分かたぬ衣と往く先は   作:白縫綾

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 足早に、目的地までを出来るだけ簡略化してその道筋を辿る。
 残党狩りは、今のところは此れを以て終了だ。追加があったならばまた適宜に連絡が来るのだろう。

 辺りは、不自然に静かで、生き物の気配が希薄である。当たり前のことなのだ、だって今の今まで周辺では命のやり取りが起こっていた。
 かつかつかつ、と足早に。
 本部では、端末を手持ち無沙汰のように握る単眼鏡(モノクル)の男──青年の上司が居て、その足音で気づいていたのだろう、此方に顔を向けていた。


「早いな、白木」
「撤収は総て任せてきたので。久しぶりに血に酔った気がするっすね」


 息苦しかった、とため息をついて、青年は無造作に髪を掻き上げた。その台詞通りに身体に血の匂いを纏わりつかせている。

「相手さんも此方も大分間引きされましたけど。上からは何も無いんすよね?」
「未だ何も、と云っておこう。……後数回位は出なければならないと見ているのだが」
「あー……まァ多少人員が少なくても精鋭で通るからいいか」


 ぼそぼそと適当に詞を交わして、白木は懐をまさぐり始めた。少しひしゃげている箱の中から煙草を取り出し、火を点ける前に一言断りを入れる。
 何も珍しいことでは無いけれど、ことその青年に限っては、広津は目を瞬かせてそれを見た。
 火が点いて、もわと煙が立つ。

「吸っていなかっただろう」
「最近ですよ、最近」

 流石に煙草の味も識らないまま死ぬのは、少し心残りがありますからね。





第三六話 銀狼

 少女は、自分の手首に巻きつけた細い鎖を眺めていた。

 一見すれば何か、装飾品の類いにも見えなくはない。けれども年頃の女子が持つにしてはやや素っ気ないもので、硬質な輝きを見せている。

 

 重量は然程なかった。動く間に金属が擦れ合って、控えめにちゃりちゃりとした音を立てている。

 それは、朧があの男の庇護を得るに相応するということを示し、或いはそれを周囲に知らしめるためのものだ──こういう云い方をすれば、鎖を渡してきたその男を元々気にくわないらしかった彼女の養い親が判りやすく顔を歪めるのだが、所謂『告死』の男の所有物である、と。

 

 その男は、自身の職業に反して子供好きであるということを、朧は自身の働いている喫茶の店主から聞いた。

 実際にして、そうなのだろう。圧倒的に強者だから弱点を曝せるのであり、その子供という弱点にも手を出せば手酷い報復が返ることは想像に難くない。過去にそういうこともあったのだ、と。

 

 孤児院にも入らぬ貧民街の、何の力も持たない、顔も識らぬ幼子たちがその鎖を肌身離さず、というのは珍しくないことであるという。だからか、貧民街の子供たちの生存率というのは、『告死』の男がこの横浜に現れてからは上向きになっているらしい。

 …………まぁ、こと少女に限ってはその子供好きが高じて、という中には入ってないのだけれど。

 

 

「…………」

 

 

 腕を何気なく挙げる。

 光を透かすようにすると、鈍色の輝きは思ったよりも眩しい。

 

 因みに、偶然道端で遭遇した広津や時折何気なくふらりと家に立ち寄ってくる安吾が、それぞれ朧の腕に巻つくそれを発見した途端に形容し難いような凄まじい表情を見せたり、呆れたような目で此方を見てきたりもしたのだから、一定以上の効果があることは確定だ。

 後者に至っては「朧さんの交友に口出ししませんけど、限度というものがあるでしょう!」というお小言付きで。

 

 

 ……少女は既に大人の手前といった年齢であった。

 だから、通常と異なった意図で渡されたのだと、気づく人は気づくのだろう。

 けれども、少なくとも少女がその理由を口にする、態々教えるなんてことは、そんなことをする心算など毛頭ある訳がない。ろくでもない妄想や、誤解されるかもという可能性もあるのだが、まぁ、外野には云わせておけばいい。

 

 何時かは話すのかもしれないけれど、それは今ではないし、きっと遠い先のことだ。それも身内のみのこと。

 未だ、少女はかの少年について何も識らないといっても過言ではないのだし。

 

 

 

 そこまで思ってから、元より生白い肌で、やや血色の悪いのが常である少女が、ほんのりとその頬を染めた。

 

 鏡など持っている筈もない。そういうものを見る習慣もあまりない。

 自分のことは自分自身では気づけないものだ。

 周りに誰か居たら指摘を受けていたことを、彼女が気づいていないことは幸運だった。

 

 

 

 

 

