日も暮れた頃、海ははっと目を覚ました。
最初に見えたのは木で出来た天井だった。視線を巡らせてみようと思ったが、左肩の痛みに顔をしかめてしまう。見ればそこには包帯が巻かれている。少し左手を動かしてみようかと思ったが、鈍い痛みがはしって少ししか動かなかった。
しかし痛みがあるという事は死んではいないらしい。
横を見れば空がベッドに横になっていた。すぅ、すぅ、と一定のリズムで呼吸しているところから見てどうやら落ち着いて眠っているらしい。その事に安堵すると、ここはどこだろうと気になりだす。
すると、丁度良く扉を開けてあの青年が中に入ってきた。
「ん? おお、目覚めたか」
起きている海を見つけて気さくに笑いかけながら近づき、近くにあった椅子を引っ張ってベッドの隣に腰掛けてくる。着ていたコートは脱いであり、シャツとズボンだけというラフな格好をしている彼は、見るからに鍛えられているとわかるほどがっしりとした体躯をしている。
そして目を引くのが金髪の隣に生える一対の角。やはり彼は有角種の魔族なのだろう。渚とはまた違った形をした角だった。
「手術は成功した。しばらくは左腕に違和感あるかもしれねえけど、完治したら問題なく動かせるようになるぜ」
「ありがとうございます……。本当に、何から何まで……」
「いやいや、気にすんな。偶然とはいえこんなところで出会っちまったんだ。俺らからしてもいい出会いさ」
「……といいますと?」
「うん、単刀直入に訊こう。お前、霧夜か?」
瞬間、時が止まった。
青年は笑みを浮かべているが、その目は笑っていない。彼の赤い瞳はじっと海の顔を見下ろしている。彼の表情の細部まで見逃さないというかのようだ。
対する海もまた表情を固まらせていた。彼が放った言葉の意味を感じとり、しかし言葉を失ってじっと彼の言葉の真意を測ろうと見上げている。
硬直する二人、空間。
日も暮れたせいで窓の外は暗く、静けさを保っている。
そんな中で動いたのは海でも青年でもなく、寝ていたはずの空だった。痛む体を動かして起き上ろうとしたが、青年が一瞬で彼女の下へと動き、その体をベッドに押し付ける。
「はいはい、動くんじゃねえよ」
「くっ……!」
「まったく、そこの兄ちゃんを助けようっていうのは立派だが、お前さんは絶対安静なんだよ。いいから、そのまま寝てな。俺は別にお前さんらをどうこうしようなんて思っちゃいねえ。そんな気があったら、わざわざ助け出したりしねえだろうよ」
「…………」
彼の言葉も尤もだ。空はじっと睨みつけるように青年を見上げていたが、両肩にかかる力が空を傷つけるものではなく、ただ彼女を寝かせようとしているだけだということを悟り、抵抗するのをやめてそのまま体を横たえた。
それに満足したように頷き、青年はまた椅子へと戻っていく。
「ああ、順序を間違えたな。俺は獅子童。
そこでまた扉が開き、中に入ってきたのはあの猫耳少女だった。部屋に入るとじろりと海らを睨み付けたような視線を向け、ふん、と息を鳴らして扉を閉めて壁にもたれかかって手にしているグラスを傾ける。
「――あの無愛想な奴が
「焔…………まさか、『破壊の焔』?」
その呟きを聞いた瞬間、焔が手にしているグラスが握り潰された。彼女から殺気に近しい気が放たれ、真紅の瞳がぎらぎらと炎が揺らめくかのように輝きを増し、猫耳や茶髪が逆立っていく。
「てめぇ、知ってんのかよ……っ! やっぱりてめぇらは霧夜か……っ!?」
「はいはい、どうどう、落ち着け焔。そう敵意をむき出しにされたら話が進まないって」
今度は一瞬で壁際にいる焔まで接近し、歯を剥いて今にも飛びかかりそうな焔を押さえつけてなだめにかかっていた。ぽんぽん、と背中を優しく叩いてあやしながら焔の興奮を抑えている。
その様子を見て海は自分の失言を悟った。慌てて頭を下げて「すみません。失言でした」と謝る。それを見て「ほら、謝ってんだから落ち着けって」と雷河が優しく声を掛ける。
「……ふん」
そうしてようやく殺気が収まり、そっぽ向いて近くにあった椅子に腰かけ、グラスを握りつぶした事で傷ついた手を治療し始めた。その様子にやれやれ、と溜息をついた雷河がぽんぽん、と彼女の頭を優しく撫でて椅子に戻ってくる。
「ああ、何だ、すまんね。……でもあいつの昔の異名を知ってるって事は、やっぱお前ら霧夜の忍でいいんだな?」
「……はい。しかし、どうしてそれを?」
「んー……、まあまずはお前らが霧夜の誰かってのを聞こうか」
そして海は名乗った。隣にいる空も紹介し、それを聞いた雷河は興味深そうな視線を向けてきた。ほうほう、と驚いたように頷き、どこか嬉しそうに笑って腕を組む。
どうしてそんな反応を見せたのだろうかと疑問に思っていると、彼は「お前ら、神倉獅鬼を覚えているか?」と訊いてくる。
その名前は知っている。
神倉一族出身の男性で、六年前の大事件で命を落としたハンターだ。そして十六年前に一度会った事がある人物だ。海の母親の珊瑚が病に倒れた際、空と共に里を飛びだしてマンドラゴラを探しに出て、そして出会った。
だがその前に一人の少女ハンターのおかげで魔族狩りの手から助け出された一件でもあったか、と思い出す。彼女の鮮やかな動きで子供だというのに大人相手に立ち回り、自分を救い出してくれた。
