集いし者たちと白き龍   作:流星彗

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77話

 

 

 大砂漠を移動し、岩陰に隠れながらクロムたちはじっと前方を見つめていた。

 彼らはロックラックで七禍から仕入れた情報をもとに、UNKNOWNを探していたのだが、前方には別の存在がいた。

 月の光に照らされたその姿はティガレックスであることには間違いないが、それにしては大きすぎる。俗にいう金冠サイズなのだろうが、実際に目にするのは初めてだ。だからクロム……特にアルテミスには「大きすぎる!?」という印象が強く刷り込まれた。

 そしてあのティガレックス、どうやら負傷しているらしく体のあちこちに生傷が多く見られた。何かと戦い、休息をとっているところなのだろう。

 ここにいるのはクロム、桔梗、アルテミス、サンの四人。

 今のティガレックスは隙をさらしている状態だ。狩りに行くならば好機であることには間違いないが、しかしこのメンバーで勝てるのか? という疑問がついてくる。

 クロムの実力は四人の中では最高だろう。アルテミスも元々鍛えられたことと、秘めた才能を目覚めさせたこと。それに加えてギルドナイトに所属して、更なる経験を積んだことで近年は伸びしろがある。

 桔梗もクロムについてまわって実力を衰えさせていないし、サンもまた同様だ。ギルドナイトとしての業務で実力は嫌でもつく。

 だがそれであのティガレックスに勝てるか? というとそうでもない。

 元よりティガレックスは飛竜種の中でも上位に位置する実力を持ち、同様に危険度も高い。特殊なブレスを持たない代わりに、高い身体能力と機動力を生かした立ち回りから生まれる殺傷力で戦う存在だ。

 通常の飛竜種と違い、四肢で走り抜けることによって追尾性の高い突進が可能になり、方向転換も二足で走る竜らと違って素早く行える。

 迅竜ナルガクルガよりは遅いが、しかし威力はティガレックスの方が段違いに高い。

 それだけでなく鋭い爪や牙、高い筋力から生まれた腕で放たれる土の塊。そして何より轟竜と呼ばれるほどにまで高まった咆哮の衝撃。

これらを駆使して戦うのがティガレックスだ。

 通常のティガレックス程度ならばこの四人でも問題なく戦い、討伐してしまえるだろう。しかしあれは通常よりもかなり巨大なティガレックスだ。

 となれば実力も通常以上と見積もっていいだろう。

 

(ランクをつけるとするならばG級か。しかもあの巨体だ。四人では少し厳しい。せめてライムや昴たちがいればなんとかなっただろうが……ん?)

 

 見守っていたクロムたちの視界に映るティガレックスは、低く唸りながら辺りを見回す。視線や気配に気づいたか? とクロムたちは息を呑んだ。

 しばらくティガレックスは辺りを警戒するようにあちこち見回っていたが、やがて四肢に力を入れると空へと飛び上がる。十分に高度を得ると南の方角へと飛び去って行った。

 

「行ったのか……本当にただ休憩していただけか。交戦にならないだけマシと喜ぼう。じゃああそこの岩山で夕食にしようぜ。気ぃ張りすぎてつかれたろ?」

「はい。アルテミス、大丈夫かしら?」

「うん、アルテは大丈夫だよ」

「アルテミスは成長しましたから。色々と」

 

 静かにサンがそう言った。どこか誇らしげに感じるのは気のせいじゃないかもしれない。

 アルテミスは釈放される前からずっとサンの部下として働いてきた。だから彼女の成長を一番に見ているのはサンといっても過言ではない。

 肩越しに振り返ってアルテミスの方を見たクロムもうんうんと頷いて「確かに成長したなあ。六年も経てばそりゃあ成長するだろうけど、しかし変わらない部分もあるもんだ」とどこか妹や娘を見つめる男の目をしている。

 

「クロムさん?」

「なんだい?」

「視線が一部に向かっている気がするのは気のせいでしょうか?」

「気のせいだな。俺はただアルテミスの成長に感動しているだけさ。深い意味はねえよ。はっはっは」

「??」

 

 話題となっているアルテミス自身は何について話しているのかは察していないようだが、サンや桔梗はどうやら察しているらしい。

 確かにアルテミスは成長した。

 六年前の最後の日の前に、子供であることを捨てて本来の成長をした場合の自分を取り戻し、それからは順調に成長していった。ということは当然実力だけでなく、体つきもより女性的になっていくのは自然の事。

