変わっていく日々を君と   作:こーど

11 / 22
第七話 虎穴に入り辿る先 下

 

 

 

 

 

フェンスが呻くように悲鳴を上げた。

そんな気がした。

そう。

気がしただけ。

 

「違う、違うのっ!だからやめてっ!お願いっ!許し、助けてっ!」

 

微かな抵抗を押し殺して、徐々に前へと手を伸ばす。

夕日を隠す瞼で視界も、表情も影を濃くした私。

さっきまで聞こえていた風の音も、周りにいた二人の女の声も、そして、目の前にいる女の命乞いも。

ずっと遠くの出来事のようで、どこか私の知らない場所でのことのように、無意味で無関心に聞こえた。

 

―――このまま、落としてしまおう。

 

そんな狂気染みた考えが当然のように浮かんで、私の身体はそれを叶える為に握り締めた手を動かす。

そうだ、こいつをこのままにしておくわけにはいかない。

こいつを許して、助けてちゃいけない。

だって、こいつは。

彼を。

知る為でもなく、触れる為でもなく、共に有ろうとする為でもないのに。

私の大切な人を。

 

―――傷つけたのだから。

 

私は許さない、

世の中と人を諦めて、わかっているみたいな演技をして。

なのに本当はその反対で、世の中も人も全然諦めれてなんかいなくって。

他の人よりずっとずっと誰よりも強くて綺麗なモノを探している。

そんな彼を。

道具みたいに、手段みたいに。

自分の娯楽の為に、利益の為に、楽の為に。

玩具にして、餌にして、身代りにして。

何も言わず全部を背負い込む彼に擦り付ける奴らを。

許さない。

だから。

私はこいつを助けない。

彼が全てを背負い込もうとするなら、私がその全ての重荷を。

 

―――落とす。

 

無音の世界は不気味なくらいに穏やかだ。

薄く伸ばされた視界に映るぐちゃぐちゃで歪な女の顔も、赤い模様をした私の手も他人事のよう。

他人事。

まるで、作られた映像を見ているみたい。

そして、その映像はさっきから変わり映えしなくなった。

もう映像でもなくなって、これじゃあ画像だ。

そんな同じものをすっとずっと見ていても、

 

「飽きるよね?だから」

 

さようなら。

酷く無残に開かれた瞳は、私を見ているようで見ていなかった。

見納めだろうし、夕焼けに染まった空でも見ているのかな。

焦点の合わない女の瞳はあちらこちらに動いていて、それが視界に入るだけで鬱陶しい。

まぁ、どうでもいっか。

こんな奴のこと。

じゃあね。

そうして、足を踏み込ん―――。

 

「―――アホ。さよならなんてさせねぇよ」

 

女の手とは違う、大きくて角ばった手が私の手首に触れた。

目の前の女がどれだけ暴れても、それこそ必死になって足掻いても揺るぐことがなかった私の腕や身体。

それが突然現れた大きな手によって、いとも簡単にフェンスから引き離される。

そして、ゆっくりな動きで私の手は僅かな隙間をこじ開けられ、女と私の間に距離が作られた。

 

「勝手に暴走する不出来な後輩は、先輩の特別補習だ」

 

私も、床にへたり込んでいる女も呆然として突然の乱入者を見つめる。

初めはあまり似合っていないニヒルな笑みを浮かべていたが、すぐにその乱入者は表情を変えた。

怒っているようで、でも、呆れているような。

かといって、突き放すような感じでなくて、優しい感じ。

 

この殺伐とした場では、どうにも場違いな感じだった。

どこかで見覚えがある。

そんな表情は、この場には場違いではあっても、今の私へ向けられるものとしてはなんでかとても正しい気がした。

 

「一色、は後だな。―――おい、そこの」

 

「っひ!う、うあぁぁ!あぁぁぁ!」

 

「あ、うぁぁぁぁぁ!」

 

「ひぃいいいい!」

 

