変わっていく日々を君と   作:こーど

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第二話 浮かんで消える霧のよう

 

 

 

 

雲一つない透き通るような青空に煌々と輝く朝日が眩しい。

自然と体に染み入る日光はほんのり暖かいけど、空気は放射冷却でいつもより更に冷たくて、歩くと寒々しい風が体をなぞるようになでていく。

 

朝霜がしんなりとつもった道路の白線は、つるつると滑りそうだ。

道行く人達は、ひんやりとした朝に背を少し丸めて白い息を吐きながら行き交っていた。

そんな人達を寒そうだなー、なんて他人事のように思う。

 

もちろん、そんなわたしだって登校中で、家から駅まで歩いている最中だ。

吐く息は白いし、きっと鼻も頬も冷えて少し赤く染まっていると思う。

制服の下に厚着した服も、首に巻いたマフラーも、温かな手袋も着けているのにそれでもまだ寒々しい。

だけど、それはあくまで体の話だ。

 

「んふふー」

 

ついついこぼれる笑みと緩む頬を周りの人に見られないようにマフラーで深く顔を隠す。

こつこつと小気味よく鳴るわたしの足音は、自身の心を表しているみたいに軽やかだ。

 

「たっのしいなーふふー」

 

あー楽しい。

朝からご機嫌だ。

スキップしちゃうくらいに。

……してないけど。

けど、そのくらい軽い足取りでトントンと駅への道のりを縮めていく。

 

キラキラと朝日に照らされて輝く朝霜も、澄み切った空気の朝の雰囲気も、いい日の始まりを予期させるような青空も全部が全部綺麗に見える。

ふふふー、世界とはこんなに綺麗なんだなー。

そんな世間の憂鬱さとは無縁なことまで思ってみて。

 

こんなご機嫌なわたしだけど、なんでこんなに気分がいいのかよくわからない。

よくわからないけど、なんだか最近楽しい。

とっても。

 

だからといって、今までが楽しくなかった訳じゃない、と思うたぶん。

みんなに愛想を振りまいて、ちやほやされて、愛されキャラを演じて、帰りに寄り道したり。

そんな日々も楽しかった、と思うおそらく。

それでも、朝起きるのは嫌だし、学校まで行くのも授業も面倒だし、鬱陶しい子もちらほらいて遊ぶこと以外は嫌なことのほうが多かったかも。

だから通学中に楽しいなんて思ったことはなかった。

 

けど、今は違う。

とにかく楽しいんだ。

朝は今日起こるであろう楽しい出来事に思いを馳せると、温かい布団からも躊躇なく飛び出せる。

通学中は色んなものが日々変わってるのに気付いて、いつもキラキラと新鮮に映る。

学校に行けば、授業だって今まで知らなかったことに素直にほへーっと感心して、それを知れることが面白い。

鬱陶しい子達もいるけれど、それをどうあしらってやろうかと考えて、意趣返しで意地悪を返すのも趣味が悪いかもだけど楽しかったり。

放課後になれば、自分を磨く以外にやる気のなかったわたしに充実感や達成感、責任感を教えてくれた生徒会がある。

 

そして、なにより放課後は生徒会の作業が無いときに行くことができるんだ。

あの紅茶の香りが漂う空き教室。

あの三人の先輩がいる場所へ。

 

紅茶の香りで心の張りは無かったように溶けていって。

優しい木漏れ日のような温かさにまどろんで。

言葉でじゃれあう三人に安心して、わたしも輪に入れてもらって。

楽しくて、新鮮で、面白くて、嬉しくて、温かい。

そんな大切な場所がある。

 

幸せな時間はすぐに過ぎて、幸せだったからこそ帰り道は少し寂しくなってしまう。

けど、夜寝る前に目を閉じて思い返す。

そしたら一日の楽しいことがたくさん溢れてくるんだ。

だから、明日を楽しみに波打つ眠気に身を委ねる。

 

こんな幸せな日々を送っているのだ。

楽しくないわけがない。

そんな心の熱が体に伝わるようで、この寒さもなんのそのだ。

 

どれが根本の理由なのかはわからないけども。

まあ、わたしはどこかの先輩みたに捻くれてないので、理由がわからなくても楽しいなら大歓迎。

そのどこかの先輩なら、きっと根拠がない物にはうんぬんかんぬんと言い始めるに違いないけど。

 

「ぷっ、くふふっ!」

 

