あの日たすけた少女が強すぎる件   作:生き残れ戦線

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五十一話

ライン河川の防衛を放棄したハイドリヒ軍が、ゆっくりと後退を始めていく。

逃げ先はアスターテ平原。広大な敷地が広がりを見せる其処に向けて軍を後退させていた。

すかさず第15軍司令官ヒューズ中将は命令を出す。

「逃がすな!敵を追撃せよ!平原であれば敵に逃げ場はない、ハイドリヒ伯を捕らえるのだ!」

 

東の川岸を制圧した数万もの連邦軍が、逃げる帝国軍を追いかけるのを見ながらヒューズは自らも動くべく車輛を前進させる。制圧された対岸に向かおうとした。だがそこでヒューズの身を案じた副官が言う。

「......閣下はここでお待ちください、深入りは危険です」

「危険だと?よく見てみろアレを、障害物一つ無い、あるとすれば丘陵があるだけの平原地帯だ。敵がどこから現れようとも直ぐに索敵できる。仮に敵に増援があったとしても一時撤退するだけの余裕はある。問題はない、あるとすれば敵の首魁を取り逃がす事だけだ!」

 

よほどハイドリヒ伯の首に執心していると見え。視野狭窄になっているのではと心配したが、流石に一つの軍を任された男である。熱くなり過ぎている様に思えたが冷静な判断は怠っていなかった。リスクとリターンを秤にかけた上での行動だ。自らが指揮を執った方が何があっても動きやすいと考えたのだ。

 

「俺とて敵に何か考えがある事ぐらいは分かる。あの広いアスターテ平原に逃げ込むのだ。まだ奴らには何かある。撤退はそれを見極めてからでも遅くはない」

「お気づきでしたか......!出過ぎた真似をしました」

 

自分が考えていた敵の思惑についてヒューズも気づいていた事を知り、副官は恥ずかしそうにする。

逃げるハイドリヒ軍の背中を攻撃する連邦軍。

その様子を見詰めていたヒューズは敵の思惑について考えていた。

ひとつ引っかかる。

 

......敵が橋を落とした事だ。なぜ落としたのか。単純に考えれば連邦軍を渡らせない為だが、只の妨害目的だったのだろうか。それにしては川岸を取られたと見るや直ぐさま防衛線を放棄した敵の引き際が良すぎる。誘い込まれている節があるのは読めるが、他にも目的がある気がする。それはいったい何だ......?

 

考えを巡らすほど何やら薄ら寒いものを感じた。

嫌な予感がする。

引き返すか?。

........いや、それは出来ない。

現時点で何も起きていないというのに、後退する事を認めるわけにはいかない。

栄えある遠征軍の一角として動いている以上は何か一つでも功績を上げなければ。

そのために目の前の敵を追撃するのだから。

 

一瞬は退く事を考えたヒューズだったが結局は進む事を選んだ。

それが彼の命運を分ける事になるとは誰も知らない。

 

そして、彼はアスターテ平原に足を踏み入れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――

 

 

撤退戦は苛烈を極めた。

 

逃げるハイドリヒ軍に対して連邦軍は容赦しなかった。

陣形を整える時間すらも惜しいのかひたすらに敵の背中を追い。

さんざん受けた痛みを返すとばかりに放たれる砲撃の嵐、

撃ち出される榴弾の雨がハイドリヒ軍に降りかかった。

目の前を行動していた部隊が吹き飛ばされる。爆発の余波がここにまで届くほどの威力だった。混迷を極めた兵士達が逃げ惑う。

 

開けた地形のため障害物もない、隠れる場所すらない状況下では、力の差がハッキリと現れる。

果敢にも遅滞戦闘を行う帝国兵達だが散漫とした動きが目立ち、連邦軍に対して目立った攻撃が出来ていない。彼我の兵士の力量には歴然とした差があった。

 

その原因は現当主の力が増すのを恐れていた者達にある。

未だアイスを当主と認めていなかったユリウスを筆頭とした豪族勢力が、兵の鍛錬を妨害していたのである。只の嫌がらせだ。いま考えれば何と愚かな事をしてたのだろうか。

そのつけをいま自分自身が支払う事になっているのだから皮肉なものだ―――とユリウスは笑みを浮かべる。

 

こんな状況で狂ったと思われても仕方がないが、嬉しかったのだ。

まだこんな老いぼれが必要とされる戦場がある事に。

そして、ハイドリヒ伯の元で戦える事に。

彼にとっては獅子身中の虫であったはずの儂等を、伯は危険を顧みず救ってくれた。

 

