艦これ海上戦記譚~明け空告げる、海をゆく~   作:PlusⅨ

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第二十話・戦術評価(女子トーク)(3)

 南方警備艦隊の艦娘たちが飛龍のデート計画で盛り上がっていた頃、彼女たちの提督である海尾 守は、秘書艦の叢雲と共に、首都にある国防省ビルで行われている会議に出席していた。

 

 地下奥深くにある小さな会議室の片隅で、海尾は叢雲と隣り合って座りながら、居心地の悪さを感じていた。

 

(なんで俺みたいな辺境の提督が、こんな会議に出席しているんだ?)

 

 海尾は会議に参列している他のメンバーを見渡した。

 

 会議の出席者は、海尾と叢雲を含めて9名だった。

 

 統合幕僚部作戦部長・陸軍准将、野木 魔鈴を筆頭に、

 

 海軍総隊参謀部作戦課第一室次長、海軍中佐 紫吹 香名

 

 情報部公安第二課・対外対処担当官、影村 忍

 

 潜水艦隊司令・海軍大佐、海音寺 三美

 

 遠征打撃艦隊第二水雷戦隊司令・海軍大佐、郷海 隼人

 

 そして海軍総隊参謀部作戦課第五室室長・海軍大佐、海原雄三と、その秘書と思われる女性。

 

 自分を除けば海軍の中枢に深くかかわっているエリート揃いだ。場違い感が半端ではない。

 

 参加者のなかで最も序列が高いのは、統合幕僚部作戦部長・陸軍准将、野木 魔鈴。陸、海、空を統括して指揮を執る国防の中枢、そこでの作戦立案を任せられているエリート中のエリートだ。

 

 年のころは五十前の女性であり、目元には隠しようのない皺が幾本も刻まれているが、それ以上に目立つのが、彼女の左目の上下を額から頬まで縦に走る深い傷跡だった。

 

 まだ若い士官時代のころ、特殊部隊の前線指揮官として深海棲艦に占拠された島に潜入し、そこで激しい戦闘を繰り広げたときの傷だった。

 

 その時の戦いぶりと、この傷跡から、彼女に着いた異名が「山賊の魔鈴」。

 

 その山賊が、会議の口火を切った。

 

「では、これより特別国防会議を開きます。・・・七面倒くさい前置きはやらない。さっさと本題に入ろう。テーマは三つだ。

 一つは、南方に現れた“人喰い雷巡”。コイツの目的について。

 二つ目は同じく南方の“新たな出現海域”これの対応について。

 三つめはやっぱり南方で先日生起した“新型艦載機の出現”。

 みごとに南方ばっかりだな。こいつは運がいいのか、悪いのか、海尾大佐、どう思う?」

 

「はっ」

 

 いきなり指名されて海尾は面喰らいつつ答えた。

 

「偶然とは思えないものの、何らかの意図があると断ずるにはまだ情報が少ないかと」

 

「あたしは運がいいかどうか聞いたんだ。出世のチャンスかもしれんのだぞ。もっと張り切ったらどうだ」

 

 魔鈴は冗談めかしてそう言って、ニヤッと笑った。目元の傷がゆがみ、山賊という異名通り、凶悪な面構えとなる。

 

「おい、コウメイ」と、山賊が隣に座る女性に顔を向けた。「まずは“人喰い”についての見解を聞かせてくれ」

 

「かな、です。香名。コウメイという呼ばれ方は好きではありません」

 

 海軍総隊参謀部作戦課第一室次長、海軍中佐 紫吹 香名。

 

 こちらは海軍の作戦立案の中心である参謀室の実務面を取り仕切っているエリートだ。年齢は三十代半ば。海尾とほぼ変わらない年齢だが、もう少し若くも見える。

 

 参謀部でもきっての切れ者と評判の女性であり、常に相手の数十手先を見越した戦略的な作戦立案は、まさに天才のそれであった。

 

 将棋が趣味であり、そのためかお気に入りの扇子をいつも持ち歩き、思考の際は開いた扇子で口元を隠すのが癖だった。

 

 その様子から着いた異名が「静かなるコウメイ」。

 

 歴史上に名を残す天才軍師さながらに、香名は扇子で口元を隠しながら言った。

 

「“人喰い雷巡”が他の深海棲艦と違い、特定の艦娘に強い興味を抱いているという事は確かでありましょう。我が作戦課第五室の海原大佐の予測が正しかったという事です」

 

 香名はそう言って、同じく会議に出席していた海軍総隊参謀部作戦課第五室室長・海軍大佐、海原雄三に目を向けた。

 

 海原雄三は、海尾にとって唯一、この会議の出席者で面識のある人物だ。元南方警備艦隊の提督であり、つまり海尾の前任者にあたる。

 

 提督業の申し継ぎから、その他にも今話題に上った“人喰い雷巡”に関する情報を流してくれるなど、なにかと付き合いの深い人物だ。

 

 しかし、いつも電話口ばかりでの付き合いであり、今回、二人は初めて顔を合わせたのだった。

 

 香名に名前を出されたものの、発言までは求められていないと空気を読んだのか、海原はただ頷くだけに留めた。

 

 海原の階級は大佐だが、海尾と同じく提督業就任に伴う臨時昇進によるものだった。提督業から異動となった今、近いうちに元の階級に降格されるだろう、と以前、電話で彼が話していたことを海尾は思い出す。

 

 その海原の隣には、階級章の無い女性が座っていた。

 

(艦娘かな?)

 

 二十代半ば程度の若い女性だ。その雰囲気から恐らく艦娘で間違いないだろう。しかし、今の海原は提督ではないのだから彼に艦娘が付き添う理由がない。

 

 はて、どういう関係だろう? と海尾が心中で首をひねっているのを余所に、山賊の魔鈴が、香名に対して質問をしていた。

 

「んで、“人喰い”は死んだのか?」

 

「生きていますよ。間違いなくね。そしてまた現れるでしょう。初霜の前に。彼女は二度にわたり“人喰い雷巡”を退けた。その結果、興味が増しこそすれ、無くなる理由は無いと考えます」

 

「目的は?」

 

「人間の観察」香名は簡潔に、しかし断定的に答えた。「“人喰い”はまさにそのための行為と考えて間違いありません。それはあの時、情報部が確保した“隣国のテロリスト”からの証言でも明らかです」

 

「どういうこった?」

 

「その説明については、自分がいたします」

 

