艦これ海上戦記譚~明け空告げる、海をゆく~   作:PlusⅨ

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第十五話・沈黙の海

 海に入った“彼”は救命胴衣の浮力で仰向けに浮きながら、夜空を見上げていた。

 

 海に入ったばかりの頃は満天の星空が拡がっていたのに、今はもう霧に覆われてしまい、ひときわ明るい一等星の光がかすかに瞬くのみだった。

 

 全身の力を抜いて海面に漂う彼の身体を、定期的にわずかな波が揺らし、その度に彼の顔に少量の飛沫を浴びせて去っていく。

 

 船上からは波ひとつない鏡のような海面に見えていたのに、それでもこうして身一つで海に入ると、その脈動のような海の力が彼を押し包んでいた。

 

 海は深く、暗く、静かで、冷たかった。

 

 ウェットスーツを着ているとはいえ、その冷たさは彼の全身を支配していた。

 

 彼は力を抜くのをやめ、逆に全身に力を込めた。そうやって意図的に身体を強張らせると、筋肉の緊張によって手足が震えだし、冷たさに抗うための熱を生み出し始めた。

 

 その代り彼の身体はわずかに海へと沈みこみ、口元近くまで海水が迫ってきた。そのため、波が来るたびに、彼は呼吸のため波を口元から吹き払わなければならなかった。

 

 そうやって呼吸のために口を開くたびに、手足だけではなく顎まで震えそうになったが、彼はその度に歯を食いしばって必死にこらえた。

 

(俺は怯えて震えているんじゃない)

 

 この誰も居ない海の真ん中で、それでも彼は怯えて震えているかのような無様を晒すまいと心に決めていた。

 

(俺は艦娘が憎い。深海棲艦が憎い。妻と子を奪ったこの海が憎い!)

 

 だから負けぬ。と、彼は冷たさを打ち消すかのように心の奥で憎しみの炎を燃えたたせた。

 

 海よ、見ているがいい。

 

 俺の憎しみをここに刻み込んでやる。

 

 取るに足らない人間だと祖国で蔑まれ、そのため微かな希望と夢を見て海を渡ろうとして、無残にも喰い殺された哀れな妻と子よ。共に船に乗れなかった俺をきっと恨んでいるだろう。

 

 彼は冷たさに震える左腕を海中から上げて、救命胴衣のポケットからラミネート加工された一枚の写真を取り出した。

 

 そこに写っていたのは、妻と、そして幼い一人息子の姿だった。

 

 貧しさに喘ぎながらも、それでも助け合い、支え合いながら生きてきた、かけがえのない家族だった。

 

 それを失った。

 

 奪われた。

 

 それに対し祖国は何もしてくれなかった。家族を見捨てた隣国に対し沈黙を貫いた。

 

 その隣国もまた見殺しは当然の処置だったと居直り、抗議の声を黙殺した。

 

 そして家族を奪った海は、何事もなかったかのように今も静かに凪いでいる。

 

 ふざけるな、と彼は叫びたかった。

 

 寒さに震えていなければ全力で沈黙を続ける祖国に、隣国に、そしてこの海に対して罵っていただろう。

 

 ふざけるな、無視するな、俺の大切な家族を奪ったくせに、全て何事も無かったかのように済まされるなど、そんなことがあってたまるものか。

 

 この静かな海め。沈黙する海め。この俺が報いを受けさせてやる。

 

 艦娘に屈辱を与え、深海棲艦を殺し、この海を汚してやる。

 

 さあ来い。俺はここに居る、ここに居るぞ。

 

 海よ、いつまで沈黙しているのだ。

 

 海よ!

 

 彼は写真を救命胴衣に戻し、その手で、腰にロープで結わいつけて海面を漂う救難信号発信機を取り上げた。

 

 発信機には信号の発信を示す赤ランプが点灯していた。

 

 しかし信号を発信してからいったいどれほどの時間が経ったのか。

 

 一時間か。

 

 二時間か。

 

 いや、腕時計で確認するとまだ三十分程度しか経っていなかった。

 

 腕時計が刻む一秒、一秒が、彼には恐ろしいほど長く感じられた。

 

 空いた左腕とは逆に、重い保管容器をもつ右腕がジンジンと痺れ、肩から先全体が痛みを訴えていた。

 

 もしかしたら、誰も来ないのか?

