変わっていく日々を君と   作:こーど

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第九話 持つべきものは薄氷で 下

 

 

 

 

 

あの自分自身への宣戦布告から時は流れて、もう数日が経っていた。

不退転の決意で徹底抗戦を誓ったのだけど戦況の変化は、

 

「う、うぬ、ぐぬぅぅぅぅ……」

 

なーんにもなかった。

退きもしなければ押しもしない、現状維持の膠着状態が未だ続いてる。

あんなカッコよさげに見栄を切ったというのに、この有り様ってどうなのよ私……。

いやいやいや、これも相手側の攻撃に違いない!

そう、私のやる気を削ぎにきたんだ!

ぬぬぬ、やりおる。

よっしぃ負けてたまるかぁ!

考えてぇ、見つけるんだ私ぃ。

出来るぞぉー、私なら出来るぞぉ。

ほらっ探していた理由が見えてきたはず―――

 

「……ダメだぁ」

 

そんな簡単に見つかるなら、もうとっくに見つけてるでしょ……。

そう自分で突っ込みながら、頭を抱える。

髪越しから手に伝わる熱は、「ぬくっ!」って言っちゃうほどなんだかいつもより熱い気がした。

使い過ぎで熱暴走を起こしているのかも。

私の頭さん、最近ちょっと熱の処理をサボってない?

オーバーヒートした頭の所為で、ついこの前も教室で失態を晒したばかりなのに学習しない頭だなぁ、まったく。

……はい、そうです。私の頭です。

回らない頭に引き攣られて身体の動きまで鈍くなってるというのに、ちょっとだけ残っている正常な思考も逃避に費やしちゃって、操縦不能になった私という名の機体はふらふらと廊下の壁に不時着した。

こつんと頭が硬いコンクリートにぶつかる。

 

「つめたぁ……」

 

あぁでも、これきもちー。

壁は冬の寒さでキンキンに冷やされていて、ぴとりと触れた額の熱を吸い取ってくれる。

その心地よさに、ついつい身体を張り付けちゃったりして。

ん?

以前の失態を思い出せ?

いや、これはそう、ついついなんだ。

致し方なくなのだ。

私は熱を逃がす為に仕方なくしているんだよ、うん。

それが、コンクリートに「う、うへへ。くふっ、ぐへへ……」と怪しげな笑みを浮かべて張り付いていても、自ら進んでじゃなくって仕方なくなんだよ。

 

「んげへぇ……」

 

おっと、いけないいけない。

これ以上は、流石にうら若き乙女が出して良い声のボーダーを超えちゃいそうだ。

ここの廊下がいっつも人気がないからって油断は大敵だよね。

ちなみに、壁に張り付いているのは油断ではなくって仕方なくだから、私的せーふ!

まぁ誰も居ないと思うけど、一応、ちらりと横目で廊下を見渡しておく。

……うん、いつも通りだ。

そこには、いつもと変わらず人影がない。

誰もいない道がずっと向こうまで続いていた。

私の呻き声がちょっと響いている気がするくらいに、全ての物が動きを止めている。

喧騒がずっと遠くにいってしまって、深い森の中にいるみたいに音がしんなりと降り積もっていた。

 

「…………」

 

