変わっていく日々を君と   作:こーど

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最終話 変わっていく日々

 

 

 

   ―――C―――

 

 

 

 

 

「―――えっ!?」

 

彼の言葉に愕然とした。

全てが吹き飛んでしまったかのような衝撃が頭を打つ。

強く吹き付けた風でよろけてしまう。

それくらいに身体の感覚がない。

強張って固まっているのか、力が抜けてしまっているか、そんなことですらわからなくなっていた。

動けない。

息をしているかわからない。

頭の中が真っ白になっている。

それは、その答えがあまりにも私の求めていたものと違ったからだった。

 

「う、嘘ですよね?そんなの……違う、違う違う!そんなはずない!」

 

今、目の前で起こったことが理解できなかった。

その事実を受け止められない。

だから、私は戦慄く口を無理やりに動かして、やっとの思いでそう吐き出した。

 

「いいや、嘘じゃない。違いもしない」

 

「違いますっ!なにかの間違いですって!だって!」

 

私はただ闇雲に叫んだ。

同じことばかり繰り返して、子供が駄々をこねるように何も考えず、兎に角全部を否定した。

そんなことをしても結果だって、その事実だって、なんら変わることはないというのに。

それでも私は、彼にそれをぶつけ続けた。

意味はない。

だけど、理由はあった。

それは。

 

「せんぱいが知っているわけないですよっ!私の―――」

 

不都合な事実から目を逸らす為に、だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最終話 変わっていく日々

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ―――A―――

 

 

 

 

 

今日はいい天気だ。

ぼんやりとした太陽の眩しさに目を細めながら、そう思った。

ずっと遠くまで見渡せば、そこには青空が広がっている。

まぁ青空といっても、突き抜けるようなそれではなくって、ほんの少しだけ白く霞がかってはいるけど。

それでも、綺麗な空だ。

まるで今日の終業式をお祝いしてくれているみたいで、なんだかとても気分がよかった。

 

「わっと!」

 

突風が私の髪で遊ぶかのように吹き抜けた。

折角整えていた髪型を気ままにかき乱したかと思ったら、そのまま止まることなくどこかへ飛んでいく。

さっきまで賑やかだった学校は、もう随分静かになっている。

見かける生徒も少ない。

そんな校舎だ。

風もさぞ飛び回りやすいことだろう。

 

過ぎ去った風を追いかけるみたいに、私も止めていた足を動かし始めた。

向かう先は決まっていない。

目的だって特にない。

ただ、なんとなくこの校舎を見て回りたい、それだけだった。

 

「楽しかったなぁ……」

 

本当に楽しかった。

だから、あっという間に過ぎ去ってしまった。

彼や、彼女達に出会ったこの一年は、私の人生で一番短かった一年だ。

それまで停滞していた時間の分も一気に進めてしまったような、そんな気がした。

錆びついて止まっていた時計が突然動き始めて、加速度的に針を先へと進めたんだ。

特にここ数日。

振り返れば楽しい思い出で隙間なく埋められているのにかかわらず、でも一瞬で過ぎ去ってしまったような感覚。

ここまで来た、そんな実感がわかないくらいに。

 

「ぐぬぅ……あれは卑怯すぎる……」

 

思い返していると浮かんでくる。

三人で交代しながら、彼へアピール合戦をしていたある日のことが。

 

あれは結衣先輩の日だった。

私や雪ノ下先輩と違ってなんの策も練ることなく、その日を迎えた結衣先輩。

あまりに何も考えてなかったので、恋敵である私達ですら「な、なにか考えた方がいいんじゃないですか……?」ってアドバイスしたくらいだ。

そんな結衣先輩がまさか私や雪ノ下先輩の策を簡単に、ほんとうにあっけなく無に帰してしまうほどのインパクトを残すだなんて、その時の私達は露ほどにも思っていなかった。

 

「まさかあの女子力を……あんな使い方するとは……」

 

結衣先輩がその日に行ったことは、それこそ巷で騒がれるものと違った正しい女子力の行使だった。

女子の力。

女の力だった。

料理だとか、裁縫だとか、言葉遣い、仕草とか。

そんな小手先の話じゃない、

もう清々しいほどに女としての力を使っていた。

私達の策を無に帰すっていうか、私達自体を無に帰した感がある。

 

「……くっ!」

 

あの様子じゃ、前後の日は結衣先輩の圧勝だ。

私と雪ノ下先輩にない武器を使うとは卑怯……いや、自分の武器を活かすことを卑怯とは言えないか。

確かに彼へのアピールと私達へのけん制を見事に兼ね備えた、良い一手だった。

 

「あの大きな二つの塊が……っ!形を変えてぇ……っ!」

 

