大砂漠の近くまでやってきた彼女は木々に隠れながら辺りを見回していた。砂漠に近くなってきたせいか、少し乾燥した風が前方から吹き抜けてくる。そうした中で彼女はゆっくりと進んでいく。
懐に手を入れ、一塊になっている布を取り出した。それを広げると赤い外套となって姿を見せる。絵柄もなく、無地の赤の外套。飾りっ気のないそれを羽織り、フードを被って彼女は森を抜けて大砂漠へと入っていこうとする。
「…………ん?」
不意に彼女は視線を落とす。刹那、ぽとりと何かが地面に落ち、鈴のような音を響かせた。それを見た彼女は僅かに驚きに目を見開く。
落ちていったのは……お守りだった。小さな鈴が二つ付けられ、千切れてしまった紐が括られている一般的なお守り。その布は雪が描かれており、子猫がそれを浴びている、といった絵が描かれている。
「……まさか」
それを見つめる彼女は僅かに震えていた。だが落ちてしまったそれを拾わねばと手を伸ばし、拾い上げてじっと見つめる。これは彼女にとってただのお守りじゃない。送り主の想いが篭められたお守りだ。
遠い昔、自分の事が心配だからと持たせてくれた彼のお守り。それだけのお守りなのにわざわざ強い気を込めていった事で自分の身に何かあれば鈴が鳴る、という不思議な効果まで含んでいる。
そんなお守りが、落ちた。
今まで紐が切れるような事がなかったというのに、それが切れてしまっている。
それはすなわち、彼の身に何かあったという事だ。
「十兵衛……死んだのか? 一体何で死んだ? ……いや、死ぬ手前、か?」
ぎゅっと握りしめて空を見上げる。先日話したばかりだった。死んだとしても知らない、と言ったばかりだったというのに、この嫌な知らせだと? 一体何が起きたというんだ?
そう考えると、胸が締め付けられるような感覚に襲われる。嫌な予感しかしない。
「……おいおい、マジかよ。ほんとに、死ぬって言うのか? アタシを……置いて?」
思わず歯を食いしばってしまう。
「……っざけんじゃねえぞ。アタシの許可なく死ぬんじゃねえよ……! あんな思いは、もうこりごりだってんだよ……ッ!」
思い起こされる九年前の記憶。
あの野郎に居所を知られ、焼かれた十兵衛の話。結構イケていた彼の顔は誰もが引くものへと変化してしまい、命の危機も脅かされてしまった。何とか生き延びたが、それを知った彼は殺し損ねたとまたしても殺しに向かおうとした。
それを彼女が何とか止めて言い含めたが、恐らくチャンスがあれば殺しに向かうだろう。それを感じとり、十兵衛は彼女に迷惑がかからないようにと東方を周り、最終的には火山に引きこもった。
その恩義があるからと現在は彼女の手駒として動いているが、現在の彼女の地位も把握し、あまり逆らわないようにと動いているように見える。そして何かを隠している事も何となく彼女は察していたが、あまり気にしないようにしていた。
踏みこめばバラしてくるかもしれないが、踏みこまなければ彼をまだ使い続けられる。一度失われた繋がりを保ち続けられる。だから彼女は彼を“飼い犬”と称して使い続ける。
「一体どこに行きやがったんだあの野郎……! どこで、死にかけて……いや、ここでアタシが動けばクソ野郎に知られるか。チッ、どうせアタシの動きを探り続けているんだろうからな……相変わらずいけ好かねェ……」
あの日から何かと自分の事も目に付けだしたクソ野郎こと――申子源次。一度失敗した十兵衛暗殺を止めた事で彼女、午卯六花の事を陰で監視しだしていた。今でこそ二人とも灯と共に家の代表として王の直属の部下として動いているが、九年前はまだ一介の兵でしかなかった。
