艦これ海上戦記譚~明け空告げる、海をゆく~   作:PlusⅨ

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第十話・潜む、悪意(2)

 出港日の朝はよく晴れ渡っていた。雲はまだところどころに浮いているものの空は明るく、風も穏やかで波も低い。

 

 まだ夜明けを迎えて間もないこの時刻。鎮守府の岸壁に、海尾を始めとした南方警備艦隊の面々が揃っていた。

 

 見送りの海尾と叢雲の前に、白雪、村雨、初霜の順で整列し、旗艦の白雪が海尾に敬礼する。

 

「第十一駆逐隊、旗艦白雪、他二隻。これより隊訓練及び海域哨戒任務のため出港します」

 

「了解、出港を許可する。今日から天候が回復して漁船も多く漁に出ている。航行や訓練には巻き込んで事故を起こさないよう十分に注意してくれ。それと今のところ深海棲艦出現の兆候は見当たらないが、油断しないように」

 

 海尾の訓示を三人は背筋を伸ばして聞いていた。彼女たちは出港前特有の緊張感を漂わせていたが、しかし無駄に気負い過ぎている訳ではなかった。

 

 訓示を聞き終え、艦娘たちは出港準備作業に取りかかる。

 

 鎮守府には艦娘用の岸壁が複数存在し、駆逐艦なら最大十二隻、戦艦や空母といった大型艦船でも四隻の同時係留が可能だった。しかし、その岸壁のほとんどが前回の空襲によって集中的に爆撃され、係留施設や、最も重要な船体転送装置が破壊され使用不能になっていた。

 

 唯一無事だったのが一隻のみ係留可能の、この予備用岸壁だった。岸壁の全長が短いことや港湾内が狭いこともあって出入港は一隻ずつしかできない。そのため今回の出港も初霜、村雨、白雪の順に船体を出現させて実施されることになっていた。

 

 初霜は海面に降り立ち、転送装置を作動させ船体を呼び出す。周囲をまばゆい光に包まれて、一瞬後、初霜は自らの艦橋に位置していた。

 

「出港準備、艦内警戒閉鎖」

 

『了解。出港準備、艦内警戒閉鎖』

 

 サポートAIの復唱と共に、艦内をメンテ妖精たちが駆けまわる。

 

 艦内の各防水ドア・ハッチ類や配管の注止水弁、通風弁は全て自動化されているが、戦闘時の被害や故障に備えて手動操作機構も当然ながら備え付けられている。妖精たちは自動閉鎖されたそれらに手をかけ、開閉機構が確実に作動していることを確認する。

 

 これはつまり自動機構と手動機構のダブルチェックであるが、しかしチェックしているのも妖精であるので、これも自動機構と同じ次元だと言える。

 

 そうなれば真の意味でのダブルチェックは人間が--すなわち艦娘自身がすべきであるが、100メートル超の船体の隅から隅をひとりでチェックするというのは(停泊中や入渠中を除いて)ナンセンスでしかなく、結局、これは機械的なシステムをどこまで信頼するのかという問題になってくる。

 

 とは言うものの、これは通常艦艇であっても同様の問題があると言える。艦娘の立場は通常艦艇で言うところの“艦長”であり、妖精たちは“乗員”の立場だ。

 

 艦長は乗員が担当する部署をいちいち事細かに確認したりしない。乗員たちはそれぞれの部署のプロフェッショナルだ。艦長が彼らを信用しなければ艦は動かない。艦娘と妖精の関係もそれと同じだ。理屈の上では、そうだ。

 

 だが自動機械を人間と同様に信頼するのは、難しいのが現実だ。

 

 いや、工業製品的な尺度としての信頼度ならば、運用データと計算でパーセンテージとして導き出すことが可能だ。そしてその信頼度で測るならば、妖精たちは人間の乗員たちと比べ、精密さ、反応の速さ、そして効率で上回っていた。

 

 無論、初霜を始め艦娘たちも、自分の船体を動かす妖精たちの信頼度を疑っていない。しかしそれはどちらかといえば、自己の延長線上、つまり自分の身体の一部分として捉えている感覚に近く、人間的な信頼とはまた違う話だった。

 

