お待たせしました。読んで下さり、本当に、ありがとうございます。
葵が受験を終え、結果は合格。春からこっちに住む事が決まった中で、俺は自室のベッドに寝っ転がっていた。手に持ったスマホをじっくり見つつ、静かに呟く。
「……桜と旅行に行きたい」
しかし、旅行とは幅広い。日帰りから泊まり、海や山や海外。季節によっても様々な選択肢が存在するのだ。今は冬の終盤。桜が可愛く、そして楽しめるような物は一体どんな物だろうか。永大や凛ともどこかに行きたいが、それはまた今度にして。二人で行くのならば、電車で行ける場所。
スマホの画面には、旅行でお勧めな場所が書かれているサイトが開かれている。
桜が下で昼ご飯を作っている音が途切れた。どうやら料理が終わったらしく、階段を上る音が聞こえてくる。最後に一度画面をスクロールすると、
「あ、そうだ。そうしよう」
良いものが見つかった。それと同時にドアが開き、桜が姿を現す。
「結城、ご飯出来たよ。食べようか」
「おう。なあ桜」
「ん?」
後ろ手にエプロンを外している桜へ、俺はにこやかに提案する。
「スキー旅行行こうぜ!」
「……んん?」
エプロンが、ぽとりと落ちた。
☆★☆
そして数日後。
足にはスキー板、体には防寒着、頭にはニット、手には手袋。慣れないストックを握りしめて、俺はリフトに乗っていた。
……手すりにしがみついて。
「ああああああああああああ!! 怖い怖い! 高い! やべえよリフト!」
「うるさいよ。下は雪だし、多分骨折で済むから」
「あれ? 怪我前提?」
電車に揺られ二時間程。現時刻は朝の九時。日帰りになるため、滅茶苦茶早く家を出たのだ。
俺としては泊りが良かったのだが、桜曰く、
『多分超える』
とのこと。何がだろうか。
まあそれはさておき、彼女のスキー旅行だ。そろそろ七か月経とうと……ん? 八月から一月だから五か月だよな。七か月? 四月から十一月の計算になる。まだ半年も付き合っていないじゃないか!
そう、俺は二人きりの旅行(日帰り)ということでテンションが上がっていた。
高所恐怖症を遺憾なく発揮しつつも、桜の姿は目に焼き付けている。
道具は防寒具以外レンタルだ。そう、逆に言えば防寒具は買ったものである。
誰が選んだか?
暁だ。
あらゆる組み合わせを脳内で展開し、その中から最適解を導く。対象が桜である場合に限り、俺はスーパーコンピューターすらも超える……ッ!
今日の桜は純白のニット、水色のウェアに白のズボン。髪型はお団子。かんざしで纏めてくれと土下座したところ、危ないからやだと断られた。その日は部屋で髪を結うところから見せてくれた。撮ったら殴られた。
隣に座る桜は、いつものように無表情だった。が、さっきから周囲を見渡したり足を振ったりと、楽し気な雰囲気が伝わってくる。やはり究極の美少女こそ、白や水色などが似合う。強い主張もまた良いが、しかし清楚な感じの子には淡い色が良い。
じっと桜を見つめている内に、頂上に着いた。気を付けながらリフトを降り、ストックを使って滑る。
上からの景色は、とても良かった。
昨日に雪が降ったらしく、状態はとてもいい。天気は雲一つない快晴。
考える限り、最高レベルの条件と言えるだろう。
「ところで結城は滑れるのかい?」
「任せろ。初心者コースで雪だるまになった男だぜ」
「何も任せられないかな。じゃあ、八の字で滑れる?」
「男はパラレル」
「速くしろ」
「はい」
桜に逆らうことは出来ない。やっぱり。
俺は素直に板を八の字に開き、ゆっくりと滑り始めた。中学校の時の自然教室を思い出す。桜に真正面から衝突したことを。どことは言わないがふにふにに顔を突っ込んだことを。男女問わず殺されかけた事を。
いや違う、そこじゃない。
ゆっくり、ゆっくりと感覚が蘇ってくる。二泊三日で教わった技術が、体に馴染んでくる。
