集いし者たちと白き龍   作:流星彗

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ここからは少し時を遡り、別方向の視点が語られます。
前作の外伝にてちらっと登場した彼らが登場します。


22話

 

 

 深い森の奥にそれはある。周囲には深い霧が立ちこみ、それを中心として一、二キロにわたって囲んでいるのだ。だが霧はその中にまでは存在せず、景色は良好だった。

 それは村だった。

 いや、里とでも言おうか。

 木造の家が点々と並び、畑が広がるそこはまさに東方の山奥の村、人里というに相応しい。その村に住まう人々は総じて和服に身を包み、人のものではない耳をしている。

 その黒髪に合った黒い毛をし、猫のような形をした耳だ。それが彼らが魔族である事を示し、同時にここはその魔族の者らが暮らす里である事の表れだ。

 そして里の周囲に広がる霧はこの里を隠すために仕掛けられた現象であり、里に近づく者らを迷わせ、引き返させる効果を秘めた結界でもある。

 そんなこの里に住まう者らは一体何者なのか。

 

 霧夜一族。

 

 彼らはそう呼ばれている。とはいってもその存在を知る者は僅かであり、基本的に人々に知られていない存在だ。

 それは里の周囲にたちこむ霧が彼らを覆い隠してしまうという事もあるが、それ以上に彼らは表立って行動する事がほとんどない。彼らは所謂、(しのび)と呼ばれる者達であり、他の忍達以上に自分達の存在を他者に隠す一族だ。

 これは彼らが魔族である事も関係しているが、彼らを従える者達が特殊である事も関係していた。

 しかし里の様子は至って普通。のどかな田舎の風景、といってもいいくらいの平穏な空気が包んでいる。

 畑仕事にいそしむ者、収穫した野菜を籠に乗せて運ぶ者、子供たちが集まって遊んでいる様子……と、普通の人々と変わらない。だが場所を変えれば普通の里にはない光景が見られる。

 森に近しい場所の一角に存在する広場。ここでは数人の若者が集まり、鍛錬を行っていた。木々を柱に見立てた壁蹴りの移動、丸太を投擲しての回避術、二人で組んでの組手……、まさに戦うための力を磨き上げている。

 武器として小太刀が目立つが、他にも苦無と呼ばれる特殊な投擲武器を手にしている者もいる。そんな彼らを指導するのが数人の年配の男性。

 それは一種の教師と生徒、師匠と弟子達という風。時に指導するように男性が少年や少女に近づき、何かを話しかける。

 そんなこの霧夜の里、実を言えばここは仮初めの里であり、本拠地は別の所にある。二つの里はかなり離れた距離となっており、こちらの里が仮に発見されたとしても重要なものはそんなにないので損害はほとんどない。

 もちろん彼らを束ねる頭領もここにはおらず、本拠地の里で暮らしている。

 だが彼の一人息子はここに暮らし、頭領である父の指示を受け、また状況に合わせて己の意思で指示を出し、次代の頭領として将来のための経験を積んでいる。

 

「はっ!」

 

 鍛錬をしている少年達の中に、一際速く動く少年がいた。刃を潰した小太刀を片手に構え、相対している少女へと斬りかかっている。しかし少女は表情を変えずにそれを受け流しつつ懐に入り込み、少年へと回し蹴りを放つ。

 それを後ろに飛びながら衝撃を殺すも、繋げるように体を捻りながら跳んでの回し蹴りが飛んでくる。腕で受け止めるも衝撃は軽く、とんっとそれを足場にして跳躍。小太刀を持っていない左手で少年の頭を掴むと曲芸師のように器用に逆立ちし、そのまま天へと伸びる足を曲げ、重力に従って落ちながら膝蹴りを叩き込んだ。

 

「……ッ!?」

 

 火花が散るような痛みが襲い掛かり、思わず額に手をやってしまうが、そんな隙を逃さずに着地した少女はまた一息で距離を詰めていく。だが少年も負けてはいない。何とか体勢を立て直し、向かってくる少女へと足払いを掛けてやった。

 

「…………」

 

 だがそれを読んでいたかのように横に飛び、それをやり過ごす。構えた小太刀で右肩へと突きを繰り出すが、回転して躱しつつその動きで少女へと蹴りを当てる。それに呻きながらも体勢を立て直すも、少年もまた回転しながら起き上り、少女に向き直る。