 低く陰々とした声が会議室に響き渡った。ゆるり、とした動作で立ち上がったのは長身痩躯の男だった。

 

 情報部公安第二課・対外対処担当官、影村 忍。

 

 この出席者について海尾が知っているのは、この肩書と、そして異名だけである。

 

 その名も「影狩りのシノビ」。

 

 詳細は知らない。だがこの情報部第二課が「影狩り」と呼ばれるスパイ摘発部隊だという事は公然の秘密だった。

 

 そして、前回の初霜を囮にしたテロリスト確保作戦。その作戦立案にこの部署が関わっていただろうという事は、海尾もなんとなく察していたし、今回、この話題で彼が発言を求めたことで、それは確信に変わった。

 

 忍は言った。

 

「対象A――我々は“彼”をこう呼称しております――は深海棲艦との接触について、こう証言しております。“等身大の深海棲艦によって精液を搾り取られた。また、家族の写真を見られた際、二体の白骨死体の頭部を取り出し、それがあたかも私(A)の妻子であるかのように示してみせた”と」

 

「精液を搾り取ったってか。深海棲艦に手籠めにされたか」

 

 魔鈴が面白そうに笑った。

 

「いえ」と忍は無表情に答えた。「性器には触れても居ないそうです。容姿が恐ろしく悩ましく、近づかれただけでも射精してしまったと。なにか本能を強制的に刺激されたようだと言っておりました。我々は、その等身大深海棲艦はおそらく、まさに“精液を絞りとる”ための兵器と考えております」

 

「ラブドールかよ。で、そんなもんが出てきた目的は? それを早く言いな」

 

「人間のクローン。その製造ではないかと、情報部AIは予測しています。等身大深海棲艦はその試作品でしょう。ゆくゆくは、これを人間社会に直接送り込んでくる事態も、我々は想定しています」

 

 その予測は、海尾にとってはかなり衝撃的だった。

 

 いままで海上でしか相対してこなかった敵が、人間社会に紛れ込んでくるというのか。海尾は思わず、傍らに座る叢雲を横目で見た。

 

 叢雲も同じく、横目で海尾を見ていた。その瞳に当惑の色が浮かんでいる。

 

 しかし、海尾以外の人間は眉ひとつ動かさなかった。その程度のことは、とっくに予測済みだと言わんばかりの態度だった。

 

 そんな中、忍が海尾の方へ身体ごと向き直っていた。目が合った忍が、言った。

 

「我々はこれまで人間に対する情報戦を主としてきましたが、これからは本格的に深海棲艦を相手に情報戦を行うことになりそうです。そのため艦娘艦隊との協力もより密接になっていくことでしょう。どうぞよろしくお願いいたします」

 

 そう言って慇懃に深々と頭を下げた忍に対して、海尾は戸惑いつつ「こちらこそ」と頭を下げることしかできなかった。

 

 その海尾の脇腹を、叢雲が肘で小突いた。

 

(痛いな、何だよ)

 

 小声で叢雲に問う。

 

(何だよ、じゃないわよ。あいつは初霜を囮に使った張本人かも知れないのよ。そんな奴になに頭下げてんのよ!)

 

 叢雲の不満はもっともだが、それをここで露わにするわけにもいかない。

 

(わかっている。大人しく利用されるつもりはない)

 

 海尾は小声でそう告げて、再び会議に向き直った。

 

 忍は既に席に着き、魔鈴が次の議題に移るべく口を開いた。

 

「二つ目の議題だ。深海棲艦の出現海域について、海尾大佐、最近の状況を報告しろ」

 

「はっ」

 

 海尾は資料を手に立ち上がった。その横で叢雲が手元の情報端末を操作し、会議室の一画のスクリーンに資料画像を映し出す。

 

「この海域に最初の敵が出現してから二か月余りが経過しましたが、その間、さらに三回の出現が認められました。しかしいずれも駆逐艦級ばかりで、その他の強力な艦種の出現は認められておりません。その一方で、他の出現海域から現れた深海棲艦が、次々と我が担当海域に来襲しております」

 

 既存の深海棲艦の出現海域には、世界中の海軍から抽出された精鋭が連合艦隊を結成し、常に包囲し、深海棲艦が現れた瞬間に殲滅している。

 

 しかし、それでも討ち漏らす敵がどうしても存在し、それが広い海のどこかで集結し、艦隊を結成して各国の近海に現れるのだ。

 

 その艦隊が、ここ最近は南方警備艦の担当海域に頻繁に襲来するようになっていた。

 

「つい先日も正規空母一隻、軽空母二隻を擁する機動艦隊が来襲しております。戦力としては小規模であるものの、新型艦載機を保有しておりました。これは――」

 

「――新型艦載機については」と、海原雄三が初めて口を開いた。「後ほど、私の方から説明いたします。海尾大佐は本題を進めて下さい」

 

「わかりました。これらの情勢を受け、新たな出現海域と敵の動静に関する分析レポートを作成しました。こちらをご覧ください」

 

 叢雲がスクリーンを切り替え、分析図を表示する。そこには海域図と、その中心を目指して伸びる複数の矢印があった。

 

「この中心点が出現海域です。ご覧の通り、敵艦隊は一様に、この出現海域を目指しております。これは今までにないイレギュラーな動きです」

 

 通常、深海棲艦は出現海域から出てくることはあっても、戻ってくることはないし、他の出現海域へ向かうこともない。

 

 深海棲艦は一度出現すると、後は海流にのって流されていくか、もしくは海上の艦艇をしつこく追い掛け回すかのどちらかだ。

 

 帰る港をもたず、海上をさまよい続ける艦。深海棲艦はまさしく幽霊船のような存在と言えた。

 

 だが、その幽霊船が一か所に集まろうとしている。

 

「この海域が他の出現海域とどう違うのか。それはまだ分かりません。我が南方警備艦隊は監視を続けながら、引き続き情報を収集していく予定です」

 

 報告を終えた海尾に、魔鈴が「潜水調査は予定してるのか」と訊いた。

 

「はい、潜水艦隊海底観測隊の支援を受け、来月に実施を考えております」

 

「潜水艦隊司令、細かい内容を教えてくれや」

 

 魔鈴の指示に、同じく会議に出席していた潜水艦隊司令・海軍大佐、海音寺 三美が立ち上がった。

 

 彼女自身も元は潜水艦の艦娘だったという経歴をもつ。そんな彼女もやはり、ある異名で呼ばれる有名人だ。

 

