集いし者たちと白き龍   作:流星彗

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23話

 

 

 命令を下された海は頭の中でそれを反芻する。

 シュヴァルツ一族。

 太古の昔に狩人として進化し、高い実力を手にしたハンター一族。しかしその進化は同時に彼らの身を滅ぼし、罪をその身に刻みつけた彼らは善行を積むことで罪滅ぼしを果たすため各地に散っていく。

 そんな彼らの因子は高い力をもたらすが、同時に闇を孕み、それに身を任せる事で悪鬼に成り果てる。それが六年前の大事件の裏に語られたものであり、しかしその真実を真実と認識するのは限られたものだけ。

 大抵の人々はシュヴァルツ一族は危険な存在である事を曖昧に認識し、ただただあれは危険人物だ、という事を記憶に刻んでいく。一種の刷り込みである。

 誰かがあれは危険だと言えばそれに同調し、集団に広まれば何も知らなくとも、ああ、あの人は危険なのか、と思い込んでしまうのだ。

 そんな彼らは元より魔族という事もあって姿を消しているが、それ以上に人間と交わった者も多い。それを繰り返す事で自分はその血統に連なるものだと知らないものもいるため、自覚症状がないまま一生を終えるのも中にはいる。

 だが闇を高め、その力を振るえば秘められた狩りの力、すなわち殺しに特化した技術で人も竜も関係なく殺しつくす。

 そんな彼らの調査、記録、抹殺命令……。

 これまでは捜索だけに留められたのだがついに下されたのか、と海は心の中で呟く。

 

「上様もそろそろ動け、との仰せさ。最近増加している辻斬りの犯人(ホシ)がシュヴァルツ一族だって睨んでいらっしゃる。……ま、これ以上優秀な武人の数を減らしたくはないんでしょうけどな。あたしもその辺りに関しちゃ同意見だけど……とはいえ上様がそう決めたのならば仕方ない」

「上様が……」

「実際のところシュヴァルツ一族という点が有力なのは変わらないし、かといってシュヴァルツ一族じゃないって言う証拠もない。すでにウチからは調査に派遣している奴が二人いるんだけど、こうなったら霧夜一族、お前らにも今以上に捜査の網を広げてもらう。上様が命令を下した後、あの三人はもう動いている。元からシュヴァルツ一族に対しては否定的だったからな、仕方ないと言えば仕方ない」

 

 右膝に腕を乗せて頬杖をつき、じっと海を見据えて渚は言う。僅かにため息をついたのは彼女も抑えが利かなくなっているという事なのだろう。

 ここで上様とは誰か、説明しよう。

 この東方の大国といえば華国ではあるが、そこから南東へと進んだ先に一つの国がある。東と南が海に面し、自然が豊かなその国の名はヤマト国。

 多くの山や平原が存在し、同時に火山大国としても知られるその国は東の海に進んだ先にあるシキ国と過去に二分された国だ。

 遥かな昔の地殻変動によって島国だったシキ国から離れ、西へと進んだことによってこの東方地方に接触し、生まれた国である。つまり一つの国が二つに分かれてしまったのだ。

 それからはシキ国の王の血縁者、分家の者が離れたこのヤマト国の中で混乱状態に陥った国を纏め、束ね、統治した事でヤマト国が設立されることになる。

 そのヤマト国の君主、王の事を上様と呼び、ここにいる乾渚はその直属の部下。

 この直属の部下は全部で六人……六つの家が存在し、どうやら先ほどの言葉からしてそのうちの二人は既にこの事件に対して独自に調査に乗り出しているようだ。

 しかし残りの三人が渚達とはシュヴァルツに対する意識が異なるため、王の命令に従って陰で動き出したようだ。そこで渚はこの霧夜一族に更なる指令を下す事にしたらしい。

 どうして霧夜一族が選ばれたのかといえば、彼らが仕える主がヤマト国であり、特にここにいる乾渚……ひいては乾家に忠誠を誓っているためだ。そのため彼女らとはよく面識がある。

 

「まったく……あいつら張り切り過ぎだってのな。とくに源次がひでぇ。なにが紳士だっての。紳士と書いてクズだぜ、あれは」

「……渚さん、そのネタはいつもながらどうかと思いますが」

「ああ? お前だって知ってるだろ? いつもの綺麗な身振りで覆い隠しているけど、その心の奥底じゃ魔族に対してどういう心情を抱えているのか。ネタじゃねえよ、ありゃマジもんのクズだぜ? あたしがいっつもどういう思いであれと一緒の部屋で上様と謁見しているのかわかるかぁ、おい? あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁッッ!! 思い出しただけでも腹立つぜ! 明らかにあたしの事をグサグサと気で突き刺してきやがるしよ! しかも上様に気取られないように計らいながらだぜ!? 何度こっちの気で刺し貫こうかと思った事か!? ああ、殴りてぇ、蹴り飛ばしてぇ……! しまいにゃぶっ殺――」