 そうして向かい合った二人は一度呼吸を整え、同時に飛び出して距離を詰める。そうして二人が交差しようとした瞬間、手にしていた小太刀でそれぞれ首と心臓へと当てあった。

 

「……ふぅ、お疲れ。(くう)

「お疲れ様です、(かい)様」

 

 どちらも決定打を与えたため、揃って小太刀を引くとお互いの健闘をたたえ合う。微笑を浮かべる少年に対し、少女は姿勢を正すと綺麗な一礼をした。

 

「じゃあ俺達は先に戻っているから、何かあったら呼んでくれ」

「はっ、お疲れ様でした、若」

『お疲れ様でした!』

 

 少年が指導をしている男性へと声を掛けると、男性は少年へと向き直り少女がしたように一礼。それに続くように他の少年少女達も一度鍛錬の手を止めて一礼した。そんな彼らに笑いかけて手を振ると、少女を伴って少年は広場を後にする。

 

 霧夜海(きりやかい)

 それが彼の名前だ。

 霧夜一族を束ねる頭領である霧夜潮(きりやうしお)の一人息子であり、次代の霧夜一族の頭領となる少年である。

 年齢は二十一歳、もうすぐ二十二歳になろうという頃だ。肩にかかるくらいの黒髪に青い瞳を持ち、忍として鍛えられているおかげで優しげな印象をする外見に反して高い実力を持っている。

 若干中性的な整った顔付きはまさに美少年といえるものだろうが、声色は完全に男性のものであり、身長も174cmという成人男性として一般的なものになっている。

 そんな彼に付き従うように歩く一人の少女。

 霧夜空(きりやくう)

 幼い頃……それも生まれた時からずっと海と共に育ち、彼の付き人として過ごしてきた少女だ。

 年齢は海と同じく二十一歳。背かなに届く程の艶やかな黒髪に落ち着きを感じさせる碧眼。東方人独特の顔付きに華奢な体つきも相まってまるで東方人形を思わせる外見をしている。

 黒を基準とし、深い山の光景を描いた和服に身を包み、背筋を伸ばして海の一歩後ろを付き従って歩く光景も様になっていて、まさに従者、大和撫子と呼ぶにふさわしい。

 そんな二人が道を歩けばすれ違う人達が挨拶をしてくれる。

 

「こんにちは、若様」

「お疲れ様です、若。こちら先ほど収穫したものです。よろしければどうぞ」

「ありがとう。いただくよ」

 

 妙齢の女性が背負っている籠から新鮮な野菜をいくつか取り出し、手渡してくれる。その内の一つ、キュウリの一種を空に一本手渡し、二人して少しかじってみた。とたん、しゃきしゃきとした歯ごたえに瑞々しさが加わり、素材の味が口の中へと広がっていく。

 なにも添えずそのまま食べているためそれがよく感じられ、それでもこれだけ美味しく感じられるのは素晴らしい。

 こくり、と頷いて微笑を浮かべ「美味しいよ」と告げれば、女性は「そうですか。ありがとうございます。また新鮮なお野菜をお届けしますね」と嬉しそうに言ってくれる。

 そして別れを告げてまた道を歩き、里の中心部にある小高い場所に向かっていく。少しなだらかな坂を登っていけばそこには大きな屋敷が存在している。そこが海が暮らす家であり、同時にこの里で頭領が暮らす場所でもある。

 高い塀に囲まれたその屋敷の広さはかなりのもので、様々な仕掛けを施す事で侵入者を防いでいる。といってもこの里自体が侵入者を防ぐ霧の結界に囲まれているので、そういう事は稀なのだが用心として施している。

 門を潜れば広い庭園が出迎え、その奥に屋敷の入り口がある。「ただいま」と声を掛けて中に入ると、すぐに「おかえりなさいませ」と一人の女中が出迎えてくれた。

 

「またお野菜を貰ったのですか、若」

「そうだね。ありがたい事だよ。これ、よろしく頼むよ」

「はい」

 

 手にしていた野菜を女中に手渡し、二人は屋敷の奥へと進んでいく。その際やはりというべきかすれ違うたびに「おかえりなさいませ」と声を掛けられながら頭を下げられる。それに笑顔で応えていき、自室へと戻ってくると一息ついて座敷に腰掛ける。