「不死身の鐘の海音寺」

 

 三美のかつての名は「伊33」。我が海軍が誇る大型潜水艦「伊十五型潜水艦」の十四番艦である。

 

 だがこの艦は曰くつき艦だった。

 

 伊33は竣工わずか三ヶ月で座礁事故を起こし、しかもその修理中に沈没事故まで起こしてしまい、三美を乗せたまま深度33メートルの海底に着底してしまう。

 

 救出作業は難航を極め、一か月以上かかると予想された。

 

 それは艦内に残された酸素や食料が尽きるよりもはるかに長い期間だった。そのため、三美の生存は絶望的だと誰もが思っていた。

 

 が、彼女は生き延びた。わずかな酸素と食料をギリギリまで切り詰めて生き永らえた。その一方で艦内から隔壁を叩くことでモールス信号を送り、事故の詳細や、艦内の状況を克明に知らせ続けた。

 

 沈没から三十三日後、彼女は奇跡的に救助された。

 

 やがて船体も引き揚げられ、修理も完了し、三美は再び伊33の艦娘として訓練に励んでいた。だが、この航海中にまたもや事故が発生してしまう。

 

 修理中の不具合が原因で主機関に海水が浸水し、航行どころか浮上も不可能となってしまい、彼女は今度は深度60メートル以上の海底に沈没してしまった。

 

 だが、三美は今度も生き延びた。自分の存在を知らせるべく何日間も隔壁を叩いてモールス信号を送り続け、救助を待った。三日後、伊33は発見され彼女は救出された。

 

 彼女が見つかるまでの三日間、海には深海から響くモールス信号が、不気味な鐘の音のように鳴り響いていたという。これが彼女の異名の由来である。

 

 閑話休題

 

 魔鈴の質問に答えるべく立ち上がった三美は、叢雲に目配せしてスクリーンに資料を表示させた。

 

「調査計画については次のとおりです。先ずは南方警備艦隊の護衛の下、水母(潜“水”艦救難“母”艦)千代田を現場海域に派遣し、搭載している無人深海艇による海底地形の把握。その上で、艦娘による潜水艦を派遣し、監視用の音響センサー及び自走機雷の敷設・・・まあ、言ってしまえば、いつもと特に変わりません」

 

 三美は途中から投げやり気味になって、続けた。

 

「姐さん、ハッキリ言わしてもらいますけど、ウチの調査じゃ得るものは何もありませんよ。この三十年間、潜水艦隊はずっとこれをやってますけど、なんにも出ない。ホントにこれっぽっちも手掛かりがつかめない。深海棲艦ってのはね、海中にはいないんですよ。ホントにどこにも。いやホントに」

 

「お前ね、それはあたしが言うべき台詞だよ。こいつが無意味なのは知ってるけど、それを先に言われちゃ、あたしは何も言えないじゃないか」

 

「なにを言うつもりだったんですか」

 

「無意味だからやめちまえ」

 

「喜んで」

 

「その代り、それを自分で口にした以上、対案はあるんだろうな。ただ自分がサボりたいだけっていうなら話は別だよ」

 

「もちろん、しっかり考えてますって。――なあ、豪快の」

 

「ごわす」

 

 三美に呼びかけられ、野太い声がそれに答えた。筋骨隆々の大柄な男だ。

 

 遠征打撃艦隊第二水雷戦隊司令・海軍大佐、郷海 隼人。

 

 彼は、海尾と同じく艦娘たちで構成される艦隊を率いる、いわゆる“提督”だ。

 

 しかし、彼と海尾では同じ提督、同じ階級でも大きな違いがある。

 

 隼人が率いる第二水雷戦隊が所属する艦隊は、海軍の主力艦隊である遠征打撃艦隊に属しているのだ。

 

 最新鋭の通常艦艇を中心に構成される遠征打撃艦隊は、海軍の決戦兵力という位置づけである。そんな国防の切り札と言ってもいい艦隊に属する数少ない艦娘艦隊の一つが、彼の第二水雷戦隊だった。

 

 水雷戦隊であるから、彼の配下は軽巡と駆逐艦しかいない。しかしその機動性の高さを活かし、有事の際には戦場へ真っ先に飛び込み、威力偵察や奇襲を行うなどの、いわば特殊部隊のような役割を任されていた。

 

 それゆえ、この戦隊に配属されるのは艦娘の中でも精鋭中の精鋭である。

 

「華の二水戦」

 

 そう呼ばれ、軽巡艦娘や駆逐艦娘から憧れの視線を集めるこの部隊を率いる提督・郷海 隼人。

 

 彼の異名は「豪快なる隼人」。

 

 その異名が、彼の本名と見た目のイメージ、そして二水戦の時に獰猛とも思える戦いぶりから連想されたものであるのは疑いの余地がない。

 

 しかし、その二水戦が、この話にどう絡んでくるというのか。疑念を抱く海尾の視線の先で、隼人が鷹揚な動作で立ち上がった。

 

「あてから説明すっ。結論から申し上ぐっと、威力偵察を仕掛けっちゅう事じゃ」

 

 隼人は、訛りの強い方言で、ゆっくりと説明する。

 

「ないかが出っんを待っちょってもしょうがあいもはん。ないかが隠れちょるんなら、こっちからチェストばかけ、引きずりだすとじゃ。作戦は既に立案しちょっ。先ずは侵攻すっ敵をあえて海域へ向かわせ、そこで新手がでたならチェストして―――」

 

「あ~、うん、言いたいことは何となく伝わったから、もういい。詳しい作戦内容はあとで書面で寄こしてくれ。できりゃ東京弁で書いてくれると助かる」

 

「ごわす」

 

「さて、んじゃ三つ目に行こうか」

 

 隼人が席に着いたのを確認して、魔鈴が話を進めた。

 

 海尾としては何やらことが大きくなってしまい、もう少し詳しく話を聞きたかったのだが、しかしこれ以上、彼の方言混じりの説明が理解できるかと言われたなら、それは難しかった。

 

 しかたない、どのみち会議の後で三美や隼人と今後の調整をすることになるのだ。詳しい話はあとにして、今は会議に集中しよう。

 

 そう思った視線の先で、海原が立ち上がるのが見えた。その隣りにいる艦娘らしき女性が端末を操作し、スクリーンに資料を表示する。

 

 阿吽の呼吸のようなその雰囲気は、やはり秘書艦なのだろうか。

 

 その疑問を余所に、海原が新型艦載機の説明を開始した。

 