 

 キィーッ! と天井を仰ぎながらばりばりと頭を掻きむしりながら愚痴りだす。見た目が見た目のため子供がかんしゃくを起こしているかのように見えるが、実際彼女はまだ若いので問題ない。

 ひとしきり掻きむしりながらぐちぐちとその源次とやらに対して陰口を言い続けた渚だったが、最後に大きくため息をついて乱れた髪を軽くなでつけて整え、「……お茶あるか?」とぽつりと漏らす。

 そういえばまだお茶を用意してなかったか、と思い出したところで静かに襖の向こうから女中が「失礼します、お茶をお持ちしました」と声を掛けてきた。

 海が「どうぞ」と声を掛け、空が開かれた襖から差し出されるお茶のセットを受け取り、渚の近くまで寄ってお茶を淹れ始めた。ほのかに香るお茶の匂いがゆっくりと鼻をくすぐり、「どうぞ」と空が差し出した湯呑を受け取り、渚はそれを口に含む。

 

「……ん、いつもながら空の淹れるお茶はいいな」

「ありがとうございます」

 

 ぺこりと頭を下げ、一緒に用意されたお茶菓子の羊羹を差し出した。また一礼してその場を離れ、次は海へとお茶と羊羹を差し出す。それを終えるとまた海の後ろに控えるように正座した。

 

「……ふぅ。えっと、どこまで話したっけ」

「あの御三方が動いている、というところまでかと」

「ああ、そうだった。うん、あいつらが動いたという事で、あたしの方も少し手数を増やそうかと思ったわけだ。本家の方にも通達し、でもって現場に近しいこっちでも動いてもらおう、という事ね。……その中に、お前達も含みたいと思っている」

「それはつまり、私達も動け、ということですか?」

 

 じっと渚を見つめて海が問えば、「ああ」と一言頷いて肯定する。

 

「若手、熟練問わない。とりあえず複数の人員を動員し、お前達も直に動いて捜索してくれ。そしてあたしに時折連絡しろ。可能なら辻斬りの正体に辿り着き、シュヴァルツ一族の血縁者か否かを確認。ただの人間だったらそれを上様に伝え、シュヴァルツ一族抹殺は取りやめていただけるように計らってみる」

「……渚さん自身はシュヴァルツ一族に対する抹殺は否定的、ということでよろしいんですね?」

「まあ、な。あの命令は上様の言葉を伝えたものだが、一応時間稼ぎは出来そうだからな。もちろん、危険なシュヴァルツの奴を見つければ手を下す事は許可するけど、そうでないなら手を出すな。とにかく今は情報が欲しい。辻斬りの事、東方にいるシュヴァルツの血統はどれだけいるのか……その辺りを探ってくれ」

『承知しました』

 

 一礼して受理するが話はまだ終わっていないらしい。懐から手帳を取り出し、ページをめくって別の一件について話しだした。

 

「それともう一つ。各地の領主の一件……こっちについても少し調査の幅を広げてほしいんだけど」

「領主の一件……悪政を布いている者達が死んでいるというものですね?」

「うん、それ。犠牲になっている奴の中にはヤマト国に属する奴もいるからな。調べてみればどれくらいのあくどさかも関係なし。領主として問題がある奴がうちの国、国に属さない関係なしに死んでいるって事がわかった。これも人為的なんだろうけど、これも不可解。空いた領主の穴には以前よりもましな奴がついている事もあるけど、それ以外は吸収されているか放置されているか。こっちの犯人(ホシ)についても時間、機会があれば調べといてくれ」

『承知しました』

 

 また頭を下げる二人に頷いた渚。湯呑を手にしてまたお茶を飲んだところ、不意に視線が廊下の方へと向けられる。赤い瞳がすっと細められ、そして小さく息をつく。

 手にしている湯呑を口から離し、「聞き耳立てんなよ、そこの」と声を掛けた。するとそこには誰もいなかったはずなのにうっすらと揺らめく影が浮かび上がり、「あらん、バレちゃったわねん」と聞き覚えのある声と口調が聞こえてきた。

