艦これ海上戦記譚~明け空告げる、海をゆく~   作:PlusⅨ

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第十七話・蘇える因縁(2)

 闇に沈んでいた霧が、朝陽によって真っ白に染まった。

 

 その中で“人喰い雷巡”チ級は身動ぎもせず佇んでいた。

 

 波も風も無い海面はのっぺりと広がり、そこに直立しているチ級の足元には波紋ひとつ起きていなかった。

 

 チ級の掌の上で、彼は、指の隙間から見える遥か下の海面を臨みながら、100メートルもあるこの巨躯がさざ波一つ立てずに海に立っているという現実に目眩を覚えた。

 

(なんだ・・・これは現実なのか・・・)

 

 彼は顔を上げ、チ級の上半身を眺めた。彼の位置からでさえ数十メートルはあるその上半身の上方は霧がかかり、かろうじて胸元までが見える程度だった。

 

 その胸には女性を思わせる豊満な二つのふくらみがあったが、それは艶めかしさよりもむしろ生理的嫌悪感を抱かせるものだった。

 

 人体そのままの姿が有り得ない大きさで目の前にあるという事実は、人間の理性や感情を超えた恐怖の対象でしかなかった。

 

 そしてその双丘の間から覗く先、霧に隠れたそこにぼんやりと浮かぶ、青白い燐光の輝き。

 

 それはチ級の目だった。

 

 白くのっぺりとした仮面に開けられた穴から覗くその目玉が、深い霧の向こうを見通そうとするかのように遠くへと向けられていた。

 

(こいつは、チューシャンを探しているのか・・・?)

 

 チューシャン、初霜は、彼がチ級の掌中に落ちた際に、チ級に対しスレスレまで接近し、そしてそのまま遠ざかって行ってしまった。

 

――助けてくれ!

 

 彼はその時、思わずそう叫んでしまいそうになった。

 

――お願いだ、助けてくれ、見捨てないでくれ!

 

 恐怖のあまりにそう叫びかけたのを、彼はすんでのところで飲み込んだ。

 

 違う、そうじゃないだろう。と、彼は自分に必死に言い聞かせた。これは、この状態こそが、自分が待ち望んだ状況ではないか、と。

 

 チ級は最初の初霜との最接近の時に一度発砲した以降は、初霜の後をしばらく追うようにゆっくりと移動した後、ほとんど動かなくなった。

 

 それで、彼もまた徐々に落ち着きを取り戻すことができ、自分が置かれた状況を冷静に見れるようになってきた。

 

 初霜がチ級に異常接近したのは、逃げた彼を追ってきたからだろうし、そして結果的に彼がチ級の傍に居ることも知ったはずだ。

 

 ならば今ここで彼がチ級を倒せば、初霜はそれが彼の仕業であることを知るはずだ。

 

 艦娘でも倒せなかった深海棲艦を 、彼が倒す。彼は復讐を果たし、初霜と海軍は面子を失う。今こそ、その絶好の機会だ。

 

 しかし――

 

「くそっ!」

 

 チ級を倒すための手段である放射性物質、それを収めたケースは、アメーバ状に変形したメンテ妖精によって覆いつくされ、かつその表面は硬化して完全に封じられていた。

 

「くそ、邪魔しやがって。剥がれろ、くそぉっ!」

 

 殴りつけても拳が傷つくだけでビクともせず、足で踏みつけても表面に凹みさえ生じない。NBC防御機能を発動したメンテ妖精は、鉄壁の殻と化していた。

 

「ふざけるな、何が妖精だ。貴様だって兵器じゃないか。深海棲艦を殺すために作られた人間の武器のはずだ。それが何故、俺の邪魔をする!? 俺が深海棲艦を殺そうというのだぞ!!」

 

 彼は手錠で繋がったままのケースを両手で持ち上げ、そして大きく振り回すと勢いよく足元に叩きつけた。ガン、と鈍い音がしてケースが跳ね返ったが、その表面には擦り傷ひとつなかった。

 

