あの日たすけた少女が強すぎる件   作:生き残れ戦線

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二十七話

土くれの壁を這い上がり、手を差し伸べる。

 

「通信機は置いていけ、邪魔になる!」

「ええ、そんな!?」

「時間がない急げ!」

 

重い通信機を背負ったままでは壁を上がれない為だ。自らの愛機を置いていくよう言われて悲鳴を上げるが、直ぐそこまで帝国兵が来ている状況だ。通信兵は泣く泣く重い機械を背中から降ろすと。俺の手を掴んで壁を這い上がる。

 

塹壕から地上に出た俺達を出迎えたのは戦場に響き渡る雷火の声と視覚に訴える暴力的なまでの混沌とした光景だった。

 

遥か前方のガリア軍側からは要塞の固定砲台による榴弾の雨が降り注ぎ、視線を下に向ければ土嚢で固めた陣地に機銃座が置かれ砲手役の兵士が無尽蔵に撃ち鳴らし続けている。自分の得物である突撃銃とは比にならない威力だ。毎秒につき百発以上が放たれているのではないだろうか。そう思わずにいられない射撃の嵐が後方の帝国軍に向かって行く。

帝国軍からは呆れるほどに数の多い重戦車が迫り。大口径の砲撃を浴びせてくる。崩壊した前線に帝国兵士が雪崩をうって入り込んでいるのが見て取れた。まるで巣穴に入る蟻のような光景に。心胆が寒くさせられる。

同時に愕然とした。

つまり、もうこのエリア一帯はお互いの軍の攻撃が交じり合う場所だと云う事だ。

 

戦況は驚くほどに早く移り変わっていた。

 

「走るぞ!味方の着弾エリアが引き下がる可能性が高い!」

 

言った直後にすぐ隣で爆発が起きた。土砂と噴煙が巻き上がる。その威力からして要塞の固定砲台だ。撃って来たと云う事は避難勧告が既に出ていると云う事。見れば前線の部隊は後退し始めている。

 

急がなければ孤立してしまう。その事実にひやりとした寒気が背筋を震わせた。

 

「冗談じゃない!味方の砲弾に殺されてたまるか!」

 

叫びながら戦場のただなかを走り出した俺達の前に塹壕の切れ目が現れる。

 

「跳べ!」

 

狭い塹壕だ飛び越えるのは難しくない。俺と通信兵は同じタイミングで勢いよく跳び。

 

――直後に蒼い光弾が飛んできた。直ぐ横を掠めていった光弾は空に向かって消えていく。

 

咄嗟に下を見ると。あの死神が塹壕の中から紅い瞳を見上げていて、槍の先端が飛び越える俺達に向いていた。

そして確かに俺は聞いた。あの女が不服そうな表情で「外したか」と零す言葉を。

 

「うおあああ!!?」

 

あまりの恐怖に情けない悲鳴が上がる。

.....危なかった。あと少し遅かったら死んでいた。

 

心臓が縮む思いで俺は着地すると全速力でその場を離れていく。

後ろの塹壕が遠ざかっていき。心の底からホッとする。もう大丈夫だ。

なぜかというと。

 

「危なかったが。もうあの通路からはこっちに来れない、せいぜい迂回するんだな!」

 

直接こっちに来れない事を知っていたからだ。塹壕を進むなら敵は迂回して来る必要がある、これで少しは時間が稼げるだろう。

と、思って後ろを振り返れば。

 

―――高い跳躍を見せた銀髪の女が勢いよく塹壕から飛び出し、軽やかに着地するところだった。

 

「.......ハア!?」

 

愕然とする俺の目には確かにあの女の姿が映っている。そして誰かを探すように辺りを見渡し。飢えた野獣のような目が俺を捉えるなり猛然と走り出した。

 

.....俺を追って来ている!?まさか、俺の狙いに気付いたのか!

つまり奴の情報を司令部に伝えに行く、俺の行動に。

奴は自らの驚異を知る俺達の存在を消す気だ。

確かに奴の情報は秘密であればあるほどに効果を発揮するだろう。その行動は利に適っている。

 

「だからって一人で追って来るなんて正気かあの女!」

 

悪態を叫ぶが状況は変わらない。

女はこっちに向かってくる。しかも恐ろしい程の速さで、グングンと彼我の距離は縮まっていく。

......マズイ、このままでは追いつかれる!

