分かたぬ衣と往く先は   作:白縫綾

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第二二話 其の名は、『告死』

 

 

 

 何時ものように夕暮れ時の路を、同業の少年を伴い歩いていた時に、特に印象に残る或る男が、その傍らに一人の少女を置いているのを見た。

 識った顔ではあるがまともに会話したことは無い。敵では無いが、かといって味方でもない、そんな男だ。

 

 自分が云えたことでは無いが、それなりに名の識れた男であった。裏路地の、向かい側から歩いて来ているのを見てああ、あの男かと、眺めていた。

 ただ一つ、不思議であったのは──その横に、見慣れないような、それでいて何処か別の処で逢ったことがあったかと首を捻るような、そんな顔立ちの少女の姿があったことだ。

 

 その素性は判らない。

 何処からか引き取ったのか、或いはこれまでその存在を隠してきた実の子か。

 それとも単に、仕事上での付き添い人か。

 

 正解が何かを識りたいとは思わなかった。

 ただ、外見に似たような処は無くとも、……何かを見詰める、その目付きだけが重なっているかという位に妙に似通っている子供だった。

 

 かの男のように、冷徹な目ではないけれども──まるで色の無いような、透明な視線。

 此方を透かしてその遥か別の場所を見詰めるような、そんな目だ。

 

 二人は、急いでいる人間が他の通行人に気を配らないのと同様に、何の素振りも無いままに向かいより進んで来ている。

 

 何故なら、名前も識らない他人へ愛想を振り撒くのは莫迦のする事だから。他ならぬ自分を除いて、その隣に居る少年も同じに違いない。

 ああでも、それでは自分が莫迦みたいじゃないか。そう思って、見た目には判らない程度の苦笑が勝手に漏れる。

 

 

 

 

 

 そこそこ幅の広い裏路地は、大人二人に子供二人が横並びになったとしても余裕があったから……そうして、十分過ぎるくらいの隙間を空けてお互いに、通り過ぎた。

 

 少女を何処かで見かけたような既視感は、その時に解った。

 何処にでも居るから見たことがあるような気がする、そんなものでは無く、一方的にではあれど男は少女を見たことがあった。

 そんな事実に気がついて、おや、と思わず口に出しそうになった。解ったというか、記憶から掘り起こされたのだ。

 

 まあこんな暗がりであったから、また音が響くような場所であることを考慮して────結局は口を開き、そのまま閉じることに留めることになったが、ふと。

 

 

 ──垣間見えた或る未来図(ヴィジョン)は、思い出させるようにその光景を映し出した。

 

 

 肩越しに振り返ってみる、と。

 少女もまた、何故か振り返って此方を見詰めていた。

 偶然であっても、はっきりと重なり絡み合った視線に、今度こそはっきりと、傍目に診ても判るような表情の変化をした心算(つもり)だった。

 

 角の曲がり際に此方を確かに認めたのは、翳りのあるような翠の瞳である。

 興味がないかのようだった透明感のある感情がその一瞬、微かに色づいているように感じていた。

 

 

 

 

 

 角を曲がって、直ぐに消えていったその姿のあった場所を未練がましく眺め、男は訳もなく──少なくともそれは、彼にしか解らない理由であっただろう──黙して隣を歩いている未だ幼げな少年の頭をくしゃくしゃとかき混ぜた。

 端から見たら手持ち無沙汰のような行動にも見える筈だろう。……違うのだ。

 

 ただ、自分の持っている『異能』が識らせた或る未来図(ヴィジョン)に、馴れてしまったとはいえ…………自分をわずかに動揺させる光景を、其処に見たのだ。

 

 少年は、頭をいきなり撫でられても反抗のようなものは無く、されるがままになっていた──どうかしたのだろうかといった風に、少年の目が男の顔を窺うように見上げている。

 そこに非難の色はなく、いつものような淡々とした表情であって、それがなけなしの罪悪感を掻き立てた。

 何でも無い、と首を振って見せる。

 

 

 

 

 

 ────この少年にとって、或いはあの知り合いにも成っていないあの少女にとって、これからお互いに深く関わり合うことになるであろう人が今正に、通り過ぎたのだと。

 男がそう教えぬ限り、当人たちがその、普通なら到底識り得ない事実を識るようなことにはならないだろう。

 

 

 そして、その未来の可能性の一片として見た光景が男の異能によるものであり不可抗力ではあるといっても、……その関わり合いになる、一人の少女の将来の最期をまじまじと見てしまったのだと、どうして云えようか。

 

 

 

 

 

 ────────────────────────────────────────────

 

 

 

 

 

