分かたぬ衣と往く先は   作:白縫綾

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本日三話目。
最新話から来られた方は注意してください。

弟視点その三です。




第一五話 水底に沈む翠(後編)

 

 

 実を云うと、姉と院長の修練を僕が最初から最後迄見届けた事は無い。

 

 大体途中から眺めたり、逆に離脱したりしている。

 それ程長い間見ていたならば何時かは気付かれてしまうのは自明であったし、何より姉が気付く前に院長の視線によって追い払われるのだ…………残念なことに、既に経験済みである。

 それでも院長が立ち去った後の一目は、必ず見るようにしている。

 

 

『子供らが起きていると纏わり付いて来るだろう。あれら(・・・)は、邪魔だ』

 

 

 その中には、きっと僕も含まれていた。

 姉以外に下の子供を取り纏める人間が必要で、僕はその為だけに院長の、あの発言があった場に居合わせることになった、多分それだけの話であった。

 

 壁を背にして座り込んだ、その時でも容赦無く時間は流れていく。

 

 何をするでも無くぼんやりと空を眺め、自分は一体何がしたかったのだろうと思った。

 

 

 くぁ、と欠伸を一つ漏らすと──ちゃんと寝ないと身長伸びないよ、なんて云う姉の声が聞こえたような──何とも末期的な幻聴がした。余計なお世話だ。

 

 そのまま、ふうっ、と息をつく。

 

 

 にわかには信じきれない様なことではあったが、この目で見たものは真実、自分が認めざるを得ない現実でもあった。

 

 姉の持つ奇妙な小刀が間合いの違う得物とぶつかり合う。

 長さの異なる白刃が互いに弾け、空を裂いていく。

 至近距離で振るわれたそれを身軽な動きでかわし、時には受けて、或いはその膂力に捩じ伏せられそうに成るのを紙一重で捌ききる。

 

 

 まるで、その場に居る二人だけが、異なる時間の流れの中で動いているような、目まぐるしい迄に激しい攻防であった。

 たった二年程度でそこ(・・)迄往くのが果して普通であるのか、その動きの半分も目で追えず、処理しきれない自分には判断出来はしなかった。

 

 然し、少なくとも仮に僕が同様の過程を経たとして、その着地点が果して姉と同じであることは無かっただろう。

 

 

 ──それに対して何かを云うには、僕は何もかもを識らなさ過ぎた。

 

 

 座り込んで、膝を抱えて、頭をその中に埋めるようにして。矢張り、僕に出来るのは、そんな意味の無いことだけだった……まあ、そうなったのは紛れも無い自分の選んだことなのだけれど。

 

 苦笑いを漏らす。

 見届けることすら負け惜しみのようで、そんな自分に厭な気持ちになる。

 

 彼女のその身体は近くに在るのに、何処か遠くも感じさせる、そんなもどかしさも抱えているうちに何時しか──本音を云えば少ししんどかったりもするが──馴れてしまった。

 

 そうして、一度院長とさし(・・)で話したことがあった時のことを、思い出していた。

 

 

 

 

 

 姉の云うところの『鍛練』は、彼女にしか施されなかった。

 

 否、正確に云うなれば、最終段階の時に志願しようとする者は最早残ってはいなかった、というのが正しい。

 

 興味を持つ子供も居たし、毎日続けなければならないことも承知していただろうが……僕の身に起こったことを鑑みれば当然の話かもしれなかった。

 

 そも、今迄事足りていた生活の中に更に不要なものを放り込む必要性は無いのであるから、子供たちにとっては趣味の延長線上とも取れることを院長の目に晒され乍らやらなければならないことは苦行以外の何物でも無かっただろう。

 

 ただでさえ恐怖の象徴ともされている院長だ。

 利口であるとはいえ、未だ齢が十もいかぬ子供が、そんな毎日に到底耐えうる訳が無い。

 

 

 子供たちの判断は正しかった。

 最終的なところで何も悩むこと無くすっぱりと、諦めた──それは最適解であったと思う。

 ……こんな風な未練がましい様は自分でも少し呆れる位なのだ。

 

 

 きっと人は成長していくにつれてどんどんと余計なことが付いてきて、無駄な(しがらみ)に捕われてしまうのだろう。

 それは姉も僕も例外では無く、その上で僕は半端者だった。

 

