モガの村。
海に面した漁村であり、近くには広大な森、モガの森が広がっている。北西に進めば砂原が、北東に進めば海近くに盛り上がった火山が存在しており、これらに生息する大型モンスターがどういうわけかモガの森にやってくる事もある。
モンスターの気持ちはわからないが、彼らはモガの森の環境を気に入っているのか数日居座って去っていくという。
一体この広大な森や海のどこに惹かれる要素があるのかと興味が尽きないが、しかしモガの村に滞在しているハンターが優秀なので緊急時にはハンターが出向いて処理しているようだ。
そんな一種の魔境と呼ばれているモガの森の近くまでやって来た海と空。ここは噂通り一種の魔境だった。
「……どうしてあれがいるんだろうね?」
「魔境だからでしょう。今日はこのままここで夜を明かしましょう」
二人は現在木の上に身を潜めている。視線は下に向けられており、そこには複数の小さな影が徘徊していた。その中に一つ大きな影がある。燃えるような暖色の中に黒い斑が点々とあり、首元に白い袋がある。
ドスフロギィ。
フロギィと呼ばれる小型のモンスターを率いる群れのリーダーであり、主に水没林や火山などの暖かな環境をした場所に生息している。喉袋で生成した毒霧を獲物に吹きかける事で弱らせ、捕食する狩りを行う事で知られている。
どうやら近くの水没林か火山から群れが移動してきたらしい。本来ならばこういう森には見かけられないというのに、これがモガの森が魔境と呼ばれる一端となっているのか、と海はその群れを見つめながら実感する。
夜の闇に紛れてきょろきょろと辺りを見回して獲物がいないかを探り、移動していく。中心でありリーダーであるドスフロギィも獲物だけでなく敵がいないかを探るように視線を巡らせていた。
しかし何もいないことを確認し、静かに彼らはその場を離れていく。
群れの規模は小さい方で従えているフロギィも二、三十の間だ。それでも一般人からすれば十分脅威なのだが、ハンター達にとっても油断すれば自分達が狩られる規模。
そして二人にとっても手を出すべき相手ではない。幸い向こうは気配を消して身を潜めている二人に気づいていないのでこのままやり過ごす事が出来る。
動かなければ気づかれずに一夜を明かせる。
霧夜は別名、夜の一族とも呼ばれ、夜こそが彼らの本領。夜の闇に紛れて行動し、暗殺する事こそ霧夜一族が裏で名を馳せた一因だ。夜の闇は彼らにとっては障害にはならず、問題なく周りの状況を把握する事が出来る目を持つ。
しかしあくまでもそれは人を相手にする際の話であり、モンスターを相手にする場合は先に相手よりも敵を認識し、隠れる事しか出来ない。交戦するのは得策ではないのだ。
故に二人はこのまま枝の上に待機したまま待つしかない。
一度仮眠をして体を休めるため、そのまま二人は木にもたれかかって目を閉じた。
それからどれくらい時間が経ったのだろうか。不意に奇妙なものを感じ取って空は目を覚ました。
「……これは」
僅かに感じられたぴりぴりとした空気。それが彼女の意識を呼び覚ました。続いて鼻をくすぐってくるこの香り。鉄分を多く含んだこの匂いは大量の血だ。あのドスフロギィらが獲物を狩ってきたのか、と考えたがそれにしては何かがおかしい。
向かいの木で休んでいる海もそれを感じとったようで、目を覚まして辺りを見回している。
二人は視線を交差させ、小さく頷いて立ち上がり、枝を蹴って飛び移っていく。その目はまた赤い星を浮かばせ、それは軌跡となって二人が通ったあとに僅かな光を残す。
だがそれも数秒だけ。流星はすぐに消え、しかし二人にとってはその数秒が彼らの目の感知能力を高める要因となる。
これは霧夜一族に迅流ナルガクルガの因子が含まれているためだ。その特徴として耳がナルガクルガに近しいものになるだけでなく、視覚的にも夜行性であるナルガクルガの特徴を引き継いでいる。
通常の視覚にナルガクルガの力を合わせる際に目が赤く光るのが特徴で、こうする事によっていつも以上に感覚が鋭敏になるのだ。そうして血の匂いと辺りの様子を探りながら進んでいくと、そう時間もかからずに現場へと到着する事が出来た。
「これは……!?」
そこで見たものはまさに凄惨な現場。しかしハンターにとってはいつもの光景。
だがそれにしてもこれはなんだ?