 同日、日は暮れ既に夜の帳が下りている頃まで時間は経過する。

 

 この日、月は無く、光は街の人工的な明かりのみであった。星明かりだけわずかに見えている調子で、その中── 一人の男が自室で、その空を見上げるようにして居た。

 

 その部屋は備え付けである灯りのお陰で仄明るく、柔らかい光で満たされている。

 質の高い調度品、踏み締める絨毯のふわりとした柔らかさは感触を余さず足裏に伝えていた。

 豪奢な室内を余さず照らし出す──そんな光景を背に立ち、窓際で優雅にグラスを傾ける男が居る。

 

 男の視線の先にあるのは港湾、明るく光る横浜の街。普段歩いている筈の場所は見ればひどく小さく、それを遥か上から俯瞰するかの如き体勢も相まって、妙なまでの全能感に襲われる。

 見下ろせば美しく見える場所も、そこには犯罪が蔓延っている。光が有れば影ができるように、栄光の裏に災禍があるように。半ば自然の摂理じみた当然なるものである。

 それすら一緒に纏めて自分が上位者であるかのように振る舞えるのを、男はそこそこ気に入っていた。

 

 彼は、この地の栄光にありつくべく、この地へやって来た。善く云えば新参者で、悪く云うなら侵略者。

 人生経験でいうなら、何事も卒無くやり遂げられる位のものを持っていて、それ故に態々此処へ居を構えることにした。

 

 

 ────魔都、横浜。

 この地はそう呼ばれているという。

 

 別の地で一財産を築き上げたこの男は、新天地で更なる発展を狙っていた。所謂『勝者』の側に属するような人間。

 或る会社の長をしており、利益を多く出し、そして之からもその益が増えていく余地、可能性があることを識っていた。

 

 苦労して、時には他者を蹴落としながら、然しその総ては概ね男の思うように進んでいた。

 

 それは、自他共に認める『勝者』である。

 今より未来の之からもそう、自分の描いたようになるだろうと思っていた。

 

 グラスの液体がゆらゆらと揺れるのを眺めつつ、瞼を一度閉じて、そんな感慨に浸る。とっぷりと更けた夜の街明かりを見下ろし、「善い夜だ」と何とは無しに呟こうとした────

 

 

「──やぁ、佳い夜だね」

 

 

 突然だった。

 直ぐ背後でそんな若い声で話し掛けられて、躯が固まるのが自分でも解った。

 誰も居ない筈の室内に存在する人…………暗殺者の類いの者か。然し、監視の者も付けているというのに。

 

 先ず、異能者という単語が頭に浮かぶ。

 

 そう称される者が居ることくらいなら男は識っていた。だが然し、圧倒的なまでに絶対数は少ない。居たとしても閉鎖的な地方では淘汰されるもので、故にその存在は、生憎最近まで拠点としていた地には居なかった。

 情報なら少し持っている、その程度である。

 

 

 ──それは人によって様々であるという。

 或る一部に於ける特別な、個性ともとれる何か(・・)だ。

 

 それは物を生み出す異能である。

 それは触れた相手を斥力により弾き飛ばす異能である。

 それは何者を通さない盾を作る異能である。

 それは相手の精神を歪め、操作する異能である。

 それは対象を治癒する異能である。

 それは──…………

 

 

 そんな様々なる眉唾のような、然し確かに実在する話の中で(まこと)しやかに囁かれる、こんな話がある。

 

 ──その異能者たちの中に、凡ゆる総てを殺し尽くす生命体を操る者が居るという。

 新月の夜にしばしば現れて誰かの命を刈り取っていくその姿は、正に死神の如し。

 

 

 真逆(まさか)、と笑い飛ばしたのは、彼が異能者の何たるかを実際に目にしたことが無いからだ。

 

 同じ人間であるというのに、そんな話が有るものかと。それこそ有り得ないことであろう、そう思った。凡ゆる総てを殺し尽くす、など。

 

 同じ人間が、いとも容易くそんな死を決定づけられることは、その種として同一である筈の生死の選択を握られている、ということだ。

 そんなのは最早、人では無い。神か悪魔か、はたまたその他の化物の類である。

 

 若し仮に、その異能を持っていると云われる異能者らしき人物が居たとしよう。

 然し凡ゆる総てを殺し尽くすのならば、どうしてそんな話が囁かれるようなことがあるだろうか──そんな考えもあって、信じてはいなかった。

 

 きっと何か仕掛けがあって、それが憶測を呼びそのような噂になったのだろう、軽くそう思っていた。

 見たことが無いのだから、その恐ろしさなど解る筈が無い。……ただ、それが普通の考え方であったとしても、信じなかったことこそが致命的なまでに男を破滅へと導いていたのだ。