その静けさに知らず知らず吸い込まれて、思考が内へと入っていく。

意識の水底からせり上がってくるのは数日間の記憶。

あの日から朝起きて夜寝るまで……いいや、眠れない日だってあった。

そのくらい必死に、不安と戦いながら私は理由とその先にある確信を探した。

記憶に残っている色んな思い出を引っ張り出して、多くの言葉を反芻する。

何かのきっかけや兆しとか、そうだったようなものを何でもいいから虱潰しに引き上げた。

あれや、これ。

薄れていた思い出も引き摺り出して、目を背けていたものにも、目を向けたと思う。

思い出したくもなかったけど、でも、私は耐えた。

何度も、何度も。

止めてしまいたくなった。

こんなこと止めてしまおうって思ったりもした。

思い出しくもないことを思い出すのは辛くて、苦しい。

当たり前だ。

だから、今まで目を背けてきたんだ。

嫌だから見ないようにしていたのだから。

けど、私は止めなかった。

だって、大切の為だから。

それから逃げたくなかった。

諦めたくなかった。

精神の傷がもし見える形で身体に現れたなら、きっと今の私はぼろぼろで立ってもいられないだろう。

そのくらい、清濁関係なく記憶の底を這いつくばって、草の根を分けて探し求めた。

だけど。

それでも、

 

「……はぁ」

 

これが私の変わった理由だと、そう呼べるものは見つからなかった。

……ううん、それもちょっと違う。

探す度に、それらしいものはいくつかあったんだ。

これかなって、そう思うものも確かにあった。

でも、その候補達に、どころか探す為に思い出したもの全部が全部に違和感があった。

変わった理由という枠に嵌めようとすると、どれもこれも違う気がしてしまう。

歯車の歯が食い違っているみたいな。

それでいて、段が外れているみたいでもあるし。

的が違う。

どころか狙うべき的を見間違えてる、そんな気もしていた。

 

「うーん」

 

見つからなかったとそう言うよりも、その違和感の所為で求めていた『理由』になり損ねたって感じ。

あぁーこの違和感はなんなのぉ。

……というかまただよ、また。

この流れは、私の中でのトレンドなのかなぁ?

最近は一つの問題を考えていたと思ったら、気が付けばそれが二つになっていて、余計に頭を悩ませることになるってのが定番になってる。

たった一つでもいっぱいいっぱいなのに、二つも問題を抱えてたら、そりゃ頭さんも匙を投げるよね。

 

「あーもう……あぁーもぉー」

 

心の何処かから、もう何度目か分からない甘い誘惑と燻る恐怖が聞こえた。

こんなことしなくていいじゃないかって、苦しいことなんか止めてしまおう。

お前は変わってなんかいない、昔のままで醜いままだよ。

あの三人の近くに居る資格はないんだって、そんなことを囁かれる。

 

「私は違うんだってば!」

 

ドロリと粘つく耳打ちを、打ち消すみたいに声を荒げる。

身を預けていた壁を押し退けて、自分一人で立った。

けど、ゆらゆらと揺れる私は魅かれるように壁へと身を寄せてしまいそうになる。

「ダメだダメ」って甘言を振り払うように頭を振って、じくじくとした痛みを抱えたまま止めていた足をもう一度動かす。

あぁダメだ、早く癒されにいかないと……。

 

「うへぇ……」

 

ふらりふらりと吹けば倒れそうな足取りで、あの場所を目指した。

人気がないこの特別棟の廊下を進む。

すると、いつしか微かだけど紅茶の香りが流れてきた。

そうなればもう少しだ。

よろよろと重い身体を動かして、ようやく辿り着いた空き教室。

その扉の前に立つと、それだけでずっと入っていた肩の力が抜けていく。

……たった数日なのに、すごい久しぶりに感じるなぁー。

最近はほとんど毎日通っていたから、余計にそう思った。

本当はこの数日も毎日来たかったんだけど、あの告白があった日から今日まで、もう目が回るほど忙しくて来れなかったんだ。

やれ雑用だの、やれ卒業式で使う備品の確認だの、それ次は贈呈品の用意だのと、ここ数日は扱き使われっぱなし。

あんまりにもあれやこれで使われるもんだから、生徒会にも労働条件の規定を作ろうって話を役員達としたくらいだ。

にしても、少し前までは作業が全然なかったのに、こっちはそれどころじゃないって時になったら忙しくなるんだもん。

ほんと人生って、どうにもままならないものだよねぇ。

 

「どうぞ」

 

