本当にすみませんでした!!
春が来た。
三月も終盤、終業式も終わった頃。学期末テストの結果も平均平凡だった俺――暁結城は、物置からレジャーシートを取り出していた。
気温は十九度を記録。桜の花も咲き誇り、絶好のお花見日和だ。
とまあ、そんな訳で。
「結城、準備が終わったよ」
「おけおけ。こっちもシートとか見つけた。……じゃ、行くか!」
白のニットに、薄桃色のカーディガン。ふんわりとしたスカートをはためかせ、小さな帽子でアクセントを付けて。
そんな我が幼馴染は、今日も可愛い。眉目秀麗才色兼備、雪柳桜は本日も煌びやかなり。
「……にしても、まさか二日連続でお花見とはね。そんなに桜が好きなのかい?」
「俺の彼女の桜も好きだけど、桜の花も好きだぞ」
家を出て数歩。彼女から弁当箱を受け取りつつ、素直に返す。
学んだんだ。やっと。こういうとき、変にプライドを持ってはいけない。素直に心が赴くままに、要は桜が大好きだという(この場合雪柳家の桜さんを指す)想いを隠さず伝える。
「そうかい……ちょっとは彼氏らしい返しが出来るようになってきたんだね」
そっぽを向く桜に笑みを浮かべつつ、春の風にコートを揺らす。
向かうはこの町の高い所、染井吉野稲荷神社だ。
以前に巫女服姿を見たそこは、名前の通り桜が綺麗な場所でもある。
染井吉野が咲き誇る神社は、鳥居の下から覗けばひたすらに絶景。澄み切った青空も相まって、風景は最高だった。
あの頃は付き合ってなかったな、と思いつつ。
俺は桜の手を取り、意識して歩く速度を緩めた。
☆★☆
無駄に長い階段を登り、やっと鳥居をくぐる。お参りを済ませた後に、隣接している公園へ。
満開の桜並木は風に揺れ、雪と見間違うほどに花が舞う。
その中を楽しみながら、ゆっくりと歩く桜。今日の清楚な格好も相まって、まるで絵画のような1ページだ。目立つ黒髪は麗しく流れて、ふと見上げる蒼い瞳は神秘的だった。
いつまでも見ていられる。
……これを後世に残さないのは逆に罪では?
「桜」
「なんだい?」
「今から連射の限界に挑むから普通に歩いててくれ」
「ボクはモデルでは無いんだけど!?」
恥ずかしそうに叫ぶ桜の写真は、間もなくホーム画面になった。
歩いたのは十分程か。少しばかり開けた丘にシートを敷くと、桜は弁当を広げた。
「今日は二人分だったからね。その分、力を込めたよ」
普段ならこういうイベントには永大や凛、アイリスを誘うところだ。
しかし今日は声を掛けていない。理由を聞かれれば、対する答えは一つ。
「まさか……素直に二人で行きたいと言われるとはね」
箸を受け取りつつ、はにかむ桜に返す。
「四月から高校二年生で、お互い忙しくなるだろ? 桜には色々声が掛かるだろうし、俺も受験を考えなきゃいけないし。だからスタートダッシュを切りたくてさ」
二年生になり、生徒会に仕事も増えるだろう。忘れられがちだが、俺は生徒会メンバーだ。九月頃からは三年生が引退し、俺たちの代が主力になる。文化祭や体育祭、行事への責任は大きくなるだろう。
「……いらない心配だとは思うけどね」
「そう?」
「ああ。だって家が隣だし、キミのご飯はほぼボクが作っているんだよ? 朝は起こしてるし、帰り道も同じだし、買い出しは二人で行く。文系同士、同じクラスの確率も高い……要はね、ボクたちはお互いがお互いの日常の一部なんだ。今更、変わることはないさ」
