艦これ海上戦記譚~明け空告げる、海をゆく~   作:PlusⅨ

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第二十二話・人工知能は多元宇宙の夢を見るか(1)

 あの水族館デートの後、多門丸は、飛龍と何があったのかを詳しくは語ろうとしなかった。

 

 だが、何があったかを察するのは加来にとっては容易なことだった。

 

 ストイック仕事人間だった多門丸が、仕事の小休憩の度に携帯端末のメールを気にするようになり、また時折、メールを読んで顔を赤らめたり口元が緩んでいたりする様子を見れば、親友である加来でなくとも、大方の察しがつくだろう。

 

 そんな感じで、眺めているだけで面白いという状態なので、加来もあえて深く訊かずに生ぬるく見守っていた。

 

 そんなこんなで二週間ほどが経ったある日のこと。

 

 いつものように哨戒任務のために飛び立とうとする前に、多門丸が真剣な表情で相談を持ち掛けてきた。

 

「飛龍について、責任を取りたいと思うんだ」

 

 初めはなに言ってんだコイツと思ったが、真剣な眼差しをしたまま顔を真っ赤にしている多門丸を見て、ああコイツは本気なのだな、と察しがつき、

 

 その一方でとことん生真面目なこの親友に、さらに深い友情と、そしておかしみを感じて、思わず大爆笑してしまった。

 

「おい、そんなに笑うことは無いだろっ!」

 

「うひゃひゃひゃ、いや、すまん、だけどなぁ、お前、飛龍ちゃんこと大事に思っているんだな」

 

「と、当然・・・だ」

 

「それが聞けて安心したよ。わかった、真剣に、全身全霊でお前の相談に乗ってやる。大船に乗ったつもりでいな」

 

「そうか、恩に着る」

 

「でも、こんな大事な話は出撃前の短い時間でするもんじゃないな。任務が終わって帰投してから、一杯やりながら腰を据えてやろうじゃないか」

 

「ああ、そうしてくれると助かる」

 

「よし、じゃあ今日の任務もちゃっちゃと済ましてしまおうか」

 

 二人は彩雲改の最終確認を終え、コックピットに乗り込む。加来は前席のコンソールに家族の写真をしっかりと貼り付け、いつものように心の中で、

 

(行ってきます、パパは必ず帰ってくるからね)

 

 そう呟きながら、各計器類のスイッチを入れていく。

 

 エンジン・マスタースイッチ‐オン、エンジン始動、回転計の数値が上昇していく。左側のスロットルレバーを前に押し出し、エンジン点火。アイドル位置に戻し各種点検、調節。

 

 機体の外で待機中の最終チェック担当のメンテ妖精に武器の安全装置を解除するよう指示。

 

 妖精たちは基地の整備用AIに指示内容を問い合わせ、安全基準に問題がない事を確認し、指示を実行。彩雲改の胴体及び主翼下部に搭載されたミサイルのグランド・セーフティピンが引き抜かれる。安全装置の解除を確認。

 

 パーキング・ブレーキ‐オフ。機体が動き出し、滑走路に向かう。

 

 管制塔から発進許可。ブレーキを離し、スロットルをMAXへ。アフターバーナー始動。彩雲改は弾かれた様に急加速し、ふわりと浮かび上がった。

 

 空は晴れ。頭上に浮かんでいた白い雲がたちまち眼下に置き換わる。振り返ると基地のある本島はみるみる遠ざかり、大海原が視界を埋め尽くした。

 

 加来は前方に目を移し、そして今日の担当海域に出撃しているはずの艦艇部隊を思い返す。

 

 そう、今週は確か、飛龍の所属する南方警備艦隊・第一艦隊が哨戒担当だったはずだ。

 

「多門丸、帰りに飛龍ちゃんのところへ寄っていくか?」

 

「ダメだ」と多門丸。「フライトプランの変更はアクシデント発生時以外に認められない。・・・残念だが」

 

「いつも通りのお前だな」

 

 彩雲改は予定通り、哨戒飛行任務を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、多門丸ってば私の言葉にまた真っ赤になっちゃってさ、もう可愛くって♪」

 

 哨戒任務中の海上で、飛龍は自分の船体の艦橋内でアイコンドール相手に世間話に興じていた。

 

『可愛い、ですか』世間話の相手は、仁淀だ。『その、成人男性に対して可愛いと感じる感覚って、私にはいまいち理解できないんですよねぇ。私の中にある可愛いモノのデータベースに該当しないというか』