 

『……若ししたとして、貴様はそれに何を求めるのだ』

 

 

 僕にも姉と同じような鍛練を施して下さい、と云いに往った。

 

 ぱた、と本を閉じた白装束の男が、ゆるりとその頭を擡げ、瞳を此方に向けてそう問うてきた。

 

 何を求めるのか? ──僕は、自分は何を求めているのだろう。

 問われた時に改めて、僕は自分が何を求めているのだろうかと、初めて自問するように思った。

 

 然しそれを識らない時でも、姉が遥かな手も届かないような先に往ってしまうような、そんな気はしていた。

 居てもたってもいられぬような衝動に突き動かされて、その衝動を叩き付けるように院長に請うていたのだった。

 

 

 彼女がそこに求めるもの、理由……僕は只、姉の近くでそれを見届けたかった。

 そう云うと、院長はそれを聞いて数瞬、僕のことをじろりと覗き込むようにして見てきた。

 

 僅かに吐かれた息は溜め息なのか。寧ろそうとしか考えつかないのが残念でもある。

 

 

『止めておけ』

 

 

 予想は容易く当たる。

 

 勢い任せに突っ込んだ衝動がその一言で段々と萎んでいくような気がする。

 そのまま諦めてしまえばいいのに、それを恐れて何故か進んでしまうのが僕である──ぐっと、止まるように努めようとした。

 

 喉の奥に何か張り付いたようでいて、上手く声が出て来ない。ようやっと絞り出した声はとぎれとぎれに成って、そのことに内心で自嘲する。

 それとも、矢張り……見届ける、なんて詞は些か傲慢であっただろうか。

 

 

『────僕、は』

 

 

 椅子に座った侭の男は、肩肘をついて僕のことを見詰めていた。

 その黒目が暴かずとも直ぐに剥がれてしまうような、そんな脆い決心だったのか。

 

 否──傲慢でもいい、簡単にそんなことを許して堪るものか。

 

 

『何れ後悔する道ならば、いっそ選び取らぬ方が幸せなこともある。抑もだ、何故其処迄にこだわることがある?』

 

 

 決まっている。

 

 

『僕が、そうする可きだと思っているからです』

『……ふん、足りんな』

 

 

 それでも。まるで足りん、と目の前の男はそう呟いて、こんなことを云う。

 

 

(おれ)から見ても判る──半端な情、半端な決意ならば要らぬ』と。誰よりも中途半端なのは、僕が一番理解している。

 

 それでも、姉への思いは確かに本物だった。そう自負していた。

 

 

『貴様とあれ(・・)が決定的に違うものを、そんな物で埋められる筈が無かろう』

『…………』

 

 

 姉さんは、姉さんだ。

 それなのに、到底僕が持ち得ないような何かは、それが無ければ、遠くに往ってしまうような彼女について進むことも出来ないのか。

 

 何という理不尽。けれどそれでいて、そんな曖昧な説明で納得してしまう自分が腹立たしくて仕方ない。

 

 

『あの小娘が持つもの(・・)に関わったとして、その安穏とした生活を掻き回されても善いならば止めはしないがな』

 

 

 曖昧な癖に、その詳細を頑なに話そうとしないから此処まで話が拗れるのだ。

 

 姉さんの何を識っているのか、反抗的にそう思って──ああ、それはお互い様かと考え直した。

 

 この男が僕の識らない姉を識っていることも、又同様に僕がこの男の今迄関与して来なかった分姉について識ってることも。それらはきっと正しいことだった。

 

 然し、それ程迄に徹底して話すのを拒むような、所謂「禁則事項」は一体何なのか。

 矢張り、踏み込んではならぬ領域の何か、なのだろうか──脳の奥で鈍く、警鐘のような音を聴いた気がした。

 

 否、気のせいだろうと思おうと懸命に無視しようとするのに、追撃のように詞が響く。

 

 

『それにだ、必死に吠えて虚勢を張った処で貴様には出来るまい。貴様はそういう輩だ』

 

 

 何も云い返せない。然しそれでも、

 

 

『自ら幸福を手放すと云っておきながら最終的にその掌を返すような──違うか?』

『……そんなの』

 

