艦これ海上戦記譚~明け空告げる、海をゆく~   作:PlusⅨ

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第X章~海を活きる漣~
第一話・こんにちは、ご主人さま(*≧∀≦*)


 風呂場の浴槽に、二人の人間が浸かっている。大きいのと、小さいの。大人と、子供だ。男二人。父親と、息子かもしれない。

 

 湯に浸かりながら、男の子が口を開く。

 

「ねえねえ、なぞなぞしよう」

 

「なぞなぞ?」と、大人が訊く。

 

「うん。上は大火事、下は大洪水、これな~んだ」

 

「なんだそれ? う~ん、なんだろうなぁ」

 

 大人が苦笑いしながら考えるふりをする。本当は答えを知っている。先日、男の子と一緒に観ていた子供向けテレビ番組で、この問題が紹介されていたからだ。

 

「う~ん、なんだろうなぁ。わからないなぁ」

 

「ぶ~、時間切れ。答えは“お風呂”でした~」

 

 得意満面な男の子の様子に、大人はこらえきれずに思わず吹き出してしまった。

 

「はっはっは、それは違うだろう」

 

「えー、何言ってるの?」

 

「“お風呂”なら、下は大火事、上は大洪水、こうじゃないと」

 

「え~・・・そうだっけ?」

 

「そうだよ。そういう風にテレビでも言っていた」

 

 まぁ、ウチの風呂は電気給湯器だから下で火を焚いて沸かしている訳ではないがな、と大人はふと思う。そもそも、そんな五右衛門風呂染みた風呂など、彼は見たことなどない。

 

 いや、あったかな。と思う。子供の頃なら、そうだった気がする。そう思って、あれ、俺はいったい何歳なんだ? と疑問が浮かぶ。

 

 そもそも、この子供は誰だ? この大人は誰だ?

 

 父親かと思っていたが、そうじゃない、兄貴だ。この大人は年の離れた兄貴。兄貴は笑いながら言った。

 

「上が大火事で、下が大洪水だったら、それはきっと艦だな。沈みかけの軍艦だ」

 

「なんで?」と俺。

 

 海軍士官である兄貴は、少し真面目な顔になって言った。

 

「敵の攻撃を受けて甲板上は大火災、そして喫水線下は大浸水。・・・いやな想像だな。縁起でもない」

 

「・・・兄ちゃんの軍艦は、沈まないよね」

 

「沈みたくはないなぁ」

 

 兄貴はそう言って冗談めかして笑った。だけど、俺は「沈まないよ」とハッキリ言ってほしかったから、複雑な気分だった。

 

 ただ、やっぱり艦はどうしたって沈むものなのかもしれない。

 

 アラーム、爆発、振動、浸水、今度は浸水警報、身体が傾く、内部の通路に煙と熱が充満し、乗員たちの行く手を阻む、高熱で隔壁がゆがみ電装系が軒並み破壊される、艦内がブラックアウトし暗闇に閉ざされる、艦内の天井を炎が舐め、足元に浸水した海水が濁流のように流れる。

 

「総員離艦!」

 

 俺が叫ぶ。いや俺じゃない。この艦の艦長か。俺はそれを聞いて他の俺たちと一緒に上甲板を目指す。けれど炎と海水に阻まれ、前に進めない。

 

「まて、閉めないでくれ、俺たちはまだここに居るんだぞ!?」

 

「すまん、もう持たない。すまない!」

 

 俺は下の階層に取り残された俺たちに向かって叫びながら、ハッチを閉めた。閉めたハッチの隙間から、海水がどっとあふれ出す。俺はハッチのハンドルを力の限りに回して、ハッチを完全に閉め、溢れる水を防いだ。

 

 このハッチの下はもう、満水だ。浸水が激しすぎて、取り残された俺たちを救おうにも、どのみち間に合わなかった。できるのは、ここで浸水を防いで、わずかでも艦の沈没を遅らせることだけだ。

 

 だが、その俺も、気づけば火災に巻き込まれていた。周囲を高熱の煙が覆いつくし、その区画から酸素を奪う。俺は閉めたハッチに覆いかぶさるように這いつくばりながら、足元にわずかに残った酸素を吸おうと喘いだ。

 

 僅かな酸素を吸う代償に、高熱に焼けた空気に喉を焼かれた。その一呼吸を最後に、俺は喉から肺まで焼き尽くされた。

 

 呼吸困難にもがきながら死んでいく俺の意識を、俺は感じていた。その下で溺れ死んでいく俺たちの意識も。艦の浸水量が限界を超え、艦は燃え盛りながら沈んでいく。まさに上は大火事、下は大洪水だ。俺は沈みゆく自分の身体を見て、そう思う。

 

 しかし、俺とは誰だ。俺たちとは、誰だ。

 

 俺はいったい、誰なんだ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おーい。

 

 起きろー。

 

 起きてよー。

 

 遠くから誰かにそう呼びかけられた気がして、俺の意識が徐々に呼び覚まされていく。

 

 最初に感じたのは、音だった。波音が打ち寄せている音。

 

 起きなよ~。

 

 起きないな~。

 

 起き起きないないな~。

 

 寄せては返すさざ波のように、心地よい声が耳元に降り注ぐ。

 

「そぉい⊂( ・∀・) 彡」

 

 すぱん。

 

「ぬはぁっ!?」

 

 額を小気味よくはたかれて、俺は閉じていた瞼を開いた。なんだ、何事だ?

 

 何故、俺は倒れているんだ?

 

 そんな疑問を抱えたまま空を見上げ続ける俺の視界に、ふと、影が差す。

 

 一人の少女が俺の傍に膝をつき、顔を覗き込んでいた。

 

 年齢は十代半ばくらいだろう。明るい色の髪の毛を左右のツインテールで結び、大きな丸い瞳を好奇心でいっぱいに輝かせながら、仰向けに倒れている俺を見下ろしている。

 

 可愛いと言えば可愛い。が、

 

「返事がない。ただの屍のようだ」

 

「生きとるわい! たたき起こしておいて死人あつかいしてんじゃねえ!」

 

 思わず突っ込みながら立ち上がる。すると全身の関節が油の切れた機械のように軋みをあげ、鈍い痛みが拡がった。

 

「あだだだ」

 

 中腰になった俺を、傍らで膝をついたままの少女が、心配そうな顔で見上げた。

 

「ぎっくり腰ですか?」

 

「ちげーよ。いや、違うはずだ。違うと信じたい」

 

 だが腰も痛いのは事実だ。俺はそろそろと曲がった腰を伸ばしながら身体のあちこちを手で探ってみて、関節の軋み以外に大きな外傷が無い事を確認する。

 

 同時に、この場所が砂浜であった事にも気が付いた。全身が砂まみれだ。

 

 穏やかな波打ち際を背景にして、少女もまた膝の砂を払いながら立ち上がった。彼女の身長は俺の胸元くらいだ。彼女の瞳が私を見上げる。

 

「起きて大丈夫なんですか?」

 

「さんざん起きろと呼び掛けていたのはどこのどいつだよ」

 

「そりゃフランスの隣の」

 

「は?」

 

「ドイツがどこかと聞かれたので」

 

「・・・日本語でおk」

 

「てへぺろ(>ω・)」

 

 だから日本語でしゃべろっての。

 

 どっと押し寄せてきた疲労感は倒れていた後遺症か、それともこいつのせいか。まあ両方だろう。

 

 彼女が俺を見上げながら、訝しむ様に眉を寄せて言った。

 

「まあ確かに言いましたけど、意識があるかどうか確認したかっただけですからね。だいたい足元が覚束ないですよ。今にも倒れそうです」

 

「そうだな、確かに気分が悪くなってきた」

 

「座ってたほうがいいですよ。取り敢えず救急車を呼びますんで。もっとも、ここの通信網が生きていればの話ですけどね~」

 

 座り込んだ俺の横で、彼女は立ったままウサギのぬいぐるみを取り出した。彼女の手の平よりも少しだけ大きめのピンク色のウサギだったが、俺は何故だかそれが通信機なのだと理解していた。

 

 案の定、彼女はそれを耳にあて、もしもしと話し出す。俺は彼女が救急車を呼ぶ様子を眺めた。

 

「もしもし」

 

「・・・」

 

「もしも~し」

 

「・・・」

 

「も~しも~し」

 

「・・・」

 

「カメよ、カメさんよ」

 

「電話してるんじゃねえのかよ!?」

 

「んなワケねーじゃないですか! ウサギですよコレ! 一目でわかるツッコミ待ちですよ!」

 

「行き倒れを待たせた挙句に、なにツッコミを求めてんだよ!?」

 