桜はそこで、手を合わせた。俺も倣って、二人でいただきますと唱和する。
中身はおにぎり、卵焼き、ハンバーグなど。定番と言えるものは大体入っている。頑張って作ってくれたことが、手に取るように分かった。
温かな風、青い空。桜の花弁が風景を彩り、白い雲に淡く映える。
いつもより平和で、緩やかで、心地よい。丘の草や木々が揺れ、ざああ……と音を立てた。
「もしも心配なら……そうだ、ボクも生徒会に入ろうかな」
「桜が?」
「ああ。正直やりたくはないけどね。……でも、背に腹は代えられないよ」
首を傾げると、桜は少しだけ口角を上げる。蒼い瞳と目が合った。
「キミが浮気をしないかどうかを監視しなきゃ」
「えっ!? そんな理由!?」
「ふふ。二割冗談、十割本気だよ」
割合が限界突破していた。
若干の恐怖を覚えた。
食べかけのおにぎりを手に、固まる俺。桜は、「それに」と続けた。
「ボクも――結城と一緒に居たい。そのためなら、生徒会くらいなら……ね。やるよ」
少しだけ、言葉の間を置いて……蒼い目を伏せながら、桜は呟いた。
風に吹き飛ばされそうな声だったけど、確かに聞こえた。記憶に焼き付けた。代わりに数学の何かが消えたけど、そんなことはどうでも良かった。
愛する幼馴染が、彼女が、愛情を見せてくれている。
想いを伝えてくれる行動はいつでも嬉しくて、恥ずかしい。だからこそ、精一杯答えたい。
「桜、もしクラスが違ってもさ……」
「ああ、お昼とかは一緒に食べようね」
「授業に乱入するから……一緒に居ような!」
「そんなことしたら絶交に決まっているだろう、馬鹿」
一気に視線が冷めた。桜はすっかり、いつもの無表情に戻ってしまう。あんなに良かった雰囲気はいずこへ。愛の伝え方は難しいなと、ソーセージと共に噛みしめた。
その後も会話をしながら、風景を楽しみながら、ゆっくりと昼食を終えた。用意してくれていたデザートも食べきり、片付けを手伝う。その間も、俺たち以外に誰一人来なかった。
こんな良い場所に、二人っきり。帰るのは惜しくて、二人でシートに寝転ぶ。太陽は眩しかったけど、それもまた気持ち良い。目を閉じれば、春の匂いがした。
湿っぽいのか、花の匂いなのか、はたまた若草の香りなのか。
なんとも言えない瑞々しさ。それは風に運ばれてきて、そのまま去って行く。
満腹の体にそんな環境は相性が良すぎて、段々と眠くなってきた。自然の摂理だ。仕方ない。
「結城」
「んー?」
そんなとき、桜が声を掛けてきた。目を閉じたまま返事する。
「腕、貸して」
直後。その声が、ぬるい吐息と共に耳朶を打つ。尾てい骨に電流が走り、歯を食いしばった。
慌てて隣を見る。悪戯っぽいにやけ顔を一瞥して、その近さに顔を逸らした。彼女は俺の右腕にぽす、と頭を乗せ、ぐりぐりと押しつけてくる。
「きょ、許可はまだ出して無いんだけど!?」
「ん? キミはボクのお願いを断ったりするのかい? しないだろう?」
「……しないけどさ!」
「なら良いじゃないか。そういうところ、好きだよ」
ダイレクトアタックで心臓が破裂しかけた。暫くは桜の方を見られない。顔が熱く、赤くなっているのがひしひしと伝わってくる。
春の匂いに混じって、安心するくらいに慣れた匂いがする。
それは男の汗臭さとか、わざとらしいメンソールとは全く違う。香水のような華やかさも、石けんのような素朴な感じでもなかった。
近い。桜がめっちゃ近い!!