ついでに思い出すのは、テニスの体重移動。それを応用し、俺は大きく曲線を描いた。
「よし! 行けたー!」
嬉しさに叫び、そのままぐいんぐいんと曲がる。勿論周囲の人に気を付けつつ、俺は滑走していく。
その横を、桜は付いてきてくれていた。彼女は無論パラレルで、楽々滑っている。
「感覚、思い出せたかな?」
「ああ! これならパラレルも行けるぜ!」
「調子に乗るな。バカ」
そのまま特に何も無く、一回目の滑走は終わる。再度リフトのところに行こうとしてこけたくらいだ。
鼻が痛い。
リフトに乗るのも本日二回目。一回目よりは緊張せず乗り込み、俺は息を吐いた。もしここでこけてリフトを止めれば、恥ずかしさが半端ないだろう。それは避けたい。というか桜に冷たい視線を向けられる事必至だ。
それはそれでありだな。
「一応言っとくけど変な事したら知らないふりするからね」
「どこまでセーフ?」
「……うーん、呼吸?」
「あれ? 生きるのがギリギリなの俺?」
桜はそっぽを向いた。
俺は泣いた。
数分後。頂上へと降り立った俺と桜は、さっきと違うコースに向かった。同じ山の天辺から、二つのコースが作られているこのスキー場。
こっちのコースは難易度が高いところだ。中級者コースといったところか。
「桜、コース変えるの早すぎない?」
「日帰りだし、結城も一応スキー経験済みでしょ? ならささっと難しいコースで楽しもうよ」
「カップルは!! 緩いコースで!! イチャイチャするのでは!?」
「緩いコースでイチャイチャしてるEasyカップルは秒で別れると思うよ」
「偏見!」
「あのね。いつもいつも好きを伝えてたら、肝心な時に衝撃が少ないの。恋愛は戦いだよ。いかに離さないか、いか相手の好きな自分を作るかのね」
俺は桜をじっと眺めた。
「……え、じゃあ俺ダメでは?」
「そうだね。結城は本音言いまくってるからね」
「うぐっ」
駆け引きとか自分を作るのが苦手な俺は、そこで大ダメージを受けた。
悪戯っ子みたいな笑みを残し、桜はゴーグルを着ける。次いで、ネックウォーマーで口元を覆う。俺も慌ててゴーグルを下ろした瞬間、突然視界が何かに覆われた。
「好きだよ、結城」
視覚が消え、敏感になった聴覚。
桜の声は俺の鼓膜を、そして心を震わせた。
「……勉強になりました」
「ん、頑張ってね」
期待してる。と、桜は言い残して先に行った。多少覚束無いながらも、俺も滑り始める。時々振り向く桜の姿は、雪景色の中でも目立っていた。
角度が急で、少しだけでこぼこ。長めのコースはかなり辛い。
いや完全にコースを間違えてる。桜はスパルタだ。
何回も転びながら滑り、何とか下に辿り着く。なんてことない様子の彼女に比べ、俺は全身雪まみれだった。
「……そこまでかい?」
「そこまでだよ! ここ難しいって!」
「んー、ちょっと休憩しようか? 結城の雪も落とさなきゃだしね」
「俺より桜のが彼氏っぽいよね」
「ボクはそんなの嫌なんだけど」
軽く小突かれる。屋内に入った彼女は帽子をとり、長く息を吐いた。雪を落とし、ココアで体を温める。
「楽しいけど難しいな」
「転び方さえ間違えなければ、いくら転んでも大丈夫だからね。大丈夫、結城が雪だるまになってもボクが見つけてあげる」
「そこまで転ばないから!?」
「……まあ、数時間は笑って見てると思うけど」
「長くない? それ普通に長くない?」
ニヤリとする桜。焦る俺。体を温めた俺達は外に出て、もう一度同じコースへ向かった。
二回目ともなると、転ぶ回数は減る。さっきよりも雪を被らずに済んだ俺は、感覚を掴み始めたことを確信した。これなら、後何回か滑れば一つ上のコースにも行けそうだ。
「じゃあ結城、次のコースに行こうか」
「あのね?」
その後。拒否権は認められず、俺は引きずられていった。