どちらも経験を積み、功を積み、先代に指名されて現在の地位へと上り詰めた。源次としては地位を獲得して殺しの権限を更に得ようとし、十兵衛を殺害しようとしたのだろうが、それを止めるかのように六花もまた上り詰め、発言力を獲得して止めてみせた。
十兵衛が火山から出て六花の手駒として動いている事は源次も知っている。それでも手を出させないのは今もなお牽制が効いているからであり、十兵衛が何者かによって陰で殺されたとなれば、第一候補は源次だと目をつけている。
そういう背景があるからこそ、より一層十兵衛を暗殺する事は出来ないだろう。
しかし今、どういうわけか十兵衛は死にかけている。一体何があったのかと不安になるが、今ここで十兵衛を助けに向かえば、それに源氏が気づいて先回りし、確実に息の根を止めてくるだろう。それだけは六花は許さない。
彼女に出来るのは信じる事。それしかなかった。
「……チッ、なんだよてめぇら……今、アタシはすこぶる機嫌がわりィんだよォ……!」
お守りを懐に戻しながら六花はぎろりと殺気だった視線を向ける。その先にはジャギィとジャギィノスの群れがいた。その数は十を超えるか。ハンターにとってはそうでもないが、一般人にとっては驚異的な小型モンスター。
しかし六花はジャギィ達を睨み付け、更に殺気を高めていく。
「ギャアッ、ギャ、ギャギャ……?」
「アタシの前に現れるってんならよォ……全部ぶっ殺してやるぜおらァッ!」
外套をなびかせて六花は身構える。口元に粒子を集め、握りしめた右拳に吹きかければそこに強い火炎の力が宿りだす。「発現・牙炎!」と叫び、彼女の気に呼応して一気に燃え上がる。
更に続けて左手に青い粒子を吹きかけ、「発現・氷牙!」と叫べば凄まじい冷気が発生。両手を打ち合わせれば熱気と冷気という相反する力がぶつかり合って蒸気が立ち上る。
「死にてェ奴から前に出ろやァッ!」
「ギャルァッ!」
その挑発の叫びに反応したのか、ジャギィが二匹飛び出して六花へと襲い掛かっていく。それに六花は逃げず、素早く懐に潜り込んで顎へとアッパーを放つ。硬い鱗が打撃を受け止めるが、しかしジャギィはその一撃で大きく仰け反って怯んでしまった。
鍛えられた拳だけでなく、纏われた火炎と彼女の気による底上げがあってこその一撃。怯ませたジャギィとは別のジャギィが噛み付きにかかるが半身を引いて躱し、頭から左の拳で殴り飛ばす。
接触した衝撃で頭部が凍結し、体を捻りながらの手刀で首を刎ね飛ばす。そうして一匹始末してから一気に踏み込み、怯ませたジャギィの首を手刀で突き出す。指先から伸びた炎の刃によって喉から一気に焼き尽くし、首をまさに焼き切った。
「おらァ! 次はどいつだァ? 纏めて相手したってアタシはかまいやしねェんだぜ?」
仲間を殺された恨みか、六花の挑発に乗ってか、今度は三匹のジャギィノスらも動き出す。ジャギィよりも少しだけ大きい体格をしているジャギィノスだが六花にとってはそれくらいの事はどうでもいいようだ。
「ジャギィノス、か。ハッ! 体が大きかろうが、アタシにゃかんけぇねェってなァ! おらっ、これでもくらいやがれてんだァッ!」
轟々に燃え上がる右手の炎。迫ってきたジャギィノスらの動きを見切り、一頭の首を掴むとその炎が激しく燃え上がって膨張し、「だらっしゃああぁぁぁぁッ!!」と咆哮すれば彼女の叫びに呼応するように手のひらからその火炎が爆発する。
焼かれ、爆発したことでジャギィノスの首が吹き飛び、死体は回し蹴りによって他のジャギィノスへと飛んでいく。だがそれ以上に、鬼気迫る六花のその表情を前に、いよいよジャギィノスだけでなくジャギィ達も恐れをいだくようになってきた。
自分達が相手をしているのははたして人族なのだろうか。
アレは何だ?