さっきまで活動していたドスフロギィの群れが一瞬にして全滅していたのだ。
従えていたフロギィは鋭利な刃によって斬り捨てられ、リーダーであるドスフロギィもまた首を刎ねられる事で一撃死している。死体から流れ落ちる新鮮な血が赤い海を生み出し、強い匂いを辺りに広げている。
「ハンターによるもの? ……いや、それにしては人の気配がない。それにハンターならば素材を剥ぎ取っていくもの。これではまるで斬り捨て……辻斬りじゃないか」
「傷の具合からして剣、刀でしょう。こうなってからおよそ五~十五分程度しか経過せず。つまり犯人はまだこの周囲にいると推測」
「これがもしあの辻斬りによるものならついに尻尾を見つけた……! 周囲を散策する。空は向こうを頼むよ」
「承知しました」
一礼して空が森の中へと消えていき、続けて反対側の方へと海が跳ぶ。時間が時間だ。こんな深夜に自分達以外の誰かがいるとなれば、それは恐らくあの現場を作り上げた誰かという可能性が高い。
しばらく森を巡って散策してみたのだが、やはりというべきかそれらしい姿は見つからない。木の枝に飛び移って辺りを見回した海は小さく舌打ちし、
「くそぉ……失態だ……! せっかくの好機を無駄にした……!」
悪態をつきながら木の幹を殴りつける。モンスターには関わらない、というスタンスを貫いたが故に逃してしまった好機。ハンターではないため仕方がないといえば仕方がないが、それでも巡ってきた辻斬りの正体に辿り着けるかもしれないチャンスがなくなったのは事実。
その不甲斐なさに苛立ち、自分のミスに悔しさが湧き上がってくる。
そんな彼の下に空は音もなくやってくると、「海様、そうご自分を責めないでください」と頭を下げながら進言する。
「わたしも気づかなかったのです。あなた様だけの責ではありません」
「…………」
「どうか、それ以上は」
「……わかった。すまない、空」
「いえ」
控えめながらも彼女は海の事を案じていた。確かに彼女の言う通り、共に彼女も仮眠を取っていたのだ。海が気づかなかったように彼女もあの動きを気取る事が出来なかった。この好機を逃したのは海だけではないのだ。
そんな彼女からこうも言われては頷くしかない。幹を殴り続けていた手を離し、一息ついて彼女に向き直る。
その時、闇の中に奇妙な気配を感じ取った。それから素早く二人は木の幹の陰に隠れ、そっとその先を見つめてみる。確かにそこには何かが……いや、誰かがいる。恐らく、二人。
その気配の隠し方、闇への溶け込み方からして思い当るのは一つしかない。
どうやら本当に居たらしい。二人の体は少しずつ緊張状態に移行する。だがひどく緊張しては動きに支障が出る。ゆっくりと呼吸して気分を落ち着かせていく。
懐へと手を入れて暗器を手にし、離れた所にいる空へとアイコンタクトをし、二人は一気に移動を開始した。
それに反応して向こうも動き、四つの影が高速で木々を跳び回る。
「っ!」
「しっ!」
海が投擲した苦無は敵対している一人が手にしている小太刀によって弾かれる。だが問題ない。その隙をついて枝を蹴り、一気に距離を詰めていく。そうして袖の下に隠していた短剣を落として握りしめ、勢いを殺さずに相手の胸へと突き入れた。
「が、ふ……っ」
反応したようだが防御が間に合わなかったらしい。短剣は相手の胸を貫き、だが着込んでいた鎖帷子によって致命傷は避けられたようだ。それを感じとって海は枝に着地した際に一度横へと跳んだ。
反撃として振るわれた敵の小太刀が先ほどまで海がいた場所を薙ぎ、そして敵は突き立てられた短剣を抜いて海へと投擲する。だがそれは木の幹に隠れた海には当たらない。