自身の腕になんの遠慮もなく見事にフィットしたそれに、流石の彼もたじたじだった。

だじたじと言うか、でれでれだったかな。

あぁこれが鼻の下が伸びるってことなんだなって、ついつい納得してしまうくらいに彼はでれでれしていた。

 

まぁ、結衣先輩の日だからね。

そう自分に言い聞かせながら、私も雪ノ下先輩も妬み純度百パーセントの恨み節を呟くに留めていた。

でも、彼のその表情の所為なのか、それともただ単に、こちらの僻みでそう見えた結衣先輩の勝ち誇った顔の所為だったのか。

気が付くと、負けず嫌いな雪ノ下先輩に火が付いていた。

火が付いた途端、激しく燃え上がっていた。

 

そして。

圧倒的な質量で攻勢を続ける結衣先輩から彼を挟んで反対側。

その腕におずおずと抱きついたのだ。

私は「お、おぉ。雪ノ下先輩が行った……っ!」と感心すると同時に、「質量が違い過ぎる……っ!」と歯を軋らせた。

まるで大人と、……子供。

 

そんな無謀かと思われた突撃。

だけど、私の予想を裏腹に、結衣先輩に傾いていた戦況は振り出しへと戻る。

……と言うより、振り出しに戻ったのは彼の表情だけど。

あのでれでれで、どろどろだった表情が一瞬で抜け落ちて真顔になった瞬間といったらもう、ね?

雪ノ下先輩の同志である私も流石に笑いを堪えられなかった。

 

「でも、まぁ。あの表情は反則だよねぇ……」

 

結衣先輩の挑発に乗って抱きついたはものの……いや、挑発ってのは私達の思い込みだけどね。

そういったことをし慣れていない雪ノ下先輩にはやっぱり恥ずかしかったのだろう。

耐え切れなかったようで、すぐに彼から離れてしまった。

 

あぁーこれでまた結衣先輩のペースかと思ったその時。

彼から背を向けた雪ノ下先輩は、顔を伏せ気味に「あ、あまり見ないでちょうだい……」と消えそうな声で鳴いたんだ。

流れる黒髪の隙間から覗く透き通りそうなほどの白いうなじが、鮮やかな赤に染まっているのが私にも見えた。

ちらちらと窺うように彼を見るその姿は、可憐であり、そこはかとなく蠱惑的だった。

 

あの鉄壁の彼をしても「お、おう……」と、なんの捻りもなく素直に返事をするくらいだった。

まぁそれで黙っている結衣先輩でもない。

その後も負けじと反撃があって、それをまた反撃して。

それまた、とかを繰り返して、その日は壮絶なヒートアップをみせることとなった。

……私?

もちろん、参戦させていただきましたとも。

 

「……くふふ」

 

三人の意地の張り合い、というよりじゃれ合いと彼の狼狽ぶりが思い浮かんで、無意識に笑みが零れた。

小さな喜色はふわふわと舞って、静まり返った廊下に溶けていく。

 

ぴたり。

こつこつと音を立てていた足を止めた。

くるりと身を翻すと、そこにはこの一年で見慣れた扉がある。

生徒会室。

扉の上にあるプレートにはそう書いてある。

前から思っていたけど、なんだかそれは仰々しい。

そんな大層なものでもないのになぁー……。

 

ポケットから自前で作った鍵を取り出して扉を開けた。

後ろ手に入り口を閉じれば、元より静かだった私の周りは完全な無音に包まれる。

椅子に座るわけでもなく、壁に背を預けてその光景を眺めた。

窓際には二つの椅子が隣り合って並んでいる。

 

「久しぶりに会えて、無理やりここに連れてきたんだよね」

 

久しぶりといっても、たった数日だったんだけどね。

あの時の情景がぼんやりと浮かび上がってくる。

 

白い壁に温かな色が鮮やかに彩られて綺麗だった。

窓の外に見えた、雲の合間から覗く夕日に心を奪われた。

制服の上からでもわかった、彼の体温は温かかった。

すぐ近くで見上げた彼の顔がいつもと違っていて、心が高鳴った。

彼と腕を組んだまま歩いた帰路は楽しくて……ほんとに楽しくて仕方なかった。

 

「…………」

 

目を閉じる。

その思い出をそっと胸の奥にしまい込んだ。

そして、次に目を開けるとそこには今が映っていた。

窓から見える空は青い。

彼もここにはいない。

 

くるりと背を向けた。

外へ出て、蓋を閉めるみたいに鍵を掛ける。

私と彼の思い出が逃げてしまわないようにと。

 

 

 

 

 

   ×  ×  ×

 

 

 

 