 これについてはほぼ現状説明だけで終わった。まだ情報が少なすぎるからだ。この会議で議題に挙げられたのも、単に情報共有以外の何物でもないだろう。

 

 結局、海原の報告を最後に会議は終わった。

 

「さあ、野郎ども。退屈な会議は終わりだ。本番行くぞ!」

 

 魔鈴が、会議中の気怠るそうな雰囲気をかなぐり捨て、椅子を蹴倒すような勢いで立ち上がった。

 

 本番、すなわち懇親会と言う名の宴会である。

 

 長い夜になりそうだ。そんなことを思いつつ、海尾もまた席を立った。

 

 

 

 

 

 

 国防省の敷地内には居住用の宿舎もあり、他の基地から出張してきた者たちもここで宿泊することが出来た。

 

 会議を終えて地下から出てきた海尾と叢雲は、すっかり日が傾いた夕焼け空を眺めながら、その宿舎に向かって歩いていた。

 

「ん~、ふう」

 

 叢雲は長い会議で凝り固まった身体を背伸びしてほぐしながら、傍らの海尾に目を向けた。

 

「浮かない顔してるわねえ。どうしたの?」

 

「これから山賊との宴会だ。噂によればとんでもないらしい。あの異名の由来も、実は過去の軍歴じゃなく酒の席から来ているって話だ」

 

「うん、がんばって。私、誘われてないから」

 

「羨ましい。俺もそうしたい」

 

「でも、あの面子と人脈ができるなら、あんたの出世にも損じゃないでしょう。あの山賊准将の言う通り、これはチャンスかもしれないのよ」

 

「それは本気で言っているのか。別に俺は出世なんぞ考えちゃいない。臨時昇進とはいえ、いまの大佐の階級だって重たくてしょうがないんだ」

 

「小さい男ねえ」

 

「そんなこと言って、出世にしか興味のないゴマすり男なんかに興味はないだろう?」

 

「まぁね。・・・懇親会は何時から始まるの?」

 

「あと一時間後だ。宿舎に戻ったら、すぐに着替えて移動しなくちゃ間に合わない。二人でゆっくり過ごす時間も無いのは、辛いな」

 

「あら、浮かない顔の原因って、もしかして私とデートできないのが不満だったってこと? ふぅん、可愛いところあるじゃない」

 

「そういう叢雲こそ、どうなんだ。今夜、俺が傍に居なくて寂しくは無いのか」

 

「さあて、どうかしらね。あんたが山賊や天才軍師を相手に下手なゴマすりやっている間に、独りで都会の夜を満喫させてもらうわ」

 

「なんだよ、ずるいな」

 

 いつしか二人はT字路に差し掛かっていた。ここで男性用と女性用の宿舎に別れるのだ。

 

「すまん、叢雲。もう時間がない。先に行く」

 

 そう言って男性用宿舎に向かって駆けだそうとした海尾を、

 

「ちょっと待ちなさい」

 

 叢雲が彼の腕を掴んで引き留めた。

 

「どうした?」

 

「忘れものよ」

 

 そう言って、彼の身体を引きよせて、叢雲はつま先立ちに背伸びして、その唇に口づけをした。

 

 軽く触れあうだけの、短いキス。

 

「叢雲・・・?」

 

「浮気防止のおまじないよ。間違っても、あの女に気に入られないようにね」

 

「あの女って・・・どの女だ。まさか山賊准将か」

 

「違うわよ。天才軍師の方よ。静かなるコウメイ。紫吹 香名。・・・彼女、会議の間、あんたのことをよく見ていた」

 

「そうなのか? いや、今回の会議はウチの問題なんだし、それで俺に視線が集まるのはある意味、当然という気もするんだが」

 

「彼女、女の目をしていた。・・・きっと粉をかけてくるわ。ああいうタイプって、あんたみたいな男が好きそうだから」

 

「ふぅん・・・ふむん」

 

「まんざらでもないって顔してるわね」

 

「いや、いやいや。そんなことないぞ。さすがに参謀部の中枢にいるエリートに手を出すほど、俺は無分別じゃない」

 

「その基準がよくわからないわ。部下にはすぐ手を出す癖に」

 

「人聞きの悪いことを言うな。部下だから手を出したわけじゃない。叢雲というひとりの女に惚れたんだ。それだけだ」

 

「っ!?」

 

 何のてらいもなく言い切った海尾に、叢雲の心臓が一瞬、高鳴った。

 

 普段は何事にも淡々とした態度を取っているくせに、時折、こうやって心をわしづかみにするような真似をする。

 

 叢雲が戸惑っている隙に、今度は海尾の方から叢雲の身体を引き寄せられ、その唇に軽くキスをされた。

 

「浮気防止のおまじないだ」海尾はニヤリと笑って身体を離した。「夜遊びもいいが、悪い男に引っかかるんじゃないぞ」

 

「ちょっと!」

 

 笑みを残したまま去って行った海尾の背中を、叢雲は赤い顔で睨み付けた。

 

 彼との関係はいつもこうだ。

 

 叢雲が主導権を握ったつもりでいても、気が付けば彼の掌で転がされている気分にさせられる。それが時に悔しく、でも心地よい。

 

(結局、惚れた方が負けなのよね・・・)

 

 海尾の背中が見えなくなるまで見送ってから、叢雲は女性宿舎に向かおうと踵を返した。

 

 と、そこで、十数歩ほど離れた場所で、こちらを見ていた女性と目が合った。

 

 おそらく、今の海尾とのやり取りは全てこの女性に見られていたのだろう。彼女は気まずそうに一瞬だけ目を逸らしたが、すぐにワザとらしい咳ばらいを一つして、叢雲に向き直った。

 

「えっと、失礼しましたデース」妙なアクセントのまま、彼女は言った。「見るつもりは無かったんですケド、声をかけようと思ったら、ナイスタイミングでキスシーンにエンカウントしちゃってデスネ」

 

「別に見られて困るものでもないけれど、でも、気を遣わせたなら悪かったわ。ごめんなさいね」

 

「ノープロブレムね! むしろ良いものを見せてもらってゴチソウサマと言いたいくらいヨ!」

 

 そう言って、彼女は親指を立てて見せた。

 

「それならいいわ」と、叢雲。「そういえば貴女、会議で海原大佐の隣に居た人ね。艦娘だと思うけど、もしかして・・・金剛さん?」

 