 静かに襖を開けた先には三人が想像した通りの人物がそこにいた。

 霧夜狭間。

 一族の中でも変わり種と目される存在で、実質的な変た……いや、変人。

 想像通りなのだが、実際に目の当たりにした事で渚は小さく呻いて嫌そうな表情を浮かべた。もしお茶を飲み続けていたならば大変なことになっていたかもしれない。

 なにせ狭間のその出で立ちは常人ならばしないであろう恰好だった。

 上半身は裸。その上に深い山奥の景色を描いた柄に霧夜の紋章をつけた羽織を纏うだけ。その裾は長く、膝近くまで伸びていて、その下には黒い袴を履いている。

 つまり羽織に隠されているが、帯で結んだりしていないのでちらちらとその鍛え上げられた体が晒されている状態だ。

 

「話は聞かせてもらったわ、渚ちゃん」

「もらったんじゃなくて盗み聞きしてたんだろうが、てめぇはよ。……まあ、らしいっちゃらしいし、どうせこの話は海から伝わるからいいけどさ。それよりも、だ……その恰好は何とかならねえのかよ?」

「あらん? 私の肉体美にメロメロかしらん? いいわよ、好きなだけ見て」

 

 ウインク一つするとそのままポージングを次々と決めていく。羽織に隠されてはいるがそれでもわかる程に鍛え上げられた肉体と丸太のように太い腕。その見た目に反してさわやかな笑顔で見せつけるように決めていくものだから、逆に渚の表情は険しくなっていく。

 ぷるぷると拳を震わせると、甲高い音を立てて湯呑を握り潰し、くわっと目をひん剥いて勢いよく立ちあがると、その勢いを殺さずに狭間へとドロップキックを仕掛けていった。

 

「きめぇわ、こんにゃろおっ!」

「おぉふっ!?」

 

 見た目は若い少女だが、その秘められた力は凄まじい。何せ血統には砂漠の暴君と謳われたディアブロスの因子が含まれているため、その華奢な体に反して凄まじい怪力を保有している。

 当然その脚力も高く、いくら狭間が鍛え上げられた肉体を持っていたとしても彼女のドロップキックを受ければただでは済まない。

 開けっ放しになっている襖から一気に庭園へと吹き飛ばされ、離れた所にある池に落下していった。そんな彼を吹き飛ばした渚は廊下へと着地する。ふぅ、と息を吐いて軽く体を伸ばしながら一仕事した、と汗を拭う。

 だがすぐに狭間が池から出てくると、

 

「いやーん、もう! お風呂に入ったばかりだっていうのに……こんなに濡れちゃって。……はっ、これが水も滴るいいお――」

「そのまま溺死しとけ」

 

 淡々と口にしながら一気に距離を詰め、こめかみを蹴り落としてまた池に沈めてしまう。そのまま渚は池のふちに手を付けて受け身を取り、自分は池に落ちないようにした。落とした相手である狭間には振り返らず、ずんずんと部屋へと戻っていく。

 

「んもぅ……本当に渚ちゃんは元気ねー。今の一撃、効いたわぁ……」

 

 そんな彼女の背後で狭間は何事もなかったかのように立ち上がる。明らかにやばい音を立てて勢いよく沈んだはずだが……ああも平気な顔をするとは流石と言うべきか頑丈というべきか。

 池に落ちた事で濡れているが、軽く頬を撫でながら何かを短く呟くと彼の羽織が下から巻き上がってくる。彼の周りには暖かい風が吹いており、濡れてしまった体を乾かし始めている。

 更に顔を横に振って痛みを紛らわし、渚に続いて部屋へと戻っていく。

 

「でも、やっぱりそう怒った顔も可愛いわねぇ。愛で甲斐があるわん。抱きしめて、いいかしらん?」

「やめろ! 寄んな、変態! オネエ! 無駄に頑丈な筋肉しやがって!」

「あらん、ひどいわぁ。というか、最後の方は褒め言葉よねん? ありがたいことだけど、でも、今はそれをぐっと堪えておくわ。話が、あるからねん」

 

 罵倒された事でうっすらと目に涙が浮かび、それをそっと拭いながらもう片方の手で自分を抱きしめながらいやいやするように体をくねらせる。そんな様子を顔を強張らせながらも微笑を崩さない海、それでもあくまで無表情を貫く空が見守り、渚はまた「きめぇ動きしてんな変態!」とまた飛び蹴りを仕掛けていく。

 

「あらーん!?」

 