救ってもらったのは初陣の時、先代に助けられて以来のことだ.......。

まるであの御方のようではないか。

 

懐かしむように、思い出すように、アイスと誰かを重ねる。

その写し身がピタリとはまってユリウスはまた笑みを深めた。

今となってはなぜ反発していたのか、不思議に思うくらい認めている。

恐らくは伯の深い度量に感服しているからに他ならない。

どこの世界に命令を無視した部下を許し、重要な殿をも任せる指揮官が居ると言うのか。

 

あまりにも器が大きすぎる。敵わないと、思い知らされたのだ。

だからこそ彼の元に下る事を選んで正解だったと思う。他の者達もそれに同意した。

 

―――視界の端で連邦軍が味方の兵士を襲っている。

 

「誇りあるハイドリヒ軽騎兵団よ味方を救うぞ!まずは右に百の増援を送れ!倒そうと考えるな威嚇射撃を続ければ良い!戦闘を停滞させよ敵の足を止めるのだ!――左翼の部隊が突出し過ぎている。横の部隊と連携を取りゆっくりと後退せよ!周囲の部隊はその援護を行え!味方が後退するまで耐えるのだ―――」

 

矢継ぎ早に次々とユリウスは周囲の士官たちに執声を飛ばす。そこに間断の隙間はなく命令は細部にまで行き届いていた。ありえない事だ、次々とリアルタイムで進行されていく戦闘を現場指揮だけで補っているのだ。よほど有能な指揮官でないと戦線は呆気なく崩壊するだろう。

その声に従って数多の部隊は動いている。彼らは軽騎兵団の生き残りだ。戦闘を行っていたハイドリヒ伯の兵士と入れ替わる様に次々と戦線に投入され始める。

 

しばらくして戦線は目に見えて安定していくのが分かった。帝国優勢とまではいかないが、少なくとも先程の様な敗走同然の一方的に攻撃を受けるだけのものではなくなり、攻めを受け流す形で被害は減っていったのだ。

だが誤解しないでほしいのは被害が減っているだけでこちらからは効果的な攻撃を敵に与える事は決してないと云う事だ。少しでも敵の足を止める為に戦闘を続ける、多くの味方を後ろに逃がすために血を流し続ける、それが撤退戦である。決して敵に勝つことは出来ず、徐々に味方が磨り減らされていく。つまり殿を務めたユリウスは少しでも効率よく時間を稼ぐために、少しずつ軽騎兵団が削られていくのを容認しなければならない。

それは精神を擦り減らす過酷な作業だ。

 

逆を言えば経験豊かなユリウスと彼に鍛えられた精鋭である軽騎兵団にしか出来ない事だった。

それをユリウスも軽騎兵団も理解していた。

ハイドリヒ軍最強の部隊を自負している。誇りがある。

だからこそ数万の敵を前にして怯む事はなかった。

 

程なくして2万のハイドリヒ軍は後退を行い、前線には4千の軽騎兵団が残された。

戦場を俯瞰して見ると歪ながら逆三角形の形となるだろう。

そうなると当然ながら連邦軍の攻撃が突き出している中央の軽騎兵団に集中していく。

苛烈な攻撃に晒される軽騎兵団。

ここで落ち着いて動けるかで指揮官と部隊の質が問われる、重要なターニングポイントだ。慌てて後退すれば本隊を巻き込み混乱する事になる、そうなれば戦線は崩壊し敗走に繋がる事にもなりえる。

 

だからこそ慎重に見計らってユリウスは後退の指示を出す。

整然とした見事な動きだった。

敵の攻撃を冷静に対処しながらも深入りはせず、適度な交戦を続けながら撤退する様は精鋭の名に相応しかった。途中敵の猛攻撃に包囲されかけた部隊があればアイスより貸し与えられた戦車を突撃させ救出した――前の軽騎兵団を知る者は実に驚いた事だろう。

 

更には前もってアイスに頼んで30輌近い戦車を前線に配置しておいた程で――部隊はそれを盾にしながら被害を軽微なものとしつつ効率よく後退を続ける。もはやそこに居るのはハイドリヒ軍の知る軍団ではなかった。

だが、それでも彼我の戦力差は如何ともしがたく。敵の数は膨大で。

そのうえ、

 

「ユリウス団長!敵は被害が高くなるのも無視して突撃を掛けています!このままでは戦線が押し上げられます!」

 

まるで敵は自殺でもする勢いで、自分の部隊の被害を気にもせず、無数の歩兵による突撃を敢行させていた。そこに戦術を駆使しようという考えはなく、ただガムシャラに物量で押す。

