ちょっと甘い方がよろしいのでは?
原作終わりから4年後ぐらいの想定です。
砂糖が甘くて、唐辛子はぴりと辛い。それは当たり前のことだ。難しい話のできない私でも分かる、簡単な感覚の話。全てがそうかと問われたら、ちょっと迷ってしまうけれどたぶんイエスと答える。
私は、甘いと思わない砂糖と出会ったことはないし、辛いと思わない唐辛子にも出会ったことがないから。
今、私の目の前、ショーケースに並んでいるケーキたちだってそう。きっとみんな甘い。砂糖と塩を間違えるなんてドジな真似をするほど、私は抜けていない。
ストロベリーショート、フルーツタルト、シフォンケーキにマドレーヌ、チーズケーキ、ババロア、プリン、ガトーショコラ。ガトーショコラは少し苦味もあるっけ。
もう香りだけで名前を当てられるほどになった洋菓子を端から順に眺める。たまたまチーズケーキが少し斜めに歪んでいるのに、気づいた。
列を正そうと思ってケースを開ける。漂いくるのは、魅惑の甘い香りだ。鼻腔の奥へ一気に駆け上がって、なんだか幸せな気分を運んでくれる。
チーズケーキをケーキサーバーで少し動かして、修正は完了。しかし開けてしまった甘さの誘惑の扉を閉めることはついに敵わず、ストロベリーショートに手を伸ばしそうになったところを横からぱしっとはたき落とされた。といっても、そっと上に手を重ねるような全く痛みのないものだったが。
「おい、ちひろ。なにしてんだ。今食べようとしてなかったか?それ商品だからな、1つ450円だ。」
「えー、いいじゃんかー少しぐらい!私、働いてる側だよ?それに、こーんなにあるんだよ。」
そんな私の言葉とは無関係に、慈悲もなく閉められるショーケース。私が最後に伸ばした手は、また下にゆっくりと落とされた。
「ダメだ。こんなにあっても、いつも売り切れるんだから、ちゃんと残しとけ。」
手の主はそう言って、トレードマークとも言える眼鏡を掛け直す。照明が反射して、キラッと光った。彼はここカフェグランパの副店主で、店主の息子、桂木桂馬だ。
そして、実は私の高校時代からの彼氏でもある。
「……ちぇー。」
「働かないとクビだぞー。僕でもちゃんと働いてるんだから、ちひろだってちゃんと働け。」
「もう仕方ないなぁ。」
「雇ってるんだから、当然だ。机拭いて、ドリッパーの組み立て。」
そう、私は彼の彼女でもあるがこの店のアルバイトでもある。大学に通い始めた時に桂馬から提案されて、ここでアルバイトを始めた。
時給は大手カフェチェーンより少し高め、しかも彼氏や知り合いばかりの好条件。なんの不満もなく、もう1年以上働いている。ケーキを貰えなかった今は少し不満もあるけれど。
「あれ、今日えりーと麻里さんはー?」
「今日はいない。なんかショッピングモールの方で洋菓子のイベントがあるらしくて、調査とか言って出かけて行ったよ。母さんもえりも絶対、ケーキ食べに行っただけだろうけどな。嬉しそうだったし。」
「へー、私もそっち行きたかったなぁ。桂馬も今から行かない?」
「ぼ、僕は御免だ。」
テーブルクロスを広げながら、彼の顔が少し歪んでいる。からかい成功だ。
彼はカフェやさんの息子だというのに、甘いものが苦手なのだ。私は大好きだから、勿体無いなぁと思う。こんなに美味しいものが日常のそばに転がっているというのに。
それにこの甘味嫌いはデートの時には、意外と困りものだったりする。甘いものだけじゃなく、コーヒーや紅茶も美味しいお茶屋を探さなければならない。これが意外と難しい。
「ん、そろそろ店開ける?」
「あぁ、看板立てようか。」
「はーい。じゃあ私が扉開けとくから、桂馬は看板持ってきて立ててー、札Openにしてー電気つけてー、店番よろしくっ。」
「分かった………ってそれ、ほとんど僕しか動いてないじゃないか!」
あちゃ、ばれちゃったみたい。けれどこれだけの反応を見せてくれたら、からかいがいがあるってものだ。
「とか言ってー?」
「やらない!札ひっくり返すぐらいしろ!」
「あれ、店番はしなくてもいいんだ?」
返事なし、後ろを振り返ると看板を取りに行ったのだろう桂馬はそこにいなかった。
私は扉を開ける。冬へと足早に向かう世間は今年ももうすぐ終わりの師走月、毎日寒い日和が続いている。今日もそれは同じで、暖房で暖かな室内とは打って変わって凍り付きそうな外気が、寒さ対策で露出の少ない肌をひやり撫でた。