 

 不意に、そんな不安が彼の心に去来した。

 

 このまま誰も来ないかも知れない。

 

 艦娘も、深海棲艦も、彼を無視し、このまま彼は飢えと渇きと疲労に苛まれながら、力尽き果てるまで漂流する運命なのかも知れない。

 

 そして海は最後まで沈黙したままなのだ。

 

 彼という存在、その復讐心、その人生など、何の価値も無いのだと彼自身に思い知らせつつ、そして海は、彼もその家族の死さえも気づくことなく、沈黙を続ける。

 

 誰も来ない。

 

 何も起こらない。

 

(そんなのは嫌だ!?)

 

 彼は叫ぼうとした。

 

(俺はここに居る! ここに居るんだぞ!?)

 

 しかし固く食いしばった顎はわずかにしか開かず、そこから漏れ出た声すらも、寄せてきた波に塞がれ、響くことはなかった。彼の叫びは、口元の海水をわずかに泡立たせただけだった。

 

(嫌だ! こんなみじめな最期など御免だ! 来い! 誰でもいいから早く来い! 早く!!)

 

 彼の心が半ば恐慌状態に陥った、その時、

 

 霧深い闇夜を切り裂くように、サーチライトの光が辺りを過ぎったのだった。

 

 

 

 

 

 

 時が経つごとに霧が深くなっていく海上をサーチライトの光が横切っていく。

 

 初霜はサーチライトに連動させた光学センサーを総動員して救難信号の発信源を捜索していた。

 

 座標上では既に500メートルも離れていないはずだが、闇と霧のせいで視界がほとんど無い状態だ。

 

 こんな状態で下手に接近すれば船体を要救助者にぶつけてしまいかねず、初霜は今、速力を舵が効く最低限度まで落としていた。

 

 そうやってゆっくりと進みながら、初霜はセンサーだけではなく自分自身も双眼鏡を構えて、サーチライトの光に合わせて海面を探索していた。

 

 と、そのサーチライトの光に、一瞬、影が浮かび上がった。

 

「見つけた!」

 

 通り過ぎかけたサーチライトを止め、すぐに先ほどの影の位置に戻す。

 

 海面上に、小さいが、確かに何かが浮いている。

 

 光学センサーを最大望遠にすると、その影の近くで光に反射して輝くものも見える。それはきっと救命胴衣の反射板か、そうでなくても金属製の人工物である可能性が高い。

 

 初霜は赤外線センサーをの感度を上げてその影に向けた。濃い霧のため、数百メートルも離れていては人間の体温程度の熱放射は拡散されてしまうが、それでも、わずかな熱源を探知することに成功する。

 

 間違いない、人間だ。

 

「サポートAI、これよりメンテ妖精を派出して要救助者の救助を行う。第一作業艇用意」

 

『了解』

 

 作業艇とは、船体に搭載されている小型ボートのことだ。

 

 全長5メートル、繊維強化プラスチック製の船底をゴムチューブで覆った複合型ボートである。エンジンは100馬力の船外機を一機搭載し、最高速度は40ノットまで発揮可能だった。

 

 それが初霜を始めとした駆逐艦には二艇搭載されていた。船体中部の左右に一艇ずつであり、右舷側に搭載されているものを第一作業艇、左現側を第二作業艇と呼称している。

 

 今、右舷側の第一作業艇に複数のメンテ妖精が集まり、降下準備を行っていた。クレードルに吊り下げられたまま収納状態にある作業艇の拘束が解かれると、そのクレードルが船体の外へと張り出され、作業艇が海面上に宙吊り状態となる。

 

 作業艇には既に二体のメンテ妖精が乗り込んでいた。一体は船外機の操作担当、もう一体が救助及び応急救命処置の担当だ。船外機をアイドリング状態にして、作業艇が海面へと降ろされた。

 

『第一作業艇、用意よし』

 

「発進許可」

 

『了解』

 

 作業艇は軽量な船体に対し過剰なまでの馬力で飛ぶように初霜から離れていった。

 

 初霜は多目的スクリーンの一画に、派遣したメンテ妖精の視覚を表示させた。

 

 濃い霧の中を、サーチライトの光が太い柱となって海面へと斜めになって突き刺さっている。その光の中に、黒い影が浮いていた。

 

 作業艇が近づくにつれ、その影の細部がはっきりと見えてきた。

 

 それは確かに人間だった。

 