数の利を活かそうという考えだろう。最も被害が出るが搦め手がないぶん厄介だ。

 

「サマル大尉の部隊が敵に囲まれています!」

「戦車で包囲を破れ!」

「―――ダメです間に合いません!」

 

視界の先で暴力的な数の連邦軍に囲まれている部隊が見える。逃げる前に敵に退路を断たれたのだろう。助けに行こうにも出せる兵は限られている。戦車も間に合わないとなれば彼らの生存は絶望的だ。囲まれて圧殺される。

呑気に見ているだけしかない事にユリウスは歯噛みして、

 

―――その横を蒼い騎士の一団が走り抜ける。

重い鎧を着ているとは思えない速度で、厚い包囲の壁に迫った一団は包囲の壁に食らい付いた。あっさりと崩壊した壁の中に侵入を果たした一団がそれから姿を現すのは直ぐの事だった。

先に騎兵団の兵士が飛び出してきて、それから蒼い騎士達が連邦軍を吹き飛ばしながら出て来た。

最後に出て来たのは唯一固有の武器を持ったあの騎士だ。砲身に取り付けられたブレードで連邦軍を斬りつけながら躍り出ると、最後は丁寧に機銃の掃射で一掃した。慌てて退き下がる連邦軍。

 

助けられた部隊と蒼い騎士の一団が戻って来る。

ユリウスは破顔して最後に戻った騎士を出迎えた。

 

「かたじけない、感謝するぞイムカ殿!まこと無双の暴れっぷり!胸がすく思いだ!」

「今ので最後の弾薬を使い切った、でも問題ない。何人来ようと切り倒して見せる」

「ハッハッハ!見事、見事!貴殿こそ現代の英雄ですなっ」

 

事も無げに淡々と言うその姿から強がりでも何でもない事が分かる。

実績から裏付ける強者の余裕だ。

落ち着き払った態度は味方として実に心強い。

既に何度も部隊の窮地を救ってもらっている。殿という過酷な戦いでも安定して戦闘できるのは彼らの御蔭だ。そして強者が揃う蒼い騎士達の中でもこの御仁は傑出している。

恐らく英雄と謳われた全盛期の頃の自分でも戦えば勝機はあるまい。地に伏せるのが誰かなど目に見えていた。それ程に彼女の戦闘は凄まじくそして美しい。何度も目を奪われた。

 

例え年若く女性であろうとも強者には尊敬の念を覚えるのが帝国の武人だ。

なによりユリウス自身この泰然自若な女騎士を気に入ってしまった。

何が言いたいかと云うと.....。

 

「......イムカ殿。この戦いが終わればぜひ儂の孫の婚約者になってはくれんだろうか?」

 

至極真面目な顔でそう言った。

強い血を取り入れたいと考えるのは武家の本質だ。

いまが戦場だと云う事も忘れてイムカに詰め寄る。

.....孫とイムカ殿との間に生まれた子は強い世継ぎになるだろう。

そんな妄想から始まったが今となっては本気でそう考えていた。

ちなみに孫の年齢は今年で26歳になる。可愛くて仕方なく。必ず週に一回は顔を見に伺うほど溺愛していた。

突然いったい何を言っているだこいつはと言いたげに見ていたイムカの返答は素っ気なく。

 

「.....無理、それは出来ない。私には為さなければならない事がある」

「ではそれが終わってからでも良いので、お願いだ!貴殿程の実力を持った者はそうは居らん!もし慕う相手が居なければぜひ我が家に来てほしい!」

 

熱烈なラブコール。そして驚くほど粘るユリウス。

それ程にイムカの能力を買っているのだろうが対応に困る。

というか血走った眼が怖い。

受けるつもりは微塵も無いので何か断りの材料を探していると.....。

脳裏をチラつく男の姿があった。

 

「.....あの日たすけられてから、私はハルト殿下の協力者になると決めた。私の為すべき事が終わったらハルトの夢の為に戦うと誓ったから.....」

 

「むう....そうか、それならば仕方ない。ラインハルト殿下の御手付きの者を取るわけにはいかぬか」

 

「?....!っべつに、そういう関係じゃ.....ない!」

 

何か変に意味を汲まれたようで、妙な納得のされ方をした気がした。御手付きがどういう意味かを考えたイムカは直ぐに察したのか強く首を振る。それまで平然とした態度が初めて崩れるのを見てユリウスはじんわりと笑みを浮かべた。なるほどのう.....と納得したように頷く。