想像するとあまりにもしっくりきすぎて、笑いをこらえれず噴き出してしまった。

周りの人たちに怪訝な目でちらちらと見られる。

うぐ、彼のせいで周りの人に変な子だと思われた。

……これは責任を取ってもらわねば。

半笑いの顔を再びマフラーで隠して、わたしは周囲の視線から逃げるようにしてそそくさと駅へと向かった。

 

 

 

 

 

    ×  ×  ×

 

 

 

 

 

人でごった返す駅をすいすいと軽やかにすり抜ける。

そして少し歩くとあっという間に校舎が見えてきた。

校門に到着したところで時間を見ると朝のHRのニ十五分前。

よしよし、今日もばっちしだ。

 

「よっ!おはよういろは!こんなとこで会うなんて偶然だなー!」

 

「おはよー。朝から偶然だねー」

 

男の子であろう気配が挨拶の声と共に近づいてきた。

当たり障りない返答を目も向けず返しながら、校門から校庭をぐるーっと見渡す。

ふむ、目的の人物はいないなー。

じゃ、あっちか。

 

「あっ、ごめんね?生徒会の用事があるからもう行かなきゃなんだー。だからまた、ね?」

 

「えっ?お、おう。そ、そうなんだ頑張ってな」

 

「ありがとー!」

 

一応、ちらりと誰かを確認する。

そこには爽やかそうな男の子。

誰かわからないけど、とりあえず、いつも通りの愛想のいい対応と営業スマイル。

しつこくなくて助かった。

ありがとう、名前のわからない男の子。

顔を見たことあるような、そんな気もしなくもないかも。

まぁいい。

今はそんなことに時間をかけてられない。

ちょっとタイムロスしたから急がないと。

 

呆気にとられている男の子を残してパタパタと駆けていく。

行き合う知り合いに軽く挨拶をしながら向かうのは玄関口ではなく、駐輪場。

少しずつ近づくにつれて自転車を押す生徒が増えていく。

それに伴ってわたしの心はふわふわと浮足立つ。

ふにゃりと緩む頬は抑えようにも抑えられない。

 

「はぁはぁ……っふぅ」

 

駐輪場に着く頃になると白い霧が目の前でふわふわと浮かんで散っていく。

初めは駆け足程度だったのに、後半は思った以上に本気で走っていたみたい。

息も上がってるし、前髪も乱れちゃってるかな。

コンパクトを取り出してパパッと前髪を整えて、他にもおかしい所がないかチェックして。

よーしよーしおっけー!

確認が終わったら、この場、駐輪場でもぐるーっと周りを見渡す。

自転車通学の生徒たちがちらほらいるが目的の人物はー?

 

「どこだーどこだー?」

 

早く姿をみせなさーい。

逃げれないぞー。

緩む頬はもうマフラーにも隠さない。

そんなことより早く見つけたいんだ。

 

「んー……あっ!」

 

目を向けた先には一人の男子生徒。

ちょうど置き場が見つかったようで、自転車を置いて鞄に手を伸ばしている。

寒くなくともいつも少し丸まっている背に、頭にぴょこっとついたくせっ毛。

それは見紛うことない、あの人だ。

 

「せんぱぁーい!」

 

見つけた時は、そっちに向かって走り出していた。

周りの人なんか気にもせず、大きな声であの人を呼ぶ。

 

わたしの声が聞こえただろうあの人は、あろうことかぴくっと一瞬動きを止めるだけ。

振り返りもせずにそのまま玄関口へとすたすたと歩いていく。

あれ絶対聞こえてるし、自分が呼ばれてるのに気が付いてる。

現に周りの人たちはわたしの声に何事かと、ちらちらとこちらを窺っているのだから間違いない。

こんなにかわいい後輩が、朝から呼びかけているのに無視するとは許されざる行為。

むぅ、これはお仕置きが必要だ。

うん、必要不可欠だ。

 

あの人への距離は刻々と近づいているが、駆ける速さは緩めない。

緩めるつもりは一切なし。

いつしか、にこにこと緩んだ顔からにやにやと企む顔へ。

未だに、こちらに振り向かない彼の背中に目前まで近づいて、

 

「せんぱぁーい!!」

 

勢いそのままに飛びついた。

 

「ヴほぉっ!?」

 

衝撃で肺から息が押し出て、それのついでに出る声が背中越しに聞こえる。

飛びついた勢いに押されて、とととっと二、三歩前によろめいていたけど、何とか堪えたみたい。

前のめりになった体勢を整えてから彼は、

 

「……一色」

 

恨みがましそうな横顔を見せる。

それと、いかにも今からお説教しますよって声色。

 