 

 

 無知は罪である。

 然しそれよりも、その存在を感知しておきながら知ろうとしないことこそが最も重い罪である。

 何せ異能者に対抗出来るのは異能者だけ。それも相性が悪ければ簡単に勝敗は決する。

 

 

 ──……信じていなかったくせしてそのことを思い出したのは、居るか居ないかも判然としなかった存在を、前にしてようやく気づかされたからであった。

 

 これは、本物だと。

 

 

 それは、正しかった。

 実際、その男はフリーの殺し屋であった。

 同時に、異能者でもあった。

 そして──その夜に月は出ていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 果して、何時から居たのか。

 そいつが声を発し、男がその存在を知覚した瞬間から空気は変貌していた。

 男の本能が、そういう風に感じて悲鳴をあげていた。

 

 死が──人に必ずやって来る死が、抵抗出来ぬくらいに部屋の中に立ち込めていた。

 

 まるで逃がすまいとでもするように。

 この躯へ纏わり付き、腕に脚に絡み付いてくるものがねっとりと、粘るように触れるのは、そんな死の感触だった。

 

 

 男はゆっくりと振り返った。

 先程までの全能感は最早跡形もない。余裕は消え去り、手は血が通っていないかのように強張っている。冷たい汗が浮いて首筋を冷やし、背の骨がぎしぎしと軋む。

 躯中が冷えて、振り返るのを全力で拒否しているようだった。

 

 ……それでも振り返ったのはきっと、生物の本能的な恐怖の中に尚、意地というやつが残っていたからだ。

 

 かたかたと震えだす手の振動が、グラス越しに中の液体を細かく揺らしだした。

 

 

「初めまして」

 

 

 それ(・・)は一人で部屋の中央、ソファに自身の躯を沈み込ませていた。

 脚を組み、腕は膝の上について、寛いでいるように…………先程迄はそこに人なんて存在しなかった、その筈だった。

 

 声からして若者のような、その雰囲気にそぐわない弾むような声音を響かせる。

 

 男、だった。

 然し一見しただけではその性別を上手く判別することは出来まい。大きめである黒の上張り(マント)はだぼついてその体躯を隠し、目元迄深く下げられた被り(フード)の所為で、口元しか見ることが出来ないのだ。

 まあ──── 一言で云うなら、怪しげと云う他ない、というのが的確であるようだった。

 

 

 

 

 

 果して、何時から居たのだろう。

 この、若者を模したような化物の如き存在がこの場所に居て、そしてそのことを知覚する。それだけで、まるで周囲が暗くなるような錯覚に襲われた。

 顔の部分で、唯一見えている唇に弧を描き、その者は声も無く笑んでいた……まるで此方が声を発するのを待っているようにも思える。

 

 眩暈がしたのは、何もこの濃密なまでに香る死の匂いのせいだけでは無いだろう。

 来訪者の目的は尋ねずとも察せるというのに、その上で会話を求めるのか──それは、何よりも残酷な無言の宣告だった。

 

 

「誰だ、何をしに来た…………護衛は」

 

 

 男は、解りきっていることを、敢えてなぞるように口にした。

 護衛をそこかしこに配備していたというのに、それをくぐり抜けて来たというのは疾うに理解しているというのに。

 

 心底、恐怖している。

 

 掠れて威厳の欠片も無いような声であった。然し何故か相手の唇は嬉しそうに端を持ち上げてくつり、と音を立てた。

 笑うような要素は、然し嗚呼、もしかすると──それ程までに滑稽であったのかもしれない、と自分で思った。

 

 

「意外だな。余程肝が据わっているみたいだ」

「…………」

 

 

 たら、と冷や汗が頬を伝う。

 そんな様子を見て、くつり、と洩らされたのは笑み。

 

 

「それくらいの要請(リクエスト)には応えるよ。僕だってそこまで狭量な心算(つもり)でも無いんだ」

 

 

 おもむろにその目深に被っていたのを取り、肩口まで伸ばされた蓬髪を掻き上げれば──色が抜け落ちたような白がさらりと揺れた。

 その声の通りに若い男。

 

 

「貴方も、もしかしたら噂に位は聞いたことが有るかもね」

「…………」

「ここら辺の界隈では『死神』とか『告死の男』とか不名誉な称号ばかりあるけれど──まあ、殺し屋だよ。此処へは依頼を受けて来たんだ……あぁ、護衛には眠ってもらってるさ」

 

 

