華族の少年・由紀仁には、家中から疎まれ、離れに隔離されている弟・真白がいた。唯一の味方として真白を守ろうとするが…
微BL、一話完結です。
※一部差別的な表現がありますので、不快に思われる方は閲覧をお控えください。

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花は散りゆく

「にい、さま…にいさま…」

その子はあどけない顔で、僕に笑いかける。

雪のように白い髪と肌、儚げな顔立ち。赤い瞳。折れそうに華奢なこの子は、自分一人では歩くこともできなかった。

「にいさま…」

「真白…僕だけはお前の味方だよ」

抱き締めると、真白は嬉しそうに目を閉じた。

 

 

「由紀仁ぼっちゃま、離れに何のご用事ですか?」

年老いた女中は、怪訝な表情で睨み付けた。

「あの子に会いにだよ。そんなにいけないことか?」

「お会いになるなんて、旦那さまがお知りになったらさぞお怒りでしょう。離れへ行くことは禁止されているはずです」

面倒臭い人に見つかったと、僕はため息をつく。

「お勉強に差し支えます。もうじき一高の試験だというのに…」

「なぜいけないんだ。真白は僕の弟だろ」

「真白と由紀仁ぼっちゃまでは身分が違います。あの子は妾が産んだ子、東城寺家の者ではありません」

痩せぎすの女中は、細い目を吊り上げて言った。

「母親が違うだけで、お父様の子であることは確かじゃないか。真白だって東城寺家の子だよ」

「それだけではありません。卑しい身分の女から産まれたせいか、あの子は…」

「ハツ、それ以上言うな。誰が何と言おうと、真白は僕の弟だ」

女中を押しのけ、僕は離れへと向かった。

 

 

離れのある場所は昼間でも薄暗く、ハツのような女中以外は立ち入り禁止だった。扉を開けて廊下を進むと、奥にきっちり閉ざされたふすまがある。そこが真白の部屋だ。

「真白…僕だよ。起きてるか?」

そっとふすまを開けると、部屋の中はさらに暗い。真白の部屋には窓がなく、一切陽の光が入らない。だから昼も夜も洋灯をつける必要がある。

「ん…にいさま…」

洋灯をつけると、ぼんやりとした灯りの中に一際白い四肢が現れた。

「お早う、真白」

布団をめくり、真白を抱き上げる。ほとんど力の入らない真白の細い手が、僕の肩に置かれる。

「うー…」

「着物を着替えよう。なんだ、また食べてないのか」

枕元には、女中が運んだ朝食が手をつけられないまま置かれていた。

「食べないと大きくなれないぞ?」

「…きらい、いや…」

真白はよく食事を嫌がった。僕が持ってくる砂糖菓子や果物は喜んで食べるのに、まともな食事には手をつけなかった。

膝の上で、真白の赤い大きな目が僕を見つめる。

「にいさま、あそぶ」

「兄さま遊んで、だろ?」

この部屋には、たくさんの玩具がある。折り紙、紙風船、かるた、人形…

その中で紙風船が真白のお気に入りだった。

 

空気を入れ、ぽんと手のひらでつくと、紙風船はふわりと空中に舞い上がった。

「ほら、お前もやってごらん」

ぎこちない動きで、真白は紙風船に触る。嬉しそうに笑いながら、夢中で紙風船を追いかけている。

「真白、一度外でやってみようか?」

「いや、おんもこわい、…」

途端に泣きそうな顔になり、僕の袖を引っ張る。

「どうして?兄さまと一緒なら怖くないよ。たまには外に出てみようよ」

「いや!」

真白は動きにくい足を引きずり、布団にしがみついてしまった。

「仕方ないな…そうだ、真白に見せたいものがあるんだ」

僕は中庭に出て、ぞっとするほど赤く、乱れるように咲く彼岸花を一輪折った。

「ほら、綺麗だろ。外にはこんなに綺麗なものがあるんだ。真白の目より赤い花だよ」

真白は目を輝かせ、恐る恐る手を伸ばす。真白の細く白い指に包まれた彼岸花は、一層赤く燃えていた。

「きれい…」

「そうだろ?だから、真白が元気になったら外へでて遊ぼう」

彼岸花を見つめながら、真白は微笑んだ。

 

 

真白が産まれた時の事を、僕ははっきり覚えている。

その頃僕はまだ五つほどだったが、鮮明な記憶として残っている。

雪深いある日の午後、産声は上がらず、離れは奇妙にざわめいていた。

女中や産婆が慌てる様子、その時耳にした言葉。

 

ーーー忌みの子だ、気味が悪いーーー

ーーー間引かなくては、きっと良くないことが起きるー

ーーー女郎の子、母の罪を背負った子ーーーー

ーーーひどい難産だった、母親を殺してこの子は産まれたーーーー

 

