仮面の女は目下、
ラインハルトを拉致して森の中の逃走を続けていた。
成人男性を抱えているとは思えない速さで。
どんどん戦場から離れていた。
やがて河川にたどり着いた。深くはないが、かなり川幅がある。
飛び越えるのは難しい。
流石にラインハルトを抱いて向こう岸に渡る事はできなかったらしい。
そこで仮面の女の逃走劇は終わる。
ラインハルトを地面に降ろす。
その際の所作は壊れ物を扱うように優しいものだった。
敵であるはずのラインハルトをなぜそのように扱うのだろうか。
少なくとも他人が見れば疑問に思うだろう。
とにかくだ。仮面の女はラインハルトに危害を与える気はないらしい。
横たわらせたラインハルトを優しく揺する。
だがラインハルトは目を覚まさない。
あれ?——っと仮面の女が首を傾げる。
ゆさゆさと揺すっても......反応がない。
ここで仮面の女が慌てた様な動揺を見せる。
あれだけの弾幕の中を涼し気にしていたあの仮面の女がだ。
おかしい。どうして、そんなはずはないと言わんばかり。
他者を威圧し欺く仮面が剥がれたかのように見えた。
可憐な少女の様にあの手この手で起こそうとしている。
ここで仮面の女は気が付いた。
ラインハルトの口元が薄っすら笑みを浮かべている事に。
——って。
「っ起きてるではないですか殿下!?」
「——クハハハハ!久しいなセルベリア!」
仮面の女——もといセルベリアは驚いた様子で仮面を脱ぐ。
艶やかな銀髪が露わになる、輝く美貌も変わらない。
だが今は奇妙な表情になっている。
ようやく騙されたのだと気づき。赤ら顔になる。
もう意地が悪い。久しぶりに再会できたばかりだというのに。
そんな思いでラインハルトをジト目で見る。
「悪かった.....会えて嬉しいよリア」
「っ....で、殿下ぁ.....!」
「おいで」
広げられた腕に向かって子犬の様に飛び込む。
力強い腕に抱かれてセルベリアは惚けた。
二か月間の労力が報われた瞬間だ。
そうセルベリアは半月近くも、ラインハルト達より早くガリア公国に潜入していたのだ。
今回の潜入計画。まさかラインハルトが先頭であるはずがない。
ラインハルト組は——最後に来たのだ。
既に多くの仲間達がガリアに潜伏している。
全てはラインハルトの計画だ。
まずセルベリアと邂逅するのが第二の関門だった。
「....まさかと思ったよ。
まさかお前があの様な部隊に潜んでいるとは思わなかった」
「申し訳ございません殿下。あの部隊は特殊ゆえ隠れ蓑にするのに都合が良いと思ったのです」
「お前はギルランダイオ要塞で顔が割れているからな。直ぐに俺が気づくべきだった許せ」
そうだ、もっと早くに気付くべきだった。
ギルランダイオ要塞で交戦したという。
セルベリアの報告にあったあの部隊だと。
そうかそこに身を寄せていたのか。
「あれが....カラミティレーベン。ダルクス人部隊か」
噂には聞いた事がある。
過酷な戦地には常に彼らの姿があり。
常勝無敗のダルクス人だけで構成された部隊があると。
兄上直轄の特殊部隊だ。俺でも手が出せなかった。
よくもそんな異質の部隊に潜伏できたものである。
「部隊長ダハウに謀反の兆しあり。
奴の目的はダルクス人の自由経済権と都市の自治権です。
それらを与えてくれる者の方につくでしょう。私の目から見ても実現に足る男です、味方に引き入れれば殿下の力になるでしょう」
「それほどの男か興味があるな。一度話をしてみたいものだが」
いまはその時間が足りない。
直ぐにでも敵味方がここにやって来るだろう。
その前にセルベリアと計画の詰め合わせをしなければならない。
「聞けセルベリア今後の計画だが——」
「はい分かっています。
殿下の護衛であるガリア軍部隊を全滅させる事で殿下の死を偽装する——でしたよね?