「私ってシリアス苦手なんですよねぇ。乾いた日々を潤すためにユーモアを求める性質なんですよ」

 

「お前のそのユーモアとやらで俺の心はがっさがさにヒビ割れてる最中だよ」

 

「お、日々とヒビをかけた的な?」

 

「うるせえよ。頼むから少しはシリアスになってくれよ」

 

「はいはい」

 

 彼女はウサギの背中についていたファスナーを開き、内部から携帯端末を取り出した。今度こそ多分、通信機だ。多分。

 

 いやこいつの事だから、またボケるかもしれん。こうやって同じネタを重ねることを何と言ったか。ああ、そうだ。

 

「天丼ネタか」

 

「スマホ見て天丼とか、頭沸いてんですかね?」

 

 彼女は可哀想なものを見るような目で俺を見ながらため息をついた。携帯端末を耳から離し、再びウサギぬいぐるみにしまい込む。

 

「やっぱり繋がらないですねぇ。ここの鎮守府は空襲でかなりの被害を受けたみたいだから、もう駄目かも知らんね」

 

「空襲?」

 

 彼女の口から出た非日常的な言葉に、俺は周囲を見渡した。

 

 海とは反対側、陸地側にはコンクリートの堤防があり、その向こう側の景色は見えない。しかし広い空に向かって黒い煙が幾筋も立ち昇っているのが見えた。

 

「火事か。あそこが被害にあったのか?」

 

 しかし、いったい誰に?

 

 いや、そもそもここは何処だ?

 

「深海棲艦の空母艦載機による爆撃って、はっきりわかンだね」

 

「深海・・・?」

 

 おうむ返しに口にした俺に、彼女は頷きながら答えた。

 

「この島の主な軍事施設はほぼ被害を受けたみたいですからね~。あっちは鎮守府の方向ですけど、この分じゃ壊滅してたりして」

 

「鎮守府・・・着任・・・お前は海軍なのか?」

 

「ええ~、それいまさら気づいたんですか。どこからどう見ても立派な軍人じゃないですか」

 

「どこからどう見ても頭のネジが緩んだ小娘にしか見えねえよ」

 

「そんな言い方、まったく失礼しちゃうわね。かすんぷ」

 

「誰の真似だよ」

 

「艦娘仲間の暁ちゃんです。後輩のちびっ子なんですけど大人ぶろうとしているところとかホントにかわゆくて」

 

「知らんがな。暁じゃなくて、お前はいったい誰なんだよ」

 

「お前は誰かと聞かれたら、答えてあげるが世の情け」

 

「ネタに走るな、ネタに」

 

「世界の破壊を防ぐため、世界の平和を守るため、愛と真実の悪を貫く!」

 

「押し通しやがった! そして悪を貫くんじゃない!!」

 

「ラブミーチャーリーな艦娘、漣、こう書いて“さざなみ”と読みます!」

 

 彼女が、ずびしぃっと口で擬音をつけながら、ポケットから一枚のカードを取り出した。

 

【綾波型駆逐9番艦・漣】

 

 かんむす、と彼女は言った。未知の言葉だ。

 

 しかし、俺はその意味を訊く気にはならなかった。どうせ聞いてもまたネタに走りそうだから・・・という以外にも、理由があった。

 

 上手くは言えないが、俺はそれを既に知っている気がした。実際に彼女が“そうなった”ときを目にすれば全てを理解できる気がした。今はただ、思い出せないだけだ。

 

 そう、思い出せないのだ。俺は重大な事実に気が付いた。

 

「で、そちらさんは、どちらさんですかね?」

 

 彼女からの質問に、俺は愕然とする。

 

 俺は誰だ。それがわからないのだ。記憶喪失だった。

 

 そう彼女、漣に伝えると、彼女はまた可哀想なものを見るような目で俺を見ながらため息をついた。

 

「他人に訊いておいて自分が分からないとか、それどうなんですかね。いや、空襲で吹っ飛ばされたショックてのは理解してますよ。でもさっき私の事、頭のネジが緩んだ小娘とか言いましたよね」

 

「うん、すまん。調子に乗ってた」

 

「私がネジ緩んでんなら、そっちは?」

 

「ネジ飛んでたみたいです」

 

「はい、素直でよろしい」

 

「ところで、俺が倒れていた理由は見当つくか? いや、まあダメもとで質問しているんだが」

 

「私は鎮守府に向かう途中で倒れているあなたを見つけただけですからねぇ。堤防の向こう側は空襲で穴だらけで、砂浜を歩いた方が早かったから」

 

「んじゃ、お前・・・君に介抱されたのは偶然だった訳か。神に感謝だな」

 

「別に、声を掛けただけですけどね」

 

「いや、叩かれた気もするぞ?」

 

「気のせいです。それより神に感謝って、あなた怪しい新興宗教とかにはまってたりとかなんかですか?」

 

「自覚なしにつぶやいただけだ。てか、神の名を出しただけで新興宗教扱いするな」

 

「どうですかね。最近はやたら増えてるらしいですから。五月雨教とか文月教とかムツリム・アラアッラー教とかぽいぽい教たべりゅうううう教とかとか」

 

「どれも危険な香りが漂ってきそうな宗教だな」

 

「そんなあなたに漣教なんていかがです?」

 

「遠慮する」

 

「いま入信すればポイント五倍プレゼントしますよ」

 

「何のポイントだ?」

 

「5ポイントたまると漣を秘書艦に据えることができます」

 

「いらんいらん」

 

「ええ~、今なら“ご主人様”って呼びかけるオプションもつけちゃいますよ」

 

「そんな趣味はない。っていうか、記憶喪失の人間の秘書になってどうするんだ」

 

「ありゃ、自覚無かったんですか。自分がどんな格好してるか改めて見てみれば、少なくとも自分の職業くらい見当が付きそうなものですけどね」

 

 言われて、もう一度自分の服に目を落とす。

 

 黒い服だ。足元は革靴、下半身は黒のスラックス、上半身は白ワイシャツに黒ネクタイに、金ボタンがついた黒の上着を着ている。

 

 その金ボタンには鎖の絡んだ錨が刻まれていた。

 

「これ軍服じゃないか。冬制服だ。てことは俺も軍人か。海軍所属だ」

 

 ちなみに帽子は無かった。空襲で紛失したのかも知れない。髪の毛は短く刈り揃えられていた。

 

 軍服なら名札があるはずだが、右胸に着けているはずのネームプレートも紛失していた。

 

 ならば身分証だ。漣のようにカード型の身分証を持っていないかポケットを探ったが、残念ながら見つからなかった。

 

 しかしその過程で自分の階級に気づいた。

 

 冬制服の階級章は両袖についている。そこには金色の太い線が四本ならんで巻かれていた。

 

「一等海佐だ。げ、マジか、そんな高い階級だったのか」

 

「一佐て、海上保安隊の階級じゃないですか、海軍だと大佐ですよ、ご主人様」

 

「おい、やめろ、勝手に入信させるな。それに俺の実感としてはまだ少佐程度だ。大佐になれるほど歳くっちゃいない。おい、そうだよな。俺まだ若いよな?」

 

「うーん、折り返し地点ってところですかね」

 

「また微妙な評価を」

 

「まあ最近の大佐レベルだと妥当な線だと思いますよ。艦娘担当の将官なんて提督業させるために臨時昇進させられた人たちばっかりですから」

 

「あ~、そういやそうだった」

 

 臨時昇進は正規の階級ではないから、提督業から解任されると元の階級に戻ってしまう。しかしそれだと記録上は懲戒処分と同じ降格扱いになってしまうので、区別をつけるため階級の後ろに(仮)がつく。

 

 つまり今の俺は大佐(仮)というわけだ。しかしカッコカリって、格好悪いな。密かに(笑)とかにされても気づかんぞ。

 

 そんなことを考えていた時、俺は別のものを見つけ、注意をそちらに惹きつけられた。

 

 10メートルほど離れた場所に、砂で半分埋もれるようにして黒の書類カバンが落ちていた。

 

 漣もそれに気付き、座り込んだままの俺に代わって拾ってきてくれた。

 

「軍用の書類カバンですね。あなたのですか?」

 

「多分そうだと思う。鍵はかかっていない・・・気がする。開けてみてくれ」

 

「閲覧不可の重要機密書類だったら、あなたに責任とってもらいますからね」

 

「責任が取れる立場であればいいんだがな」

 

「大佐でしょ。カッコカリだけど」

 

「カッコカリ言うな」

 

「カッコ笑い」

 

「やめろ、マジでやめろ」

 