「Yes! でも半分だけ正解ネ。今の私は予備役として別部署に配属されているから、金剛(補欠)ってところダヨ」

 

 艦娘は基本的に一つの船体に一人だけ、それも専属として配置されているのだが、艦娘も人間である以上、怪我や病気、もしくは休暇等でどうしても勤務できないことが生じる可能性がある。

 

 そのため、穴埋めとして一線を引いた元艦娘が、予備要員として待機していた。

 

 今、叢雲の目の前にいる女性は、紛れもなく南方警備艦隊の前先任秘書艦を務めた金剛で間違いない。

 

 しかし、彼女が使用していた船体は、今では別の女性が艦娘として使用しており、彼女は予備要員として、この国防省で別の任務についているらしかった。

 

「マイダーリンが第五室の室長やってるから、ワタシも近くで働きたかったんデース。なので予備役にしてもらいマシタ」

 

「それで、今日も一緒に会議に参加していたのね」

 

「議題が南方に関わることだったんで、特別参加だったネ。普段の職場は別の部署ヨ。ところで、よくワタシが誰か分かったネ。南方警備艦隊に顔写真でも残ってましたカ?」

 

「ええ、仁淀から旧艦隊メンバーのことはよく聞かされていたから。前任者についてもね。ファンキーファニーな高速戦艦だったと言ってたわ」

 

「あのメガネAI、微妙に底意地の悪い表現しやがるネ・・・」

 

 嫌がらせにハッキングしてやろうか、なんて呟く金剛に、叢雲は「ご用件は?」と先を促した。

 

「ああ、別に大した要件じゃアリマセン。せっかく後任者と会うことが出来たんで、アイサツでもと思っただけデース」

 

「そう」

 

「これから宿舎に戻るんでショ。一緒に行きまショー」

 

 金剛はそう言って、叢雲と並んで歩きだした。

 

「ところでムラクモ=サン」と金剛。「南方警備艦隊の雰囲気はどうデスカ?」

 

「どうって言われても困るわね。なにしろ艦隊メンバーは貴女を含めて一人残らず入れ替わってしまって、完全に別モノの新艦隊だから」

 

「ま、それもそうですネー」

 

「でも島の暮らしは気に入っているわ。自然も、料理も、なにより人も・・・悪くないわ」

 

「そうですカ」

 

 叢雲の言葉に、金剛はニコリとほほ笑んだ。

 

 叢雲が聴いた話では、旧艦隊メンバーと島民との関係は、とても良かったそうだ。

 

 旧艦隊メンバー全員が一斉に異動となってしまったことを惜しむ声が、島民の間からいくつも上がっているという噂も、よく耳にしていた。

 

「貴女たちが、みんないなくなってしまって、島民たちも寂しがっているわ」

 

「そうですカ」

 

「私も、まさか誰一人として残る者がいないなんて思わなかった」

 

「そうですネ。ワタシたちにとってもサプライズ人事だったネ」金剛は表情を曇らせ、ため息を吐いた。「あの海戦後、中大破したワタシたちは母港にも戻れず、それぞれ各地の空きドックに散り散りになって入渠したヨ。ワタシも大破してたから前線にも復帰できず、あれっきり仲間たちとも再会することなく転任の時期になってしまったネ。まったく、組織勤めってのは非情デース」

 

 金剛は欧米人のように肩をすくめ――その仕草は様になっていて不自然さを感じさせなかった――そしてハッと何かを思い出したかのように立ち止まって、叢雲に身体ごと向き直った。

 

「Oh、Shit。すっかり忘れていマシタ。ワタシたちが置きっぱなしにしていた荷物を転任先へ送ってくれたの、ムラクモ=サンだよネ。本当に助かりマシタ。サンキューソーマッチ、デース」

 

 金剛はそう言って、折り目正しく頭を下げた。言葉遣いは胡散臭いが、その所作振る舞いは礼儀にのっとった、気品を感じさせるものだった。

 

「礼を言われるほどの事じゃないわ。貴女の艦隊は、みんな寮の整理整頓が行き届いていて、私物もすぐに持ち出せるようにまとめてあったかわ。おかげで荷物整理がとてもスムーズに進んだ。・・・とてもね」

 

 叢雲の言葉に、金剛は顔を上げ、笑みを浮かべた。

 

 叢雲はそれに釣られて笑みを浮かべることなく、金剛の表情を探るように眺めながら、言った。

 

「不自然過ぎるわ」

 

「ソウですカ?」

 

「艦娘寮の部屋はどれも、生活感がほとんどなかった。冷蔵庫は総じて空っぽ。ゴミ箱には屑ひとつ残っていなかった」

 

「あの日はちょうどゴミ回収日だったネ」

 

「全員、きっちりゴミを出し切ったとでも言うの? 私にはどう考えても“帰ってこれない”ことを前提にした部屋にしか思えなかったわ。緊急出港で慌ただしく後にした様子じゃなかった。・・・これはいったい、どういうこと?」

 

 詰問するような調子の叢雲に、金剛はしかし笑みを崩すことなく、答えた。

 

「ソレが、そんなに不自然なことデスカ?」

 

「――え?」

 

「ワタシたちは艦娘、戦いを生業とする海上武人デス。ひとたび出撃命令あらば、二度とホームには帰れぬことも覚悟の上。違いマスカ?」

 

「・・・・・・」

 

 金剛が静かに語るその言葉に、今度は叢雲が黙して聴く立場だった。

 

「ワタシは先任秘書官として、みんなに、その心構えを常に説いてきまシタ。“memento mori”これが南方警備艦隊の――ソーリー、旧南方警備艦隊のモットーデース」

 

「メメントモリ、死を忘れるな。随分とストイックなモットーね」

 

 でも、叢雲の疑念は晴れない。

 

 常に死を意識せよなどというモットーを掲げ、それを実践してきたような艦隊という印象と、島民から聞いた印象が、妙に食い違っているように思えるのだ。

 

 叢雲が知る限り、旧艦隊メンバーは島民に対しとてもフランクで、基地の様子ものびのびとしたものだったらしい。死の影を常に背負っているような陰鬱さは、そこには無い。

 

 金剛は、そんな叢雲の疑念を察したのだろう。叢雲が何かを言う前に、彼女からこう言った。

 

「メメントモリには別の意味もありマース。“carpe diem”今を楽しめ。古代ローマ人はこう言いました。“食べ、飲め、そして陽気になろう。我々は明日死ぬから”」

 

 金剛はそう言って、たおやかな笑みを浮かべた。

 