まるで――鬼のようだ。
「おら、どうしたァ? こねェのか? だったら……失せろ!」
ぎらつく瞳に宿る純粋な殺気。彼女の怒りに反応して両手から属性の力が立ち上って彼女の周囲で渦を巻く。それによって生まれた風がツインテールにしているその黒髪をなびかせ、深い蒼の瞳は妙な光をたたえている。
小さい体がその殺気によって膨張し、大きく見えてくる程に思えてしまうだけの覇気。それを前にジャギィらは一歩、また一歩と後ろへと下がっていく。
それを見てあと一押しか、と六花は外套の裾へと手を伸ばし、中から一丁の銃を取り出した。ハンター達が使うようなライトボウガンだ。それにベルトリンクを繋ぎ、セットすると躊躇いもなく引き金を引いてジャギィ達へとぶっ放す。
「おらおらおらぁぁぁッ!! 消えるんだったらとっとと消えやがれってんだァァッ!」
展開される弾丸の嵐にたまらずジャギィ達は逃げ出した。それでもなお六花は撃ち続け、やがて完全に気配が遠ざかったところで引き金から指を離す。
一息ついて銃をしまい、六花は続いて札を取り出す。これは十兵衛とすぐに連絡が取れる通信用の札。使い魔の烏を使って位置を捜索しているが、それでは時間がかかる。
札を通じて呼びかければ生きているのかそうでないかはわかるかもしれない。
すぐに使うのではなく、一度周囲を探って他にモンスターがいないか、誰か人がいないかを確認して六花は札に魔力を注いで呼びかける。
「……おい、聞こえるか?」
反応はない。
いつもならばすぐに札を取って反応してくれるのに、彼は六花の呼びかけに反応してくれない。
「聞こえたら返事しろ。……おい、聞こえてんだろ? 冗談はよせよ……マジで、死んじゃいねェよなァ……?」
じくじくと胸が痛む。
ふざけるなと喚き散らしたくなる。
……目頭が熱くなってくる。
彼が聞き状態に陥っている事に腹を立てるだけでなく、こうして心をかき乱される自分が、少し嫌になってくる。
自分は彼が嫌いだ。
嫌いでなくちゃ、いけないんだ。そう自分に言い聞かせ続けなければやってられない。
だって自分は午卯の代表。彼と仲良くしているなんてことは許されないのだから。
「……っく、……ぅ、ざ、けんなよぉ……返事、してよ……ぉ……」
この自分がのし上がり、周りの一族の者らや他の者らを見返したかった。弱い自分がこうして上に立ち、自分を馬鹿にしてきた奴らに認めさせることが一番の目標だった。だがそれは同時に、世話になっていた彼を遠ざけなければならなかった。
途中からはその彼を守るためにも地位を得なければならなくなったが、それは果たされた。引き換えとして彼は俗世から消え、位置を特定されないまま時が流れてしまった。
そんな彼を、嫌い続ける。
繋がりが断たれたまま嫌い続ける。そうして、彼を守り続ける。
なんと矛盾した事か。でもそれが六花なりの――恩返しだった。
「……にき、生きてよ……死んじゃ、やだよぉ……」
ついに感情が抑えきれず、か細い声となって漏れて出てしまった。
そんな彼女の声を聞いてくれる人は……最後まで応えてくれなかった。
○
「早いもんだな。もう上位ハンターか」
「ホントにね。でも、流石私達の息子、といった風かしら。ここまで育てた甲斐はあったというものよ」
「はっはっは、違いねえ!」
息子が上位ハンターになった。しかも十五歳という若さで。
それを喜ぶ息子の両親。誇らしいだろう、笑いながら酒を呑み進めている。それを少し照れた様子を見せる息子。
父親は筋肉質のがたいのいいおじさん、といった風貌をしており、短く刈り揃えられた白髪をしている。これは歳を重ねた影響ではなく、地毛だ。そして耳は独特の尖ったものをしている。
母親は小柄ながらも女性としての魅力を兼ね備えた黒髪の美人さんだ。小柄で若々しいため息子の姉のようにも見えてしまう程のものであり、本人の性格からして母親という感じはしない。
二人とも腕利きのハンターであり、息子を幼い頃からハンターとしての技術や実力を仕込み、磨き上げてきた。その結果、十五歳という若さで上位ハンターに上り詰めてしまったのだ。
「よく頑張ったね、十兵衛。今日はその祝いよ」
「うっす。いただきます」
「おう、たんと食え。遠慮はいらねえ。足りなければ母さんがまた追加で作ってくれるんだからな! でも、しっかりと味わうんだぞ? これが……最後の晩餐なんだからよ」