 漣はにやにやと笑いながら、さほど躊躇わずにカバンを開け、中からA4判の茶封筒と、一枚のカードを取り出した。

 

「お、これ身分証ですね。写真もついてる」

 

 漣はそう言って、カードと俺を見比べた。

 

「うん、あなたですね。階級は大佐(仮)で間違いない。(笑)じゃなくて良かったですね。それで、名前は・・・海尾 活流? なんて読むんですか、これ」

 

「・・・いきる」

 

 ぷ、と彼女は吹き出した。

 

「うみお いきる・・・くく、マジですか、キラキラネームってやつですか?」

 

「笑うな。気分悪いぞ」

 

「あ、めんごめんご。でも、気分悪くしたってことは、自分の名前だって自覚あるんですね」

 

 漣の言葉に、俺は頷いた。活流という名前に引き上げられるように、次々と記憶が浮かび上がってきた。

 

「そうだ、俺の名だ。生まれてこの方、家族以外に一度たりとも正しく読まれたことのない名だ。なんでこんな名前を付けたんだと親に文句を言ったこともある。だってかっこいいでしょと言われ唖然としたが」

 

「まあギリギリそう読めないこともないだけマシじゃないですかね。生命と書いてライフと読むとかやられた日には目も当てられませんよ」

 

「兄貴は守だった。まもる。普通の名だ。だけど苗字が海尾だからな。うみをまもる、になってそれでからかわれたらしい。兄貴は名前負けするのが嫌で海軍に入隊したんだ。それをみて俺も海軍に憧れたんだ」

 

「立派なお兄ちゃんですね。そしてあなたも大佐にまで昇進した。カッコカリですけど」

 

「いちいち強調するな」

 

「でも立派ですよ。ご両親もお兄ちゃんも鼻が高いでしょうね」

 

「そうだと思う。両親は入隊する前に死んだけどな。海で遭難したんだ」

 

 俺がそういうと、漣の表情が微かに強張った。

 

「あ、えとその・・・ごめんなさい」

 

 その態度に、俺は後悔する。浮かびあがった記憶のままに、言わなくてもいいことを言ってしまった。

 

 漣とは知り合ったばかりだが、なんというか、こいつにシリアスな顔をされると調子が狂う。

 

「いや、気にすんな。とっくの昔の話だし、むしろ思い出させてくれて感謝してる」

 

「あ~、そうですか。・・・えっと、こっちの書類は、あなたが調べた方が良さそうですね」

 

「だな」

 

 漣から身分証と茶封筒を受け取り、先ずは身分証を確認した。

 

 海尾 活流。確かに大佐だ。(仮)もしっかりついている。格好悪い。年齢は三十半ば。写真は撮影者の腕が悪いのか、あまり男前には見えなかった。しかし、これが俺らしい。鏡が無いので自分の顔を見ることはできないが、漣もそう言ったのだから、可能性は高い。

 

 身分証を懐のポケットに仕舞い、続いて茶封筒の表書きを見る。

 

 個人情報という文字が赤インクの判で押されている。宛先は南西警備艦隊司令部総務課宛。送り主は海軍総隊艦隊司令部。

 

 どうやら人事書類の様だ。俺は糊付けされていた上端を手で破き、中の書類を取り出した。

 

 辞令だった。

 

【艦隊人事第48号 人事発令通知 次ノ者へ南西警備艦隊司令へノ着任ヲ命ズル 海軍大佐 海尾 活流】

 

 口に出して読み上げると、漣が「お」と声を上げた。

 

「どうした?」

 

「あなた、やっぱり私の上官らしいですね」

 

 そう言って、漣は直立不動の姿勢を取る。

 

「綾波型駆逐艦・漣、本日付で南西警備艦隊所属を命ぜられ、只今着任しました。宜しくお願いしますね、ご主人様」

 

「おい、ご主人様はやめろ。勝手に漣教に入信させるな」

 

「ふふふ、これで秘書艦と艦隊旗艦の座は、この漣のもの」

 

「人の話を聞け」

 

「まあ実際問題、鎮守府もかなりひどい被害受けてるみたいですし、艦隊がどれだけ残っているかも疑問ですよね」

 

「さらっと怖いこと言うなよ。否定はできんけど」

 

「とりあえず鎮守府へ行きましょ、ご主人様」

 

 マイペースを押し通す漣に促され、俺は黒煙が立つ方向へ向かって、堤防を越えた。

 

 堤防を越えた先は田畑が拡がる平野であり、一キロほど先に赤レンガの建物が見える。どうやらあそこが鎮守府の様だ。黒煙もそこから上がっていた。

 

 鎮守府へと続く道は空襲の目標とされたのか、爆撃により幾つもの大穴が空き、寸断されていた。俺たちは田畑の畦道を使って迂回を繰り返しながら、鎮守府へと向かった。

 

 鎮守府に近づくにつれ、その被害状況もハッキリと見えてきた。一言で言えば、ひどい有様だった。

 

 俺たちの位置は鎮守府の裏手にあたり、そこから見える限り庁舎らしき建物、倉庫らしき建物は全て被害を受けている様だった。原型を留めている建物でも何処かしらに大きな穴が開き、窓ガラスも一枚残らず砕け散っている。跡形も無く崩れた建物も少なくないだろう。

 

 せめてもの救いは火災が既に鎮火しているということだった。現状これ以上の被害が拡大することはない様で、敷地内では瓦礫の撤去作業が行われていた。

 

 近くまで辿り着いた俺たちは、正門を探してフェンス沿いを歩いた。しかしフェンスもあちらこちらで倒壊し、その意味をほとんど失っていた。

 

「正門まで遠そうですね。ねえねえ、ここから入っちゃいましょうよ~」

 

「バカ言うな。不法侵入だ」

 

「意外と真面目なんですね」

 

「将官が真面目でなくてどうする。バカ真面目くらいでちょうどいいんだ」

 

「バカ、真面目」

 

「その不自然な区切り方やめろ」

 

 しばらく歩くと、また海が見えた。どうやら鎮守府の敷地は海に面している様だ。海軍の施設なのだから当然かもしれないが。

 

 正門も海の近くにあった。立直中の守衛は、少女を同伴した、帽子もかぶらず砂まみれの制服姿の俺を見て訝しんだが、身分証を見せるとすぐに態度を改め、敬礼した。

 

「空襲に巻き込まれたのですか。ご無事でなによりでした。今から警備艦隊関係者に連絡を行いますので、しばらくここの詰所でお待ち下さい」

 

 守衛に促され門の脇にある小さな建物に入ると、入れ替わりに別の守衛が自転車に乗って敷地内へと走って行った。

 

「いま伝令を出しました」と守衛。「この詰所も機銃掃射を受けて、通信機器を破壊されまして、鎮守府内でも人力で情報をやり取りしている有様です」

 

「壊滅状態だな」

 

 俺が詰所の壁に穿たれた大量の弾痕を眺めながらそう呟くと、守衛はさほど悲壮感を見せずに、そこまでひどくないです、と言った。

 

「地下の中枢施設はほぼ無傷ですよ。隊内の通信回線自体も生きています。もっとも、地上施設の送受話器はほとんど壊れましたけどね」

 

「外部との連絡は?」

 

「一般回線は幾つか残っていますが、無線通信用のアンテナが損傷した様です」

 

「難儀だよなあ」

 

 四、五分ほど経ったところで伝令が戻ってきた。

 

「大佐カッコカリ、警備艦隊司令部は現在、空襲の被害のため迎えを出せないとの事です。申し訳ございませんが司令部までご足労願います」

 

「わかった。場所を教えてくれ。あと階級にカッコカリ付けるのやめろ」

 

「わかりましたカッコカリ」と漣。

 

「そっちを略すな。てか、お前は黙ってろ」と俺。

 

「では大佐」と守衛。「ここから海沿いの道を進んだ先に岸壁があります。その中ほどあたりの掩体壕が地下司令部への入り口となっており、司令部要員がそこで待っているそうです」

 

 俺は守衛に礼を言い、漣とともに敷地内を歩き出す。

 

 教えられた道を進んでいく途中、漣がある疑問を口にした。

 

「空襲直後とはいえ、新司令を出迎えにも来ないなんて、ご主人様も人望無いですよねぇ」

 

「被害がそれだけひどいんだ。人望は関係ない」

 

「さっきの守衛さんは、そこまでひどくないと言ってましたけどね。まあ詰所に銃撃食らって平然としていられる守衛さんも大したもんですけど」

 

「肝が据わってるのか、それとものんきなのか。・・・ここの連中もそんな感じなのかな」

 