 

ドアノブを捻って扉を開けた。

重い。

その扉自体の重みというより、ずっしとした抵抗感があった。

どうやら外から入ってこようとする風で扉が押されてるみたいだ。

身体を使って押し開ける。

押し寄せる風が後ろへ流れて行く。

ひらけた視界に映るくすんだ白い床は、太陽の輝きがぼやけながらも反射して眩しかった。

 

今日の屋上は風が強い。

何度も触れては離れ、靡かせては通り過ぎていく。

フェンスに近づいて手を伸ばした。

触れた指先に無機質な鉄の感触と、私への無関心な冷たさが伝わる。

 

「……あの時の私みたい」

 

熱いようで、その実、何よりも冷たく凍っていたあの私。

白い手に赤い斑点。

あの女の表情。

私に纏わりつく寒風。

もう何週間も前の出来事はずなのに、まだ全部が鮮明に思い出せた……思い出せてしまった。

自分が仕出かしたことなのだけど、あの時を思うと顔が歪む。

苦々しいこの感情は、あの女への怒りではなくて、自分への憤りだ。

 

「……はぁ」

 

胸の奥で膨らむ暗がりを、大きなため息と一緒に吐き出した。

それからフェンスを軽く押して一歩、二歩と後ずさる。

 

これ以上、あの時を詳細に思い出したところで面白いものはなにもない。

これから先、また私があんな場面に出くわしたらどうすべきなのか、その結論も出ている。

だから決別しよう。

もうこれに留まる意味はない。

 

「…………」

 

フェンスから離れると、あの時と同じような場所に立っていた。

蘇ってくる、正しい厳しさと頭に置かれた優しい手の感触。

自分の頭に手を置いて、今はないあの手と重ねた。

 

……なんでだろう。

寒さがどっかいっちゃったみたいだった。

屋上の冷たさで、すでに冷えてしまった私の手しか触れていないのに。

そこはとても温かかった。

 

「……んふふっ」

 

見上げると何にも邪魔されない空がある。

真上より少し傾いていた太陽は、また西側へと片寄っていた。

 

「じゃあね」

 

振り返ることなく、私は足取り軽く屋上を去る。

帰りの鉄扉は、もう、重たくなんかなかった。

 

 

 

 

 

   ×  ×  ×

 

 

 

 

 

お金を入れてボタンを押す。

ガコンと落ちてくる音が、静かなここにはよく響く。

お気に入りのミルクティー。

それを手に取るとじんわりとした温かさが、冷え切った身に沁みた。

外気に晒されて、この温もりが冷めてしまわないように両手で包んで歩き出す。

 

校舎を出て、壁に背を預けた。

学校を囲うように敷かれた道路を車が走り過ぎる。

静かだった今までと違って、ここは色んな音がよく聞こえる。

車の音だったり、どこか遠くから伝ってくる人の声だったり。

静かではない。

けど、この騒がしさも懐かしかった。

ミルクティーのキャップを回して口を付ける。

 

「……ほぅ」

 

吐き出すものは何もないけど、一息着くと落ち着いた。

ふわふわと身体の熱が逃げていく。

でも、白い霧にはもうならなかった。

 

……あの時から、また進んだからかな?

顔を上げると青い空がおぼろげに赤く染まって、あの時の情景がそこに映し出される。

 

結衣先輩の不安そうな苦笑いにその言葉が、どこかから聞こえてくる。

世界が少し下に降りる。

車が行き交う車道へと。

強がりみたいな言葉に不思議な輝きは、ゆらゆらと宙に浮かぶ。

また視線が落ちた。

あの時の結衣先輩を追いかけるみたいに。

そして、地面がいっぱいに映った視界に幕が下りた。

真っ黒な世界には、ぽつりぽつりと思い出の粒たちが明かりを灯してくれている。

 

「こんな気持ち……だったんだろうな……」

 

今になってようやく結衣先輩の気持ちが、なんとなくだけどわかった気がした。

愛しくて、柔らかくて。

ちょっと切なくて、守りたくて。

失いたくない。

たくさんの想いが廻り廻って、上がって下がって、浮き沈みする。

この感情をどんな言葉で表せばいいかわからないけど、

 

「悪くは、ないよね」

 

とりあえずそれだけはわかった。

思い出達の小さくて、淡い輝きを守るように、私の両手は胸の前で重なる。

 

―――どうか、なくならないで。

 

……あぁそうか、お願いでもあったんだ。

自然と重なったそれを見て、私はそう思った。

あの時の結衣先輩も同じだったんだろう。

守りたいだけでこうしたんじゃない。

祈りたくなるほどの想いがそうさせたんだ。

 

