分かたぬ衣と往く先は   作:白縫綾

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第二章の始まり。
改めて、宜しくお願いします。






第二章 続きゆく途は長く
第一〇話 立ち往く月日の記録


 日常が日常で無くなろうとしていて、けれどもそれが未だ自分の手の中に、又は周りを取り巻くものとして在った時、それは嘗ての話である。

 

 その『嘗て』の時……ふらりと何時ものように居なくなって、何時ものように帰ってきた男の手から渡された物があった。

 

 

「…………」

「………………、これは?」

 

 

 渡したっきりで何も云わず、黙って少女を見下ろす長身の上から、彼は果して何を思っていたのだろうか。

 

 

 

 

 

 ぴろろ、と、何処か遠くで微かに、そんな風な間の抜けた鳥の声が窓越しに聴こえてきた気がする。

 まるで夢のようにふわふわとした気分で、然し其れは現であった。

 

 

 少女に渡されただろうそれ。

 つい最近迄、自分にとってはおよそ縁の無いものだと思っていた物だ。

 

 少女は男が手に持っているのを未だ他人事のような心持ちでちらりと眺める。

 長い間見詰めるでもなく、直ぐに視線を頭数個ぶんは上の男に視線を戻した。

 

 

「手を出せ」と云われてその通りにして、掌に落とされ…………解っている筈なのに、そのままの状態になる。

 手の上に乗せたままで、僅かに困惑した表情で少女は彼を振り仰いだ。

 

 

 

 

 

 男は無表情であった。

 その様相で見下ろされ、何だか少女には、自分がひどく小さいもののように思えた。

 実際にそうなのか、いやそうなのだろうけれど──……何だか、自身にそんなことを改めて思い知らせるような、そんな目をしていたような気がする。

 

 

 深淵を覗くような、いっそ不気味なまでに黒々とした目だ。

 

 口元は引き結ばれており、微塵たりとも動くものか、とでもいうよう。

 最早見馴れた表情で、今この時もそれは変わらないようにも思えた。

 

 

「…………」

「………………?」

 

 

 只、何なのだろうか……否、それを常より見馴れている故に、なのか。

 男が醸し出すものが、彼女が日頃感じていた雰囲気よりも違うのは、果して気のせいと、そう済ませてしまっても善いものだろうか。

 

 少女にとっては何処か何かが違うように思えたことと同じくして、それが有り得ることなのかという疑心があった。

 …………まあ、違いと云ってもほんの、指の先程も無いくらいで、それ位の、もう気にするまでもないような微かな違和感だが。

 

 

 少女は首を傾げて、その理由を探そうか探すまいか迷う。

 然し決めかねて、結局は結論を出すよりも疾く、男が口を開くこととなった。

 

 

 

 

 端から見たら漸く、といった具合なのだが、真逆その引き結ばれた口元が動くなんて思わなかった。

 思考に没入しそうになっていた少女は我に返ってぴくり、と身体を揺らした。

 

 思わず小さな声があ、と僅かに開いた口から漏らすのに、その瞬間を目撃して男が何処か、呆れたような表情をした。

 

 

 思考は、遮られる。

 

 我に返ったように改めて男を見遣った少女は、けれども長い間目を合わせているのが怖くて視線を外すように、その鼻の辺りを見ることに集中した。

 

 

(まえ)に云ったろう。貴様の得物だ」と、短く男はそう云った。

 直ぐにつぐんだ口は、多分もう、少女が何か問い掛けるかしない限り開くことは無いのだろう。そんな気がする。

 

 

 少女は、何か云いたかった。

 然し、何をどのように言葉にすれば善いのか、少女には皆目見当もつかなかった。

 

 それでいて、自身の腹の底にある何かが、喉元迄出て来そうな気がしてならない。

 

 

 

 その出かかっていたことを絶たれた様になり、どうしよう、なんて思って……然し彼女は、結局形にも成らなかった考えを、手放した。

 

