高台に布陣したラインハルトの眼下では戦況が目まぐるしい速さで移っていた。
その激しさは炎の様に。
一秒とて同じ景色は無い。その刹那の間に何百人と死者が増え続ける。
人も兵器も物資も大量に消費されていくこの戦場を、もし数値に起こそうとすれば途方もない時間と労力が必要になる事だろう。もし戦場という名の盤上計算機があるならば夥しい数値を今も叩き出しているに違いない。そんな物があれば一目で戦況を理解できるだろう。
そんな都合の良い物はないが――その一端を俺は目にしていた。
「――D7の30m前方に敵の戦車部隊が隠れている!D4、D5は回り込みながら地点A-134に急行し対戦車槍を使用、敵戦車を迅速に撃破せよ!D7は撃破を確認後――突撃。歩兵の掃討に移行!E4はその場で待機、命令あるまで待て!C2とC3はそのまま対戦車用重機関銃による威嚇射撃で敵を後退させ続けろA部隊は強行する敵の足止めだ敵を前に出すな!」
視線の先にある画面、そこに広がる戦場とラインハルトの指示によって動き回る光の点。
GMP観測気球《ダイアグラム》によって広域な戦場が画面上に投影されているのだ。
識別反応である光点が常に味方の位置情報を教えてくれていた。
後はそれに合わせて味方を動かせばいい。
傍目から見ればチェスをしながら指示を出して遊んでいるようにしか見えないが本人は真剣そのものである。起動してまだ45分しか経ってないが大粒の汗が滴り落ちていた、
それでも画面を凝視しながら、絶え間なく連続する狙撃兵部隊から送られてきた情報を瞬時に画面と照らし合わせ駒を動かし続ける。その間にも指示は淀みなく行われている。瞬間的な判断力が求められる、一瞬でも遅れれば味方が死ぬ。尋常ではないプレッシャーがラインハルトの体に襲いかかっていた。数キロメートル離れた高台の上に居るラインハルトだが、その意識は最前線にあった。そして、
「――待たせたなE4!擲弾を敵の頭上に振らせてやれ!」
その数秒後、画面上に立たせていた駒が取り除かれる。
敵戦車の撃破を狙撃兵が確認したからだ。後退する敵の横合いに待ち伏せていた味方の攻撃が敵集団を倒した事によって一部の敵が混乱した。この時点で敵戦車の撃破数は15輌を数える。
ヴァジュラス・ゲイルが装甲大隊と接敵してからの時間を考えると敵戦車一輌を大破させるのに必要な時間は3分を切る。
驚くほどの速さで敵は倒されていくが、
「――敵なおも前進を開始した模様、直ぐに第二波が来ます!」
「っ!」
しかし、敵の攻勢は留まるどころかより一層の激しさを増していく。
目の前の敵を止めるのに精一杯で他に目を向ける余裕はなかった。
それでもラインハルトは落ち着いていた。観測班から送られる敵の位置情報を更新していく事で逐次敵の動きを把握できているからだ。敵の動きが分かれば対処も容易い。
報告の通り敵の第二波は休む間もなくやって来た。
さらに続く報告で敵の編成が変わった事に気づく。
それまで一輌編成からなる小隊でスクラムを組んでいたのに対して、今度は十輌の戦車を中心に構成された中隊規模で突撃を敢行して来たのだ。それが大まかに分けて三つのルートを通って来ている。不味い事に一つは高台を目標に向かって前進していた。急いで迎撃する必要がある。
「V1F部隊を中心に高台を目指す敵を叩く!それ以外は各自の判断で迎撃を行え!迎撃難シと判断すれば第一防衛線までの後退を許す!」
V1Fは
彼らはその名の通り強く硬い要となる柱石。隊長リューネが率いる部隊だ。
高台に向かって来る敵兵は彼らによって倒される。
時間は掛けない。
目標は敵戦車一輌を、
「40秒で破壊するぞ――いいな?」
『――了解した。俺達を導いてくれ』
そして悪魔達は戦場に出撃した。
***
「――報告!高台の制圧に向かった第三十三―八中隊が敵の攻撃を受け壊滅的打撃!全ての戦車が瞬く間に破壊されました!生き残ったのは歩兵だけです!」