「畜生!」

 

 彼は罵り声をあげながら再度ケースを叩きつけようと持ち上げた。

 

 その時、上体を反らしざまに上を向いた彼の視界いっぱいに、白くヒビ割れた仮面が見えた。

 

 それは言うまでも無く、チ級の顔だった。それが真近に迫っていた。

 

「--ひっ」

 

 彼を乗せた掌をまじまじと覗き込むように顔を寄せるチ級に、彼は短い悲鳴を上げた。その仮面の穴から覗く人間の身長よりもはるかに巨大な眼球に、見上げる彼の姿が映り込んでいた。

 

「・・・ひ・・・あ・・・」

 

 間近に迫った巨大過ぎる存在感に、彼は呼吸を忘れた。それだけでは無く、金縛りにあったかの様に身体を動かすことができず、むしろ逆に全身が激しく震えだす。

 

 両脚もがくがくと震えて立つ事も出来ず、崩れる様に膝をついた。その時、彼は自分の股間から内股にかけて生温かい液体が伝っているのを感じ、それで自分が失禁していたことを悟った。

 

 彼は、自分が深海棲艦に対して、震えることしか出来ない小さく惨めな存在であることを自覚した。それを屈辱だと思うことさえ出来なかった。それほど彼は恐怖に全てを支配されていた。

 

 彼を見下ろすチ級が、その仮面の下端から覗く口を大きく開けた。そこに見えたのは巨大で、しかし人間と同じ歯並び、同じ舌、同じ口腔内の光景だった。

 

(喰われる・・・)

 

 その心境は、もはや覚悟でも諦観でも無かった。麻痺した思考が、ただ目の前の現実を認識しただけだった。

 

 チ級の口が迫ってくる。

 

 思考を失った彼は、同じ様に喰われた妻子を思い出すことさえ出来ず、自分が口腔内へ放り込まれる瞬間を待つことしか出来なかった。

 

(しょせん、こんなものか・・・)

 

 彼に残るわずかな理性が、辛うじてそんな呟きをもらした。しょせん人間など、この程度の存在でしか無いのだと--

 

--口元が迫る。その動きが、不意に止まった。

 

 喰われるのを待つだけだった彼は、しばらくその事実に気付かなかった。

 

 いや、止まった事は認識していたのだが、それが何故かという疑問を抱くことが出来なかったのだ。

 

「・・・?」

 

 しばらくしてようやく彼は状況を不審に思うだけの理性を取り戻した。しかしその結果、彼はさらにおぞましいものを目の当たりにする事となった。

 

「え・・・か、顔・・!?」

 

 チ級の喉の奥、暗い闇の向こうから、白い人の顔が浮かび上がり、彼を覗き込んでいた。

 

 女だ。

 

 長い黒髪を垂らした女が、ズル、ズルとチ級の喉奥から這い出して来ようとしていた。

 

 ずるり、と女の全身が喉奥から現れると、重力に引かれるがままに、彼めがけて落下してくる。

 

「ひぃっ!?」

 

 尻餅をついたまま動くこともできない彼の目の前に、その女はまるで猫の様なしなやかな身のこなしで着地した。

 

 全裸の女だった。

 

 肌は病的なまでに青白く、それでいて、その身体つきは完璧なまでに美しく、官能的である。

 

 女は足元にうずくまる彼に歩み寄ると、そのまま彼を押し倒した。

 

 柔らかいその身体の感触、そして女の口から溢れる酷く甘い吐息。

 

彼の身体に恐怖と官能の波が同時に訪れ、それが生存本能に強く訴えかけた結果、彼は自分でも気づかぬ内に射精していた。

 

(なんだ・・・なんだこいつは・・・!?)