 気づけばサン以上に女性らしく成長している。色んな意味で。

 だがその内面はまだ昔の名残……というよりもあまり変わってないように感じる。

 でもそれがアルテミスらしい、と思えばなんてことはない。外見はこの六年で変わっても、内面は成長を残しつつも変わらない。それがアルテミスだった。

 さて、数分かけて岩山へと移動したクロムたちは、携帯食を中心とした夕食をとる。

 この岩山はディアブロスなどの巨大なモンスターが通れる道と、人や小型モンスターといった小さいものしか通れない細く入り組んだ道がある。

 言うなればこの岩山は一種の峡谷のようなものだ。北へと進めば華国の国境付近にまで届く広さを誇る場所であり、東方のフィールドに指定されている砂原に近しい雰囲気をした地域も存在している。

 上を見上げてもまだ先がある高さを誇る岩山は月の光すら地上に届かせない。

 そのため辺りは闇に包まれている。松明やたき火をたかねば視界は確保できないが、しかし細道に入れば大型モンスターから身を隠すことは可能だ。

 気配さえ探れば何かが近づいてくることはわかるが、それは最低限にして今は休息をとる。

 しばらく食事をとりながら雑談していたが、話題は気づけば大砂漠の異変に移っていた。

 

「さっきのティガってやっぱり南でディアブロスと縄張り争いしていた個体なのでしょうか?」

「だろうな。傷の中に角で突かれたものがいくつかあった。情報通りってやつだな」

 

 なぜクロムたちがここにきているのかといえば、サンがギルドナイトとして大砂漠の現状を把握するためだ。それにクロムと桔梗がついてきた形となっている。

 少しでもこの広大な砂漠に巣食っている脅威を把握し、ロックラックへと持ち帰るためにも人手はほしい。だが本来それは東方のギルドナイトの役割だ。中央のギルドナイトであるサンがやることではない。

 ではなぜ彼女が調査に出てきたのかといえば、クロム側も実際に情報を把握しておきたいと考えたのだ。七禍からUNKNOWNの情報は入手したが、しかしそれ以外の情報は入手できなかった。

 大砂漠の南を騒がせるディアブロスとティガレックスの縄張り争い。

 夜の砂漠を巨大な影が移動していたという話。

 前者に関しては片割れが視認できたので間違いない。発せられる空気を感じられたのも大きいだろう。一番は奴のねぐらを見つけられれば良かったが、もしかするとねぐらを決めず休める時に休む性質かもしれない。

 

「休んだら南に行ってみるか。ディアも確認し、奴の縄張りの状況を把握すれば、いい情報になる。こっちの方は……」

 

 たき火の光によって照らされたメモ。それは後者の内容、すなわちジエン・モーラン亜種の可能性があるとされる巨大な影についてだ。

 これに関しては広大な砂漠を泳ぐように移動しているため位置は特定できない。古龍観測隊が気球を使い、上空から探してみてはいるがどういうわけか見つからない。

 そのため噂でしかないと思われているのだが、実際にそれらしきものを見たという話が入り込んでくるのだ。噂は噂なのか、それとも本当なのか。それを確かめる意味でも目撃しなければならない。

 食後の茶もいただき、「さて、そろそろ行く――」と声をかけたその時。

 強い殺気が岩山の向こうから流れ込んできたではないか。細い道をすり抜けてくるかのような冷たい風。それは自然なものではなく、間違いなく大型モンスターが持つ狩猟本能の殺気であった。

 次いで遠くからは鈍い足音が近づいてくる。それも真っ直ぐにクロムたちの方へと。

 

「なに、何かが……この気迫、普通じゃないよ」

「これほどの殺気、まさかUNKNOWNが……!?」

 

 アルテミスとサンが辺りを見回し、少し恐怖を感じながら言った。

 一番に頭に浮かぶのがサンの言う通りUNKNOWNだろう。この殺気は純粋な狩猟欲求から生まれる殺気だ。対象を食う、それしか考えていない。

 また聞こえてくるのは二つの足で生まれる足音。つまり四足で走るティガレックスではないということは明らかだ。これらに当てはまるのは大砂漠を騒がせる敵の中ではUNKNOWNしかいない。

 だからそう想像するのも無理はない。

 

「――――ォォォォオオオオオ!!」

 