あの時は優羅とだけ名乗った彼女が、まさかシュヴァルツの末裔の一人である黒崎優羅だったと知るのはそれから十年も後になってしまった。とはいえあの時から既に普通じゃない何かを持っていた、という事だけはわかっていた。
「神倉獅鬼は俺を拾って育ててくれた人でな、お前らの事は話に聞いていたのさ。そしてあいつ、焔の故郷がこっち側ってのもあって、ぽつぽつと噂は聞いてたのよ」
くいっと親指で焔を示しながら話していく。焔……彼女は「破壊の焔」という異名を持っていた戦アイルーの一匹だという過去がある。今ああして人の姿をとっているが、あれは札によって変化しているのだろう。
彼女の名前、異名を悟った海はそこまで思い出した。そして彼女がどうしてそんな異名を持ち、こんな所にいるのかを思い出そうとして、また焔がぎろりと睨みつけてくる。
慌てて視線を逸らし、雷河が困ったように苦笑して話を進めてくれる。
「親父はお前らが将来的に有力な人材になってくれると見越していてな、お前らに助けの手を差し伸べた代わりに口約束をしていたろ?」
「はい、確か……いつか成長した後、対価を支払ってくれればいい、と」
「うん、そう。それはいつか親父が手助けを求めた際に力を貸してくれ、という意味でもある。……ま、それを果たす前に親父は死んじまったけどな」
六年前に神倉獅鬼が死んだという話が広がった際、二人はひどく驚いた事を覚えている。彼の実力は東方でも知られており、同時に素晴らしい腕を持つ医者でもあった。彼の死は多くの人を驚かせ、悲しませた。
そして二人にとってはいつか返す筈だった対価を永遠に返せずじまいになってしまう事でもあった。
「でも親父の意志を継いで俺は、俺達は親父の代わりに世界を巡り、人々を助けている。今回手を出したのもその一環さ。親父がそうしたようにハンターとして、医者として活動している。……そして今、この東方に起こっている事件にも介入するつもりだ。同時に、この東方のどこかにいる霧夜一族も探していた」
「俺達を探していた? どうしてですか?」
「協力を求めるためさ。親父が作った縁を生かしたいと考えた。……ま、焔が気乗りしなかったけど、そこは我慢してもらう」
「チッ……」
これ見よがしに舌打ちする焔だが、それ以上の事は言ってこなかった。彼女としては気乗りしないが、それは個人の感情であり、この一件は個人の感情で止める事が出来ない用件なのだろう。
不機嫌そうに腕を組み、とんとんと指で腕を叩いている。そんなに自分の過去を知る者がいるのが気に食わないようだ。それもそうだろう、噂には聞いているがあれは彼女にとって消したくても消せない過去なのだから。
「この一件には神倉月さんも介入する」
「神倉月……あの方が!?」
「ああ。とはいえ有名すぎるから変装……変化しているけどな。んで、俺達がお前らに頼むのは情報をくれないかという事だ。俺達だけでは事件の全貌を把握するには人手が足りないし、周りきれない。噂を耳にする事だけでは足りないからな。どうもこれは六年前の時みたいに誰かが何らかの望みを持って起こしていると思っている。……そのためには情報が必要だ。だから、無理を承知で願う、情報をくれないか?」
「……出来ません。俺達は忍です。仕える主がいらっしゃいます」
「乾渚さんかい?」
どうやらその事も知っているらしかった。いや、もしかしたら焔が話したのかもしれない。彼女ならば知っていてもおかしくないからだ。
「はい。乾様の許可もなく、俺達が持つ情報を他人に話す事は出来ません。話せるのは乾様をはじめとする御三方、そしてそれに繋がる一部の方々だけです」
「ふむ、となるとその乾様に許可を貰えばいいのかね?」
「……と言いますと?」
「俺が、俺達が乾渚様に協力を申し出れば、お前達から情報を貰ってもいいのか、と訊いているのさ」
じっと海を見据えて雷河は真面目な表情で問いかける。彼は本気だ。冗談でこんな事を言っているわけではないらしい。しかしそれでも難しいだろう。乾渚はただの海の主という訳ではない。彼女はヤマト国にとって重要な存在なのだ。
そう易々と協力を申し入れられる相手ではないし、簡単に呼び出すわけにもいかない。
それは雷河もわかっているはずだが、彼は右手の人差し指を立ててこう言った。
「こっちには神倉月がバックについている。彼女も協力する、と言えば、融通は利かせてくれるかもしれないぜ?」
「…………」
ヤマト国自体は神倉月に対して良くも悪くも関わりがある。六年前の一件から彼女からは離れているようだが、それ以前は何かと縁があった。なにせ彼女は東方出身であり、あまりにも有名で影響力もあったためヤマト国と繋がりがあった。
渚もその縁で何度か会った事があるし、彼女自身は六年前の一件があった後も一度は会った事があった気がする。となれば渚にそのことを報告すれば、分身が送られてくる可能性が高い。
そうなれば交渉の場は出来上がる。
どうする、報告するべきだろうか?
しかしここにはあの焔がいる。焔からすれば渚も会いたくない人物ではないだろうか?
