戦いから一夜が明けて、アスターテ平原に向かう間際、ラインハルトは数名の将校を緊急の用件で招集した。突然の事に驚いた彼らだったが、ラインハルトの口から飛び出した内容を聞いて困惑する事になる。
「.....捕虜の移送をこの俺にですか?」
「そうだ、頼めるのがお前しかいなくてな.....ミッターマイヤー中将。俺には彼らを保護する義務がある。貴殿が移送隊を護衛してくれれば安心だ、敵からは勿論の事だが、不当に処刑しようと考える輩から捕虜を守ってやってほしい」
「なるほど。敵ではなく味方から捕虜を守るのが最大の理由ですか。誓約書を書いたと聞きましたが、それが関係しているようだ」
「その通りだ。敵の投降を促すのに協力してくれたラップ少将が取り付けた唯一の条件だ」
取り出した紙切れをウォルフは面白そうに見た。
「このような紙一枚、意味などあってないようなもの。破り捨ててしまえば良いのではないですか?どうせ捕虜を不当に扱ったかどうかなど、この戦争に関係ないのですから」
「だからといって誓約を破る理由にはならない。絶対に遵守してほしい」
「お優しいですな殿下は。ダルクス人や捕虜といい。自分に関係ない者を守ろうとしている」
「圧制者たる帝国の皇子らしくないのは自覚している」
「ハッハッハ!良いではありませんか、俺は嫌いではありませんぞ殿下の生き方は。.....ですが俺の生き方は戦う事です。戦争こそが全てだ。だから此処で前線を離れるというのは実に不本意だ」
彼の目は笑っていない。
それはそうだ。彼は戦争をするために前線まで来たのだ。
どこよりも早く戦争が出来るから俺に協力してくれたのだから。今さらそれを反故にすると云う事は彼にとって裏切りでしかないだろう。俺にとっても彼が抜けるのは痛手でしかない。
なぜそんな一見、不毛な事をするかというと、
「無論、勝つためだ」
「.....?」
「お前は俺を優しいと言ったがソレは違う。俺はこの戦争に勝つためなら何だってやる。ラップ少将に捕虜を投降させたのも連邦軍を案じての事ではない。時間内に勝つために必要だったからだ。アスターテ平原に戻るためのな」
俺達にはタイムリミットが存在した。
それはライン川の氾濫が治まるまでの時間だ。見積もりは凡そ一週間のみ。この一週間で敵に勝たなければならなかった。そしてそれは不可能に近かった。山岳戦は決着が着くまでに時間が掛かり過ぎる。ゆえに俺は敵司令官の首だけを求めた。ヴァジュラス・ゲイルによる奇襲降下作戦もその為だ。敵を一気に降伏させるしか、我が軍に勝利はなかった。
それも完璧とは言えなかったが、何とか成功した。少将の声明と超重戦車の恐怖で降伏させたのだ。俺は優しくない。敵の優しさに付け込んだだけだ。本当の強さを持っていたのはラップ少将だろう。俺はこの戦争を合理的に勝つ事しか考えていない男だ。
そう言うと何故かウォルフの笑みは深まった。
「どこまでも勝利に貪欲である、それこそが貴方の本質か。実に俺好みの良い答えだ。....ならば聞こう、この俺に捕虜の移送をさせる、真の理由を......」
「実に簡単な事さ、動かしてほしいんだ。.....帝国を」
「帝国を?....どういう意味でしょうか?」
「こう言えば分かるだろう。捕虜を移送する時に東のウィップローズ領を経由して帝国軍駐在都市ローゼに向かえ。五日もあれば足りるだろう」
「......ああ、なるほど。そういう事ですか。だから捕虜と共にですか、確かに戦利品を見せれば焦るでしょうな彼らは」
「好きなだけ挑発するといい、このままでは
「.....面白そうだ。そう云う事でしたら喜んで捕虜を移送させましょう。.....フフ実に楽しみだ」
ちなみに彼は珍しい庶民出身の将軍だ。
彼が何を想像しているのか分かってラインハルトも笑みを浮かべる。さぞかし面白い絵図が見れるだろう。それからウォルフは直ぐに、それでは早速準備に取り掛かるとしましょう、と言いテントから出て行った。早ければ早いほどいい。
椅子に腰掛けたラインハルトは書類の山を見る。
三日間の間に行われた戦いの結末は連邦軍約7万を捕虜にしたた事で終わった。勝利は喜ばしい事だが、代わりにやるべきことが多々増えた。その一つを片づけたラインハルトは休むことなく次の報告書を確認する。厳しい視線になった。
ヴァジュラス・ゲイルの被害に関する報告書だった。
今回の戦いでかなり被害を受けてしまったようだ。
奇襲降下作戦における囮役リューネ・ロギンス少佐率いる特務試験部隊V1は11人、
同様に挟撃の片翼であったV3は15人、
本命であったイムカの居るV2は30人が殉死した。
つまり合計で56機ものヴァジュラが破壊され、全体の総兵力が15%低下したと云う事だ。
あれほどの難易度の高い作戦でこれだけの被害は少ない方だろう。
だが次の戦いは出撃のタイミングを慎重に選ばなければならない。
早すぎては駄目だ。ギリギリまで温存する必要がある。だからこそ、次に彼らを出撃させる時は最も厳しい局面になるだろう。
「次の戦いはお前達に無理をさせるかもしれないな」
「.....ん?旦那、まるで今まで無理をさせてなかったかのような言い方なんだが」
「む?.....違ったか?」
たっぷり考えた後、吐き出されたラインハルトのすっとぼけた言葉に、
「おいー!?全滅覚悟の決死の作戦をやったばかりだろが!