 

焦りを覚えた時、前方にガリア部隊を発見した。土嚢に囲まれた陣地で機関銃を撃ち続けている。恐らくは塹壕防衛線3エリアに配備されている機関銃座群の一つだろう。押し寄せる帝国兵を防衛ラインで食い止めるのが彼らに課せられた役割だ。

一切の逡巡もなくアルデンの足は目の前の機関銃座に向かった。

 

あちらもアルデンの存在に気付いた様子で。前線から生き延びて来た同胞に向かって笑みを浮かべている。

途端に俺は叫んだ。

 

「助けてくれ!」

 

必死の形相で声を張り上げる俺の様子に。彼らも直ぐに異変に気づき、俺達の後ろから迫る女の姿を捉える。

衣装から帝国兵と気づき、その接近に驚いた表情を見せるも。すぐさま機関銃座に居据わる砲手に何事か声を掛けると。

遥か前方の帝国兵を屍に変え続けていた機関銃の銃口がこちらに向けられる。より正確に言うなら俺達の背後より近づく銀髪の女にだ。

 

―――そして。

 

小規模の爆発が立て続けに起きている様な発射音を響かせながら機銃から弾丸が射出される。

マグスM3が玩具に思えてしまうような機銃の掃射。第三班全員の一斉射撃を合わせても足りない。遥かに膨大な数のガトリング弾が俺達の横を抜けて、銀髪の女に被弾する。

 

本来であれば事なきを得たと安堵する思いだろう。

だが、俺達の足は一向に止まる気配を見せなかった。

それどころか更に足に力を込めて大地を走り続ける。

 

理由は簡単で。

銀髪の女はこれまでと同じ方法で銃弾を弾き返しているからだ。

つまり中世の騎士の如く盾を構えて機銃の掃射を防いでいる。

一秒で十二発もの弾を吐き出し続ける殺戮兵器をもってしても。女一人の進攻を止める事が出来ないでいた。

唯一の朗報と云えば、銀髪の女の進みが少しだけ遅くなった事ぐらいだ。

しかもそれすら微々たるものなのだから恐ろしい。

機関銃でも奴を倒す事は出来ないというのか....。

 

恐ろしい物見たさに背後に回していた視線を前に戻す。

視線の先では自分達が誇る兵器をあっさりと無力化される光景に固まっている機銃部隊。

 

「奴に銃は悉く効果がない!お前達も早く撤退しろ!」

「だ、ダメだ。許可なく持ち場を離れる事は出来ない!ここが現時点での最重要防衛線だ!」

 

至近まで近づき撤退を促すが部隊の指揮官は首を横に振る。

戦線が崩壊した事で前線が引き下げられ3エリアが今の最前線になっていた。

現時点では後退の許可が降りていない。持ち場を離れる者は厳罰に処されるだろう。アルデンの第三歩兵班は状況的に全滅しているので緊急措置として後退が許されるのだ。戦争後に行われるであろう軍事裁判では厳罰対象外となる。逃亡兵の存在があったかどうかを調べるこの裁判では最悪の場合死罪すらありうるのだ。

 

チッと舌打ちをした俺は敬礼すると、彼らの防御陣地を通り過ぎる。

 

「班長!?」

「今は一刻も早く指令所に向かう。それが最優先だ!彼らには彼らの、俺達には俺達にしかできないことをやるんだ!」

 

見捨てるんですか!っと言いたげな部下に俺は叫んでいた。感情が昂っている。俺にとっても彼らを残して後退するのは苦渋の思いだった。

部下も俺の内心を察したのか悲痛な表情になるがそれ以上何も言わなかった。

黙って俺の後に続く。

 

背後から銃撃の音が鳴り響き。兵士達の悲鳴と鉄を打った鈍い音が反響する。

銀髪の女が接近し槍で立ち回っているのだ。恐ろしい速さで間合いを詰め、機銃部隊の陣地に入った瞬間。縦横無尽に振るわれる槍の穂先が兵士達の血で赤く染まる。

鉄を打った様な鈍い金属音の正体は機関銃座に設置されていた機銃だった。銀髪の女が振り落した槍の一撃によって半ばから破壊されたのだ。

やがて抵抗を訴える悲鳴のように聞こえていた銃声が止む。

周囲に死体の土嚢を築いた銀髪の女は、走る俺達に目線を移した。槍を向けて狙いを定める。同胞を何人も殺したあの青い光の弾をまた撃つき気なのだろう。

恐らく次の攻撃は撃ち出されたら最後。正確無比な一弾をもって、かわす暇もなく俺達は光に貫かれる。さっきのような偶然はもう無い。そう思わせる程の殺意を込めて女は槍に青い光を纏わせている。