 たしかに人間はもはや信頼度では自動機械に敵わない。特に効率面で言えば遥かに差をつけられていた。そこまで科学技術が発展してしまったのだ。

 

 しかし、それでも戦場には人間が存在していた。

 

 艦娘たちのように限りなく全自動に近いワンマンコントロールシップも多いが、それとほぼ同じ数の通常艦艇も運用され続けていた。

 

 その理由は、それこそまさしく、人間的なものへの信頼故だった。

 

 機械への信頼度を超える、人間への信頼。

 

 精密さ、反応の速さ、そして効率の低下を許容するだけの信頼。

 

 それは人間至上主義とでも言うべき不合理なものに見えるかもしれない。

 

『艦内各部警戒閉鎖よし。各部出港準備よし』

 

 AIの報告が艦橋に響く。

 

 初霜はそれに了解を返しながら、人間至上主義に見える現状も、実はさほど不合理ではない。と頭の片隅で思った。

 

 人間を機械よりも信頼できる理由は、自らもまた人間だからだ。

 

 人間は機械よりも信頼度が低く、ミスを起こしやすい。しかし人間とはそういうものだと誰もが知っている。理解できるから、逆に信頼できるのだ。

 

 それは人間の存在価値が機能や効率性とは別にあるからこそだろう。

 

 逆にシステムの信頼度に存在価値が置かれている自動機械にとっては、そのミスがどれほど低い確率であろうとも、事故が起きてしまった瞬間に、その存在そのものへの価値を問われてしまう。それは、戦場という極限状態での信頼を求めらえる世界では致命的な弱点と言えた。

 

 だからこそ、未だに通常艦艇が主力として存在しているのだ。

 

 それゆえに艦娘は、海軍戦闘艦艇の五割を占めるようになった現在でも、決戦兵力の主力たる遠征打撃艦隊には一部の戦艦や重巡を除いて配置されておらず、その主な配置は警備艦隊や遠征護衛艦隊に留まっていた。

 

 しかしそれも人間至上主義による艦娘差別というわけではなく、限りなく全自動に近いワンマンコントロールシップという、機械的信頼度に負うところが大きい艦娘が抱えるリスクゆえだった。

 

 高い信頼度を誇る機械でもミスはいつか起きる。その時、機械は存在そのものを問われてしまい、リカバーは難しい。

 

 しかし人間が犯したミスは、所詮、人間はその程度のものと認識しているから許容できる。

 

 だからこそ、戦場では人間が未だ主力であるべきだ。例えそれが膨大な人命の損失に繋がろうとも。それが海軍の兵器運用思想でもあった。

 

 ゆえに負けることが許されぬ艦隊である決戦兵力たる遠征打撃艦隊には、あらゆる状況、あらゆるミスにクレバーに対応できるよう膨大な人的資源が投入されているのである。

 

 と同時に、決戦兵力に人的資源を集中したがゆえに、海上通商航路の防衛などに必要な人材と予算が不足し、それを補うためにワンマンコントロールシップである艦娘が必要とされたという背景があった。

 

(人間は、間違える生き物だ・・・)

 

 出港に向けてAIに指示を出しながら、初霜はちらりと、寮の部屋のドアに書かれた落書きを思い出した。

 

(人間の間違いは、許せる。だって、私も人間だから)

 

 初霜は自らにそう言い聞かせながら、出港に向けた最後の指示を下した。

 

「取舵一杯、右前進微速、左後進微速。ラッパ用意」

 

 艦橋ウィングに妖精が立ち、ラッパを構える。

 

「出港用意!」

 

 初霜の号令に妖精が高らかに出港ラッパを吹きならし、駆逐艦・初霜は岸壁を離れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、漁港の岸壁は静まり返っていた。

 

 時刻は午前も半ばを過ぎたころ。漁船の大半は昨晩の内に出港しており、漁獲のあった船はとっくに帰港し、水揚げまで済ませて、また今夜の漁に備えて自宅で英気を養っているだろう。残る漁船も同じく今夜の漁を目的にしており、その出港は早くとも夕刻だ。

 

 そんな、漁に出るにはあまりにも中途半端な時間帯に、一隻の漁船が出港していった。

 