そう考えてまた横目で焔を見やる。その視線の意味に気づき、なるほどと頷いて雷河は焔に振り返った。
「おい、焔。乾渚さんをここに呼べるかもしれないが、お前さん、それでいいんだな?」
「…………」
「いつまでも引きずってばかりいるのもあれだぜ? いい機会じゃねえか、一度話したらどうだ?」
「……
「未寅様、ですか? あの方は……別の所にいらっしゃいます。連絡すれば来られるかと思いますが」
「呼ぶな。あの野郎には……会わす顔がない」
不機嫌そうな表情を浮かべていた焔は、そこで視線を逸らす。その際に見せた表情は不機嫌、苛立ちというよりどこかバツが悪そうな、悲しそうな感情がごちゃまぜになったかのようなものだった。
そうして思い出す。
あの時酒場に入ってきた際に引き返していったのは、恐らく疾風がいたからだろう。昔の自分を知っている戦アイルーがいたからこそ彼女は引き返した、逃げ出してしまったのだ。
「……未寅さんは仕方ないとして、乾さんは大丈夫だよな? あの人神倉さんとも知り合いだからたぶんお前が俺と一緒にいる事、知ってるぜ?」
「……チッ、そうか。…………わかったよ、ここにいる」
「よし。じゃあ神倉さんに連絡するから、そっちも一応乾さんに聞いてみてくれねえか? 交渉の場を設けられるかどうか」
「……わかりました」
頷いて海は懐に手を入れる。一度脱がした和服ではあったが、それでも中身までは手を付けていなかったらしい。問題なく連絡用の札を取り出す事が出来た。そうしたところで空が控えめに海へと声を掛ける。
「よろしいのですか、海様?」
「ああ……乾様も何かあった場合は連絡しろとおっしゃっていた。この一件はどの道報告しなければならないだろうからね。纏めてお伝えしないと」
「……わかりました」
見れば雷河が少し離れた所で同じように札を使って連絡している。どうやら神倉月と早速連絡を取っているらしかった。ならばこちらも渚に報告しなければならない。海は札に魔力を注いで渚と連絡を取る事にした。
少しして耳に当てた札から彼女の声が聞こえてくる。
『おう、こちら渚。どした?』
「こちら霧夜海です。ご報告があり、連絡いたしました」
そして海は先ほど起こった事を報告していく。それに時折相槌を打ち、渚は海が話し終えるまで静かに聞いていた。やがて全てを報告し終えたとき、渚は『そうか……』と頷いたようだった。次に出てくる言葉はお叱りの言葉だろうか、とどこかで考えていたのだが、
『無事で何よりだったよ。よく、生きていてくれた』
掛けられた言葉は二人を気遣う言葉だった。
ああ、やっぱりと目を閉じて思う。この人はまず人を心配してくれる。こういう人だからこそ人は慕っていくのだ。
海は「すみません……ご心配をおかけしました」と頭を下げる。すると向こうから、
『いや、謝らなくていいよ。でも、そうか。焔がそっちにいるのか。それに神倉さんが来るとなれば、行かない訳にはいかないな。それにお前らを助けてくれた礼をしなければならないな』
「わかりました。分身が来られるという事でよろしいんですね?」
『ああ。早速分身を向かわせている。間もなく到着すると思うからよろしく』
「はい、了解しました」と返事をし、窓の外を見てみる。ベッドの傍へと降り、窓に向かってそれを開ければ少し冷たい夜風が流れ込んできた。彼女が入ってくるとなればここからだろう。
そして向こうでも連絡を取った雷河が「じゃ、よろしくお願いします」と頭を下げてから少ししたとき、突如部屋の中に裂け目が生まれる。
まるで景色が紙のようで、その紙の中心部分が破けて広げられたかのよう。
その奥から二人の竜人族の女性が潜り抜けて部屋の中へと入ってきた。
一人は紫色の長髪をした女性。紺色の和服に身を包んだ長身の女性で、優しげな蒼い瞳が軽く部屋を見回し、雷河に気づくと「久しぶりだね」と声を掛けていく。それに続いて入ってきたのは金髪の女性だ。肩にかかるショートポブの髪型をしており、少し垂れ目な青い瞳でぐるりと部屋を見回し、驚いた顔で自分達を見つめている海らに気づくと目礼してきた。顔立ちからして西方人であり、白い肌に白と水色のワンピースが似合っている。その上に淡い青のローブを羽織っている。
連絡を取り合ってからすぐに空間転移を行使してきたようだ。それを指で操作し、空間の裂け目を閉じると、海らに振り返って「突然の来訪、失礼するよ。驚かせてごめんね」と頭を下げてきた。
「あ、い、いえ……」
「おっと、その前に名乗るべきだったね。申し訳ない。……初めまして、私は神倉月。仮初めの姿で申し訳ないね。よろしく頼むよ」
「私はルーシー・ヴァーミリオンです。数十年前に西方で月さんと知り合いました」
ぺこりと頭を下げる彼女の情報はない。六年前にもいなかったので彼女の言う通り西方で知り合った人物なのだろう。それがここまで一緒に行動しているという事はそれなりに信頼のおける人物なのだろうか。しかも竜人族なので見た目に反してかなりの年齢なのだろう。
大人しそうな雰囲気をしているが、それに反して結構な実力者なのかもしれない。なにせその佇まいに隙が見当たらないのだ。ハンターなのかもしれない。
二人に名乗られたので、海も自分と空の自己紹介をし、よろしくと差し出された月の手を取って握手をする。そうしたところで窓から一羽の鳥が入ってくる。それは海の傍で停滞し、光る粒子を発して人の姿をとった。
そうして現れたのは海の上司、乾渚だった。
分身である彼女が顕現すると、目の前にいる神倉月に気づき、にっと笑って「久しぶり、神倉さん」と握手を求める。それに月も快く受け、微笑を浮かべて握手する。
「そして……久しぶりだな、焔。元気にしてたか?」
「……どうも。お久しぶり」