 聞こえてきたのは何らかの声。それは岩山の壁に反射し、何度か増幅してクロムたちの耳に届いた。それは殺気と共に更に通路の向こうへと消えていく。

 竜の声であるのは間違いないが、聞き覚えのない声だ。

 だが殺気と声でわかる。

 あれは普通に相手してはならない敵なのだと。

 

「逃げるぜ、みんな。これはやばい」

「はい!」

 

 素早く荷物を片付け、クロムたちは松明を手に細い通路を走り抜ける。何度か角を曲がり、奥へ奥へと進んでいくが、背後から感じられる殺気は消えはしない。むしろ足音を伴ってずんずんと近づいてくるではないか。

 

「……クロムさん、少しよろしいでしょうか?」

「どうした、桔梗?」

「今私たちを追っている存在、もしかするとUNKNOWNではないのかもしれません」

 

 逃げながらの会話のため、クロムの視線は僅かに隣を走る桔梗に向けられるだけだった。しかし続けろ、という無言の言葉に桔梗は緊張したような表情を浮かばせながら唇を動かす。

 

「UNKNOWNは七禍さんとやらが見せてくれた絵によれば、リオレイアに近しい姿をしていました。となればリオレイアのように飛行しながら追いかけてくるでしょう。特にこの岩山地帯ならば、その方が私たちの姿を空から目視し、追撃が出来ます」

 

 大きな道はあるが、しかし道の両側には高く聳える岩肌が存在する。翼なきモンスターならば匂いを辿って走れる道をひたすら走り抜けるだけだろう。

 しかし翼があればわざわざ道を選ぶ地上よりも、空から追いかけた方が早い。リオレイアならば翼で飛行し、火球を落として空から一方的に攻撃できる。

 桔梗はそこに違和感を持ったようだ。

 

「走り続けているからといってUNKNOWNではないとはいいがたいです。あえて飛ばないとも考えられます。……ッ!?」

 

 背後で強い振動が聞こえてきた。岩肌に体をぶつけたかのような音だ。

 次いでがらがらと崩れたような音も聞こえてくる。

 

「――ォォォオオオオ!!」

 

 声は明らかに近くなってきている。

 恐怖が足音を立てて着実にそこまで来ているのだ。

 殺気も合わさって重苦しいプレッシャーがクロムたちへとのしかかっていく。それが逃げる足を重くしているかのような感覚。

 足場の悪さも相まって肉体的にも精神的にも、直接相対していないのにクロムたちは圧されている。

 しかし足を止めるわけにはいかない。

 細道を駆け抜け、何とかして岩壁を利用して奴から離れていかねばならない。

 が、現実はどうだ。

 次第に足音と声、壁が崩れる音が着実に近づいてくるではないか。

 そんな中で焦る頭の中でクロムは接近してくる敵の正体を考えた。もし追いつかれた際にも慌てずに対処できるようにするためだ。

 

(相変わらず二足で走る音だ。桔梗の言う通りUNKNOWNの確率はある。だが何度も壁にぶつかって崩していることから気性の荒さはあるだろうな。翼がある場合、何度も体をぶつけても走り続けられるか、と考えれば否だろう。翼を傷つけちゃあ飛べなくなっちまう。となれば飛竜のような姿じゃない。……が、ディアブロスならそうでもない。奴の体や翼の硬さならば数度のタックルでおじゃんにはならねえ。縄張りに入り込んだならここまで追いかけてくる理由にはなるだろうよ)

 

 だが、とクロムはそれも否定した。

 

(さっきのティガはディアブロスを敵と見定めている。近くに奴がさっきまでいたんだから、ディアブロスがいればそっちに向かうはずだ。だがそうしなかったならばディアブロスも除外される。となれば考えられるのは獣竜種。ボルボロスは違うだろう。奴がここまで気性を荒くする理由がない。水辺もないから縄張りとは考えづらいしな。となれば残された可能性は――)

 

 そこまで考えた時、いつの間にか四人が走っている道は壁の向こうが見えていた。

 どういう風に出来上がったのか、壁が抉られて所々向こうの太い道が見えているのだ。こちら側は細い道がまだまだ続いているのだが、壁に出来た穴の向こうが見える形になっているため、後ろから追いかけてきている存在が、いよいよ見えようとしている。

 

「グオオオオォォォォン!!」

 