 と気の抜けるような声と共に吹き飛ばされる狭間かと思いきや、どろん、と吹き飛ばされた狭間が煙に消え、着地した渚の傍に音もなく現れる。そのまま一礼しながら座布団へと両手で示してやれば、舌打ちしながら渚が不機嫌そうに音を立てながら座布団へと向かっていく。

 元の座布団に腰掛けた渚を見据え、改めて狭間がこほんと咳を一つして「源次ちゃん達、どういうルートを辿っているのか、私が調べてきましょうか?」と何事もなかったかのように口にする。続けて頬に手を当てながらくねり、と体をしならせ、

 

「どうせ源次ちゃん達もこそこそ隠れて、各地に部下を潜らせて独自に調べを進めてるんでしょうからね。……いや、もしかすると(あかり)ちゃんはヤマト国に留まって上様の様子を見ているのかしらん?」

「……っ、ああ、そうだよ。灯だけはあっちにいる。行動しているのはクズともう一人さ」

 

 その動きにまたイラッとして蹴り飛ばしそうになったがそれを堪え、何とか質問に対する答えを口にする。一方狭間は先ほど見せた動きをやめて真剣な表情を見せている。その切り替えにまたイラッとするが、これでは狭間の思うがままという事を察して心を落ち着かせる。

 どうせまた「そう怒った顔も可愛らしいわん」とでも言うのだろうから。

 

「そう。ということは灯ちゃんの方は渚ちゃんが見ている、ということでいいのねん?」

「そうだな。上様のことと、あたし達、お互いのことを睨み合いさ。たぶん灯のことさ、あたしがこっちに来ていることはバレてるんだろうけどさ。でも、それでも使えるものは使わねーとな」

 

 そうしてお茶を飲もうとしたようだが、先ほど自分が握りつぶした事を思いだしてため息をつく。しかしいつの間にやら空が女中を呼んで替えの湯呑を用意させていた。それを受け取ってお茶を注ぎ、ぐいっと飲み干していく。

 

「……ま、そういうわけだ。メンバーの選出はお前に任せる。なかなか尻尾を掴めない事例だから難しいかもしれないけど、それでも何とかあいつらよりも早く情報を掴んでくれ。……久々の抹殺相手があのシュヴァルツ一族ともなれば、お前らも多くの犠牲を生みかねない。優秀な忍の数を減らすのはあたしにはきついからさ」

「抹殺対象、か。確かにシュヴァルツ一族との交戦は避けたいな」

 

 霧夜一族は情報収集などを担当するが、当然ながら暗殺も担当する。陰で危険な相手や上から命じられた人物を殺してきた。もちろん海と空も過去に人を殺した経験があり、だがそれを仕事上の任務だと割り切っている。

 自分達は日の当たらない場所に存在する忍であり、主に命じられたことを遂行していくのみ。

 そんな彼ら戦闘訓練を受けているが、かといってそれでシュヴァルツ一族のものに勝てるかどうかはわからない。積み重ねた鍛錬の成果を十分に発揮できればまだ戦えるだろうが、それでも天性の戦闘才能を前に勝てるかがわからない。

 更に言えばあの血に刷り込まれた殺気と覇気を、凄まじい勢いでぶつけられればどうなるかもわからない。

 暗殺が成功すればそんな心配もないだろうが、気づかれて戦闘に入ればこの心配が現実になる。そうなれば現場に向かった霧夜の者らの大半の死亡……あるいは全滅だ。任務のためならば死をも厭わないが、かといって多くの仲間を失うのは厳しい。

 

「それは想定できる最終的な最悪な事態。そうならないためにも、頑張ってくれ」

『承知しました』

 

 それを伝え終えるとじっと二人を見つめて小さく頷き、渚は廊下に出ていく。その際廊下側にいた狭間とすれ違い、「クズらの事は手掛かりが見つかり次第報告してくれよな。……真面目にやれよ?」と言い残し、「承知したわん。そう心配しなくても大丈夫よん。任せなさい」と返事が返ってくる。

 「本当に大丈夫かぁ?」と怪訝な表情を浮かべるも、普段はこれでも仕事っぷりは問題ないので一応信じる事にする。そんな彼女を狭間はにこにこといい笑顔を見せながら見つめ、僅かに頭を下げて縁側に出る渚を送り出す。

 

「じゃ、あたしはこれで。メンバー選出のことやわかったこと、報告頼むぜ」

「はい。お疲れ様でした」

 

 ぱん、と両手を叩いて広げてみせればその両手に浮かんだ紋様が光って粒子が集まり、つばの広い帽子を取り出した。それは頭と角を隠し、広いつばによって影が生まれて目元を隠していく。