 全長20メートル。排水量19トンの漁船であった。1280馬力の機関を二基搭載した二軸推進、最大時速35ノットを誇る快速船だが、今、そのエンジン音は不定期に咳き込むような音を立てながら、やっと10ノット程度が出るか出ないかの速力で海を走っていた。

 

「晴れてよかったな」世話役が船べりに腰かけ、沖を眺めながら言った。「波も穏やかで、そんなに荒れていない。フェリーでも船酔いしたから、正直、こんな小舟で沖に出るから心配だったんだ」

 

「小舟で悪かったな」操舵輪を握りながら、漁師が不機嫌に言う。「けどフェリーで酔っただと? そんなんじゃ先が思いやられるな」

 

「これぐらいの揺れなら平気さ」

 

「その余裕がいつまでもつか見ものだな。・・・ちっ、エンジンが咳き込む。調子が出ないな」

 

「僕の船酔いよりも、そっちのほうが心配だな。海のど真ん中で漂流なんて勘弁してくれよ」

 

「黙れ。海水を被って半日足らずだ。まともに動く保証なんて無い。それでも船を出せと言ったのはお前たちだ」

 

「おいおい、大金を払っているのにそれは無いだろう。こっちは雇い主だぞ?」

 

「だから、どうした。雇い主なら船をバカにする権利があると思っているのか。勘違いするな。お前らなどただの荷物だ。俺が叩き落そうと思えば、いつでも叩き落せる。この船の船長は俺だ。わかったか。わかったなら文句言わず大人しく運ばれていろ」

 

 漁師の剣幕に、世話役は言葉を返せず気まずそうに目をそらした。その目が、反対側の船べりに背中を預けて座っていた彼に向けられる。

 

 船を出せと言った張本人である彼は、先ほどの漁師と世話役のやりとりなど眼中にも無かったらしく、手にした携帯端末の画面を無表情に眺めていた。

 

 漁船は港の最外部の防波堤を超え、今まで両側に見えていた陸岸が後方へと下がっていった。

 

 沖に出た途端に、漁船の揺れが大きくなった。船べりに腰かけていた世話役はバランスを崩しかけ、慌てて船べりの内側にへたり込むように座りなおした。

 

 漁師がそれを見て「ざまあない」と鼻で笑った。

 

 世話役が顔を赤くして言い返す。

 

「まだ酔ったわけじゃない」

 

「その調子なら、どうせ時間の問題だ。船の中で吐いたら海に蹴り込んでやるから覚悟しろ」

 

「右だ」不意に、彼が言った。「右に舵を取り、陸岸沿いに進め」

 

 携帯端末から目を離すことなく告げられたその指示に、漁師はきょとんとした表情をした。

 

 言葉が通じていないのだ。

 

 世話役が慌てて、彼の指示を漁師に通訳する。

 

「あいよ、面舵っと。・・・で、どの方向まで回りゃいいんだ?」

 

 漁師の問いに、彼は携帯端末に目を向けたまま手を上げた。その手が、さっと振り下ろされる。

 

 漁師はこれが合図だと気づき、舵を中央に戻した。

 

 彼は言った。

 

「行き過ぎだ。少し左へ戻せ」

 

 それを世話役が通訳する。

 

「へいへい」

 

 漁師は少しだけ舵を左へ切る。漁船はゆっくりと左回頭。

 

 彼が携帯端末を見たまま、また手を上げ、下ろす。

 

「このまま進め」

 

 彼はそう指示し、それきりまた黙り込んだ。

 

 漁師は、そんな彼を胡散臭そうに眺めた。

 

「おい、俺たちはどこへ行くんだ?」

 

 漁師は問いかけたが、彼は何の反応も見せなかった。世話役も通訳しようとしなかった。

 

「おい、通訳しろよ」

 

「伝えたって無駄だよ。彼は答えない。彼の指示通りに船を出す、という契約だ」

 

「目的地ぐらい教えてくれたっていいだろう」

 

「無駄だと思うね。何を考えているのか分からない男だ。けれど・・・」世話役は声を潜めた。「あんただって、これがまともな仕事じゃないって気づいているんだろう?」

 

「・・・」

 

 世話役の言葉に、今度は漁師が押し黙った。

 

 素性の知れない外国人から、目的も告げられずに船を出せと言われて大金を積まれた。これで真っ当な仕事だと思う人間などいないだろう。

 