 また壁を崩すようにタックルをし、ぶち抜いた壁の向こうから涎を垂らしながら奴は姿を現した。赤くぎらつく目がぐるぐると標的を探し、捉えた。

 遠く離れた場所で逃げていくクロムたちを。

 獲物がそこにいる。ならば逃がさないとばかりに奴、イビルジョーは怒号を上げて地を蹴った。力強く駆け出したせいで土煙と共に小さな欠片が舞い上がり、太い道と細い道を隔てる穴の開いた壁に何度かタックルをしかけながら追いかけてくる。

 

「ちぃ……! マジでイビルジョーかよッ!? みんな、とにかく逃げるぞ! 細道へと入れば奴の巨体じゃ追いつけないからな!」

「はい! アルテミス、大丈夫ですか?」

「う、うん……アルテはだいじょうぶだよ。心配しないで」

 

 桔梗がアルテミスに声をかけ、アルテミスは頷いて応える。「サンさんも大丈夫ですか?」と声をかけると、「問題ありません」と気丈な声が返ってきた。

 前を行くクロムが肩越しに背後を見て追ってきているイビルジョーを視認する。距離は離れているし、所々穴が開いているが岩の壁が道を分けている。ある程度は大丈夫だろうと思いたいが、奴がその気になればこの穴の開いた壁など崩してしまうだろう。

 その勢いのまま喰らいついてくるに違いない。

 希望としてはこの細道から岩山の中へと入りこめる脇道があればいいのだが、どういうわけかカーブはあっても脇道も分かれ道もない。太い道と並走するかのような一本道になっている。

 つまりこのまま走り抜けなければならないという訳だ。

 

「グルオオォォォォォォ!!」

 

 何度か道を隔てる壁にぶち当たり、崩しながら追ってくるのは相変わらず。奴の鈍い足音と崩れる音、そして声が相変わらずクロムたちへとプレッシャーをかける。

 カーブに差し掛かり、そこから数十メートルは穴のない普通の岩壁が続いていた。奴の姿はしばらくは見えなくなる。

 それは逆に言えば奴からもクロムたちが見えなくなるという事になる。

 見えなくなった獲物を求め、イビルジョーは先ほど以上にスピードを上げ、しかしカーブで勢いを殺しきれずに体全体で壁をぶち抜いていく。それによって退路は崩れたがれきによって塞がってしまった。

 がれきに足を取られそうになってイビルジョーは体勢を崩したようだが、しかしすぐに立て直して大きく口を開け、背後からクロムたちへと喰らいつかんと首を伸ばしながら、無理やりに壁を破壊しつつ前進。

 

「む、むちゃくちゃじゃねえかよ!!」

 

 細い道と太い道を隔てる壁は周りの壁に比べて薄い。しかしそれでも五十センチから一メートル未満の厚さがある。それをどんどんぶち抜き、カーブを曲がり切って太い道へと戻る。

 離された距離を詰めるようにまたスピードを上げ、頃合いを見てまた壁へとぶち当たる。

 

「きゃあっ!」

 

 それはサンの数メートル後ろ手の出来事だった。壁を壊しながら跳躍し、頭上から喰らいつくような挙動を見せたイビルジョー。降り注ぐ瓦礫と共に、ぱっくりと開かれた咢によってサンに影がかかるほどの大きさが迫ってきている。

 

「サンッ!」

 

 クロムがそれに気づき、何とか手を伸ばすと、サンもまた体勢を低くしながらも必死に手を伸ばしていた。二つの手がつながり、勢いよくクロムが引いてやることで、閉じられた口は空を食む。

 そのまま引っ張りながら背に乗せ、何とか少しだけスピードを落とすだけにとどまってまだ走り続けられた。イビルジョーも捉えられなかったからと言って止まるようなことはせず、怒号を上げながら地を蹴っていく。

 このまま逃走劇が続くかと思われたが、「見てください! 脇道です!」という桔梗の言葉に希望が見えた。すぐさま細道に次々と飛び込み、先に進んでいく。

 

「グルオオオォォォォン!!」

 

 イビルジョーもそれに続こうとしたが、当然ながら通れるはずもない。ドンッ! と巨体が壁にぶつかり、しかし一部が崩れるだけに終わる。それでも何度もイビルジョーは壁へとタックルを仕掛けるが、通れないものは通れない。

 せっかく見つけた獲物にみすみす逃げられ、悔しさを含んだ咆哮が岩山へと響き渡った。

 

 

 脇道の奥へと進み、イビルジョーが追ってこられない場所に来ただろうというところで彼らは休息をとることにした。元気ドリンコと呼ばれるスタミナ回復効果が期待される飲み物を飲み、からからになった喉を潤す。

