「――後退ですか」
その通信を聞いたターニャは高台攻略が失敗に終わった事を悟る。
信じられない事だった。
作戦の成功率は高い、作戦前はそう思っていた。
だが結果はこの通りだ。
ターニャの視界には戦車の残骸が映っていた。彼女の第三十三装甲大隊の保有する中戦車だ。それが夥しい数、大破していた。それを視野に耳は無線機に傾けながら疑問に思った事を問う。
「私の部隊だけではなく、全部隊を後退させるのか?」
『はい、全部隊を平原中央のクレーターまで後退させます、そこで敵を向い撃つ算段です』
「本気で言っているのか?私の部隊はほとんどの戦車を失ったが、まだこちらには三万の将兵と、
ビンランド合衆国義勇軍の爆撃機が健在だ。まだ我々は負けていない!」
『っ!――そうは言われても上官命令ですので!コール33は指定の位置に向かってください!』
「何だと貴様、どこの部署だっ上官の名前を言え!勝算があるのに引き下がっていられるか!」
なぜか統制官と喧嘩腰の言い合いになった。
確かに自分を含め多くの犠牲が出たのは認める。
だが空からの爆撃という圧倒的なアドバンテージがありながら、後退するのはどういう事か理由を説明しろ。というのがターニャの言い分である。かくなるうえは上官某に掛け合ってやろうと思っていた。だが好都合な事にその上官の方が割って入って来た。
『あーここからは僕が説明します、君は別の部隊にコールをお願いします』
――この威厳の欠片もない声はもしや。
『あ、変わりました僕です分かりますか?』
「え、ええ....やはり准将でしたか。
.....それで後退の理由に関してはいったい?いま後退すれば我が軍は完全に勝算を失います、それは准将も分かっているはず」
『ターニャさんが疑問に思うのも当然です、ですが少々事情が変わりました』
「事情ですか?」
『はい、600秒後に爆撃機は完全撤退を開始します』
「っなぜ!?」
『知っていると思うけど、合衆国は僕らの連邦とは軍の仕組みから違う。その戦法や戦争理論も全く異なる仕組みで構成されている』
「勿論それは知っていますが、戦争理論が違う?.....まさか」
『そのまさかで、僕もさっき知ったんだけど。
....つまり――戦闘ドクトリンも根本から違ったんだ」
戦闘ドクトリンとは、
作戦・戦闘における軍隊の基本的な運用思想の事を言う。
それは不原則的な戦争を学術的に研究したものであり、簡単に言うと教科書のようなものだ。
才能がない者でも読み込めば誰でも一定の効果を上げる事ができる。
つまり戦闘ドクトリンとは軍隊の行動指針を決める時に欠かせないものなのだ。
因みに電撃戦もコレの一種である。
「僕たちには意識のズレがあった。この大進攻は連邦軍にとって、その後の命運を分ける程の戦争になると考えられている。どれ程の犠牲を出しても負けるわけにはいかないと本国は覚悟の上で犠牲者に対する見積もりを出した。だけど合衆国はそうじゃない、彼らは僕ら程に決死の覚悟で挑んでいる訳ではない、それが撤退戦略案に現れている」
「あ!」
彼の言わんとしている事が分かった。
撤退戦略案。つまり兵力数が一定の数を割った場合のみ撤退が許される割合の事だ。
連邦と合衆国ではその割合が違う。
なぜそんな当たり前の事を失念していた。
その時、ウェンリーの言葉を思い出す。
600万からなる大軍故の慢心。――それがこれか。不味いぞ。
ただでさえこの国は一世一代の大博打を行っている最中だ。
「.....確か連邦軍の撤退許可割合数は撤退が5割、降伏可能が7割越えだったはず」
コレは通常の連邦軍の割合ではない。
本作戦[ノーザンクロス]では直ぐには撤退できない様に割合が引き上げられている。
連邦の決死の覚悟が窺える。
――では合衆国義勇軍は?