 叢雲は、それですとんと腑に落ちた。

 

 本気で死を覚悟した者だけが持つ、あっけらかんとした明るさが、その笑みにはあったのだ。

 

「納得したわ」と、叢雲。「妙な勘繰りをしてしまってごめんなさい。常在戦場の心構えがあそこまで行き届いていた艦隊を初めて見たから。それに、貴女も知っての通り、ウチは最近、上層部のつまらない陰謀に巻き込まれたこともあったから、変に疑り深くなっていたわ」

 

 素直に詫びた叢雲に、金剛は笑みを浮かべたまま「ノープロブレム」と答えた。

 

「ムラクモ=サン、こうして新旧秘書官が出会ったのも何かの縁ネ。よろしければ、これから一緒にティータイムを過ごしませんカ?」

 

 それには異存は無かったが、しかしもう夕方である。ティータイムには少し遅い時間ではないかと疑問を呈してみたが、金剛がハイティーという習慣を説明してくれた。

 

 一般に良く知られている昼下がりから夕方までのアフタヌーンティーと違い、こちらは仕事を終えた後に夕食と共に嗜むものだという。

 

「まるで一日中、お茶ばかり飲んでいるようなお国柄ね」

 

「ハイティーはお茶だけじゃなく、お酒も嗜むんダヨ。ワタシのおススメを御馳走するネ」

 

「喜んでお誘いに応じるわ」

 

「Yes」

 

 じゃあ、待ち合わせはこの店で。そう言って金剛から店の名前と住所が記されたカードを渡された。

 

「いいお店ダヨ。楽しみにしててクダサーイ」

 

 金剛はそう言って、ウィンク一つ残して、先に女性用宿舎へと入って行った。

 

 

 

 

 

 それから一時間と少しの後、叢雲がカードを頼りにたどり着いたのは、街の喧騒から若干離れた路地にある、英国式パブだった。

 

 扉を開けて店内に入ると、聞き覚えのあるビートルズナンバーのBGMと共に、金剛が出迎えてくれた。

 

「Hey、よく来たネ。歓迎するヨ」

 

 そう言って彼女はカウンターバーの向こう側から手を振っていた。

 

 叢雲は店内を見渡してみたが、他に客の姿は無い。店員の姿さえ見当たらなかった。

 

「今夜は貸し切りネ」

 

「そんな代金は持ち合わせてないわ」

 

「オーナー権限だからノープロブレムよ」

 

「オーナー?」

 

「Yes。ここは海軍公認のパブリックハウスデース。ワタシはそのオーナー兼店長ダヨ。店員も客も軍関係者しかいないから、外では話しづらい仕事の愚痴もこぼし放題ネ」

 

「予備役になった後の仕事がここって訳ね」

 

「結構、気に入ってるヨ。人と触れ合う仕事も楽しいデース」

 

「他の店員は?」

 

「今日は定休日だから、みんなお休みネ」

 

 なるほど、だから気兼ねなく貸し切りにできるという訳か。叢雲は納得して、金剛と向かい合うようにカウンター席に腰を落ち着けた。

 

「オーダーはどうしますカ?」

 

「貴女のおススメを頂くわ」

 

「OK」

 

 金剛が出してくれたのは、ブリティッシュ・パブでは定番の黒エールだった。そして、既に準備してあったのだろう、料理が三皿、すぐに目の前に並べられた。

 

 ソーセージとマッシュルームの盛り合わせ、チキンロール、そして英国料理の代名詞とも言えるフィッシュアンドチップス。どれも英字新聞を模したペーパーシートが敷かれた皿に盛りつけられている。

 

 金剛も自分用のグラスに黒エールを注ぎ、叢雲に向かって掲げた。

 

「Cheers(乾杯)!」

 

 グラスを軽く触れあわせ、口へと運ぶ。

 

 普段から飲みなれているラガービールと違い、複雑なアロマと香ばしくまろやかな苦みが特徴的だ。爽快感よりも味わいを重視しているため、炭酸も少し弱めになっている。

 

 叢雲にとっては馴染みが浅い酒だったが、悪くなかった。

 

 つまみのフィッシュアンドチップスには、カットされたレモンが添えられていた。

 

「レモンをかけてもいいかしら?」

 

「Yes」

 

 日本人らしく断りを入れてから、レモンを全体に絞って果汁をかける。他にソース等は添えられていなかった。随分とシンプルな味付けだなと思ったら、金剛から、テーブル上の備え付け調味料で好みの味付けをするのが英国流だと教わった。

 

「でも、ワタシのフィッシュアンドチップスはレモンと塩だけでも十分デース」

 

 言われた通り塩を一つまみ振りかけ、食べてみた。サクサクとした衣の食感と白身魚の旨味、レモンと塩がそれを引き立て、シンプルながら飽きの来ない味だった。

 

「美味しいわ。エールともよく合う」

 

「サンクス」

 

「正直、フィッシュアンドチップスって、もっと味気ないものだと思っていたわ。ステレオタイプなイメージで申し訳ないけれど、英国料理は微妙という噂をよく聞いていたものだから」

 

「味気ないというのは多少は当たっていますヨ。British cuisineは食べる側が自分で好みの味付けをするのが主流だから、あえて味付けを抑えているんデース。それにフィッシュアンドチップスは、日本でいうところのスシみたいなものデス。素材の味や、料理人のテクニックがストレートに現れマース」

 

 なるほど、言いたいことは何となくわかったが、しかしそれを言うなら寿司よりも天ぷらの方が近いのではないだろうか。

 

 

 叢雲はそう思ったが、あえて言わないでおいた。

 

 金剛が続けた。

 

「南方に居た頃の、フレッシュな魚で作ったフィッシュアンドチップスは地元の人々にも好評だったヨ。艦娘を引退したら、あの島でパブを開けばいい。そう言ってくれた人もいっぱい居たネ。あれからまだそんなに時間が経った訳でもないけれど、もう懐かしく感じマース」

 

「退職後はあの島に帰ってくるの?」

 

「そうしたい気持ちはあるけれど、マイダーリンがまだまだ、あっちこっちに転任になりそうだから、それも難しそうダヨ」

 

「転任先についていくつもりなのね」

 

「テートクの妻は大変ネ」

 

 金剛はそう言って、左手の薬指に光るリングをそれとなく撫でた。

 

「海原大佐・・・参謀部作戦課第五室室長。今日の会議のメンバーに選ばれるくらいだもの。れっきとしたエリートね」

 