 空はというとすぐそこを通りかかった女中に何かを聞き、一言礼を告げて部屋に入り、襖の傍に控えながら、

 

「海様、入浴の準備は整っているとの事。如何しますか?」

「そう? じゃあ先に入ってくるか。空は……」

「わたしはこれからの予定を確認。本家からの連絡があったかと思いますので」

「そうか……よろしく頼むよ」

「はい、いってらっしゃいませ」

 

 ぺこりと表情を変えずに一礼、廊下にてる海を見送り、去っていくのを確認した空は自分も廊下を歩き始める。向かうのは海の近くにある彼女の自室。

 海の部屋が様々な物が置かれているのに対し、彼女の部屋は質素なものだった。机に本棚、服を入れる箪笥……。必要最低限の物しかなく、色遣いも落ち着いたものでそれが逆に彼女らしいと思わせる。

 そして机の傍には少し積み上げられた書類が二つに分けられてある。

 片方はそれなりに積み上がっているが、もう片方は少なかった。

 

「……さて、消化しますか」

 

 彼女は机の前に正座すると少なくなっている書類を手にして目を通し始めた。

 

 一方浴場へと向かっていく海は途中で同年代の少年と会う。彼は海に気づくと気さくな笑顔を見せながら手を挙げてきた。

 

「よう、若、久しぶり! 若も風呂かい?」

「ああ、久しぶり。もしかして(しゅん)も風呂かな?」

「そうだったんだが、若が入るってんなら少し待とうか?」

「いや、構わないよ。一緒に入ろうか」

 

 微笑を浮かべながらぽん、と背中を叩いて歩き出すと、「悪いね、若」と苦笑しながら頭を掻きつつ彼がついてくる。

 彼の名は霧夜隼。霧夜一族の少年であり、海の一つ年上にあたる兄のような人だ。空ほど長く付き従ってはいないが、修行やプライベートでもそれなりに共に過ごした仲であり、他の少年達よりも少し親密度が高い。

 そのため海とは少しだけ砕けたような口調で話す事が出来る相手であり、海にとっても気楽に接する事が出来る数少ない相手でもある。

 浴場は屋敷のはずれにあり、露天風呂のような作りになっている。囲む塀のおかげで広大な山を見回す事は出来ないが、天気が良ければ夜に空を見上げれば綺麗な星空が見られるようになっている。そんな浴場に向かいながら二人は会話をしていた。

 

「最近は調査を進めていたんだろう? どうだい、調子は?」

「んーぼちぼちってところかねぇ……。なにせ死体はあっても犯人(ホシ)は尻尾を出さねえんですわ。そこで狙われそうなのにアタリをつけて張ってみたんだけど、今度は逆に外れる……。まったく犯人(ホシ)がどういう意図で犠牲者を狙ってんのかわかったもんじゃない」

 

 やれやれとため息をつきながら肩を落とす隼に元気がなくなってくる。彼はさっきまで里の外に出て辻斬りについて調査を進めていたのだ。各地を飛び回って少しでも辻斬りの事について情報を得ようとしたようだが、どうやら上手くいっていないらしい。

 確かに辻斬りは被害報告こそ耳にするが、それを実行している犯人の情報は全くといっていいほどない。わかるのは達人クラスの実力を持つ刀使いという事だけ。

 どこに出没するのか、誰を狙っているのか、それは判明せず、ただ各地で高い実力を持つ者ばかりが殺されていく。

 各地の領主はこの危険人物に対して捕縛ないし殺害依頼を出しているようだが、当然ながらそれ程の実力者が容易に尻尾を出すはずもない。操作は空回りし、ただただ犠牲者が増えていく。

 これに対して霧夜一族もまた隼をはじめとする者達が調査に乗り出しているのだが、同じように情報は得られない。まるで包囲網をすり抜けていく飄々とした風の如く。雲を掴むかのような現実に捜査は難航していた。

 

「そう気を落とすなよ隼。気持ち、切り替えていこう」

「……ああ、そうだな若。こう気落ちしてちゃ出来る事も出来ないってもんだ。よし! こういう時こそ風呂! さっぱりすりゃこの気持ちも湯船に消えてなくなるってもんだぜ!」

