分かたぬ衣と往く先は   作:白縫綾

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「やぁ、貴方が来るとは思わなかったな」
「……」
「死期を識りたくなったかい? 或いは暗殺の依頼? それとも……君の可愛い義娘の話かな」

「────あの小僧を周囲に見るのは、貴様の差し金か」
「そういう人聞きの悪いこと云わないで欲しいなぁ……店自体は完全な偶然だよ。でも、僕の大切な子供が報われる為の一つの要素を、彼女が担ってることは確かだけれどね」
「『告死』──(おれ)は、貴様が死期(運命)を捩曲げる心算はあるのかと、聞いている」
「ふふ、嗚呼……判るかい。でも明言はしないさ。だから貴方のご想像にお任せ致しますよ、『人間兵器庫(マスプロ)』殿」






第三三話 影の中の闇(前編)

 少年は、自分が割合に善い暮らしをしているという自覚を持っていた。

 庇護者を持たない子供が自分の仕事を手にしていて、危険は有れどもそれで十分に食べていけることも、住む場所も有ることは恐らく珍しいことだ。

 温かい食事に、何者かに脅かされる心配の無い寝床。清潔な衣服。野犬に喰い殺されることなく、寒さに凍え死ぬこともない。暇な時には本を読むだけの余裕だってある──自分が死ぬ時は、病気や環境によるどうしようもない事ではなく、誰かに息の根を止められる事によって成されるのだろう。

 自然とそう思うのは、自分の立場がそれこそ危ういということを承知しているからである。

 

 少年の今は、手を血に染めるような所業によって得られたものだ。然し、それを詰られたとして、ならばどうやって生きていくべきであったのか、それを少年は識らない。

 その生活を確立してしまうよりも前に、少年に先往く(みち)を示してくれる人は居なかった。

 

「…………」

 

 

 そっと、珈琲の入ったカップを持ち上げ、口に含んでから置く。つい砂糖や牛乳やらを多目に入れてしまうそれは、白色を混ぜこんだまろやかな色になっている。

 辛いものを好む癖してそのまま苦いのを飲むことを躊躇ってしまうのは、まだまだ子供舌だと笑われてしまっても止められない、贅沢に対する反射のようなものだった。

 

 甘みで苦さを和らげても、薫りが消されることは無い。鼻に抜けるような香ばしさに、知らず唇を緩ませる。

 かちゃりと陶器どうしが擦れ、音を響かせた。 それを気にすることなく、少年は本を読み進めていく。

 

 彼が長居しても、店の方から文句を云われることはない。

 元々隠れ家のような側面を持つひっそりとした佇まいの店であったから、そもそも客の数は少ない。時間も相まってか、店内は(まば)らである。

 

 曇り硝子からぼんやりと、本の頁に光が当たっていた。注視すると本の白さが強調されるようで、少し眩しく感じる。目を細めた。

 ふ、とそこに気配が現れて、柔らかく声がした。

 

 

「遮光用に衝立でも要りますか?」

 

 それとも、場所を移動されますか。

 女性にしては低く、落ち着いた声音をした人がそう問うて、少年──織田作之助は本から顔を上げた。

 一言二言なら普通に交わす程度の仲である。

 常連である少年にも、そこに居ることを景色として受け入れるくらいには見慣れてきた少女が近くに立っていた。恐らく幾つかも違わない、店主が店員の募集をしていた時分に来た従業員だ。

 栗色の髪、やや色素が薄いであろう生白い肌はどこか不健康にも見える。

 

 その中だからこそなのか、翠の色が、一際目をひいた。

 

 

「移動を」少し考え込んでから短く返答して、少ない荷物を持ち早々に奥へと移動した。

 少女が(トレイ)に飲み掛けのものを置いて運ぶのを視界に入れたままにする。彼女は斜め前に立って移動していた。

 どんな時であっても極力背後をとられたくないのは、仕事柄故か、そもそもの性分だろうか──恐らく、そもそも気を抜けない裏社会の環境からだろう。

 

「本を…………」

 

 よく読んでいますね、とぽそりと云ったのに目をその背に向けた。話題を探した結果なのだろうか、背後の子供(自分)が何を思っているのかも識らないまま少女は吐息で微笑った。

 答えにうんと頷いて、それが見えていないのだから頷いても意味は無かった。

 

 少年は口下手だ。そう自覚している。

 元々喋りを求められることなど無かったので、人と接することの少なさ故に何を以て世間話とするか、他愛もないことが何であるのかを理解していても、それを自発的に口にすることが頗る苦手であった。

 

「此処は、腰を落ち着けて本を読める」辛うじて答えた。そこに嘘はない。

 実際あまり気に入るような物を持たない彼であったが、この店に居る時の、時間が引き延ばされるような不思議な感覚を、少年は好んでいた。

 

「私は此処に勤めて長い訳ではないけれど──そう云っていただけるのは嬉しいものですね、店主(マスター)?」

「誰かが一人でも、腰を落ち着ける環境であるならばそれに越したことはありませんから」

 

 カウンターで食器を拭いていた店主も、距離が近いからかさらりと会話に混ざってそう云った。低音の声は、静かに鳴り響く音楽の中に違和感なく溶け込んでいく。

 そこまで遠くの席に移動してはいなかったが、陽光の届かない程度の奥行きがある場所へ座りなおす。

 飲み掛けのカップをことりと置かれる。水面に波紋が浮かんで、揃って覗き込んでいた少年少女の影が歪む。

 陽の光が無い場所は涼しい。光に照らされるのも少しなら悪くはないが、どちらかに腰を落ち着けろと問われれば、眩しくない方を選ぶだろう。

 