 救命胴衣を着けた男が、首から上を海面に出した仰向けの状態で浮いていた。

 

 男はサーチライトの光に対して背を向ける形で浮いていたが、作業艇の接近に気付き、左手を顔の横にかざしながら、こちらを向いた。

 

「初霜から旗艦へ。要救助者を発見しました。これより作業艇への揚収を開始します」

 

『こちら旗艦・白雪、了解しました。ところで、要救助者の様子はどう?』

 

「救命胴衣と、その下にウェットスーツも着用している模様です。相手もこちらを視認しました。どうやら意識はあると思われます」

 

『顔は見える?』

 

「手で影を作っているので人相までは判別できません。・・・判明次第、画像データを司令部へ贈ります」

 

 初霜は白雪から指示を受ける前に、自らそう報告した。恐らく、今から助けようとするあの男の情報を、司令部は既に持っているのだろう。

 

 彼は何者で、ここで何をしていたのか。いや・・・

 

 --深海棲艦と、そしてあんたを恨んでいる。だから、復讐するつもりなんだ!

 

 そう、これから何かをするつもりなのかもしれない。しかし初霜は、その疑問を思考の片隅に追いやった。

 

 いま初霜がすべきことは、彼を救うこと。それだけなのだ。

 

 作業艇が彼のすぐそばに接近し、揚収作業が開始された。

 

 メンテ妖精が三等身の姿を捨て、不定形なアメーバ状となって触手を彼に向かって伸ばした。

 

 その様子に驚いたのだろう、彼は海中で身をよじって逃げようとしたが、それより早く触手が絡みつき、彼を作業艇へと引き上げた。

 

 彼に絡みついたメンテ妖精は、その状態のまま彼の体温や脈拍を計測する。その結果、体温の低下が検出された。それを受けて、メンテ妖精は絡みついたまま自分の温度を上げ、彼の身体を温め始めた。

 

 その間にもう一体のメンテ妖精は船外機を操作して作業艇を帰還させながら、同時に彼の外見の画像を初霜に送信した。

 

 初霜は受信したその画像を、RCLを通じて僚艦と司令部へ中継する。

 

『初霜ちゃん』と、白雪。『その男の身元が判明したわ。あなたの部屋の扉に脅迫めいた言葉を落書きした容疑者よ』

 

「・・・あの事件の関係者ですか?」

 

『ええ。被害者遺族で間違いないらしいわ。右手に金属製ケースを持っているわね。わざわざ手錠で繋ぎ留めている。そこに凶器が入っている可能性もあるわ。作業艇帰還後、その男は医務室へ隔離。あなた自身は決して近づかないこと。いいわね?』

 

「了解しました」

 

 初霜はメンテ妖精の目を通して、サーチライトの光に浮かび上がる彼の顔を見た。

 

 ライトの光と、そして海水で凍えたせいもあるだろう、彼の顔色は青白く、また感情の全てを押し殺した仮面のような無表情だった。

 

 しかしその目は、メンテ妖精のカメラ越しに初霜を見つめていた。

 

 無論、彼の方から初霜の姿は見えていない。だが、この妖精たちが初霜の意思によって操られている事には気づいているようだった。

 

 人喰い雷巡事件から二年。助けた船員たち以外であの事件の関係者の姿を見たのは、これが初めてだった。

 

 それなのに、初霜は彼に対して何の感情も抱かない自分の心情に当惑していた。

 

 漁師から彼の存在を示唆されたときはあれほど動揺したのに、実際に目の当たりにした今は、意外にも冷静な自分がいる。

 

 これはきっと、画面越しに眺めているせいで現実感が伴っていないからだろうか。そう思っている内に、作業艇が船体の近くへと帰ってきた。

 

(近づくなって言われたけれど・・・ウィングから眺めるくらいなら大丈夫よね)

 

 拳銃などの飛び道具を持っていない事は確認済みだ。初霜は右ウィングに出て、作業艇の収容作業が始まった船体右舷中部を眺めた。

 

 作業艇は右舷中部に寄り添うようにして停止していた。

 

 初霜の立っている右ウィングとは直線にして20メートル程度の距離だ。

 

 作業艇にはメンテ妖精に絡みつかれた状態の“彼”の姿があった。

 

 メンテ妖精は彼を別に拘束している訳ではなく体温を上げるためにそうしているのであったから、彼はある程度自由に身体を動かすことができた。

 

