置かれたテーブル、その上に例の通信機が乗っている。数は5台。全部リエラが見つけ出した物だ。諜報部からの許可も得ている。
クルトが興味津々で見ている。
「これが報告にあった例の通信機か」
こんな物が首都中に隠されているとはな。見たところ普通の通信機のようだが。
「ほーすごいなこりゃ」
「分かるのか」
「任せなこの俺に」
アルフォンスが前髪をかきあげる。……隊長、俺を誰だと思ってるんだいガリアの隼とは俺のこと。この程度の通信機関係はお手のものさ。
そう言って調べ始める。数分後。
「……あ、あれ?何だこのパーツ見た事がないぞ、おいおいこれは……っ」
なんてこった。迫真の表情になるアルフォンス。
こりゃガリアの隼もお手上げだ。
「隊長分かった事がある」
「なんだ?」
「それは俺でも分からないという事だ」
「そこに座りなさい鞭で叩いてあげるわ」
やばい金髪の女王様に調教される。嬉しいが今じゃない。
これは連邦の物でもなければ帝国のものではない。
全く新しい機構が使われている特注品だ。
これは俺達が考えていた様な帝国の諜報員じゃないのかもしれないな。
アルフォンスは自らの考えをクルトに伝えた。
「どういう事だ?帝国でも連邦でもないだと?」
「そこなんだ隊長、俺もそこが分からない」
これほどの特注品を大量生産するとなると莫大な資金が必要になる。しかも奴さん、これを簡単に放置してるときた。目ん玉飛び出るぜ。無駄が多すぎる。
なぜって、
「コレが受信専用って事だ、交信用ではない」
一方通行にしか使えない。限られた用途だ。
その代わりべらぼうに高品質。恐らくこれは子機で母機と繋がっている今もな。
諜報目的で作られた物じゃない。
どちらかというと軍の指揮系統に使うものだ。
ますます意味わかんね。
「クルトあのね私達はこれをガーゴイルと呼称しているの」
「ガーゴイル?」
リエラが説明する。一月半以上前の事だ。怪しげな声明文が発信された。諜報部は偶然それを傍受する事に成功した。
ノイズまみれの声だったが内容は読み取れた。それが、
「……獅子は一角獣に降り立つ、これより第四フェーズに移行する。オペレーションガーゴイルを始動せよ……か」
獅子と一角獣。確かに意味深な内容だ。
これが首都中に発信されたらしい。
第四段階オペレーションガーゴイルとは。どんな意味をもっているのか。
「諜報部はこの機械がそれに関連するのではないかと考えているわ」
「成程だからこいつを
突如として発せられた声明文。
誰に宛てた者なのかも分からない。だがこれを起点に何かが起こり始めている。諜報部が警戒するのも無理はない。
クロウ中佐も頭を悩ませている事だろう。
クルトにもこれが何の目的に使われるのか見当が付かない。
敵の意図が読めないのだ。
敵は連邦か帝国か、それとも別の勢力か……。
「……恐らく考えるだけ無駄だろう」
「え?」
「重要なのはコレから何が起こるかだ、それを予測し未然に防ぐ必要がある」
「うん、だからこそ諜報部はガーゴイルを一つずつ潰して回ってるよ?」
「……それが敵の狙いだとしたら?」
「どういう事?」
「俺達が疲れるのを待っているんだ、或いは諜報部の目をそらす意味もあるかもな」
そんな、じゃあ私たちの努力は無駄だったの?
必死に首都を駆けずり回ったのに。それが敵の狙い。
もしかして私の頑張りは徒労に終わったのかとしょぼくれるリエラにそんな事はないとクルトは言う。
「君の努力は無駄になったわけじゃない、必ず今回の攻略の糸口になると思っている」
「ほんと?」
嘘じゃない。これだけの数の
信号を受信していないのか、うんともすんとも言わない。緑色の点灯ランプだけが動いている事の証だ。
やがて真夜中になる。疲れたのかリエラ達はうとうとしている。クルトだけが無線機から鋭い目を離さない。そしてーー。
……ヅ、ヅヅ。
来た。待ち望んでいたノイズ音が五台の内の一つから聞こえてきた。信号を受信したのだ。アルフォンスが真剣な表情で周波数を合わせる。
拡声器から流れてきたのは。
これは……歌?
それは美しい歌声だった。
聞いた者はその旋律に切なさを覚える。
なんて悲しみを湛えた歌なんだ。
どこかで聞いた覚えのある旋律に戸惑う。
「……これは……反戦歌だ、第一次大戦に流行った」
ああそうか、だから聞き覚えがあったのか。
アルフォンスの指摘に納得がいった。
子供の頃に聞いた覚えがある。
帝国の芸術家が作曲し帝都で有名な歌手が歌った事で一躍有名になった曲だ。
戦争で死んでいく兵士達を想う歌。
どうしてこの曲なのかは分からない。
しかし意味があるような気がする。これを歌っている男は何を考えているのだろうか。
尋ねてみたいと思った。
この謎の人物が鍵になる、クルトはそう確信した。
理由は分からないが、この歌の主こそが俺達が見つけ出すべき存在だと思ったのだ。
「……え」
ふと気づいた。ウトウトしていたリエラが目を覚まして歌を聴いている。だが何かおかしい、困惑したような表情だ。拡声器を穴が空くほど見ている。
この声をどこかで聞いた事がある、そんな顔だ。
「リエラ何か気づいたのか?」
「待ってクルト、もう少し……っ」
歌声を聞いていたリエラの顔がどんどん確信に変わる。やっぱりそうだ。間違いないこの声を私は知っている。
この声は……。
「……ハルトさんの声だ」
「っな!?」
その言葉にクルトは驚愕する。
リエラと生き別れた遠因であり、俺達が追っていた標的の名前だ。
……まさか、そこに繋がるのか。
クルトの脳内でパズルのピースが次々と埋まっていった。
南の国境、メルフェア市、黒衣の敵による襲撃、一ヶ月半前の首都入り、獅子と一角獣、そして第四段階。
……全ては繋がっている?
国境入りを第一段階、メルフェア市で義勇軍を募り黒衣の敵との接触を第二段階、首都に入ったことを第三段階と考えれば辻褄が合う。
そして第四段階を発令しガリア諜報部を撹乱させている。
「全ての原因に……彼が関わっている」
この騒動の原因を猟犬はとうとう見つけ出した。
クルトは確信する。商会の男ーーハルトこそが犯人だと。それをリエラ達に伝える。
驚きを持って迎えられたクルトの説明、しかし隊員達も納得するしかない。リエラも未だショックを隠せていないが思い当たる節はあった。あのヴァルキュリア達との戦闘を思い出す、頭の片隅にあって隅っこに追いやっていたそれを。
確かにあの戦闘をこなせたハルトは只者ではないと思った。ヴァルキュリアの事も知っていた節がある。
むしろどうして気づかなかったのだろう。ヒントは幾らでもあったはず。
……違う気づきたくなかったんだ命の恩人に対して。
彼が裏切り者のはずがないと信じたかった。
でももう……。クルトの言葉で全てを理解した。
「これから踏み込む?」
「……いや、もう今日からアレが始まる。恐らく彼が動くのはその時だ」
時刻は深夜を回っていた。現在、7月23日。そう連邦との会談が始まるまで24時間を切っていた。
彼が動くとしたら、この絶好の機会を置いて他にない。
「張り込むぞ、彼がクロだと確信できた場合、ーー即時拘束する」
猟犬の牙がついにラインハルトを捉えんと迫る。
ラインハルト「曲名は『時代に咲く花』」