「風間二人、か。あいつらがドスフロギィを殺った……とは考えづらい。あれだけの数を一瞬にして殺せるほど戦闘実力はないはず……ふっ!」
隠れながら敵、風間の忍二人の事を考えていると、側面から回り込んできた先ほどの忍が苦無を複数投擲してきた。幹を盾にしつつ回り込んで避け、枝を蹴って更に回り込んでいく。
すると空と戦っていた忍が前方へと跳んできた。
「っ!?」
息を呑む間もなく構えられた二刀の小太刀を振るい、距離を詰められた海ではあるが冷静さを取り戻して袖の下から鎖を繋いだ短剣を投擲。離れた所にある幹に突き立て、鎖を使って体を一気に木の幹へと引き戻させる。
「なにっ!?」
木の幹へと到達して短剣を抜き、袖の下へと戻して再び跳躍。並んできた空と共に一気に忍二人へと接近していく。当然忍は距離を取って体勢を立て直して反撃しようとするが、いつの間にか辺りに張り巡らされていた糸が二人を絡め取っていた。
「鋼糸……だと」
忍の一人が信じられない、という風に呟く。木々の間に張り巡らされていた極細の糸は空の両手から伸びていた。それによってまるで蜘蛛の巣に捕まった得物の如く空中に縫い付けられることになる。
何とか脱出しようとしているようだが、そう簡単に切れる程この鋼糸は軟ではない。動けば動く程ギリギリと体を締め上げ、動きを封じていく。そんな二人へと接近した海は小太刀を構えてその額へと突き入れた。
流石にその一撃は防ぐことは不可能で、一撃ずつ突き入れて二人を抹殺。物言わぬ肉塊と成り果てたそれらを地面に下ろし、何か持っていないかと懐などを探っていく事にした。
しかし出てくるのは暗器などの忍道具。血濡れの武器はなく、どう考えてもあのドスフロギィを始末したと思われるものはない。
やはりこの忍らは海と空と同じく辻斬りについて調べている……いや、いたと推測。モガ地方を探っていたがそこで同じように捜査の手を伸ばしていた霧夜の忍と遭遇、殺害。
それが海に伝わり、こうして二人がやって来たのを察知して同じように暗殺しようとしたんだろうが……残念ながら返り討ちに終わってしまった。こんな感じだろうか。
「辻斬りの正体には辿り着いていない模様」
「そうか、残念だ」
この二人に関わった事で時間も食われてしまった。あの
しかし得られたものはある。
辻斬りと思われる存在がこの近くに潜伏しているのではないかという事。
風間一族の忍が本当に各地に散っているという事。
この二つだ。
前者は思わぬ収穫だが、後者は予想通りといった風か。こうなれば少し拠点を構えて待ち構えてみよう。その拠点候補はただ一つしかない。
モガの村。
あの漁村に一般人として入り込んで拠点としよう。
「モガの村に入り込もう。小さいけど滞在する分には問題ないはず」
「そうですね。わたしも賛成です。ではこれらの処理をするための応援を」
そう言って空が懐から札を取り出し、短く何かを呟けば札に書かれている文字が淡く光って力を発揮する。その札を耳元に当てて話しかければそれを通じて相手の声が返ってくる。
一種の通信機となった札を使って用件を伝える。それもまた彼らの技術の一つだった。離れた所にいる仲間へと連絡し、待つ事数分。闇の向こうから数人の忍が現れ、死体となった風間の忍を見つめて頷く。
二人がその死体を担ぎ上げ、残った三人と海と空で協力して後始末をする。戦闘痕は全て消し去り、地面に付着した血は特殊な薬を撒いて他の土と混ぜ合わせ、札を貼って術を行使する事で周りの土に合わせて同化させる。
これでほじくり返したり混ぜ合わせたりした後を消し去った。
それを終え、お互いの情報を軽く交換して別れる。向かう先はモガの村。今夜は軽くモガの村付近まで移動し、その後は日が昇るまで仮眠する事にする。
予定を決めれば行動開始。