 それが限りなく確定に近い未来であるからか。

 彼女自身は識ることは無くても、その萌芽は緩やかに始まっている。

 

 

 呼び鈴の音がして、その音の方へと顔を向けた。

 

 

 

 

 

 来訪者は限られていた。

 少女の友人かポートマフィアの誰か、時たま猫の集会所でもあったりする(その時を狙ってか否か、家主が不在の時に限られている)。

 しかし今回は少女を訪ねることを目的としてやって来たのではないのだろうと思った。

 あるとすれば、少女もその周りも恐らく把握しきれてはいないくらい多くの()てを持つ、彼女の養い親の方だ。

 

 一見すれば白髪のようであったが、よく注視すればかの『告死』の男のような新雪の色ではなく、銀の色をしていた。さしずめ夜の月光だろうか、そんなことをちらりと思った。

 日本人然とした和装、そのくせその色合いは外つ国の血を連想させる。そう考えれば矢張り自分は平々凡々な一個人の筈で、けれどもなりそこないの異端(異能)者だ。

 門扉を開いて、顔を見合せ、見詰めあう間厳しい冷徹な眼差しに晒され、その中に僅か、困ったような戸惑いを感じた。

 

 それは彼女の養い親を彷彿とさせたが、まるで違うのは、その男から武人のような厳しさを感じられたからだろう。

 無感情に、路傍の石を見るようなそれと比べるのは失礼だと考え直してしまうくらい真っ直ぐで、誠実だった。

 そう思った朧の判断は、きっと間違っていない。────彼が家を間違えておらず、紛れもないこの家の主人と関係を築き続けているのならば、それを不思議に思ってしまうくらいに、男は善人に見えた。

 

 

 男は、呼び鈴の音で出てきた少女を見て、虚を衝かれたような顔をしていた。

 顔を合わせて互いに黙りこんだ。男がおもむろに一歩後退し表札のあった窪みを見つけても、そこに新たに作った表札は取り付けられていない。

 

 朧は、未だかの養い親の名字を識らなかった。

 興味は薄く、きっとこれからも識る機会は訪れないかもしれない。厳格そうに引き結ばれていた口が少しほどけて、彼は少女に問いかけた。

 

「……彼に娘が居たという話は聞かなかったが」と、思わず洩らしたかのように呟きだったが、それは確かに問い掛けであったので、朧は男に、素っ気なく「でしょうね」と同調した。

 

 

「私は孤児院の子ですから。彼が貴方の探して居る方で正しいのなら、私の養い親です。…………『人間兵器庫(マスプロ)』、この名称に聞き覚えは?」

「……家の場所を間違えたかと思っていた」

面会の許可(アポイントメント)を取り付けているのなら中で待って頂いても構いません。が、私の話はされなかったので?」

「彼は自分が人に識られることを嫌う人だ。私のことも覚えているか……噂で戻ってきたと聞いて、ふと訪ねただけだ」

 

「未だ俺が貴女くらいの年頃に、少しだけ」と、当時を思い返したのか、存外柔らかい声で云って、朧はぱちりと目を瞬かせた。

 見たところ三十前後くらいの年齢に見える男の少年時代に、それほどの何かを院長は彼に与えたのだろうか。

 けれど、この居るかどうかだけを確認するために来たらしい人に、院長は何処に行ってもあの態度を崩さなかったのだろうな 、と確信に近い状態でただ思った。

 同じくらいの齢に影響を与えられたということに少し親近感があったのかもしれない。押し黙って……中へ通すように門扉を開けた。

 少し驚いたように、目の前の人がぴくりと眉を上げたのが見えた。想像したよりは感情豊かな人なのかもしれない。

 

 

「約束は取り付けていないのだが。……入っても善いのだろうか」

「──私から連絡します。お名前をお伺いしても?」

 

 

 少しだけ逡巡してから、男は「福沢……福沢、諭吉だ」と名乗った。

 

 

 

 

 

 **

 

 

 

 

 

「それで、貴様は(おれ)を呼び出したのか」

 

「その連絡の携帯はそういうことの為に与えたのでは無い筈だが?」と云う養い親に「興味があったので」「……面の皮が厚くなったな」なんてやりとりが出来たのは、偏に彼らが間食の菓子を摘まみながら会話をしているからである。

 緊張感は欠片も無い。端から見たら互いに仲が善くないと思われるのやもしれないが、それでも隣で何も云わずに様子を窺われるような、そんな雰囲気ではないと思うのだが──単に、来訪者が会話を自ら好むような性質ではないというのもあるのだろう。

 

 

「育ての親のお蔭でしょう」

「……己か」

「はい」

「…………」

「…………」

 