 

「貴殿がそこまで入れ込む程とは、ラインハルト殿下か.....当主様もあの方を過大に評価していたが、やはり噂で聞く事と実際では違うようだな......それ程のものか」

 

興味が湧いた。二人が認める存在が只の男のはずがない。

きっと何かあるに違いない。そしてそれはこの戦場で分かる。

 

ハイドリヒ軍が向かう先を見据えた。

 

恐らくはあの先に.......。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いったいどれほど経っただろうか。

連邦軍の激しい追撃が迫っているのを遥か遠くからでも感じる。

後方の味方が必死になって耐えてくれている。全滅の報は届かない事から最悪には至っていないようだ。ひとまずその事に安堵する。

だが安心してはいられない。

もっと早く目的地に急がなければ。

なまじもう目と鼻の先に在る所まで近づいていただけに焦燥感が湧き上がる。

その焦りに目敏く気づいたのは先程合流を果たした副官のルッツだ。

 

「大丈夫ですか若?顔が優れないようですが、いや、こんな状況だそれも仕方ありませんがね」

「ああ、流石に疲れたよ。半日も経っていないというのに、本当の戦争がここまで疲れるものとは思わなかった。お前は大丈夫そうだな」

「まあ昔から爺さんにこっぴどくしごかれてたんでね。このくらいは余裕ですよ。未だに週一のペースで鍛錬を受けさせられているんで」

 

というかソッチの方が疲れますよ――とげんなりしながら言うルッツに声を出して笑う。

ルッツが祖父に可愛がられている――痛めつけられている(本人談)のは有名な話だ。

確かそれが嫌で逃げるようにアイスの元に転がり込んできたのだったか。

ルッツは困った様に頬を掻き、

 

「い、いや俺の事じゃなくてですね......。本当に来ているんでしょうかこの平原に」

「殿下の事か?」

「そうです」

「心配ない、イムカ達――蒼い騎士の姿をした彼らを見ただろう?援軍を送ってくれたのがその証拠だ。殿下は既にここに来ている」

説明をするがそれでも何か心配の種があるのか、眉根を寄せたルッツの顔は拭えない様子だ。

「確かにあの部隊は凄まじく強かった、ですがあれ以上の戦力をあのラインハルト皇子が保有しているとは思えない、後方から迫る連邦軍は目測で6から7万、いやそれ以上の数を越えようかという大軍です、生半可な援軍では打ち勝てない。あのラインハルト殿下にそれほどの力があるのですか」

 

なるほど、計画を話したルッツが心配していたのはそういう事か。あまりの大軍にこちらの予測が外れて殿下の援軍ごと敗北を喫するのではと考えたのだろう。

やれやれ何を心配しているかと思えば.......。

にこやかにアイスは笑みを浮かべた。

それに釣られてルッツもへへっと笑った。やっぱり何かあるんだな....と思ったのだろう。だが、

 

「確かにその通りだ、いまだ力をつけていると云えど殿下に数万の敵を倒すだけの私設兵力は存在しない」

「!?」

無慈悲に告げられた言葉に目を剥いた。

副官の動揺を無視して、思い出すように言う。

 

「確か.....殿下の私設部隊(ニュルンベルク軍)の保有兵力は8千かそこらだったはず」

「は、八千!たった八千!?.....引き上げましょう若!今ならまだ間に合う!分散すれば若だけでも逃げ切れるはずだ!」

祖父に似た厳めしい風貌を必死の形相に歪め、酷く慌てた様子のルッツを見てぽかんと呆気に取られながら、

「おいおいどうした?」

「何でそんなに落ち着いていられるんですか!若!数は力です!.....もし仮に、そんな事ありえないと思うけどその八千そこらの兵があの援軍みたく超強くても!.....それでもあの連邦軍の数には勝てない!最強の個の力だけでは圧倒的な数の力に押しつぶされるだけです!」

 

反論の余地はなく、まったくの正論だ。

だからアイスがした事はと云えば困った様に微笑むだけである。

 

「なぜ何も言わないのですか」

「お前の言っている事が正しいからさ、僕には何も言い返せないよ、ただ言える事は殿下は必ず何とかすると言っていた。必ず軍をまとめて駆けつけると.....僕はそれを信じる」

「たったそれだけの事で......!」

「それで十分だ。殿下は必ず軍を連れて来るだろう、それがどんな方法であろうと、何があっても必ずだ」

 