夜の森を突き抜けていき、再びモガの村へと向かっていった。
モガの村の朝は早い。
漁に出る漁師が船の準備を進めて海へと向かい、畑仕事をする農夫たちはアイルー達を連れて畑へと向かっていく。その中に混じって村の外れへと向かう影が二つ。それは若い男女であり、それぞれ私服で武器を手にしていた。
何かよからぬことでもするのか、と思うだろうがそうではない。
彼らは広場にやってくるとそれぞれ手にした武器を振るい始めた。少年は長いリーチをした斧、ハンター武器の種類であるスラッシュアックス、少女は片手剣を素振りし始める。
スラッシュアックスを手にしている少年はそのまま素振りするが、片手剣を手にしている少女は数度素振りすると仮想敵を作って戦い始めた。
縦、斜め、回避してまた振るう。攻撃と回避、これを繰り返して動く彼女の動きは様になっていた。新米のものではない、明らかに手慣れた動きで片手剣を振るっている。
彼女が手にしているのは独特の両刃剣で刀身が翡翠色に染まっているものだ。刃の先端が繋がっておらず、数センチにわたって二つに分かれているのが特徴だ。
セクトウノベルデ。
虫素材で作り上げられた麻痺毒を持つ片手剣。補助用の武器ではあるが虫素材という事もあって切れ味もなかなかのものだ。
一方少年が手にしているスラッシュアックスは新緑色に染まっている。鮮やかで落ち着いた色合いをしているが、それは高い威力と毒、切れ味を持つ。
ハイランドグリーズ。
雌火竜リオレイアの素材を使用した毒属性のスラッシュアックス。これを両手で構え、音を立てて振るっていくその動きに淀みはない。何百、何千と繰り返してきたことで体に覚えさせたのだ。淡々とこなせるまでに技術は高まっている。
「……朝はようから精が出ますなぁ、お二人さん」
そこで若い女性の声が聞こえてくる。声のした方へと視線を向けてみると、桜の柄をした和服を着た女性が佇んでいた。夜色の髪は風になびき、背中近くまで伸びている。雪のように白い肌にそれは非常に合っていた。
その手には番傘が握られており、赤い花が開くようにして広げられていた。
だが何より目を引くのは顔に巻かれている黒い布だろう。目を隠すように巻かれて結われており、残った布はそのまま二つ流されている。これでは視界を確保する事が出来ず、何も見えないだろうが、元より彼女は視力がなかった。
それを示すためなのだろうか、こうして目を隠すように布を巻いているのだとか。
「おはようございます、
「おはようさん。いつもの散歩ですかい?」
「せやなぁ。健康的やから二人もモガの森までどないや?」
「散歩するのはいいけど、その日その日のモガの森の状況的にはただの散歩じゃ収まらないと思うけどね……」
やれやれと首を振る少女。
昔はモガの森も普通に村の人が散歩できるような落ち着いたものだったのだが、今ではどういうわけか大型モンスターが時折現れるようになってしまっている。それでも村の人は見つからないように山の幸を採りに行く事もあるのだが、普通に考えれば危険である事に変わりはない。
そのため村にいるハンターが時折様子を見に行き、安全かそうでないかを確認しに行かなければならない。
そんな場所ではあるが雪菜は時折散歩の場所として利用している。目が見えていないのに大丈夫か、と思うだろう。だが彼女は目が見えない代わりにそれ以外の感覚が鋭く、本当に見えていないのかと思えるほどに状況把握に長ける。
第三の目、心眼とでもいおうか。これによって周りの様子を把握し、普通に暮らしていく分には問題ない程までの領域に達しているようだ。