 いっそ穏やかなまでの(かお)で振り撒かれる死の重圧は、矢張り、と云うべきかひどくちぐはぐ(・・・・)なものであった。

 

 

「依頼主の事情については、あんまり聞かないようにしているんだ。貴方がどんな人であれ、その人の邪魔に感じさせるようなことが有ったんだろうね」

 

 

 だから、こんなことには成ったのは残念だ、と。

 全然悪びれもしない表情。それを飯の種にしている本人こそがそんな事を云うという矛盾。

 

 

「運悪く、貴方はこの地に蔓延る悪の餌に成る訳だ──もっとも、貴方が想像しているような、そんな生易しいモノなんかじゃ無いとは思うけれどね」

 

 

 その『悪』にはきっと、僕も含まれているんだろう、と──殺し屋はそう云った。

 

 そして、死に往く者に何故こんな風に語って来るのか、直に殺されるだろう当人も不可解に思っていた。

 

 

「…………何故そんなことを(わし)に話す。やるならばさっさと殺せ」

「流儀みたいなものだからねぇ。僕は殺し屋だけど、暗殺者じゃないし」

 

 

 本人さえ気づかない内にその息を絶やすなんて味気無いじゃないか、そう云うのに眉間に皺を寄せる。

 ……理解したくは無いし、出来たとしてそれをされる方からしたら趣味が悪いとしか思えなかったのだった。

 どちらにせよ殺すのに、敢えて識らせてから末期の詞を云わせるのか、と。

 

 

「…… 一思いにして終えば善いものを」

 

 

 強張る躯を無理矢理動かして、近くの椅子に座る。かたかたと震え続けていた手に握り込むグラスの中身を思い切って一気に煽り、机の上に置く。

 

 机の引き出しの、その裏には緊急事態用の(ボタン)が存在する。然し、眠らされた護衛が果してそれで起きるのかといえば、疑問の残るところであった。

 或いはそれは、永遠の眠りである可能性すらあるのだ。

 

 男は、息を努めて長く吐こうとした。どくどくと、心臓の鼓動が耳の奥に響いている。

『告死』の男からの視線が、ずっと向けられているのを感じている。

 

 そうして、暫く──「惜しいな」と呟かれた。

 

 

「本当に、惜しい。貴方のような普通に真っ当な人間の処断は割に珍しいんだ」

 

 

 真っ当とは云い難いものだとは思うが。

 之迄の自身の所業が甘く見える程、この街の闇は想像の遥か上を往く黒さで此方を引きずり落とすのだと、暗に云っているらしい。

 

 

「…………依頼人は、儂の部下か」

 

 

「さて、どうだろうね」と殺し屋は嘯いた。

 そうしながらも、蓬髪の奥からその瞳は逃がすまいともするように此方を見つめ続けている……それは、自身の深層に潜む処まで覗き込まれるような感覚だ。

 

 

()は貴方を殺して欲しいそうだからね、まあ惜しいとはいえ、それでも殺すけど…………人並みの野心も時には身を亡ぼす、か」

 

 

「おいで、────」と囁くように云ったのを果して誰に向けていたのか、その背後に顕現した何者かを見た時に理解した。

 

 どう表現すれば善かったか。

 じわりと滲む程度であった汗は更に噴き出すように背を冷やし、『死』を可視化すればこのようになるのかと、そう納得させられた。

 

 

 その後から背中合わせの形で溶け出すように顕れた人型があった。

 全身包帯塗れの体躯に襤褸(ぼろ)を羽織り、担いでいるのは大鎌。背から片側だけ生えるのは、歪に折れ曲がった漆黒の翼である。

 

 

「異能…………これが、」

 

 

 否定されないというのは、すなわち肯定ということである。

 目前の死が、手招きしてこの身を骸へと変えようとしているのだ。

 

「何か云い残したいことは」と問われて首を振ろうとする──詞を発するだけの気力は、目前に顕現した『死』によって失われていた。

 嗚呼、然し。何と云う可きか────

 

 

「儂は、自分の限界を識りたかった」

 

 

 指の先の細かい震えが喉にまで伝播して、声はいっそ哀れなまでに掠れる。

 

 

「もっと先へ進めると思っていた……然し、予期出来ぬからこそ死は死たり得るのだろうか」

 

 

「それで合っているよ」と殺し屋は答えた。その影のようにひっそりと居たもの(・・)──異能生命体がするりと動いて、男をその包帯しか見えない腕で抱きしめるようにする。

 死が歓迎するように微笑んだ。

 

 

「死は予期出来ない必定なんだ。それを捻曲げる方法が無い訳でもないけれど、それを遂げるのは至難の技で────……恐らくは貴方が此処(横浜)へ来ることが決まった時点では既に回避 出来ない大いなる流れの中だった。

