あれから人知れず森を抜けだしたネームレスは、
クルトの計画通り僅か数日で道程を踏破し、対象の前に回り込む事に成功。
木々が密集した林道に潜むネームレスの面々は対象が通りかかるのを狙って待機していた。
目的は対象の捕縛一点のみ。
唯一の障害は護衛の義勇軍第七小隊。
本来は味方である彼らと戦う事になる。
被害は最小限に食い止めなければならない。
人知れず彼らはそんなプレッシャーと戦っていた。
あと数時間後に対象がここを通る。
日が真上に来た、日差しが視界を遮る。正にそんな時だった。
「.......ん?」
そこでクルトは異変に気付いた。
何だ?いやに静かだ。
遅れて気づく。そうか動物の気配が全くしない。
さっきまであった鳥の囀りさえも今は何処かに消えていた。
残るのは肌に張り付く様な緊張感のみ。
それは数日前からあった感覚だ。
まるで誰かに見つめられているような不快感。
仲間に索敵をさせていたが原因を掴む事は出来なかった。
だが、やはりおかしい。
俺達以外に誰かが居る。
極限まで張り詰められた状況のおかげで気づけた。
声をかけようとした。
——その瞬間。
「——っ!クルト危ない!」
間髪入れずリエラがクルトを地面に押し倒した。
その上をライフル弾がかすめ飛んでいく。その破壊力は凄まじく、後ろの木が粉砕された。バラバラと木っ端が舞い落ちるのを目撃するクルトの背筋に冷たいものが走る。
常人離れした直感でリエラが守ってくれていなければ、今頃俺は致命的な重傷を負っていたかもしれない。だが何よりここまで接近されて気づけなかった事実にゾッとする。
「って、敵襲——!!」
反射的に叫んで仲間に知らせる。遅すぎる指示にクルトは歯噛みした。
はっと状況を理解したネームレスが対応を開始する。
林道を介しての戦いが始まった。
あちこちで銃撃音が鳴り響くのを聞きながらクルトは周囲を見渡す。
どこからか現れた不明の敵を確認する。
クルトの顔が驚きに満ちた。
「まさか仮面の兵かっ!?」
報告で聞いていた奇妙な仮面の兵士が木々を挟んだ先に居た。
なぜ奴らがここに?
その疑問を考える余裕はなかった。
なぜなら敵はもう目の前まで来たからだ。
射程距離内に入った敵は構えた突撃銃を向けて乱射する。
密集する木を盾に防ぐクルトは武器の安全装置を外す。
考えている余裕はない。
まずはこの状況を打開する。
近くにリエラが居る。アイコンタクトを送る。
直ぐに了解の合図が返ってきた。
——よし行けリエラ!
目線による無言の号令でリエラは走りだした。
横を走り抜けようとするリエラに敵の照準が向けられる。
撃ちだされる弾雨を俊敏な動きで躱すリエラ。
敵の注意がリエラに向いた。
「ここだ!」
クルトの攻撃が敵に襲い掛かる。
突撃銃から放たれる無数の銃弾が敵を貫いた。
断末魔の声が響き渡る。
敵をひとり撃破した。
「リエラ無事か」
「うん私は大丈夫だよクルトは?」
「リエラのおかげで無事だ」
どうやらお互い怪我もないようで良かった。
ほっと安心するクルト。二人の視線が敵に向く。
「クルトこれって.....」
「ああ、完全に尾けられていたな」
でなければこうも接近して気づかないはずがない。
敵は俺達に完全に狙いをつけていた。
いったいいつから敵は俺達を補足していた?