そりゃ、今までもこのくらい密着することはあった。お風呂だって一緒に入った。それでもドキドキが止まないのは、きっとこの環境も影響している。普段とは違う、特別感のある状況。景色は綺麗で、眠いから脳も回らなくて、そして――二人っきり。
「結城、こっちを向いてくれないのかい? いやはや、悲しくなるね。付き合って半年、そろそろ飽きてきたのかな?」
桜の手が、俺の胸に乗せられる。円を描くように動かし、彼女は心臓の真上で止めた。
「……まだ、ドキドキしてくれるんだね」
「桜にドキドキしなくなる日は来ないと思う」
「そうかい? 奇遇だね」
何が? とは聞かなかった。聞かなくても分かるから。
その嬉しさに動かされて、俺は顔を動かす。右の二の腕、とてもとても近い顔。なるべく枕代わりを動かさないようにしつつ、左手を伸ばす。
久々――でもないけれど。触れた桜の髪は、今日もさらさらだった。
真っ黒だけど、そこから暗いイメージは感じられない。山奥の清流のような、綺麗な印象を抱かせる。
頭を撫でていると、桜は目を細めた。体から力が抜けて、右手に掛かる体重が重くなる。
「良いね。……結城に撫でられるのは気持ち良い。ねえ結城。これから毎晩一緒に寝て、こうして撫でてくれないかい?」
「さすがに辛いから許してくれ」
撫でるのを止めようとすると、桜の手が抗議する。指で髪を梳きながら、俺は尋ねた。
「桜、今日ちょっとテンション高い? いつもはこんなに、なんというか甘えないじゃん」
「……結城」
「ん?」
「ボクにも心はあるんだ」
桜は恨めしそうに俺を見て、撫でている手に額を押しつけてきた。
分かんないのかい、ばか。小さく呟いてから、唇が音を形作る。
「好きな人に二人っきりが良いって言われて、テンションが上がらない訳がないだろう」
それから彼女は、俺の目を手で塞いだ。ぐりぐり、と押しつけられる顔。
多分、きっと、二人とも顔が赤かったと思う。見たら笑っちゃうくらい、照れていると確信できる。
だから俺は桜の手を退かさず、素直に目を閉じた。
風を、感じる。優しい暖かさと、温もりが、すぐそばにある。
それをゆっくりしっかり抱きしめて、俺は深く呼吸をした。眠気に身を任せて、沈んでいった。
☆★☆
夕暮れ。あんなにも青かった空が茜色に染まり、蛍の光が遠くに聞こえる頃。俺たちはやっと起きて、シートを畳んだ。桜吹雪は夕景にも綺麗だ。塗りつぶすくらい強い茜の中に、時々淡い桜色が輝いていた。
「さて。帰ろうか」
桜から荷物を受け取って、丘を降りる。桜並木の道に出ても、誰も居なかった。
ここまで二人だけだと、全人類が消えたかのような錯覚をしてしまう。
そんなことは、勿論ありえない。日常は日常として機能していて、歯車が外れることはそうそう無い。
このまま二年生に上がることも、言わば必然なのだ。
「……桜」
「どうしたんだい?」
名前を呼ぶ。手を出すと、彼女は直ぐに指を絡めてくれた。
「少しだけ、寂しくなってさ。このまま帰っても良い?」
「良いよ。全く、本当に心配性だね」
呆れたような言葉で、嬉しそうな声色で。
彼女は一度、強く俺の手を握った。色々な思いを返すように、優しく握りしめる。
「桜、」
言葉を途切れさせるように、彼女をもう一度呼んだ。不思議そうにこちらを向いた桜に、俺はそっと顔を近づける。一瞬驚いた桜も、目を閉じてくれた。
このまま進んでいっても、桜と一緒に居られますように。そんな望みを、胸にしながら。
二人っきりの桜並木。吐息が唇に触れた。最後に見えた影は――少しだけ、重なっていた。
正直作風が変わって行ってるのが自分でも分かってて、昔のノリと今のノリ、どっちが良いのか自分でも悩んでます。