どう足掻こうとその死は本人が識ることの出来ない確定された終焉で、生に価値を見出だそうとした人々の果て、生命と云われる群が何れ収束しゆくとある(・・・)一点が今、貴方の目の前に現れた、それだけの話だ」

 

 

 確かに、この殺し屋に暗殺は出来ないのだろう──それをするにはお喋りが過ぎた。

 

「別に、恐れなくても善い」と声は云った。

 男はその時、俯けていた顔を上げ、『死』を見上げた。

 顔も全体包帯が巻かれ、どんな顔をしているのかも解らない。大鎌は未だ添えられておらず、黙したままだ。

 殺し屋本人といえば、未だ座っている。

 

 

「恐れる必要は無い。黄泉路への旅立ちは、確かに此の世を生きた証なのだから。

 誇ると善い。限界等云わずとも、其の価値は必ず誰かに継がれゆくのだろうから。

 貴方の、世界へ刻んだ(しるべ)は其の持つ役割を果たすだろう。そして、だからこそ宣告しよう──貴方の契約は、今を以て満了する。僕はその為に来た」

 

 

「此の世を生きるという、人生と云う名の契約だよ」と彼は微笑んだ。

 ぐずる赤子を優しくあやすように云い聞かせる。

 

 

「…………」

「死は、多分貴方が思っているよりもっと穏やかに訪れる。貴方の傍らに在るそれが施すのは安息で、貴方の往く、此処から那由多の果てに在る処は理想郷(アルカディア)だから」

 

 

 まるで故郷を懐かしむかのような声音だった。

 或いは、それを一度体験したからこその異能者であるのかもしれない。

 

 殺し屋はおもむろに懐中時計を取り出して時間を眺めると、「そろそろか」と呟いた。

 

 

「そろそろ時間が来る……どうあれ、貴方の最期の詞、確かに受け取りました」

 

 

 殺し屋は立ち上がり、扉へと向かう。背を向けたままでひらひらと手を振り、

 

 

「それでは、死魔の腕に抱かれて、お休みなさい────佳い夢を」

 

 

 はっとして見た閃きは大鎌の刃であったのか。

 

 

 

 

 

 確かに穏やかであった。

 痛くもなかったろう。

 

 ただ、すとんと落とされた意識が、もう覚めることのないことだけは確かであった。

 

 

 

 

 

 **

 

 

 

 

 

 上へ往けば、比例するように風の強さは増していく。

 被り直した筈の被り(フード)は勝手に外れ、上張り(マント)は強風にはためく。前髪が煽られ、目を細めて彼は街並みを見下ろした。

 

 林立するビル群。

 ちらちらと見える家の灯、一際明るく目を焼くのは港湾で、その先の海は闇に塗り潰されている。

 彼の根城とする辺りの処も、そんな風に暗く黒く、光は無かった。

 

 或る建物の屋上。フェンスを越えて一歩踏み外してしまえば地面に叩きつけられるだろう──そんな場所に一人で居る。

 

 座って脚をぶらつかせる。

 頬杖をついて、ふっと息をつく。

 

 

「……おいで、『誘死機関(サリエル)』」

 

 

 詞に応えたのは、形容し難い何か、であった。

 

 一人が二人に増える。

 否、正確に云うならば一人とするのが正しいだろうが……その陰に付き従うように居る人型は、確かにその形をしていても彼の異能生命体である異形である。

 

 その手に持つ大鎌から死神とすれば善いのか、或いはその漆黒の翼故に堕天使とすれば善いのか。生物的な分類をどうす可きかなんて彼の識ったことでは無いが──呼んでいるのは、その異能を示す名であった。

 

 

 視線だけそれに向けて、「仕事お疲れ様」と呟いた。

 

 

「────」

「まあね」

 

 

 適当に返事をする……彼に包帯の下の表情を読む術は無かったが、何となく云わんとしていることは理解している。

 

 自身から生まれた異能であり、ならばこの異能は自身でもある。長い間こういう付き合いが続いているのは伊達ではない。

 

 

 愛用の大鎌を大切そうに抱き抱えた死魔が音も無く隣を陣取った。

 歪な翼でも広げればそれなりの大きさになるので、それで風を遮るように包まれる。

 風が遮られ、目を細めるのを止めることにする。

 

 

「今日の人は、本当に惜しかったな」

 

 

 男はフリーの殺し屋であった。

 不安定な収入の職業である。基本的に仕事にえり好みはしない主義だ。

 死に最も近い場所に居ると自負しているし、実際幾人もを殺してきた身としては最早それで苦しむことも心を動かされることも無い。

 