「彼は今日の会議には出たくないと言っていまシタ。窓際部署の人間には無意味な会議だって。でも、海尾大佐と会えるから、それだけは楽しみだって言ってたデース」

 

「仲が良いわね、あの二人。何でかしら」

 

「ワタシも海尾大佐に興味が湧いてきたヨ。一度、話がしてみたいネ」

 

「平凡な男よ。どこにでも居そうな、中年に足を踏み入れかけている冴えない男」

 

「恋人なのにビターな評価デース。日本的なホンネとタテマエはあまり好きじゃないネ。Hey you、もっと素直になりなヨ」

 

「人前でのろけるには、まだ酔いが足りないわ」

 

「道の真ん中でキスは出来るのに?」

 

「あれは彼を困らせようと思ってやったんだけどね。意外と動じなかったわ」

 

「むしろ、海尾大佐からキスしてたデース」

 

「私からのキスは飄々として受け流す癖に、ああやって不意を打ってくるんだもの。なんだか悔しいわ」

 

「恋の駆け引きデスカ。ゲームもいいけど、ほどほどにわきまえなヨ。恋愛は勝ち負けじゃないネ」

 

「でも、手のひらで転がされているのも癪なのよ」叢雲はグラスのエールを飲み干した。「お代わり、お願いできるかしら」

 

「ヨロコンデー、デース」

 

 新たなグラスに茶褐色のエールが注がれた。ほんのり柑橘系の甘い香りに、飲むとチョコレート風味の焦がした麦芽の味わいにナッツのような風味が絶妙に混じり合っている。

 

 叢雲は思わずため息を吐いた。

 

「絶品ね」

 

「キング・ゴブリン。エール初心者でも飲みやすいおススメだヨ。マイダーリンのお気に入りネ」

 

「守もきっと気に入るわ。彼もお酒には目が無いから」

 

「フフ、少しは口が軽くなってきたようデース」

 

「このエールの美味しさに免じて少しだけ素直になってあげるわ」

 

「イイネ、ならもっとサービスしてあげるから、もっともっと素直になるデース」

 

 金剛も新たなグラスにエールを注ぎ、二人は再びグラスを合わせて飲み合った。

 

 それから、一時間後。

 

「女に対して手が早いのよ、彼」叢雲が赤い顔に、据えた目つきで言った。「一見、真面目だけが取り柄の平凡な男に見えるけれど、実際はとんだプレイボーイよ。若手士官時代に練習艦隊で広報担当士官をやっていたらしいけれど、その時に流した浮名が、未だに聞こえてくるのよ!」

 

「練習艦隊と言えば、遠洋練習航海で世界中の港を訪れる“外交艦”デース。そこの広報担当ならトップエリートじゃないデスカ」

 

「本人は否定しているけどね。“海外VIPとの応対は司令や艦長、練習艦艦娘といった上層部の仕事。下っ端広報官は一般人ばかり相手にしていた”ってさ。でも、それで女の子をナンパしていたんじゃ世話ないわよ」

 

「聞いているだけなら、ふわっふわっに軽い男に思えるネ。そんな人を艦娘提督にして大丈夫なんデスカ?」

 

「何度も言うけれど、外面は真面目なのよ。セクハラまがいの事もしないし、それはそれは紳士的よ。でも、そこで油断すると、あっという間に絡め取られちゃうのよ。本当にもう、腹が立つわ」

 

「・・・ソレ、とっくに絡め取られた人間の台詞デース」

 

「ええ、絡め取られちゃったわよ。それはもう、あっさりと。自分でもチョロイと思うわよ。もう!」

 

 叢雲は手元のグラスを飲み干す。

 

「お代わり!」

 

「毎度アリー、ネ」

 

 一杯ごとにその場で支払いを済ませるのが英国式パブスタイルだ。硬貨と引き換えに出されたのは、エールではなくオークの香り漂うスコッチ・ウィスキーだった。

 

「アードベッグ10年のアイラモルト。どちらかといえば男性に人気の銘柄ダヨ」

 

「彼の好きな銘柄よ。付き合ってるうちに好みまで似通ってきちゃったわ」

 

「まるで古女房ネ。将来のことは考えているんデスカ?」

 

「結婚? ・・・考えてないことも無いけれど、彼もなんだかんだいって出世するだろうし、私もまだしばらく引退する気もないからね。いずれ異動になるときのことも考えなくちゃいけないと分かってるんだけどなぁ・・・」

 

 こぼした溜息をウィスキーで胸の奥に流し込む。

 

 金剛が言った。

 

「お互いに現役を続けたいなら、ケッコンカッコカリすればいいネ」

 

「なにそれ?」

 

「最近できた制度ダヨ。結婚を前提に付き合っているカップルなら、勤務地や役職を考慮した人事をしてくれるネ」

 

「へえ、そんなことまでやってくれるの?」

 

「少子高齢化は、深海棲艦以上に我が国の脅威になっているってことデース」

 

「産めよ増やせよ国のため。ってね。まるで戦時中のスローガンだわ」

 

「戦時中なのヨ。今も、昔も、ずっとネ。あんまり長すぎて、誰も彼も忘れ果てているだけデース」

 

「私にとっては物心ついたときからこんな世の中だもの。深海棲艦が現れる前の世界がどんな雰囲気だったかなんて、想像できないわ」

 

「ワタシは覚えてるケド、今とあんまり変わらなったヨ」

 

「あら、そうなの?」

 

「隣国とは戦争直前まで関係が悪化していたカラ、遅かれ早かれ今みたいな世の中になっていたと思うヨ。むしろ、深海棲艦が現れてくれたおかげで、人間同士で殺し合わずに済んだっていう意見があったくらいデース」

 

「ブラックユーモアね」

 

「そのユーモアも、そろそろ終わりかも知れないケドネ」

 

「どういうこと?」

 

「隣国が軍備増強に力を入れていることは知ってるマスカ?」

 

「・・・・・・」

 

 叢雲はグラスを傾ける手を止めた。話題の雰囲気が変わった。そう思い、グラスを置いた。

 

 金剛は続けた。

 

「表向きは深海棲艦に対抗するためって言ってるケレド、その割には海洋国家連合と協調する気配は1ミリも無いし、軍事費の内容も、増強している装備の中身も不透明過ぎて、国際的に不信感を抱かれているのが現状ネ」

 