一人の女が叫ぶ。

それに追随する形で周りの女二人も堰を切る。

恐怖で強張った固い声。

足に力が入らないんだろう。

この場の出口、逃げ口へ必死の形相で駆けていくけど、その足取りはたどたどしい。

一方、話を遮られた上に、その相手が一目散に逃げて行ってしまった乱入者。

女達の後ろ姿が鉄扉の向こうへ消える頃、ようやく呆気にとられていた表情を崩してため息を一つ吐いた。

 

「……あっちは任せるか」

 

と、呟いて。

それからこちらに振り返る。

 

「一色」

 

短く、そう呼ばれた。

いつもは目を合わせることなんてほとんどしないのに、だけど今はその瞳を真っ直ぐこちらに向けている。

いつも通りの平熱で、だけど、しっかりと私を見据えて。

 

「ぁ、え?」

 

びくり。

無意識。

ただ、名前を呼ばれただけなのに身体が跳ねた。

視線が泳ぐ。

居心地が悪いっていうよりも、身の置き場がない。

 

「一色」

 

もう一度。

乱入者、いや、彼は私を呼んでから、

 

「あれは、駄目だ」

 

そう、はっきりと杭を刺し込んだ。

あれは。

その言葉が指すのは、間違いなく私があの女にやろうとしたことだろう。

あれは。

その言い方は私の全部を咎めるんじゃなくって、私がやったことで本当に悪いことを指している。

 

それは理解できた。

彼がこの場に現れて、私の手に触れてから。

夢から覚めるようにして、私の頭は急速にいつもの感覚を取り戻している。

水底から浮き上がってきたのだ。

だから、さっきの私がやったこと。

そして、そこからやろうとしていたことの重大さ、恐ろしさ、それも改めてわかっている。

わかっているんだ。

 

「でっ、でも!」

 

でも、それでも。

 

「私はっ!」

 

反論じゃなくて、わかって欲しくって声を荒げた。

違う、違うの。

あいつを傷つけたかった、それだけでやったんじゃないの。

声をぶつけた彼に泳いでいた視線も向ける。

 

「っ!」

 

だけどやっぱり耐え切れなくって、すぐに逸らしてしまう。

きっと彼から見た今の私は、さっきの女よりも情けない姿を晒しているだろう。

でも、わかって欲しい。

嫌で嫌でたまらなくて。

悔しくて悔しくて、そのままじゃいられなかったことを。

 

私の大切な人を、本当に大切な人が。

あいつから、あいつらから、他の奴らから。

蔑まれて、侮辱されるのが。

とても嫌で、とても悔しかったのだと。

 

「だって!だってせんぱいはっ!」

 

本当は優しくて世話焼きで、人の為に自分を犠牲にだって出来るの人なんだ。

なのに、間違った偏見で彼は決めつけられて。

でも黙って、自分一人で背負って傷ついてきたのに。

なんで、そんな彼がまだ傷つけられないといけないの?

嫌だ。

彼がそんな扱いを受けるのは絶対に嫌だ。

見過ごすことなんか、出来るわけがない。

 

だから。

だから、私が背負い込む彼に代わって。

彼に責任を擦り付ける奴を、それを利用する奴を。

払い退けて落とさないと。

 

「一色」

 

私の考えを断ち切るみたいに短く鋭く。

再び私を呼んだ彼は、

 

「お前のそれは、一体誰の為なんだ?」

 

鋭利な問いかけで、突き刺さっている杭をより深くに打ち込んだ。

 

「だ、誰って……。それは」

 

彼の為。

目の前にいる私の大切な人の為。

そんなこと、いくら察しが悪いからってそれくらいは言わなくてもわかってくださいよ。

 

「俺はお前に、そんなことをして欲しいなんて頼んじゃいないだろ」

 

違うか?