「馬鹿な!?」
その戦報を受けて第三十三装甲大隊参謀の副官は驚愕した。
...いったい何が起きているんだ。
大隊長殿の作戦は上手くいったはず。
なのになぜ我が軍にこうも被害が出る。敵はなぜこれ程に巧妙な迎撃が取れるんだ。
おかしい、何かが異質だ。
全てはあの敵が原因だ。
――蒼い悪魔。
我々がそう呼称する敵は丘陵地帯に入った途端に忽然と現れ、我が部隊の誇る戦車を次々と撃破していった。
その数は問題ではない。精々が百に満たない小勢だ。
当初は誰もがそう思った。
だが敵の戦いぶりは次元が違った。
たった一機で歩兵の小隊を相手取る力。こちらの攻撃をモノともしない耐久力。あらゆる能力がこちらの想定を超えていた。だがそれだけならば問題ではなかった。
幾ら巨大な力を秘めた怪物であろうと、それは個の力だ。一人では限界がある。
みんなで力を合わせれば。集団の力であれば強大な力にも立ち向かえる。
我が第三十三装甲大隊はどんな敵とも戦える。
――そう思っていた。通信の向こうで味方が倒される悲痛な叫びを聞くまでは。
敵はこちらの想定をまたもや超えて来たのだ。
奴らは単体での戦いをしていると思わせて、その実、味方との協力を強く意識していた。
一人を囲んだと思ったら、その瞬間無防備になった横腹を叩くのだ。まるで待ち構えていたかのように鮮やかな反撃を受け戦車が破壊された。その混乱に乗じて逃げられる。敵は後退と奇襲を繰り返す事でこちらの出血を強いて来たのだ。追撃すればこちらの予想していなかった場所からの攻撃が何度もあった。その都度、貴重な戦車を失いながら後退する部隊が続出する。
気づけば数十輌を瞬く間に失ってしまった。
まるで敵は我が部隊の動きを読んでいるかのような戦ぶりだ。そしてそれを可能にする異常なまでの連携力の高さ。一つの生き物を相手にしているかのようだ。
だがおかしな事に歩兵の被害は少ない。
敵は戦車に狙いを付けて戦っている様な気がする。
敵は大隊長殿の考案した電撃戦には戦車の存在が不可欠な事に気づいたのか。
そんなはずはない。こんな戦場の中で作戦の要諦に気付けるはずがない。仮に気づけたとしてこれほど迅速に対処できるはずがないのだ。
だとしたら何故?
考えを巡らすが答えは出ず、自分の低能さ加減に嫌気を差していると、唐突に大隊長殿が声を掛けて来た。時間切れだ。
「それでは考えを聞かせてもらおう。この現状がどうして起きているのか」
「.....正直分かりません。この奇妙な展開が何故起きてしまっているのか。....ですが」
「良い、答えが出ていなくても考えを述べてみるといい」
「...あの悪魔はどうやってか分かりませんが味方同士との交信が可能のようです、周囲の状況を瞬時に把握して味方の援護を行い、状況が悪くなれば後退する。あのような視覚的視野の狭い兵装で何故そのような事が可能なのか分かりませんが。恐らくあれば只の武装ではなくもっと高度な兵器の一種だと考えます」
「敵がこちらの動きを読んでいるかのような戦いについてはどう思う」
「高度な通信機械を兼ね備えている兵器と仮定して後方に指令所となる拠点を形成し、其処から命令を全体に伝播させているのではないかと考えます.....」
「なるほどそうか」
「ですが荒唐無稽な事です。そのような兵器は聞いた事がありません!通信機械にしてもリアルタイムで交信できる程の代物は連邦にも存在しません!」
そうだ、そんな物は存在しない。無いものを定義して考えるのは夢想家のする事だ。軍の参謀としては発想が飛躍している。現実的合理性がない。合理性のない考えはまだ仮定でしかない。それなのに大隊長殿は、
「その仮定が合っている前提で戦うとしよう」
「ええ正気ですか....!?」
「正気も正気だ。お前は正解に近づく力を持っているが正解を当てる力はまだまだだな」
