あの日たすけた少女が強すぎる件   作:生き残れ戦線

38 / 105
三十七話

―――7年前

 

東ヨーロッパ帝国の主城、黒真珠の間。

 

国内最大級の貴族の交流場に相応しく、豪華絢爛な作りの広大な部屋。威容な活気に溢れたそこでは多くの貴族たちが酒杯を片手に楽しんでいた、位の低いも、高いも関係なく。

それが古来からの習わしだからだ。

今宵は帝国の勝利を分かち合う為に、誰もが喜びに湧き上がっていた。

 

そんな中、貴族たちの目から離れるようにして、

静かに饗宴の様子を眺めているのは今夜で十五歳を迎えるセルベリアだ。

壁際に寄り添うよう佇んでいる軍服姿の彼女は、ちょうど子供から大人の体に成っていく段階にいた。可愛さと凛とした美しさがあり、誰の目から見ても溢れんばかりの魅力がある。

 

事実、人目を避けようとして隅にいたのに、何人もの貴族の男達が少女の方を見て、その可憐な佇まいに感嘆の息を漏らし。何とか話せないかと目線で機会を窺っている。

 

そんな視線を煩わしく感じていたセルベリアは、

時間が早く過ぎ去れば良いのにと思っていた。

この無駄な時間がいつ終わるのか。それを知りたくても、この会場には時間を刻む物が一つも置かれてはいない。

時間を忘れて楽しんでほしいと云う運営側の意思なのだろうが、今はそれが苛立たしい。

いや、あるいは時間を知ればその進みの遅さに怒りが湧くかもしれなかった。

 

それほどにセルベリアは今、虫の居所が悪い。

出来る事なら直ぐにでも広場から外に駆け出して、ベットに横たわる少年の元に向かいたかった。

だけどそれは許されない。

 

彼の名代として招待状を受けた以上は、眠っている彼の面目を潰さないよう努める必要がある。

 

......だからといって、積極的に彼らと交流する気にはなれない。

 

そう思ったセルベリアは奇異の視線を鬱陶しく感じながら、目立たないよう壁の花となっていた。

願わくばこのまま時間まで、誰からも声を掛けられたくはなかったのだが、

思いとは裏腹に近寄る影が複数。

 

「初めまして美しいお嬢さん」

 

セルベリアと大して年は変わらないくせに、そんな口上で話しかけてきたのは貴族風の若い男。

世の中の全てに甘やかされて生きてきましたとでも言う様な軽薄な顔つきだ。芯の弱さを感じさせるひょろりとした体格も相まって滲み出る胡散臭さを隠せていない。後ろには二人の貴族を手下のように背後に控えさせている。位の高い者が低い者を引き連れる、典型的な貴族社会の図だ。そういう所は大人も子供も変わらないということか。

 

変なところで感心していると、男はセルベリアを無遠慮に眺めて言った。

 

「見たところ軍服姿のようだけど、ホントに戦争軍人してるわけじゃないんだろ?そういうのが好きなんだね。僕は帝国士官学校の学生でもあるから、君と話しが合うんじゃないかな。高貴な者同士よければ僕と話そうじゃないか」

 

セルベリアの軍服姿を只のドレスコードだと勘違いしたのか、自信満々に話しかけてきた。

ハズレである。

少女は先の戦争で既に初陣を飾っている。

趣味で面白半分に着飾る貴族令嬢とは訳が違う。セルベリアの男に対する好感度は地に墜ちた。

 

そもそもである。帝国士官学校と云うと、長年、優秀な士官を輩出してきた歴史ある学校だ。

セルベリアの中では士官候補生とはこうあるべきという理想の像が確固なものとして存在する。

金髪に蒼氷色の瞳をもった精悍な男の姿がだ。

さらに言うなら士官学校に在籍する身としては、本当にこの男が士官候補生であるかすら疑わしい。

 

「私は軍人だ、貴族でも何でもない。貴方とは話が合わないだろう、だから私に構わないでほしい」

「貴族ではないのかい.....?」

 