「肝が据わりすぎて新司令なんか歯牙にもかけない・・・うわぁ、独立愚連隊みたいな人たちだったらどうしよう」

 

「旗艦の腕の見せ所だな。頼んだぞ、秘書艦どの?」

 

「げー( ̄Д ̄;;」

 

 海沿いに長く伸びる岸壁には、係留されている艦艇は一隻も無く、がらんとしていた。その岸壁の真ん中近くに、カマボコ型をしたコンクリート製の構造物があった。

 

 おそらくこれが守衛の言っていた掩体壕だろう。その地下司令部への入り口と思われる鉄製の扉の前に、一人の背の低い少女が立っていた。

 

「あれが司令部の者かな」

 

「そうみたいですね・・・でも、あの子、どこか変じゃないですか」

 

「変て、お前が人のこと言えるのか」

 

「いやいや、性格的な意味じゃなく、見た目の時点で」

 

 何気に自分の個性的な性格を自覚していることに軽く驚きつつ、それでも近くまで来ると、漣の言ったことがよくわかった。

 

 扉の前で待っていたのは、白地に緑の線が入ったセーラー服を着て、胸元に白い猫を抱えた、三頭身の娘だった。

 

 いや、娘どころか人間ですらない。これは少女をディフォルメして描かれたイラストだった。胸元の猫などディフォルメしすぎて、両手で抱いているというより、ぶら下げているか吊るしているかの様な感じだ。

 

 そんな三頭身猫吊るし少女のイラストが、立て看板状態で扉の前に立っていた。

 

「なんだこれ」

 

「広報用の展示パネルですかね。ほら、よく観光地とかにある写真撮影用のアレ」

 

「顔の部分に穴が空いているアレか。そう言えばアレってなんていう名前なんだろうな?」

 

「確か“顔はめパネル”ですね。実は私、全国の顔はめパネルの写メ撮るのが趣味なんですよ」

 

「そいつは奇遇だな。俺も見つけると思わず撮影しちまうんだ」

 

「おお同志よ。んじゃ、せっかくですから撮りましょうか?」

 

「そうだな、頼むわ」

 

 漣が携帯端末を取り出し、俺は立て看板の背後に回り組む。しかし、肝心の顔をはめる穴が無い。

 

「これ、顔の部分が外れるのかな?」

 

 そう思い、猫吊るし娘の顔あたりに手をかけた。

 

 しかし、

 

「お?」

 

 俺の手は、その顔はめパネルをすり抜けた。

 

「何だこれ、全く手ごたえがないぞ。まるで立体映像みたいだ」

 

 顔はめパネルは俺の手が触れたところだけ細かくノイズが走り、半透明になっていた。

 

『おっしゃる通り、これは立体映像です』

 

「「ぬわッ!?」」

 

 突然かけられた声に、俺と漣は周囲を見渡した。

 

 しかし、他に誰もいない。

 

「誰だ、どこにいる?」

 

『驚かせて申し訳ございません。ですが、私はすでに、あなた方の目の前に姿を見せております』

 

 その言葉に、俺はパネルの前に戻る。目の前にあるといえば、この猫吊るし娘の立体映像の顔はめパネルだけだ。

 

 その猫吊るしの口元がパクパクと動いた。

 

『はじめまして。私は、南西警備艦隊司令部の業務担当AI、UN=A2と申します。どうぞ宜しくお願いします』

 

 俺は自己紹介する猫吊るしから目を逸らし、隣にいる漣をみた。同じように、彼女も私の方を見ていた。

 

「なあ、AI搭載の顔はめパネルなんて聞いたことあるか」

 

「最近じゃ自販機にも搭載されるくらいですし、あってもおかしくないと思いますけど」

 

「それに何の意味があるんだ?」

 

「写真撮るときに“はい、チーズ”って言ってくれるとか? 漣的には“1足す1は”と訊いて“にー”と答えるのが好きですけど」

 

 そう言って漣は、両手の指で自分の口の端を引っ張り“にー”っとする。畜生、可愛いなこいつ。

 

「それで」と俺。「AIとやら。お前さんはどんな掛け声をしてくれるんだ?」

 

『えっと、それでは、ルート4なんてどうでしょう』

 

「なぬ?」

 

 首をひねる俺の横で、漣が相変わらず口を引っ張りながら、

 

「に~」

 

『はい、正解です』

 

 ああ、なるほど。平方根のルートか。ルートにルートが重なっているからルート4を計算すると2になる。

 

「まだるっこしいな!」

 

「理系ならすぐにわかる問題ですよ、ご主人様。つまり文系なんですね」

 

「顔はめパネルと小娘にバカにされた。悔しい」

 

『言っておきますが、これは顔はめパネルじゃありませんよ』と、猫吊るしが抗議する。

 

「じゃあ、なんなんだ?」

 

『この立体映像は業務を円滑に進めるための対人インターフェイスです。私の本体はこの鎮守府の地下最深部にあるスーパーコンピュータをメインサーバーとして使用しており、鎮守府及び警備艦隊司令部の業務処理等を、ほぼ全てこのサーバーで処理しております』

 

「なんか凄いこと言いだしたぞ、こいつ」

 

「要するにパソコンを使った業務を支援してくれる便利なプログラムってことですか」

 

『まあそんなところです。今回の空襲でスパコンに被害が無かったのは幸いでした。もっとも、空襲による過負荷で、対人インターフェイスをはじめとする幾つかの箇所がエラーを起こしてしまいましたが』

 

「じゃあ」と、俺。「このふざけた立体映像も、対人インターフェイスのエラーによるものってわけか?」

 

『左様です。正常な状態でしたら、私の敬愛する大淀さんのような可憐なお姿を披露できるのですが』

 

「大淀って誰だよ。艦娘か。美人なのか?」

 

『軽巡艦娘で、メガネの似合う黒髪ロングの知的美人です』

 

「それはいいな。早くエラーを直してくれ」

 

「うわ、欲望丸出し。最低だ、このご主人」

 

『残念ながら、今は過負荷による処理能力の低下のため、ディフォルメキャラクターの一枚絵をこの場所で表示するのがやっとという状態です。そういう訳で正門までお迎えに行けず、失礼致しました』

 

「そういうことなら、わかった、しょうがない。我慢しよう」

 

『ありがとうございます。それでは、これより司令部へご案内いたします』

 

 猫吊るしはそう言って、その一枚絵をくるりと反対に向け、裏側に描かれた背中を見せた。その眼の前で、鉄製の扉が重い音を立てて開いていく。その先に、地下へと降りる階段が続いていた。

 

 滑るように動き出した猫吊るしの後を追って、俺と漣は、階段を降りた。

 

 地下施設はほぼ無事というのは確かな様で、地下の通路には照明が灯り、空調も正常に機能していた。通路の両脇には幾つかの鉄製の扉があり、それぞれには指揮所、通信所、気象室等の表記がある。その扉の列の一つだけ、木製の扉があった。

 

『こちらが司令執務室になります』

 

「案内ご苦労さん」

 

 俺は木製扉の前に立ち、ノックしようとした。しかし俺が叩くより先に、その扉がひとりでに開く。

 

 目の前に現れた執務室は、無人だった。そもそも照明さえ落とされていた。

 

 わずかな間をおいて、部屋に照明が灯される。中はそれなりに広い部屋だ。部屋の中央には応接用のソファがテーブルを挟んで向かい合わせに置かれ、その奥に執務用のデスクがある。

 

 入り口から向かって右側には秘書用のデスクが司令のデスクと斜向かいになる様に設置されていた。向かって左側には巨大な書類棚が壁一面を占拠していた。

 

 俺と漣が入室すると、背後で扉が閉じられた。どうやら自動ドアだったらしい。俺は猫吊るしに問いかけた。

 

「なあ、前任の司令はどこに行ったんだ?」

 

『現在は不在にしております。その辺りの事情も含めてご報告しますので、どうぞ席におつきください。といっても、こんな形ですのでお茶の一つもお出しできずに心苦しい限りですが』

 

「秘書艦もいないみたいだしな。仕方ないから自分でお茶を淹れるか。構わないか?」

 

『助かります。書類棚の左端の戸棚にお客様用のお茶セットが入っています』

 

「ああ、これか。お、紅茶もあるな」

 

「私はミルクティーがいいでーす」

 

『ミルクは脇の冷蔵庫です』

 

「はいはい・・・いや、待て。なんで俺が淹れる流れになっているんだよ」

 

「だって自分で淹れるって、ご主人様言いましたよね。ねぇ、猫娘ちゃん」

 

『ええ確かに。ところで猫娘ちゃんとは私の事ですか?』

 

「うん」

 

「お前のも淹れるとは言ってねえよ」

 