「……帰ろう」

 

顔を上げる。

身を預けていた壁から離れて、自分一人で身を立てた。

そして、また歩き出す。

あの場所へと向かって。

帰ろう。

そう言える場所へと。

 

 

 

 

 

   ×  ×  ×

 

 

 

 

 

終業式が終わって、大半の人は帰ってしまっているから、今の校舎内はどこへ行っても静かだ。

その中でも、ここは特別に静かだった。

まるで世界から切り離されているみたいで、私だけがここに存在しているような気にさせられる。

 

……いつもなら、この辺で紅茶の香りがするんだけどなぁ。

鼻を効かせてみるけど、今日はしなかった。

教室のプレートにシールがぺたぺたと無造作に張られた扉の前で足を止める。

廊下も沈黙に包まれて、いつも穏やかながら賑やかなこの教室からも、今日は物音一つ立つことはない。

 

「部活、ないって言ってたもんね」

 

今日はお休みの日らしい。

まぁ、それは奉仕部だけの話じゃなくて、他の部活にもいえることだけど。

終業式の日には部活は無い。

だからこそ、今の校内は寂しいくらいに静かなんだ。

 

「戸締りは……ばっちしですね」

 

扉に手を掛けてみたけど開かなかった。

そんなこと、いつも見ているからわかってるけど。

 

中を覗くようにガラスの部分へ額を付けた。

……うぅ冷たい。

自分の熱が吸い取られているみたいだ。

……でも、もう少しだけ。

私は冷たいけど離れなかった。

無性に今、この教室が見たかったんだ。

 

長机に変な配置の椅子が四つある。

その後ろには畳まれた長机だとか色々な物がごちゃごちゃと積まれていた。

その他に目に付くのは雪ノ下先輩が淹れる紅茶のセットくらい。

オシャレなモノで溢れているわけじゃない。

綺麗なモノが飾ってあるわけでもない。

どちらかと言えば殺風景だ。

なのに、どんな豪華な内装の部屋よりも、私にはこの教室が綺麗できらきらして見えた。

 

ここで過ごした今までの日々。

目を閉じなくても蘇る。

優しくて、穏やかな紅茶の香り。

ここだけは時が動くことを止めてしまったような停滞感。

そして、甘え合うみたいな軽口の応酬までもが鮮明に感じられた。

 

誰も居ない今でも、すぐそこにあの人達が居るみたいに思えた。

雪ノ下先輩があの椅子で、あれが結衣先輩で、そこから少し離れて彼の椅子で。

そして、その間に私の椅子。

 

「―――っ!」

 

不意に目頭が熱くなった。

息が詰まる。

誰も居ないこの場所に、でも確かにあった私の居場所。

これが、私の進んだ道の先。

逃げずに向かっていった、結果がそこにあった。

 

薄くて、脆くて、すぐ溶けてしまう。

そんな覚悟を重ねて、ここから始まったのではなく、始めたからこそ辿り着いた。

溢れそうになる涙を無理やり押しとどめて、鼻をすすりながらもそこだけを見つめた。

 

目に焼き付けておこう。

そう思ったんだ。

私が求めて、辿り着いたここを。

そして、新たな始まりを待っているこの時を。

 

「……また始業式に」

 

もう、行こう。

これ以上見ていると、たぶん今からでも三人に電話して飛びついてしまいそうだから。

誰に向けたものでもない別れの言葉。

それでいて再会を誓う言葉。

名残惜しいけど、今日はそれでおしまい。

ゆっくりと身体を扉から離して、私はまた歩き出した。

 

 

 

 

 

   ―――B―――

 

 

 

 

 

校舎を出てから空を見上げると、また少し太陽は傾いていた。

止まらずに、西へ西へと落ちていく。

時間は止まることなく進んでいる。

……そろそろ帰ろうかな。

三人の先輩達も家に帰ってしまっているだろうし、生徒会の仕事も、もう終わっている。

なんとなくで廻っていたこの一年の思い出廻りも周り尽くしたと思う。

だから、学校に残っている理由は何もない。

 

「うん、帰ろう」

 

もう一度だけ校舎を振り返って頷いた。

大丈夫。

もう、一年生でやり残したことはない。

校庭を過ぎて、学校の敷地を出る。

 

「…………あっ」

 

そこで足が止まった。

思い出した。

……と言うか、なんで忘れていたんだろう。

 

「あの場所からだったのに」

 

私の中での始まり。

踏み出すきっかけがあるとしたなら、それはあの場所だ。

少し迷った。

ここまで来て、引き返すのもなんだか億劫なんだよね。

今行かないと二度といけない場所でもない。

始業式には、またいけるのだから。

私にはあと二年も、この学校での生活が残っているのだから。

今じゃないといけない理由はない。

 

