赤と黒に塗れたわたしには、居場所などないと思っていた。
どこで間違えてしまったのか、わたしにはわからなかった。
それでもわたしがここにいるのは、誰かのために生きることを知ったから。
彼が「逃げるな」と言ったから。
彼女が「幸せになれ」と言ったから。
だから、わたしは――。
「暗殺?」
「ああ、そうだ」
「見返りは」
「成功報酬は100億円だ」
「……ほぉ?」
かっちりと黒スーツに身を包む男と、神妙な面持ちで一枚の写真を眺める女。二人を挟むテーブルにはジュラルミンケースが鎮座していて、中には大量の札束――ではなく、ナイフと銃と小瓶が入っていた。およそ一般人には聞かせられないような物騒な会話も、この場でそれを指摘するような人間など存在しない。
これは"そういう世界"のお話――というわけでは決してない。
「で、そのネズミがコイツだと…? ネズミと言うよりタコだな」
「(鼠……?)そいつが月を破壊した犯人で、来年の3月には地球も爆破すると言っている」
「ふむ。1年以内に殺らなければ……即ちドカンというわけか」
ここは正真正銘わたしの(正確には兄さんの)家で、眼前にいるのは中学教師、わたしはただの中学生。
差し出された手配書(黄色いタコの写真付き)を眺めながら、国際指名手配とはこれまた大物だななどと的外れな感想を飲み込んだ。
「(防衛省、ってことは下手すればわたしのこともバレかねないな……。いや、あるいは既に……)」
突如わたしのもとにやってきた男はなんと防衛省の人間で、思わず冷や汗をかいたわたしは男の言葉に拍子抜けした。中学教師とは何の冗談だ。おまえのようなやつは見たことがないと言えば、E組の担任だとかで本校舎にいることはほとんどないという。そりゃあ見かけなくて当然か。
彼がわざわざわたしの自宅まで訪ねてきたのは、なにも挨拶をするためなどではなく。
「そこでE組に転級する君にも、奴の暗殺を依頼する」
そんな突拍子もない依頼のためだった。
****
「君のような優秀な人間を失うのは、こちらとしても非常に残念です」
真っさらな答案用紙が八枚、目の前でぴらぴらと舞って落ちた。嘘やごまかしを許さない威圧感たっぷりのその笑顔は、欠片ほども『残念』そうには見えなかった。
(よく言うよ、思ってもないくせに……)
はは、と乾いた笑みを浮かべて彼を見やれば、嘆息を漏らして机の引き出しを開ける。何か言いたげにも見えたけれど、結局追求されることはなかった。もちろん言い訳はゴマンと用意していたものの、徹底して合理主義な彼のことだ、理由なんてさして興味もないのだろう。
「言いたいことは分かりますね?」
「あー、お役御免ってことでしょーか」
「そういうことです。君は明日からE組行きだ」
わたしは――否、わたし達は彼の理想を作り上げるための駒にすぎないのだから。
「――というわけでわたしもE組になった。そして校内の全生徒と教師に出て行けと言わんばかりの視線を頂いたんで、お望み通りに帰ってやった。以上、報告終わり」
喫茶店『CHEVRE』にて遅めのランチタイム。
例の黒スーツが帰ってしまいいよいよすることがなくなったわたしは、いつものように快斗の経営する店に押しかけた。そんなわたしを出迎えたのは呆れ顔の快斗。またサボりかと苦笑する彼に、今日ばかりは正当なサボりだと言えばそんなもんねぇよとどつかれた。ひどい。高校時代サボり魔だったおまえには言われたくない。
店内のカウンターに座り、わたしはこの半日の出来事を懇切丁寧に説明してやった。もちろん、家に帰ったわたしを訪ねてきた防衛省の男と超生物の暗殺云々話は一切伏せたままだが。
「とんでもねえ学校だな」
「学校の質を下げるような奴は本校舎には要らんというのが方針だからな。用済みの雑魚は捨てられる。実に合理的だ」
「……オメーそれでいいのかよ」
呆れ顔の快斗が言う。別に死ぬわけじゃあるまいし、気にしたところで何も変わりはしない。そもそもクラスなんてどうでもいいし、もっと言えば学校なんてどうだっていいのだ。