「ふふっ、おはようございまぁーす。せーんぱいっ!」

 

彼の声色を裏腹に、わたしの声色は心底楽しそうに弾む。

さっきより頬が緩むのがわかるし、口角はどんどん上がっていく。

喜色満面とはこのことだね。

心がさっきよりぽかぽかと温かい。

その温かな背中へくっつけていた頬に彼の温かさがじんわりと伝わってきて、私も穏やかに暖かくなる。

お、おぉ……。

なんだこれ。

すっごいあったかい。

 

「……公衆の面前ですよ、一色さん。今すぐ離れてくれませんかね?」

 

「えー?でも先輩って公衆の人たちには見えないじゃないですかー?」

 

「存在は希薄だが、残念ながら透けてはいない。そもそも、透けているなら家から出ない」

 

「まぁまぁ、いーじゃないですか。今日ちょー寒いですし」

 

「ねぇ聞いて?薄いだけで透けてないよ?……ないよね?」

 

温かで心地いい彼の背中に寄り添い、じゃれあうように言葉を交わす。

きゃっきゃっと軽口を投げかけるわたしに、それをはいはいっと受け止めてくれる彼。

 

「……ふぃー」

 

「えっ、なんで、ため息つかれたの?うそ、ほんとに透けちゃってる……?」

 

そんなやり取りに気の抜けた声と余計な力がするりと抜けていく。

彼が自分の手足を透けていないか確認してる少しの間。

背中から微かに聞こえる心音と体に響いている声に耳を傾けながら、まどろむように目を閉じる。

ほんの少しの間だけ。

 

「……一色」

 

「んー?なんですかー?」

 

「いや、あー、なんだ、……その、なんかあったか?」

 

急に静かになったわたしを怪訝に思ったのか、彼が声をかける。

その横顔に他の人にはあまり見せない心配そうな表情を浮かべて。

それが、わたしの心をまたじんわりと温かくする。

 

彼がこの表情を見せるのは、彼にとって大切な人だけ。

まだまだ付き合いは長いとは言えないけど、そのくらいはもうわかる。

この人は、大切な人とそうでない人の線切りがはっきりしている、と思う。

とは言っても、そうでもない人にだって気はかけるし、ある程度の世話は焼く。

でも、心配と呼べるようなものまではしない。

それは大切な人だけに。

上辺だけの関係を嫌う彼は、大切な人にだけその範囲が狭くて不器用な優しさを垣間見せる。

心配性な側面もあるんじゃないかなーっと思ったりもするぐらいに。

彼自身、そのことに気が付いてないかもしれないけど。

 

だから、この表情をわたしに向けてくれる。

自惚れかもしれない。

けど、それはわたしの事をあの二人の先輩と同じように、大切に思ってくれているのだと思うとたまらなく嬉しい。

他の人に大げさで上辺だけの心配をされても、これっぽっちも嬉しくないけど。

だけど、彼にはただこうやってちょこっと気にかけてもらう、それだけで心がふわふわと浮かぶように嬉しい。

 

「せんぱい、ありがとうございます。だいじょうぶですよ。何もないので安心、してください」

 

「……ん。ま、もしなんかあったら言え。聞くくらいはしてやる」

 

「はいっ」

 

心配性な彼が不安にならないように、しっかりと返事をする。

素直じゃない不器用な優しさが嬉しくって緩んでいた頬がもうほにゃほにゃだ。

 

ちらりと校舎にかけられた時計を盗み見る。

長針は先から十分進みHRまで、あと十五分。

ここから教室まで五分かかるとしてもまだ十分もある。

んふふーまだ逃がしませんよー。

彼の制服を掴みなおして長期戦の構え。

そんな私の動きを露知らず。

目の前の彼は視線を右へきょろきょろ、左へきょろきょろとしている。

 

「……なんですか、せんぱい。挙動不審すぎて通報します」

 

「おい待て。通報するの確定してるぞ。理由聞こ?冤罪起きちゃう」

 

「いーえ、そんな悠長なこと言ってられません。疑わしきは罰せよ、悪即斬です」

 

「警察じゃなくて新撰組が来ちゃうんだよなぁ……」

 

軽口の応酬。

その最中も先輩はまだちらちらと周りを伺っている。

うーん?どうしたんだろう?

 

周りの目が気になるのかな?