 それでも仕事を受けたのだから、昨夜の自分はどうかしていた。と漁師は思う。酒に酔っていたせいだ。

 

 しかし意識も記憶もはっきりとしていたし、何より金に困っていたのも事実だ。

 

 背に腹は代えられない。酔っていなくとも仕事を受けただろうと漁師は思った。酒は迷いを振り払う勢いを与えてくれただけだ。

 

 だが、不安もある。

 

 どこへともなく船を走らせながら、漁師は雇い主たちの姿に目を向けた。

 

 世話役はいつの間にか体育座りのような姿勢で項垂れていた。やっぱり酔ったのかと漁師は見下した目で一瞥して、そして彼に目を移した。

 

 彼もまた座り込んだまま、手元にずっと目を向けていた。

 

 彼はずっとこうだ。他に目を向けず、ほとんど身動きもしない。明確に動いたのは先ほどの針路指示の合図ぐらいだ。表情も変わらない。船酔いした様子も見られない。不気味な男だ。

 

 いや、危険な男だ。と漁師は思い直した。何をしでかすのか見当がつかない。

 

 だが、本当に危なくなったら--それこそ命に関わるような事態になったら、その時は船から叩き落してやればいいだけの話だ。

 

 彼らは雇い主だが、船長は自分だ。この船の上で、船長に逆らえるものは居ない。物理的に逆らえるはずがない。潮を被っていつ止まるかもしれないエンジンを整備できるのは自分だけだ。

 

 それに万が一、彼ら二人が力づくで襲い掛かってきたとしても、返り討ちにできるだけの自信が漁師にはあった。伊達に海の男はやっていない。不安定な船の上で網を引き揚げ続けて鍛えた身体と腕っぷしに、陸しか知らない素人が勝てる道理は無い。

 

 漁師は自らにそう言い聞かせることで、胸の内に沸き起こっていた不安感を抑え込んだ。

 

 その上で、改めて彼を見た。その時初めて、漁師は彼のわずかな変化に気づいた。彼はいつの間にか携帯端末では無く、別のモノを手にして、それを眺めていた。

 

 それはラミネート加工された写真のようだった。

 

 何が写っているのかまでは見えなかったが、その写真を眺める彼の表情は、相変わらず何の感情も浮いていなかった。

 

 そこへ不意に船が揺れて、船首で波しぶきが上がった。飛沫が船上にまで舞い込み、二人に降りかかる。

 

 世話役は揺れと波しぶきに「わっ!」と声を上げて、漁師の居る操舵席側へ這いつくばるように避難してきた。

 

 しかし彼は動じることなく、写真に着いた海水を指で丁寧に拭い、そして続いて自分の顔を拭った。

 

 その時、目元を執拗に拭っていたのは、きっと目に海水でも入ったのだろう。と漁師は思った。

 

 彼は写真を懐にしまい込み、その手で再び携帯端末を取り出した。

 

 彼は端末の画面を見て、それからやおら立ち上がって周りを見渡し始めた。

 

 数度、周囲と携帯端末を交互に見比べて、そしてある方向を指さした。

 

「向こうへ行け、と言っている」と、世話役。

 

「なにがある?」

 

「さあ?」

 

 訊くだけ無駄だった。漁師はそう思いながら舵を切る。しばらく彼の指示のままに航行する。

 

 やがて、船首に立ち沖を眺めていた彼が、速力を落とすよう指示した。3ノット程度の速度で進むこと数分。彼がある一点を指差した。

 

 十数メートル先に、小さなブイが浮いていた。それはソフトボール程度の大きさでしかなく、色も目立たない黒色のブイだった。

 

 漁のための仕掛け網や、もしくは海中に浅瀬や暗礁等の危険物があることを示すブイならば、発見されやすいようにもっと目立つ大きさと色をしているはずだったが、これはそれとは逆に、発見されないように、目立たないように設置されたブイだった。

 

 ブイをそんな風に設置するなど、例えるならば列車の縁路上に石を置くに等しい悪質な行為である。もしこのブイに気づかずに船が真上を通過して、ブイのロープがスクリューにでも絡みつこうものなら大事故へつながる可能性があった。

 

 漁師はそのことに不快感を覚えたが、同時にこの場所が、船は滅多に近寄らない場所であることも思い出した。

 