 荒くなっている呼吸を落ち着かせ、先ほどのことについて思い返した。

 イビルジョー。

 恐暴竜と呼ばれる巨大な獣竜種であり、飢えをしのぐために各地を放浪しながら獲物を求める存在。

 討伐対象としては古龍に並ぶほどにまで危険な相手とされており、奴を討伐した者は畏敬の念を抱かれる。事実、奴の素材で作られた装備を纏うあの男は、そんな思いを抱かれている。といっても彼のテンションや雰囲気も含まれているかもしれないが。

 それはさておいて、この四人で戦うことは無謀かもしれない。クロムは頭の中でどう切り抜けるかを思案した。

 

(イビルジョー、桔梗の援護があってもまだやばいかもしれない。サンとアルテミスでは少々心もとないかもしれないが……いや、戦うという選択肢だけでなく逃げも考えなければ……)

 

 だがどう逃げる?

 この岩山地帯を抜ければ、広大な大砂漠。遮るものなどほとんどなく、昼夜の温度差も激しいこの場所で逃げ切れるものなのだろうか。

 

(足止め……そうだな、足止めとして戦い、二人を逃がす。こうすることで奴の存在をロックラックに伝えるしかねえ)

 

 伝えるメンバーは、と視線をサンとアルテミスへと向ける。

 クロムの中ではもうこの二人を逃がし、桔梗と共に足止めを務めると考えが纏まりかけていた。

 それを伝えようと口を開こうとしたとき、「――足止め、必要かな?」と落ち着いたような声が聞こえてきた。

 え? とクロムがその方へと目を向けると、じっとクロムを見つめてきているアルテミスがそこにいた。

 さっきまで静かに元気ドリンコと携帯食料をもそもそと食べていたはずの彼女は、ただじっとクロムへと視線を合わせていた。

 

「イビルジョーの事、考えてたよね?」

「ああ、そうだが」

「足止めと連絡、二つに分けるつもりでいるんだよね?」

「…………まあ、そうだな。で、それがどうした?」

「アルテ、戦おうか?」

「アルテミス?」

 

 桔梗が少し驚いたような声でアルテミスを見る。サンもまた多少驚きを見せていたが、しかし彼女は長い付き合いをしているせいか予想はしていたらしい。

 

「アルテなら、あれを止められるかもしれないよ?」

「どういうことだ?」

「アルテの力は妖狐が関わってるんだ。それはクロムさんも知ってるよね?」

 

 それにクロムが頷いた。

 アルテミスは銀狐と呼ばれる母親を持つ半妖の存在。六年前の一件で知らなかった事実が明らかになると同時に、少しずつ妖狐の力を制御し、己の物としてきた。

 今となってはその力を存分に振るうことが出来るようになっている。

 それを生かして戦う、と彼女は言っているようだ。

 

「足止めには十分に役立つ力だと、アルテは思うんだけどどうかな?」

「……だが、サンはどうする? 俺は二人を揃えて逃がすつもりだったが。ギルドナイトとしても、奴の存在は伝えるべき仕事でもあるだろ?」

「……大丈夫です。アルテミスのことは信用していますから。それに彼女はあの頃よりもさらに強くなりました。それにご存じでしょう? アルテミスはあの頃から既に私たちよりも強かったと」

「そりゃあまあ、そうだな」

 

 神倉朝陽らによって鍛えられたからか、あるいは元から戦いに関する才能があったのか。

 アルテミスは六年前から少女とは思えない実力を持っていた。それがこの六年でさらに成長している。それはクロムにも引けを取らぬものとなっているだろう。

 

「……いけるのか、アルテミス?」

「問題ないよ。アルテを、信じて」

 

 揺らぎのない真っ直ぐな眼差し。子供のようだったアルテミスしか知らないクロムにとっては、おそらく初めて見る彼女の目だ。

 あの頃の純粋な子供のようだった少女はもういない。

 ここにいるのは立派なハンターであり、ギルドナイトであった。ならば彼女の意思をくじくようなことはすまい。

 

「――わかった。アルテミス、一緒に戦おう」

「うん!」

「ということで、桔梗。お前はサンと一緒にロックラックへ連絡を頼む。お前らが離れる間の時間を稼いでやる」

「……わかりました。ご無事で」

 