 手放してから────代わりにというように「然う云えば、其んなことも在ったなあ」と内心でぼんやりと呟いた。

 

 

 

 意外にも変わらない日々にいっそ素通りしかけて、受け入れたばかりのことを真逆夢だったのではと考えかけて。

 ……そんな筈は無いということは、外ならぬ自身が最も識っているというのに。

 

 彼女は、自分は目の前の此の男と、紛れも無く同類である。

 その認識は、どうしようとも覆すことの出来ないものである筈なのに。

 

 

 

 何がどう作用したのか、足掻いたとして自分はある一線(・・・・)を越え、今こうして彼と向かいあっていること。

 それがこれ以上に変わる筈が無い。

 それこそが、事実だ。

 

 

 だから、きっと……そうであるからには、自分の方から態々やって来るその片鱗、厄介事に対処する力が少女には必要なのだと、そう聞いた。

 

 若し自分が、もっと強力で、人知の及ばぬものの頂に在るような強力な力を持っていたなら、それも必要無かったのだろう。

 そう説明されたことは記憶に新しいのに、何を夢だと思っていたのか。

 

 少女の力は確かに異常なものの一つには違いなかったが、…………その力だけでどうにかなるのかと問われれば、そうではないものであるのだと。

 

 

 まあ、「寧ろそれで善かったと思え」と院長は云っていたのだが。

「強力な異能はその力故に、人の人生を容易く捩曲げるのだから」と。

 

 

 目の前に顕れた実例が自身の、一見何とも判らないような力と、全くとして暴力的な面の無い彼女の養い親のものであることは幸福なことで、然し少女に完全に危機感を抱かせるには不十分なものであった。

『異能力者』という者が自然に遭遇する、又は呼び寄せるような、未だ見もしていない出来事に、少し溜め息を漏らしてしまうのもきっとそのせいだ。

 

 だが、それこそが少女の選んだことだ、今更何と云うことも無い…………そこに選択の余地があったのか否かは別にして。

 

 

 

 

 未だ、之からなのだ。

 少女の人生を存分に振り回してくれるであろうものは之から萌芽し、そして顔を出し始める。

 そう云って差し支えないのだろう。

 

 

 だから……実感が無くとも、きっとそれは少女に必要なものだった。

 

 彼女は渡されたそれ(・・)を、注意深く鞘から抜き、眺め────素直に、有り難うございますと小さく呟いた。

 

 渡してきた院長が無表情のまま、けれど小さく頷いたのを確かに視界の端に見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 **

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 手帳に文字を書き付けていると、ふとした瞬間にそんな風景が、そこだけ切り取ってきたかのようにふ、と思い出されることがある。

 

 

 別に何の脈絡も無い、というような訳では無い。

 単純に此のことを始める切っ掛けに成ったようなことであったから、よく覚えている。

 記憶を探るまでも無く、鮮明とはいかないにしても、色褪せてもなおはっきりと。

 

 

 

 あの頃の私が直面していたのは…………云わば、分水嶺のうちの一つであったのだろうから、どうにか忘れようにも忘れきれない出来事であるのだ。

 

 

「…………」

 

 

 皆が寝静まったところ、月光の照らされる中。こうしてひっそりと、日記とも云えぬ何かを、書き付けている。

 

 大したことは書いていない。

 日々の、少しずつ変わりゆく何かを、気付いた時に書き留めているだけだ──とは云え、既に半分位は(ページ)が埋められているのだけれど。

 真逆こんなにも使ってしまうことになるとは思わなかったので、此れを開く度に思うことなのだけれど……改めて少し、驚いてみることにする。

 

 

 多分、色々なことが変化して往った。

 

 疾いものだなと、そう思う。

 今と成っては、何時かにやって来た院長以外の大人……広津の小父(おじ)さまともかなり砕けた調子で言葉を交わしあえる、その程度に、時間は過ぎている。

 