しかし。

 

―――その時には俺達はもう逃げ切っていた。

 

「っ!」

 

気づいた女に初めて人間らしい感情の色が発露する。直ぐさま光弾を放つがもう遅い。

 

俺達は目の前の塹壕に向かって飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★       ★        ★

 

 

 

 

 

 

 

「はあ......はあ」

 

何とか女の追撃から逃げる事に成功した俺達は複雑に入り乱れる塹壕の中を走っていた。

駆ける俺たちの表情には疲れの色が濃く表れ、逃げ切れたというのに、俺達は一向に足を緩めることはしなかった。

何としても早く、この事を前線司令部に伝えなければならない。そして直ぐに対抗策を話し合わなければならなかったからだ。

 

今俺たちが居るこの場所はようやく塹壕の半ばといったところだ。塹壕の特性上どうしても迂回しながら移動する事になるので。直線で結べば近くても迷路の如き塹壕内に沿って動けば果てしない程に遠くなってしまうのは自明の理である。文句の一つも言いたいが防衛の都合では仕方ない。

 

後方の指令所が途方もなく遠くに感じながら。前線に向かうであろう兵士達の列を横目に俺たちは後退を続ける。

 

俺も部下もお互い無言で進むそんな時だった。前方からワッと歓声が上がる。

 

見れば前の通路から大勢のガリア軍部隊がこちらに向かって進んで来ていた。

アルデンは直ぐに彼らは自分を含めた他の兵士とは違うことに気づく。明らかな差があった。なぜなら彼らは溢れんばかりに戦意を立ち昇らせ意気揚々とした表情で前線に向かっているのだ。臆した様子は微塵も伺えない。

 

「.......どうやら、精鋭を送るという前線司令部の報告は偽りではないようだな」

 

隊章を確認して、あれこそがガリア国境警備隊が誇る精鋭集団。虎の子たる予備部隊だと理解する。そして少しばかり驚いた。

あの部隊は前線司令部にとってまさに生命線に等しい存在だ。この段階で前線投入するとは思わなかったのだ。

それほどに今の最前線が厳しい状況だと云うことだろうか。

敵の恐ろしさを身をもって実感している俺は察する事ができた。

 

「班長、あの部隊は....?」

 

分からなかったのか後ろから聞いてくる元通信兵の部下に教えてやる。

 

「あれは第八戦闘団だ。ストルデン基地の防衛部隊。この帝国の攻勢で周囲の軍事基地が制圧される中、唯一単独で基地を守り切った精鋭達だ」

 

帝国との初戦において数多くのガリア軍事拠点が落ちる中、あの部隊が守るストルデン基地だけは帝国の進攻を阻み続けた。恐らくガリア国境警備隊の中で最強の部隊だと思う。周囲の基地が制圧された事で後退を余儀なくされたが、自ら殿を務め撤退する他のガリア軍を守り続けた事で証明している。

 

彼ら第八戦闘団の兵装は標準的な軽武装である偵察銃や突撃銃だけでなく。戦車槍や軽機関銃といった高火力な物まで揃っているようで。おまけに火炎放射器まであった。俺が望んでいた万全な装備である。

 

「彼らならば、あるいは.....」

 

あの女を倒すことも不可能ではないのではないか。と俺に一抹の希望を抱かせた。

俺の持つ情報を彼らに託すべきだ。

直感を信じて俺は駆け出すと眼前の部隊に呼びかけた。

 

「すまない。至急、第八戦闘団の団長に伝えたいことがある!団長殿はどこか!」

 

直ぐに返事は戻って来た。集団の先頭を歩いていた男が声を発する。

逞しい肉体を誇る偉丈夫だった。切れ長の目は鷹のように鋭い。背中には大きな槍を担いでいる。対戦車槍だ。

 