 桔梗にも思うところがあるようで、少し言葉に詰まったようだったが、それでも共に戦うとまでは言わなかった。

 ベースキャンプに戻ればここまで来た時に利用したアプトルがいる。騎乗すれば一気にロックラックへと移動することが出来るだろう。

 だがただアプトルに乗りに行くだけでは、あのイビルジョーの気迫に臆してしまうだろう。訓練されているとはいえ、食物連鎖の関係上イビルジョーは最上位であり、本能に訴えかけるほどにまでの恐怖を振りまく存在だ。

 だからこそ足止めは必要なのだ。

 

「無理はしないように」

「わかってるよ。……大丈夫ですよ、サンさん。アルテは十分に戦えますから。あなたはご心配なく。ご自分の身を案じ、どうぞロックラックへと報告を。ね?」

 

 どこか不安げなサンに対し、アルテミスはギルドナイトらしい言葉と一礼で返した。

 ギルドナイトの立場としてはアルテミスはサンの部下だ。年下であるはずのアルテミスがどこか頼もしく見えるほどにまで成長した姿と、一種の覚悟を決めたその目にサンはもう何も言わない。ただ彼女の覚悟を信じるのみ。

 

「――――ォォォオオオオ!!」

 

 遠くからイビルジョーの咆哮が聞こえてくる。

 次いで何かにぶつかるような衝突音が岩肌に反響して聞こえてきた。

 クロムたちの匂いを辿りながら、岩肌に体をぶつけて破壊し、道を作ろうとしているのがうかがえる。

 奴の声が聞こえた方とは反対の方へと道を進み、桔梗とサンは松明を手に去っていった。

 入り組んだ細道ではあるが、外へと出るための道はあるだろう。二人が安全に逃げられるように、クロムとアルテミスの役割を果たすのみ。

 顔を見合わせ、頷き合って移動を開始する。

 そうしながら「アルテミス、どう戦う?」と問いかけた。

 

「とにかくイビルジョーの行動を縛ってみるよ。動きを止められれば、クロムさんが攻められるチャンスを得られるよね」

「そうだな。止めてくれるならありがたい。そうしてくれれば、こっちは神倉さんから受け継いだあれが活かせる」

 

 神倉月の遺言によって譲り受けた大剣、封龍剣【真滅一門】。祖龍の素材を使用していないために、完全に力を得ているわけではない。それでも紅龍の素材を使用しただけあって高い力を秘めた剣。

 それは龍殺しの剣としては十分な一品とされた伝説上の大剣。

 これさえあれば、強力な竜と対峙したとしても心強いどころではないだろうとされた物が、クロムの手にあるのだ。今振るわずしていつ振るうのか。

 

 

「オオオオオォォォォォ!!!」

 

 イビルジョーは何度も何度も壁にぶつかり、道を切り開かんとしている。

 この先に獲物がいるはずだ。その道を阻む自然の要塞をぶち壊し、今にでも喰らいつきたい衝動に侵されている。

 それに突き動かされながらイビルジョーはただひたすらにぶつかり、壁を破壊していく。するとひび割れた壁が少しずつ崩れ、歪な穴が露見し始める。そこまで行けばぶち抜ける。イビルジョーは大きく息を吸い込んで口内に強い龍エネルギーを集め始めた。

 十分に溜まったそれを壁に向かって撃ち出せば、抉るようにして一気に岩壁に穴を開けていった。激しい音が壁に反響していき、周囲に瓦礫がぱらぱらと舞い散る。

 黒と赤の禍々しいブレスは数メートルにわたって歪な穴の道を作り上げ、その先に隠れている道を露出させた。

 ぎろりと辺りを見回し、鼻を鳴らしながら一歩、また一歩と進んでいく。

 当の標的であるクロムとアルテミスはと言えば、確かにもうすぐ近くまで来ていた。息を殺し、イビルジョーに攻撃する機会を窺っていた。

 奴はまだクロムたちの位置には気づいていない。ただひたすら気配と匂いを探り、岩肌へと当り散らしている。

 

「さて、どうしたもんかね。動きを止めると言ったが、どうするんだ?」

「うん、アルテの術中におさめてみる」

 

 そう言ったアルテミスの髪がざわりとはためいた。

 大部分の金色、毛先の白。それらが静かに光をたたえてざわめき始めている。だがそれも数秒。光は消えていき、髪も落ち着きを取り戻す。

 そしてクロムは気づく。

 アルテミスの瞳が艶やかな赤に染まっていることに。

 