「……うっす。わかってるよ」
いつもは並ばない豪勢なご馳走。息子の祝いというだけでこれが並んでいるわけではない。三人揃っての夕食は今日で終わりなのだから、これだけ揃っているのだ。
それが家の習わしとして幼い頃から話して聞かせている。
上位ハンターとなれば家を出て一人で旅をしろ。そうして世界を周り、見聞を広め、そして知れ。世界は広く、ハンターもまた数多くいるという事を。
萩原家の習わしに従い、十兵衛もまた旅を始める事となった。種族的にも珍しいだろうが、萩原家はその種族を秘匿する術もある程度持っているので問題はなかった。十兵衛もそれを会得しているが、しかしこの家に関してはあまり通用しないかもしれない。
「……わかっているだろうけど、十兵衛、ヤマト国……西京に入ったら気をつけるのよ?」
「わかってるよ。あまり近づかないようにはするけど、いずれあっちの方にも足を運ぶかもしれない。そうなったらあの家には近づかないよ」
「ごめんね」
「いいよ。母さんと父さんが気にするようなことはない。家の事は関係なく、出会ってそういう関係になって、おいらが生まれてしまった。人としての感情に従ったんなら、責めるような事なんて何もないよ。でなけりゃ、おいらは生まれてないんだから」
「……へっ、なぁに達観したようなこと言ってんだこのバカ息子はよぉ。まだまだ十五のガキのくせして、この……っ!」
「ちょ、やめ……ごめんって、父さん……!」
気恥ずかしくなったのか、父親が十兵衛のその灰色が混ざる黒髪を撫でまわしてくる。確かに両親からすれば十兵衛は小さな子供でしかない。どちらも百歳を超える年齢をしている。その上で一人息子なのだから、どちらの種族も子供が生まれにくいという事が窺える。
十分に弄った事で満足したのか、父親は「……ま、気をつけるんだぜ。あちらさんの家の事情は多少は知ってるが、距離が離れてるから風の噂でしか状況は知らねえ」と腕を組みながら言う。
「今の代表が誰かは知らん。
「いや、それは先代。弥七の次である今は
「お? いつの間に聞いたんだ?」
「昨日聞いてきた。……いやぁ、あいつが代表になる時が来るなんて驚きよ」
からからと笑いながら母親はぐいっと酒を傾ける。その目はどこか懐かしんでいるかのような色合いが見えている気がした。ヤマト国を離れて数十年。一度も帰らないのはこうして父親と結婚し、十兵衛を産んだからだ。
家にとってそれは許しがたい事。恐らく自分の事は除名されているんだろう、と母親は気にした様子もなく笑っていたことがある。
一体どんな家だったんだろう、と気になった事はあるが、十兵衛はこの時はまだヤマト国に足を踏み入れる気はなかった。
一人旅を始めて十五年近く。十兵衛が三十歳になる頃、彼はヤマト国の首都である西京へと足を踏み入れた。流石は首都というだけあって街の規模は大きく、竜対策として街を高い城壁で囲んで守りを固めている。
そして街の造りは碁盤の目のようにきちんと整えられており、上から見れば城壁は円ではなく四角形となっており、道も縦横にまっすぐ伸びるように整えられていた。
中央には城が構えられ、あそこにヤマト国王が住まい、行政を仕切っている。
……そしてここは、母親の故郷でもある。もし彼女が西京から離れなければ今頃はあの城に勤めていたんだろう。そんな事を考えながら十兵衛は街を歩いていく。
そうして歩いた先で気になるものを見つけてしまった。
「……ん?」
見れば小さな子供三人程が路地裏で一人の女の子をいじめている光景だった。やんちゃ坊主が取り囲んでいじめる、というのはどこにでもあるような事だろうが、その相手がまさか小さな女の子というのは驚きだ。
直接的に殴ったりはしていないようだが、しかしやんちゃ坊主たちは口々に女の子を罵倒しているらしい。
曰く、「弱い」とか「出来損ない」とか、はては「ちいせぇガキ」だとか……いや、小さいのはお前達だってそうだろう、と言いたいところだが十兵衛もまた年齢に反して小さい。この歳にもなってまだ身長が150届かないってどうなんだろう。
母親曰く血筋の影響との事だが、種族的にも結構成長期が終わりかけているところでこれはないだろう、と血筋を恨みたい気持ちもあったりする。
……まあ、自分の事は置いとくとしてあれを見てしまったからには見過ごせない。