でも、HR十五分前になったからか、さっきまでいた自転車通学の生徒達は教室へと向かい、軽く見渡す限り周りには彼とわたししかいないんだけど。

 

「……ん?もう、十分前か」

 

忙しなく動かしていた視線がようやく止まったみたいだ。

時間が少なくなっていることが分かったのか、歩き出そうとする彼。

それを、なんとか阻止せんとわたしは掴んだ制服を引っ張る。

 

「まだ、ですよ!まーだ!」

 

「犬に餌を食べるのを我慢させるみたいな言い方になってんだけど」

 

「先輩ステイです!よーく見てください。まだ十二分前ですよ!」

 

「もう、十一分前だけどな」

 

「ここから、ここからですよー先輩。ここから遅刻のプレッシャーで肌がちりちりって……」

 

会話に夢中なわたしの隙を狙って、すっと彼が歩き出した。

するりと零れ落ちるように、私から温もりが離れていく。

そんな隙間に寒々しい寂寞感とならい風が吹き抜ける。

 

「ぁっ!」

 

手を咄嗟に伸ばした。

だけど、その手は温かな背には届かずに空を切る。

手のひらには、さっきまであった温もりの残滓が微かに残るだけ。

 

「……じゃあな、一色」

 

目を向けず、手をふらふらと振って歩いていくその背中。

所なさげに彷徨う伸ばした手を力なく下す。

なんでだろう。

わたしはその場から凍りついたように動けず、彼の後ろ姿を見送るしかできない。

足をニ、三動かせば届くほどに近いはずなのに。

なんてことのない、すぐ目の前なのに。

でも、引き波のように遠ざかる彼との距離は霧がかるほど遠くに感じた。

 

「せっ、せんぱいっ!」

 

無意識に切羽詰まった声が出た。

でも、それを聞いても歩みは止まらない。

 

「んー?どしたー?」

 

振り向いてはくれない。

一歩、一歩と距離が開く。

 

「あ、えっと。ほ、放課後っ!そう!放課後!生徒会手伝ってくださいねっ!」

 

とってつけたみたいな言葉。

何をこんなにも必死になっているのか。

ただの朝の会話が終わる、それだけなのに。

わからない。

でも、何でもいい。

適当な理由をでっちあげてでも繋ぎ止めなければと。

そうなんとなく思った。

 

「あーすまん。今日、予備校があんだわー」

 

だけど、その繋ぎ止めようとした言葉も届かない。

ひとつひとつ、遠くへ向かう彼は立ち止らない。

玄関口へと消えていく後ろ姿を動けないまま見つめる。

風が吹き抜ける。

それが、一人残されたわたしの熱をじわりと奪っていく。

 

「……寒い」

 

ぽつりと呟いた言葉は、誰にも届かずに落ちていく。

これ以上、熱を奪われないように腕を交差させて自分を抱きしめる。

でも。

さっきまで温かだったはずの頬や、手や、体、そして心も。

 

 

 

――――今はもう冷たかった。

 

 

 

 

 

 

 

    ×  ×  ×

 

 

 

 

 

教師の声と生徒の小さなしゃべり声。

それとカリカリとノートをとる音が満たしていた教室。

そこに、午前の授業の終わりを告げる鐘が鳴る渡る。

 

「よーし。じゃあ今日はここまでー」

 

教師がそういうと、日直の掛け声で立ち上がって頭を下げると授業は終わり。

途端に教室は活気に満ち溢れ、仲のいい子同士で机を合わせたり、購買へ昼食を買いに行ったりとクラスの皆は思い思いに動き始める。

 

そんなガヤガヤと賑やかな教室で、わたしは机に突っ伏してため息をふっとつく。

疲労と倦怠が外套ように体を包んでる。

んあー疲れたー。

 

授業の疲れもあるけど、それ以上に朝の出来事の影響が大きかった。

あれからと言うもの、どうにも調子が上がらない。

暖房のついた教室にいるにも関わらず、冷たいと感じてしまうくらいには。

 

「いーろっは。お昼食べよー」

 

声がする方へと突っ伏した顔を気怠げ上げる。

いつも一緒に昼食を食べる友人が、授業が終わった解放感を顔に映してわたしの肩をぽんっと叩く。

 

「ごめーん……。なんだか、食欲がないんだー」

 

「ありゃ。もしかして風邪っぽい?」

 

「うーん。そーじゃないと思う」

 

そうじゃなくって朝の出来事が原因だろう、というのはわかる。

だけど、理由はわからない。

普通の出来事のはずなのに。

どうしてわたしはここまで心揺さぶられているんだろう。

ただ彼に逃げられた、それだけなんだけどなー。

 