「今はあまりアルテの目を見ない方がいいですよ。取り込まれますから」

「……妖狐の幻術か。なるほど、それで止めるのか。だが、あれに効くのかね」

「こればかりはやってみないとわからないかも。心の隙が生まれれば、一気に取り込めるんだけどね」

「ま、そのための俺だな。なんとかやってみよう」

 

 とはいえ倒す必要はない。あの二人が逃げ切れるくらいの時間を稼ぎ、自分たちも離脱する。

 それが二人の戦いだ。

 もちろん倒せれば御の字だ。イビルジョーという危険生物はのさばらせておくとどんな被害が起きるかわかったものではない。

 特に今の大砂漠の状況において、イビルジョーという不確定要素が存在するだけでも後々どんな事件が起きるのか。

 だから倒しておきたいのは間違いないのだが、今の二人では無理だ。

 例え今、クロムが手にしている未完成の封龍剣【真滅一門】であったとしても。

 

「グルルル……!」

 

 数百メートル先の道で視線を巡らせているイビルジョー。

 息を潜めながらクロムは攻撃のチャンスを窺う。例え息を殺していても、匂いを嗅ぎ付けられれば位置が知られる。作戦は迅速に決めなければ後手に回る。

 

(……この地形を利用するか。となるとまずは……)

 

 ちらりと視線をイビルジョーの上にやる。

 狭い道、高い壁、出張った岩。

 長い年月で削られた山によって出来た道であるが故に、綺麗なところがあれば歪なところもある。特に今はイビルジョーが暴れているせいで、小さな瓦礫がぼろぼろと落ちていく。特に奴は壁を何度もタックルしているせいで振動は壁を伝っていく。

 それによって新たな軋みも生まれるだろう。

 小さな軋みに手を加えれば、何とかなるはずだ。あとはもう、ぶっつけ本番。大まかな道筋を見出し、流れに乗っていくしかない。

 

「アルテミス、何とか止めてみるからあとはよろしく」

「はい、お気をつけて」

 

 ぐっと封龍剣【真滅一門】を握りしめてクロムは飛び出していく。当然ながらイビルジョーはそれに気づき、向かってくるクロムを視界に収めた。

 ようやく獲物が現れ、しかも自分の方へと近づいてくる。

 歓喜か、あるいは自らを鼓舞するためか。イビルジョーはクロムへと咆哮した。

 だがクロムはそれに臆しない。握りしめている封龍剣【真滅一門】へと気を流し込み、ぐるんと勢いよく体を回転させながら振り上げた。するとそれに従って剣閃が空を走る。

 刃はイビルジョーではなく、頭上にある岩壁へと向かっていった。がりがりと壁を削り、それによって少しずつ瓦礫がぱらぱらと落ちていく。小さな破片が降り注ごうとも、イビルジョーは気にするそぶりなど微塵もない。

 そのままクロムへと迫り、その大きすぎる口を開いて喰らいついていく。斜め上から掬い上げるかのように喰らいつく動き。それを見切り、刀身の腹で一発逸れていく首へと討ちつける。続けて刃を引き、薙ぐようにして振りぬけば両足めがけて黒い龍の力を秘めた剣閃が走り抜けた。

 その一撃でふらり、と奴の体勢が崩れる。龍の力はイビルジョーにとっては弱点属性というわけではない。が、それでも武器自体の力が高いために、その一撃は通用している。

 ぎろりと自分を傷つけたクロムを睨むが、それに臆さず壁へと跳躍し、反転。自らイビルジョーの頭上へと跳ぶ。

 軽業師の如き素早い動きにイビルジョーの視線はクロムを探す。そうして思い通りに釣られているとも知らずに。

 完全に奴の意識はクロムに引き付けられている。アルテミスはこれを好機として気配を消しながらイビルジョーへと接近していった。

 ちらりとクロムが後ろへと目配せし、アルテミスの姿を捉え、続けて上にある壁の傷を確かめる。

 イビルジョーの背中へと着地し、暴れるイビルジョーに振り落とされないようにしながら封龍剣【真滅一門】を背中にかつぎ、一発、もう一発と背中を殴りつける。

 ただの人の拳などイビルジョーだけでなく、竜らにとっては何の痛みもないだろう。強固な鱗や甲殻が、逆に拳を傷つける。しかしクロムの場合、シュヴァルツの血族と己の肉体ポテンシャル、そして闘気の技術により、竜相手でも格闘術が通用する。