気づけば十兵衛は路地裏に入り、「なにしてるんスか?」と声を掛けてしまっていた。
「ああ? なんだよてめぇ?」
「通りすがりの旅人だよ。んで、よってたかって小さな女の子をいじめて、見てらんないよ」
「……ち、小さくねえよ!」
「…………」
いや、やんちゃ坊主を止めに来たのに、どうして助ける相手に怒られてるんだ? と苦笑を浮かべそうになった。しかしそれで終わるわけにはいかない。十兵衛はもう一歩踏み込み、「さ、やめなよ」と女の子の所まで向かおうとしたが、「邪魔すんなよ!」とやんちゃ坊主の一人が殴りかかってきた。
まさかそんな抵抗をするとは思わず、十兵衛は咄嗟にそれを受け止めつつ体をひっくり返し、しかし衝撃を殺しながら地面に倒してしまう。
殴ってきたその子は一体何が起きているのかわからず、しばらく呆然としていたが、ようやく自分は投げられたのだと気づいた。
「突然なにかな?」
「て、てめぇ……俺達が誰かわかってんのか!?」
「いや、知らないよ。ただ男が女をいじめるってのは見てらんないだけさ。君達が誰かなんて関係ない、おいらはおいらが見過ごせないものを止めに来ただけ。……まだやるって言うんなら、ちょっとしたおしおきが必要かな?」
女の子の前に立ちながら十兵衛はじっとやんちゃ坊主らを見下ろした。その黒い瞳にじっと見つめられて竦んでしまい、やんちゃ坊主は舌打ちして「覚えてろよ!」と吐き捨てて逃げていく。
なんともベタな捨て台詞だな、と思いながら十兵衛は振り返り、女の子を見下ろした。
小さい子供だ。俯いて着物を握りしめているところからみて悔しがっているのか、涙をこらえているのか。その綺麗に整えられている黒髪はツインテールにしておりどこか可愛らしく見える。
「大丈夫かい?」
と、声を掛けながら屈みこむと、「うっせえよ、ばぁかっ!」と何故か怒られながら頬を殴られる。あまり痛くはないが、突然の事に十兵衛はぽかんとする。そうして顔を見れば、彼女は泣きながら十兵衛を睨み付けていた。
「……な、なに? 泣いてる、んスか?」
「泣いてねぇよ! ……あたしは……別に、悔しくなんか……ねえよ……!」
「…………なんか、訳ありッスかね? ほら、これ使うッスよ」
「うっせぇよ! 何だよその口調、あたしを舐めてんのかぁ、ぐしっ……」
「……おう……ちょっと和ませようかな、って思った口調まで否定されるとか……」
なんというか、調子がくるってしまう。
だがこの口調がお気に召さないなら、元に戻してみようかと思いながら、取り出した布で涙を拭ってやる。そしてこのまま路地裏にいるのもあれなので、道に出て露店に向かう事にした。
お茶とお茶菓子を奢り、気分を落ち着かせてやり、どうしてあんなことになったのかを訊いてみる。
そうして返ってきた答えはこうだった。
曰く、自分は一族らの中でもあまり実力が伸びない子供だと言われ、同じ年頃の奴らにバカにされているのだと。自分なりに努力はしたが結果はあまり出ず、時折ああしていじめられているんだと。そう言う話だった。
「……一族? もしかして、いいところの娘さんだったり?」
「あ? ……あぁ、まだ名乗ってなかったっけ。……あたしは午卯六花。不本意ながら……現在の代表の娘だよ」
「…………っ」
その名前に、十兵衛は息を呑んだ。そして現在の代表の娘という肩書にも呆然とする。現在の代表はあの時と変わらず、四葉だったはず。という事は彼女は……。
なんという数奇なる巡り会わせか。
しばらく無言になって六花を見下ろしてしまう。突然黙りこくられ、「な、なんだよ……そんなに見んじゃねえよ……」と六花が戸惑いを浮かべる。
「あ、いや、ごめん」
「……午卯という名前に退いたのか?」
「……そういうわけじゃないよ。ちょっと、驚いただけさ」
「あ、そう。……っていうかさ、あたしが名乗ったんだから、お前も名乗れよ。それが礼儀だろ?」
「ああ、そうだね。……おいらは…………萩原、十兵衛」
その時はその名前が意味する事を彼女はまだ、知らなかった。
○
「……っ、く……」
呻き声を漏らしながら、ゆっくりと目を開けていく。霞がかった視界の奥はよく見えないが、何度か目を瞬かせると何とか景色が見えてくるようになってきた。
そうして見えたのは、岩の天井。
そして自分は……葉っぱが敷かれた上に寝かされているようだった。