「そうそう。その前向きさが隼のいいところだよ」

 

 そう笑いあいながらやってきた浴場の男用の更衣室の扉をガラッと開ける。その笑顔のまま中に入り、和服を脱いでさあ露天風呂へ、と思い描いていたのだが、二人の体はそこで固まってしまった。

 笑顔が凍りつくとはこういう事だろうか。

 あるいは時が止まったとでも言おうか。

 二人が見ているもの、視線の先には一人の人物がいた。

 鍛え上げられた硬く逞しいがたいをした二メートルを超える長身の男性。切りそろえられた黒髪は少しはね、彼もまた同じような耳をしている。

 彼は鏡に向かって日に焼けて健康的で、同時に屈強な戦士の証であるその体でポージングを決めている。

 

 もちろん、素っ裸で。

 

 ここは浴場で、更衣室なのだから裸になるのはまあいいとしよう。しかしどうしてそのまま露天風呂に向かわず鏡に向かってあんな真似をしているのだろうか。

 いや、彼ならばやりかねないのだが、ああも清々しく楽しげにやっているのを目の当たりにすると、どういう反応をしていいのかわからない。それに加えて彼はとんでもない人物だ。このまま固まっているのはマズイ。

 そう頭でわかっていても、二人はその場を動けないでいた。

 

「――あらん? そこにいるのは若に隼ちゃんかしらん?」

 

 そうして固まっていれば、いずれ気づかれるのは道理。紫色の瞳が二人を捉え、いい笑顔を見せながらそんな事を口にする。

 声は見た目に反しない野太い声だが、その口調は――

 

「いやん、ちょっと恥ずかしい所を見られちゃったわん♪ ああ、どうしましょ。私、困っちゃうわん」

 

 ――見事なオネエのものだ。

 おわかりだろう。

 これほどの鍛え上げられた肉体を持ち、顔付きもなかなかのイケメンのものなのだが、その中身は見事に女性に近しい。相反する二つの内外を持つ男性、それが彼だ。

 ひくひくと口元を動かしながらも何とか現実へと帰ってきた海は、困ったような表情を浮かべながらも何とか言葉を発する事にした。

 

「……なにを、してるんです? 狭間」

「見てわからないかしらん、若。ちょっとした体のチェックよん。どうやら久しぶりに渚ちゃんが来るらしいからね、体の調子を確かめてたのよん」

 

 霧夜狭間(きりやはざま)

 この霧夜一族でも古くから在籍している男性であり、現在の頭領である潮とも親交が深い忍である。現在は海のいるこの里へと滞在し、彼のサポートを務めている。

 彼が幼い頃から見守っており、それはすなわち海は幼い時からこの濃い男性を見続けていたという事でもあり、自然と耐性がついてしまったということでもある。

 それでもこの暑苦しく濃い人物には少し慣れないのだが、彼自身は古参の忍という事もあって能力は高い。海にとって信用に足る人物ではあるのだが……時々こういう場面に出くわしては空気が凍るという現象を味わい続けている。

 いや、それよりも今彼が言った言葉だ。

 隼もそれに反応し、驚いた顔を浮かべる。

 

「乾様が来るのか、狭間さん」

「そうよん。少し前に本家から連絡が来てね、若達に伝えるべき事があるということらしいわ。だから失礼のないように体を清め、こうして……ふんっ! 日課ではあるけれど、こういう時こそボディチェック、体のメンテナンスは大事よねん」

 

 言葉の途中でまたポーズを決めて締めくくる彼は本気らしい。体を清める、というところまではよかったのに、いや、体の調子を確かめるというところもまあいいとして、どうして裸になってポージングするという結論に至るのだろう。

 別に彼女の前で裸になるという訳でもない……いや、なるんだった。

 うん、前提からして間違えていた。

 彼は……普段からこうだったな、と思い出して海は少し頭を抱える。

 

「……まあ、程々にするんだよ、狭間。でないと乾様にまたどやされたりするからね」

「うふふ。でもああいう怒った顔も可愛いと思わない? 若」

「…………黙秘しようか」

「あらん、つれないわね。じゃあ隼ちゃんはどうかしらん?」

「お、俺っすか!? あ、やめ、そんな近づかんでください狭間さん。色々きついっす」

 