「俺が団長のヴァルトだ。君は?」

「4-1第三歩兵班のアルデン・ニケ軍曹です!」

「そうか最前線の.....。戦況は芳しくないようだな、それで伝えたい事とはなんだ?最前線から戻った君の話には聞く価値がある」

 

そうは言うがヴァルト団長の足は止まらず前線に向かっている。俺も彼の横に並び歩きながら、

 

「――最前線には魔女が居ます――」

 

俺はあの女に関する事を話した。

 

銃撃が効かない盾、兵士を殺戮する槍。およそ人間離れした運動能力。高火力による包囲殲滅を旨とする対応策。

俺が知っている事、対抗策を含めて全てを彼に教えた。

俺の話を黙って聞いていたヴァルト団長は、俺の話が終わると成程と頷き。

 

「つまりその帝国軍の女士官はあらゆる銃弾を盾で跳ね返し、逆に原始的な槍で我が軍を壊滅してくる。倒すためには高火力でもって包囲殲滅するしかない.....と」

「そのとおりです」

「俄かではないが信じられんな」

 

たくましい首を横に振るヴァルト。

確かに彼の思いは正しい。俺でさえ他人の口から聞いただけでは直ぐに信じることなど出来ないだろう。

実際に会って話せば分かってもらえるかと思ったが甘かった。

だがここで信じてもらえなければ全て終わる。

 

「事実です。証明できるものは何一つありませんが、誇りあるガリア軍人としての務めを果たす者として一切の虚偽がない事を祖国に誓います」

 

傍から見ていた部下がギョッとする。後で聞いたら俺はヴァルト団長を射殺さんばかりの形相で睨みつけていたらしい。信じてもらえなかったら差し違える勢いだったと。それが功を奏したのか。

 

「.....分かった。信じよう、君の目は仲間を置いて逃げのびた敗残兵の目ではない、抗い続ける事を選んだ兵士の目だ。よく耐えたな」

「は、死んだ仲間達の為にも果たすべきだと.....」

「そうか.....。よし、件の帝国兵に関しては十分に考慮しよう。実は観測班からも蒼い光の報告があったんだ、君の報告とも合致する。まさか帝国の人型兵器だったとはな」

 

実のところ前線から上がる蒼い光の事は、既に前線司令部にも観測班からの報告が届けられていた。

3エリアに設置されている機銃部隊が蒼い光によって全滅させられていると。

だがそれがいったい何の光なのか分かっておらず。帝国の新型爆弾かなにかと審議されていて。

結果それの確認と排除こそが第八戦闘団に命じられた任務であった。

 

「ここで君の報告を聞けたのは我々にとっても幸いだった。我々の任務は新型爆弾の有無を突き止めるのではなく、人型兵器を最優先で排除することか。.....面白くなってきた」

「前線はあなた方に頼みます。俺はこの事を前線司令部と要塞司令部に報告し、正規軍の増援を送ってもらいます」

「それならばコレを持っていくといい」

 

渡されたのは認識票だった。ヴァルトの名前が入ったプレートを首から外して俺に手渡したのだ。

 

「前線司令部の将校とは面識もある、私の名前を出せば君の報告も信じてくれるはずだ」

「ありがとうございます」

「後で返してくれよ?」

「は!」

 

俺は男臭い笑みを浮かべるヴァルト団長に敬礼をすると足を止める。

立ち止まる俺の横をゾロゾロと兵士達が進んでいく、意気揚々と前線に向かって、果てのない列は続く。

 

「.....班長」

「ああ、行こう.....」

 

呼びかける部下に応じて俺は後方に向かって歩き出した。

彼ならあの女を倒してくれると、それが出来なくとも時間は稼げるはずだと信じて。

 

.......後になって考えれば、俺はただ現実から眼を背けたいが為に。その幻想に縋りたいだけだったのかもしれない。そして、あの女の恐ろしさを本当の意味で知っている者は俺を含めて誰一人居なかったのだと。気づかされることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★   ★   ★

 

 

 

それは午後2時05分の時である。

 

未だに変わらぬ快晴の下を走り続けた俺達の視界に一つの天幕が映った。要塞前に設置されている後方指令所だ。

あそこに要塞司令部と塹壕最前線部隊の報告を繋ぐ中継所である、前線司令部が置かれている。

無意識に喜色を浮かべながら。

 

塹壕を抜けて地上に上がった俺達は指令所の前に立った。

ようやく俺達は辿り着いたのだ。

 