そっぽ向いていたが、一度渚に向かって頭を下げ、またそっぽ向く。どうも居心地が悪そうだ。それは渚もわかっているようで苦笑を浮かべている。それ故に一度焔から視線を外し、話を進めていく事にする。
「さて、話を聞こうか」
「どうも、よろしくお願いします。……まずは名乗りましょうかね。獅子童雷河です」
「ん、よろしく。乾渚だ」
頭を下げて挨拶する雷河に対し、渚も少し一礼し、挨拶しあう。そのまま部屋の中央にある机と席へとついてお互い向かい合った。渚は一人で席に着くに対し、対面には月と雷河が着く。
二人の後ろにはルーシーが付き、壁際には相変わらず焔が佇んでいる。
渚の後ろには海が付き、空は安静という事でベッドに横になっていた。
この面子で交渉を進める事になる。
まず雷河が説明を始めていく。
「まずあなたをお呼びする事になった用件ですが、俺達は霧夜の者らが集めた情報を求めました。俺達もこの東方で起こっている事件を調査しているんですが、情報収集には手が足りないので、手を組みたいと」
「なるほど。でも霧夜はうちの忍だ、情報は提供できないな。例え神倉さんが相手でも、ね」
「やっぱりそうなるね。でも、個人同士ならどうかな?」
「へえ、個人?」
そこで月が提案していく。その言葉に渚が視線を向け、月が微笑を浮かべて話していく。
「私も少しおもしろい情報を持っていてね、たぶんこれは霧夜の忍でも知らない情報だと思うよ。これをヤマト国の重役と私らという間ではなく、乾渚と私らという間でやりとりしないかい?」
「ふーん、大きく出たね? そんなにおもしろい情報かい、神倉さん?」
「ああ。保障するよ」
ふっと笑みを浮かべて自分の持っているカードの一つを提示する。しかしそれだけで渚が首を縦に振るわけではない。彼女個人として、つまりは友好関係にある者らでやりとりするというだけで頷くわけにはいかなかった。
その理由としては、
「だけど無理だね。その情報は興味深いけど、それでも無理さ」
「何故です?」
「それはね、獅子童雷河、あたしらが持っている情報はなにも霧夜の忍だけが集めたわけじゃねえんだよ。他の奴ら、巽と未寅の奴らも集めた情報も含まれている。確かにこの三人の中では一応あたしが一番上の立場にあるけど、それでもあたしの独断で頷くわけにはいかねえんだ。……海と空を助けてくれたことには感謝する。でもその礼としてこっちの情報を共有するってのは話は別。協力体制を布くなら、あいつらも呼ばねえと話になんねえな」
そう言いながらちらりと焔の方へと視線を向ける。未寅の名が出た瞬間彼女の体がびくりと反応を示したようだが、ここは気づいていないふりをする事にした。
例え個人が持っている情報とはいえ集めたのは集団だ。忍だけではなく彼らも関わっているが故に普通に頷けない。しかし、
「……だけど、もう少しそっちが提供するものが増えるってんなら考えなくもない。あたしにとって神倉さんが関わってくるっていうのはありがたいんでね。あたしらが情報を提供するに対し、あんたらはなにを提供してくれる?」
渚にとって神倉月と本格的に繋がるのは彼女にとって大きなプラスになるのも事実だった。渚が情報を提供するならば、月達も何らかのものを提供しなければ話にならない。面白い情報一つだけでは釣り合わない。
何せ渚達が集めて保有している情報は結構多い。それに釣り合うだけのものを月達は提供できるのか?
月が協力するという点でも大きな要素だろうが、それでも足りない。なにせ神倉月はあの一件以降本来の姿を隠すように変化を使って行動している。それだけでなく偽名も使っているため表だって行動するのは控えめになっているのだ。
そのため月だけでは少し心もとない。とはいえ戦力としては十分信頼のおける人物である事は間違いない。でももう少し何かが欲しかった。
その期待を込めて月を見つめていると、雷河が口を開く。
「俺と焔も当然介入する」
「焔? ふむ……焔の心境の件があるからあまり期待できないな」
「では私の信頼のおけるハンター達も戦力として加えよう」
「誰だ?」
「まずはここにいるルーシー。そして六年前の事件以降姿を消している白銀昴達さ」
その名前に渚だけでなく後ろにいた海らも驚き、息を呑む。当然だろう、彼らは姿を消し誰もどこにいるのかわからないのだ。完全に表舞台から消えた者らを戦力に加えると言われて、驚かない方がおかしいだろう。
しかも彼女の口ぶり、雰囲気からしてどこにいるのか知っていると言っているかのようではないか。
「……本気かい?」
「ああ、彼らの了解が得られれば協力してくれるだろう」
「どこにいるのか知っているとでも?」
「知っているよ。彼らが誰にも気づかれずに暮らしているのは私の支援があってこそだからね。家の周囲に結界を張らせ、偽名を名乗り、変化で見た目を変えているからね。それはもう髪の色や瞳の色、声色も含めて。それを叶えるための道具を手渡したから有効に使っているだろう。彼らの娘さん達も含めて、ね」
一家揃って何もかも偽っているというのか。人間である彼らが変化を使えるはずがないのでどうやっているのかと思ったが、まさか神倉月の支援があったとは驚きだ。でも少し考えればわからなくもない。
彼らは共に戦った仲間だ。彼女が彼らに手を貸すのは彼女の性格から考えても有り得る話だった。そして彼女の助けがあったからこそ今まで彼らは誰にも気づかれずに暮らし続ける事が出来た。
そんな彼らを再び表に出す。これは大きな決断だろう。
「でも戦力になるのかい? 表舞台から消えて六年だろ? 実力、落ちているんじゃないのか?」
「心配ないよ。生活費を稼ぐためにぽつぽつとクエストをこなしていると聞いている。今ではG級ハンターになっているという話さ。三人とも腕は磨いているから戦力になってくれるはずだよ」