『では私の分も淹れて下さると? 気持ちはうれしいのですが飲食機能は搭載されていませんので』

 

「そうでもねえよ。お前らいい性格してるな」

 

『よく言われます』

 

「褒められちった。テヘ」

 

「褒めてねえよ。ったくもう、わかったわかった。淹れてやるよ」

 

「お、なんか意外ですね。もっとキレて突っ込んでくるかと思ったのに」

 

『人のいい・・・いえ、良い人なんですね』

 

「うるさいぞ。というかAIのくせに言い間違えるな」

 

『すいません、まだエラーが酷くて』

 

「ほんとかよ。まあいい。こう見えてお茶にはこだわりがあるんだ。特に紅茶は兄貴が凝っていてな、その縁で俺もいろいろと仕込まれたんだ」

 

「へえ。ところでご主人様。仕込むってどのレベルから? 茶畑から?」

 

「ラーメン作るのに小麦畑を耕すところから始めるアイドルグループ並のレベルを求められても困る。せいぜいお湯の温度と、注ぎ方に注意を払うくらいだ。けど、これで結構変わるんだぜ」

 

「はいはい、んじゃ期待して待ってますよ。でも長くなりそうですから、もう説明を聞いてもいいですかね?」

 

「おう、頼むわ」

 

『では、ご報告します』

 

 ポットのお湯の温度を設定しなおす俺の背後で、猫吊るし改め猫娘が状況を説明しだす。

 

『先ず前任者の不在についてですが、これは今朝の空襲に関係しています。昨日の1230、本島近海域の通商航路上おいて深海棲艦の大艦隊が突如として出現しました』

 

 猫娘の報告を聞きながら俺は冷蔵庫からミルクと、ついでに見つけたレモンスライスの入ったパックを取り出す。

 

「なあ、これも使っていいか?」

 

『お好きにどうぞ。・・・事態を重く見た海軍総隊から、直ちに、我が南西警備艦隊に対し緊急出港が命じられました。これを受けて同日1330、前任司令は在籍艦娘全てをもって出港、現場海域へと急行しました』

 

「それってつまり」と漣。「全戦力ということですか~。鎮守府の防衛戦力さえ残さなかったんですね。ところでレモンミルクティーってのもいいですね」

 

「おい自称理系。レモンに含まれる酸に牛乳のたんぱく質が触れるとどうなるか知ってるか?」

 

「きっと、おいしくなる( *´艸`)」

 

『酸の作用によってたんぱく質の構造が変化して凝固し、水分と分離します』

 

「それっておいしいの(;´Д`)」

 

「凝固したたんぱく質ってのはつまるところチーズだ。分離した水分で薄くなったチーズ入り紅茶がご所望か。そうかそうか。待ってろすぐに作ってやる」

 

「( ゜Д゜)」

 

『ところで報告続けてもいいですかね。ていうか、ちゃんと聞いていますか?』

 

「全艦出撃だろ。通商航路を抑えられた以上は捨て駒になっても囮として敵を引き付けなきゃならんからな。できるだけ多くの戦力で行くのは当然だし、鎮守府を守って通商航路を取られたんじゃ本末転倒だ」

 

『その通りです。ちなみに敵の戦力は判明しているだけでも戦艦3、空母4、重巡4、駆逐12、更に潜水艦情報もありました。それに対し我が警備艦隊の戦力は戦艦1、軽空母2、軽巡2、駆逐8。その戦力差は圧倒的不利ながら、それでも他警備艦隊からの増援到着まで持ちこたえる必要がありました』

 

「作戦は?」

 

『敵の撃破ではなく、時間稼ぎと味方の生存を目的とするなら勝算はある。前任司令はそう言っておりました』

 

「それで、上手くいったのか?」

 

『戦術的には勝利したと言って良いでしょう。我が艦隊は出航後の同日1746、軽空母から発進した哨戒機により敵艦隊を捕捉。艦載機による先制攻撃、そして日没後は夜戦に持ち込み、敵艦隊を攻撃。敵艦隊の注意を我が警備艦隊に引き付けることに成功しました』

 

 しかし、と猫娘は続けた。

 

『敵艦隊の戦力はほとんどそのまま残っていました。我が艦隊は敵艦隊を伴いつつ通商航路上から遠ざかり、味方艦隊との合流海域を目指しましたが、この時点でかなりの被害が出た模様です』

 

「まさか、全滅か?」

 

『轟沈は出しませんでしたが、ほぼ全艦娘が中破ないし大破したそうです。日付が変わって本日0600、我が艦隊は味方艦隊との合流に成功。敵艦隊を敗走させました。しかしその報の直後の0810、本島の目の前に敵空母が単体で出現、艦載機による奇襲爆撃を受け、地上施設に被害を被りました』

 

「すごい戦いだな。それにしても敵に一矢報われた訳か。でも全艦出撃の時点で予想はしていたんだろう?」

 

『ええ。事前に空襲へ備えておりましたので人的被害はありませんでした。しかしこの空襲により当鎮守府は通信機能だけでは無く、艦娘の入港及び修理補給機能も一時的に喪失しました。その為、警備艦隊は他の鎮守府へ緊急入港したものと思われます。また、こちらは一般回線を使って通達されたのですが、現状を鑑みて前任司令はそのまま新任地へ着任。後任者は到着次第、速やかに司令へと着任せよとの命令がありました』

 

「おいおい」なんてこった、と俺は天井を仰いだ。「前任者どころか指揮する艦隊さえいない司令か」

 

 前任司令の勇猛振りは尊敬に値するが、全艦損傷状態ならば当分ここに艦隊は戻って来れないだろう。

 

 しかも、

 

『それだけではありません』

 

「まだ何かあるのか?」

 

『空襲で鎮守府長官が負傷され後方へと緊急搬送されました』

 

「あらまあ気の毒に。それで?」

 

『艦隊司令の他、代行として鎮守府長官も兼ねて頂く事になります』

 

「おいおい」

 

 鎮守府長官は、この陸上施設及び港湾施設を管理する、いわば後方支援の長だ。指揮系統上は海軍総隊後方支援部に所属する各地方総監部の下にあり、同じ海軍総隊でも、艦艇運用を一手に引き受ける艦隊司令部の隷下となる警備艦隊とは別系統である。

 

 つまり、警備艦隊は鎮守府から施設を間借りしている形と言っていい。

 

「鎮守府副長官は? 指揮継承権はそちらにあるはずだ」

 

『副長官は置かれてません。AI、つまり私の導入により、副長業務などは全て私が代行しておりました』

 

 それでいいのか? と疑問を口にするよりも早く、猫娘から、

 

『緊急処置ということで、海軍総隊から内定が既に下りています。軍用通信が復旧後、正式な辞令を送るそうです』

 

 そう言われてしまえば、諦めるより他はない。

 

「わかった、通信が復旧したら教えてくれ。艦隊司令部に着任の報告もしなきゃならん。それと、艦隊の現在判明している被害状況と、鎮守府の被害状況及び復旧見込みの情報を紙面で欲しい。可能か?」

 

『了解しました。申し訳有りませんが負荷がかかりますので対人インターフェイスを一旦、切断させて頂きます。音声でのやり取りは可能ですので、いつでもお声をお掛け下さい。では、失礼します』

 

 そう言って猫娘は消えた。AIそのものはこちらを認識しているのだろうが、気分的には漣と二人きりになった感じだった。

 

「やれやれ、前途多難な司令職だな」

 

 そう言いながら、淹れ終えた二人分の紅茶をトレイに乗せてソファへ戻る。

 

「( ゜Д゜)」

 

「おい、いつまでそんな顔してんだよ。ほら、レモンミルクティーだぞ」

 

 俺は彼女の分のカップを目の前に置く。漣はその中身をおっかなびっくりのぞき込んで、

 

「あれ?」と首を傾げた。「普通のミルクティーに見えますが?」

 

「飲んでみな」

 

 ずずっと一すすり。

 

「 (゜。゜)ウマ―。ちゃんとレモンの風味があるのに凝固してない。なんで? なんで?」

 

「レモン汁じゃなくて皮を小さく切ってつぶして混ぜたんだよ。風味が強調されるようについでにカップのふちにも塗り付けておいた。駄目押しに茶葉はオレンジペコを使ったからな。柑橘系の香りがするだろう」

 

「ウマウマ(*´ω`)」

 

「あ、この子聞いてない」

 

 だが淹れた紅茶をうまそうに飲む彼女の姿に満足感を覚えたので、俺は自分用の紅茶を持って、司令用の執務デスクに向かった。

 