セルベリアが貴族でない事に驚いた様子を見せる。やはりセルベリアの事を貴族の娘と思っていたのだろう。何事か考えると嫌な笑みを浮かべた。上から見下すような目付きに変わる。

 

「なら話が早い......ああ、僕の名前がまだだったね。僕の名前はフレーゲル、君とは違ってれっきとした貴族さ、父は男爵なんだ。凄いだろ.....どうだい、気が変わったんじゃないか?」

「.....?」

 

いったい何を言っているんだこいつは?という目で見るセルベリア。

父親が男爵だからなんだというんだ。私が爵位に魅かれて尻尾を振るとでも思ったのか。

これ見よがしにため息を吐いて言ってやった。

 

「もう一度言うが貴方と話すことは何もない、女とお喋りがしたいなら他を当たってくれないか?」

 

そっけないセルベリアの態度に、あんぐりと口を開ける。まさか断られるとは思わなかったらしい。よほどの自信家というよりは家の格を見せつければ何でも出来ると考えている節がある。

貴族では珍しくない選民主義というやつだ。大まかに云うと王や貴族は偉く、その他はそうではない。エスノセントリズムに近い考えをする者達の事を言う。つまりフレーゲルは典型的な貴族という事だ。

 

「ぼ、僕はいずれ男爵の位を受け継ぐ事になる!そうなれば妻を迎える事もあるだろう、き、君は平民だから正妻は無理だが、望むなら側室くらいなら入れてやれるぞ、そう考えれば、もう少し利口な態度になるべきじゃないかね.....!」

「......いったい何を言っているんだお前は?」

 

とうとうお前呼ばわりになってしまった。いきなり妻とか言い出して、話の内容が支離滅裂だ。男が何を言っているのか理解できなかった。

 

「だ、だから僕が言いたいのは.....」

「――その人を口説くのは止めた方がいいよ。あまりにも無謀だ」

 

顔を真っ赤にさせたフレーゲルが何事か言おうとした時、背後から穏やかな男の声が発せられた。

「なにを!.....ッ!?」

邪魔をされたと感じたフレーゲルが背後を睨みつける。が、視界に入れた男を見て目を剥く。

争いを嫌うような穏やかな声に見合った優しそうな顔、特徴的な赤毛。

その男をフレーゲルは知っていた。

 

「アイス・ハイドリヒ!?僕にいったい何の用だっ」

「いや、君に用はありません。その人に会いに来たんです、変わってもらえませんか」

 

アイスの目はフレーゲルの後ろにいるセルベリアに向いていた。

自分は眼中にないアイスの態度にフレーゲルの貴族としてのプライドが傷つけられた気分になる。

なによりフレーゲルはこの男を目の敵にしていた。

その理由は――

 

「士官学校次席だからと調子に乗るなよ!邪魔をしやがって」

 

帝国士官学校次席アイス・ハイドリヒ。あらゆる科目・実技において飛びぬけた成績を誇る男。学内からの評価も高い。フレーゲルは自分よりも優秀成績者であるアイスの事をいけ好かない奴だと思っていた。妙に敵対心を持っている。

何よりこの男は何と言った。無謀だと.....?。僕は次期男爵だぞ!僕が願って手に入らないモノはないんだ!

 

「この(むすめ)は僕が先に見つけたんだ、どうしても誘いたいなら僕の後にするんだな。まあ、もう遅いだろうけどね、別の相手を見つけるよいいよ」

 

驚いた事にセルベリアを口説けるとまだ思っているらしい。

一ミリも成功しなさそうなのに、思い上がりも甚だしいが、あまりの剣幕に。只では退きそうにないと考えたアイスは、壁際で不機嫌そうにする彼女に向かって「そうなのかい?」と聞いてみる事にした。

やはり呆れた様子でセルベリアは首を振る。

 

「その男が勝手に言い寄って来てるだけだ」

「......フレーゲル、残念だけど脈はないみたいだ。諦めるのが賢明だよ」

さも悲しそうに肩を叩いた。フレーゲルは顔を赤くさせて。

「なにを.....!」

「それにね、その人はラインハルト様のお手すきだ。手を出せば火傷ではすまないだろうね」

 