「G級、か。なら戦力としては期待出来そうか……でも本人らの了承はまだ得ていないんだろう? じゃあまだ頷けない」
腕を組んだ渚は「それに」と繋げながら指を立ててじっと月を見据える。
「あの三人を表舞台に出す理由がわからない。ただ戦力として頭数を合わせたって理由じゃ軽蔑するぜ、神倉さん? なにせ彼らは平穏な暮らしをするために表舞台から消えたとあたしは思っている。そんな彼らを呼ぶんだ。ただの知り合いだからじゃ済まされねえ、それ相応の理由があるんだろうな?」
確かにそうだ。余計ないざこざを避けるためにシュヴァルツの末裔である黒崎優羅と共に姿を消して六年。子供も生まれて静かに暮らしている彼らを呼び出すのだ。
この交渉を成功させるための出汁に使うためだけに呼ぶとなれば渚は逆に月を軽蔑する。
それに対し月はふぅ、と息をついて小さく頷いた。
「わかった、理由を説明しよう。それは先ほどおもしろい情報だ、という内容を話す事になる」
「へえ、聞こうか」
「先日、私は一人の人物と遭遇した。その人物は辻斬りと思わしき人物を庇うために現れた女性でね、全体的に黒に統一された衣装と髪、そして顔の半分に骸の仮面をつけていたよ。そしてどういう技術を使ったのか、その姿を目視できない力を持っていたよ」
「…………んん?」
そこまで話を聞いた渚が唸りながら首を傾げる。何やらどこかで聞いた事があるような特徴だった気がしてきたのだ。そんな彼女を見つめながら彼女は言葉を続けていく。
「手にしているのは黒い短剣。これを振るって私の足止めをし、辻斬りを逃がしていったのさ」
「おい、おいおいおい、ちょっと待て。そいつはまさか……」
「気づいたかい? 彼女ははぐらかしていたようだけど、恐らく衛宮天羽逃亡事件に加担した人物じゃないかと私は推測しているんだ」
「……ちっ、マジかよ。となればなんだぁ? そいつは天羽の味方であり、しかも辻斬りの事件に関わっているって事になるのか? しかも神倉さんよ、あなたはまさか……」
冷や汗を流しながら思わず身を乗り出してしまう。渚が危惧しているのはある一点だった。そして月は「ああ、いいようにあしらわれ、逃げられてしまったよ……」と困ったように言えば、渚は椅子の背もたれに体を預けながら天井を見上げ、右手で目元を隠した。
「……衛宮のじーさんだけでなく神倉さんでも手を焼いた相手、か。なんの冗談だぁこれは……? あなたらを相手にして逃げられる奴が敵にいると……」
あの衛宮兼定を相手にして逃げ切れた人物がいた、という話を聞いた時も耳を疑ったが、今回もまた耳を疑うしかない話だった。そして想像したくもないことでもあった。悪夢だ、といわんばかりにげんなりした渚は、一息ついて姿勢を正し、月を見据える。
「つまり神倉さん、あなたは戦力となるべき人物を補給したい、ということかい?」
「そうだね。今回もそこの二人がやられたんだ。この先霧夜の忍が調査を進めた際に返り討ちになってしまう事はあり得る事だろう?」
その言葉に渚だけでなく海も思い出す。つい先日も霧夜の忍は辻斬りによって殺されたばかりだ。今回も一歩間違えれば海と空もその中の一人になっていた。表情が固まってしまうのも無理はない。
「そこで戦える人材を増やし、協力関係を結ぶ事でどちらも得をすると思わないかい? 私達は情報収集が進み、事態を把握する事が出来る。そちらは戦力増強によって犠牲が減る。ギブアンドテイクさ」
「…………なるほど。でも増えたとしても三人だろう? それにあちらさんは子供がいるって話じゃないか。子供はどうすんだよ?」
「それも当てがある。それにその当てにも戦力となり得る人材がいるよ」
「それは?」
「ルシフェル兄弟とその奥さんさ」
「……ポッケ村か」
「おや、ご存じだったか」
少し驚いたような表情を見せる月ではあったが、ちらりと海の方へと視線を向ける。彼女の予想として霧夜の忍がポッケ村にも調査の手を伸ばしたのだろうと当たりをつける。噂としては確かにポッケ村にはそういう要素があるという事は陰で知られているし、それを把握しているならばポッケ村にも調査の手が入る事は推測できる。
そうして情報を入手し、それを秘匿しているのだろう。でなければポッケ村に隠れ住んでいる彼らがあそこから離れない理由がない。
そして目の前にいる人物はルシフェル……ひいてはシュヴァルツの末裔に対して悪しき印象は抱いていない。抱いているのは彼女らの三家と対を成す三家だ。その知識は月にはあった。
「なるほど……ルシフェル兄弟なら戦力になるね。これで更に四人追加、か」
「あともう一人いるけど、こちらは少し訳ありだから難しいかもしれないね」
「まだいるのかい? 流石はあの戦いを仲間と共に戦っただけあるね」
「はは……その後はそれぞれ分かれてしまったけれどね。それにもう一人は交渉しないと表舞台に再び出られないところにいるから望みは薄いけどね。でも加える事が出来れば必ず力になってくれるはずさ。ルシフェル兄弟が加わってくれれば、の話だけどね……」
「ふーん、ということは……八人か。神倉さんらを合わせて十二人……十分な戦力だな」
月、ルーシー、雷河、焔、白銀一家三人とルシフェル一家四人、そしてもう一人。
合計十二人のハンターという戦力。
敵は人族ではあるが、それでも彼らは対人戦の鍛錬もこなした人材らだ。
これらを戦力としてあてがう事が出来たならば、辻斬りらともし遭遇したとしても戦える可能性が高い。彼らが引き付けている間に忍が情報を持ち変える事が出来れば、辻斬りに対する調査が進むというものだ。
お互いメリットがある取引。