 殴りつけた際に衝撃が鱗を貫通して内部へと通り抜ける一撃。それによってイビルジョーが呻き、動きが一瞬止まる。

 今だ! とアルテミスが己の力を解放しながら一気にイビルジョーへと接近。

 

「幻想領域へと誘え」

 

 その目が血のように赤く光り、金色の髪がざわりと怪しくなびく。イビルジョーは迫ってくる新たな獲物へとつい視線を向けてしまい、怪しくも妖艶なその女の目を見てしまった。

 クロムはそれを見ない。見てはいけない。

 アルテミスの使う幻術のからくりは単純だ。

 行使している際に彼女を、特にその目を見てはいけない。

 準備する時間、そして魅入らせられるかという耐性に関わる条件が必要ではあるが、一度魅入らせれば幻の世界へと閉じ込められる。

 特に心の隙をさらせば気づかないままに幻術に嵌めることも可能だ。あの古龍、テオ・テスカトルとて逃れられなかったアルテミスの術。

 イビルジョーとて逃げられない。

 

「………………」

 

 動きが止まった。あれだけ暴れていたというのに、イビルジョーは驚くほどに大人しくなってしまった。

 穏やかな呼吸、動かぬ四肢。その暴虐と飢餓の権化は完全に攻撃意思をなくしていた。

 

「よし、それじゃダメ押しとして……」

 

 背中にいたクロムは上を見上げ、それの下の壁へと跳躍。闘気を込めた一撃を壁へと叩き込む。激しい音を立てて衝撃が壁に伝わり、それは全域へと広がって大きく揺さぶりをかける。

 先ほどつけた傷へと衝撃が伝わると、嫌な音を立てて亀裂が広がり、それは岩の重みが重なって一気にずれを生み出した。

 そうして発生した落石……いや、雪崩のごとき岩の群れは動かぬイビルジョーへと降り注ぎ、その巨体を覆い隠していった。強固な鱗に守られていても、もしかしたら圧死してしまいかねない程に降り注ぐ岩。

 悲鳴すらも聞こえず、ただそこにいた恐怖の権化は姿を消した。

 

「…………ふぅ。うまくいったな」

 

 しばらくじっとイビルジョーがいた場所を睨んでいたクロムだったが、動き出す気配がないことを察して緊張を解く。

 圧死してくれれば御の字。そうでなくとも逃げる時間は稼げた。

 この岩山という地理を利用した策は通用した。

 

「ありがとな。お前がいなかったらうまくいかなかったかもしれねえ」

「いえ。通じるかどうか不安だったけど、なんとかいってよかったです」

「さ、俺たちも逃げるぜ」

 

 ぽん、と労うように軽く頭を撫でてやり、クロムとアルテミスもその場から離れるために走り出す。最後にクロムがもう一度肩越しにイビルジョーの方を見やるが、やはり動く気配はない。

 だがその生命力は依然として健在だったのだ。

 奴はまだ死んではいない。押しつぶされはしたが、まだ生きているのだ。

 その点が気がかりだったが、今はただ逃げるのみ。生き延びることの方が先決なのだ。

 

 そうしてその姿が見えなくなって数分、現場はただ静寂に包まれていた。

 岩肌を吹き抜ける風の音だけが寂しげに響く中、ぴくりと何かが動き始める。

 

「グルルルル……!」

 

 まるで地獄から響いてくるかのような唸り声が岩の中から聞こえたかと思うと、勢いよくそれらが吹き飛ぶ。

 そうして姿を現したイビルジョーの姿は先ほどまでとは雰囲気ががらりと違っていた。

 口から漏れ出る黒い息吹が顔を覆い隠し、ぎらつく目は赤い残光を描く。岩に打ち付けられた身体は所々ひび割れ、血が流れているようだが、それ以上に筋肉が膨張して古傷が開いてしまっている。

 

「ヴォオオオオオォォォォォォン!!!」

 

 怒り故か、あるいは空腹故か。

 岩山の壁を反響してもなお響き渡る怒号。

 それは逃げているクロムたちにも聞こえる程に響き渡った。

 敵を食らう。

 獲物を食らう。

 その衝動に突き動かされるように、イビルジョーは逃げた二人の匂いを辿って疾走する。

 もはや、止まることなどありえない。

 かけられたはずの幻術など、もう意味はない。あの衝撃でそんなものなど解けてしまっていた。もうかからない。こうなったイビルジョーにそれは通用しない。

 そう思わせるだけの気迫が奴には存在していた。

 絶望の足音が、再び踏み鳴らされていく。

 

 


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