「ちょっと外の空気吸ってくるねー。そしたら食欲湧くかもだし」

 

「はいよー。いってらー」

 

凝り固まった身体を動かし教室の外へ。

廊下はひんやりと冷たくて、出たばかりの教室に引き返したくなる。

だけど、この陰鬱な気分をどうにかしたくて。

冷えていく身体をさすりながらどこへ行く当てもなく、とことこと廊下を歩き出した。

 

寒いからか、昼休みながら廊下には人が少ない。

教室の中から楽しそうな話し声が聞こえてくるのを、横目にぽけーっと聞き流しながら歩く。

なんだかなー。

なんだろーこの感じ。

もやもやとして、ふわふわとして。

すぐ近くにあるように思えるのに、いざ掴もうとするとふわりと霧散する。

正体不明な感情が頭の中をぐるぐると回る。

 

「んー……」

 

頭をうーんと捻りながら、前から歩いてきている男の子を何気なく眺める。

手には白いビニール袋が握られていて、中にはパックのジュースとパンらしきもの。

購買かー。

そう言えば弁当自分で作るし全然いってないなー。

 

「……むっ!」

 

ピンときて、閃いた。

さっきまでのろのろと歩いていたペースが、ぐんっと上がる。

廊下の冷たさも、陰鬱な気分も、授業の疲れもふっと軽くなった。

翳っていた心の空に少しの晴れ間が差した感覚。

そんなわたしが目指す先は購買。

さっきの男の子を見て、思い出した。

いつぞや彼に、昼食はどうしているのかと聞いたことがある。

すると、妹さんが弁当を作ってくれる日以外は購買でパンを買っていると、育ち盛りの高校生なのに不健康極まりないことを確か言っていた。

昼休みは、まだ始まったばかり。

つまり今日妹さんが弁当を作っていなければ、彼が購買にパンを買いに来ている可能性は高い。

 

コツコツ、トントン、パタパタ。

歩く速度がさらに速くなっていく。

廊下は走らない。

なんて書いてあるポスターの横を生徒会長が本気で走るのはどうかと思ったけど、そうでもしないと彼を取り逃がしてしまう。

今回ばかりは見逃してもらうことにしよう。

あのポスターに非常事態以外は、の文字を追加するよう生徒会から提案しとかないとね。

よしよしよーし。

朝は逃がしたけど、今度は逃がさないぞー。

ふんすと気合を入れ直して、購買への道のりを駆け抜けていく。

 

少しすると購買へ行っていたであろう人たちが増えてきた。

戦利品を片手に引っ提げているそんな人たち。

その波をするすると避けながら、頭の片隅でじりじりと焦りを感じる。

むぅ、思ってたより購買へ行く人たちって行動が早い。

 

めぼしいものを手に入れるために、午前の授業が終わると同時に教室を出て購買へ駆け出す人もいるくらいだ。

そう言えば、わたしが机に突っ伏す前にはもう購買へ走っている人がいたっけ。

そんなつわもの達がひしめく激戦区。

彼も他の人と同様に、素早く行動してすでに昼食を買い終えているかもしれない。

ぐぬー急げ急げー。

逃してなるものかー!

 

思いっきり走って購買へたどり着くと、まだ多くの人が昼食を買い求めてレジに列を作っていた。

せ、せーふ!

これだけ待ってる人がいるなら間に合ったでしょ!

安心したのも束の間。

上がる息を整えるのもほどほどに、彼の姿を急いで探す。

 

レジの列を前から後ろまで確認するけど姿は、ない。

ならばと、パンが陳列してあるコーナーにも目を向けるけど、いない。

もう、買い終わっちゃった……?

 

ここまで来て、結局先輩の姿は見えない。

そんな結果にがっくりと肩を落として、重いため息を吐き出す。

授業の疲れや陰鬱な気分。

ここに来るまで忘れていたそれらが、一気にわたしを包み込む。

 

「……かえろ」

 

買うものがあるわけでもなく、彼を探しにここまで来たんだ。

その彼がいないのなら、ここにいても仕方がない。

今更、外の空気を吸いに行くのも億劫だし。

教室へ帰ってから残りの昼休みふて寝でもしよ。

 

「……はぁ」

 

ため息と共に垂れた頭を上げた時、目を見開いた。

あ、あれはっ!