しかしこれに至るまではかなり苦労していたらしく、知り合いが常についていなければならなかったと語っている。今ではこうして一人で旅をするまでになり、様々な場所に赴いて風情を楽しんでいるそうだ。
「気をつけてくださいよ、雪菜さん」
「心配あらへんよ
「そう。何かあればすぐにボクらが動くから」
「おおきに。じゃ、行ってくるな」
ぺこり、とたおやかに頭を下げると雪菜はモガの村へと歩いて行った。柔らかく揺れる長髪と布。優雅ささえ感じさせる足取りで小さくなっていく背中を見送り、二人はまた朝の鍛錬を再開する。
「ふっ、ふっ、檸檬、今日の予定は……んっ、どうすんじゃい? なんかクエストあったかいの?」
「さあ、どうかな。後で見に行こうか。どうせ体動かしたいんでしょ、
武器を振るいながらこれからの事を打ち合わせ。
檸檬の言葉ににやり、と笑みを浮かべてハイランドグリーズを振るい続ける。さっきよりも少し元気になっているのは何故だろうか。
「おうよ。モガの森や孤島、砂原ばかりってのも仕方ねーとはいえ飽きるってもんじゃい。たまにゃ火山に赴きたいところだが……舞い込んでこないよなぁ……」
「仕方ないよ。ここは地方の隅に近しいからね。近場の狩場ぐらいしかボクらには届かないよ。それをしようと思えばロックラックに行かないと」
「じゃがここの待機ハンターとしてやってる以上、なかなか離れられないのも事実……。はぁ、もどかしいわい」
ため息をつきながらも動かす手を止める事はない。
しかしその顔が少し引き締まり、ゆっくりと空を見上げだした。
「だが……なんじゃろな? 俺の何かが囁きかけんのよ。それに空気が変化しとる。もうすぐ何かが起きるんじゃないかってな」
「ふーん……例えば?」
「そうじゃのう……もうすぐ悪い天気になるってことぐらいかいの」
ひくひく、と鼻を動かしながら将輝は言う。湿っぽい空気だけでなく何かが彼の感覚をくすぐっているのだろう。空を睨む彼は高い自信を持ってそれを口にしているようだった。
それに倣って檸檬も空を見上げてみるが、湿っぽい空気しかわからなかった。
しかし今はまだその予兆らしきものがあるだけで実際に目に見える形に表れてはいない。二人はまた手を動かし始め、朝の鍛錬を続けていくのだった。
一方こちらはモガの森。ここで一夜を明かした海と空の二人は木々の間から差し込み始める太陽の光を感じとり、目を覚ます。高い木の上で眠ることで小型、大型モンスターから見つからないようにし、体を休めた。
懐から固形食糧を取り出して口に放り込み、水筒からお茶を飲む。これが二人の朝食だ。時間を確認し、まだモガの村へと向かわないでおくことにする。
あまり速いうちから向かえばただの旅人と思われる事はない。昼が近い時間帯になれば怪しまれずに村に入れるかもしれない。それまではまだここに留まり、他の者達からの情報をやり取りする事で時間を潰す事にした。
しかしそこで二人は村の方から近づいてくる気配を感じ取った。村人がやってきたのだろうか、と二人は葉や枝に隠れるように移動する。そうして地面を見下ろし、確認してみると数メートル離れた先に一人の女性が歩いていた。
番傘を手に優雅に道を歩く様はまるでどこかのお姫様のようだ。差し込む朝陽の光が彼女を照らす光景は息を呑む。
だが目を隠す布がミスマッチなように思えるが、それでも白い肌、淡い桜の柄をした着物など彼女の美しさを際立たせる要因がまだ残っている。
「…………」
実際海は息を呑んでいた。
彼女の美しさに言葉を失った……だけではない。いや、まるで物語の中から出てきたお姫様みたいだ、と思いはした。でもそれ以上に目が見えていないのに、足取りの軽さに驚いていた。
どう見ても一般人……それも高貴な女性だという事はその身なりと雰囲気、佇まいからわかる。一体どうしてこんな所にいるのだろうか、という疑問もある。