月が持つカードは渚を唸らせ、考え込ませた。
「……でも今は確実じゃないよな? 本当に彼らが来てくれるかの保証がない」
「それは認めよう。ここにいる四人……いや、三人かな?」
ちらっと焔を一度振り返り、言い直す月。
「私達は共に戦うけれど、彼らにはこれから話をつける事になる」
「じゃあやっぱり今ここで答えを出せないな。……後日、改めてこの場を設けよう。その際はあの二人もその場に呼ぶよ」
「ではそれまでの間に彼らに話をし、了承を得てくるよ。……焔もそれまでの間に決心するんだよ?」
「……わかったよ」と焔がそっぽ向きながら答え、それに月だけでなく渚も苦笑を浮かべる。そして二人は立ち上がり握手を交わした。今回は話は纏まらなかったが、それでも次回の交渉でいい結果が得られそうだと月は感じていた。
この結束が成立すれば現在起こっている事件に対して大きく踏み込む事が出来るだろう。
少なくとも人為的な要素がからんでいる辻斬り事件と領主事件に関しては彼らの戦力が入れば、上手くいけば犯人を捕らえる事が出来るかもしれない。
そうでなくとももう一つ、蛇竜種やリオ夫婦の一件も調べる事が出来るだろう。なにせ本職はハンター。モンスターを狩ることを生業としているのだから大きな戦力となる。
戦力と情報収集、二つに秀でた集まりが手を組めば、きっとうまくいくはずだ。
この縁を大事にし、今回の異変も解決へと導ければいい。月はそう思っていた。
しかし気がかりな事もある。
渚には話さなかったが、自分は再び命を狙われているらしい。
あの暗殺者が口にした言葉。
いずれ自分を殺しに来る戦士が現れる。そして自分はその者の手によって死ぬ。
それが本当なのかハッタリなのかはわからないが、それに対する備えとしても彼らに話をしないといけない。これはいい機会だった。だからこそこの交渉の場に立ったのだ。
そのためにも話を進めていくとしよう。備えあれば憂いなし、だ。
そして交渉の様子を見つめていた海は振り返った渚と相対する。腕を組んだ渚は上から下まで海を見つめ、目を細めた。
「お前らはしばらく休んどけ。いい機会だ、体を休めて落ち着くといい」
「よろしいのですか?」
「いいよ。どの道、空はしばらく安静さ。数日休み、英気を養っておくといいさ」
「はっ、承知しました」
一礼する海に優しい微笑を浮かべて頷き、続けてベッドに横になっている空へと近づく。彼女は起き上ろうとしたようだが、「ああ、そのままでいいから。無理すんな」と優しく嗜めた。「……申し訳ありません」と彼女にしては珍しく困ったような表情を浮かべており、気にするなというかのように渚は手を振る。
そして空の黒髪をまるで子供を撫でる母親のように手櫛を通し、
「本当に、生きていてよかった」
「……ご心配をおかけしました」
「ん、ゆっくり休め」
ぽんぽんと撫でて空から離れると、今度は壁際にいる焔に視線を向ける。相変わらずの様子だったが、渚はそれを気にする事もなく頭を下げた。突然頭を下げられて焔は驚いた表情を浮かべるが、渚はそのまま口を開く。
「空と海を助けてくれてありがとう。遅れてしまったけど、改めてお礼申し上げる」
「……あ、いや、……別にいい。これが焔たちの仕事だから」
真っ直ぐにお礼を言われたことで焔が戸惑いだす。まさか渚にこうされる時が来るとは思わなかったようで、慌てた表情で両手をばたばたとさせている。そんな様子を雷河がくつくつと笑みを殺しつつ口元に手を当てており、それに気づいた焔が少し紅潮した顔で雷河に睨みを利かせた。
「……そうか。でも、それでも礼は言わせてくれ。本当に感謝してる。……最初に話に聞いた時は驚いたけどな。まさか助けてくれたのがお前だとは思わなかったから」
「……焔だって驚いたさ。まさか助けたのが霧夜の忍だとは思わなかった」
「でも、こうして二人を助けてくれたからこそこうして会えた。元気でやっているようで安心したのも本当だし、これがいい機会だとも思ってる。あいつらとまた話してやってくれ」
「…………考えとく」
「ん。そうしてくれるとありがたい。……じゃ、あたしはこれで失礼するよ」
月に対して軽く一礼すると月も向き直って一礼する。そして渚の姿は光の粒子となり、鳥の姿となって窓の外へと飛び去っていく。それに続いて月も雷河に「じゃあ私達もこれで失礼するよ」と声を掛けた。
雷河も「わかりました。急な呼びかけに応えてくれてありがとうございました」と頭を下げる。
「いや、構わないよ。私にとってもいい機会だったからね。この出会いに感謝を」
「次に会ったときはゆっくりお話ししましょう」
「うす」
月とルーシーが微笑を浮かべて挨拶し合い、月が指を立てて呪文を唱えつつすっと下に下ろせば、また空間の裂け目が部屋に生まれる。その先はどこかの山の中だったようだがよく見えない。
ルーシーが潜り、月も「では、また会おう」と肩越しに振り返って微笑み、ルーシーに続いて裂け目を潜っていった。
突然の出会いと交渉の場。それもかの有名な神倉月が先ほどまでここにいたのだ。六年前の大事件を引き起こし、その昔は伝説に語られる程名を馳せた神倉一族の唯一の生き残りとなった彼女。
噂通り人のいい女性だった。人族の中で最も高い実力を持つ、と囁かれる人物だというのに、あれだけの優しい目をした女性だとは。その事を噛みしめていると雷河が時間を確認し、「腹減ったか? 飯でも持ってこようか?」と話しかけてくる。
そういえばいい時間だしずっと眠っていたため少し小腹がすいてきていた。それを実感すると腹の音が鳴りそうなほどだったと自覚する。
それに気づき、にやりと雷河が笑えば、腕を組んでうんうんと頷きだす。