 問いかける相手を変える狭間ではあるが、その際ムキムキな体でぐいっと隼に迫るものだから、自然と表情が強張って青くなってしまうのも無理はない。しかも狭間がオネエであるため、という事は彼はアレという事になる。

 「ん? んん?」と言いたげな顔は笑顔であるのはいいが、その顔の距離が近い。及び腰になりながら後ずさり、両手を挙げてこれ以上近づけないでください、とその迫る顔を遠ざけるも、気にした風もなく彼は近づいてくる。

 

「ちょ、だから近いっす! 俺にそんな趣味はないから勘弁してください!」

「そんな趣味ってなにかしらん?」

「ですから、男と男がもにょもにょ、ですよ!」

「あら、心外だわ。別に私はそう限定しているわけじゃないわよ?」

 

 背後でそんなやり取りが交わされている中、冷静さを取り戻した海は着ている和服を脱いでいき、そっと露天風呂の扉を開けて奥へと進んでいく。気配を消していそいそと入っていく海をよそに、残された隼と狭間はまだ盛り上がっている。

 

「私はね、花が好きなのよ。薔薇も百合も……一纏めで花が好きなのよ」

「あ、さいですか。……そうですね、狭間さんはどっちもイケる口でしたね」

「その言い方は良くないわよ、隼ちゃん。私はただ花を愛でるだけなのよ。花はみな可愛らしく、個性があって、本当に愛おしい存在だわ。どのような蕾をつけ、花咲かせるのか、それを眺めるのもいいし、手塩にかけて育てるのもいい。千差万別で実に興味深く、愛で甲斐がある。だから私は花が好きなのよ。おわかり?」

「は、はい……わかりましたから……そう、近づかないでください。ほんとに……きついっす」

 

 ずずいっと力説するために一気に距離を詰める。お互いの鼻が接触しそうな程まで近づかれ、冷や汗をかきながらも何とか最後の砦を守る隼。だがそんな彼を狭間は優しく微笑みかけながら見つめ、そっと頬に手を当てる。

 そのまますっと、彼の言う花を愛でるかのように優しく撫でてやるのだが、それは隼に鳥肌を立たせるかのようなものだった。それも当然、彼は……本当に至って普通の趣向を持っているのだから。

 

「そう邪険にしなくてもいいんじゃない? 私は隼ちゃん、あなたも愛でているのよん?」

「あ、あは……あははは……」

 

 もう苦笑いしか出ない。最後にそっと隼の尻を撫でた狭間はくすりと笑うと「さ、今は風呂に入りましょ。もたもたしていたら渚ちゃんが来るからねん」と言い残して先に露天風呂へと向かっていった。

 何せ最初から素っ裸。これから服を脱ぐ隼と違ってさっさと入りに行ける。

 そして残された隼は大きく息を吐いて膝に両手を置いてしまった。心臓はバクバク、冷や汗はだくだく、息も絶え絶え……結構体力を消耗してしまった。

 風呂に入りに来たのになぜ体力を消費してしまうのか。わけがわからないが、そうさせてしまうほど狭間がとんでもない人物だという事だ。

 しばらくそうしていた隼ではあったが、気を取り直して服を脱ぎ、露天風呂へと向かっていく。

 そこでは先に入っていた海が体を洗っており、すぐ近くで狭間が短い髪を洗っていた。そんな彼らの下へと向かい、隼もそれに続いて体を洗い、三人揃って露天風呂に使って汗を流すのだった。

 

 そうして風呂を終えて自室へと戻り、私服ではなく客人を出迎えるための服へと着替える海。黒を基準とした和服に霧夜一族の紋章が描かれた羽織を着こみ、紺色の袴を履き終えて準備完了。

 紋章は霧に霞む月であり、まさに夜と霧に隠れる存在である事を示している。

 髪の調子や顔も髭がない事を確認し、うんと頷く。それから空の部屋に向かってみたが、どうやら留守らしい。報告書は纏められているようだがどこに行ったのだろうか。女中に訊いてみると彼女も露天風呂に向かっていったようだ。