反応は劇的だった。

 

「―――ッ!?」

怒りに赤くなったかと思えば、今度は面白い程にサッと顔が青冷めていく。

横柄なフレーゲルをして畏怖の対象である存在の名を言われて、流石に声も出ない様子だ。

なんせラインハルトとは因縁浅からぬ関係がある(と本人は勝手に思っている)

 

と云うのも話は簡単で。フレーゲルと呼ばれるこの男は自らが言っていたように士官候補生だが、

士官学校では権力にものをいわせ、庶民出身の学生を苛めるのが趣味というどうしようもない奴だ。陰湿な嫌がらせを好み、自分よりも下の者が苦しむ様子を見て楽しむ。

その嫌がらせに耐えかねて学校を去った者も少なくない。

 

周りからも疎ましく思われていたが、注意できる者は居なかった。

フレーゲル個人ではなく、その後ろに居る存在を怖れてだ。

なんせフレーゲルは、帝国において強大な力を持つブラウンシュバイク侯の甥という立場にある。

その影響力は計り知れない。

注意して彼に睨まれ、侯爵家の力を使われれば、庶民の人生なんて簡単に狂わされてしまう。それは貴族の子であろうと変わりない。

触らぬ神に祟りなし。

いつしか彼の行動は見て見ぬふりをされていた。

だが、たった一人だけ彼の行動を見咎めた者がいた。それこそがラインハルトである。

神も畏れぬ悪童であったフレーゲルは、弱き立場である庶民出身の生徒を背に庇ったラインハルトと対立する事になり、その一連の動きは最終的に決闘沙汰にまでなったのだが、ものの見事にコテンパンにされる事になる。

それ以来、フレーゲルはラインハルトを恐れるようになった。

 

「それでもと言うのであれば分かりました。君が言うように出直すとしましょう.....」

「ま、待ってくれ......!」

 

あっさりと背を翻して別の席に行こうとするアイスを慌てて呼び止めるフレーゲル。

冗談じゃなかった。そうだと知っていれば手を出さなかった!

 

「そういえばワルツを一緒に踊る子は前から決めていたんだった!僕はその子の所に行くよ!」

「いいのかい?どうしてもと言うのなら僕から紹介するけれど」

「お心遣い感謝するよ、だけどお構いなく!僕はあれから目が覚めたんだ、皇子にもそう言っておいてくれ!では僕はコレで失礼する。......ああそうだ、次期辺境伯の兄君にもよろしくと言っておいておくれ.....!」

「分かったよフレーゲル」

 

アイスの言葉が終わるよりも早くフレーゲルは急ぎ足でどこかに行ってしまった。慌てて二人の手下がその後を追いかけていく。

その様子を苦笑して見送っていたアイスは、疲れたような顔のセルベリアを見た。

 

「すまないね、どうやらあの男はエスコートの相手を君にしたかったようだ」

「いや、助かった。困っていたんだ.....」

 

セルベリアは視線を黒真珠の間、中央に目を向ける。

そこでは舞踏会らしく貴族たちが優美に踊っているのが見えた。

煌びやかな光景だが、今のセルベリアには色褪せて映る。

私も殿下と共に来ていたらあんな風に楽しんでいたのだろうか.......。

いや、何を考えている、それは不敬に過ぎるだろう。卑賎な身の上でそのような事を望むなんて烏滸がましい。

 

「セルベリア?」

「っなんでもない。.....それよりよも改めてアイス殿には感謝します。貴方が来てくれなければ殿下は助からなかった、ありがとう」

 

低頭するセルベリア。

もしあの時、あの戦場で、少年を抱えて泣いていた私を見付けてくれなければと思うと今でもゾッとする。

辛そうに顔をしかめるセルベリアを見たアイスは慌てて頭を上げるように言った。

 

「とんでもありません。全滅した部隊の中たった一人でラインハルト様をお守りした貴女の働きがなければ、私が来る前に......間に合わなかったでしょう、礼を言うのはこちらです、ありがとうセルベリア」