そうやって念を押して、一片の間違えも許さないかのようにして、その言葉で私を縛った。

 

「―――っ!!」

 

全身からさっきとは違う意味で血の気が引いていた。

私は目を逸らしたままでいるけど、彼はずっと私から目を逸らしていない。

そんな気配がする。

威圧感というのだろうか、それに反応してちりちりと肌が焦げるように跳ねている。

そんな感覚が私のことを見据えて、捉えて、逃さない。

 

そうだ。

彼は私に頼んでいない。

そんなことを一度だって、欠片すらも言われたことはない。

言われたことはないけど。

でも、彼の力になりたくて。

彼を守りたくて。

だから、私はあの女を落そうとした。

それは彼の言う通り。

間違いなく私の独断。

 

「あのな、一色」

 

今度の呼びかけには身体が跳ねなかった。

深く突き刺さった杭が私の意思を貫いていたから。

逃げるようにして抜けていく身体の力。

何も言えずに、何も返せない。

ただ俯いたまま立っているのが精一杯。

そんな私に伏せた視界でチラつく彼の影が、ゆっくりと近づいてくる。

 

「自惚れかもしれないが、さっきのお前は俺のことを想ってあんなことしたんだろう。多分だがな。それはわかってる」

 

だけど。

 

「それは、俺のことを考えてはいない」

 

彼の言い回し。

それは、まるで私の独りよがりだといっているみたいに聞こえた。

彼の為に、彼のことを想ってしたことなのに。

 

なんで?

私は考えてたよ。

彼のことを考えて、彼の為に動いたんだ。

それは間違ってなんかいないはず。

彼は私のすぐ近くにまで来て、「だってな」と前置きをしてからゆっくと言葉を掛ける。

 

「俺は自分が何か言われるよりも―――」

 

ふわり。

無理やり剥がされたときに出来た少しの隙間もすでに閉じられて、固く、強く握り締められた私の手。

それに、大きな温かい塊が触れた。

閉じてしまって、開くのを怖がっているみたいな指先にそれが重なる。

そして、ひとつ。

また、ひとつ。

指に指を交わらせて、閉じた手が解かれていく。

 

「―――他の奴が。お前が、こうやって手を痛めるほうが嫌だからだ」

 

それが俺の考えだ、と言葉が終わる頃。

開かれた手は、それよりも大きな手に包まれていた。

赤い斑点をつけた手にじんわりと染み込む彼の体温。

あぁ。

とっても沁みる。

その温かさが傷口に。

 

「お前が雪ノ下や由比ヶ浜。それと、……あー、まぁ他の奴とか。そいつらを想うように、そいつらもお前を想ってんだよ」

 

言い淀みながら紡がれたその言葉は、とても嬉しい言葉のはずなのに。

でも今の私には、その嬉しさがじくじくと痛かった。

脳裏に浮かんだ彼女達の優しい微笑みもまた、それを強くする。

 

「だからあのやり方は、駄目だ」

 

彼はもう一度否定する。

誰一人として救われる奴がいないんだよ、と終わりに添えて。

 

「―――ぁ」

 

その彼の言葉。

それを聞いて、私はやっと彼の真意に気が付くことが出来た。

そうか。

私の想いは彼を意味も無く傷つける奴らを、彼が背負う重荷を落すことだった。

でも、雪ノ下先輩や結衣先輩、そして明言はされなかったけど多分彼も。

その三人の私への願いは、私にさっきみたいなことをして欲しくないというもの。

 

だから。

あいつを落せば私の想いは叶うけど。

でも、私がそれをすれば三人の、彼の願いは叶わない。

だから、彼は言ったんだ。

俺のことを考えてはいないって。

 

彼の為を考えて行動していたつもりでいた。

そう、思っていた。

そう、思い込んでいた。

そう、勘違いしていたんだ。

でも、結局。

私は。

自分だけの願いを叶える為に行動していたんだ。

彼の為ではなくて、私の為だけに。

 

「じゃ、じゃあ!それじゃ―――」

 

―――私はどうすればいいの?