.....まさかあれで無理じゃないって言うんじゃないだろうねこの旦那はっ」
「......冗談だ」
どうやら心労の絶えない部下のためにリラックスさせようという前衛的な試みは失敗したようだ。どうも俺が言う事を真に受ける者が多い。前から薄々思っていたがどうやら俺は冗談が少しばかり苦手のようだ。
それに思わず冗談だと言ったが、はたして今回ばかりは冗談にならない気がする。恐らく次の戦いでは彼らを無理させる事になるだろう。今回は損耗率15%で済んだが、次は全滅と云う事も十分にありうるのだ。なんせ次のアスターテ平原での戦いは総力戦になるだろうから。
もはや敵を一網打尽にする策はなく、削り合いになるだろう。
その場合、戦力差だけがものをいう。シュタインの報告では、こちらが使用できる戦力は八万~九万しかいないと報告が既に合った。これを聞いた時、
――撤退すべきでは?
当然その考えも合ったが、それは駄目だ。彼女達との約束がある。あの時間までは平原で待つと約束したのだ。もう彼女達を戦力に組み込んだ上で戦略を立てている。戦略とは兵力数、地形、兵器、そして時間。あらゆる要素が複雑に噛み合った『結果』だ。結果こそが全てだ、それが戦争だ。負ければ全てを失う、あの日のように。
死んでもあの時の無力感を味わいたくない。
だからこそ、
「――躊躇うなよ旦那」
まるで胸の内を告げられたかのような言葉にドキリとした。
「なに?」
「状況が最悪になる前に俺達に無理をさせろよ?......たとえ全滅すると思っても」
「っ......」
「旦那がそれだけ悩むって事は、きっと命令する時が必ず訪れる。その時に俺達に死ぬよう言うかもしれねえ。旦那は冷酷な顔に似合わず優しいからな。そこだけが心配だぜ」
「馬鹿が気軽に死ぬなんて言うな、お前達には生きてもらうつもりだ。もうお前達は死に急ぎ部隊じゃないんだからな」
「......そうかい。ま、俺も新しい人生を満喫するつもりだからな」
こんな所で死ぬつもりはないさ、と男はニヒルに笑う。
最初に初めて会った時とはもはや別人の彼は、まさしく新しい生き方を見付けたのだろう。屈託のない笑いだった。自然と俺も笑みを浮かべていた。彼らを生かすのが俺の責務だ。
――勝とう。この戦い必ず。
強くそう思う。
最後の準備は終わった。――行くとしよう。恐らくこれが最後の戦いになるはずだ。
***
それから数刻後には陣を畳んで軍勢を北に向けて進ませたラインハルトは計算通りの日程でアスターテ平原に到着した。その日は征暦1935年4月8日だった。
雲一つないぬけた青空の下、8万6000人が丘陵地帯に展開した。
大平原を目の前にして丘の上に幅広い陣形をとったのだ。
そこから先には進まず静観の構えである。不穏な緊張感さえあった。
その理由は彼らの遥か先、ライン川東岸に流れ込む――大軍勢の光景にあった。
目測で不確かだが凡そ4万の軍勢が既に東岸に渡っていた。その軍は平原に広範囲な陣形で展開していて、こちらを牽制するように窺っていた。
その後ろで続々と敵軍がライン川を渡河する様子を見て、ラインハルトはあと一歩の差で到着が遅れた事を痛感していた。
だがラインハルトの計算が間違っていたわけではない。
敵の侵攻を阻む防波堤の役割を担っていたライン川の氾濫はその猛威を鎮めたわけではなかった。
未だその流れは速く通常であれば兵士を渡らせることは不可能な状況だ。その不可能を可能にしてしまった存在はライン川において堂々とその姿を誇示していた。
何と言うか妙な表現だが――軍艦が川に架かっていた。そうとしか言いようがない。
まるで破壊された大橋の代わりを果たすかのように艦艇が両岸を跨いでいるのだ。
その正体をラインハルトだけでなく帝国軍全員が思い当たっていた。
同時になぜ連邦軍があれを保有しているのかと驚愕を伴なって。
その正体は紛れもなく陸上戦艦の類だった。
帝国の戦艦よりは小さい型だが質量にして3000t級はあるだろうか。超重戦車の約二倍だ。海上の艦船ならば大型駆逐艦と呼ばれる物だ。138mm砲が五門搭載されている。
軽巡機関砲は四門、驚異的な大型兵器だ。
その大型兵器を橋代わりに足場にさせて兵を送っているのだ。信じられない運用法だ。
帝国貴族が見たら怒りで我を忘れるかもしれない。あんな使い方は普通じゃない。
だがその御蔭でラインハルトの計算は崩されたのだ。
どうやら敵にも一筋縄ではいかない奴がいるようだ。
最初の目的であった東岸の制圧は実現不可能となり――こちらに利するはずの状況はいま消えた。
確認できた兵器の能力、兵力の差だけでも圧倒的に連邦軍の方が有利だ。
客観的に見て現状の戦力で勝てる確率は五分に届かない。
戦いはもう既に始まっている。
――だがそれでも負けるつもりはなかった。
「勝つぞ!――この戦いに勝利し全てを終わらせる。
.....ヴァルキュリアよ俺に勝利を導いてくれ。――第一陣前進!」
言下に戦いの火蓋は切って落とされた。