一瞬でいくつもの疑問が湧いては消える。
だがその猶予すらも敵は与えてくれない。
次々と出没する敵がこちらに向けて一斉射撃を敢行してくる。
その攻勢にたまらずクルト達は後退を余儀なくされる。
あちこちで仲間の怒号が響き渡るのを聞く。
なんとか仲間は無事のようだ。
こんな状況下で誰一人として犠牲者が出ていないのは流石といえる。
だがこのままでは遠からず仲間の誰かが死ぬ。
そうクルトは確信した。森に向かって叫ぶ。
「グスルグ聞こえているか!?全員を撤退させろ!!」
選んだのは撤退。
それはつまり作戦の失敗を意味する。
だがクルトに後悔は微塵もなかった。
ここで仲間の誰かを失う方がずっと後悔するだろう。
だからこそ、その命令に躊躇いはなかった。
「分かった!クルトお前は!?」
こんな時でも頼りになる俺の仲間は直ぐにみんなをまとめてこの場を離れるだろう。
だがそれには少しの時間がいる。
誰かがこの場に残る必要があるのだ。
「俺が時間を稼ぐ!」
そしてそれは隊長である俺の役目だ。
「っ待て!だったら俺が!」
「俺が一番敵に近い逃げきれん。これが最も合理的判断だ。.....君に部隊を任せる」
恐らくこれが最後の命令になるかもしれない。
グスルグなら俺なき後の部隊をまとめるのに適任だ。
彼なら上手くやってくれるだろう。
最後の命令を送り出した。
いやまだ一つ残っていた。
「リエラ君も早く——」
「——私もここに残るからねクルト」
言い終わる前にリエラが言葉を遮る。
まるでそれが当然の事のようにリエラはクルトの横に留まる。
そこが自分の居るべき場所だと言うように。
「すまないリエラ」
「気にしないでクルト、一人じゃ時間は稼げないもの」
ふっと笑みをこぼす。
こんな時でも笑みを絶やさない彼女に対してクルトは申し訳ない気持ちで一杯になった。だが同時にクルトの思考は合理的判断を下す。
「分かった。——行くぞリエラ!!」
「うん!」
奮起したクルトは銃撃戦を開始した。
全ての弾倉が尽きるまで懸命に引き金を引く。
どうやら倒された仲間を見て慎重になったのか。
敵は前に出てこようとしない。
あるいはこちらの動向を読み弾を尽きさせる算段なのか。
どちらにせよ好都合だ。
これで時間を稼げる。
クルトは木の陰を伝いながら動き回る。
出来るだけ射線に当たらないよう気を付けながら戦った。
リエラもクルトの体に張り付くように移動する。
お互いがお互いを守り合う、息の合ったコンビネーションだ。
普通の兵士なら既に何回も死んでいる状況を辛くも潜り抜け続ける。
しかし
そして——
カチンという撃鉄の空回る音を聞いた瞬間、
クルトはその時の訪れを悟った。
全ての弾丸が尽きたのだ。
力なく銃口を地面に向ける。
.....ここまでか。
俺達の健闘も空しく終わる。
見れば最初の一人を倒した以外はほぼ無傷の様だ。
敵は強かった。
とても用意周到だ。敵の指揮官はどんな人物なのだろう。
どうやって俺達に追跡を匂わせず追い詰めたんだ。
無駄だと分かっているが、俺の頭は知りたいという思いで溢れていた。
もし次があるなら俺は負けない。
負け惜しみにも程があるだろう。
馬鹿だな俺は。
自嘲するように呟く。後悔しても遅いというのに。
クルトは気づく。
分からない。どうして俺は後悔している?