庭の影に隠れるようにして、僕は離れの中を覗いていた。布にくるまれた小さな赤ん坊が、障子の隙間から見えたのだ。

真っ白で、小さな赤ん坊。泣くこともせず、微かに身動きを取るだけの美しい生き物が、僕の目に飛び込んできた。

女中が産婆に指示され、赤ん坊の喉に手をかけた瞬間、赤ん坊がけたたましく泣き始めた。驚いた女中が後ずさりする。

「ひぃぃっ」

「これ、早く締めなさい」

「い、嫌です、呪われる!」

産婆は女中を押し退け、赤ん坊を掴んで女中を叱り飛ばすように言った。赤ん坊は泣き続ける。

「こんな出来損ないは災厄の前触れだ。華族様で忌み子を生かしたとなれば、ただではすまされない」

赤ん坊の喉にかけた手に力が込められる。赤ん坊は苦しそうに、途切れ途切れに泣き続けた。

その時、離れの屋根が軋み、凄まじい音とともに屋根は潰れて崩れ落ちた。

地震のような地響きに驚き、僕は庭の端まで走って逃げた。

「おい、何の音だ?」

「離れだ、離れの屋根が潰れた!雪の重みにやられたんだ」

音を聞きつけ、本家にいた数人の下男や女中が集まってきた。

離れの中から人の声はなく、土壁や木片の落ちる音だけが微かに聞こえた。

「誰かいるか?」

「女が一人…おい、しっかりしろ!」

数人がかりで倒れこんだ屋根の一部を上げ、頭に怪我をした一人の女中が助け出された。

「気をしっかり持てよ!」

女中は呻きながら呟いた。

「忌みの子、……恐ろしい、呪われた…………」

途切れ途切れにそう言うと、女中は意識を失い、息を引き取った。

下男たちは、屋根に潰されおそらく生きていないであろう女中たちを助けるために人を呼びに走った。

僕は人が減った隙をねらい、そっと潰れた離れに近付く。あの美しい赤ん坊を助けたかったのだ。

下男たちに見つからないよう、裏側から捜していると、

砕けた木片にちょうど小さな隙間が出来ていた。その下に赤ん坊はいた。奇跡的にも怪我はないようだった。

ゆっくり抱き上げると、驚くほど軽くて暖かい。僕は慌ててその場を離れ、庭裏の小屋まで走った。

 

赤ん坊が寒くないようにと着ていた羽織でくるむ。泣くわけでもなく、赤ん坊はじっと僕を見つめた。

陶器のように白すぎる肌、小さな睫毛や眉毛まで白い。丸く赤い目は可愛らしく、しっかり僕をとらえていた。美しい目に吸い込まれるような気持ちになり、僕は赤ん坊の虜になってしまった。

「由紀仁、こんなところで何をしているんだ?」

小屋に入ってきたのは、8つ上の長兄だった。

「な、なにもありません!遊んでただけです!」

「またなんか悪さでもしたのか?何を隠してるんだ」

どうしても赤ん坊を取られたくなかった僕は、赤ん坊をしっかりと背中で隠した。

しかし、兄の力にはかなわず、ついに赤ん坊を見つけられてしまった。

「なっ…何だこの赤ん坊は…」

「僕の弟です!」

「これは…もしかして……」

「返してください!」

兄は興味深そうに赤ん坊をじろじろ眺めた。

「……ふーん、間引かれずに済んだわけか……」

急に赤ん坊を返され、僕は慌てて抱き締めた。

「良かったな由紀仁。お前は長生きできるぞ。白子は不老長寿の薬だと、中学の先輩が言っていたからな」

「………父上に言いつけますか?…」

「いいや。どうせその赤ん坊は長くないよ。見ろその足。細くて曲がってて、歩けるようにはならないだろうな。父上も妾の産んだ出来損ないなんて興味ないさ」

兄は鼻で笑い、小屋を出ていった。

 

それから2日ほど、僕は一人で赤ん坊の面倒をみていた。このままここでこっそりと育てるつもりだったが、赤ん坊の夜泣きであっさり大人達にばれてしまった。

大人達に見つかればまた間引きされるのではないかと恐ろしかったが、祟りを怖れた大人達はしぶしぶ殺すことを諦めた。

僕は赤ん坊から離され、赤ん坊は薄暗い離れで女中たちに世話をされることになった。

皆、赤ん坊を怖れ、腫れ物に扱うように、本来居てはいけないものとして育てられた。名前も戸籍もないまま、ただ見た目の白さから「真白」と呼ばれて。

 

 

 

「ほら真白、口開けて。ご飯食べなさい」

「いや!」

冷めてしまった粥を真白の口元に持っていくが、頑として口を開けようとしない。

「こわい、ごはん」

「怖くないよ。ほら」

僕は真白の目の前で粥を口に入れる。

「何ともないよ。美味しいから食べてごらん」

「いや!痛い!」

レンゲで深く粥をすくい、僕はさらに口へと入れた。

「普通のお粥だよ。真白も食べてみなさ…」

その時、右の頬に鋭い痛みが走った。慌てて吐き出し、口の中を指で探ると、小さなまち針が現れた。

「………なんだよ、これ……」

刺さったところから血が出ているのか、口の中が生臭い。

「……そうか、真白、お前……虐められていたのか」

真白は赤い目を潤ませ、僕を見つめた。

 