「本心は別にあるだろう、ってことぐらい簡単に予想はつくわ。でも、深海棲艦もまともに相手できないような海軍で、余所の国に喧嘩を売れるとも思えないわ」

 

「お隣もそんなことは百も承知ネ。でも、その上で絡め手で仕掛けてくる強かさを持っているのがあの国ダヨ」

 

「確信的な物言いね。まるで仕掛けてくるのが分かっているようだわ。・・・貴女の旦那様の部署、作戦課第五室ってのは、隣国の内情まで分析するのが仕事なの?」

 

「情報はいくらでも入ってくるそうデース。90パーセントはゴシップですケド」

 

「10パーセントの真実を見抜ける眼力を持っているのかしら」

 

「マイダーリンは情報分析官としても、とても優秀ネ」

 

 意味ありげに笑みを浮かべた金剛に、叢雲は、彼女の意図を察した。

 

「今夜、私をここに誘った本当の理由は、もしかしてこの話題かしら?」

 

「半分正解といったところネ。ムラクモ=サンと飲みたかったのは嘘じゃないヨ。この話は今頃、マイダーリンから海尾大佐にしているはずネ。ダカラ、ワタシはついでみたいなものダヨ」

 

「純粋に親切心からってことね。じゃあ、ありがたく聞かせてもらうわ」

 

 叢雲は再びグラスを手にした。しかし、その瞳から酔いの曇りは消えていた。

 

「今、隣国が新型の無人戦闘機を開発中って噂は聞いたことアリマスカ?」

 

「ええ」

 

「その新型機が近く、南方警備艦隊の担当海域に姿を現す可能性が高いデース」

 

「へえ・・・その目的は、深海棲艦に対する実戦テストかしら」

 

 叢雲の予想に、金剛は頷いた。

 

「でも、実戦投入はすれど、いきなりドンパチする可能性は低いと思うヨ。恐らく偵察任務といった情報収集がメインだと考えられマース」

 

「そうね、私もそう思うけれど。・・・でも、この程度の話なら、わざわざここに呼びつけて勿体ぶることも無かった気がするんだけど? 連中がウチの担当海域に偵察機を飛ばしてくるのは、いつもの事じゃない」

 

「問題はこの新型の中身ネ」

 

「どういうこと?」

 

「ほぼ、ウチのゼロ改のオールコピーらしいヨ」

 

「コピーって、あの国がデッドコピーを作るのは、それこそ今更・・・・・・ちょっと待って、オールコピー?」

 

「Yes」

 

 真剣な表情で頷いた金剛に、叢雲はその言葉が持つ重い意味に気が付いた。

 

「まさか・・・ゼロ改と同一の機体だって言うの? 何もかも?」

 

「機体の形状だけじゃない、素材から、搭載コンピュータの構造、果てはAIのプログラムまで一致している可能性が高いデース」

 

「それ、とんでもない情報漏洩事案じゃない。情報部の大失態だわ」

 

「本来ならそうでしょうケド、それが情報部は妙に落ち着いているみたいネ」

 

「情報部が失態を隠蔽しているってことかしら?」

 

「それなら、隣国がゼロ改の完璧なコピー機を作った事実そのものを隠蔽しようとするはずデース」

 

 金剛は、この情報が他ならぬ情報部からもたらされたことを告げた。

 

「情報部はこれを隠すどころか、むしろ手柄のように堂々と報告していたソウダヨ。ダーリンからそれを聞いて、ワタシも奇妙に思って色々と探ってみたネ」

 

「貴女が?」

 

「この店には、情報部のごひいきもいっぱい居るネ。ワタシから奢ってあげたら、彼ら、簡単に口を滑らせたよ」

 

「口の軽い情報部員なんてスパイ失格ね」

 

「隠す気も無かっただけデース」

 

「ということは・・・情報部がわざとゼロ改の情報を流したというの?」

 

「その通りデース。でも流石にその意図までは口を滑らせませんデシタ」

 

「下っ端が知ることのできるレベルの計画じゃないってことでしょうね。・・・でも、隣国がそのコピー機をウチの担当海域に出してきたとき、情報部はきっと何かを仕掛けてくるでしょうね」

 

「もしくは、隣国もそれを承知でコピー機を出してくるのかもしれないデース」

 

「初霜の一件もあるし、最近の情報部はなんだかきな臭いわ」

 

「きな臭いのは、情報部だけじゃないと思うヨ。ハツシモ=サンの一件については参謀部作戦課も深くかかわっていたネ。・・・影狩りのシノビだけじゃない、第一室の天才軍師も首謀者の一人デース」

 

「静かなるコウメイ・・・」

 

 叢雲の脳裏に、会議中の彼女の様子が過ぎった。海尾に向けられていた、何かを含んだようなその視線。それは単なる女としての目だったのか、それとも、それ以上の何かを含んでいたのか。

 

 当然だが、いまごろ、紫吹 香名は他の出席者と共に海尾と居るはずだ。

 

 叢雲は胸の内に湧き上がってきた得体の知れない不安を飲み下すように、ウィスキーを喉に流し込んだ。

 

 いつもなら、これだけ飲めばもう泥酔しているはずだが、今夜は不思議とそうではなかった。

 

 それはきっと、上質な酒のおかげだったかもしれないし、それ以上に、金剛から聞かされた話の内容のせいで酔いが醒まされてしまったからかもしれない。

 

 しかしどのみち、こんな重大な話を忘れるわけにはいかないのだ。裏雲は酔い覚ましに水を一杯頼んで、それを飲み干すと席を立った。

 

「ありがとう。大きな借りができたわね」

 

「ソレを言うのはまだ早いヨ。礼を受け取るのも、貸しを返してもらうのも、この情報が役に立ってからの事ネ」

 

 金剛は微笑みながら右手を差し出した。叢雲も右手を差し出し、その手を握る。

 

「マタ来てくだサイ。海尾大佐と同伴なら、もっとサービスするネ」

 

「それなら喜んで連れてくるわ」

 

 店のサービスに加え、彼の奢りで飲めるのなら願ったりだ。そんな勝手なことを考えながら、叢雲は金剛の店を後にしたのだった。

 

 

 

 

 




次回予告

 水面を透かして青い光が降り注ぐなか、男と女がひっそりと寄り添い合う。

 二人の心は向かい合っているはずなのに、ほんの些細な出来事がその行方を狂わせる。

「第二十一話・からかい上手の飛龍さん」

「ねえ多門丸、今日は手を繋いで帰ろっか」

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