確かに大隊長殿のような即断即決ができる判断力は持ち合わせておりませんけど。
そんな笑って言わなくても良いじゃないですか。
「――安心しろ私も同じ事を考えた」
「なんですって」
「お前と意見が一致したなら仮定は限りなく正解に近づくのだよ副官君」
「ですが敵の異常性は変わりません、どうやってアレを打破します」
「君が自分で言ったじゃないか敵の指令所があると。私はもう目途を付けたよ」
「......まさか!」
「ああ、あの高台に敵の指令所はある」
彼女が指を指す先は、先ほど第三十三ー八中隊が全滅の憂き目に合った制圧目標だ。確かにあそこなら全体を見渡すには格好の場所だ。大隊長殿が同じ考えだったと云う事は、もしや第二波の目的は敵の指令所を炙り出す為の陽動作戦だったのか、
「三つの進軍ルートの内、あそこが最も早く激しい迎撃を受けた。恐らく敵の中でも精鋭にだ。よほど守りたい者が居るのだろう。故に高台を制圧すれば奴らの統制は失われると考えて良いだろう。歩兵を高台の背後に回して攻略する、第三波はそれの援護だ準備を進めてくれ」
まさか其処まで考えての第二波攻勢だったとは思い至らなかった。
我らが大隊長殿はたった二度の攻撃で敵の指揮官を見付けてしまったのだ。
次の第三波で決着はつくだろう。
「それでは直ぐに攻略部隊の編制をしてきます」
「――いや違うぞ、私達の役割は援護だ。攻略部隊にはもう准将が要請を頼んであるだろう」
「我々以外の部隊で?」
驚きを隠せなかった。
自慢ではないが我が部隊は精鋭だ。大隊長殿においては既に将校クラスの力量を持つ。連邦軍中を探してもこれだけの部隊は存在しない。
その我々を差し置いて攻略部隊を任されるとは、どこの部隊だ。
「性格には難があるが有能だ、准将に助けられて少し丸くなっていたがな」
可笑しなものを見たとでも言いたげに笑みを浮かべる大隊長殿を見てますます謎が深まる。彼女が准将という人物はウェンリー准将の事だろう。最近、何やら仲良さげに話しているのを大勢が目撃している。あの野郎、手出したらぶっ殺してやる、それは部隊全員の総意だ。
.....まあいい。
それよりもウェンリー准将が助けた部隊と聞いて思い当たる節がある。
数日前に北の上流で保護した部隊があったのだ。
だが、まさかあの生き残り部隊を使うとは思わなかった。
あるいは彼自身の要望だろうか。
—――――――
―――――――――
それから十分後、準備を終えた第三十三装甲大隊の元に通達が来た。
「――攻略部隊が予定の地点に到着しました。作戦を開始します」
それを聞いた彼女は無線機をonにして、
「大隊総員突撃せよ、これが最後の命令だ。武運を祈る」
温存していた戦力の全てを叩き込むつもりだ。手加減する気はなかった。
いや、その余裕もないのだ。驚く事に追い込まれているのは我が部隊も同様だ。ここで勝てなければ逆に窮地に陥る可能性がある。ありえない事だが、戦場では何が起きるか分からない。奇跡もあれば地獄もある。混沌が支配する場所だ。
....いや、やはりありえない。
どうあがいた所で高台の帝国軍が彼の将軍に勝つ確率はゼロに等しい。
その男は最年少で将校過程を突破した英才だ。
直ぐにでもあの高台は制圧される。
なぜなら我が連邦軍が誇るその男――
ヒューズ・フェリクス中将率いる4千の兵が高台攻略を開始したからだ。
、
***
....天才という名の自負は粉々に打ち砕かれた。
それがこの戦争で俺が得た唯一の戦利品だ。
その他大勢の凡人は天才の為にその生を投げうつのは当然の事だと思っていた。
だが人生で最大の辛酸を舐めさせられて、
泥にまみれながら恐怖に引き攣って逃げて来た事で分かった。
俺は天才だと思いあがっていただけの凡人に過ぎなかったのだと云う事を。