八つ当たりみたいに問いかけて、無茶苦茶だとそう自分でも思った。

彼の言葉の意味も真意もわかったのに。

全てを否定されているんじゃないのに、さっきのことを咎められているだけなのに。

だというのに、やる事なす事の全部が全部に駄目だと、そう否定されているみたいに思えてしまって。

子供みたいに怒って拗ねて、辿り着いた自暴自棄。

 

感情の奔流は止められない。

違うとわかっていても、流れ出した感情は行き着くところまで流れていく。

何よりも。

ここで彼の言葉を受け入れてしまえば、これから何もすることが出来なくなってしまう。

そう思ったんだ。

 

だって、私は。

雪ノ下先輩みたいに頭が良いわけでもなくて。

結衣先輩みたいに綺麗な純粋さがあるわけでもない。

だからって、彼みたいにはしてはいけない。

辛うじて残ったのは。

大切な人の為に怒る、ぐらい。

 

でも、それもダメ。

じゃあ、どうすればいいの。

彼が傷つけられる姿を黙って見ているしかないの?

彼の隣で支えることは出来ないの?

私が何かをするのは悪いことなの?

 

止めどなく溢れる憤り。

それは私に優しい枷をする彼等になのか、それとも自分自身へなのか。

その判断も付かない私は零れそうになる涙を止めて、俯いて出来る影をまた少し深くするしかなかった。

 

「背負わなくていいんだよ。頼ればいいんだ。お前は、な」

 

俺に言われても説得力がないかもしれんがな、なんて冗談めかした自虐で飾る。

ううん、それじゃ嫌。

そんなんじゃダメなんです。

受け入れられません。

 

それは、いつも自分一人で背負い込む、そんな彼に言われたから受け入れられないんじゃない。

もっと違う理由で受け入れてはダメ。

 

だって。

それじゃあ、私は彼達に迷惑しか掛けられなくて世話になるばっかりじゃないか。

支えて貰っているのに、でも支えることは出来ない。

それで、いいわけがない。

それで、一緒にいられるわけがない。

そんな関係。

きっと本物とは、言えないから。

 

これは優しくて残酷な嘘なんだ。

私がもう傷つかないように捕まえて遠ざける、雲みたいに曖昧で確かな鎖。

 

彼や彼女達は、きっとお互いを支え合って、庇い合える。

なのに私は誰かがいないと何も出来ない。

そんな奴は彼等にとって邪魔者で、迷惑で、足手まといで、重荷だ。

彼の為にさっき振り落そうとしていた、それ。

私がその重荷になって、彼に背負わせてしまうから。

そんなの。

受け入れるなんて、出来ないよ。

 

「一色」

 

頭の中ではたくさんの言葉が暴れているのに、それを何一つ口に出せないでいた。

もし彼の立場なら、苛立ちを覚えても仕方のないような沈黙だ。

でも、上から降ってきた声はそれを咎める色は付いていなかった。

いいや、それどころか。

とても、

 

「顔、上げてみろ」

 

柔らかな声だった。

でも。

だけど、そう言われても上げられない。

上げられるわけが、ないよ。

だって私は彼に頼られることもなくて、それどころか私が動けば彼に却って迷惑をかけてしまう。

そんなただの重荷でしかないのだから。

 

そんな私がどんな顔をして、彼と向き合えばいいの?