それは確固たる自信の込められた言葉だ。

誰かを信じる事は難しい。それが自分の命に関わってくるとなると猶更だ。だがアイスはそうじゃない、絶対の信頼が込められた――その目を見て声を失うルッツ。

申し訳なく思う。

根拠のない事に巻き込ませる事に。

本来であれば計画は見直す必要があるだろう。

不確かな要素が多すぎる。

 

だがそれでも援軍は必ず来ると確信している。

その数が多いか少ないかは別として、殿下は必ずやって来るだろう。豪放磊落な性格だがあの人は義理堅い。命を救った恩を返しに――自分の命を顧みずにやって来るのだから困りものだ。僕は最後のところで駆けつけたに過ぎないのに。殿下を最後まで守り切ったのはあの娘だ.....。

 

前方に小高い丘が見えた。

そこがアスターテ平原の奥に続く丘陵地帯の入口だ。

車輛から降りたアイスは、

 

「......全軍を停止、その場から反転、追撃する連邦軍との第二次戦闘を再開せよ」

「若!」

 

背中に掛かる制止の声を無視したアイスは前に向けて歩き出した。

最初はゆっくりと、だが徐々に駆け足になって、傾斜な丘を駆け上っていく。

.....最低でも五万であれば連邦軍とも数の上で拮抗する。だが、五万を下回ればこの戦いで勝つのは難しくなるだろう。

 

ドッドッと心臓が早鐘を打つのを感じた。

 

殿下は必ず来る。だが何人の援軍を引き連れて来るかまでは分からない。

この目で見るまでは不安が晴れる事はない。

 

不安からか懐に手を忍ばせ三つ目の袋を取り出した、その中に手を無造作に突っ込む。

その中を見ずとも何が入っているのか分かる。

 

アスターテ平原は広大な地形と丘陵地帯からなる。

橋近くの平地から見れば一面が平坦な地形だと見える。だが実際は少し違う、特殊な地勢からそう見えるだけで現実には幾つもの大きな窪地が存在する。

平地の低い視点からは見えない死角が生まれるのだ。広大過ぎるゆえに同じ光景が連なっているように見えて遠近感が狂い、連邦軍からはなだらかな丘がある様にしか見えないだろう。

まさかその先に大軍を伏せれるだけの地形が存在するとは思わない、知らず誤認している訳だ。

つまり連邦軍からは認識できない死角―――そこに致命的なまでの勝機が存在する。

軍勢を隠すならこの先のクレーター部分であり、援軍は必ず其処に伏せている――そういう手筈だ。

その確信から三つ目の袋に入っていたそれを握りしめた。

 

次の瞬間、丘を登り切ったアイスの視界の先には、

―――果たして計画通り、急激に地面が凹みクレーターの様に陥没した場所に―ラインハルトの援軍は存在した。

だが彼の予想は大きく外れる事になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

軍、軍、軍―――

眼下には見渡す限りの軍勢が整然と並んでいた。

緑の草原が黒い絨毯で埋め尽くされるような光景だった。

数百の移動榴弾砲が点在し、千の戦車が置かれ、その数十倍の帝国兵が整列している。

五万どころではない、その倍はあるだろうか。予想していたよりも遥かに多い。

 

数えきれない程の威容の軍勢を目の当たりにして――ゾワリと鳥肌が走るのを確かに感じた。

身震いが止まらず、知らない内に口元は弧を描いていた。

まさかである。いったいこれだけの大軍をどうやって集めたのかまるで分からない。

しかし、誰も考え付かないような事をしでかしたのだけは分かる。

 

殿下はこの時の為にずっと前から動いていた。帝都で再開した時、いや、それよりも前から、半年前のあの日から準備を進めてきたのだ。それが目の前の光景に繋がっている。奇跡でも偶然でもない、これはラインハルト様が手繰り寄せた必然――今まさに現実に起きている事なのだ。全てがラインハルト様の筋書き通りに動いている。

賞賛のため息を浮かべた。

 

「計画は相成った。であれば作戦は第二段階に移行ですねラインハルト様?......お見事です、本当に貴方という人は僕の予想の遥か上を超える、魅せてくれる、だから貴方に仕えたい。やはり貴方は僕にとってまごう事なき王の器だ。.....祝砲の狼煙を上げますお聞きください」

 

その手に持っていた――三つ目の袋から取り出したピストルを空に向かって発砲した。

内部に音響弾が込められていた弾丸は信管の炸裂と共に――音の爆発が起きる。

周囲に響き渡る不協和音が作戦の合図だった。

 

それにより連邦軍誘引殲滅作戦《誘い虎口(さそいこぐち)》が発動する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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