 前任者が居ないとはいえ、もともと今日、司令職を交代する予定だったのだから申し継ぎ書類くらいまとめているはずだった。

 

 案の定、デスクの一番上の引出しに【司令申し継ぎ】と表紙が打たれた分厚い書類が入っていた。内容は、警備艦隊の編制や練度評価、そして人事状況だ。今はここに居ない艦隊の情報だったが、いずれこの艦隊が帰ってくることを考えると無意味では無かった。

 

 もっとも、本当に帰って来ればの話だが。

 

 書類には他にも警備艦隊の担当海域の情報や、作戦行動中の行動規範やその根拠となる関係法規、司令部から出された命令などの通達も添付されていた。

 

 それによれば、この艦隊の主任務は担当海域の海上交通の安全であり、脅威がある場合は独自判断による速やかな出撃、そして排除が認められているらしい。担当海域自体はそこまで広くは無いものの、与えられている権限はかなり強大かつ柔軟といえる。

 

 しかし現状は、それだけの権限を活かせるだけの戦力が無い。従って司令としての当面の仕事は艦隊の再編成と、その間の海域警備をどうするか、だった。

 

 具体的な方策としては他の鎮守府に停泊している艦隊に応援を頼み、手空きの艦艇を何隻か回してもらうしか無いだろう。上層部にその具申を行うとともに、近隣の艦隊へも根回しが必要だ。

 

 近くの艦隊に同期や知り合いが居ればいいのだが、と思いながら書類に目を通し続けている俺の前に、ティーカップが静かに置かれた。

 

 ティーカップの中身は空だった。

 

「おかわりキボンヌ(`^ω^)」

 

「やなこってす。自分で淹れやがれ(/・ω・)/」

 

「けちー。んじゃ仕事しますかね」

 

 そう言って彼女もトテトテと秘書艦席に向かって行き、卓上の電子端末を立ち上げた。すると、俺の座る執務机にある卓上端末のモニターに、秘書艦用端末からのアクセスを示すシンボルが表示された。

 

【SAI-DD113が司令部サーバーへ接続を求めています。許可しますか?】

 

「お前はいったい何をやっとるのだ?」

 

「ほえ?」と漣。「何って、私のサポートAIをここの司令部に登録しようとしてるだけですけど?」

 

 サポートAIは彼女たち艦娘が乗艦する“船体”に搭載されている、その名の通りの支援用AIだ。

 

 しかし、

 

「そんなもん繋げてどうしようっていうんだ?」

 

「どうしようも何も、AIには私の経歴から船体情報、戦歴情報も全部入っていますし、それにこの艦隊の情報ともリンクできれば色んな業務を処理するのにすごく便利じゃないですか」

 

「あ~、えっと」

 

 正直、漣が何を言いたいのかよくわからん。

 

『つまりですね』と、猫娘が姿を見せないまま解説を買って出た。『司令にも理解しやすいように申し上げますと、漣さんは自前の個人用情報端末で業務を行いたいと言っているんです』

 

「そういうのを機密情報を取り扱うようなサーバーにつないで大丈夫なのか?」

 

『サポートAIは私物端末では無く、高レベルの機密情報の取扱いが許可された戦術コンピュータですので問題ありません』

 

「そうなのか?」

 

『戦術コンピュータは戦闘用艦艇をほぼ全自動で運用するために巨大な容量と高い情報処理能力を持っています。これとリンクできるということは司令部サーバーの処理能力向上も意味しますので私としても助かりますね。空襲の復旧作業で負荷も大きいですし、司令、ご許可をいただけませんでしょうか』

 

「ふうむ。そういうことなら、わかった」

 

 俺はモニター上にある【許可】のシンボルをタッチする。

 

 しかし、

 

【エラー。登録権者以外にこの操作はできません】

 

『ああ、そうでした。まだ司令ご自身が登録を済ませていませんでしたね』

 

「おいおい」

 

『とりあえず、こちらの赴任書類に必要事項の記入をお願いします』

 

 その言葉の後に、卓上端末のモニターに書類が表示された。記入項目がかなり多い。氏名と生年月日は言うに及ばず、家族関係、軍歴から過去にかかわってきた任務など。

 

 しかも書類は一枚じゃ済まなかった。

 

 司令職に就くにあたり機密情報取扱い許可資格を取得するための申請書類(しかもこれが機密レベルごとに複数存在する)、情報端末の使用者を変更するための手続き、各命令書や警備艦隊内で定められた規則の発令権者の名称の変更(前司令の名の署名で決済されていたそれらを、改めて俺の署名で出しなおす作業)、所属が代わったことによる厚生関係の変更手続き、居住する寮の申請手続き、そこで使う家具類の借用書類、エトセトラ、エトセトラ・・・

 

 ちなみにこれらは南西警備艦隊司令に就任するにあたっての作業だった。俺はついでに鎮守府長官まで代行しなくてはならないので、これと同じような作業をもう一セットこなす必要がある。まあ厚生関係や寮の手配なんかは二度やる必要は無いので少し量は減るのだが。

 

 というか、寮関係の手配とか、これって秘書艦の仕事じゃないのか。しまった、勢い余って自分でやっちまった。あいつに押し付けりゃよかった。

 

 とか思いながら漣の方を見ると、彼女は秘書艦席で真面目な顔して端末を操作していた。俺の視線に気づかないほど集中してキーボートを高速で叩いている。見事なブラインドタッチだ。

 

 何の仕事をやっているのかと気になって、席を立って秘書艦席の後ろにまわり、モニターをのぞき込む。

 

【(゜∀゜)キタコレ】【(>ω・)えへっ♪】【\(゜∀゜)/三\(゜∀゜)/わっしょい】【(^Д^)メシウマ!】【駆逐艦漣、出るっ!(`・ω・´)】【(;>Д<)はにゃ~っ!】【(´;ω;`)萎え~】

 

 顔文字が高速で入力されては単語登録されていた。

 

 よし、殴ろう。

 

「( ゚д゚ )彡そぉいっ!」

 

「(><)はうっ!?」漣が後頭部を押さえて机に突っ伏す。「いきなり何するんですかぁ」

 

「仕事せずに遊んでるやつに反論の資格は無い!」

 

「仕事しやすいように単語登録していただけです」

 

「行政文書に顔文字を使う気か、お前は。真面目にやれ。というかお前だって赴任書類とかの手続きが必要なんじゃないのか?」

 

「サポートAIが繋げられたら、そういうの一瞬で終わるんですけどね」

 

「つまり、俺を待っていたと?」

 

「はい」

 

『司令、もう許可は出せますよ』と、猫娘の声。『警備艦隊司令としての機密情報取扱い資格と情報端末使用責任者の変更手続き書類が受理されました。司令権限でSAI-DD113への接続が可能です』

 

「よし」

 

 これで漣に阿保な暇つぶしじゃなく仕事をさせられる。俺は執務机に戻りモニター上にある【許可】のシンボルをタッチする。

 

『SAI-DD113への接続が許可されました。回線を接続するため、これより船体を岸壁へ回航します』

 

 猫娘が姿を見せないまま、なにやら大掛かりなことを言い出し始めた。直後、執務室の外から警報が聞こえてくる。

 

「おい、猫娘。何を始めるつもりだ」

 

『SAI-DD113と中枢コンピュータをLANケーブルでつなぐために、漣さんの船体を岸壁へ回航するんです』

 

「この警報は?」

 

『岸壁に搭載された船体転送装置の起動を知らせるものです。ちなみに鳴っているのは隣の指揮所ですね』

 

「へー」

 

 興味を惹かれたので、俺は隣の指揮所へ行ってみることにした。

 

「あ、私も私も~」と、漣もついてくる。

 

 二人して指揮所に足を踏み入れる。かなり広い部屋だった。いくつものコンソールに、高い天井、正面の壁いっぱいに海域図を表示した戦況モニターがある。

 

 そのモニターの一部が画面分割されて、そこに岸壁の様子が映し出されていた。

 

 その岸壁では青白い光が海面いっぱいに拡がり、それは粒子となって泡立ち、空中へと吹き上がっていた。まばゆい光が画面いっぱいに広がり、景色を埋め尽くす。

 

 それはわずか数秒の出来事だった。光に眩まされたモニターが回復した時、そこには、巨大な鋼鉄の軍艦が出現していた。

 

 全長120メートル、排水量2000トン、槍の様に細長いその船体の前部甲板には12.7センチ連装砲、その後ろに三階建構造の艦橋、そこより後ろの甲板は一段下がった構造になり、縦列配置された二つの煙突と、三基の61センチ三連装魚雷発射管が並び、そして後部甲板には後ろ向きに付けられた12.7センチ連装砲が二基搭載されている。