 三人が見送る中、黄土色の翼を広げて空へと舞い上がっていく。霧の結界は空にも広がっているため空からの侵入も防ぐが、許可を得たものはその限りではない。空に上がり、一気に飛行してその姿が小さくなっていく。

 それを見送った海はすぐに動いた。

 女中を呼ぶと今いる動ける者達を屋敷に集めてもらう事にした。若手、熟練問わずに動ける者を呼び寄せ、先ほど受けた渚からの任務を伝える。今までとは変わらないが、しかし念入りに動かなければならなくなった。

 長く里を離れ、それでいて情報収集を得意とする者を改めて選出し、それぞれどこを中心として動くのか。それを打ち合わせるとすぐに動ける者が準備するために屋敷を後にする。

 連絡手段の構築、誰が何を調べるのかを決め終えた時はもう日が暮れており、海と空が里を出る準備をし終えたときはもう日付が変わろうという頃だった。

 それはこの里の長として行動していた海が長くここを離れるため、その間里で指揮する者を決めるためだった。いつもそれを務めている者も各地を巡る事になったため、本家から人員を呼び寄せたのだ。

 空間転移で送られてきたその人員は海にとって縁深い人物だった。

 

「里の事、任せたよじい」

「はっ、お任せください」

 

 髭をたくわえた初老の男性。白髪が混じるオールバックで切りそろえられた黒髪、他の者らと同じような耳もどこか(しわ)が見られる。しかし歳のせいかその身長は低く子供よりも少し高めという具合だ。

 そんな彼の名は霧夜黒鋼(きりやくろがね)。現頭領の潮に仕える重鎮であり、海が幼い頃は教育係として彼の傍に控えた爺だ。海が成長してからはまた本家へと戻ったが、何かあった際にはこの里へとやってきて海に助言をしてくれる頼りになる執事のようなものである。

 今回も里の事を頼むために呼び寄せたようで、こうして里を出る二人の事を見送りに来てくれている。

 

「空よ、若の事を頼むぞ。何があっても必ず若をお守りするのだ」

「はい、黒鋼様。この命に代えましても」

 

 黒鋼の言葉に空が胸に手を当てながら一礼する。空の役割はただ海を支えるだけではない。彼の護衛でもあり、緊急時には彼女が命がけで守り通す主でもある。そのために彼女は常に彼の傍に控え、仕えるのだ。

 そう在るべきものだと幼い頃から教えられ、育てられてきている。

 そんな彼女に海は一息つき、身を包む黒い外套を翻して「行くよ、空」と促して走り出す。そんな彼に「はい、海様」と応えて空もまた疾走する。

 フードを被った二人の素顔は夜の闇によって完全に見えなくなっており、外套によってその姿もまた夜の闇に溶け込んでいる。

 だがうっすらとフードの下に二つの紅い星が浮かび上がる。それは二人が疾走することによって四つの流星となり、あっという間に森の中へと消えていく。

 二人の疾走速度は落ちる事がない。例え視界の向こうに里を包み込んでいる深い霧が立ちこみ始めようとも、まるでその影響などないかのように走り続ける。

 草むらに足を取られる事もなく、行く手を遮る木々や枝にぶつかる事もなく、数分かけて霧が立ちこむ森を駆け、そして抜けていった。

 すると紅い流星は何事もなかったかのように消え、二人は暗い森をただただ走り抜けていく。

 

 今日この日、霧夜の里から多くの忍が新たなる任務を受け、東方の各地へと散っていった。

 だがこれを知るのは限られた者のみ。

 彼らはただ陰に潜み、黙々と任務を遂行するのみ。日のあたる者らはそこにいるのが霧夜のものである事など知る事もなく、いつもの日常を過ごすだけだった。

 

 

 ○

 

 

 そしてある日、とある場所でその者はいつものように晩酌を楽しんでいた。透き通るような色合いをしたその酒は甘みがあって呑みやすく、彼女にとって馴染み深いものだった。

 そんな彼女はぐいっとグラスを傾けて注がれた酒を呑み干すと、酒臭くなりつつある甘い息を吐いて何気なく視線を闇に向ける。

 

「なんか用?」

 

 すると闇が応えた。

 

「お嬢様にご報告がございます。どうやら乾渚が霧夜の者らに任務を与えた模様です」

「……あ、そう。それについては予想通り。別段驚くような事なんてなーんもないわ。というか渚なら灯らのことなんて読めるでしょーし、霧夜を動かすってのは容易に思いつくことでしょーよ」