自分の無力さ、至らなさ。

それが、こんなにも悔しいと思ったのは初めてだ。

今までだって彼等に、そして、その関係に思うことはたくさんあった。

羨望。

一番近い言葉はこれだった。

 

けど、今は違う。

これは嫉妬。

本物の嫉妬だ。

 

私は雪ノ下先輩や結衣先輩、彼のようになれない。

その事実が私を焼き尽くそうとする。

締め付ける虚無感は声を奪う。

そんな私が出来るのは首を横に振るだけ。

何も出来ない子供は駄々を捏ねるしか術を持たない。

そんな自分を認めたくなくって、ただただ首を振って否定する。

私の髪が下へと落ち込んで、揺らされて目尻から離れた涙が床へ染みをひとつ作った。

 

そんな私に呆れたのだろうか。

次に降ってきたのは、ため息だった。

ごめんなさい。

困らせるつもりはないんです。

でも―――

 

「ほれ、いいからこっち向け」

 

そう彼が言うと、私の手を温めていた体温が離れていく。

離れた温もりから生まれた寂寞は、空いた隙間を埋めるどころか私を飲み込んでしまいそうだった。

 

でも。

それもほんの少しだけ。

そんな寂しさが私を覆う前に頬がじんわりと温かくなる。

 

「一色いろは」

 

ふわっと、風と一緒に舞うように浮かび上がった私の顔は、何の隔たりもなく彼と向き合う。

あまりに突然のことで彼から目を背けることも、瞼を下ろすことも出来なかった。

いや、違う。

私は、自分の情けなさから目を背けることを忘れてしまうほどに見入っていたんだ。

 

「どうだ?今の俺は嘘をついてるようにお前には見えるか?」

 

そんなことない。

全然、そんなことない。

だから、また必死に首を横に振った。

さっきとはまるで意味の違う否定。

違う、彼は今嘘なんてついてない。

 

「そうだろ?だからこれから言うこともまた、本心だ」

 

彼は私の頬から手をそのまま離さない。

 

「確かに、お前は一人で何でも解決出来る奴じゃないかもしれない」

 

ちくり。

私のどこかに刺さる痛みで顔が歪む。

自分のことだ。

わかっていた。

けれど、他の人達よりも彼等を近くで見る私には、他の人達がそう言われるよりもきっと痛みは大きい。

 

「でも、だからって全部を否定する必要はないだろ」

 

頬を包んでいる体温。

動く彼の親指。

それが、ずきずきとした痛みで歪んだ形を解きほぐす。

 

「いつもは猫を被っている癖にな。無理やり巻き込んで、勝手に手を掴んで引き摺って、後ろから突き飛ばすみたいにして押して、突き進んで行く」

 

それが俺達がよく知る後輩の本性で実態だ。

呆れたと言わんばかりに並べる強引さの象徴。

でも、それとは裏腹に楽しそうに彼は語る

 

「お前にはお前のやり方がある。他の、お前以外の奴になんか似せなくていい」

 

他の。

お前以外の。

そう強調された部分。

それはきっと、彼等三人だけじゃなくって。

今まで、そしてこれから。

私が出会った、そして出会っていくであろう人達にも同じことだと言っている気がした。

 

「その強引なお前にしか出来ないやり方で、それで助けられたり救われる人だっているはずだろ」

 

彼が嘘をついていないとわかってはいても。

そんな彼の言葉を聞いても、私はそんなもので誰かが救えるとは思えなかった。

彼等のように誰かを支えることが出来るとは思えない。

私のそんな考えが顔に出たのかな。

彼は少し逡巡して、

 

「少なくとも1人はここにいる」

 

そう私に教えるようにゆっくりと言葉を紡いだ。

でも、私はそんなこと出来てなんか―――。

 

「そんなことねぇよ。前も言っただろ、」

 

―――伝わった、って

 

あれで俺は救われたんだよ。

そんな台詞を隠すように大きな手が私の頬を離れて、頭に触れた。

大雑把で乱暴。

わしゃわしゃとがっしがっしと。

到底、女の子の頭を撫でる動きではない。

他の人がすれば大減点どころか、間違いなく失格だ。

 

でも。

そんな撫で方でも。

今は嘘みたいに嬉しくて幸せだった。

 

「だからもう、」

 

これも、嘘じゃない。

本当の本当に、彼はそう思っている。

だって、さっきから私の視界一杯に映っている彼の表情。

それが、いくら言葉を積み上げようと届かないくらい。

確かで明らかな証拠なんだ。

 