「だよねー」

 

だから私は、

 

「よしっ行こ!」

 

敷地の外へ踏み出そうとしていた足を戻した。

誰もいない校庭をぐるーっと見渡す。

誰もいないのだから、変わったことはない。

何もない。

ただ遠くに校舎が見えているだけだ。

そして、その手前にあの場所の屋根がちらちらと覗いているくらい。

 

「んふふ……。目的の人物はいないよねー?」

 

いつかの私を真似てみたら、それがなんだか楽しくって小さく口元がほころんだ。

さぁいこっか。

帰路に背を向けて、あの場所へ。

誰もいない校庭を踊るみたいに駆け抜けた。

少しづつ少しづつあの場所へと近づくにつれて、私の心はふわふわと浮足立つ。

ふにゃりと緩む頬はあの時とまったく同じだ。

誰もそこにで待ってはいないだろう。

誰もそこにはいないだろう。

でも、私の鼓動は高鳴っていく。

まるで、あの人があの場所で今も待っているみたいに。

 

「はぁはぁ……ふぅ」

 

目的の場所に着くと息が上がっていた。

ほんとうにあの時と変わらない。

変わったことがたくさんあって、わたしは私に変わったのに、それでもこれは変わっていない。

初めは緩めの駆け足。

後半は湧き立つ感情に急かされちゃって、本気で走っていた。

鞄からコンパクトを取り出してパパッと前髪を整える。

他にもおかしい所がないかチェックした。

 

「ふっ、ふふふっ……。よしおっけー」

 

楽しくて、本当に楽しくて一人で噴き出してしまう。

細くなった世界でぐるーっと誰もいない周りを見渡した。

眠るみたいに静かなこの場所にはきっと誰もいな―――

 

「―――えっ?」

 

誰も居ないと思っていたここに、たった一人の人影があった。

その人は自転車を手で支えて、空を見上げていた。

顔は見えない。

だけど、よくわかった。

いっつも目で追っているんだから、わからないはずがない。

少し前かがみの姿勢。

それは、私がいくら直すように言っても治らない猫背だ。

ぴょこんとはねた癖っ毛。

あれは寝癖なんかじゃないのを私は知っている。

あの後姿は、あの癖っ毛は、あの人は、

 

「……せん、ぱい」

 

どんな運命の巡り合せなんだろう。

ここを私が思い出さなかったら、あのまま面倒だって帰っていたら、走らずに歩いて来ていたら。

たぶん、ここで巡り合うことはなかっただろう。

あの背中は、私から見えなくなっていたはずだ。

身体が震える。

彼を見つけることが出来たのが嬉しいからってのも少しある。

けど、それ以上にあの始まりの日を思い出して私の身体は揺れていた。

私は彼に気付いているのに、彼は私に気付いていない。

離れている私達。

その間を寒々しい寂寞感が吹き抜けた。

一人残されたあの時の、熱がじわりと奪われていく感覚を思い出す。

同じだ。

あの時と同じだ。

『わたし』は動けないまま、彼の背を見つめることしか出来なかった。

本当に身体が凍りついたようだったんだ。

なんでかわからないけど近くに居て欲しくて、触れて居たくて。

だけど色々なことが怖くて、近づく覚悟はなかったんだ。

だから、あの時は動けなかった。

だけど、

 

「せーんぱい、こんにちはです」

 

動けなかったのはあの時の『わたし』だ。

今の『私』は凍らない。

身体が固まってしまっても、心の熱で溶かしてしまえばいい。

無防備な彼の背中に近づいて、いつもの場所を―――制服の裾を掴んだ。

驚いた表情で振り向く彼は開口一番に、

 

「なんでこんなとこに?」

 

そう言った。

 

「せんぱいこそ、なんでまだ学校に居るんです?」

 

「……平塚先生の有難いお小言に御付き合いさせて頂いてたんだよ」

 

げっそりとした表情で「んで、今やっと終わった」そう苦々しく彼は語った。

 

「まーた変な事したんですか。ほんと懲りませんよねー」

 

「おい、なんで変な事したこと前提なんだよ」

 

「してないんです?」

 

「……俺の中では常識の範囲内だ」

 

「じゃ、世界にとっては非常識ですねー」

 

彼は「うぐっ」と呻いかと思うと、ふっと表情を緩めた。

 

「……お前もなかなか言うようになったな」

 

懐かしむように言ったその言葉は、いつの私と比べているんだろうか。

 

「んふふー。はい、よき先輩達に囲まれているお陰ですね」

 

「そうかい。んじゃその先輩達とやらに、お礼と言う名のクレームをいれとかないとな」

 

「ふっ、ふふふふ……。そう、ですね。私からもよく言っておきます」

 

軽口の応酬に耐えられなくって噴き出した。

なんの演技も無く零れる笑みは、ふつふつと幾らでも湧き上がって尽きることがない。

 

「お前も、もう帰るんだろ?」

 

「そうですねー。そのつもりです」

 

「んじゃ、途中まで帰るか」

 

「……ふぇ?」

 

か、彼の方からのお誘いなんて珍しいっ!