 

 深海棲艦の中から、等身大の深海棲艦が現れた? 信じられないが、そうとしか考えられなかった。

 

 だが、この女は人間では無い。

 

 その美しき裸体は、人間の本能を強制的に刺激するためにあるかの様であり、彼自身はそれに魅せられるどころか、おぞましさしか感じなかった。

 

 女が彼に覆いかぶさりながら、その腹部に指を這わせた。

 

「がぁっ!?」

 

 その瞬間、電気ショックの様な快感が彼を襲い、彼は再び射精した。

 

 腹部を這い回るしなやかな指先にある鋭い爪が、分厚いウェットスーツを易々と切り裂いて、その内側に潜り込む。

 

「ふ!? ぐあああ!!」

 

 触っている場所は臍の辺りでしかないはずなのに、その指が直接皮膚に触れたことで、先ほどの何倍もの衝撃が彼を襲った。

 

 失神しかねないほどのその衝撃は、決して快楽などでは無かった。これはもはや、拷問だ。

 

「がっ・・・は・・・は・・・」

 

 彼が意識を失う直前で女はようやく手を引き抜いた。

 

 その手についた液体には血が混じっていた。

 

 女はその手を見て満足そうに頷くと、それを頭上に掲げた。

 

 するとチ級の口から巨大な舌が降りてきて、その先端が女の手に触れた。女はその舌先に手の液体を擦り付け、それが終わると舌はまた口の中へと戻って行った。

 

 続いて女は、快感の衝撃から解放されて力無く横たわる彼をもう一度見下ろした。その目が、彼の右腕に手錠で繋がっているケースに向けられる。

 

 女はそれを興味深そうにしげしげと眺めながら、そのケースに手を伸ばした。

 

 ドスッ、という鈍い音が響いた。

 

「え?」

 

 彼は自分の右腕に違和感を覚えた。女が彼の右腕を掴んでいたが、彼にはその感触がなかった。

 

 女が右腕ごとケースを持ち上げる。鋭利な刃物で切断された綺麗な断面が彼の目前を通り過ぎ、そこから溢れた血が、彼に降りかかった。

 

「っ!!!???」

 

 腕を切断された。

 

 その心理的ショックに彼はパニック状態に陥り、声さえ上げられなかった。

 

 女はそんな彼を無視して、先ほどと同じ様にケースを頭上に掲げ、チ級の舌先がそれに応えて降りてくる。

 

 その時、ケースの表面がざわりと波打ち、かと思うと突然それは不定形なアメーバ状の物体となってケースから離れた。

 

 メンテ妖精だ。

 

 妖精はケースから彼へと飛び移り、その切断された右腕の断面を包む様に彼の右上半身に纏わり付いた。

 

 そのメンテ妖精から止血剤と鎮静剤が投与され、それによって彼は、半ば強制的に落ち着きを取り戻した。

 

 女はメンテ妖精の意外な動きに目を見張っていたが、すぐにケラケラと笑いだした。女は笑いながらケースを舌先に預け、三度、彼を観察し始めた。

 

 その目が、また何かを見つけた。

 

 その手がまた彼の腹部に伸ばされる。さらに精液を搾り取られるのか、と彼はゾッとしたが、だがそうでは無かった。

 

 女の指先が、裂けたウェットスーツから何かを取り出す。

 

 それはラミネート加工された一枚の写真。彼の妻子の写真だった。

 

(やめろ、返せっ!)

 

 そう叫びたかったが、彼の口はガチガチと歯を鳴らすだけでまともに声を出すことさえ出来なかった。

 

 女は写真と彼を交互に見比べると、やがて納得した様に頷いた。

 

 女が彼を見下ろし、ニコリと笑う。

 

(・・・?)