こんこんこんって三回ノックをすると、中から少しくぐもった声が返ってきた。

「どもどもーお久ですー」って言いながら扉を開けると、ほんわりと温かい空気がかちかちに冷えた私の頬を包んでくれる。

教室を見渡すとそこには数日前と変わらない、私がよく知るいつもの光景。

長机に三つの椅子、それと最近置きっぱなしにされ始めたもう一つの椅子がある。

上座には雪ノ下先輩が微笑みながら座っていて、その隣には、

 

「……あれ?」

 

空席が一つ、それと下座の席も空いていた。

 

「いらっしゃい、一色さん。由比ヶ浜さんと比企谷くんは所用で少し遅れて来るそうよ」

 

「なるほどぉ、そうなんですか」

 

彼とか、誰か一人が居ないってことはよくあるけど、でも、二人も居ないってのは珍しい気がする。

雪ノ下先輩にそう言ってみたら、少しだけ考える素振りをした後、くすくすと鈴を鳴らすみたいに「そう言われれば、そうかもしれないわね」って嬉しそうに微笑んだ。

……うーん?

なんで、雪ノ下先輩嬉しそうなんだろう?

私、喜んでもらえるようなこと言ったかな?

 

「昔、と言うほど前ではないけれど。それと今を比べると、ね」

 

理由を聞いてみると雪ノ下先輩は嬉しそうに微笑んだまま、そう曖昧な表現をする。

それに私がいっそう「うーん?」って首を傾げると、「取り敢えずどうぞ。それと紅茶でいいかしら?」と最近私がいつも座っている席に着くよう進めた。

 

「あっ、はい。お願いします」

 

そう返事をする。

雪ノ下先輩はこくりと頷いた。

流れるようにお湯を沸かしながらポットとティーカップを温める。

そして、湧いたお湯で紅茶の葉を少し蒸してから、ポットの中を軽く混ぜてカップに注ぐ。

 

「どうぞ。お砂糖はここに置いておくわ」

 

私の前にいい香りがする紅茶が、あっという間に小さな音もさせることなく置かれた。

その一連の動作に感心しちゃって「ほへー」って声が出る。

雪ノ下先輩の手慣れた所作は、何度見てもカッコいい。

 

「いただきます」

 

そう言ってから口を付けた。

瑞々しくて、どこか甘みを感じる紅茶の香りが、ずっと粘りついていた感情を溶かしてくれる。

小さく「ほふぅ」って息を吐きながら、抜けていく香りを楽しむ。

あ、あぁー癒されるぅぅぅぅ。

 

「……初めは、私一人だけだったの」

 

雪ノ下先輩は自分の紅茶も淹れて席に着くと、急にそう言った。

「さっきの続きよ。一色さんと知り合う前の話ね」って、懐かしむみたいにしてからカップに口づける。

 

「……あの頃の、この教室は広かったわ」

 

雪ノ下先輩は自分の座る位置をじっと見つめたかと思うと教室を見渡した。

ぐるりと一周した視線は収まっていくみたいに扉へ向けられる。

 

「まぁそれも、少しの間だったけれど。……すぐに平塚先生に連れられた比企谷くんが来たから」

 

そう言ってから「初めは呆然としてて、それから何故だか私を威嚇し始めたのよ」と続けて、くすくすと楽しそうに笑った。

ふむふむ。

彼はここに来て、呆然として、それから威嚇……ぶふぅ!

雪ノ下先輩が語る彼の姿があんまりにも想像しやす過ぎて、私も噴き出して笑ってしまう。

 

「それから一人は二人になって、また少しして次に由比ヶ浜さんがここへ来た」

 

また視線は扉に向けられて、雪ノ下先輩は今はそこに居ない何かを見ているみたいだった。

何か思い出したのかな?

雪ノ下先輩は「クッキーを作りたいって、そう言ってね」と淡く微笑みながらそう続けた。

 

「クッキー、ですか?」

 

なんでクッキー?