いつもは私の方からばっかりで、誘ってくれそうな気配なんて今まで一度だってなかったのに。

誘ってくれてるんだよね……?

途中まで、一緒に、帰るかってことだよね?

先輩翻訳合ってる?

 

「……ん?用事があったか?」

 

あまりに珍しいことで呆けたままだった私に彼はそう言う。

はっ!

せっかくのチャンスに何してるの私は!

こんなの千載一遇のチャンスじゃない!

女は度胸。

間違えてたらその時はその時だ。

 

「な、ないですないですっ!そんなの有ってもないです!さぁ帰りましょう!さぁさぁ!」

 

「なにこの勢い……怖いんですけど」

 

彼は「……ほれ、鞄貸せ」って言うと私から鞄を取り上げて、自転車の籠に入れると歩き出す。

なんだか女性慣れしてるその行動に、ドキドキするのと一緒に僅かな弱然としない気持ちを抱えたまま、先にを歩く彼に並んだ。

 

「せんぱい、なんだか変わりましたよねー?」

 

前は、こんなことしてくれなかった。

だから、なんとなくでそう言ったのだけど、

 

「……変わった、ねぇ」

 

どうにも彼にはその言葉がしっくりこなかったみたい。

首を傾げながら「変わった、か」と繰り返し呟いている。

それは自分に問いかけているようで、いつかの私みたいだった。

ゆっくりと校門へと向けて歩く私達。

突風がそんな二人を包み込む。

その風に吹かれるように彼の顔が舞い上がり、

 

「いや、違うな。変わったんじゃなくて……」

 

「じゃなくて?」

 

彼はなんの感慨もなさそうに、

 

「変えられた、なんだろうな」

 

表情そのままにそう言った。

変えられた。

それは彼の意思を無視して、嫌がる彼を無理やりに変えたような響きを持っている。

変わりたく、なかったのかな?

一瞬、そう思った。

私と違って、彼は前のままでいたかったんだろうか?

だから、彼は「変わった」を「変えられた」に言い換えたのかな。

その疑問を、そのまま口に出して聞こうと思って彼に顔を向けた。

 

―――あぁ、そういうことなんだ

 

彼の表情を見て、私は確信する。

きっとそうだ。

彼は変わりたくなかったんだ。

そして、変わるつもりもなかった。

だけど―――

 

「そうなんですか」

 

「あぁ、そうなんだ」

 

「……よかった、ですね」

 

私はそう言った。

変えられてよかったですね、と。

そういう意味で返した。

彼は私の言葉を聞いてその表情を深めながら、

 

「あぁ、そうだな」

 

そうやってそっけないくらいの短い返事をした。

言葉は曖昧で簡潔だけど、その表情は雄弁に彼の心の内を物語っている。

とくん。

心音が大きく跳ねた。

彼のその表情に私の真ん中は早鐘を打ち始める。

ぴたりと足が止まった。

彼が空を見上げたからだ。

私も釣られて空へ視線を移す。

 

「あの雲は朧雲って言うんだと」

 

指を指すわけでもなく、彼は突然そう言った。

 

「あの薄くて掠れちゃってる雲のことですか?」

 

「そう、あれだ」

 

そこには、今日ずっと空一面を薄いベールで覆ったような雲があった。

柔らかそうで滑らかなそれは、雲らしい形を成していないけど名前があったんだ。

 

「へー確かにはっきりしてなくて、おぼろげですね」

 

「名前の通りにな。俳句なんかじゃ季語に使われる」

 

「あれが季語ですか?」

 

「あれでも立派に風物詩なんだよ。……春のな」

 

「……春ですか」

 

強い風がまた私達に吹き付けた。

髪と服がその流れに揺らされる。

春って聞くと、さっきまで冷たかった風がちょっとだけ温い気がする。

数日前までは、そんな気がすることもなかった風に春の息吹を感じた。

 

「そう言えば、明日はあったかいですよーって天気予報で言ってたような気がします」

 

「そうか」

 

「……もう春ですかね?」

 

「そうだろうな」

 

彼の返事はおざなりだった。

どこか遠くに意識が飛んで行っているみたいだ。

 