 

 その頭上で、チ級の喉奥がかすかに蠢いた。そこから、何かが落ちてくる。

 

 それは白くまるい物体。

 

 女はそれを受け止めると、ちょうど人の頭ほどの大きさのそれを、彼の顔の横に並べる様に置いた。

 

(そんな・・・これは・・・)

 

 頭蓋骨だった。

 

 もう一つ、新たな頭蓋骨が喉奥から落ちてくる。さっきの物よりもひとまわり小さなそれは、きっと子供のものだ。

 

「・・・あぐっ・・・うぁ・・・――!!」

 

 女は、彼の頭を挟む様に頭蓋骨を並べると、彼に向かって写真をかざして見せた。

 

 そして写真に写る彼の妻子を指で示して見せた後――

 

 

 ――その指で、両脇の頭蓋骨を交互に指差した。

 

 

「ああぁぁぁぁっっ!!!!!!!!」

 

 彼は絶叫した。

 

 これまで声すら上げられなかった身体が、彼の激しい怒りの感情についに呼応した。

 

「殺してやる! 殺してやるッッ!!」

 

 彼はフラつく足で立ち上がり、片手で女に殴りかかった。しかし女はその拳を容易くかわす。

 

「殺すッ! 貴様だけは、貴様だけはぁぁぁ!!!!!」

 

 絶叫しながら彼は何度も女に殴りかかった。しかし、女は悠々と間合いを外し、そしてその手から写真を投げ捨てた。

 

「っ!?」

 

 ひらり、ひらりと舞い落ちる写真に、彼は慌ててそちらへと駆け寄った。その隙に、女が高々と跳躍する。例の舌先が女を迎える様に降りてきて、その身体を掬い上げた。

 

「くそっ、逃げるなぁぁぁぁ!!!」

 

 彼が写真を取り戻した時、その足元が大きく揺れた。

 

 チ級の掌が降下を始めたのだ。

 

 その手は海面に達し、流れ込んできた大量の海水に、彼は押し流された。

 

 チ級は彼を海に流し終えると、その場からゆっくりと離れ始めた。

 

 海には、彼の怒りの絶叫が響き渡り続けている。

 

 離れて行くチ級の開かれた口の中で、女はその叫びに耳を澄ませながら、くすくすくすと含み笑いを漏らしていた。

 

「サァ・・・キナサイ・・・アソビマショウヨォ・・・」

 

 チ級の口が閉じられ、その画面から覗く青い眼球が、霧の向こうにいる初霜へと向けられた――

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼の悲鳴が、絶叫が聞こえた。初霜はそう確信した。

 

『初霜』海尾が再度、言った。『撤退だ。旗艦・白雪の指示に従い帰投せよ。復唱しろ』

 

「提督、要救助者の救出作戦をリコメンドします」

 

『初霜!』

 

「動体検知器のデータを見て下さい。救難信号の発信地点からチ級が離れ始めています。チは彼を手放しました。今こそ救出の機会です」

 

『これは見え透いた罠だ。のこのこと近づいたところを撃たれるに決まっている!』

 

「動体検知器でチ級の正確な位置を捕捉できます。それを元に僚艦による援護攻撃をお願いします。その隙に私が要救助者を確保します。私なら可能です」

 

『駄目だ』

 

「提督」

 

『駄目なものは駄目だ。敵はチ級一隻どころか、まだ出現する可能性だってある。そこに留まり続けること自体が危険なんだ』

 

「しかし――」

 

 初霜がなおも意見しようとした、その時、

 

『――ねえ、初霜』

 

 と別の声が割り込んで、それを遮った。

 

 叢雲だった。

 

『あんた、何か隠しているわね』

 

「・・・何のことですか」

 

『あんたの戦闘記録・・・RCL中にも関わらず、一部送信されてない箇所がある。仁淀がそう言っているのよ』

 

「・・・・・・」

 

 黙りこくる初霜。

 

『仁淀』海尾が指示を出す。『初霜のサポートAIが敵の電子戦でダメージを受けたようだ。強制介入し、未送信データを復元しろ』

 

『了解しました』

 

 仁淀が答え、初霜のサポートAIへの強制介入を開始した。

 

 AI同士にも指揮系統や序列があるが、戦闘艦である艦娘たちのサポートAIは電子戦に対抗するために、かなり独立性の高い設計になっており、艦娘がその気になれば命令を無視することも容易かった。

 

 しかし仁淀は鎮守府地下に設置された巨大スーパーコンピュータであり、その能力はサポートAIをはるかに上回っていた。

 