 

このまま真白をあの女中たちに任せておけないと思った僕は、真白の世話を自分にさせてもらえるよう頼むことにした。

「………あの妾の子を?あなたが世話するのですか、由紀仁さん」

母は眉をひそめ、溜め息をついた。

「あなたは何を言っているの?そんな余計な事を考えていないで、お勉強のことだけお考えなさい」

「お母様、真白は女中に虐められているのです。食事に針が入れられていました。だからあの子は食事をとろうとしないのです…」

「いいですか由紀仁さん。私たちはあの子をよそへやらずに面倒をみてあげているのですよ。針なんて、偶然入ってしまっただけでしょう。これ以上の面倒は困るのです」

「なら、世話する者を変えてください。真白はもう何日もまともに食事をとっていないし、外にも出られなくて弱っています」

母は眉間を押さえ、数回瞬きした。

「そう大きな声を出さないで。頭に響きます」

「…お母様は、真白が死んでも良いと思われているのですね。分かりました。お父様に相談します」

僕は踵を返し、父の書斎へ向かった。

「由紀仁さん、お父様はお仕事中ですよ。行ってはいけません!」

母の呼ぶ声には応えず、母の部屋を後にした。

 

 

「お父様、失礼します。由紀仁です」

返事のない書斎の扉を開けると、父は机に向かって手紙を書いているようだった。

「………なんの用だ」

振り向きもせず、父は万年筆を走らせ続ける。

「真白のことでお話があって参りました」

洋書が整然と並ぶ書斎の中で、万年筆の走る乾いた音だけが響く。

「お父様、真白は女中に虐められています。だから僕に世話させていただけませんか」

「…あの子どもは、まだ生きているのか」

父はゆっくり立ち上がると、僕に目も合わせず書斎を出て行った。

「ど、どちらへ…待ってください」

怒りを抱いたような背中で廊下を歩く父を、僕は小走りで追いかける。

「あの子どもはどこだ」

「真白は離れにいます。会ってくださるんですね」

乱暴に真白の部屋の襖を開け、父は洋灯を付けた。

「……ひっ!」

初めて見る父の姿に、真白が怯えた声を出した。

「真白、お父様だよ、大丈夫だから」

父は真白の腕を掴み、布団から引きずり出した。

「お父様、やめてください!」

火がついたように泣き出した真白を無理矢理抱き上げ、父はじろじろと真白を眺めた。

「これほど長く生きられるとはな…」

着物の裾をめくり、真白の細く曲がった脚を掴む。

「由紀仁。この子どもは歩けないのだな」

「は、はい…足を引きずって、這って動くことしかできません…」

片方が白濁した目で、父は執拗に真白を眺める。数年前に患った白内障で父の片目は濁っていたが、睨み付けるような視線は以前より強くなっていた。

真白を放り出すように布団に下ろすと、父は僕に背を向けて離れを出て行った。

「その子どものことは考えてやろう。女中に世話をさせる必要はない」

「……あ、ありがとうございます、お父様」

しゃくりあげて泣いている真白を抱きしめ、そっと頭を撫でた。

「もう心配いらないよ、真白。兄さまが守ってやるからな」

 

 

 

翌朝、真白は姿を消した。離れにも本家にもどこにもいない。

父を問いただしても、ただ遠くへやったと言うだけだった。女中に世話されるより、ましな所へ行かせてやったのだ、と。

僕は真白を守れなかった。僕の愛しい弟は、あっさりと取り上げられてしまった。

 

それからというもの、僕は毎日毎夜真白を探し歩いた。夢遊病のように真白を呼びながらさまよっていると、次第に周囲の人間から噂されるようになった。

 

-------------華族の坊っちゃんが毎夜、うわ言を唱えながらさまよっているらしい

-------------気狂いだ、気狂いになったのだ

-------------まさか阿片か、狐にでも憑かれたか

-------------いいや、あれは白い忌み子の呪いだよ。旦那さまが亡き者にしたという…

 

 

 

それから、幾らの月日が経っただろうか。僕はようやく真白と再会した。

「真白、やっと会えたね、真白…」

小さくなった真白を抱きしめ、そっと頭を撫でる。真白は変わらず抜けるように白く、僕は救いだした喜びでいっぱいだった。

「ほらごらん、真白の好きな彼岸花が、真っ赤な花が咲いてるよ。綺麗だろ…」

腕の中の真白が確かに笑った。兄さまと呼ぶ声が聞こえた。

「真白、僕は君の味方だよ。やっと幸せになれるんだ」

真白のいた離れに、僕が過ごした本家に、庭に、門に、真っ赤な彼岸花が咲き乱れる。紅の波に飲まれ、何も見えなくなった。

 

「にいさま、にいさま…」

開けられない瞼の裏で、真白が微笑む。

ああこれで良かったのだと、僕も真白に微笑んだ。

 

 

(完)

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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