 

アイスの言った事はお世辞ではない、事実、セルベリアの奮闘がなければラインハルトはアイスが救援に到着する前に殺されていた可能性が高い。

両者が礼を述べた事で、お互いの顔には何とも言えない笑みが浮かぶ。

そして、直ぐ後に、セルベリアとアイスは真剣な表情になる。

 

「それで、何か分かっただろうか?」

「うん、あの後、調べて見たのですがやはりあの状況には違和感がある、不自然といってもいい」

「不自然?」

「敵の動きです。当時刻、周辺には僕を含めて多くの部隊がいました。なのに敵はラインハルト様と貴女の居る部隊のみを狙い待ち伏せていた。そうですね?」

「ああ、あの時、敵は忽然と現れた。気づいたら既に囲まれていて、逃げる暇もなかった」

「おかしいのです、それが。予めこちらの情報を知っておかなければ、そのような事はできるはずもありません。その上、敵にとっては未知の場所です、そのような所で待ち伏せし、襲われたのがラインハルト様の居る部隊、これには何か裏があるのではないかと思いました。なので私は学内府の機密情報室に忍び込み学生たちの派遣された各部隊の進路情報を確認したところ驚きました。最初の位置から出撃して初めの一週間の行軍経路はあらかじめ決められていたのです」

「つまりその情報を前もって、敵は知っていた可能性があると言いたいのか?」

 

俄かには信じがたいと首を振る。

それが事実だとしたら――

 

「帝国の人間が情報を敵側に売ったということか......!」

「あるいは間諜の類が学内に潜入していた可能性もあります、ですが貴族位を持つ者にしか入ることを許されない学内府の機密情報室に入れる者が居るとは思えません。内部の、しかも貴族以上の立場の者がラインハルト様を亡き者にせんと画策した疑いが高いのは事実ですね」

「殿下の命を危険に晒した、その情報を売った者が居るという事が分かっただけでも十分。その売国奴を教えて下さいアイス、今から叩き切りに行ってやる!」

 

表情を失ったセルベリアの瞳に憎しみの色がこもる。それは殺気と呼ばれるもので、地の底から鳴動する火山の高鳴りを思わせた。

それを見たアイスは申し訳なさそうに表情を歪めると首を振った。

 

「すみません、情報を閲覧した者の名までは辿り着く事は出来ませんでした」

「.....そうか、いや相手とて馬鹿ではない、そのぐらいの警戒はしているか。私が冷静ではなかった」

 

自らの内に秘めた殺意の衝動を治めようと静かに瞳を閉じる。

アイスが感じていたプレッシャーがふっと消えた。頬に手をやって初めて冷や汗をかいていた事を知る。

 

「気をつける事です、ラインハルト様の命を狙う者が帝都内、もしかすると学内に紛れているかもしれません」

「やはり私が四六時中傍に控えているべきだな、男女では授業内容が違うし、寮館は別だから不満に思っていたんだ」

「流石にそれは難しいかもしれませんね」

 

言った後に、いい考えだと何度も頷くセルベリアに苦笑しながらアイスは言った。

しかし、その考え自体は悪くない。セルベリア程の武人が傍に居れば安心だ。殿下の命を狙わんとする者も警戒して手を出せなくなるかもしれない。

ふと思い出したようにセルベリアは言った。

 

「そういえば、あの男が言っていたがアイス殿には兄が居たのか?次期辺境伯と言っていたが」

「ええ、優秀な兄が一人います、貴族位も彼が継ぐでしょう」

「貴方も士官学校第二席でしょう?兄弟そろって優秀なのですね」

「.......」

「なにか?」

 

困ったような笑みを浮かべるアイスに小首を傾げる。

なにか変な事を言っただろうか?