「あんなことは、」

 

晴々として、なんの憂いもない。

心の底から湧き上がって、溢れていた。

輝いている。

比喩じゃなくって、本当にそう見えた。

本当にそんな。

 

「してくれるな、一色」

 

―――綺麗な笑顔なんだ。

 

そうか。

私にもあったんだ。

私が彼に出来ること。

私が彼女達に出来ること。

重荷になるのでもなくて、足手まといでもなくて、力になれる。

私の、私だけが出来る方法。

それが、そこにあった。

 

ひとつ。

その、ひとつだけ。

でもひとつで十分だ。

だって。

 

「……っう、くぅ」

 

私は彼等の輪の一人になって、支えて、共に歩けるのだから。

そう思うと私の頬を光の欠片が伝った。

万感の思いが胸を満たして、声が出せない。

きっともう伝わっているだろうけど。

けど、絞り出すようにしてでも伝えないと。

言葉にしたかった。

 

「…ぃ……はぃ。も、もう……しま、せん」

 

私はもう、あんなことしません。

貴方達を裏切りたくないから。

 

「あぁ、そうだな」

 

「ちゃん、と……たよ、ります……」

 

わかりましたから。

頼って貰えないってことが辛いんだって。

 

「そうしろ。散々振り回してきて、今更変な気を遣ってんじゃねぇよ」

 

「……めん、なさい。ごめ……」

 

ごめんなさい。

何かひとつにじゃなくて、色々に。

ありがとうを込めた。

そんな、ごめんなさい。

 

「俺に謝る必要なんかないぞ。だから、泣くな」

 

「なぃ……ない、てません」

 

精一杯の強がりを一つ。

もちろん。

そんなのばればれで。

彼は小さく笑うみたいにしてため息を吐いた。

 

「……はいはい、さいですか」

 

きっと。

これからどんなことがあっても私は忘れないだろう。

今日、あったことを。

今日、しようとしてしまったことを。

忘れないだろう。

冬の風がくれた厳しくて正しい冷たさも。

包んでくれる夕日の柔らかさも。

絶対に。

私は忘れないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第七話 虎穴に入り辿る先 下

 

 

 




 









お疲れ様でした。
祖筆な文にもかかわらず、ここまでお読みいただきましてありがとうございます。


気が付けば、もう第七話。
分割しているので増えましたが、投稿した数は十一。
合計文字数も十万文字を超えました。
早いものですねぇ。
え?
早くない?
掲載開始からもう九ヶ月なのにまだ十一?
またまたー、そんなには経ってないでしょー……本当だぁ!?

こほん。
それでは、皆様。
また次話も同じくらいの間隔で投稿出来るよう努力しますので、暫しお待ちいただければ光栄の極みでございます。










×××裏物語×××


「我が部の部員と」

「あたしたちの後輩が」

「随分と、お世話になったようね?」

「可愛がってくれたみたいだねー?」

「ならば部長、そして先輩として貴女方には礼を尽くさないと。ねぇ由比ヶ浜さん?」

「そうだね、ゆきのん。たっぷりとお礼しなきゃね?」

「……ふふ、安心してくれて構わないわ」

「ぼーりょくとかはふるわないからねー?」

「ただ、貴女が告白したっていう、」

「男の子連れてきただけだからさー」

「戸塚君、あぁテニス部の部長といったほうが貴女達には理解し易いかしら?」

「そのぶちょうさんに部活行くのが遅れるってちゃんとゆってるから、しーっかり返事きかせてもらおうねー?」

「でも、貴女に呼び出された日もきちんと部長に部活動への参加が遅れることを報告するほど真面目な部員なのだし、」

「あんまり時間、かけさせないであげてね?」

「まぁ、貴女達は」

「そのあとも、あるから」

「「ふふふふ」」









 

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。