その後、我々と行動を共にする。それが計画の第二段階だったはず」
「.......」
すらすらと告げるセルベリアの言う通り、
当初の計画ではセルベリアの部隊で俺の護衛部隊を襲わせるつもりだった。
つまり俺は——いや、ハルトは本来ここで死ぬ予定だったのだ。
ハルトという存在をガリア公国から消す。偽装工作。
成功すれば俺はガリア公国の追撃の手から逃れる事が出来る。
王都に入る手は幾らでもある。
この戦時下だ。難民で溢れかえっている今、潜り込むのは容易い事だろう。
——ウェルキン達を殺す事さえ出来れば。
.....無理だな。
直ぐに結論は出た。
ウェルキンは殺せない。
「悪いなセルベリア計画は変更だ」
「え?」
「俺は義勇軍と王都を目指す事にした。
お前は引き続きカラミティレーベンと行動を共にしてくれ」
っとセルベリアに言ったところ、
何を言われたか分からない。
そんな顔でセルベリアは俺を見ている。
やけに嬉しそうだった顔が一転、徐々に悲し気なものになる。
「何故です?」
「ウェルキン.....俺を護衛する部隊長だ。
彼は帝国軍からクローデンの森を奪還した英雄だ」
これの意味するところは大きい。主に軍事の面では、
実質メルフェア市を救った事と同じ事だ。
そして穀倉地帯であるメルフェア市を救ったという事はガリアを救ったという事だ。
分かるな。もはやウェルキン・ギュンターは彼自身が知るよりも遥かに重大な存在になりつつある。もうすでにメルフェア市から発信されてガリア国内に広まっている頃合いではないだろうか。
近くに従軍記者が居た事からまず間違いないだろう。
恐らくだが王都から招集されているはずだ。
あるいはこれから声が掛かる。
そんな男を殺してみろ、どんな悪影響が起きるか考えただけで頭が痛い。
それは俺の目的に沿わないし、ガリア公国の弱体化は避けたい。
何よりこれからの戦いにウェルキンの力は頼りになる。
だから殺す訳にはいかないのだ。
分かってくれるなセルベリア。
「分かりません」
そうかそうか分かってくれるか.........ん?
聞き間違いだろうか、分からないと聞こえた気がしたのだが。
そういえばさっきからセルベリアの様子がおかしいような。
困惑する俺に向かってセルベリアは言う。
「それはあくまで殿下の希望的観測に過ぎないではないですか。
このまま殿下を敵の手の中に置く事は私が容認できません。
そこにいては貴方を守れない」
「......それでも計画変更に変わりはない、持ち場につけセルベリア敵が来るぞ」
「嫌です!」
頑なに俺の命令を拒むセルベリア。
こうまで我儘を言うのは珍しいな。
どうすればいい、どう説得すれば彼女は納得してくれる。
考えあぐねているとセルベリアが妙な気を発し始めた。
殺気ではない。だが俺に向かって放たれている。
「何をする気だ」
「貴方を力づくにでも連れて行きます。
処罰は後でいかようにも」
「本気か?」
「はい」
先程のような演技ではなく。
どうやら今度は本気でセルベリアは俺を攫う気らしい。
それは困るな。
確かに彼女の所にいた方が身の安全はあるかもしれない。
だが俺とて覚悟の上でここまで来たんだ。
これが最善と判断した自分の意志は通させてもらう。
そして俺の意志は変わらない。
「ならば抵抗するとしよう力の限り本気でな」
「私に勝てるとお思いですか」
「勝つ?勝つのではないお前が負けるのだ」
「?.....ご冗談を」
ふっと笑うセルベリア。
完全に俺をなめているな。俺を攫うのはもう確定している後のようだ。
傲慢だな。やれやれどうやら俺を本当に本気にさせたようだ。
その鼻っ柱を負ってやる。
たまには負ける苦みを知るのもいいものだぞ。
腰を僅かに落とすセルベリア。
いつでも動けるように力を込めているのだ。
それは肉食獣が獲物を狙う姿を連想させた。
それを見てもラインハルトは無型のまま。
「.....構えないのですか?」
「必要ない。ことお前に限ってはな....」
そのふてぶてしい態度にセルベリアの目が鋭くなった。
....殿下は私が本気を出さないと思っているのか。
ならばその考えは間違いだ。私は本気でいく。
それが殿下を守る最善だと信じているからだ。
私が守りますから。だから——
「戻って来てください!」
言下にセルベリアは走り出す。その勢いだけで地面が砕け砂利が舞う。
足場の悪さをものともしなかった。ノータイムでラインハルトの視界から消える。
驚くべき速さだ。
次に現れた時はもうラインハルトの背後に立っていた。
ラインハルトが気づいた様子はない。
——取った。後は当て身で気絶させるだけ。
申し訳ございません殿下、御身に傷を与える事お許し下さい。
決着は風が吹くよりも一瞬だった。だがその一瞬早くラインハルトの
「愛してるぞ......リア」
「——ふぇ!?」
いきなりの愛の告白に変な声がでた。
——いいい、いきなり何を言ってるのですか。
動揺を全く隠せなかった。たったその一言で。
カアッと体が熱くなる。銃弾に撃たれた様に動けなくなった。
ラインハルトと目が合う。さも真剣といった様子で、
「お前を心から愛してるよ。
誓おう、この世の誰よりもお前が大切だ。
この戦いが終わったら......」
何だか気になる事を言ってきた。
この戦いが終わったらこの戦いが終わったら何ですか!?