 

「僕は妾の子なんです」

「それは.....」

「家からも認められていない。現当主からのせめてもの情けで士官学校に通わせてもらえています。卒業すれば軍に放逐されるでしょう」

「.......申し訳ありません」

「いいんですよ、僕は満足してますから」

 

本当に自らの境遇を嘆いていないのだろう穏やかに笑う。

好青年さがうかがえる、中々にいい男である。世の女性がほっとかないだろう。

と、思っていると、「それより....」と言いつつセルベリアを心配そうに見る。

 

「貴女も気をつけてください、まだ見えぬ敵はラインハルト様のお傍付きである、あなたを狙ってこないとも限りませんから」

「ああ、分かっている。もしかすると敵は身近にいるかもしれないからな」

 

忠告に、素直に頷いた。

だけど内心では、

その時は、私自らの手で引導を渡してやる。と思っていたがそれは言わないでおこう。

なにわともあれ二人の密やかな話し合いが終わりつつあった、その時。

 

「そこの娘こっちを向け」

 

唐突に自分を差す言葉がどこからか響き、思わずセルベリアは声の聞こえた方を向いた。

そこには冷たい輝きの瞳をもつ金髪の青年が立っていた。

 

「殿下!?......いや違う、まさか........!」

 

一瞬だけその姿があの人と重なったが、よく見れば全然違うことが分かる。

確かに殿下も氷の様な美しさをもつが、瞳の奥には人を安心させる温かさがあるのだ。

 

「やはりあの時の娘か、よもやこのような場所で再び会うことになるとはな。どうした、余の顔を忘れたか....?」

「マクシミリアン皇子......」

 

皇位継承権第三位にして(おう)の血を引くその男はセルベリアにとってある種のトラウマを思い出させる存在だった。

それは幼少の頃まで遡り、研究所から移送される途中、抜け出したセルベリアを追い詰めた手練れの男達。数多の訓練を受けたセルベリアでさえ手も足も出なかった。

そんな男達をラインハルトは一声を掛けただけで止めてしまった。その凄まじさは少女にとって衝撃となって映っていた。つまり英雄を見る乙女心そのものである。

 

そして、彼の男マクシミリアンは、ラインハルトを相手にして終始、上位者として君臨していたのだ。あのラインハルトが許しを乞うしかなかった。

その衝撃は少女の幼心を傷つけるには十分過ぎた。

絶対に自分では勝つことの出来ない絶対者であると、無意識の内に認めてしまったのである。

 

だからこそマクシミリアンの怜悧な瞳に睨まれると知らず身が竦んでしまう。

 

「たしかそなたは、今はセルベリアと名乗っているのだったか、なればこれよりはそう呼ぶとしよう。.......して我が弟はどこにいる?」

「それは......」

「それは僕がお答えいたします」

 

焦りと緊張で顔色を悪くするセルベリアを見かねてアイスが背に庇いながら、穏やかな口調でそう言った

 

「む?貴様は.....」

「アイス・ハイドリヒと申します。拝謁すること光栄に存じます、ラインハルト様とは親しくさせて頂いております」

「ハイドリヒの倅か。なるほどな.....それで?」

「ラインハルト様は今、先の戦争により負った傷を療養している最中です、此度の戦勝会には御出席されておりません。代わりにこちらのセルベリアが名代として参上した次第です」

「そうか、ラインハルトが重傷を負い死の縁を彷徨っていると聞いたが真であったか」

 

形の良いアイスの眉が寄せられる。

.....どこでそれを?

ラインハルトが倒れている事を知る者は一部しかいない筈。その者達にしたって口に出す事を禁じている。知りうる術はない。

まさか.......。

一抹の疑念が生じる中、マクシミリアンは凍える様な声で言った。

 

「控えよアイス・ハイドリヒ。余はその娘に用がある」

「......かしこまりました」

 

アイスが後背をチラリと覗き見る。心配そうな色を込められた視線に、セルベリアは大丈夫だと頷く。もう己を取り戻していた。

それを確認したアイスは頷き返し横にズレた。

 