「……ここ、は……」
呟きながら辺りを見回してみる。気のせいか視界が広く感じられ、それが意味する事に気づくまで数秒かかり、はっとして勢いよく起き上がる。が、途端に体にはしった痛みに呻いてしまった。
それを押さえながらも、もう片方の手で顔に手をやる。
ない。
あるべきものが、ない。
「ど、どこに……!?」
慌てて辺りを見回してみると、離れた所に自分が着ていた服とローブ、そして骸があった。それに手を伸ばそうとしたところで、
「――気づきはりましたん?」
という声がかかる。
息を呑んでそちらに視線を向けると、日が差し込む方から歩いてくる人影があった。
桐生雪菜だ。
その手には木の実や果物などが集められている。足取り軽く彼、十兵衛の方へと近づき、しかしたき火を挟んで向こう側へと座り込む。そうしているのを見ていた十兵衛はようやく状況を把握した。
体を見下ろせば手当てしている痕があり、包帯が巻かれているようだった。痛みはあるが大怪我をしている様子はない。手当ても問題ないように見受けられる。
「……助けて、くれたんスか?」
「いや、それは逆や。助けられたんはウチや。萩原はんがしっかりとウチを抱きしめとったから、ウチはこうしてあまり傷を負わずに済んだ。感謝します、萩原はん」
そう言って頭を下げる雪菜。よく見れば彼女の目には黒い布が巻かれているではないか。まるで目を隠すように巻かれているが、元より彼女は視力がない。今まで巻いていなかったのに、どうしてわざわざ布を巻いているのだろう。
いや、よく感じ取ってみるとあの布はちょっとした術式が施されている。様々な術式を巧みに隠した……呪符みたいなものか。治癒の気配がするから、あの黒い布で治癒力を高めているのかもしれない。
「傷の具合はどない? なんか違和感あらへん?」
そう訊ねながら雪菜は用意した皿に木の実などを盛り付けている。それを見ながら十兵衛はもう一度体の調子を確かめる。問題は、ない。少し痛むし、頭も妙に痛むがそれ以外の怪我はない。
「特にないッスよ」
「それは何より。なんかあったら遠慮なく言いや。……今やウチは運命共同体やからな」
「……そう、ッスか。ここはどこかは?」
「わからん。どっかの島やってことはわかっとるんやけど、どこらへんにあるのかは知らへん。結構流されてきたんやろうな。ついでにゆうたら、他の人らの事もわからへん」
そう言って皿を差し出してくる。礼を言いながら十兵衛は心の中で舌打ちする。
つまり自分は目の前にいる彼女と一緒に流され、しかし他のメンバーの行方は不明。更に自分達の居所も不明。生き延びるには彼女と共に行わなければならないというわけだ。
モドリ玉?
そんな都合のいいものを使う手もあるが、インプットしているデータはないし、例えあったとしても他のメンバーを置いてのこのこと帰るなんて出来るはずもない。
空間転移?
高等魔法を使えるような腕は持ち合わせちゃいない。
飛行?
それは瑠璃達の芸当だ。例え持ち合わせていたとしても、どこに向かって飛べばいいのかすらわからない。
(なんてこった。めんどうなことになったな……)
頭を抱えながら十兵衛は小さく溜息をついた。
そういえば寝ている間、懐かしい夢を見ていたな、と思い出す。まさか遠い昔の事を思い返すなんて、よほど死を覚悟したんだろうかと振り返ってみる。だがすぐにはっとした顔でローブへと振り返る。
ついでに骸にも手を伸ばしたが、それに雪菜は気づき「……ん? それ、また被るん?」と訊いてくる。
「今はウチしかおらへんし、そんな気にするような事あらへんと思うけど」
「……もう習慣になってるッスから」
「ああ、そう……」
今の十兵衛は顔の大火傷を晒している状態だ。伸びた灰と黒の髪が火傷の一部を隠しているが、それでも全てを隠すには至らない程の醜い傷。だが雪菜はそれが見えていないので、確かに彼女の言う通り気にするようなことはないだろうが、でも十兵衛はそれを晒すという事を忌避している。
ぱんぱん、と軽く土埃を払い、それを被ってまたいつもの十兵衛がそこに帰ってくる。
続けてローブに手を伸ばして中身を探ってみる。そうして気づいた。一つの札が僅かに力を放っていたことを。
それに気づいた十兵衛は息を呑んで雪菜へと振り返る。
「……? どないしたん?」
「え、いや……なんでも……」
気づいている?