ある種の達成感すら覚えながら。ここからが本番だと気合いを込める。

 

――そして、それは起きた。

 

いざ入らんと足を進めようとした時に、唐突に背後の部下が俺を呼びかけたのだ。その声音はどこか呆然としているようで擦れた声だった。

 

「班長....」

「ああ、分かってる。ここかがら正念場だ。上官たちに俺の報告を信じてもらわなければな....」

「違います!後ろを、塹壕の方を見て下さい!!」

 

焦ったような部下の声に訝しみ。どうした?と振り返った俺の目に、悪夢の様な光景が映りこむ。愕然とした俺の口から乾いた声音が漏れ出る。

 

「.....嘘だろ?」

 

俺が見ているもの。それは――光だ。戦場の彼方より迫る蒼い光。

憎しみすら覚える銀髪の女が。その体より迸らせていた死の光。

弾丸の様にして撃ち出していたのを嫌というほど見てきた、しかし、眼前に映るその光は俺が知る記憶とは明らかに違った。まず規模が違う。蒼い光は大蛇の如く束ねられ、遮る全てを吞み込み焼き尽くしていく。

まるで閃光の巨槍。玩具の銃と本物の銃を比べる様な威力の差があり。あの女がどれほど加減していたのかが窺える。

 

何が言いたいかと云うと。

 

それ程に強大な一筋の蒼き光が、目の前の()()の中を突き破りながら真っ直ぐに。俺たちの居る指令所に向かって迫っていたのだ。

まるで複雑に入り組んだ迷路の壁が。ルールを無視するかの如く光に吞み込まれていき。

一本の簡単な道を作っている様な光景であった。

やがて蒼い光は俺の手前で―――つまり最後方である塹壕の壁に当たった所で、消失する。

 

後に残ったのは前線から後方までを繋ぐであろう。恐ろしいまでに最短の通路。死んだ部下の傷口を思わせる切り抜いた様な痕が特徴的だった。信じがたい事だが塹壕内に新たな通路を作ってしまったのだ。前線から凡そ三十分もあれば指令所のある此処までこれるだろう。

ドサリと音が響く。

 

「こんな、こんなことって......」

 

部下の男が膝を折って地面にへたり込んでいた。目には絶望と諦めの色がある。

俺もまた受け入れがたい現実に立ち尽くすのみ。

 

「いったい何があった!?」

 

天幕から数人の男達が現れた。胸章から将校であることが分かる。前線司令部の指揮官だ。

彼らも塹壕に空けられた光景を見て俺達と同じように呆然とする。

だが敵は俺達が落ち着くまで悠長に待ってはくれない。

 

遥か目の先では帝国兵達が、新たに出来た塹壕内の道に入り込み。指令所を目指して進んで来ている。

 

「なんだコレは!帝国の新兵器か!?」

「て、帝国軍が此処に向かって来るぞ!」

「送り出した第八戦闘団は何をしている!?」

 

突然の事態に恐慌する将校達。当たり前だ。送り出した第八戦闘団によって戦線が膠着した報告を数分前に聞いたばかりだったのである。一時は時間を稼げるだろうと見積もっていただけに、王手一歩手前の状態である現在の状況に思考が追いつけていない。

 

状況を全てこの場で理解しているのはアルデン軍曹ただ一人であった。

だからこそ、彼は誰よりも早く冷静さを取り戻す。

 

「前線司令官!要塞前の軽戦車部隊を前に出して下さい!!」

「なにを....君はいったい....?」

「私は4-1第三歩兵班班長アルデン・ニケ軍曹です!見ての通り、敵の攻撃によって塹壕は存在の意味を失いました!一刻も早くこれを塞がなければ、敵は一直線に此処まで来てしまう!なので塹壕に空けられた穴を戦車で塞ぐのです!時間がありません御裁可を早く!」

「わ、わかった....!彼の言う通りにしろ!」

「はっ!」

 

前線司令官の言葉に頷いた指揮官が天幕に飛び込む。司令部に置かれている無線機で戦車部隊を呼びに行ったのだろう。

要塞前にはガリア公国製の軽戦車がバリケード代わりに多数配備されているのである。

 