「撤退が3割、降伏可能は5割越えだ」
「なんてこと」
目を覆う。
あの爆撃機は今まで何機撃墜された。
私が視認しただけでも10機を超えていただろう。
彼女の予想通り、
総勢60機の爆撃機部隊『フライングタイガース』はこの時点で被撃墜数18機に上っていた。
3割という条件を満たしている。
半ば機械的に合衆国義勇軍は戦闘ドクトリンに基づき、撤退を決めた。
陸地に取り残された連邦軍を見捨てて爆撃機は西の空に旋回していく。この時、彼らには連邦軍を見捨てたという気はなかった。仕方ないのである。軍の規制に忠実なだけ。
あらかじめ決まっていた事を実行している、ただそれだけだ。
だが連邦軍にとってはたまったものではない。
「クソッ!民主主義を騙る拝金主義者共が!」
遠くの空に消えていく飛行機の群れを忌々し気に睨みつける。
あっという間に影も形も無くなった。
恐らく西の空軍基地に向かって行ったのだろう。
この時点で戦いの優劣は最初に戻った。
不味い事になる。制空権を失った以上、勝負の行方は兵力数がモノを云う。
電撃戦で1万を削ったとはいえ、帝国軍は6万もの兵を残している。
こちらは3万弱を下回る、単純に二倍の兵力差である。
真正面から立ち向かっては勝ち目がない。
後退を決めた准将の判断は正しかった。
「分かりました直ぐに後退を始めます」
ターニャは自らの過ちを理解して、直ぐさま前線から退く準備に取り掛かる。
彼女にしては諦めが早い気がする。
自慢の戦車部隊を壊滅状態にさせられたのだ。彼女の怒りはいかほどのものか。想像しただけで副官は身震いしていた。激情のままに攻撃を仕掛けるかと思ったが彼女は冷静に指示を出している。
それは彼女が受けた任務が関係していた。
ターニャが与えられた任務というのは先述した通り――
ターニャの目の前には数輌の中戦車が鎮座している。
シャーマン中戦車でもなければ連邦製の戦車でもない。帝国軍Ⅸ号戦車だ。
より正確に言えば突撃機甲旅団が保有する戦車を鹵獲したものだ。
ターニャは既に目的を達成していた。これを本国に送還すれば任務は成功だ。
――部下の死はこれで報いる。
美しい壮健な戦車だ。最初の爆撃で戦闘不能にしていなければ我が部隊はこの戦車によって負けていた。これを本国が研究したら連邦の戦車製造レベルは向上するだろう。
これらが連邦で量産され戦線に配備される事になれば最も帝国軍を苦しめる兵器となるはずだ。
それが私なりの復讐だ。
しかし、それを妨げる存在が居る事をこの戦場で知った。
人の形をした帝国の新型兵器だ。
もしあれが帝国で量産される事になれば悪夢でしかない。
戦車戦という概念が根底から覆される。
だからこそ知識をこちらも有する必要がある。
「――そう思って鹵獲したのだがな」
Ⅸ号戦車の横にガラクタが山積みされていた。
何らかの部品だったのであろう機械が無造作に重ねられている。
それはヴァジュラの残骸だった。
破壊されたもの、捕縛されたものとで分けられていたのだが、今はゴミとして一つに固められている。そうこれはゴミだ、驚異の戦闘兵器でも、それ以外の何でもなく、無価値なものとしてただそこにある。
つい先ほどまでの戦利品はこうだ。
戦闘不能にしたもの――8体。
鹵獲したもの――4体。
計――12体のヴァジュラをターニャは手に入れていた。
今は0だ。コレがどういう事か分かるだろうか。自爆したのだ。背中のラジエーター機構が限界負荷に達して内部から爆発した。これで外部・内部ともにダメになった。
中の人間が苦しみながら死ぬのをターニャも見ていた。
恐らく敵に奪われる事を防ぐための処置だと考えられる。
だが、あれは人が作り上げた物のする所業ではない。――と考えるのがこの時代の価値観である。
故に、
「これを作った人間は普通じゃない、多かれ少なかれ狂っている。
こんな物を作る、造れてしまう帝国は人を人とも思っていない証だ!!」
そう思ってしまっても仕方ない事だ。
彼女もまた帝国の圧政に虐げられた一人なのだから。
――やはり帝国臣民は虐げられている。
彼らを助ける事が出来るのは私達だけなんだ。
帝国の圧政に苦しめられている人々を救う事こそがターニャの真の目的だ。
そして故郷をこの手で開放する。
母に託された夢を思い返していたターニャの元に驚きの報告が舞い降りた。
一人の兵士が駆け足気味にやって来て、
「――例の鎧兜に生き残りがいました!」
「なに、本当か!?」
「はい重傷ですがまだ息があります!」
「私の元に連れて来い。――いや私が行く!」
制止を聞く前に兵士の横を走り抜ける。
そこは直ぐに着いた。
ここまで近いと前線から最も深くまで入り込んだ敵だろう。
つまり連中の中で最も強い精鋭と推測できる。
到着したターニャの前では、ちょうど鎧から中身を引っぺがす作業が終わる所だった。
見るも無残な姿だ。生きているのが不思議な程に。
特に背中の傷が酷い。皮が割け肉が焼け爛れている。恐らくだが爆発の衝撃で背骨も折れていた。何も処置しなければこの男はもって数分で死ぬ、素人目でもそれが分かった。
ターニャにとってこの死にかけの男は部下の仇だ。殺してやりたい程に憎い。
このまま放置してやろうかと思った。それも一瞬の事で、
「救護班を呼べ。この男を助けるぞ!帝国の犠牲者だ!」
男を助ける事を選んだ。
素早く兵士にタンカーで運ばせて衛生兵の元まで向かわせた。
帝国の非道な実験に巻き込まれた哀れな犠牲者を助け出す。――という同情だけで助けるわけではない。その情報を抜き取る事で帝国に打ち勝つ鍵とする。
連れて行かれた男を見送ったターニャは傍らに放置されていたヴァジュラを見下ろす。吹っ飛んだ背中の辺りに型番が刷られている。番号名――001、恐らく隊長機だ。唯一この男だけが生きていられたのも、それが関係しているのだろう。そう考えると納得がいく。この男にだけ特別な安全機構が備わっていなければ他と同様に即死だったはずだからだ。つまり男は帝国軍にとっても特別な地位にいる可能性が高い。
――情報局に渡したら拷問されるだろう。それとも.....。
「まあいい、考えるのは後だ――撤収するぞ!」
被りを振って歩き出す。帝国軍が攻勢を仕掛けてくる前に離れるとしよう。
.....ふと振り返って高台を見据える。
そういえば帝国軍の様子が大人しい気がする。前線から聞こえていた激しい銃間の声が段々と弱まっていた。もしかすると帝国の方でも何かあったのかもしれない。――引き分けたか。
だとすると.....本隊は間に合うかもしれないな。
明日の明後日、約10万の兵が到着する。
そうなれば北東戦線本隊が今度こそ帝国軍を蹂躙するだろう。
私達は負けたが目の前の帝国軍に――勝ち目は無い。