 

 船体の側面には、カタカナで【サザナミ】と表記されていた。

 

 俺がその画面を眺めていると、隣で漣が薄い胸を張りながら、ドヤ顔をしていた。

 

「ふっふっふ~、漣ご自慢の船体、いいっしょいいっしょ? ふっふーん。もっと見てもいいよ」

 

「なんだ、その薄い装甲板の下でも見せてくれるのか」

 

 漣の薄い胸板に目を移しながら言ってみたが、彼女は俺のセクハラまがいの発言に気づかず、

 

「ほうほう、中も見たいと? じゃ、一名様ごあんな~い」

 

 そう言って俺の返事も待たずに指揮所を出て行った。その自慢の船体とやらを他人にひけらかすのが好きらしい。まあ、実のところ俺も興味が無いわけでもないが。

 

 職業柄見慣れている(はずだ。まだ記憶が曖昧だが)とはいえ、やはり男として鋼鉄の戦闘機械というものを前にすると、つい心が踊ってしまう。これはもう本能のようなものかもしれない。

 

 というわけで俺も指揮所を出ようとしたが、そこで猫娘から声をかけられた。

 

『あ、ちょっと待ってください。もうじきお昼になります』

 

「ん?」

 

 俺は着けていた腕時計を見た。時間は1045。あと三十分もすれば昼飯時だ。

 

「もうそんな時間か。そういえば、食堂は無事なのか?」

 

『残念ながら吹き飛ばされました。自慢のカツカレーが台無しになったと調理担当者が憤慨しながら缶飯を準備中です』

 

「着任初カレーは来週に持ち越しだな」

 

『缶飯の種類は、赤飯、五目飯、鳥飯です。どれになさいますか?』

 

「んじゃ、鳥飯で。おーい、漣、お前はどうする?」

 

 俺は指揮所から出ながら答え、ついでに先を行く漣にも問いかける。

 

 漣が階段のところで振り返る。

 

「何の話ですか?」

 

「昼飯。今日は缶飯だとさ。いつもの三種類」

 

「だったら鳥飯一択でしょ。常考」

 

「お、気が合うな」

 

『わかりました。担当者に伝えます。それと司令、たった今、軍事用無線通信が復旧しました。この指揮所から艦隊司令部へ秘匿通信を行うことが可能ですが、どういたしますか?』

 

 そうだな、と頷きかけたところで、漣が「え~」と不満そうな声を上げた。

 

「それじゃ私は後回しですか」

 

「仕方ないだろ。仕事上必要な電話なんだから」

 

「私と仕事、どっちが大切なんですか」

 

「仕事」

 

「即答でしたね。・・・あ、そうだ。どうせ私のサポートAIと中枢コンピュータを繋げちゃうんですから、船体からでも通話可能ですよ。そうだよね、猫娘ちゃん」

 

『それもそうですね。接続テストも兼ねて船体から通話していただけると助かります』

 

「どう? どう? ご主人様。これなら仕事と両立できるでしょ」

 

「ん~、そういうことなら、まあいいか」

 

 というわけで俺は漣と共に、地下司令部から再び地上へと出た。

 

 岸壁には先ほど指揮所のモニターで見た通りの船体が存在していた。船体の甲板上と岸壁ではメンテナンス用自立ロボット(通称メンテ妖精)たちが、その三等身の身体で一生懸命に係留用ロープを引っ張り、船体を岸壁に係留している。

 

 係留作業が済むと、妖精たちは艦名が書かれたすぐ近くの甲板から桟橋を下ろし岸壁に掛けた。漣がその桟橋を駆けあがり、振り向いて俺を待つ。

 

 俺が桟橋を渡り甲板上へと足を踏み入れると、彼女が敬礼で迎えた。

 

「司令、乗艦。これより艦内をご案内いたします」

 

 ほほう。さすが艦娘だけあって乗艦すると気が引き締まるようだ。きりっとした顔つきの漣に、俺も背筋を伸ばして答礼する。

 

「了解、かかれ」

 

「ほいさっさ~。んじゃ、どこから見る? 漣的おすすめポイントは食堂兼待機室ですぞ。漫画、DVD、さらにカラオケ完備のゴージャス仕様!」

 

 前言撤回。こいつはどこまでも、こいつのままだ。ていうかどんだけ趣味に走ってんだ、こいつ。

 

「あほたれ、勤務時間中だぞ。先に司令部へ報告を済ませるから通信機能のある所に案内してくれ」

 

「は~い、んじゃ艦橋にご案内しますね~」

 

 先導しようと背を向けた漣に、俺はふと思い立って声をかけた。

 

「なぁ、そのカラオケ・・・アニソンやボカロは?」

 

「あるよ(`・ω・´)b」

 

「よろしい(`・ω・´)b」

 

 振り返ってサムズアップを決める漣に、俺もサムズアップを返す。

 

 案内された艦橋内は、古めかしい艦の外観と違い、非常に洗練されたハイテク機器の集合体と言っても良かった。アナログの計器は一つも無く、全て多目的スクリーンに統一されている。そこに艦内の状況が次々と表示されていた。

 

「艦隊司令部に状況を報告する。回線借りるぞ」

 

「ほいほい。軍用秘匿回線は、司令席の左側の受話器ですよ」

 

「電話番号表はあるか? 海軍総隊艦隊司令部司令長官執務室の番号が知りたい」

 

「え~っと、ちょっと待ってくださいねぇ」

 

 漣が艦橋の書類棚を漁りだしたところで、猫娘が艦橋内に姿を現した。

 

『漣さんのサポートAIと同期が完了しました。回線でしたら私がお繋ぎいたしますよ』

 

「お、さすが猫娘ちゃん。やっぱりできる猫は違うよねぇ」と、漣。その手には棚から引っ張り出した大量の資料があった。

 

『猫を褒めないでください、娘の方が本体です』

 

「本体はコンピュータだろ」と、俺。

 

『私の気持ち的には、仕事をバリバリこなす有能なキャリアウーマンでありながら、可愛げもあるうら若き少女って設定です』

 

「設定て、お前。そんな三等身ゆるキャラなのに」

 

『ですから私の本当の姿は、メガネの似合う知的な黒髪ロング美人なんですってばー!』

 

「あ~、はいはい。それが見れるのを楽しみにしてるよ。それより漣、電話番号表を探すのにずいぶん手間取っているじゃないか」

 

 俺の指摘に、書類棚の中身を半分くらい引っ張り出していた漣の背中が、小さく震えた。

 

「お前・・・もしかして失くしたとかじゃないよな?」

 

「や、やだなぁ。そんなことあるわけないじゃないですかぁ。・・・あ、ほらほら、ありましたよ。ありました!!」

 

「はいはい。わかったから、その散らかした資料をちゃんと片付けておけ。--今度は失くすなよ」

 

「は~い。って、いやいや。失くしてない、失くしてないですからねっ!?」

 

「おう、そういうことにしておいてやる」

 

 俺は、漣が書類棚を整理しなおす様子を苦笑交じりに眺めながら、受話器を耳に当てた。猫娘が回線を繋ぎ、数回の呼出音のあと、司令長官の秘書艦が電話に出た。

 

『はいこちら、艦隊司令部司令長官室。秘書艦の長門です』

 

「南西警備艦隊の海尾大佐です。本日付で司令に着任しましたので、その報告のために電話しました」

 

『承りました。しかし申し訳ありませんが司令長官はただいま別件のため席を外しております。二、三時間後には戻られる予定です』

 

「そうですか。じゃあ、その際にまた電話します」

 

『お手数ですがそれでよろしくお願いします』

 

 居ないなら仕方ない。俺が受話器から耳を離そうとしたとき、

 

『ん?・・・なんだと!?』

 

 受話器の向こうで、秘書艦長門が急に声を荒げた。しかし俺に対して言ったのではないだろう。電話中に他から緊急連絡を聞き、それに驚いたような声だった。

 

「なんだ?」

 

『あ、いえ、すいません。たった今、艦隊司令部の業務支援AIから気になる報告が入りましたので。・・・どうやら南西警備艦隊の担当海域に関わる通報のようです』

 

「本当か」

 

『そちらの業務支援AIは何か言っておりませんか。おそらく同時受信しているはずです』

 

 俺は受話器を耳に当てたまま猫娘に目を向けた。三等身ゆるキャラのとぼけた表情がこちらを向いていた。

 

 そのイラストが一瞬、ぶるぶると震える。

 

『司令』と猫娘。『緊急信を受信しました。深海棲艦の目撃情報です』

 