「それから要塞司令部に増援要請を!もはや我が部隊だけでは守り切れません!正規軍の応援が必要です!」

「しかし、ダモン最高司令官の御命令がある.....」

「もうそんな事を言っている場合ではないでしょう!帝国軍は中央の道から一直線に此処まで来ます!このままでは両翼の前線部隊が孤立してしまう!そうなれば我ら国境警備隊、全部隊が全滅してしまいますよ!」

「っそれは.....確かに君の言う通りだ」

 

確かにソレは十分にありえる。信じがたい目の前の光景を何とか受け入れた司令官の男はアルデンの言葉に頷く。

ようやく落ち着きを取り戻したもう一人の将校が言った。

 

「恐れながら撤退を進言します。正規軍に帝国軍を抑えてもらっている間に全部隊を緩やかに後退させ。要塞内に撤退させるべきです」

「撤退か.....だが要塞司令部が認めてくれるだろうか...」

 

逡巡する司令官の背後から。ラジエーター特有のヴィィイイインと響く稼働音が聞こえてきた。大地をならすキャタピラの音も一緒に。

すぐに音の正体である数両の軽戦車が横を抜けて前に出た。ガリア公国軍が誇る軽戦車だ。

 

指揮官の指示の元に、軽戦車は塹壕内に入っていった。焼け爛れた傾斜を緩やかに下り。

蒼い光によって穿たれた直線状の通路を軽戦車で蓋をする。

そして、押し寄せる遥か先の帝国兵に向かって戦車長の声が響いた。

 

「放てええ!」

 

言下に軽戦車の短砲身から75mm砲弾が放たれる。狙いは見事に前方の帝国兵を目掛けて被弾した。直撃こそ免れたが帝国軍の行進が止まるのを遠目で確認する。

 

「どうやら我が国の軽戦車は敵重戦車こそ破壊する力はないが帝国兵の動きを封じることは可能なようだな。これで時間を稼げればいいが」

 

自嘲とも取れる言葉を呟き、ため息する前線司令官の男。場を紛らわせる為の彼なりの冗談だったのかもしれないが、あいにく俺は笑ってやることは出来なかった。

 

「決断は急いだほうがいい。奴が来る前に。取り返しがつかなくなる前に!」

「奴とは何のことだ....?」

「帝国の新兵器です。恐らくこの現状もその兵器によって起こされた事でしょう、目の前で確認して来たから俺には分かる。ヴァルト団長も信じてくれました、彼らが時間を稼いでくれている筈です。第八戦闘団が負けて奴がここに来れば俺達の負けと言うわけです」

 

ヴァルト団長が預けてくれた認識票を見せて前線司令官に説明する。

 

「確かにそれはヴァルトの物だな。そうかあの男が.....。分かった。君達の進言を取り入れよう。全部隊を後退させ、要塞内に撤退させる.....。ディゼロ、無線を」

「どうぞ閣下」

 

ディゼロと呼ばれた士官が無線機を差し出す。天幕内に設置されている専用の通信機械からコードが引いてあった。

 

「前線司令部より要塞司令部に通達する、応答せよ。作戦の変更を求める」

 

流石に司令部専用の通信だからか返答は直ぐに来た。拡声機から綺麗な音声が流れる。

 

『こちら要塞司令部。先に状況を説明してくれ、前線では何が起きている。こちらからも確認しているが把握できていない』

「分かった。.....帝国の新兵器によって塹壕が破られた。信じがたいが敵は要塞前までの最短距離を掘削しやがったんだ。今も帝国兵がこの指令所を目指して進んで来ている。このままでは防衛しきれない、戦車による緊急策を取っているが突破されるのは時間の問題だ。ゆえに前線司令部は撤退を求めるものとする、要塞司令部には撤退許可と正規軍の応援要請を願いたい」

『っ!?待ってくれ、一介の管制では判断しかねる。審議する上、暫し待たれよ』

「了解した、急いでくれ」

 

そこで一旦通信が終了する。同時に力が抜けるのを感じた。

周りが何事かと驚くが、俺は笑みを浮かべて。

 

「....俺に出来ることは全てやり遂げたぞ、みんな」

 

俺の無能によって死なせてしまった仲間達に向けての言葉を呟いた。

....これで少しは彼らに顔向け出来るだろうか。

そんな思いで感傷に浸っていた俺の前に―――死神は現れる。

 