「よーし、それじゃ飯の準備をするか。下に行って飯作ってくれるように頼んでくるわ。……あ、そこで寝ている嬢ちゃんは軽めのものでいいな?」
「いいんですか?」
「なぁに、遠慮することはねえよ。これも一つの縁。この先も上手くいきゃ結構長い付き合いになるかもしれねえんだからよ、仲良くやっていこうぜ?」
荒々しい髪型にがっしりとした体つきに反して彼はなかなか気さくな人だ。魔族だというのに友好的だというのも珍しい。海はそう思ったが、彼の行為を無碍にするのもなんだと思い、ここは頼むことにした。
「よし、ちっと待ってな」と言い残して扉を開けて出ていき、それに続くように焔も静かに出ていく。それを見送り、海は一息ついて窓の外を見た。
激動の一日だった。
龍仁達とのやりとり、森の中で助けた母娘、リオ夫婦の観察をしていたかと思えば突然現れた謎の少年。彼によって殺されかけたところで颯爽と現れた雷河と焔。
二人に助け出され、目が覚めれば霧夜の事を知っていて、焔は焔で過去に疾風らと繋がりがあった戦アイルーだと判明。そうして繋がる縁を生かし、この場に神倉月と乾渚が同席し、話し合いが始まる。
本当に、人生何が起きるかわからないものだ。
そして縁とは不思議なものだ。巡り巡ってこうして様々な人達を結びつけた。
しばらく自分達は動く事は出来ないが、それでも世界は回っていく。どこか別の忍が新たな情報を手にしてくれる事を願おう。
海は雷河が料理を運んできてくれるまでしばらくそうして夜空を見上げ続けた。
○
「面白い事になったもんやなぁ」
数本の蝋燭の火が部屋に灯るその場所でそんな声が響く。彼女、灯は縁側に腰掛け、開かれた襖に背を預けながら煙管を吹かせていた。視線は部屋の中ではなく外、曇っている夜空を見上げていた。
そしてその部屋には彼女だけでなく他の影があった。一つは蝋燭の灯りが届かない部屋の隅に佇んでいる人物。灯を補佐している風間の忍だった。彼は静かにそこに控え、部屋にいる者達を見守っているだけだった。
『霧夜海と霧夜空を殺しかけた少年、か。ふふ、興味深いですねぇ……その情報を持ちかえった忍はいい仕事をしましたよ。もう、報酬を与える事が出来ないと思うと実に残念ですねぇ……ええ、せめていい供養をさせてあげてください』
「……はっ、感謝いたします。
申子と呼ばれたのは人ではなく部屋の中心に佇む一羽の鷹だった。風間の忍はその鷹に対して頭を下げている。もちろんその鷹は申子と呼ばれた人物本人ではなく、彼がここへと送ってきた使い魔だった。
本人はヤマト国にいないため、こうして使い魔を派遣して会議に参加している。そしてここにはもう一匹いる。
鷹の対面には一羽の烏が止まっていた。漆黒の毛並みが部屋の闇に溶け、しかし蝋燭の灯りによって怪しく浮かび上がっている。
『ケッ、情報だけ送ってくるなんてご苦労さんなこった。死体だけ現場に残すとは根性のねェ奴だな。せめてどんな奴だったのかまで調べて死ねってんだクズが』
「…………申し訳ありません、
『ああ、別に謝るこたぁねェぜ? 実際これはおもしれェ事になってんだ。アタシとしちゃまあまあいい仕事したと思ってんだァ。ケッケッケ』
まるで子供のようで、それでいてどこか黒さを滲ませる少女の笑い声が響くたびに烏の首が揺れる。そんな烏を前に、忍はただ頭を下げたまま無言でいるしかない。
そしてその笑い声を止めたのは鷹だった。
『そこまでにしておきなさい、
『ケッ、てめぇに言われたかねェんだよ。いつまでそんなきめぇ仮面付け続ける気だァ? 気色わりぃんだよゲス』
『まったく、あまりおいたが過ぎると私としても心が痛みますが、それ相応のお礼をする事になりますがねぇ?』
『おう、上等じゃねえか。アタシも申子の代表がてめぇだってのは気に食わねェんだよ。いい機会だ、引きずりおろしてもう少しまともな奴をその席に座らせてやろうじゃねェか、あ゛あ゛!?』
向かい合っているのは鷹と烏ではあるが、使い魔を通じて放たれている気迫は凄まじいものになってきている。使い魔同士が睨み合っているだけなのに今にも殺し合いを始めそうな程の空気になってきており、風間の忍は息を呑んで見守っていた。
そして静かに、この空気を壊す為に彼女が口を開く。
「やめぃ。そのままぶつかり合ったら、灯が殺すで?」
『…………』
煙管を吹かしながら夜空を見上げていた灯がただ流し目で二羽の鳥を見つめ、さっきを放ちながら静かに言い放っただけで、二人は沈黙してしまう。有無を言わさないだけの迫力が眼力と気迫に篭められており、風間の忍も沈黙を守りながら冷や汗を流していた。
バツが悪そうにそわそわしている烏に対し、鷹は静かにその場に佇んでいる。
そんな二羽を横目で見やりつつ、
「ほんま、あんたら反りが合わへんなー。今はそうゆーことしとる場合ちゃうやろ?」
『そうですねぇ、失礼しました
「ん。リオ夫婦を殺し、霧夜海らを殺しかけたあの男。風間の数人を動かして調べとき。今のところはそれを最優先や」
「はっ」
灯の指示に風間の忍が一礼する。続けて紫煙を吸うと空へと吐きだし、煙管をとん、と灰皿へと叩いて先端を烏へと向けた。
「六花、あんたはなんかやったみたいやけど、上手くいっとるん?」
『今のところは様子見だなァ……ま、上手くいくかどうかは流れを見守るしかねェのは事実だぜ。うまいこと誘導してくれるかはどれだけ親しくなれるかってのが問題だからよ、ケッ』
『ふふ、まさか六花があれを使うとは私は驚きものなんですけどねぇ。確か、嫌いなんじゃなかったんでしたっけ?』
『ああ、きれぇだよ。あんな奴……大ッ嫌いだ。……てめぇもそうだろ? 魔族の血が流れてんだからな』