 

  睥睨していた視線をついと逸らし、代わりに深いため息と、「次から次へと……」という独り言を発した。

 

「……貴様は本当に、妙なものばかりを引き寄せる。あの店主然り、『告死』然り。お膳立てなど必要ないとでも云うくらい、勿論この男のことだって識りはしなかったのだろう」

「院長先生のお客様なら、それは先生にも云えるのでは?」

「己のそれは貴様に意図して見せている、限定された交友だろう。運が善いのか……しかし(おれ)は、貴様に訪ねられる程の何かをした覚えは無いと思っていたのだが。孤剣士銀狼」

 

 あぁ、狼か。

 何処か納得した面持ちで見た男には、誠実さの中に鋭さも同居している。……狼であるというのに群れをもたず一人であるのを、何時か懐へと容れるような誰かが現れることはあるのだろうか、とぼんやり考えた。

 

 縁側に姿勢よく座り、陽光に目を細めるのが、妙にさまに(・・・)なっている男だった。

 それまで伏せていた目を、朧と隣り合う院長その人の方へと向けられる。

 

「貴方は覚えておられないかもしれないが、童の時分に貴方に遭ったことはあるので」と謙虚に呟いた男に少し考え込んで、「剣で叩きのめしたか」と養い親が尋ねた。彼は半分程中身の無くなった湯呑みを膝の上へ固定して、至極真面目な表情で「はい」と頷いた。

 叩きのめしたことも実際はどうでもいいことのように覚えていなかったのだろうな、と朧はこっそり半目になった。

「己も若かったということだ」という台詞に「成る程」と納得出来る要素が何処にあるのか、問うたところでその問いの意味を理解されないことは目に見えている。

 

「なれば、再戦の試みといったところか」

「……それを考えなかったかと云われれば嘘になりますが」

 

 

 剣による異名を持つ以上、その男には天稟が存在するのだろう。朧よりも遥か上の、武に生きる人であるのだろう。……少女にとっての上限は未だこの養い親で固定されているが、それに太刀打ち出来る技量があるのだと、他でもない養い親が暗に認めていることに少し、驚いた。

 納得でもあったけれど。

 

 しかしその男は首をゆるりと振って、「些細な疑問を解決する為に」と云った。

「幼いあの頃ならば再戦も希望したのでしょうが。貴方がふらりと現れ、直ぐ居なくなり、それからの間、自制と増長のせめぎあう中で理解したことがあります。……天秤が後者へ傾いた時に剣は手放したので」

「それで?」

「都市外に居た貴方が自ら裏の組織に組み込まれることを是もした理由をお尋ねしたく」

 

 

「……識られて困ることでは無いが」と前置きして、養い親はちらりと少女を見遣った。福沢もまた少女に目を向ける。

 我関せずとでもいうように茶を啜っていた。或いは、態と視線を逸らして注視されることに気付かない振りをしていた。

 彼女の養い親の男は直ぐに目を戻す。

 

 

「取引をしてな」

「貴方が居るだけで戦力が桁外れに上がることは明白でしょう。木っ端も集まれば其れなりの暴力に変じる。ポートマフィアは他の組織よりも頭一つ抜きん出ることになりますが、出る杭は打たれるのでは、と」

「抗争が激しいことは聞いている。他組織の一部が徒党を組み潰しにかかってきたことも。もっとも、其処は大分戦力を削られたと耳にしたが」

「…………」

「……この娘の生きていく土壌を作る為の助力と後ろ楯、それと己を引き換えた、それだけだ。一度政府に放逐された身で態々手元に置かれるのは癪と云うものだし、信用もされていない。かといって、光の下で異能者たる己が生きるには柵が多すぎた。裏社会でフリーになろうとしたところで勧誘による抗争は起きるだろう。どちらにせよ選ぶべきは最善の選択肢だ」

「これが?」

「これが、だ。…………嗚呼、軍警は呼ぶなよ。まず政府には──少なくとも今は未だ、己に多大な負い目が有る」

「今の俺は用心棒ですが、目の前で襲撃でもしない限りは捕獲などは考えない心算です」

「…………今思い出した。貴様、あの小生意気な童か」

 

「忘れていた」と顔を顰めた院長に、男が微かに苦笑いをこぼした。

 

「何か可笑しいことがあったか」

「いえ。……貴方も、人の子であったのだなと」

 

 少なくとも、見ただけでは平々凡々としか見れない少女を気に掛けるなんてことをするとは福沢には到底思えなかったのだ。実際それは正しいもので、朧がその例外である。

「当然だろう」と院長が鼻を鳴らした。

 人の子であるからこそ、冷血漢で通っていた男でもそれを曲げるような状況に出逢う。そしてそれは他人事などではなく、云った当人である福沢とて例外ではないだろう。

 