 

 耐え切れずに、何かが決壊した。

 

 

 堪え性が無いとか、そんなのは自分が一番自覚している。

 ただしそれを云うなら、何も話さずに此処迄否定してくる院長の方だってやり過ぎなように思う。

 

 

『そんなの、僕には無い何かを姉さんが持ってること位、前からずっと識ってた──今迄何もしてこなかった癖に、何で今更姉さんを引き離そうとするんだよ! 姉さんには恩がある、姉さんは家族だ。姉さんがお前と関わったらその分姉さんが遠くなる!』

『……』

 

 

 勝手に口から出て来た詞でも、やり直しはきかないものである。

 院長の顔には矢張り表情は無く…………然し頬の辺りがぴくりと動いたのは、果して気のせいであったろうか。

 

 

『云いたいのはそれだけか』

 

 

 正直な処もっと云うことはあったのだが、その時の僕には之が限界だった。

 頭に血が上っていたので多少語彙力が乏しく成っているような感もあるが、よくもまあこんなことを云えたものだと少し感心している……思い返しただけでも恐ろしかった。

 

 その直ぐ後、無表情で云った男が立ち上がってからかつかつと近付いてきて、返事を待つでも無く僕の首を片手で掴んできたからだ。

 

 

『ぐっ…………』

『──無知とは』

 

 

 後で考えてみれば普通に息も出来ていたので、かなり加減していたのだと思う。

 院長から発せられる圧迫感が増していたので、それに()されて気付かなかったのだろう。

 

 見下ろす黒目の中に僕が映っている、そのことが奇妙であるように思えた。

 それは底無しの、呑まれてしまいそうな位に深い色である筈で、映るもの無き純黒のそれだと思っていた。

 

 

 男は云った。

『それはある意味で正しく、同時に愚かしくあり、なればこそ幸福なものだ』と。

 

 その詞の示す処の正確な意味を、然し僕は掴みきれていない。

 矢っ張り話す積もりは無いのだな、と──只それだけである。

 

 

 

 

 

 

 その時の首に当たる温い体温を思い出す。首元を摩りながら、意外にも覚えているらしい、とぼんやりと考える。

 腹に幾つか残る火傷痕のうちどれだっただろうかと、僅か思いを馳せた。

 

 

 ──耳元に直接流し込まれたのは、きっと毒であった。

 

 

「それしか云い切れぬのならば、着いて往ったところで矢張り貴様は、近かれ遠かれあれに突き放されるだろうよ」と預言めいた詞の重さが、耳に留まり続けている。

 

 

 ──その後、目上の者に対して喚き立てることは罪だと折檻をされて転がされ、魘れ乍らも姉の追及を何とか躱しきった自分を褒めてほしい。

 

 然し代わりとでも云うように、その痛みが引く頃に既に姉の修業は始まっていた。

 僕はその最初に乗り遅れた侭自分もやる等と云い出すことも出来ずに、こうして結局諦めてしまっているのだが。

 下の子供たちも、僕が何を院長へ訴えに往ってその結果がどうなったかを識っているから、それきり何も云うようなことは無くなった。

 

 

 然し若し、これで本当に院長が断じた以上の心意気を見せていたのなら──つまりは、そういうこと(・・・・・・)なのだろう。

 

 

 その程度だと、外ならぬ自身が心の奥底で認めてしまった。

 せめて行動だけでもそれに抗おうとしているのは、もしかすると滑稽にも見えるかもしれない。

 

 

 まあ、今更な話だった。

 

 僕は又ひとつ、溜め息をついてからずるずると立ち上がった。

 何時までもそうしておける程偉くも無い。

 

 立ち上がってから外をちらりと見るが、そこら周辺に最早男の姿は無かった。

 どうやら裏口からさっさと入ってしまったらしい──ぶるりと訳も無く一度身震いをする。

 

 

「……まぁ、うん」

 

 

 一緒に生きることが当たり前だと思ってはいけないのは十分に、身に沁みて感じていた。

 

 踵を反して広間の、弟妹の眠る場所へと戻り乍ら、そんな取り留めも無いことを思った。

 

 

 

 




と、いうわけで弟視点終了。



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