大勢の部下を見捨てて逃げたのは戦略上の観点からではない、死にたくなかったからだ。それ以来、何のために生き延びてしまったのか考えるようになった。彼らの死を無駄にすることは許されない。
彼らの死を背負い、彼らの無念を払う事が俺に許された唯一の償いなのだ。
そして今、その好機はやって来た。
6万人を切り捨て敵の激しい追撃から生き延びたのはこの時のためだったのかもしれない。
そう思えるほどの好機。
上手くいけばこの戦いそのものを終わらせる事が出来るだろう。
最初は疑問だった。
なぜ戦線が崩壊しないのか戦場を見渡す中、不思議に思っていた。
空からの爆撃をまともに受け正面から大軍に押されている。
これ程の被害を受けて敵の士気は絶望的なはずだ。
にもかかわらず戦いは続いている。ありえない。
戦えるはずがないのだ。兵士というのは群として機能している内は機械の様に動く事が出来る。だが一旦それが機能しなくなれば脆い。戦線は歪に綻んでいる。大勢の前線指揮官が不在、あるいは戦死したのだろう。つまり集団的機能は絶望的なレベルに低下している。
言うなれば各自の部隊が独断で行動している状況だ。幾つもの部隊が戦場の只中で孤立している。本来であれば其処まで群としての機能が弱まれば戦意を喪失して敗走するか、呆気なく刈り取られるものだが、敵の抵抗は予想以上に強い。
それは敵の士気が高い事を意味する。
この状況で前線の兵士が諦めない理由は一つだ。
――それは軍団司令官の存在に他ならない。
帝国軍の司令官が危険を冒して前線に出張る事で、彼らの士気を首の皮一枚で繋げていたのだ。
それを知った時は驚きよりも感嘆した。感動すら覚えたと言っていい。
司令官自ら危険を承知で前線に出向くなど普通ではありえない。
後方の安全圏で指揮を執るのが普通だ。何時でも逃げられるように。
だが敵はそれをしない。普通なら愚かと断じられるべき行為だ。
だが普通とは何だ?
凡人が定義した浅はかな考えの事だ。故に敵をその定義で当てはめる事は出来ないだろう。何故なら敵は普通じゃない――化け物だ。
先の戦いで感じた畏怖、決して俺程度の凡人では理解できない常識を超えた何か。
それこそが天才なのだろう。
「―――」
きっと彼を止めなければ、この状況は逆転する。
もう既に未知の爆撃機を撃墜するという前兆が現れ始めていた。急がねば。
あの化け物を捕らえるチャンスは今しかない。
倒すではなく、捕らえる。
彼――帝国第三皇子ラインハルト・フォン・レギンレイブを捕縛する絶好の瞬間は今この時だ。
帝国の皇子を捕まえる事が出来れば高度な政治的材料に使う事が出来るだろう。
見捨てた部下達に報いる事ができる。
彼が指揮しているであろう高台に数千の兵を差し向けた。
喉元に刃を突きつけられた状態でどう凌ぐ。
もし逆転を講じる手があるというのなら見せてくれ。
この卑賎な凡人に六万人を殺したあの時の様な鮮やかな一手を。
だが今度は俺も一緒に戦う。もう逃げはしない。
ヒューズは敵であるラインハルトに魅せられていた。決してたどり着けない境地に至っている敵に対して尊敬すらしていた。その過程で得た挫折が彼を強くした。自分の弱さを認めた事で地に足が着いたのだ。指揮官として一段階押し上げられた彼の部隊は強く。あっという間に高台を制圧するかに思われた。
――だが、それを許すはずがない男がいた。
第15軍団攻略部隊4千人が中腹まで差し迫った時、彼らの前に現れたのは、それまでとは異なる部隊だった。真紅を基調とした黒衣の軽鎧装部隊。腰には帝国所縁の儀礼剣を差し、多連装機関銃で武装している。その陣容からは不退転の意思を明確に感じられる。最初から撤退する気は微塵も無い。敵から放たれるプレッシャーで立ちはだかる壁を想起した程だ。
時刻は13時45分。
早くも真上の日が傾き始めた高台を舞台に、この戦争の行方を決める戦いは始まる。