 顔を上げて、かち合った視線どうしに相手がきょとりと虚を衝かれたような表情をした。──果して今見上げている自分はどんな(かお)をしているのだろうか、と思う。

 そして、これから投げ掛ける詞が、彼女に対してするものであるのか、今一図りかねてもいた。

 然し、それに長々と迷っているのでは目の前の彼女は仕事に戻るだろう。そもそも、少年がゆっくりと思考して結論を決めることなど滅多にないのだ。一瞬の判断を求められる鉄火場に身を置く面のにとっては息をするように出来ることだ。

 迷ったと云っても、それはきっと一瞬にも満たなかっただろう。

 片手で、本に栞を挟み込んだ。

 

 

 

 

 

 **

 

 

 

 

 

 少年の鳶色の瞳を覗き込んで、硝子玉のようだと朧は思った。

 

 表情の乗らない瞳だ。

 総てを在るように受けとる、無色の感情……それでも、無感情の人が本当に存在するかといえば、居ないだろうとも思っている。

 裏の世界を、幼いながらよく識る少年だ。

 人の強さは年齢に比例する訳ではない。困難を乗り越えられる人が居れば、一方で自分の知らなかった世界に感化され脆くなってしまう人も居る。

 ひとつはっきりしているのは、この世は善くも悪くも弱肉強食ということだ。そんな中を、普通ならば庇護されるべき脆弱な少年が一人で生きるということは、彼が強者の部類に入る者だということを示している。似た境遇の者同士で徒党を組む事もなく、『告死』が時折寄ってくるのみ。

 自分がおよそ踏み入れるとは、嘗てならば露程も思っていなかった少女は、少し気圧されて、それでも何か、惹かれるものがあった。

 

 

「ある男に、『近々訪れる出逢いの機会を逃すな』と云われたことがある」

 じい、とお互いに見詰めあって、ふと先に目を逸らした彼は、片手で本に栞を挟み込んで、本を読む体勢から居直ったようだった。

 近々訪れる、とは──……何とも曖昧で不確定な、けれども何故か確実さも孕んでいる。どこかで確信を得たような、そんな響きだ。ともすれば、少年にその詞を授けたその男が、何か確定的な未来を視たのだろうか、とも思わせてしまいそうでもある。

 

「何時だって出逢いなんてものはそこら中にあるでしょうに」それこそ、出逢いなんてものを考えればそれは何処にでも転がっているようなありふれたものなのだが、そういうことを彼は云っていないだろう。

 逃してはならない何か、それに気づいて、その上で選びとる。責任は否応なしに自身のものだ。重くとも軽くとも、選択という別たれた途がある以上、迫られることがある。それを、少女はよく識っていた。

 

「何故それを私に聞くんです?」と問うと、「なんとなく、あなたに聞いてみたくなった」という曖昧な返事で、恐らく未だその答えを得ていないようにも思える。

 

「私は非力な、ごく普通の一般人の心算なのだけれど……」

 

 自分の事を棚に上げて、思わずため息を吐いた。確認するように周囲を見渡すと、他に客は居ない──先程食べ終わっていたようだから、会計は恐らく何時の間にやら店主が行っていたのだろう──にこ、と邪気の無い微笑みを向けられる。その腹の中は真っ黒だと識っている人が他にどれだけ居るのだろうか。

 

 

「強者に気にかけられるような人ではないですよ」

 

 異能力があるとしても、それを知られていなければただの、矮小な、人混みに紛れ込んでしまえる程度にありふれた、とりたてて個性のない人だ。そう自負している。

 

 

「強者?」

「だってそうでしょう、長く裏社会で生きていけているのは。そういう点で、色々と識られる程度に有名な君は私の先達ですね。私は最近此方(・・)に来たばかりなんです。──だからこそ解せないなぁ、とそう思いますよ」

 

 多少なりとも裏の闇に浸かり始めているのを、けれどもそう考えるには普通過ぎるのだろう。まるで思ってもみなかったというような風にぱちりと瞬きをして、うろと店主の方を向いた。つられて見やれば、矢張り微笑んで頷かれた。

 少年の驚いただろう時の反応は、孤児院に残してきた弟によく似ていた──重ねる心算は毛頭無いけれど。

 くるりと動く鳶色から、目を逸らすことはしなかった。

 

 

「……あなたの眼が」

「眼?」

「その色合いが印象的だった」

 

 

 きっと、だから尋ねてみたかったのかもしれない。

 

 

「懐かしいとも思った。……あなたに、以前遭ったことはあるだろうか」

「──……さぁ、どうでしょう」

 

 

 けれど、もしも可能なら、と朧は云った。

 あの詞を君に云った人に、逢わせて頂けませんか。

 

 

 

 

 

 

 

 




短いです。
登場人物が大体所属している機関とか立場がばらばらなので、必然的に場面がぶつ切りになります……今回試行回数は最高を記録しました。せっかくの織田作なのに未だ書き慣れないから時間が掛かる……(´・ω・`)


サブタイトルに反して和やかな内容でしたが、後編で色々と(未だ何も書き出してない)出てくる予定です。



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