そんな様々な感情が混ざり合い、彼の口から言葉と思考力を奪ってしまった。
当然彼を補佐している空が気づかないはずもない。
無言で彼の表情をじっと見つめていた彼女はチラッとあの女性の方を見やり、一瞬で海の傍まで跳ぶと彼の口に手を回し、もう片方の手でその頭をはたく。小さく海が呻いたが、空が口を押えていたので声が漏れる事はなかった。
「正気に戻りましたか?」
「……あ、うん。ありがとう、空」
「いえ、気にする事はありません。海様がああいうのが好みだという事がわかったので、いい収穫ですよ」
「な、なにをいっているんだい? 俺は……別に、そういう訳では……」
小声でそんなやり取りをする二人。すぐ隣にいるので極力抑えた声で言葉を交わしているのだが、離れた所にいるあの彼女は不意に見えないはずの目で、二人がいる方へと視線を向けてきた。
「……っ!?」
十メートル以上は離れている上に高低差もある。だというのに彼女は確かに二人へと視線を向けている。だがこちら側を見ているだけであり、きょろきょろと上下左右を見回しており、その度に夜色の髪と余った布が揺れている。
息を呑み、声を出さずにじっとその場で動かない二人は、じっとその女性を見つめ続ける。
「…………誰かおるん?」
その声は問いかけるものではあるが、常人ならばここまで離れているが故に聞こえない程に小さな声。だが耳に意識を向け、それだけでなく読唇術も使って解した言葉。
まず間違いなく彼女は何かがいるという気配を察知していた。忍である二人の気配の消し方はかなりのもの。一般人が感づくはずがない。
しかし彼女は視覚を失い、それ以外の感覚が鋭くなっているのだと二人は推測した。だからこそ気づけた?
だとしてもこれはとんでもない事だ。
一体彼女は何者なのだろうか。二人の心にそんな疑問が生まれ始める。
「……ふぅん、気のせい、か」
くるくる、と番傘の柄を持つ手で回転させると赤い花がそれに従って廻り始める。そうして番傘を弄りながら彼女、雪菜はまた歩き出して村の方へと歩き去っていった。
その背中を見送り、二人は彼女がいなくなったとたん緊張をほぐすように息をついた。
「一般人……だよね」
「そう見えましたが」
佇まいは優雅で戦う者、という気は感じない。足取りも一般人のものにしか見えず、これも同様だ。身なり、雰囲気……何もかもが普通。普通じゃないのはその目。視力を失い、布で隠したその顔。
「……目的が出てきたな」
忍である自分達に気づいた、かもしれない程に高められている周囲察知の心眼。
一般人でありながらあそこまでの領域に達した心眼。
それだけのものを手にしたあの女性。
興味が出てくるのは無理もないだろう。
村に行ったらあの女性について調べてみるとしよう。
予定が増えたが特に問題はない。纏めて同時並行して調べていこう。
だが今は時間つぶしだ。昼前に村に訪れる、という予定は崩さない。
数時間森に滞在し、大型モンスターもいない事を気配察知で確認。安全を確認して私服へと着替えて村へと向かっていく。
村の入り口である門を潜り、中へと入っていくとすぐに竜人族の青年がやってくる。鍛え上げられた肉体をしているが気さくな笑顔を見せ、「よう、お客さんかい? いらっしゃい、モガの村へ」と手を差し伸べてきた。
海はその手を取り、二人は握手を交わす。空も同じように握手し、
「俺はこの村の村長のセガレってもんだ。旅人は歓迎するぜ」
「ありがとうございます。俺は
「こんにちは」
自己紹介をしあった。一般人として行動する際は霧夜ではなく桐島と名乗っている。他の霧夜の者らも当然霧夜の姓を名乗らず、偽名の中で一番使う桐島を使っている。