電気や看板を返して、看板を立てるスペースに落ちた葉をほうきで掃く。隙間に砂が溜まっていたようで、ほこりが立った。今日お客さんが少なかったら、掃除をしてもいいかもしれない。
言われていない余計なことまでして、桂馬の言葉通りならこれで今日づけの仕事は終わりだ。けれど、
「ありがとう。なんだかんだちゃんとやるんだな。」
「……まぁ、ね。」
「ん?」
「桂馬が残るっていうなら、残ってやる!って意味!」
そういうこと。
図らずも今日は2人きり。今日は…。なにかを期待しないでもない。
とまぁ、そんな期待はすぐに消えるぎりぎりまで削られることになった。
店は朝から多忙を極めた。今日が土曜日だったということもあろう、開店すぐから来るわ来るわ。店の外に設置した椅子に待ち客ができるほどだった。
ようやく店が落ち着いたのは、あれだけあったショーケースの中のケーキが全て無くなった頃、もはや夕方だった。外の砂だまりを掃く余裕なんてちっともなかった。
薄くなった甘い匂い、空のショーケースを台拭きで拭いていく。なにというわけでもないが、寂しい気分になる。
「じゃあ僕、店閉めしてくるから続きよろしく……疲れた。」
「あんたはいつも、ゲームしてるから体力が無いんだよーだ!……まぁでも疲れたね。」ゲームを引きこもってまでする人間だ。女の私より体力がない。ちょっと情けないけど、もうその辺は知った上だ。
「うん、でも悪いニュースがある。」
「な、なに?」
「まだやらなきゃいけないことがある。追加の仕事だ。」いつもは飄々と澄ました声をしている、桂馬のトーンが明らかに下がっている。疲れは明白だった。
こういう時は……
「仕事押し付けて、家族が楽しんでるって言うのに…なんで僕は……。だから社会は嫌なんだ………っていうか、現実世界………!!」
「そうだね、私も今はゲームの世界に行きたいかも。」
「!?分かるか!?」
「ほーら、元気出た!働けー、桂馬ー!!」
「……なっ、分かった分かった。」
ゲームのことを話に出しておけば、元気もすっかり元に戻る。
もちろん他になにをしたら元気になるかだって私は知っている。手をぎゅっと握られるの、エレベーターで後ろから頭を寄せるの、もうべったり肩の後ろから抱きつくの、それから……
だめだ、現実逃避のしすぎで甘すぎるメモリーが返ってきてしまった。
「……ちひろ?」
「な、なにさ?」
「いや急に黙り込むからどうしたのか、って」
「……なんでもない!早く行った、行ったー!」
現実は砂糖の少しの甘さも許されない労働時間である。焦りを隠すため、もう拭き終えた作業台をもう一度拭いておいた。
桂馬が戻ってきたのは、すぐだった。そりゃあ看板を畳むだけのことだ。私の店内片付けも、残すはキッチンの中のみ。
しかし、その前にまだ「仕事」があるという。
「来週から出す新作の材料らしい。焼いて明日、試しに常連の客に食べてもらうんだとさ。」
「へー、これが?……私には、普通のケーキと変わらないように見えるんだけど……」
「たまごを変えて、スポンジのふわふわ具合が違うらしいぞ。……えりによると。」
「やっぱ桂馬は食べてないんだ。ふふっ。」
くすっと笑ってしまう。麻里さんが食べさせようとして、桂馬が断る絵がすぐに浮かんだ。
「…仕方ないだろ。僕が混ぜるから、横から少しずつ牛乳足してくれない。」
「はーい、頑張れー。」
砂糖、小麦、バター、それからBPと色々。もちろんバトルポイントじゃなくて、ベーキングパウダーだ。
桂馬が生地を捏ねて、私が横でそれを補助する。桂馬の手つきは、決して慣れているとは言えず中々大変そう。私が見かねて代わろうかと言ったけど、「いい!」の一点張り。仕方がないから、不細工に仕上げられていく生地に牛乳を足すのに徹した。
「つ、疲れた……」
「はいはい、お疲れ様ー。次は何すんのー?」
「焼いて、待つ。その間に、ペーストと飾り作りだな。手伝ってくれると助かる。」
そう言って、冷蔵庫から出てきたのは料理番組みたいに既に量の計られた材料の数々。大方、麻里さんが桂馬には心配だからと準備してくれたのだ。
今度は、私も目いっぱい手伝う。オレンジの皮を少し切って、うさぎにしたり、りんごもうさぎに、梨もうさぎに……と、ノリノリでやっていたらうさぎでいっぱいになってしまった。試作品とはいえ、遊びすぎた気もする。