桐生家は魔法使いの家系。だからローブの中とはいえ、彼女ほどの感知能力者ならば僅かでも力を感じ取ればそちらへと意識を向けるだろう。これがいつ力を発揮し、その効果を伝えてきたのかはわからない。なにせその間ずっと自分は意識を失っていたのだから。
もしあの子が……いや、それはないだろうが、何かを伝えようとしてこれを使ったのだとすれば。その時、雪菜がここにいたのだとすれば、彼女は気づくだろう。
何も言わないのは知らないのか、あえて黙っているのか。
警戒しながら十兵衛はローブと服を引き寄せて元いた場所へと戻る。そしてじっと皿に盛りつけられている食べ物を見つめ、ちらりと雪菜を見る。彼女は変わらぬ調子で食べ進めている。
少し考えて十兵衛も「いただきます……」と手を合わせて食べる事にした。
そうしたところで、不意に雪菜が「……ああ、そういえば」と声を漏らした。それに反応して十兵衛が視線を上げて雪菜を見る。
「寝ている間、なんかうなされとったよ?」
「え? あ、そう……ッスか?」
「ん。なんか……熱い、とか、そんなことをゆうとったなぁ。まだ、引きずっとるん?」
「熱い?」
……もしかして過去の事だけでなくあの日の事も思い返していたのだろうか? 自分が覚えていないだけでその可能性もあるかもしれない。とりあえず今はそれに合わせておくか、と十兵衛は小さく頷く事にした。
「自分としては吹っ切れてるつもりなんスが、もしかするとどこかで引きずってるのかもしれないッスね……」
「そう簡単に心の傷は癒されへんからなぁ。命の危機で呼び起されたんやろうな……。少し傍におって様子を見とったけど、結構長かったで」
「……すみません」
「ええんよ、気にせんでも。それに、ウチが手を握るだけでは止まらんかったのに、あの子の声を聞いた時、それが止まったからなぁ。よほど強い絆が結ばれとるんやろうなぁ」
「…………」
その言葉に十兵衛の手が止まる。
今、この人は何と言った?
「……どういう、ことッスか?」
「ん? なにが?」
「今、なんと言ったッスか?」
「ウチが手を握るってゆうの? ああ、ダメやった?」
「その次ッ!」
思わず叫んでしまった。それに雪菜は――小さく微笑を浮かべたような気がした。
「……あの子の声ってゆうの? これが、なにか?」
「どういう、事だ? あの子の声って……まさか、やっぱり」
「……ああ、ローブの中にあった札? それを通じて声、届けられとったよ。萩原はんを心配するような、そんな声や。可愛らしい妹さんやないか。……いや、ちゃうな」
そうして彼女は、見えない瞳を黒い布越しに十兵衛へと向ける。息を呑み、冷や汗を流し出す十兵衛をしっかりと見据えながら、確信めいた声で言う。
「――従妹、やろ? 午卯、十兵衛はん?」
その言葉は、十兵衛が隠し続けた繋がりを知られてしまった証となった。
ヤマト国から飛び出し、父親と結婚した母親。旧姓、午卯二葉。かの午卯家の生まれでありながらハンターとしてヤマト国を離れていった彼女。つまり十兵衛は、午卯家の血統であるという事だ。
まさかそれを知られた相手が彼女になるとは思わなかった。いや、それを警戒し続けていたが、よもや意識を失っている間に知られてしまうとは、一生の不覚。
だが、暴露されたならば、こちらとしても暴露せざるを得ないだろう。ぎりっ、と強く歯噛みし、殺気めいた瞳を雪菜へと向けながら十兵衛は口を開く。
「……知られたなら仕方ないッスね……。じゃあ、あんたも暴露されても、問題ないんだろう?」
「……へえ? なんか、気づいた事でも?」
「というより、以前から疑ってかかっていたんだけどね? 盲目の剣士にして術者なんて、そうそういるもんじゃない。それにヤマト国出身って言ってたじゃないか。嘘かと疑えたけど、あれは真実なのだとすれば、自然と思い至れるよ――桐生雪菜さん?」
「……くす」
だが本名を知られたからと言って雪菜は動じる事はない。それくらい、覚悟の上だったようだ。というより十兵衛の言う通り、少し考えればわかる偽名だ。それだけ盲目という鍵は大きい。
故に姿を変え、名を変えたとしても彼女はいつか知られる情報である事を知っての上で行動していた。
「で、ウチがその桐生雪菜だったとしてどないするん? 桐生家の娘がハンターをやっとる、なんてこと、別に問題あらへんやん?」
「そうッスね。竜と戦う力を磨く。でも桐生家の娘であるという事は大きいから、余計な混乱を産まないように偽名として登録する。別におかしくはないッスね。……おかしいのは、共に行動しているあの人ッスよ」
「……んん?」
「なんで、彼女と行動しているんスか? ヤマト国の大罪人でしょう? 彼女――衛宮天羽さんは」
「…………」