 その彼の目が、ウィングに立つ初霜に向けられた。

 

 初霜と、彼の、目と目が合う。

 

 その時、彼は持っていたケースに手をかけた。その指が、ケースの留め金を外す。

 

 次の瞬間、艦橋内にけたたましい警報が鳴り響いた。

 

「っ!?」

 

 ほとんど間をおかず、初霜は艦橋内へと身体を強制的に引き戻された。

 

 艦橋内に配置されていたメンテ妖精が、初霜の意思を無視して勝手に彼女を引きずり込んだのだ。

 

 艦橋内に引き倒された初霜の目の前で、ウィングへの出入り口の扉が荒々しく閉鎖された。さらに、その扉についていた丸窓の防弾ガラスに、分厚い鋼鉄製の蓋まで降ろされていた。

 

 これらの処置は全て初霜の意思ではなく、サポートAIによるものだった。

 

「これは--緊急避難処置が発動しているの!?」

 

 初霜自身に危機が及んだ際、彼女を守るためにサポートAIが自律判断によって行う処置だ。それが発動されているということは、つまり、今、初霜自身も気づかなかった危機が迫っているということだった。

 

 では、その危機とは、いったいなんだ?

 

 初霜は立ち上がりながら、多目的スクリーンに目を向けた。

 

 そこに【NBC防御】の文字が点滅していた。

 

 その表示を見た瞬間、初霜は我が目を疑った。

 

 核(Nuclear)生物 (Biological)化学(Chemical)兵器に対する防御処置が発動しているというのだ。

 

 このような処置は、訓練以外では一度も見たことはなかった。NBC兵器など、深海棲艦は使用してこないからだ。

 

 そんなものを使用するのは、人間だけだ。

 

 人間だけ。

 

「まさか!?」

 

 初霜は閉ざされたウィングへの扉へ駆け寄ろうとしたが、メンテ妖精が背後から彼女の腰に縋り付いて、その行為を止めた。

 

『被爆の危険があります』

 

「対水上戦闘用意!」

 

 サポートAIの警告に対し、初霜は戦闘用意を下令した。

 

 これにより初霜と船体のリンクレベルが最大まで引き上げられると同時に、緊急避難処置などのサポートAIの自律判断の優先順位が下げられ、初霜の意思が最優先となる。

 

 腰にしがみついていたメンテ妖精が離れ、初霜は自由の身となった。

 

 だが初霜はもうウィングに出ようとはしなかった。

 

 そうするまでもなく、船体のレーダーやセンサー、そして各所に配置されたメンテ妖精からの情報が初霜自身に集約され、周囲の状況が手に取るように理解できた。

 

 NBC防御発動の原因は、やはり彼によるものだった。

 

 彼の持つケースの留め金が外された瞬間、その隙間から危険値を超える放射線が検出されたのだ。

 

 それにより、作業艇のメンテ妖精たちは、すぐさまNBC防御を実行した。

 

 彼に絡みついていたメンテ妖精が、彼の身体から離れケースへと飛び移り、その全体を隙間なく覆いつくして放射線漏れを遮断する。それと同時に、船外機を操るメンテ妖精が作業艇を急発進させ、船体から遠ざかった。

 

 彼はこのメンテ妖精たちの素早い行動に、しばし呆気にとられていた。

 

 この三等身のふざけた外見をしたロボットだが、その正体が想像を超えた科学力によって作られた強力な兵器であることを、まざまざと見せつけられた思いだった。

 

 初霜から遠ざかって行く作業艇の上で、彼は、温められた身体が再び冷えていくのを自覚した。

 

 彼は、ウィングに初霜の姿を見つけ、その彼女と目が合ったとき、衝動的にケースの留め金を外していた。

 

 屈辱を与えるだけのつもりが、初霜を見た瞬間、どうしても実害を与えずにはいられなくなったのだ。

 

 だが、それは失敗だったと彼は後悔した。

 

 メンテ妖精の性能を侮っていたこともそうだが、この行為によって初霜に警戒感を与えてしまったことが大きい。

 

 この作業艇が再度初霜の下へ帰れば、間違いなく彼は拘束され、ケースを奪われ、そして船体の奥深くで監禁されるだろう。そうなれば、肝心の深海棲艦が現れても関与することは不可能になる。

 

 彼がそう思ったとき、作業艇が針路を変え、再び初霜の下へと近づきだした。恐らくケースを封じたことで放射線の漏洩が無くなったのだろう。

 