付け足すなら、雪を着ているのか? とかそんなレベルで雪を被った。俺がゲレンデだ。
☆★☆
「ただいまー!」
「ただいま」
夜の十一時ごろ。重いバッグを玄関に投げ、俺はリビングのソファへ飛び込んだ。桜も流石に疲れているらしい。彼女は俺の横に腰かけ、長く息を吐いた。
突然の思い付き。日帰りの旅行。
時間的には短い部類だが、スキーの影響で疲労は溜まりに溜まっている。
これ以上何もしたくない。ここで寝れそうなくらいだった。
「……そういえば結城。どうして急に、旅行に行こうなんて言い出したんだい?」
「え? いやー、そのですね」
蒼い瞳が、俺を見据える。からかいでもなく、ただただ疑問に思ったらしい。
だがそこに、深い理由なんぞないのだ。
「桜と一緒に、旅行行きたいなー、って」
「……それだけかい?」
「それだけです……! 本当に思い付きなんだよこの旅行!」
「本当に突然だったもんね。……そうかそうか、そんなにキミはボクと旅行に行きたかったんだね」
「当たり前だろ。彼女なんだし」
桜が仕掛けてきた直後。もうその流れが分かっていた俺は、間髪入れずに言い返した。
この返しは永大にアドバイスを貰ったものだ。言わば男子高校生二人の知の結晶。いつもは俺がどもったり焦ったりしている。が、今回ばかりは違う!!
彼氏として多少の威厳を出すための秘策。
これは行けた! と信じ込んだ俺は、ちらりと横を伺った。
「……ふーん」
しかし、当の桜は無表情だった。
顔を赤くしてもない。照れてもいない。興味無さげな視線が、俺を貫いていた。
想定と違う。話が違う。完全に勝ちを確信していた故に、感情の行き場を失った。
「風呂……洗ってくる……」
「行ってらっしゃい」
その場の雰囲気に耐え切れなくなった俺は、とぼとぼと立ち上がった。疲労を訴える体にムチを打つ。流石に、風呂も入らず寝るのは抵抗があった。温かいお湯に浸かって休みたいのもある。
いつしか葵が壊した風呂は、既に直っている。シャワーで一度浴槽を流し、腕まくりをした。
……あれ、そういえば桜は実家があるはずだ。てか隣だ。
桜の両親も旅行に行っているとは聞いていない。桜は俺の家のお風呂に入っていくのだろうか。
ふと疑問に思い、俺は一度風呂場を出る。裸足で廊下を歩き、リビングのドアを開けた。
「結城がね、ボクと旅行に行きたかったの? って言ったら当たり前だろって言ってくれたんだよ。うん、うん……。そう、そこでは頑張って抑えたんだけど……いやもうダメだ。笑っちゃうのが自分でも分か……」
桜は、電話の途中だった。
それはそれは、満面の笑みで。頬を、紅潮させながら。
俺に気付いた桜。普段無表情な彼女は、珍しく焦っているようだった。電話越しからは察した様な、凛の声。
「……あー……ごゆっくり……?」
「タイミングが悪いんだよこのバカっ!!」
なんとも言えない雰囲気。おずおずと口を開くと、返事は桜の罵声だった。顔は真っ赤。照れ隠しなのは目に見えている。が、見ていたらスマホが飛んできそうだ。かなり急いでドアを閉め、一回、長く息を吐く。
そのまま頬をぴしゃりと叩く。気を取り直し、お風呂を洗うべく浴室へ。
廊下の途中で振り返れば、リビングへのドアから漏れる明かりが。
そこに人が居るという証。桜が居るという証。
永大と考えたとはいえ、あれは全て俺の本心だ。俺は、間違いなく、桜とどこかに行きたかった。
――その考えは、彼女も同じだったらしい。
スポンジを手に取る。洗剤の蓋を開ける。
そのままずーっと頬の緩みを、抑えることが出来なかった。
桜が喜んでくれたという、ただそれだけの事なのに。きっと、彼女が喜びを感じることなんて無限にあるのに。
でも、彼女は喜んでくれた。それは単純な事実だ。
俺の心を幸せに漬けるには、十分すぎるほどに、分かりきった事実だった。