 初霜が隠していたデータはすぐに発見され、公開された。

 

 そのデータを見た瞬間、初霜以外の全員に衝撃が走った。

 

『NBC防御を発動しただと!? ・・・何という事だ。あの男が持っていたのは放射性物質だったのか!』

 

「うっわ、やばぁ」那珂が呆れ声を上げた。「はっしー見つけた瞬間に開けようとしたってさあ、これほとんどテロだよね」

 

「ほとんどどころか、完全なテロだクマ。こいつはテロリスト、深海棲艦と同じく排除すべき敵だクマ」

 

「敵、なんですか・・・」

 

 球磨の言葉に息を呑んだのは、村雨だった。

 

「あ、あの、でも、人間なんですよ?」

 

「人間の敵は、人間だクマ。深海棲艦が現れる前よりも遥かに昔から殺し合ってきたくせに、今さら何を言ってんだクマ」

 

「で、でもぉ・・・」

 

「球磨さんのそれは極論でしょう」と白雪。「私たちは殺すために戦っているんじゃないわ。誰かを、何かを守るために戦っているの。だから、あくまで人を救いたい、守りたいという初霜ちゃんの気持ちは理解できます。けれど・・・艦娘を狙ったテロを仕掛けてきた相手となれば、その身柄を確保するのは至難の業。まして、テロのターゲットが初霜ちゃんであるなら尚更よ。救出を実行するかどうか以前に、救出行為そのものが成立しないわ」

 

「じゃあ」と村雨。「つまり・・・どうするんですか?」

 

「撤退します」白雪はきっぱりと答えた。「司令の命令に従い、第十一駆逐隊はこれより帰投します。各艦は北へ転進し、帰投針路を取れ――」

 

『――待て』

 

 白雪の撤退命令を、なんと当の海尾の声が引き留めた。

 

 いや、その声は引き留めたというよりも・・・

 

『・・・待てですって? 撤退命令を取り消せとは、いったいどういう事ですか!?』

 

 海尾は部下である艦娘たちに言ったのではなかった。

 

 司令部に突如かかってきた電話に対してのやりとりが、RCLを通じて現場の艦娘たちにも漏れ聞こえていたのだ。

 

『そんな・・・いくら艦隊司令部の命令でも、それは無謀です! この状況で“あの男の身柄を確保しろ”だなんて!?』

 

 必死に抗議する海尾の声。

 

『確かに、初霜は動体検知器を搭載していますが・・・しかし――くっ!?』

 

 しばらくの沈黙。

 

 現場の艦娘たちも一様に固唾をのんで聞き耳を立てる中、やがて海尾が口を開いた。

 

『・・・了解しました』

 

 それは苦渋に満ちた声だった。

 

『私の指揮権を奪うとまで言われて、のうのうと部下を差し出すわけには参りません。彼女たちは私の命令で戦地に居るんだ。その責任を途中で放棄するわけには行きませんからね。身柄の確保は、私の指揮下で実行します!』

 

 その言葉の後に、受話器を叩きつける音が響き渡った。

 

『くそっ・・・・・・みんな、聞いてくれ。事情が変わった。撤退は無しだ』

 

「・・・了解です」白雪が答える。

 

「じゃ、じゃあ・・・救出、ですか?」と戸惑い気味の村雨。

 

「救出、じゃなくて身柄の確保だよ」と低い声で那珂。

 

「どっちかというと、生け捕りだクマ。なあ、秘書艦殿――クマ」

 

『・・・事情を説明するわ』と叢雲が告げた。『あの男が隣国の人間で、かつテロリストであるという情報がRCLを通じて上層部にも伝えられたために、艦隊司令部から干渉が入ったのよ。情報収集のために捕虜とせよってね。命令に従わなければ南方警備艦隊の指揮を艦隊司令部が直接執るとまで言ってきたわ』

 

『捕虜なんてものじゃない。国家間外交のための取引の道具だ』

 

 海尾は吐き捨てるように言った。そして、続けた。

 