烏の瞳がじろりと鷹を睨み付け、それに頷くように鷹が嘴を開けながらカッカ、と小さく鳴きつつ首を上下に振る。『ええ、本来ならばすぐにでも殺しに行きたいくらいなんですけどねェ、あれも一応……“一応”午卯の血に連なる者ですからねェ……。個人的なもので殺しては問題になりますからねェ……』と今度は横に首を振りながら残念そうな声が発せられる。
そんな事をのたまう彼に、また烏の主、六花が『ケッ』と小さく悪態つく。
『なぁにが個人的云々だ。そんなこと言ってて、本当は灯さんがこぇえんだろ? そうだよなァ? てめぇは灯さんには頭が上がらねぇもんなァ? ケケッ、てめぇは魔族に対する妄執が他の申子の野郎らよりもつぇえ理由でそこにいるんだもんなァ? 灯さんが認めているからこそそこに座ってられんだ。なァ? 源次?』
『…………その可愛らしい口を永遠に開かせないようにしようか? 六花?』
『やってみろやゴルァ? アタシはいつでも相手すんぞ? おぉ?』
再び殺気がぶつかり合い、部屋の温度が少し下がったような空気になる。犬猿の仲とはこのことか。渚らと同じく三家の集まりではあるが、この二人はとにかく仲が悪い事が窺える。
もしここに使い魔ではなく本人らが同席していれば、まず間違いなく武器を抜いてぶつかりあってもおかしくない状況だった。
そして、灯がまた灰皿へと煙管を叩く。それも先ほどよりも強い力で。
その甲高い音にぶつかり合う殺気が一度途切れ、今度は灯の方から凄まじく冷たい殺気が放出された。
「やめぃ、と言ったやろ? 灯の手を煩わす気かえ?」
『……申し訳ありません、酉丑さん……』
『……悪かったよ』
藍色の瞳がすうっと細まり、殺気と同時に不機嫌そうな雰囲気を放ち出した。こうなってしまえばしばらくこれは消えそうにない。居心地の悪そうにしはじめる烏に、頭を下げたままの鷹。
そんな二羽を見つめながらとんとん、と灰皿に煙管を叩くと、傍らに置いている酒が満たされたグラスを手にするとぐいっと煽った。
「……もうええ。今回はこれまでや。……あれと繋がりのある奴とか調べる事と、六花、あんたが送り込んだ奴のこと、今のとこはそれだけでええな?」
『はい、私も情報収集を進めてまいります』
『アタシもあいつの監視を時折しておきますよ』
「ん、それでええ」
それで話は終わりだとばかりにまた夜空を見上げ、煙管を咥えた。本来ならばまだもう少し話をしていただろうに、灯は完全に話をぶった切っていた。やれやれと言いたげな鷹ではあったが、灯が終わりだと言えばもう終わりだ。
烏を一瞥するとそのまま粒子となって消える。それに続くように烏も一度灯に向かって一礼すると粒子となって消えてしまった。その姿も見送らず、灯はただ縁側に佇むだけ。
風間の忍も「失礼いたします、お嬢様」と頭を下げ、消えようとしたのだが、
「……少し待ちぃ」
と、彼を呼び止める。
「はっ、なんでございましょう?」
「……渚の動向、調べとき」
「は……なにか気がかりな事でもございましたか?」
どうしてここで乾渚の事を気にしたのだろうか、と忍は考える。先日渚と城の庭園で表向きは鍛錬を、その真意はお互いの鬱憤晴らしと言う名の殴り合いをしていたが、あれから特に変わった様子はなかったような気がする。
だが、
「ん……なんていうか、ね。灯の勘が囁くんや……渚の周囲がおもしろくなりそうな予感がするってな」
「はっ……左様でございますか」
こういう時の灯の勘は結構当たるものだった。ならば忍は一礼し、承諾するのみだった。
「ん。渚……あとは霧夜海のことも見張っとき。渚と繋がっとるんやから、あれもおもしろいことになりそうやないの。やからそっちにも数人もう一度回しとき」
「はっ」
それで指示は終わりだ、という風にとん、と煙管で灰皿を叩くと、忍もまた部屋から退出していく。そうして一人になった灯はただ無言で曇り空を見上げ、酒と紫煙を堪能していく。
乾渚……幼い頃からの付き合いで、ある意味ライバル関係にある相手。
昔から何かと競い合い、どちらも家の代表としてヤマト国王の直属の部下となり、それからもまたぶつかり合った相手。
今回の一件もまたどちらがより任務に成功し、王に、国に貢献できるのかを陰で競う事になりそうだ。
そして今、灯の勘が囁いた。
すなわち、渚に新たなる繋がりが生まれそうだ、と。
霧夜海を失いかけたが、それ故に新たな繋がりが生まれるのだと。
その情報を届けた風間の忍は後にどうやらあの少年によって殺されたようだが、それでも情報だけは生きて他の忍に届けられ、灯の耳にはいる事が出来た。それによれば海と空は魔族の手によって救われたらしい。
その魔族が誰かはまだ突き止めていないようだが、灯はその魔族が鍵となると睨んだのだ。
「楽しくなりそうやなぁ、渚。……呼び込むんやで? 火種を。……灯がそれに火を灯し、燃え盛らせたる。一番の望みは……シュヴァルツの末裔が関わってくることやけどな? くっくっく……!」
冷たく笑いながら灯はグラスに新しく酒を注いでいく。
一人で酒を呑み進めるのはいつもの事で、そうして何かに思いを馳せるのもいつもの事だった。その内容は大抵渚の事ばかりであり、というより普段から彼女の頭の中は渚の事ばかりだった。
「いったい誰と繋がるんやろうな? 誰と繋がったとしても、灯を楽しませてや、渚? 灯は……今も昔も、そしてこれからも……あんたとはええ仲でおりたいんやからな」
グラスを夜空へと掲げればカラン、と氷がグラスの中で揺れる。そのグラスの乾杯の相手はただ一人、乾渚。彼女は今回もまた自分を楽しませてくれると期待して、次は一体どのような情報をもたらしてくれるのか。
想像するとまた楽しくなってくる。
その日は日を跨いでもなお彼女は酒を呑み進めていった。
時系列が並びました。
次回より、再びユクモ村。双子の視点に戻ります。