頭を下げて挨拶する二人にセガレはまた笑顔を見せて頷き、「じゃあうちの宿へと案内しよう」と手で示しながら歩き出した。
宿に向かう途中、海に面したカウンターに二人の男女の姿を確認する。その出で立ちはハンターであり、どうやらクエストを確認しているらしい。
片方は全身赤を基準とした装備を身に包み、頭をすっぽりと覆い隠すような防具を被っている。竜ではなく獣……爬虫類のような鱗や甲殻を使用し、肩当てにはオレンジ色の隆起があるものを使用していた。
恐らくあれは赤甲獣ラングロトラの素材を使用した一式だろう。
ロックラックなどで見て回った事である程度ハンター装備というものを見てきているので、あれは男性用装備だという事を察する。
もう片方は少し毒々しい色合いをした皮を使った露出度が少し高めの装備を身に包んでいる。肩、胸の谷間、へそを出し、額当てと軽い印象を見せるが、それでもあれはしっかりとしたハンター装備であり、上位装備とみる。
あれはギギネブラの素材を使用した一式か。
カウンターにいる年若い受付嬢とやりとりしているようで、しかしハンターではない二人には特に関係はないがどういう人物なのかは把握しておきたい。
遠目でもどういう出で立ちをしているのかを横目で見ながらセガレの後をついていった。
そうして案内された宿は純和風、それでいて少しだけ小さい宿だった。まあただの漁村なのでこんなものだろう。そしてここを利用しているのは自分達二人だけでなくもう一人いるらしい。
受付で女将と手続きをしていると、奥の方から一人の女性がやって来た。思わず反応してしまうがそれも僅かなもの。表情を変えずにいられただろうか、と考えたが、よくよく考えたら彼女は目が見えていないじゃないか。
「……あら? そちらのお二人さん、知らん人?」
「はい、雪菜さん。新しいお客様です」
「そうなんか。じゃあウチと同じか。……初めまして、になるんかなぁ?
そう言って丁寧に頭を下げる彼女。本当にその仕草、流れも様になっている。本当にいいところのお嬢様、お姫様かと疑うくらいだ。そんな人がどうして一人でこんな小さな村に滞在しているんだろう、と疑問を感じずにはいられないが、名乗られたからにはこちらも名乗らないといけない。
「初めまして。桐島海と申します。こちらは従妹の空です」
「こんにちは」
先ほどとあまり変わらない口上で名乗ると、「へえ」と着物の袖で口元を隠しながら小さく笑って見せる。
「もしかして木の桐に島って書くん?」
「はい、そうです」
「これはおもろい縁やなぁ。ウチも木の桐に生きるって書いて桐生なんや。くす、仲よく出来そうやな」
くすくす、と清楚に笑う彼女はそっと手を差し出してきた。白魚のように白い肌に女性らしく小さな手。その手を少し見つめ、海は優しく握って握手する。柔らかいその手を握手しながら感触を確かめるが……特に問題はないように思える。
「よろしゅうな」
「はい、よろしくお願いします」
挨拶を交わすとぺこりと頭を下げて危なげない足取りで宿を後にする。本当に見えてないのだろうか、と疑問を感じずにはいられないが、それが彼女の心眼なんだろうか。
そんな風に去っていく背中を見つめていると、女将さんが、
「驚きました?」
「はい。本当に、見えていないんですか?」
「ええ、見えていないそうですよ。ただ雪菜さんが言うには、人だけでなく自然の声が聞こえてくるそうですよ。それで周りの状況がわかってしまうんだとか」
「そう……ですか」
増々興味深い。
この滞在期間で色々情報を集めていくとしよう。
あのドスフロギィの群れを始末した辻斬りらしき存在の事も気になる。
女将に部屋へと案内されながら海は改めて意を決するのだった。