「先の戦争の顛末は余も幾分か聞いておる、ラインハルトの居た部隊が全滅した事もな、恐らくそこには貴様も居たのだろう、大変だったようだな......」

「いえ、私は大丈夫です。受けた傷も既に癒えていますので、ただ、ラインハルト様をお守りしきれなかった事が無念でなりません」

「聞き及んだ戦場は酷く凄惨であったと聞いたが、傷は癒えたというのか。やはり恐ろしい存在よお前達は」

 

得心が云ったと笑みを含むマクシミリアン。

それを聞いてセルベリアも理解する。

 

「.....やはりあの力を知っていたのですね。マクシミリアン皇子が、あの時、兵器と言われた言葉をようやく理解しました、恐ろしい力です」

「故に嘆かわしい事だ。あの力をもっと早くラインハルトが知っていれば、死に瀕するようなことは起きなかったかもしれんというのに」

「わ、私のせいです。私が至らなかったばかりに....」

「違うな、それは違うぞセルベリア。大いなる力を持つ者はその力の有りようを知っておかなければならん。それが力を使役する者の責任だ、奴はそれを怠り、結果何百という兵士を失う事になった、その中には親しい学友も居たであろう」

「ッ!」

 

その言葉に死んでいった者達の事を思い出す。

 

仲間内で最も体格に恵まれたバッシュナー。冷静沈着にして参謀役のカイネ。親しかった女学生のマリーシャ。能力はあるのにサボりたがる弟分のエイギット。

他にも多く居るがみんな気の良い少年、少女達だった。共にラインハルト様の力になろうと誓い合った仲間達だ。

 

......みんなラインハルト様を庇って死んでいった。

その死に様は今でも忘れられない。

気付けばセルベリアは自らの唇を噛んでいた。

 

「......やはり無知なる我が弟に貴様を任せたのは間違いであった、セルベリアよ、余の下に来い。力の使い方を教えてやる」

「.....?」

「分からぬか、余の庇護下に入れと言っている。それが全てを失ったラインハルトの為でもある」

「殿下のため.....」

 

確かに今、私達は弱い立場にある。狙われている殿下の事を考えれば、強い者の庇護に入ったほうが安全なのかもしれない。だがそれは私が殿下の元を去ることになる。

それだけは嫌だった。例え結ばれる事は叶わないと知りながらも、あの人の傍から離れるなんて死んでも嫌だ。

けれど、それが殿下のためになるのであれば、そうすべきではないのか?

殿下を真に想うのであれば、私個人の思いなど......。

 

セルベリアは分岐点に立っていた。これからの運命を変える程の。

もしマクシミリアンの手を取っていれば、ラインハルトは守られる事になる。誰からの目にも見付からない、遠い僻地の洋館で、余生を送ることになる。もしかするとラインハルトにとっても、それが良いのかもしれない。

戦う事を止め、穏やかな人生を過ごす事が出来ただろう、それはラインハルトの望む事でもある。

 

―――しかし。

 

「それは御無用に願います兄上」

 

背後から掛かる声、振り向けば、

なんと重体であるはずのラインハルトが立っていたのである。顔色は悪いが不敵に笑みを浮かべていた。さしものマクシミリアンでさえ驚きに目を瞠る。

それはセルベリアも同じだ。呆然となって見ていたかと思うとやがて瞳が潤みだす。

 

「殿下!」

 

駆け寄って体を支える。ふらりと軽い体。立っているのもやっとな程に弱っているのだと分かる。

 

「なぜ来たのですか安静にしておかなければいけないのに!」

「許せ、馬鹿な事をしていると思うが、ここで動かなければ俺は一生後悔していただろう」

「なぜ.....?」

「馬鹿者。分かれ、それぐらい」

 

擦れた声でふっと笑い。

ふわりとセルベリアの体が抱きしめられる。少年の熱を感じて少女の心が熱くなる。カッと燃えるように頬は朱に染まり。人の目を感じ恥ずかしさに慌てる。

 

「で、殿下!?なにを....ひと、人が見てますから」

「構わん、お前を失うかもしれないと思った俺の思いに比べれば気恥ずかしさなど何だというのか」

「聞いておられたのですか......」

「少しだけだがな、大体の話は察した。お前、兄上の所に行こうとしただろ」

「っ!?」

 