そこには購買から今まさに立ち去ろうとしている、少し丸くなった背にくせっ毛の後ろ姿。

 

「っ!せんぱ―――」

 

「おっ!いろはが購買なんて珍しいな!飲み物でも買いに来たカンジ?」

 

咄嗟に彼を呼ぼうとしたんだけど、それを誰かに遮られた。

誰なの?

こっちは今ようやく先輩を見つけたとこなのに。

 

苛立つ感情をなんとか隠しながら、素早く視線をその声の方へ向ける。

そこには、爽やかそうな男の子。

……えっとぉ。

たぶん朝にみた男の子だったと思う。

 

その男の子は、ちょうど彼とわたしを遮るように立ち塞がる。

まるで、わたしたちを隔てるように。

それが、余計にわたしの苛立ちを大きくさせる。

はっきり言って、邪魔だ。

こいつのせいで彼のところへ行けない。

熱い鉄を喉から流し込まれたように、苛立ちを通りすぎ怒りが沸き上がる。

 

今すぐこいつの横をすり抜けて、彼の元へ向かいたい。

軽口を言い合いながら、構って欲しい。

早く、寒々とした心を彼の傍で温めたい。

そんな風に自分が今、何を一番したいかわかっているのに。

だと言うのにわたしは、

 

「えーうん。まぁそんな感じかなー」

 

今まで演じてきたわたしと言う仮面を外せない。

今までのわたし、と言う幻想を捨てきれない。

愛想を振りまいて、好感度を稼ぐ。

誰の傍にいたいかもわかっているのに。

ちらと、さっきまでそこにいた後ろ姿を探す。

 

「……いない」

 

「ん?どうかした、いろは?」

 

「……んー。なんでもないよー?」

 

温かな背中は、既に雑踏にまぎれてしまって。

わたしからはもう見えなくなってしまっていた。

 

 

 

 

 

    ×  ×  ×

 

 

 

 

 

 

どんよりと憂鬱なまま、なんとか午後の授業を乗り切って今は放課後。

昼休みに先輩を見失ったあの後。

邪魔な男の子との会話をそこそこで切り上げて、彼を昼休み中かけて探した。

特別棟の屋上だとか、彼が好みそうな人気の少ない場所へと足を運んだんだけど、結局彼の姿は見つからなかった。

 

ならばと放課後になって、奉仕部へ向かおうとした。

が、こういった時に限ってやっかいなことが起こるのは定石なんだよね。

案の定、面倒な雑務を生徒会宛に任されてしまい、奉仕部を訪ねることが出来ないまま、最終下校時間になってしまった。

 

「お疲れ様でしたー」

 

生徒会の皆に別れを告げて、とぼとぼと一人帰路に着く。

二月の刺すような冷たさ。

それが、それまで暖房の効いていた部屋でぼやけていた自分と世界との境界線を鮮明にする。

自分は一人なんだ。

そう強く痛感させられる。

 

「はぁ……」

 

今日、何度目かわからないため息は白い霧になって、漂ってはすぐに消えていく。

この物憂げな気分も、このため息と一緒に消えてくれたらいいのに。

 

夕日は疾うに落ちていて、人工的な光が暗い夜道を照らす。

道はそこそこ明るく照らされているというのに、それを冷たいと感じるのはLEDの輝きだからだろうか。

それとも。

自分の心持ちのせいだろうか。

 

「……わかんないなぁー」

 

些細なことなのに。

ただ、彼と話せなかった。

構ってもらえなかっただけなのに。

 

それだけで、こうも落ち込む自分がわからない。

今まで生きてきて、こんなこと経験したことがない。

だから、余計に対応に苦悩するのかもしれない。

 

「はぁ……」

 

浮かぶため息を目で追う。

その視線の先にあるチカチカと消えかけている街灯。

なんでか、それがやけに目に付いた。

徐々に輝きが鈍っていく、その街灯。

暗く、くすんだその様は。

 

 

 

まるで、わたしの心を映しているようだと思った―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二話 浮かんで消える霧のよう

 

 

 

 




 









今回も拙文ながら、ここまで読んでいただきありがとうございました。
目指せ週一投稿。と一人意気込んでいましたが、全然間に合いませんでした。
一週と二日投稿です。

一話の後書きでもう少し崩した作風に、と自分で言ったので意識して書いてみたのですが。
前半部分はまだしも、後半部分からはまーた硬いと言いますか、ちぐはぐと言いますか、そんな文になってしまい、一人で頭を抱えて唸りをあげながらも書き上げました。

二話程度では、まだまだ未熟で上手く意図した文章を書けませんでした。
これからも引き続き努力していきますので、どうかお許しを。




  

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