結衣先輩が料理が出来ないのは知ってるけど、料理を教えて貰いたいならもっとそれに適したものがあると思うんだけど。

肉じゃがとかさ、カレーとか。

 

「料理を習うのならそっちのほうがいいでしょうね。でも、由比ヶ浜さんはクッキーだったわ」

 

足跡を辿るように、ゆっくりと雪ノ下先輩は語る。

その表情はやっぱり楽しそうだった。

あ、でもその後、「まぁ、出来たものはクッキーとは言い難いものだったけれど」って言うと、何かの苦さを思い出したみたいに笑顔が苦笑いへと変わった。

 

「いつしか二人が三人へと変わって、そこからも色々な事があった」

 

綺麗に輝いていた瞳に幕を下ろして、思い出に浸る。

その思い出には、きっと私が知らないこともたくさんあるんだろう。

……いいや、知らないことのほうが多いはずだ。

私が居ない、三人だけの思い出がそこにある。

そう思うとちくりと胸が痛んだ。

だけど、それと同時にこうやって私が知らない三人の物語を教えてくれるのが嬉しかった。

そりゃ話を聞いても過ぎた時間は巻き戻せないから、この胸の痛みはなくならないけどね。

それでも私の知らない三人を知ることは出来る。

自分から聞きはしていなかったけど、ずっと前から知りたかったんだ。

でも、そこまで踏み込んでいいのかわからなくて、いつしか聞くタイミングを逃しちゃっていて、三人も私にその話をすることはなかったし、もしかしたら聞いちゃいけないことなのかもなんて思いもしていた。

三人だけの思い出としてとっておきたいのかな、ってそういう風に。

だから、こうして話してくれるのは認めてくれているみたいで、三人の輪の中にちゃんと入れているんだって思えるから、小さな痛みはおっきな嬉しいに掻き消された。

 

「色々な、本当に多くのことを経て……今があるの」

 

再び煌めく瞳が開かれる。

それには今が映っていて、

 

「だからもう、この教室は広くはないわ」

 

その言葉通りに初めの印象とは違う、手狭になった教室が映っているのだろう。

 

「だ、だから……」

 

そこまで喜びに溢れていた表情に少しだけ紅がさした。

 

「さっき一色さんが言った言葉が、その……嬉しかったの」

 

珍しいって言われるくらいに、ここが三人の場所になっていたこと。

あの私達がここまで、誰一人欠けることなく三人で来れたこと。

そして、

 

「こうして変われたことが嬉しかった。だから、私はつい笑ってしまったのよ」

 

「……かわ、れた」

 

楽しそうで、嬉しそうに微笑む雪ノ下先輩。

その反対に、私の顔は徐々に強張っていくのがわかった。

ぎゅっと握られる手は勝手に固くなって、痛いくらいなのに言うことを聞いてなんかくれない。

 

「わ、私もっ!……私も変われているはずなんです!」

 

「……一色さん?」

 

私の変化に雪ノ下先輩は少し困惑したような顔をする。

それは、そうだ。

急に何を言っているの私は。

いくら雪ノ下先輩だって、なんの説明もなしにこんなこと言われても訳わかんないよ。

だから早く止めなきゃって、そんなことわかっているのに、でも、零れる言葉は止まらなかった。

 

「そう、思うんです!変わってるって!そうだって思ってるのに……なのに確信が出来ないんです」

 

自分自身で漠然とそう思えていても。

人から、そう言われても。

見せつけられた前の自分と比べても。

それでも、まだ私は確信出来なかった。

 

「だから理由があればって、理由を探そうって!前の私と違うんだって確信したくて、そうじゃなきゃ嫌だからってそうしたんです!」

 

でも見つからないんです、私が変わった理由。

見つからないって、それじゃあ、私はやっぱり前と何も変わってなんかいなくって。

そんな私は前の私のままで、嫌で醜くて、軽くて空っぽで、隠してばっかりの私で。

そんな奴が、そんな奴なんかが先輩達と―――

 