 けれど、たまに善い出逢いをすると何となく、惜しいな、とそう思うのは自分が未だ人の心を持っている証拠であった。

 

 

「未だ裏の世界に浸かろうとする前……もう少し早く、客として出逢えていたのなら或いは、その死を回避出来たのかもしれないね。まあ裏の世界でしか活動してないから、無理なんだろうけど」

「────────!」

「んー……まぁ、過ぎた話か。あと『誘死機関(サリエル)』、そんな感想は聞いて無いんだけど」

 

 

 自身から生まれた異能であり、ならばこの異能は自身でもある。長い間こういう付き合いが続いているのは伊達ではない。

 ……ないのだが、時々これ(・・)が本当に自分から生まれたものであるのか、判らなくなる時がある。

 

 

 男は異能たる彼──或いは彼女のことを、誘死機関、と呼んでいた。

 

 文字通り、他者を死へと誘う異能だ。

 生きている身でありながら死を抱え込んだ人間が、偶然にも持ってしまった超常の力。その力でつい先程、一人の老人を処断したのだった。

 

 仕事上、何人目かなんて、識る可きことではないから、気にかけるまでも無かろう。

 何より、一人だろうと百人だろうと──まあそれよりも多いだろうと確信しているのだが──その罪と咎を背負うのが、人というものだ。

 

 例え、それが人にあるまじき異能を扱っているのだとしても。何れその、「惜しい」と思った筈の老人のことも記憶の彼方へと流れ去るのだろう、と、そんなことを思う。

 

 

 

 

 勝手に部屋から拝借してきた葡萄酒(ワイン)を瓶から直接喉へ流し込んで、「佳い夜だな」と呟いた。

 

 隣でそわそわとしだした死魔(やつ)を横目に眺めて、そのまま見なかったふりをする。おこぼれに与りたいのがまるわかりだった。

 

 

「戦後の混乱が収まりつつあるからこそなんだが、それでも仕事は減らないんだよなぁ……しかも難易度は上がってくると来た」

 

 

 ポートマフィアは未だ善い。同じ穴の何とやらだろう。

 目下の問題は、異能特務課や外つ国のよく分からん機関、最近此方側(・・・)でもその名を聞くようになった『銀狼』。

 忠実なる政府の狗に縄張りを広げに来た侵略者、そして孤高を貫けるだけの力を持つ“五剣”の一人だ。

 

 

「『人間兵器庫(マスプロ)』は別に善いとして…………あの子が、ね」

 

 

 ちょいちょいと上張り(マント)を引っ張りだして葡萄酒(ワイン)を強請ってくるのに思考を乱されながらも、瓶ごと投げ渡すと嬉しそうに──何と云うか、雰囲気的にそんな感じだった──受け取られた。

 まあ仕事の役割はちゃんとやり遂げるのだから文句は無いけれど、若し誰かに見られたら一瞬で想像(イメージ)上の何かが崩壊しそうである。

 

 之が自分の一部で、それに納得してしまうだから悲しいものだった──そんなのを尻目に、思い出す。

 実は声に出さなくても覚えていた。その少女の存在は、ずっと頭の片隅にあった。態々(わざわざ)そうしたのは、男がそうしなければならないと思ったからだ。口に出して、その存在が夢では無いのだと確信するための行動だった。

 

 

 一人の少女だった。

 それだけなら特段気に留めることも無いのだろう。然し、死魔が自身の中で異能者(どうるい)だと先に気づき、声無くそう囁いて、何時ものように彼女の未来の死期(ヴィジョン)を──死を施す者故か、彼の異能は対面した者の死期を読み取れるのだ──見せたのだった。

 

 見過ごしそうになるくらい普通の子供は、そんな目に見えない特徴が無ければ注目することも無かったろう。

 いざ見てみれば、少しばかり既視感を感じて。内心首を傾げて、それからよく見れば、その隣を歩く人相に見覚えがあった。

 何時もの白一色の和装は、そこに色合いのある(かすり)の羽織りを身に纏うだけであまり目立たなくなるらしい……かの『人間兵器庫(マスプロ)』の連れ子である少女もまた、その見た目以上には普通では無いという何よりの理由であるかもしれない。

 

 近寄り難い無表情の後ろをついて歩く子供。

 栗色のさらりとした髪と、黒混じりの翠の眼。

 

 向かいから段々と近づき、通り過ぎて、何時ものようにその死期(・・)が見える──それは、異能を発現させたことによってついでのように出来るようになった副作用。

 対面した人の未来を『覗く』手段である。

 