 …………(およ)そ二年、又はそれに辛うじて満たない位か。それ位の時間が、経っていた。

 院長曰く『準備期間』とも称される可きことは、その間その名に相応しい内容で、私に施されてきた。

 

 何故それ程迄に『準備』に徹する必要があるのか、なんて問いは無用だし、無粋だ。

 それはきっと、何れ私が向かう可き場所を、私自身が直に見ていないからこそ云えることなのだろう。

 兄の居る場所、横浜は、それが冠する魔都の名に相応しく牙を剥くのだと。

 何もせずに居れば、私のような矮小な身の上では直ぐさま食い潰されて跡形も無くなってしまう、それ故なのだと。

 

 ……受け売りなので、何とも云い切れずにいて、しまらない(・・・・・)ところもあるのだが、それは置いておく。

 

 

 他人のことを顧みないような院長(かれ)は、然しそれなりには人の情を持ち合わせていたのだとようやっと気付けることの出来たのは、果していつ頃からだったろうか。

 

 それに私たち子供が気付かないのは、肥大化した院長への恐れに目が曇っているのか──或いは単に、気付かぬ内に私自身が『大人』という未知へと近付きつつある故か。

 きっと、どちらでもあるのだろう。

 

 私が何時か歩く、光から作られた(黒社会)は、そうでもせねば上手く歩くことが出来ないのだ、と。その位は鈍い私にも察せる。

 

 

 では何故、私がそれ程迄して魔都、とそう呼ばるる所へと赴こうとするのか──確かに、私の持ち合わせる性格にはそぐわないやもしれぬ思いだ。

 

 どこか周りに流されがちで、然し一方で自分が大切だと、そう断じたものは決して手放すまいとする…………そんな、ごくごくありふれた普通の人間の性分である。

 同時に、有りがちなことであるのだけど──多分私は、その上に欲張りでもあるのだった。

 

 どうにも記憶に残っている(ことば)は──(みち)は長く果てが無く、それでいて有限だ、とは――よく云ったものである。

 平穏なる日常に満足していた筈が、それ以上の何かを求めるのは最早人間の性、とでもする可きかもしれない。

 

 

 

 

 まあ何だかんだと理屈をこねたが、結論からすれば、気付いてしまったのだった。

 

 私が孤児院(ここ)の子供たちの為に出来る最大のことは、それ位のものであるのだと。

 

 環境は変わった。

 私たちはあの頃と較べれば心のみならず身も又、豊かに為った。

 院長の御蔭である…………或いは、その背後にあるポートマフィアの。

 

 薄々と、ではない。確実にそう、感づいている。

 或る日を境に、私の……否、私たちの生活は緩やかに、然し確実に変化していた。

 

 その代償、或いは対価、残念乍ら私の邪推では無いままに、それらが私の前に立ちはだかっている。

 

 

 

 

 

 手帳に筆記具を挟み込み、窓際に置く。

 

 伸びをして、固まっていた体がこきりと鳴るのが聞こえた。

 もう夜も遅い。運動をして気怠い身を横たえなければ、明日に響く。というより、朝も早いのだ。

 

 普段ならばもっと早く寝るのだが、こういうような日々を振り返る時──確実に睡眠時間は削られる。それでいて外せないことであるのが憎いものだ。

 

 解ってはいたけれど、ふとした拍子に漏らした欠伸を噛み殺して、私は手帳を本棚の一番端に仕舞った。

 

 

 広間へと向かい、少し大きくなった妹が寝床(テリトリー)に侵入してきているのをそっと退かしてから、温まった所に身体を横たえた。

 

 

 そっと目を閉じていて、引き込まれていくのにさして時間は掛からなかった。

 

 

 

 

 

 

 




不定期更新です。次回、最大で一ヶ月空きます。



緋旋さん、高評価ありがとうございました。
私白縫、此れからも同志(織田作好き)を出来るだけ増やすよう頑張っていく所存であります(・ω・)

但し、織田作と対面するのは未だ当分先のもよう。











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