桂馬はといえば、私がフルーツをカットしている間、違う作業台でペースト作り。シロップやらを今度はスプーンで混ぜていた。こちらのことを気にしていないのが任されたようで誇らしいような、少しむくれたくなるような。そんな感じ、桂馬の後ろ姿をぼーっと見つめているとオーブンが鳴って私を呼んだ。
「桂馬ー、鳴ったよー。」
「うん。僕がとるよ。ちひろ、台の上もの除けてくれるか?」
「ん、ほい。」
私が包丁や型をのけると、混ぜるのには確かに苦労したが焼きあがった感じは抜群に美味しそうな生地の完成。
甘さと香ばしさとが混じった匂いは、普段店に出しているものとも遜色ない。
「えーっと……次はなんだったかな。そうだ、メモ…。」
「桂馬ー、粗熱とって冷蔵庫じゃないの。」
「そ、そうだな。じゃあ待とう。」
このリアクション、知らなかったのだろうか。麻里さんは、こんな状態の桂馬に任せてよかったのかな。
そう考えて、ひとつ思いついた。
「私がいなかったら、だめだね。桂馬は。」
「なっ………悔しいけど、今は認めるよ。」
隣に行って、肘で腕をつつく。これは、さっき私を気にしていなかった分の仕返しでもある。つまんなさそうに、顔を背ける桂馬を見ていたら「可愛い」と思ってしまって、つい頭を撫でにかかる。もう客もいない、邪魔は入らない。
そう思ったのだが、
「やめろ。手ベタベタだろ。それに、仕事中だ。」
このクールな対応。ここまでされると、私としてはあんまりいい気分にはなれない。
少しの甘さくらい求めたっていいのではないかしら。
口に出さずとも、そう思った。
話しながら待つこと、しばらく。
私の盛り上がりのごとく、熱のしっかり冷めたスポンジをパン包丁で切っていく。下手くそな包丁捌きでちょっと歪んでしまったが、桂馬は上手く切れたと満足そう。2人で苦労しながら、8分立てしたクリームをパレットナイフで内と外に塗り込んでやっとこさ体裁はケーキらしくなってきた。
切ったカットフルーツを盛って、ついに完成。見た目はそこそことはいえ、完全に素人の作ったケーキ。
実際、小分けに切ったら、下手な中身もばれてしまうわけで試作品としても出せるか怪しいところ。
「桂馬、これ作り直したほうが……」
私がそう言おうとしたところで、今の今まで付いていた電気が消えた。
「て、停電?」
「電気使いすぎたのかもな。ちょっとホールのブレーカー見てきてくれないか?」
「あぁ、うん。」
たしかに色んなところで電気を使っていたから、ブレーカーが落ちただけかもしれない。確認しに行くため、言われるままキッチンを出る。店には幕を下ろしたから、日も入らず真っ暗だ。
スマホのライトを点けて、椅子に上って確認したがブレーカーには異常なし。
「……どういうことだろ。」
原因を考えながら、キッチンに戻ると、
「………桂馬ー、…………へ?」
『ハッピーバースデートゥーユー、ハッピーバースデートゥーユー、ハッピーバースデーディアあなたー、ハッピーバースデートゥーユー』流れてきたのは、可愛いアニメ声での誕生日ソング。
暗い中唯一見えるのは、さっき作ったケーキに立ててあるろうそくだった。
「ちひろ、遅くなってごめん……その、誕生日おめでとう。」
「………桂馬…………。」
やっと意味がわかった。今日2人だったのも、試作品には程遠いケーキを作ったのも、多分このため。全部、私の………
「ちゃんと自分で歌え、ばーか。」
言葉は時に、気持ちと裏腹に。
「そ、それは恥ずかしいから…だなぁ。僕の範囲外だ。アキちゃんの方がうまいし………いや、いい!ほら、そんなことより火消してくれ。」
「………うん!」
私はふーっと一息で火を消す。電気がついたら、してやったり満足顔の桂馬が私の前に立っていた。思わず抱きつきたくなって、もう何を言われても構わないと飛びついた。
「ち、ち、ちひろ?」
「ありがとう。ごめん、全然気づかなかったや。」
「まぁちひろにばれないようにして」
そして、口をふさぐ。これは、大好きのしるし。ケーキより甘いキスの味。
「ちひろ、急にやられると…その準備が」
「そんなのいらないの。」
もう一回、もう一回。重ねていけば、それだけ甘くなる。
砂糖が甘くて、唐辛子はぴりと辛い。それから、キスも甘かった。
そんな当たり前が、私にはなにより素晴らしい。
甘さを閉じ込められていたら、幸いです。