 彼は漁船をブイの傍で停止させると、船べりから身を乗り出してブイを引き揚げ始めた。ブイから海底へ延びるロープが、彼の手によって船上へ手繰り寄せられていく。

 

 ここの水深は20メートル近い。それだけの長さの錘付きロープを、揺れる船上で手繰り続けるのはかなりの重労働だが、彼は息を切らすことも、ペースを落とすこともなく、一人で引き揚げきってみせた。

 

 海中から現れたのは、黒い色をした、防水性の、大きな袋だった。

 

 錘の役割を果たすほどの重さをもったそれを甲板上に降ろし、彼は袋の口を開けて中身が水に濡れていないことを確認し、また口を閉じた。

 

「なんだ、それは?」

 

 漁師が問いかけると、彼は通訳もされていないのに、こう答えた。

 

「ギフト・・・チューシャン」

 

「ぎふと? ちゅうしゃん?」

 

「チューシャンへの贈り物だよ」と、世話役。

 

「それぐらいわかる。だがチューシャンってのは誰だ?」

 

 漁師の問いに、世話役はわずかに迷って、そして答えた。

 

「初霜・・・という意味だ」

 

「おい、それって、お前・・・まさか・・・あの艦娘のことなのか?」

 

「そうだ」世話役は頷いた。「駆逐艦・初霜への贈り物・・・らしい」

 

「おい・・・おい、おい、おい! なんだよ、それは。艦娘に贈り物だって? こんな人気のないところに隠していたようなものをか? そんなもの、どう考えたってマトモな代物じゃないだろ! それに、初霜だと!? 俺はその初霜に命を救われたんだぞ!?」

 

「そうなのか。それは知らなかったよ」世話役は興味が無さそうに言った。「だけど、彼にはそんなこと関係ないだろうな。彼は、初霜を憎んでいる」

 

「クソッ、海軍絡みだとは思っちゃいたが、どうせお前らのことだから、せいぜい嫌がらせ程度の抗議活動と踏んでいたんだ。けど艦娘を憎んでいるときたか。何をしでかすにしろロクなことじゃないな!」

 

 漁師は彼に向かって、言った。

 

「その袋の中身を見せろ。隠すようなら仕事の話はここまでだ。港に引き返す」

 

 その言葉を受け、彼は無表情のまま漁師を見返していたが、世話役が通訳すると、大人しく袋の口を開けた。

 

 彼は袋の中に手を入れ、そこから透明のビニール袋を取り出してみせた。

 

 それを見て、漁師と世話役は息を呑んだ。

 

 それは、札束だった。大きめのビニール袋に大金がぎっしりと詰まっている。彼はそれを漁師に向けて無造作に放り投げた。

 

「好きなだけ持っていけ。依頼金とは別の追加報酬だ。その代わり、以後一切、俺のやることに質問をするな。いいな」

 

 通訳された彼の言葉に、漁師は一瞬、カッと頭に血を昇らせた。

 

 だが、足元の大金を見て、その怒りを抑え込んだ。

 

 既に受け取った前金に足元の金を加えれば、新しい船が買えた。これに成功報酬が加われば、しばらく漁に出ずとも暮らして行けるだろう。

 

 漁師はごくりと唾を飲み込んだ。

 

 脳裏に、自分を救ってくれた小柄な少女の姿が過ぎったが、それはすぐに家で待つ家族の姿に取って代わった。

 

 漁師は、金が必要だった。生きていくために。

 

 漁師は震える手でビニール袋をつかみ取った。中身を取り出さず、袋のまま、操舵室の下にある部屋に放り込む。

 

 金をすべて持って行った漁師の行為に、彼は文句も何も言わなかった。

 

 彼はただ一言、こう言った。

 

「南へ100海里」

 

 漁師は頷き、その指示に従った。

 

 漁船は、島を離れ、沖へと向かう。

 

 初霜たちがいる沖へと・・・・・・

 

 

 

 




次回予告

 海鳥が舞い、イルカたちが泳ぐ穏やかな海。

 この静かな海を守るべく、艦娘たちは訓練に明け暮れる。

 次回「第十一話・海を行く者」

「旗艦より各艦宛、戦術運動開始!」
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