「一色さん」

 

溢れる感情と言葉の奔流は、濁流となって雪ノ下先輩に押し寄せていた。

だけど、そんな激しいうねりを雪ノ下先輩は何でもないみたいに受け止めて、静かでも確かな声でその激流を霧散させる。

 

「時間が経てばどんな物でも変わるものよ。物であろうとも、生き物であろうと、公平にね」

 

それは救いでもあるけれど、でも、とても怖い事でもあるわ。

口も動きも止まった私は、ただ雪ノ下先輩のその言葉と瞳を受け入れる。

 

「だから、どうしても逸らしたくなるの。変わる、そのことから」

 

変化の先がいつも良い方向と限らないから、と雪ノ下先輩は続けた。

その言葉は私の隠れていた本心に突き刺さった。

小さな小さな痛みが生まれる。

……あぁ、そうか。私は逸らしていたんだ。

共に居られないってことへの怖さが大きすぎて、無意識の内にそうしていたのかもしれない。

雪ノ下先輩が言った通り、良い方向の変化なら一緒に居られるけど。

でも、もし、私の変化が悪い方向への変化だったら?

変わってなくても隣に居る資格がないのに、そこから輪に掛けて悪くなっていたら?

……そんなの想像もしたくない。

だから、曖昧にしていたんだ。

良い方向の変化にもなれないけど、でも、悪い方向にも行かない。

そんな都合のいい独りよがり。

それでいて、前の『わたし』を受け入れるわけじゃなく否定して、私は変わっただなんてそう演説していたんだ。

前にも後ろにも、進まず退かず。

かと言って、同じ場所に居続けるのを嫌がって、ふらふらそこを離れて、全然違うところで嘯いていた。

あの違和感はそういうことだったんだ。

探している振りをして、いざその欠片が見つかりそうになれば、その枠の形を自ら変えた。

嵌まらないのは当然だ。

かみ合わないのは必然だ。

だって、自分から歯車をずらそうと努力していたのだから。

それじゃ見つかるわけがないよね。

……逃げてないって決めていたつもりだったのに、本当の私は知らない間にもう逃げていたんだ。

 

「そうかも、しれないわね」

 

私の独白を雪ノ下先輩は聞き流さずに受け止めた。

変わりたいし、変わっていたい。

でも。

変わるのが変わっているのが、怖い。

その重たくて冷たい暗然たる思いが私の指先を、いや、身体を震わせていた。

改めて向き合ってわかる恐怖。

自分の変化が。

その結果の先が。

本当の大切を失うことが。

とても怖かった。

 

「聞きなさい。一色さん」

 

揺るぎない声が、今に私を押し潰してしまいそうな暗がりを切り裂いた。

弾かれたように上がる顔に彼女の貫かんばかりの視線が突き刺さる。

 

「変わることにあなたが言ったような理由も、そして確信も必要なんてないわ。そんなものは寧ろ邪魔でしかない」

 

返す刀でさっきまでの私を決然と切り捨てる。

 

「他人から貰う許可も保証も裏付けも、同意も賛同だってお呼びではないわ」

 

何故なら、それはあなたのことなのだから。

他人に決めさせるものではないし、決めさせていいものじゃない。

ならば持つべきものは、一つだけでいい。

 

「あなた自身の覚悟。それだけでいいの」

 

覚悟。

私は、その言葉でやっと気が付いた。

ようやく理解した。

……そうだ。私になかったのは、それなんだ。

自分自身のことなのに、それを他に求めていた。

拠り所を探してばかり。

一人で立つことを考えずに、身を預ける壁を選んでいたんだ。

もし望まない先が出ても、その責任を自分で持たないで済むよう保険をかける為に。

こんなのだったんだから、そりゃ実感も湧かないし手が届いたと感じることなんて出来ないよね。

自嘲するような薄笑いが浮かんでくるのがわかる。

ほんと、私は何をやっていたんだろう。

目を逸らして、理由なんて言い訳を探している場合なんかじゃなかったんだ。

 