 

「『誘死機関(サリエル)』、あの子のこと、覚えてるかな」

「──?」

 

 

 かぱかぱと瓶を傾けて酒を呑んでいたのに、首を傾げられる──顔にも包帯は巻かれていても口の部分だけは上手い具合に開閉出来るらしいが、まずもって酒を嗜む異能生命体とはこれ如何に。

 

 

「作坊と歩いてる時に通り過ぎた二人組」

「!」

「それそれ。あの女の子が、ねぇ……」

 

 

 既視感は、思い返せば直ぐに解ることだった。

 その少女と何処かで逢ったように感じたのは、それを利用して行っているもう一つの商売──『生命判断師』としての常連客の中に、彼女に関わりのある人間が居たからだ。

 

 少女はその客の死に目の可能性に立ち会う人間で、それなら成る程確かに、間接的には出逢っている。

 

 

 彼女の最もあり得る可能性上の死期に動揺したのは、思いもよらない光景を其処に見たからだ。

 

 それ(・・)がそんな都合よく目の前に現れるのは……果して偶然であったのであろうか。

 それとも世間が案外狭いというだけなのか、はたまた異能が互いを引き寄せ合った結果か。

 

 

 ──自分にしか見えぬ景色があった。

 

 

 確定まではしていなくとも、将来で最も可能性のある未来だ。それを回避出来るのかは本人次第、としか云えない。

 

 …………不思議なもので、人が迎える死期というのは、本人の行った選択によって変動する。

 だが敢えて厳しい現実を突き付けるのなら──その一方で、死期が変わった例は、片手の指で数える程も無いというのも事実だ。

 余程のことが無い限り、その迎える結末は変わらない。

 

 人は何れ死ぬものだ。之より酷い光景を見たことだって何度もある。

 奇跡は、起こせないから奇跡というのだ。

 

 土壇場で急激な変化があれば別なのだろう……最終的な未来を覆すなんてことは、そう簡単に出来ることでは無いのは、間近で見てきたからこそ誰よりも理解している。

 

 

 

 

 

 殺し屋が此処まで他人の死を憂えるのはおかしな話ではあったが──印象に残ったのは、何も『人間兵器庫(マスプロ)』という通り名の壮年の連れ子だからという理由ではないし、かといって自分の客に関わりある人だから、たいうのでもない。

 

 

 少女の死期であろう未来の光景には、それを看取る誰かが居て、その中に映り込んでいた。

 

 力無く横たわる女の側でその手を握り何事かを云う青年の姿には、どうにも見覚えがある……ぼやかすような云い方は、止めにすべきだろうか。

 

 

 

 鳶色の硝子球のような眼は今よりもわずかに、それでも鮮やかに色付いている。

 見慣れない砂色の長外套(コート)に二、三日剃っていないような無精髭。

 

 現在『告死』の男と一番交流があるとしても善い同業者の、何れ成長した姿。

 

 

 識っている。

 ああ、識っているとも。

 

 

「身長、僕より高くなってるのかね」と呟いてぐっと身体を伸ばせば、息を吸い込んだ肺に潮の香がふわりと満ちる。

 ……その未来における横浜が果してどうなっているのか、少なくともとあるごたごた(・・・・)に巻き込まれたのだろうこと以外にはまるで見当もつかない。

 或いは彼女から進んで飛び込んだのやもしれぬ。

 

 

「どちらにしろ」

 

 

 男は内心で憂えているとは思えないような表情でうっすらと、微笑んだ。

 

 

 ──その者、凡ゆる生けとし生けるモノの隣人である。

 ──その者、生命を慈しみながらも魂を()り取る処刑人である。

 ──その者、死神の如く対面した者へ宣告する『告死』の男である。

 

 

「是非ともあの子にはその未来(死期)を変えて欲しいもんだね。あの子自身と、作坊の為に」

 

 

 人を殺して飯を食っているような者が考えることではないが、その死期を伸ばしてやりたいと思ったことは何度かある。

 これもそのうちの一つだ。人間性が一握りでも残っているのだと、そう思いたい。

 

 示された最期は、運命に限りなく近い可能性。

 そんな未来を、はいそうですかと見過ごすことは裏の世界では当たり前のことである。けれども──

 

 

「之からの未来ある子が、そんな若さで死ぬ可きじゃないよ」

「────」

「あー……湿っぽいのは似合わないって? そんなの解ってるよ」

 

 

 ──あの同業者(殺し屋)の少年は、未だ識らないのだ。

 

 精神が変に育ってしまった。虚無を秘めたような硝子の瞳は、然しおかしな処で真っ直ぐだったりもする。

 