 

 からからとグラスに残った氷をグラスを回転させる事で音を鳴らして遊びつつ気の抜けるような声で呟く。うっすらと顔が紅潮しているところから見て少し酔っているらしい。

 ひとしきり氷をいじったあとグラスを机に置き、縁側の向こうの夜空を見上げる。

 そこには雲一つない空が広がり、星と満月が彼女を見下ろしていた。

 

「如何なさいますか、お嬢様」

「そーね、渚が(あかり)のことを読めるように、灯も渚のことは読めるんだわ」

 

 すうっと藍色の目を細め、自分の少し特徴的な耳を軽く弄りだす。それは人間の耳ではなく少し長く尖った耳をしている。月明かりに照らされた彼女の姿はまるでおとぎ話に出てくる姫のようなもので、結われた黒髪や白い肌が夜の庭園と和式の部屋によく映える。

 着崩された着物に横座りして何かを考えているかのようなその姿も絵になっていて、見る者をため息づかせるものになっていた。

 

「……大方辻斬りについて調べることに加えて、領主の一件も調べるはず。ヤマトの領主もいくつか殺られてるんやろ?」

「はい」

「そ。じゃあ風間(かざま)もそっち方面にも手を回しとき。……ああ、その際風間ら……ひいては灯らのことを調べている輩がいるんだったら、消しとき。それ、ほぼ間違いなく霧夜だろーし」

「承知しました、お嬢様」

 

 闇が頷き、少女は机の灰皿に置いていた煙管を咥え、軽く息を吸って外へと吐きだした。紫煙がゆらゆらと空へと舞い上がっていき、ゆっくりと消えていく。そんな煙の動きをぼうっと見つめていた少女だったが、何かを思い出したかのように煙管を持っていない左手を軽く挙げた。

 

「もう一つあったわ」

「何でしょう」

「モガ方面の天気のこと、調べといて」

「はっ、承知しました。何か気がかりな事でもございましたか?」

「うん……なんていうかさー……」

 

 そこでもう一度紫煙を吸い、吐き出す。

 その藍色の瞳に感情はなく、何を考えているのかよくわからない表情をしていたが、彼女は何かを感じ取ったのだろう。その言葉は淡々としていても僅かな確証があるような気がした。

 

「きな臭い空が、視えた気がしたんだわ」

「……はっ、左様でございますか」

 

 闇はただ頷き、彼女の命令を受理する。そんな彼に左手に持ち変えた煙管を向け、一度上下に振ってそちらを見る事もなく「という訳やから、何人かモガに送っとき。そしてほんまにきな臭い空があったんなら、それ、報告よこして」と淡々と命じた。

 

「じゃ、そういう訳で」

「失礼いたします」

 

 そこで闇は消える。最後までそちらに視線を向けなかった彼女はただじっと夜空を見上げるだけ。

 しかしその無表情な顔は相変わらず朱がさしており、ぼうっとしている瞳は動く気配がないものの夜空ではない何かを見つめているかのよう。

 不意に右手が動いて机に置いてある一升瓶を手に取り、新しくグラスへと酒を注いでいく。左手はとん、と灰皿に煙管を叩き、一升瓶を置いた右手に持ち変えて紫煙を吸う。

 

「……ふぅ。さて、既に龍仁(りゅうじ)鷲輔(しゅうすけ)を動かしている渚に対し、灯は源次と六花(りっか)……しかし風間を動かしたら続くように霧夜を動かす。今のとこは、五分って感じかな」

 

 紫煙を堪能してから少し酒を口に含む。まだまだ若い身なりをしているように見えて、その大人の楽しみをする様はどうしてこう小慣れているのだろうか。それも彼女が人間ではなく魔族……でもなく竜人族だからだろう。

 つまり彼女もまた見た目に反した年齢をしているという訳だ。

 しかしその言動はどこか子供の名残が見えるような気がする。それも彼女が種族としては若い部類に入るからだと思われる。

 

「さあ、楽しもーか渚。どーせ上様の命に対して時間稼ぎをしよーってんだろうけど、そーはいかない。灯の方が先に見つけ出し、手を下す。……止められるってんなら止めてみせな。辻斬りもろとも不穏分子は粛清したる。そう、今回の戦いは……灯が勝つから」

 

 その宣誓は、紫煙と共に宵闇へと消えていった。

 影の者らの戦いはこちらでも知らない間に始まっていたのだった。

 

 

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