どうやらあの教室では、タコだろうと軍人だろうと殺し屋だろうと教師が務まるらしい。まさかあのクソビッチが教師なんて、そんなバカな。
「わたしに生徒も務まるかな」
鏡には制服姿の自分が映っている。防衛省から支給されたゴムナイフを握ってみる。軽く振って足慣らしをした後、基本形の構えを取ると中々様になっていた。まだ腕は鈍っていないはずだ。
――ピコン
スマホのメッセージアプリがわたしを呼ぶ。ナイフを置いてスマホを手に取れば嬉しい知らせが届いていた。
兄さん【今から帰る。夕食はレストランを予約したから支度しておいて】
待ってるよとスタンプで返して、わたしは急いで制服を脱ぐ。クローゼットを開けると相変わらず黒い服ばかり並んでいて、この癖だけは治らないなと自嘲しながら一番お気に入りのワンピースを選んだ。
「いやぁ、とってもお似合いですねえ、黒」
「わたしには黒が似合うっていつも姉さんが……言って……は!?」
浮かれていて思わず返事してしまったもののここは正真正銘わたしの部屋で、何故個室で声がするのかと言えば変体タコが窓に張り付いているからである。顔色がピンクだ。物凄く緩んだ表情でデレっとしている。その視線は鏡に映るわたしに向けられていた。
「なんでテメェがいるんだこの変態!! いつからいた!?」
「あなたがナイフを振り始めた頃からですね」
「~~っ!」
流石に着替え中は見てないので安心してください、とにゅやにゅや笑っているタコ。
「殺す……。マジで殺すッ」
「ヒィッ!? すすす、スミマセン!!」
唸るような低い声で殺気を放つとよほど怖かったのか部屋になだれ込んでマッハで土下座してきた。げ、窓開けるんじゃなかった。
「おまえ、一応国家機密だよね。街中出歩いていいの? 出歩いてっていうか、おまえの場合文字通り飛び回ってるんだろうけど」
「ご安心を! ちゃんと変装してますので」
ビュンと一瞬いなくなったかと思えばこれまたおかしな格好で戻ってきたタコ。変装、のつもりなんだろうか。
「どこがだ」
****
「で? 何しに来たの」
とりあえずわたしの部屋から出ないように釘を差し、キッチンから紅茶を持ってきた。……一応、お客様だし。
「ありがとうございます。おや、お洒落なカップですね」
タコでも気にするんだ、そういうの。二本の触手で挟むようにカップを持つタコを観察していると湯気の立つ水面をフーフーし始めた。……おい、いつまでやっている。
「早く飲めよ!」
「だって熱いんですもん!」
「タコって猫舌!?」
「タコじゃありません! 殺せんせーです!!」
今度から冷たい物にしてあげよう……。
「おっと、忘れるところでした。実はですね、落とし物を届けに来たんです」
「…? わたし何も落としてないけど」
にゅうっと伸びてきた触手が何かを握っていた。そっとテーブルに置かれたそれは、昨夜旧校舎へ忍び込んだ時に仕掛けた盗聴器。
「!」
「君のですね? ちなみに残りは烏間先生に見つかり回収されてしまいました。恐らく彼はまだ、君が仕掛けたことに気付いていないでしょう」
「……なんでわたしだと分かったの」
「ニオイです。君のニオイが染み付いてましたので」
「犬かっ!」
ヌルフフフ、と意味不明な笑い方をするタコ……殺せんせーは、顔色を変えたかと思うとそこに×のマークを浮かべた。変な皮膚だな。……皮膚か?
「盗み聞きとは感心しませんねぇ」
仕掛けたのは教員室に3つと教室に2つ、それから念のため物置らしき場所や使われていなさそうな教室にも数個ずつ。素人でも見つけやすい場所にダミーを紛らせておき、本命はちゃんと見つからないように隠していたはずだった。受信機を確認すればそれらは見事に全て破壊されていた。
「全部バレてるとはね……おまえ何者?」
「言ったでしょう、私は君達の先生です」
いつもの黄色い笑顔(デフォルトがこれだから本人は笑っていないのかもしれない)に戻った殺せんせーは言う。この時点で明らかに普通ではないだろうわたしに驚くことも問い詰めることもせず、コイツは変わらず生徒と先生として話す。それは暗に知っているということなのだろうか。わたしの、過去を。
この馬鹿みたいに人間離れした、というか人間ですらない生物ならあり得る気がして恐ろしい。
「にゅや! もうこんな時間ですか!! 先生これから三村君の家で勉強を教える約束をしているんです!」
忘れるなかれ。何故か『先生』にこだわる先生は、来年地球を爆破する危険生物である。今日はこれで帰ります、と窓から出ていこうとする殺せんせーはふと動きを止めて振り向いた。
「降谷さん。あの教室には、君の敵などいませんよ」
「!」
「もちろん、烏間先生もイリーナ先生も、私も」
何度でも言おう。コイツは来年地球を破壊すると宣言した超生物。強いて言うならコレの存在が世界の敵である。
「安心して学校に来てください。では」
突風を巻き起こしながら騒々しく飛んでいった黄色い生物はすぐに見えなくなって、ガラスの向こう側にはただ静寂が漂うだけだった。
「……ちゃんと窓閉めてるし」
****
連れてこられたのはお洒落なイタリアン・フレンチのお店だった。さすが兄さん、わたしの好みがわかっている。個室を予約していたのはわたしが人目を気にするだろうと踏んでのことらしい。よく出来た兄である。
「修学旅行か」
「来週末、京都だって」
「それはいいな」
「全然嬉しくない」
京都なら
「前に話しただろ。源氏蛍の事件とか、百人一首のアレとか。……確かパトカーの上に人が降ってきたこともあったぞ」
「探偵って職業は呪われてるんじゃないか?」
「日本警察がポンコツなんだろ。だから面倒事が周ってくる。それを喜々として拾いに行くんだから自業自得だ死に急ぎ野郎共が」
そんな悪態をつきながらも、結局は彼らについていくわたしも相当な変わり者かもしれない。……だからといって事件が好きなわけではないのだが。探偵の謎と真実を追い求める精神と好奇心には心底迷惑しているのだ。
「じゃあ今度こそ観光して楽しんでおいで」
「……善処しよう」
今度は暗殺しなくちゃならないらしいが。そんなことは言えないので曖昧に返事をしてメニューを手に取った。さて、デザートは
「一華、まさかそれ全部食べる気じゃ……」
「そのまさかだけど。だってこんなに美味しそうなのに一つに決めるなんてもったいないだろー?」