ドキリと心がはねた。

何故分かったのかと驚きに染まる。

 

「それがお前の幸せに繋がるのなら構わん。だが俺のために犠牲になろうというのであれば話は違うぞ」

「......ごめんなさい」

 

申し訳なさと求めてくれる嬉しさと殿下が目を覚ました事と、色々な事が起こり過ぎて涙が出そうになる。

そんな涙まじりの軍服姿の少女を見てほっと笑みを浮かべるアイスに目配せをするラインハルト。

......礼を言うぞ友よ。

 

セルベリアに付いていてくれた事を感謝したラインハルトは次いで首をマクシミリアンに向け。

視線が切り結ぶ。

鋭い眼光のマクシミリアンの眼差しを見てラインハルトは不敵な笑みを崩さない。

 

「兄上、心配には及ばずとも、俺は俺達の力だけでこの世界を生きていくと決めました。それは今も変わりません。俺の心は折れていない.......!」

「.......お前が進むその道は茨だぞ、歩くたびに傷つくだろう、お前は帝国の闇をまだ知らない、余の元に下れ、それがお前の為でもあるのだ」

「鳥籠の人生に意味はないでしょう、この世に生まれた以上、そんな生き方に興味は無い」

「......そうか、やはりお前は余の邪魔をするのか」

「俺に兄さんは嫌えませんよ.....」

「ぬけぬけと口にしおって、もうよいわ、勝手に野垂れ死ぬがいい.....!」

 

視線が外れる。

激しい視線の鍔迫り合いは、マクシミリアンが引いた事で唐突に終わる。

マントを翻し、去って行く後ろ姿を見送って。

足元から崩れ落ちる。何とか支えたセルベリアは。

 

「大丈夫ですか殿下!?」

 

聞くが返事がない。体は震えて熱をもっている。額からは発汗していた。

こんなにも苦しそうなのに、私を心配して来てくれたのか......。

主の行動に感極まっているとラインハルトの口から途切れ途切れに呟かれる。

 

「.....嫌な予感がしたんだ、何か事が起きるとしたら今夜ではないかと、もしかするとあの時、戦場で狙われたのは俺ではなく......ッウぐ!」

「もう無理に喋らないでください!早く帰りましょう!アイス殿も肩を....!」

 

ラインハルトの両脇を担いで黒真珠の間から退室した。

 

 

貴族たちが何事かとざわめいていたがそんなものは無視してセルベリア達はラインハルトを病室に連れ帰った。

看護婦から事情を聞けばやはり勝手に抜け出して来たらしい。

 

「まったく、困った人だ......」

 

横たわるラインハルトの様子を傍の椅子に座り、眺めるセルベリアには微笑みが浮かんでいた。

ふとマクシミリアンに言われた言葉を思い出す。

......大いなる力を持つ者はその力の有りようを知っておかなければならない。

 

「殿下を守るためには、この力を完全に支配する必要がある」

 

今回の戦争でそれを強く思い知らされた。

天才だなんだと言われて思い上がっていた。この力を嫌い使う事を忌避した。

その結果、多くの仲間が死んでしまった。

もう二度とあんな思いはしたくはない。

だからこそ、

 

これから、私がするべき事は二つ。

 

この体に眠る力を掌握して、

あらゆる攻撃から主を護る力を手にし、この世界の誰にも負けない、最強の兵士に。

私はならなければならない。

 

もう一つは、

 

「拠点が必要になるな。殿下の敵を迎え撃つための城があれば、殿下の助けとなる兵士や仲間も手に入る。どこかにないものだろうか?手頃な城が.....」

 

生憎、城の事は詳しくないが。

卒業するまでにまだ時間がある。調べるのもいいだろう。

 

......いや待て、一つだけ心当たりがある。一つの町の名前だ。ここからそんなに離れていない。

確かその町の名は。

 

「ニュルンベルクだったか......?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




捕捉・何でラインハルト死にかけてたの?と思った方は九話参照。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。