「冬は……終わっちゃうんですかね?」

 

それでも、私は彼に聞いた。

冬が終わる。

そう思うと変な切なさがあったから。

 

「あぁ、終わる」

 

曖昧だった返事が明確になった。

終わることを間違いなく確信しているみたいに。

 

「……なんだか寂しいですね」

 

あれだけ早く温かくなって欲しいと、寒さが過ぎ去って欲しいと思っていたのに、口に着いたのはそんな言葉だった。

さっきの切なさは寂しさだったんだ。

そう自覚すると身体の奥まで凍ってしまいそうな、あの冷気が無性に恋しくなった。

 

「そんなもんだろ。人だろうが物だろうが、こっちの都合なんか関係なしに変わっちまう」

 

表情は上を向いていて見えないけど、彼は嫌そうにそう言った。

そうだ。

勝手に変わってしまうんだ。

物であれ、季節であれ、人であれ。

変わることに私や彼の許可なんか必要ないんだから。

だから、私も彼の言葉に「そうですね」って頷いた。

頷いて、でも、私はそれで終わりにはしなかった。

 

「だからこそ、大切に出来るんですよね。絶対変わらないモノなんか、そんなの偽物ですもん」

 

絶対なんてものはない。

そんなこと、たぶん皆わかっている。

それでも絶対なんて言ってしまうのは、逃げたいからなんだろう。

それから目を逸らしたいからなんだ。

私は、もうそれを知っている。

 

「偽物、か」

 

彼はそう言ってから、くつくつと堪えるように笑った。

どうしたんだろう?

何か私、面白いことでもいったかな?

彼がなんで笑っているのかわからくて、首を傾げる私を尻目に彼はひとしきり笑った。

そして、空に向けていた視線を私に落とす。

 

「あぁ、そうだろうな。偽物だったんだろうな」

 

彼と目が合う。

面差しが見えた。

それはさっきと全然変わっていなくって、私がよかったですねって言った時と同じで、

 

「変えられたからこそ、手に入れれるもんもあるか」

 

綺麗な笑顔だった。

その笑顔には嫌悪も憂いも何も感じられない。

屋上で見た時よりもずっと澄んでいて、心に引っかかっていたものが抜け落ちたみたいな清々しさがあった。

いつもは奥に閉じ込められている彼の輝きが今は瞳に宿っている。

 

「ありますよ、きっと」

 

彼の瞳を真っ直ぐに受け止めてそう言った。

こんなことしたら、もういっぱいいっぱいまで早くなった私の心音が聞こえてしまうんじゃないかな。

だけど、逸らせるわけなんかない。

自分でわかるくらいにだらしなく頬は緩んでる。

だって、仕方ないじゃん。

彼の笑顔はみんなに向くわけじゃないんだ。

限られた、ほんの僅かな人にだけ見せる。

その笑顔を向けて貰えるのが嬉しくないわけがない。

たまらないって気持ちになる。

そりゃ頬くらい緩むよ。

しょうがないじゃん。

好きなんだもん。

 

「せんぱい、せんぱい」

 

……もう限界。

今までだって私の身体に収めるだけでも精一杯だったんだ。

なのに、彼のこんな笑顔を見たら、もう我慢なんか出来るはずないよ。

 

「せんぱいは知っていましたか?」

 

彼の数歩前へと踊り出す。

とんとんとんって足取りは羽が生えたみたいに軽かった。

 

「ん?何をだ?」

 

くるりと回って、彼に向き合った。

自転車と校舎がよく見える。

空には青と淡い白が浮かんでいた。

制服に身を包んでいる彼は、はてと首を傾げている。

そんな彼は、きっと驚くはずだ。

知らないだろうから。

 

「んふふ。あのですね」

 

そのことを思うと、また自然と頬が緩んだ。

あぁもう、私のほっぺたはゆるゆるだ。

どうだろう。

どんな表情をするのかな。

……面白い表情を見せてくれるに違いない。

たぶん固まって動けなくなっちゃうだろうな。

もしかしたら、驚き過ぎて力が抜けてしまうかも。

そうなったら、地面に倒れてしまう前に助けてあげよう。

 

「私―――」

 

溢れんばかりの想いが顔に浮かんで、世界が弓なりになる。

風に遊ばれてふわりと浮かぶ髪は、この気持ちを表しているみたいだ。

 

ねぇ、せんぱい。

私、いつあなたを好きになっていたのかわかりません。

出会ってすぐだったのかもしれません。

あの本物を求めるあなたの言葉を聞いてからかもしれません。

始まりはわかりません。

 

ねぇ、せんぱい。

私、あなたのどこが好きなのかわかりません。

それは好きなところがないからじゃなくて。

どれもが好きで、その中でどれと言われても決められないからです。

 