「了解。長門秘書艦、こちらも今、通報を受けた。深海棲艦だ」

 

『そのようですね。どうやら民間航空機からの通報のようです』

 

 書類棚を整理し直していた漣が、俺たちの会話に気づいてハッと顔を上げ、多目的スクリーンに向き直った。

 

「サポートAI、UN=A2から深海棲艦に関する情報を取得し、艦橋内に表示せよ」

 

 漣の指示に、電子音声が『了解』と答え、艦橋内の多目的スクリーンに、海域図が映し出された。

 

 そこに目撃地点が示される。その目撃地点をかすめるように、いくつものラインが引かれている。

 

 猫娘が解説する。

 

『南西海域上空を飛行中の民間旅客機からの情報です。場所は、ここから南西約100海里』

 

「このラインは?」

 

『本日航行する民間船舶の予定航路です』

 

「通商航路のすぐそばじゃないか。急いで航行警報を出せ。付近船舶に情報を流し、航路を変更させるんだ!」

 

『了解。直ちに通報します』

 

『海尾大佐』と長門。『そちらの戦力が駆逐艦一隻のみであることは、司令部も把握しております。近隣の警備艦隊から戦力を派遣するよう、こちらで手配します』

 

「ありがとう。しかし、担当海域における作戦権は警備艦隊にあるんだよな?」

 

『出撃するおつもりですか』

 

「増援がくるまで時間がかかるだろう。その間、たとえ駆逐艦一隻でも哨戒艦がいれば民間船舶は安心できる。・・・なによりウチの旗艦がやる気満々でな」

 

 俺はそう言いながら脇を見た。いつの間にか漣が寄ってきて、俺の制服の袖を掴んでいた。俺を見上げる目が、やる気と興奮でまん丸になっている。

 

『わかりました。こちらもできる限り支援を行います。どうかご武運を』

 

「ありがとう、よろしく頼む」

 

 俺は電話を切り、漣に言った。

 

「本当にいいんだな。敵の大艦隊が待ち構えているかもしれないんだぞ?」

 

「通商航路を抑えられた以上は捨て駒になっても囮として敵を引き付けなきゃならならない。鎮守府を守って通商航路を取られたんじゃ本末転倒だ。・・・確か、こんなこと言ってましたよね」

 

 俺を見上げ、ニヤッと不敵な笑みを浮かべる漣。格好良くて可愛い笑顔だ。俺は思わずのその頭を撫でてやった。

 

 にししっと彼女が笑い、目を細める。

 

「いい覚悟だ。頼むぞ、艦隊旗艦どの」

 

「あいあいさ~(`・ω・´)ゞ」

 

『緊急出港ですね』と、猫娘。『昼食は間に合いそうに無いですね。缶飯は補給物品と一緒に岸壁へと回しておきます』

 

「長丁場になるかも知れん。一週間分は用意してくれ。可能か?」

 

『全て缶詰ですが、量は充分に用意可能です。栄養の偏りを防ぐため、ビタミン剤と食物繊維の錠剤も用意するよう担当者に伝えます』

 

「気が利くな。やっぱりできる猫は違う」

 

『できる知的な黒髪ロング美人です。にゃー』

 

「サポートAI、出港準備」と、漣。「各武器の作動確認を実施。巡行用タービン及び戦闘用タービン起動準備。・・・お、補給物品が岸壁に届いたみたいですね。搭載終了後、桟橋を外し試運転を行う」

 

 艦橋からウィングに出て岸壁を見下ろすと、桟橋横に駐車されたトラックから段ボール箱がいくつも積み込まれているところだった。

 

 と、その岸壁に、一人の女性が自転車でリヤカーを引きながら走りこんできた。

 

「ちょっと待ってー! 出港待ってー!」

 

『おや?』と猫娘。『あれはウチの調理担当のお姉さんですね』

 

「なんだ? わざわざ自分で缶飯を届けに来てくれたのか?」

 

「リヤカーに載ってるの、缶飯にしちゃデッカイですよね」と漣もウィングに顔を出す。「もしかして、アレ、寸胴鍋じゃないですか?」

 

 なるほど、そうだ。リヤカーに乗せられていたのは、一メートル近い大きさの寸胴鍋だった。ウィングに立つ俺たちの元に香ばしいカレーの匂いが漂ってくる。

 

 調理担当お姉さんが、まるでオオカミのような身のこなしで軽やかに自転車から降り立つと、ウィングに立つ俺たちの姿に気づいて手を振った。

 

「司令、それに新しい艦娘の子ね! 緊急出港と聞いて、勝利を約束するカツカレーを持ってきたわ!」

 

「そいつはわざわざ済まないな。ありがとう」

 

「今から艦内に運ぶわね!」

 

 オオカミお姉さんはテンション高く腕まくりを始め、リヤカーへと向かって行った。もしかしてあのデカい寸胴鍋を一人で運ぶつもりなのか。

 

 岸壁上には数体のメンテ妖精たちが他の補給物品の積み込み作業を行っていたが、その中に手の空いている妖精は居なそうだった。

 

「一人じゃ大変だろう。待ってろ、手伝うぞ」

 

「あ、私も私もー」

 

 俺は漣と一緒に艦橋を降りる。

 

 しかし俺たちが桟橋のかかっている中部甲板へ到着したときには既に、オオカミお姉さんが寸胴鍋を軽々と抱えて桟橋を渡り切っていた。

 

「おお、すごいな」

 

「お姉さん、かっこいい」

 

「うふふっ。これでも元艦娘でしたからね。それより司令、深海棲艦がまた性懲りもなく出てきたんですって?」

 

「あ、ああ」

 

「私の大事な後輩たちと鎮守府をボロボロにした罪は絶対に許せないわ。何としてでも私たちで仇を取るのよ。いいわね!」

 

「お、おう。まぁ、前の艦娘たちは別に死んでないんだが」

 

「あり? 私たちってことは、お姉さんも仇討ち参加ですか?」

 

「そうよ」と、オオカミさん。「鎮守府の調理室が吹き飛ばされてこれ以上の調理できないのよ。まだカツを揚げていないのに。だからここの調理室を使わせてもらうわ。漣ちゃん、案内して」

 

「あいあいさ~」

 

「司令、リヤカーにカツを入れたタッパがあるから持ってきてくださる?」

 

 俺にそう指示して、オオカミお姉さんは精悍なボディで寸胴鍋を抱え、漣と共に艦内へと消えていった。

 

 リヤカーにはビニール袋にデカいタッパが幾つも入っていた。これ全部カツか。あの寸胴鍋の大きさといい、このカツの量といい、いったい何食分あるんだ?

 

 そもそも他の食材が見当たらない。どうやら出港中は毎食カツカレーになりそうだった。まあ、缶飯オンリーの食生活よりもマシかもしれない。俺はカツを持って食堂に下りる。

 

 食堂では早速、オオカミお姉さんが寸胴鍋を電気コンロにかけて温めていた。

 

「司令、ありがとうございます。ところで少し辛口ですけど、大丈夫ですか?」

 

「味見していいか」

 

「どうぞ」

 

 小皿にすくったカレーを受け取り、舐める。

 

「うまい」

 

「ふふふ、そうでしょう。私自慢のカツカレーですからね。これを食べれば勝利したも同然ですよ。さあ、カツ揚げるわよ。どんどん揚げるわよー!」

 

 張り切るオオカミお姉さんの傍で、調理室の艦内電話が鳴った。

 

『タービンエンジンの試運転終了。出港準備が完了しましたよ。ご主人様』

 

「了解」

 

 俺は艦橋へと上がる。

 

「漣、行くぞ。出港を許可する」

 

「了解。各係留策離し方用意」

 

 漣の指示にサポートAIが応える。

 

『係留策離し方用意よし』

 

「出港用意!」出港ラッパが高らかに吹き鳴らされた。「漣、出るッ!」

 

 船体が岸壁から離れ、タービンエンジンがうなりをあげてスクリュープロペラを回す。

 

 漣は艦首を外洋に向け、白い航跡を引きながら岸壁から遠ざかっていく。

 

 その岸壁では、猫娘のイラストが俺たちを見送っていた。

 

 

 

 

 




次回予告

 戦塵くすぶる港を残し、きな臭い海へ漕ぎだした戦船(いくさぶね)

 そのきな臭さは硝煙の香りか、はたまた鍋から立ち上る香辛料か。

 使命に命を懸けた戦場を前にして、艦娘たちはライスにルーをかける。

「第2話・カレー曜日は何曜日(・ω・)?」

「うめぇっ、お姉さん、うめえッス。カツとカレーとキャベツのコンビネーションがパネェッス!」

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