これが最も合理的だったはずだろう。
ならば後悔する事はないはずなのに、頭はもう一度を繰り返す。
諦めきれていない。この状況で。
理由があるとするならもう分かっていた。
今も懸命に抗い続けるリエラを見る。
彼女の存在が俺に諦めさせないでいた。
どうにかして彼女だけでも逃がせないか考える。
だが無理だ。そんなことは奇跡が起きない限り不可能だ。
それでも俺の頭はリエラを生かす事を考え続ける。
.....そうだ俺は彼女に生きてほしい。
こんなところでリエラを死なせてはいけない。
俺は彼女の事が好きだから。
その結論に自然と行き着いていた。
分からない。どうして今になって俺はこんな事を考えるんだ。
この状況で頭がおかしくなったか。
だとしてもこれが俺の真意だ。
リエラに対する気持ちに気付いたクルトは完全に諦めていた四肢に再び力を入れる。弾の尽きた銃を構える。もう手持ちの武器がほぼ尽きた俺に残された選択肢は一つしかない。僅かに残された手榴弾を手に自爆特攻である。効果は低いが注目はされる。その間にリエラを逃がそう。
そして実行に移そうとした。
その時——
意図しない方角から爆発音が轟いた。
「なんだ!?」
クルトだけじゃない敵にも動揺が走っている。
いったい何が起きている。
困惑するクルトをよそにリエラが叫ぶ。
「クルトこっち!」
そう言ってリエラはクルトを先行させて走らせる。
訳も分からずクルトは言われるがままリエラの指示する方に向かって走る。
後ろから銃弾が雨あられのように襲い掛かるが木々によって奇跡的に阻まれる。
そして林道を抜けた先にネームレスが待っていた。
先頭に居るのはあの男、グスルグだ。
彼はクルトの姿を確認するとニッと笑みを浮かべ。
「よおクルト生きてたな」
その時のクルトの表情は奇妙なものだった。
困惑と驚きが綯い交ぜになった、理解できないと云った顔だ。
グスルグは更に笑みを深める。
「悪かったな遅れて。戦車を出すのに時間が掛かっちまった」
言われて思い出す。確かに先程の爆発音は戦車砲の一撃に似ていた。
ネームレスが唯一保有する中戦車c型の強化標準砲塔だ。
ようやく理解する。
彼らは俺達を助ける為に戻って来たのだと。
「どうして逃げなかった?」
「本気で言ってるなら大馬鹿野郎だお前は」
グスルグの声音に怒りが含まれる。
ハッとしてクルトはグスルグを見た。
「もう俺達に隊長を失う思いをさせないでくれ」
お前がネームレスの隊長だ、そう言ってクルトの胸を叩く。
猟犬の顔が描かれたネームレスの胸章を。
クルトはゆっくりとその意味を呑みこみ。頷いた。
「.....すまない。ありがとう来てくれて」
「ああ」
クルトはようやく笑みを浮かべる事が出来た。
それにしても、
「よく救援が来ると分かったなリエラ。まるで図り合わせたような動きだったぞ」
あの咄嗟の働きがなければ蜂の巣にされていたのは確実だ。
なぜリエラにはグスルグ達が戻ってくると分かったのだろうか。
リエラは意外と云った顔で言った。
「え?元からそういう作戦だったんじゃないの?」
はなからリエラは仲間が見捨てるとは考えていなかったらしい。
どうやら俺は勘違いをしていた。
はぐれ者のネームレス。忌み嫌われる俺達だが、何よりも頼もしい部下と思っていたが。違う。
俺なんかじゃ敵わない最高の仲間達だった。
「一時撤退する」
***
気配が遠ざかっているのを感じる。
どうやら猟犬は尻尾を巻いて逃げるらしい。
一度の接敵でそう決めた。賢い選択だ。
彼我の置かれた状況を良く分かっている。
しかし完全に撤退したわけではない。態勢を整えたらまた戻ってくるだろう。
思いのほか敵は強かった。
奇襲で総崩れに終わると思っていたがこちらの想定を超えてきた。
手痛い反撃をしてやられた。
見積もりが甘かったと言わざるを得ない。
その結果、一人の死傷者を出した。
部隊の動揺を沈めたセルベリアは深い森の奥を見詰めていた。
その背後に兵士が駆け寄る。
「隊長殿自分に追わせてください!仲間の仇を討たせて下さい!」
それに続いて全ての兵士が声を上げる。
だが静かに聞いていたセルベリアは彼らの提案を一蹴した。
「必要ない」
「隊長殿!」
必要ないとはどういうことかと兵士達が叫ぶ。
セルベリアがゆっくりと振り返る。
途端に兵士達が静まり返った。尋常ではないプレッシャーが圧しかかったのだ。
誰かがゴクリと喉を鳴らす。
仮面から彼女の声が漏れる。
「必要ないと言った。これは私の責任だ.....」
セルベリアはおもむろに背中に担いでいた武装を取り出した。
ものものしい長身のライフル銃だ。国境を渡る際に持ってきた唯一の物である。
大の男でも扱う事の難しいそれを軽々と構えたセルベリアはカラミティレーベンに告げた。
「——故にここから先は私ひとりで行く」
その姿は正に獲物を求める狩人のようであった。