今度は雪菜が沈黙する番だった。微笑を浮かべていたのに、完全に無表情になる程にまで表情が消えている。そのまま沈黙していること数秒、ようやく雪菜は口を開く。
「どうして、それに思い至れるん?」
「おいらとて驚きッスよ。よもやあそこで、失われた妖刀である天羽々斬を見る事になるなんてね。……彼女、ナバルに振っていたでしょう? ヤマト国の事を知るために見たことあるんスよね、天羽々斬」
「本で、やろ? 実物を見た事あらへんのに、それだけであれがそうであるかなんて、わからへんやん?」
「いやいや、絵と妖刀としての特徴を把握していたら、何となくであったとしてもわかるもんスよ? 龍殺しにして眠れる妖刀。ついでに言えば、力を秘めた武器っていう特徴は衛宮家に一度出入りしているし、知り合いがずっと持っていたから覚えてしまったッスよ」
「衛宮家に入った事があるやて……? ……よう入れたな、あそこに」
「まあ、それもあの子の無鉄砲さってやつッスが、それは置いておくとして。それらの情報と、彼女の内面的な気質を探れば、思い至れるもんスよ。あれほどの気質、そうそう持てるようなもんじゃない。最後にヤマト国の大事件の事を繋げれば、もしかしたら彼女がそうではないか、と推測できるッスが……その様子だと、真実らしいッスね?」
首を傾げながら問いかければまた雪菜は沈黙する。
衛宮家の方針に逆らい、衛宮兼定から逃亡し、衛宮家に収められていた一振りの刀を持ち出した人物。かの大事件を引き起こした衛宮天羽の行方は今も不明であり、持ち出された刀、伝説の妖刀である天羽々斬もまた行方知らず。
遥かなる昔、冥蛇龍を斬り殺した事で名が知られ、しかしそれを境に高い龍殺しの力は眠りについてしまい、衛宮家で眠り続けていたその刀をどうして持ち出したのか。
それすらも不明だが衛宮天羽を見つけ出せば抹殺し、天羽々斬を回収せよとの知らせがヤマト国に広まっている。同じヤマト国の出身である桐生雪菜がそれを知らないはずはない。だというのに、どうして彼女と共に行動しているのか。
その理由は今の十兵衛にとって一つの推測を導き出す。
すなわち、彼女達が世間を騒がせる辻斬りであるという推測だ。
それが事実なのだとすれば、とんでもない事件だろう。
となれば知られた事で自分は殺される可能性が高い。そう警戒していたところで――
「――っ!」
「……ッ!?」
――その一瞬の内に雪菜は置いてあったローブに手を伸ばし、中から番傘を取り出す。その動きを察知した瞬間、十兵衛もまた痛む体を無理やり動かして膝立ちとなり、両手に気を纏わせて身構える。
迫ってきた雪菜へと手刀を突き出し、彼女もまた番傘に手を添えてそれを抜いた。
『…………』
交差する視線。
十兵衛の手刀は雪菜の心臓へ。
雪菜が番傘から抜いた刀は十兵衛の首へ。
それぞれあと少し動かせば相手の命を奪えるところまで迫っている。どちらかが動けばそのあと少しをゼロへと縮め、相手を殺すだろう。だがそれは恐らく同士討ちとなる。せっかく拾った命を、お互い失う形となるだろう。
それを感じとりながらも、二人は退く事はない。退いてもまた相手に命を取られるだろうから。だから体は動かさず、口を動かす事にした。
「……ここは一旦、お互い命を預けあわへんか?」
「そうして、どうするんだい?」
「どちらにせよ、お互い知られたらあかん事を知ってしまったやんか。せやから、今は共闘しようやないか。お互いここから生き延びなあかん理由、あるやろう?」
頭によぎるのは瑠璃達、そして六花の事。彼女らのためにも生き延びなければならないのは確かだ。それを視線だけで返事をする。見えていないが、彼女はその視線を感じ取る事で返事を受け取った。
「今は殺さへん。全ての話は生き延びた後にしようやないか。仮に途中でお互いの仲間が見つかったとしても口は割らへん。それは約束しようや」
「そう、だね。約束しよう」
「ん、ウチも約束しよ。……それを違えることがあったら、殺してくれてもかまへんで?」
「……そうか。じゃあ、増々喋るわけにはいかないッスね」
言葉の裏には、もし喋ったら仲間もろとも殺す、と言っているようなものだ。それを感じとり、十兵衛は頷いた。そうしてお互い手を引き、十兵衛が立ち上がると雪菜は手を差し出してくる。
それを握りしめ、ここに共闘関係が成り立った。
「よろしゅうな?」
「……うっす」
よもやこんな事になろうとは。こうなるんだったら助けるんじゃなかったか、と思ったが、しかしあの状況の中で見捨てるのも十兵衛の性分が許さなかっただろう。
あの時何も知らずに六花を助けたように、雪菜の事も警戒していても死に逝くのを見過ごせなかったのも確かだった。
この先の事、頭が痛くなりそうだと思いながら、十兵衛は重い溜息をつかずにはいられなかった。