少しばかり前方、塹壕内に入り込んでいた軽戦車が帝国兵に向かって突っ込んでいた。

軽戦車の高い機動力によって逃げる暇もない帝国兵の眼前に迫ると、軽戦車は機能の一つである機銃の掃射を行う。瞬く間に敵兵を掃討していた軽戦車だったが、一人の影が躍り出た。

忘れようはずもない姿、あの銀髪の女だ。

 

軽戦車の機銃は現れた銀髪の女に狙いを定め、勢いよく撃ち出すが女は盾を前にして防ぎ。機銃が止むと見るやいなや大地を強く蹴り跳び上がる。怪鳥の如く空中を舞うと、槍を逆手にして軽戦車の上に落下する。

着地した瞬間を狙って銀髪の女は槍を軽戦車の装甲板に突き刺した。甲高い金属音が鳴り響き、次の瞬間グサリと突き刺さる。なんと銀髪の女は軽戦車を大地に縫い付けるかのように深々と槍を突きいれ、串刺しにしてしまった。そしてもう用はないとばかりに、

 

――軽戦車の上からトンと軽やかに飛んだ。残された軽戦車の損傷は甚大のようで。まったく動かなくなり、銀髪の女が離れると呼応するかのように爆発した。

 

その光景を見ていた部下から悲鳴が上がる。

 

「アアッ!?あいつが来る!ここに来るうウウウウウ!」

「なんだアレは!?本当に人間なのか!」

「ありえないだろ!?俺は夢でも見ているのか!?」

 

槍を武器に女兵士が戦車を破壊する。意味不明なデタラメな光景に驚愕する司令官達。

信じられない。いや、信じたくないと現実を拒否するが。

そうしている間にも、銀髪の女は次の得物に狙いを定めていた。飛び上がりの滞空が終わらない内に、爆発した軽戦車の後ろを追随していた別の軽戦車に槍先を向けて。

既に槍身に込められていた蒼い光を放出する。

厚い装甲を破り光の柱が軽戦車に突き刺さる。途端に――飛散する鉄の残骸。一瞬前までは軽戦車であった成れの果てがモクモクと黒煙を上げて沈黙する。

 

「要塞司令部からの許可はまだなのか!」

「!......っき、来ました!要塞司令部から通信です!」

 

慌てた様子で副官の将校が連絡を取ろうとする。それに合わせたかのように要塞司令部から通信が送られて来た。

俺達を絶望に叩き落す無慈悲な報告が。

 

『.....要塞司令部の審議を伝える。常駐将校による合議の下、撤退を賛成することになった』

「おお!」

『だが!.....ただいま最高司令官の不在により、それを受理できない状況にある。結果すまないが前線司令部の撤退を許可できない』

「なんだと!?どういう意味だ!なぜダモン司令官が不在なんだ!?ならば正規軍の応援はどうなる!」

『今現在、確認をとっている。すぐにダモン将軍の許可を取るので、今少し待ってくれ。許可がない場合、正規軍も動かせない』

「ふざけるな!もう敵はすぐそこまで来ているんだぞ!両翼の部隊はまだ後退すらできていないというのに!」

 

要塞司令部ではダモン最高司令官が不在という、ありえない状況が起きているらしく。増援を出すことも撤退を許される事もない報告に激怒する前線司令官。声を荒げて抗議するが結局は、

 

『すまない、一介の管制に過ぎない私ではどうすることもできない。せめて君たちの幸運を祈っている』

 

それを最後に通信は終わる。

 

誰も言葉を発せない。絶望と怒りと困惑が俺たちの周囲を渦巻いていた。

 

俺もまた動く気力すら湧かなかった。

 

もう俺には何も出来る事がない。それが分かっているからだ。

 

分かっていることは一つだけ。

 

それはガリア公国軍から国境警備隊が消え去るということ。恐らく組織図ごと名前が失われる事になるだろう。

 

少なくとも俺の名は其処に無い筈だ。

 

――なぜなら、

 

蒼い光が目の前の軽戦車に直撃して爆散する。四散したラジエーターの青い光がキラキラと輝いていて。

そして俺達の前に一人の影が舞い降りる。

 

「前線司令官とその将校達がお揃いとは都合が良い―――ん?お前は先程のガリア兵か。また会うとは奇遇だな」

 

――そう。なぜなら俺はここで死ぬからだ。

 

 

 

 

 








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