 

 

 

 

 二人の出逢いともとれぬ会合は一度きりであったけれど、片方が十何年後の今になってこうして訪れるくらいには記憶に残る出逢いであった。

 幼い頃より剣術を嗜んできた福沢が男に見えたのは、その少年期に既に才を開花させ、苦戦など全くの無縁であった頃だ。

 

 初めての任務の前、ふらりと前に現れた青年から感じる強者のそれに惹かれて一戦を申し込んだ。

 未だ成熟しきっていない子供で、我が剣は国家安寧の為に在り、と本心で思っていた中には、されど己では気付かないくらい極小の闘争へひた走る修羅の影が見え隠れしており──そして少年は、地面へ転がされた。

 体躯から発する膂力の差、と簡単に云ってしまうのは言い訳だ。そして、弾き飛ばされた木刀に呆然とする福沢を冷酷な眼で見下ろし、「世も末か」と吐き捨てた男の、けれども何処かやるせないようにも見える表情を、決して忘れはしないのだろう。

 少年は心の何処かで増長するものを飼っていたことを自覚した。ふらりと現れた青年は案外名を識られていたようで、噂は意外にも多く聞いたが、時間が会わないのかそもそも行き交う場所に居ることがなかったのか、目にしたのはその一回きりだ。

 その間に研鑽を繰り返し、増長する心を抑え、自制し、無事に初の仕事を超え、繰り返し暗殺等をこなし──……何時しか人を斬る任務を受けることに喜悦を見出だした時、初めてあの時男の云った詞の意味を理解した。

 その剣技が未熟故の蔑みであると思っていた福沢にとって、それは数年越しの衝撃で、天啓であった。

 天稟が有るとはいえ、幼子に目覚めさせるべきではない悦楽の心を国家の為に利用すること、そして従順にその流れに乗り、正しく人斬りに変じかねない己に怖気が走った。

 思えば、元よりこの男は政府を然程信用してはいなかったのだろう。己の有用性を証明する為の手段としてでしかない、仮宿のような気分であったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

「面識があったことも覚えていなかったが……これもまた巡り合わせか」

 

 息をついてから空に昇っている太陽を見上げて、大雑把に時間を確認したようだった。

 

 

「時に銀狼、仕事は今日は休みか」

「はい」

「貴様は些末な疑問を解消するだけで満足しようとしているが──……一つどうだ」

 

 

 庭に立て掛けてある数本の木刀をすっと指差して見せても、福沢の眼は凪いでいた。

 それにじっと目を合わせて、院長が満足げにふ、と息を漏らすように笑うような表情は、朧が初めて目にするもので──驚きと、ほんの少しの嫉妬があったことに自身が一番驚いた。

 修羅の影は無く、凪いだ目は成長した者のそれである。

 

 

「善い目をする……そう、ふるわれる力は須らく自分の為で無ければならない。その上で奥底の修羅を完全に封じきれているのは──実に、己好みだ」

 

 

 朧がすっと立ち上がって突っ掛けに足を突っ込み、その立て掛けてあった木刀を双方にそっと差し出す。

 ばし、と反射で受け取り、福沢は立ち上がった男を静かに見上げて、観念したように腰を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




院長先生は人の好みは割とはっきりしている方なので、ちゃんとツンデレになります。余談。なお嫌いな人に対するとツンツンツンツンツンギレくらい。デレはない。
社長に対してはこの話から察するになんとなくデレが多め。でもその人猫派ですよ院長先生。


実はこの時点で社長は原作よりもやや長く人斬りとして務めていたという微妙な原作改変があったりします。自制の期間がやや長くなったこと、幼かったとはいえ自分を叩きのめせる存在を強く認識していた故のことです。
……しかし、戦時中に国家安寧のためという免罪符を自ら棄てて、長い時をかけて確立させた自分の剣を手放すなんていうのは当時だったら暴挙とかとち狂ったとか、周囲からそういう風に思われてもおかしくないのでは……と思うと、一貫して自分のため、或いは自分の有用性の証明の為だけに政府を利用したうちの院長のメンタル鋼なのでは???
何だか院長がどんどんヤバい人に成っていきますね(人脈的な意味とメンタル的な意味で)。最初の方ではここまで重要人物になる予定ではなかったんですが。





※更新が遅れてしまったのは、こう、文迷っていう罪深いゲームのせいでしてね(目逸らし)少し落ち着いたので、次話はここまで間を空けることはないかと思います。





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