「一色さん。あなたにはそれが出来るかしら?」

 

少し間、口を噤んでいた雪ノ下先輩は、そうやって私を値踏みするように問いかける。

どう、なんだろう。

私にその覚悟を持つことが出来るんだろうか。

憑代を探すばっかりで覚悟なんて思いつきもしなかった、そんな私に。

悪いことが起こっても、その全ての責任と原因を一矢に引き受けないといけない。

そんなことが出来るんだろうか。

考えてみる。

深く考えてみた。

だけど。

私が辿り着いた答えは。

……そんなの、わかんないよ。

 

「……出来て欲しいですけど。もしかしたら出来ない、かもしれません」

 

自信の無さがそのまま口に出た。

けど、そんな返答をしても雪ノ下先輩は何も言わない。

ただ射抜かんばかりの眼光で私を観察している。

それは嘘や見栄だけじゃなくて、私の真相や裏面までを見逃さないようにする厳しい眼差しだった。

逃げたくないと思っているはずなのに、そう決めたはずなのに。

それを裏切って、簡単に逃げてしまう私の心なんか、いくら取り繕っても簡単に看破されてしまいそうだ。

……失望されちゃうよね、きっと。

今の私の本心を知られてしまえば、たぶんそうなってしまうだろう。

出来るならさせたくないけど、でも、私には答えが出せない。

変わったかってことにも、覚悟があるのかってことにも。

どっちにも。

でも、私はこのまま失望なんかされたくなくって、言い訳みたいに「その判断はつかなくっても、でも、これだけは確かなんです」って口を開く。

 

「私は本当に雪ノ下先輩や結衣先輩、そして先輩と……一緒に居たいんです」

 

三人の傍に居たい。

三人と共に歩きたい。

私も。

 

「……今の私はそれだけなんです」

 

縋るみたいに言いながら、これは覚悟じゃないって自分でもすぐにわかっていた。

私の願望って言った方が正しい。

それか、夢だ。

そんなあやふやで脆いもの。

たぶん雪ノ下先輩が持っているだろう覚悟。

それと違って確固たる意志じゃない。

失うのが怖いからって逃げちゃうくらいのものなんだから。

その程度のものなのだから。

そんなものしか持てない私はやっぱり変わってなんかいなくって、変わる覚悟もないん―――

 

「覚悟は固めるものではなく、固めていくものだと私は思っているわ」

 

凛とした声が沈んでいこうとする私を抱きとめた。

 

「人の心は簡単に動いてしまう。あっさりと揺れてしまう。昨日今日に出来た覚悟なんて薄氷みたいなものよ」

 

踏まれれば簡単に割れてしまうし、他の熱に晒されれば溶けてしまう。

一度は決めたことでも、気が付かない内に覆っていることもある。

誰だってそんなものよ。

始めから、一瞬で。

そんな風に覚悟を固められる人なんか、存在はしない。

もちろん、それは私だってそう。

 

「だからその薄くて脆い、すぐに溶けてしまう氷を少しずつ積み重ねて強くするの」

 

そう言ってから、雪ノ下先輩は目の前に置かれた長机をぽんぽんと軽く叩いた。

 

「私達も。ここから始まったのではなく、始めたの」

 

その言葉が私の胸を打つ。

深い暗闇に光が射し込んだ気がした。

 

―――私だけじゃないんだ。

 

雪ノ下先輩も結衣先輩も、彼だって初めから持っていたわけじゃない。

三人もそうだったんだ。

今の私と同じで何もないところから、消えてなくなりそうな小さい覚悟を何度も丁寧に積み重ねてきたんだ。

だから雪ノ下先輩は「多くのことを経て今がある」って言ったんだろう。

 

「ふふっ。そう、私達もそこを通って来たのよ」

 