 このままでは拘束される。

 

(ええい、なるようになれ)

 

 彼は自暴自棄な覚悟を決めた。

 

 メンテ妖精に覆われ重量を増したケースを両手で持ち上げながら、揺れる不安定な作業艇の上で立ち上がる。

 

 足元が覚束ずに倒れそうになる勢いを利用して、彼は両手で持ったケースを背後に向けて思い切り振りぬいた。

 

 勢いと重量のあるケースが、船外機を操作していたメンテ妖精に直撃し、作業艇の外へと弾き飛ばした。

 

 水柱を上げて落下したメンテ妖精に続き、彼自身も落下しそうになったが、作業艇の船縁にしがみついて何とか耐える。

 

 彼はすぐに船外機の操作アームに手をかけ、作業艇を初霜から反転させた。

 

 そのままアクセルを開き、霧に包まれた闇に向かって全速力で突っ走る。

 

「来い、深海棲艦!」

 

 彼はエンジンの咆哮に負けぬ声で叫んだ。

 

「来い、化け物め! 俺はここに居るぞ! さあ、来い! 殺してやる! 殺してやるぞ!!」

 

 エンジンが焼け付くほどの速度で、作業艇が海面を飛び跳ねながら走っていく。

 

 その速度はもう、40ノットを超えようとしていた。

 

 ほんの少しの波を乗り上げただけで、まるでジャンプ台から飛び出したかのように高々と跳ね飛び、海面へと叩きつけられる。

 

 その衝撃は凄まじく、彼は前を向くどころか作業艇から振り落とされないようにするだけで精いっぱいになるほどだった。

 

 しかしそれでもアクセルを開く手だけは緩めなかった。

 

 作業艇が跳ね飛び、着水し、また跳ね飛ぶ。

 

 それを幾度繰り返しただろうか。初霜からのサーチライトの光も届かない程、遠ざかった頃。

 

 高くはね飛んだ作業艇が、落下せずに、止まった。

 

「うわっ!?」

 

 岩礁か何かに乗り上げたかのような強い衝撃と急停止に、彼は作業艇から前方へと投げ出された。

 

 しかし、彼の身体は、海面ではなく、濡れた地面のような場所に転がった。

 

「な、なんだ。どうなっている?」

 

 地面?

 

 いや、大地ではない。弾力があり、表面がぬめっている。

 

 まるで生き物のようだ。そう、クジラかイルカの皮膚にも似た、この感触。

 

 しかし、大きい。クジラやイルカにしてはあまりにも大きすぎる。

 

 なにしろ作業艇が乗り上げ、彼が投げ出され、それでもなお余りある広さをもつ場所なのだ。

 

 と、次の瞬間、その“場所”が上昇した。

 

 猛烈な勢いで海面を離れ、空へと上昇していく。

 

 同時に、彼の頭上から青白い光が降り注ぎ、その周囲を照らし上げた。

 

 それによって、彼は自分が乗っている“場所”がどんな形をしているのかを悟った。

 

 それは、手のひら、だった。

 

 10メートル以上はありそうな、巨大な手のひら。

 

「まさか・・・ここは・・・これは・・・」

 

 彼は恐る恐る、頭上の青い光を見上げた。

 

 そこに存在したものを目の当たりにして、彼は呼吸を忘れた。

 

 顔だ。

 

 全体をひび割れた仮面で覆った巨大な顔が、そこにあった。

 

 その仮面の左側にだけ穴が開いており、そこから蒼く輝く炎を宿した巨大な一つの目玉が、彼を見下ろしていた。

 

「深海棲艦・・・雷巡・・・チ級・・・」

 

 雷巡チ級は、手に乗せた彼を見下ろし、仮面の淵からのぞかせた口の端を吊り上げて見せた。

 

 それはまるで、笑っているかのようで・・・

 

 しかしそれはあまりにも、おぞましい笑みだった・・・・

 

 

 

 




次回予告

 敵を前に、現場指揮官たる白雪は逡巡する。

 下すべき命令の選択肢は、二つ。

 一つは見敵必殺。要救助者である彼の生存の可能性を無視し、敵を撃滅せよというもの。

 そしてもう一つは、

(助けられるものならば、助けたい・・・!)

次回「第十六話・決断」

「初霜から旗艦へ。我、敵艦へ突貫す!」

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