 自ら棄てたのならば善い。態々(わざわざ)棄てた人間性を拾って押し付けるようなことをするまでお人よしではない。

 然しなまじ一人で生きていけただけに──貧民街(スラム)の恵まれない子供でさえ理解していることを、あの少年は識らない。

 

 無知なのだ。どうしようもなく。

 人は寄り添ってこそその人間性を育むのに、その機会が無かった子供。

 

 

 それはきっと、異能の被害者だった。

 空虚のまま成長して、それなりの付き合いの自分でもそれを見た目普通くらいまでに矯正することは出来なかった。

 

 

 ──彼女はやってのけるだろうなという自信があった。

 その末路、当人にとって不本意だろう未来。それを見て、見たからこそ確信した。

 

 きっと彼女の最期に、今は少年である彼が涙を流し慟哭するのは……そんな理由である筈だ。

 そうであって欲しいと、思うのだ。

 

 

「風が強くなってきたね」

「──?」

「そうだな、帰ろうか──この建物も騒がしくなり始めたみたいだ。『誘死機関(サリエル)』」

「!」

「上手く受け止めてくれよ」

 

 

 ふらり、とごく自然な動きでその男は身を乗り出した。フェンスを越えている為に、その直ぐ先に地面は無い。

 

 

 男は、落ちた。

 そしてそれは割と何時も利用する手段だったりした。

 建物の屋上から地面まではかなりの高さで、普通の人なら潰れたトマトのように成ること間違いないが、彼からすれば単なる道筋の簡略化に過ぎない。

 

 落下する男に追随するように顕れている死魔がその腕を引っ掴んで、片翼のみで器用に数秒飛行する。

 

 軟らかく地面に降ろされて、とんとんと爪先で地面を確認する。

 男は建物を見上げ、微かに聞こえる慌ただしい様子に目を細めた。

 

 

「──任務は完了。さあ、帰ろうか」

 

 

 黒の上張り(マント)を翻し、被り(フード)を目深にして、男はひっそりと夜闇に溶け込んでいく。

 

 

 ──或る、月の無い夜の話だった。

 

 

 

 

 

 ────────────────────────────────────────────

 

 

 

 

 一泊した孤児院を出て、他の交通機関を用いるまでの遠さではないからと云われた為にそのまま、目的の場所へと歩いて向かうことになった。

 

 ただその背中を眺めるままについて歩いて往けば、はたと目の前で立ち止まった養い親に思わず少し、たたらを踏むことになった。

 

 

(さっき)、通り過ぎた二人組が居ただろう」

 

 突然、そう振られた話題にもう喋っても善いのだろうかと首を傾げてから、はいと少女は頷いた。

 

 雪のような髪の男が珍しくて、角を曲がる際で振り返ったら丁度目が合ったことを思い出す──少し離れた処から見たのだが、その相手である彼もまた、何故か此方を見ていたのだ。

 しかも、その上でにっこり、と微笑された。

 

 

「『口を開くな』と仰っていましたけど……何だか目が合って、微笑まれたのですが」

「…………何?」

 

 

 おもむろに再び歩き出した──心なしか早足であるようにも思える──後を、取り残されまいとやや小走りになって追い掛ける。

 

 ……その態度からして、知り合いではあるが養い親からは関わり合うのを避けたい相手である、ということか。

 それにしては一方的な避け方のようでもあったが──相手がどう考えているかなど、その為人(ひととなり)すら識らない自分がどうこう云える話では無いのだろう。

 

 

「彼は此方の人なのですか」

 

 

 そう問えば、「(そうだ)」と返される。

 

 

「印象的な男だったろう」

「はい。真っ白な…………あの、彼らって」

「何だ」

仕事仲間(ボートマフィア)ですか」

「は、」

 

 

 真逆、と云って笑われたのは、果して何だったのか。

 

 

あれ(・・)は組織の狗にもなれぬ死神よ。請われて人を殺す『殺し屋』だ。早々奴に対面する事になるとは思わなかったが、あんなのが普通に闊歩するのが此処(横浜)だ」

 

 

 先ず最初に浮かんだのは、感想でも何でもなく。

 

 

「じゃああの──その隣に居た子供は、」

同じ(・・)だ」

 

 

 それは詰まり、そういうことで。

 衝撃を受けなかったかといえば思いっきり嘘になるだろう。

 

 殺し屋だという少年の顔は影であまり見えはしなかったが──隣に居た男の存在感が強すぎた、というのもある──その、赤みがかった鳶色の髪の鮮やかさは妙に記憶に残っていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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