 なるほど、彼女も汗を流しに行ったらしい。なら少し待ってみる事にしようと、自室へと戻りお茶を淹れてお菓子として煎餅を口に放り込んでいく。

 そうして過ごしていると襖の奥に女中がやってくる。襖越しに「若、乾様がいらっしゃいました」と声を掛けてきた。それに「わかった」と応え、立ち上がる。

 もう一度身なりを確認し、手拭いで手元や口周りを拭いて廊下に出ると、奥から海と同じように身なりを整えた空がやってきた。風呂上がりということもあって甘い香りが火照った体から漂ってくる。

 そして服装も満月の浮かぶ夜空、松が生える崖を描いた和服の上に同じように霧夜の紋章が描かれた羽織を着ている。海の前に立つとぺこり、と一礼し、頷いて歩き出す海の後ろに静かに控えて追従する。

 そうして廊下を歩き、向かった先は客間。中に入ると敷かれている座布団に正座して待つ。位置はもちろん下座。上座には一つの座布団が敷かれており、そこが間もなく来るであろう彼女の席となっている。

 待つ事数分、廊下の奥から二つの人の気配を感じると、二人は自然と椅子住まいを正した。

 

「乾様をお連れいたしました」

「通してください」

 

 襖の向こうから声がかかると海はそう告げ、「失礼します」と一声かけてゆっくりと襖が開かれる。その向こうから入室してきたのは一見すると年若い少女だった。

 オレンジ色の燃えるような色鮮やかな髪を肩から背中程まで流し、その中で一纏めにした房を黒いリボンで結んで流している髪の上で踊らせている。

 着ているのは東方としては珍しい西の方の服装で、ピンク色の下地に白いストライプの長袖の上に黒い無地の半袖のシャツを着こみ、ベージュ色のズボンを履いている。首元には炎の柄が描かれたスカーフを巻き、歩くたびにそれはゆらゆらと揺らいでいる。

 気の強そうな赤い瞳は彼女が部屋に入ったとたんに頭を下げた二人へと向けられ、すっと通った鼻筋、淡いサーモンピンクの唇はにやりと笑みを描いている。

 何より特徴的なのがその頭部にあるもの。オレンジ色の髪の側頭部には背後へと反り曲がった角が一対生え、背中にもうっすらと何かが存在しているかのように盛り上がっているし、実際その服の部分には穴が開いている。

 それが彼女が人間ではない事を示していた。

 彼女は用意されている座布団に腰掛け、頭を下げている二人を見ると一言。

 

「久しぶりだなぁ、お二人さん。(つら)、上げていいぜ」

「はっ、ご無沙汰しております、乾様」

「ははっ、よせよ。ここにはあたしたち以外には誰もいないんだ。気を楽にして、そんでもって言葉づかいも楽にしてくれ。あたしにゃそれがいい。……昔から言ってんだろ? 海」

「……はっ、了解いたしました。……渚さん。改めて、お久しぶりです」

「お久しぶりです」

 

 頭を下げたまま少し上げ、また下げて挨拶する。そうして二人は目の前にいる彼女、乾渚(いぬいなぎさ)と相対する。

 前述の通り人間のものではない外見的特徴を兼ね備えた彼女は、有角種にして有翼種という特異の魔族だ。彼女の血統にはその二本の角の特徴からしてディアブロスの因子を保有する魔族であり、彼女はその中でも先祖返りという希少の現象を引き起こした事でこのような外見になっている。

 そして見た目は十代の少女なのだが、実年齢はもう四十を超えている。魔族としてはこれはまだまだ若い部類であり、このような外見をしているのもなんらおかしくはない。

 むしろ年齢と外見がほぼ一致している海や空……ひいては霧夜一族が珍しい。

 霧夜一族は魔族ではあるが、その寿命は百数年。人間よりも少し上といったくらいもののであり、魔族としては短命な方だ。そのため若者らの外見と年齢がほぼ一致している事が多い。

 

「色々積もる話もあるだろうけど、今日は残念ながらそれは抜き。さっきも本家の方……潮と珊瑚にも伝えてきたけど、お前達にも直に伝えておく事にしておくから」

「はい、何でしょう?」

 

 じっと渚を見つめて言葉を待ち、そんな二人へと先ほどまでの笑みを消して真剣な表情を浮かべた彼女は淡々と命令を下す。

 

「――シュヴァルツ一族の捜索、記録、抹殺。それがあんたたちへの指令さ」

 

 

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