あの時の私達も、さっきのあなたと同じだった。

痛いくらいの厳しさを溶かして、「覚悟は出来ています、だとか軽薄な言葉を吐かないか試してしまってごめんなさいね」と雪ノ下先輩は微笑んだ。

 

「始まってすぐにゴール出来るわけがないでしょう?楽な道を選ばずにこちらへきたのだから」

 

その問いかけに私は強く頷いた。

そうだ。

私は楽な道を選ばずにこっちを選んだんだ。

揺らぐ覚悟を持ち続けるのは、きっと大変なことだろう。

何度も挫折しそうになるだろうし、後悔だってするかもしれない。

 

―――苦しくて、つらいなーって、悲しいときだってたくさん。

 

そう言った結衣先輩を思い出す。

きっと覚悟を積み重ねるってそういうことなんだ。

楽なんて全然させてなんかくれないし、厳しい道が続いているんだろう。

それでも。

 

―――途中で諦めたり、楽な道は選びたくないから。

 

そうだ。

どれだけ怖くても自分で選んで、決めて、進まないといけない。

一つひとつ、傷つきながら積み重ねて、変わったじゃなくて、変わって行かなくちゃいけないんだ。

そう。

本物が、欲しいのなら。

 

「……私も、いつかちゃんと追い付きます」

 

小さな小さな私の薄氷。

その一枚目を雪ノ下先輩に見せてから、心の奥にしまい込んだ。

 

「えぇ、止まりはしないけれど待っているわ」

 

そう言ってから「三人はこれで四人、ね」と小さく呟いた。

この教室には私と雪ノ下先輩以外は誰もいない。

この教室には長机と椅子と紅茶のセットくらいしか目に付くものはない。

楽しそうに騒ぐ人がいるわけでもなく。

煌びやかな宝石の飾りがあるわけでもないし。

様々な色に輝くイルミネーションが施されているわけでもない。

ただ、じんわりと時が止まっているかのような停滞感だけが漂っている。

他の人が見れば、うら寂しい教室だ。

なのに。

私を見る雪ノ下先輩はさっきよりも穏やかに目を細めていた。

それは、キラキラとした綺麗な光を眺める仕草みたいで。

それでいて、私には輝きを増した何かを眩しがっている、そんな風にも見えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第九話 持つべきものは薄氷で 下

 

 

 




 









お疲れ様でした。
粗笨な文章にもかかわらず、ここまでお読みいただきましてありがとうございます。


第九話、完!
いやーなんとか『下』で収まってよかったです。

さて。
年末まで今日を入れて残り十四日。
や、やり残したことは……まだ間に合いますよね!



こほん。
それでは、皆様。
また近いうちにお会いできることを、心待ちにしております。










×××裏物語×××



放課後、とある廊下にて。


「なんだしあいつ!えらそーにてきとーなことばっかり言って!」

「……そうだな」

「もうっ!ヒッキーも始めのほう、なんで言われっぱなしだったし!言い返せばよかったじゃん!」

「そうは言ってもな由比ヶ浜。事実は否定出来ないだろ」

「あんなのジジツなんかじゃないもん!」

「いいや。大多数の人間には、あれが事実だ」

「うぅ、そうかもだけどさ、でもさ……うー!」

「ほっとけばいいんだよ。それに、ずっと言われっぱなしだったわけじゃねぇだろ?」

「そうだけど……」

「痛いところを突き合った、痛み分け。それでいいだろ」

「うー……」

「ほれ、唸ってないで行くぞ。さっさと帰んないと、さっきよりよっぽど辛辣な毒舌を聞く羽目になる」

「……ねぇ、ヒッキー」

「ん?」

「あたしはヒッキーのこと……サイテーなヤツとか思ってないから」

「……そうか」

「うん」

「…………」

「…………」

「その、あーなんだ。……ありがとよ」

「うんっ!」









  






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