『これから俺は、お前たちに戦い続けろと命ずることになる。人類を守るためではなく、人間同士のいさかいで優位に立つために、その身に代えて奴を・・・テロリストを救助しろと命ずることになる。・・・・・・すまない』

 

 海尾の謝罪の言葉に、現場には再び沈黙が降りた。

 

 理不尽といえば理不尽である。しかし彼ら、彼女らが軍人である以上、命令に従い任務を遂行する義務があった。

 

「・・・提督、謝る必要はありません」

 

 そんな声が、沈黙を破った。

 

 それは、初霜だった。

 

「私は先ほど、こうリコメンドしました。私なら可能だと。傲慢な物言いかもしれませんが、私の覚悟はできています。だから、どうか命じて下さい。“行け、初霜。その身に代えて、奴を必ず救助せよ”と」

 

『傲慢だ!』海尾が声を荒げた。『傲慢にもほどがある。お前は自分が沈まないとでも思っているのか。それとも沈んでも構わない無価値な人間だと? 違う、お前は俺の大事な部下だ。俺の見えないところで勝手に沈むことは許さん!』

 

「しかし、リスクは誰かが負わなければなりません。現状でそれを負えるのは、私だけです」

 

『どうしても死に急ぐつもりか』

 

「死ぬつもりはありません。勝算あってのリコメンドです」

 

『聞き入れられない、と言ったら?』

 

「他に手があるなら、私はそれに従います」

 

『・・・言ってくれる』

 

 海尾は苦々しく言い捨てた後、長いため息を吐いた。

 

『良いだろう。初霜、お前のリコメンドを受け入れる。――白雪』

 

「はい」

 

『初霜に救出作戦の現場指揮を任せる。指揮権を移行せよ』

 

「了解しました・・・白雪から初霜へ。第十一駆逐隊の指揮を執れ」

 

「いただきました。初霜、これより第十一駆逐隊の指揮を執ります」

 

 指揮権を移譲された初霜に、海尾が声をかけた。

 

『初霜、お前にもう一つ言っておくことがある』

 

「なんでしょうか」

 

『・・・・・・・』

 

 生きて帰れ。

 

 そう言いたいのを海尾は堪えた。それはただの願望でしかない。だから、海尾はこう告げた。

 

『お前が死ぬようなことがあれば、俺も死ぬ』

 

「・・・え?」

 

『その覚悟をもって、俺は司令としてお前たちの上に立つ。沈むときは俺も一緒だ』

 

 我ながらくさい台詞だ。と海尾は自分で言っておきながら恥ずかしくなった。先日の酒席で口を滑らせたのと同じセリフをこんな時に言うなんて場違いもいいところだ。そう部下には思われたかもしれない。

 

 しかし、この言葉に嘘偽りは無いつもりだった。

 

「提督」初霜が答えた。「ありがとうございます。あなたがその覚悟であるなら――要救助者も、提督も、私がお救いします!」

 

 初霜のその言葉に、海尾はふと、不思議な気分になった。

 

 お救いしますだと? 彼女にとっては指揮官でさえ守る対象なのか。なんて傲慢な奴だ。

 

 そう思ったが、不思議と嫌な気分にはならなかった。

 

(お前がそのつもりなら、いいさ、俺もお前を守ってやる。だから、絶対に生きて帰ってこいよ、初霜)

 

 海尾は心中でそう祈りながら、彼は命令を下した。

 

『行け、初霜! その身に代えて、必ず奴を救助せよ!』

 

「了解! 初霜、出撃します!」

 

 船体のタービンエンジンが唸りを上げ、白波を蹴立てて霧の中へと向かって行った。

 

 

 

 

 

 




次回予告

 何のために戦うのか。誰のために守るのか。

 憎しみは晴れるのか。因縁は解かれるのか。

 霧の中に役者は揃い、二年前から始まった悲劇に幕が降ろされる。

 果たして、その結末は・・・

次回「第十八話・許されざるモノ」

「そう、誰よりも許されないのは・・・この私だ」
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