その後を凄く聞きたいです!
続くラインハルトの言葉を待つ。
もう全ての集中力がそこに注がれていた。
だからだろう。おもむろにラインハルトが手を高く振り上げ、
——ぺしっと手刀を自分の頭に叩き込むのを黙って見ているしかなかった。
「お前の負けだ」
「??」
突然の勝利宣言。遅れて気づく自分があっさり負けた事を。
今の手刀が本気だったら気を失っていたのは私の方だ。
愕然とする。
——な、納得できない。
何だか理不尽なものを見た気がした。
「こ、こんにゃ事で私に勝ったつもりですか。そ、そんな事——!?」
頬に手を当てられたと思ったらいきなりキスをされた。
何が起こっているのか理解できない。
抗議していた口が塞がれた事だけは分かる。
静かに流れる川の音が何故かやけに大きく聞こえた。
ここが敵地だとか、そんな些細な事はどうでもよくなる。
視界が霞がかる。酸素を求めて口を開く。にゅるんと舌が入って来た。
——!?
口内の侵略者を撃退しようと舌で押し返すも。
返す刀であっさり撃退された。サーベルの様に舌を巧みに操り硬口蓋を刺激される。
内臓に手を入れられたようなものだ。
為すすべなく口内を蹂躙されていく。
舌先で突かれる度に快楽が脳内を支配する。
もはやどうすることもできなかった。
こちらの刀はとっくに折れている。
完全に戦意喪失した。
1分の応酬の末とどめを刺されたセルベリアは地面に座り込み。
切なげに下手人の男を見上げる。
「これで認めるか負けを」
「.....はい」
真っ赤な顔で頷いた。
ラインハルトは実に晴れやかな顔でよしと言った。
最低であるこの男。
本気を見せるってそういう意味かよ。
——っと突っ込みどころは多いがとにかくラインハルトはセルベリアを納得させることができた。ならば展開は次に進む。セルベリアの耳に口元を寄せ、次の命令を与えた。
彼女はそれを黙って聞いている。
「——以上が次の命令だ。俺を守るという意味では同じ事だ」
「.....分かりました私が殿下を王都まで導きます」
そこでタイムリミットがやってきた。
森の中からイムカを先頭に第七小隊が突撃を敢行してきたのだ。
俺達を発見して武器を構える。正確に言えば俺の後ろにいるセルベリアに向けて。
撃つな!とウェルキンが指示を出す。
時を同じくして向こう岸からも敵が現れた。
ダルクス人の大男が先頭にいる。
もしやあの男がダハウか。
俺達を間に挟んで第七小隊とカラミティレーベンの緊張状態が構成された。
どちらも撃てない状態という事だ。
「行け.....リア」
「.....はい」
仮面を被り直してよろよろと立ち上がる。
俺は両手を上げた。
ゆっくりとセルベリアが俺から離れていく。
川を渡って向こう岸に着いた。
「——ハルト!」
十分に離れた事を確認してイムカが駆けつける。
俺の前に立ち弾避けの盾になる。
大丈夫だ敵は撃たない。
その時、向こう岸のダハウと目が合った。
驚いた様子でイムカと俺を見比べている。
恐らく俺の正体を知っているのだろう。
ダルクス人のイムカと俺の関係性を把握しかねているようだ。
....ダルクス人の自由と自治か。
あの男にとっては果てしない道だろうな。
俺に何ができるかは分からんが。
助けはしてやろうと思う。
それを伝える方法を考え、何気なく俺はイムカの肩を抱いた。
共存と繁栄を意味して。
これだけで伝わる訳はないが。それでも少しは意思が伝わればいい。
何かを感じ取った様子のダハウは誰にも気づかれない程度の会釈をして、部隊を率いて森の中に消えていった。目的を達成しこれから退却するはずだ。
じきに俺達も先に進めるだろう。
王都まであと少し。
爆死.....しろ