いま、わたしが気にするべきは。
――『奴は各国の軍隊でも殺せない』
『今はE組の生徒全員で奴の暗殺を行っている』――
「んなこと言われてもな……」
烏間とかいう男の持ってきた厄介な依頼をどうするか、である。……そもそも、まずはあの話がどこまで本当なのかを確かめなければならない。それにもしもあの男や暗殺対象がわたしの過去まで知っているのだとすれば、それはかなりマズイのではないだろうか。――なんて、わたしが心配しても仕方がないことか。
「ま、頑張れよ。あいつに聞いた話じゃ、新しく来たっつーE組の担任、なんか良い感じらしいぜ」
「はぁ?」
月を爆破した国際指名手配(仮)だぞ。しかも見た目はアホ面の変体タコときた。いや、それよりおまえはいつの間に渚と会っているんだ。
「なあ快斗。"アレ"、貸してほしいんだけど」
「またかよ? 今度は何やらかす気だ?」
「いくら快斗でも教えられないな。ただ、わたしの仕事は、日本を守ることだから。それだけ覚えててくれたらいいよ」
さすがに、今回ばかりは地球の危機かもしれないとは言わないでおいた。
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本校舎から離れた山の上。ボロい旧校舎のボロい教室が、3年E組だった。わたしは明日から、ここに通わなければならないらしい。
世の中というものは、いつだって理不尽なのである。
「例えばテスト時間全部を爆睡した結果エンドクラスに落とされるとか」
『だからそれ自業自得だよ! なんでそんなことしちゃったの!?』
今回のテスト返却に伴いE組行きを宣告されたことを伝えるため渚に電話をかけながら、わたしは誰もいない旧校舎へと忍び込んだ。
「そんなの眠かったからに決まってるだろう? 寝たい時に寝て文句があるのか。誰にも迷惑はかけてないぞ」
『……うん。テスト中に寝たらダメだよね』
前日まで怒涛の一週間を過ごしていたわたしは、例の爆弾テロ集団を相手に立派に日本をまもっていたというのに。――とまあそう反論したところで一般人はそんな事実は知らないし、わたしが試験中に寝ていたという事実は覆らないのだ。わたしの功績は極一部の人間にしか伝えられない上、表面上良いことなんてひとつもない。ヒーローなんてそんなもんだと、そういえば『彼』が言っていた。
「それで、だな。ひとつ聞きたいんだが」
『どうしたの?』
「おまえ達が……暗殺をしているというのは本当か?」
腕時計のライトで足元を照らしながら、慎重に校舎内を調べていく。マイク付きのイヤホンで通話しているため両手は自由だ。古い木造校舎は欠陥だらけであと数年もすれば崩れてしまいそうなほど脆かった。セキュリティなんてあったもんじゃないし、これはちょっと爆薬でも仕掛ければ一発で終わるのではないだろうか。
『烏間先生に聞いたんだね? うん、本当だよ。みんな頑張ってるんだけど、なかなか成功しなくて』
随分あっさりと答えるな、寧ろどこか楽しそうな雰囲気さえある。
テキトーに相槌を打って渚の話を聞きながら、今度は教員室に侵入する。使われているデスクは3つ、ひとつは綺麗に整頓されているが、残りは物が乱雑に置かれていてとても机として機能しているようには見えなかった。
例の男――烏間は体育教師として教えていると言っていたな。それから暗殺対象のタコ型生物。どうやらここにはもう一人いるらしい。
(……グラビア雑誌、巨乳特集……)
引き出しの中は見なかったことにしよう。
『――僕が知ってるのはこれくらいかな。なんで殺せんせーが先生をやってるのかは、誰も知らないんだ』
「……そうか、まあいい。中々興味深い生き物らしいな。是非とも解体してみたいものだ』
『怖いこと言わないで!?』
殺せんせーなどと呼ばれているふざけた生物にも多少の興味はあるけれど、優先すべきは防衛省の動向を探ることであって、わたしの標的は烏間ただひとりだった。
(まあ、一介の工作員が知っているとも思えないが……)