せんぱい。

私、あなたのことではわからないことばっかりです。

それは、あなたが理解出来ないとかいったものではありません。

どれもが初めてのことで、知らないことだらけなんです。

真っ白で、まだ通ったことのない道なんです。

 

せんぱい。

……でも、この気持ちがなんなのかは、はっきりとわかっていますよ。

私はね、せんぱい。

 

「せんぱいのことが好きなんですよ?」

 

ここで彼の背中を見送った日は寒かった。

とてもとても寒くって、冷たかった。

間違いなく、あの時は冬だったんだ。

心も凍ってしまいそうな冬だったんだ。

そんな季節も止まることなく動いていた。

 

いくら探せど見つからない厳冬。

夕日に照らされた雪解け。

焦燥に駆られた乾いた空気。

周りの寒風に吹かれて落ちそうになった枯葉。

翳った長夜。

 

そんな、冬を乗り越えて今になった。

逃げずに耐えたからこそ、今がある。

春がくるんだ。

 

でも、この春も変わっていく。

いつかは春も終わるんだ。

そして、夏がくる、

暑い暑い夏がくる。

夏が過ぎれば、秋がくる。

涼しくなった秋がくる。

そして、いつしかまた寒くなって。

冬がくるんだろう。

 

温かくなって、暑くなって、涼しくなって、寒くなる。

季節も、そして、たぶん私達もそうだろう。

ずっと温かいなんて、そんなのありえないから。

変わっていってしまうのだと思う。

 

それでも、もう私は、私達は逃げないだろう。

だって、この寒い冬に薄くて脆い薄氷を重ねたのだから。

これからも、重ねていくのだから。

他の人に踏まれても。

他の熱に晒されても。

きっと、大丈夫、

 

また風が吹いた。

やっぱり、それはどこか温かかった。

春風だ。

季節が変わっているんだと思った。

なら、私も負けずに変わらなきゃね。

 

一歩、彼に歩み寄る。

今までありがとうございますって、今の私に出来るとびっきりの笑顔にそう乗せた。

そして。

これからもよろしくお願いしますね、も一緒に乗せておいた。

 

「えへへ……」

 

 

誰だって信じていたいんだ。

この世界は美しいと。

そこには綺麗なものが溢れているのだと。

その中には、本物と呼べる何かがあるんだって。

 

でも多くの人は思っているだけ。

信じてはいない。

 

たぶん、そうじゃないんだ。

そんなものは無いんだ。

なんとなくで、そう決めつけてしまっている。

この世界は美しくなんかないよって。

 

でも、本当はそうじゃない。

きっと、そうじゃないんだ。

 

こうして、あなたの隣にいるとそう思える。

本物と呼べる何かは、この世界にあるのだと。

だって。

あなたがこうして私に微笑みかけてくれるのだから。

じゃ、世界だって美しいはずだ。

強引過ぎるかな?

まぁ、私らしいよね。

 

「知らなかったでしょー?せーんぱいっ!」

 

運命だとか、巡り合せだとか、そう言った類はあまり信じていないけれど。

そういったものに、あまり頼りたくはないけれど。

願掛けみたいな感じで、私は口に出さずに胸の内で呟いた。

 

 

 

 

 

どうか。

これからも。

変わっていく日々を、

 

 

―――あなたと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「知ってる」

 

「―――えっ!?」

 

変化ってのはやっぱり予想通りになんかいかないようで。

これからの日々も、私の想像以上に変わっていくみたいだ―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最終話 変わっていく日々

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 









掲載開始が去年の十二月二日。
期間にして一年と少し。
ここまでお疲れ様でした。
感想を書いて下さった方々。
評価をして下さった方々。
お気に入りに入れて下さった方々。
この作品を読んで下さったすべての方々。
稚拙な文章にもかかわらず、ここまでお読みいただきまして、本当にありがとうございました。


案の定といいますか、なんといいますか……。
当初、予定していた通りに物語は全然書けず、何が目的なの?みたいな作品になってしまいました。
この最終話でも結局、投げっぱなしな終わり方で……。
自分の力量が足りないが故に、皆様のご期待に応えることが出来ず、申し訳ありません。

不甲斐無い最後ですが、この『変わっていく日々を君と』はこれで終わりになります。
ここまで御付き合い頂けたこと、深く感謝いたします。
次の作品を書くかわかりませんが。
もしも、また何かを書くことがあって、そこでお会いできれば光栄です。


それでは。
今年一年間、ありがとうございました。
そして。
皆様の明日から始まる新しい一年が、幸多き1年になりますように。










 
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