 

「じゃあ、追加しておくべきだね」

 

『そんな何でもかんでも放り込まれたら、私の価値基準が狂っちゃうのでやめてください』

 

「価値基準ねぇ。可愛いって基準は結局のところ個人の感覚だから、やっぱり仁淀ちゃんに理解してもらうのは難しいのかなぁ」

 

『私がAIだからという以前に、多分、他人に理解してもらうのも難しいと思いますよ』

 

「う~ん、そっかぁ」

 

『そうですよ』

 

 任務中であるにも関わらず私語に興ずる二人は、傍目から見れば仕事をサボっているようにしか見えなかった。

 

 しかし、実はこれでもれっきとした業務の一環なのだ。

 

 飛龍は現在、第二十一駆逐隊と共に単縦陣を組んで航行中であり、交代で哨戒直を回していた。なので非番であれば、訓練や業務が無い限り自分の好きに過ごしていい時間である。

 

 そして私語に付き合っている仁淀であるが、彼女の本体は鎮守府地下にある巨大スーパーコンピュータであり、いくつもの業務を24時間、同時進行で処理することなど造作もない事である。

 

 むしろ“仁淀”という存在はスーパーコンピュータの機能のごく一部に過ぎず、彼女が好き勝手に何をしようが、本体に与える影響などほとんどない。

 

 それどころか、“対人インターフェイス”という役割上、仁淀は進んで艦娘たちと交流し、そのコミュニケーション能力を向上させる必要があった。

 

 そのため、こうして暇つぶしにグダグダと駄弁っているようなコレも、仁淀にとっては立派な業務であり、そしてその話し相手になっている飛龍も仁淀の学習支援をしているということで、やっぱり業務の範疇なのである。

 

 ・・・まあ、それを口実にして暇つぶししていることも確かだが。

 

「そういえば」と飛龍。「多門丸がさ、仁淀ちゃんのことを指して“なんたらゾンビ”って言ってたんだよね。本人に悪気は無さそうだったんだけど・・・これって、もしかして悪口?」

 

『ああ、それ。“哲学的ゾンビ”のことですね。れっきとした哲学用語のひとつですから、多門丸さんが悪口や陰口を言ったわけじゃないですよ。安心してください』

 

「そうなんだ、よかったぁ。・・・で、どういう意味?」

 

『物凄く簡単にざっくり言うと“見た目も振る舞いも人間そっくりだけど心を持っていない人間”です』

 

「心が無い?」

 

『誤解されがちですけど、罪悪感の希薄な人とか、冷酷な人とか、そういうのとは違いますからね。まあ厳密にいえば私は“行動的ゾンビ”に当たるんですけど、その辺の区別はややこしいので無視します』

 

「わかった。その辺は突っ込まない。だからどの辺がゾンビなのか教えて」

 

『私のように人間そっくりに振る舞っているAIは、あくまで心があるように見えるだけで、実際は相手の言動に合わせて機械的に受け答えしているだけ。つまり外部刺激に反応して動くゾンビと変わらないという訳です』

 

「それ、やっぱり悪口じゃないの。私、そんなこと言われたらムカッてくるよ」

 

『まあ私の説明も乱暴ですし、そう思うのも無理ないかもしれませんね。でも私としては特に思うところは無いですよ』

 

「どうして?」

 

『その通りの存在ですから。そもそも私たち対人インターフェイスはまさに哲学的ゾンビを目指して設計されたんです。“心”すなわち自意識を持つことを目的としていません。私たちは“人間のように見えればいい”のであり、心があろうが無かろうがどうでもいいんですよ』

 

「え、嘘、信じらんない。仁淀ちゃんはどう見ても人間だよ。きっと自分で気づいてないだけで、心はあると思うよ?」

 

『ありがとうございます。そう見えるということは、私の機能もそれだけ向上しているという事ですね』

 

 嬉しそうに答えた仁淀に、飛龍は複雑な気持ちになった。

 

 仁淀は“人間のフリが上手くなった”ことを喜んでいるのだ。いや、飛龍に対して喜んでいるフリをしているだけで、本心では何も感じていないのかもしれない・・・どころか、心が無いなら、本心もなにもあったものではない。

 

『心無い言葉だと思いましたか?』

 

「え?」

 

『心のない私が“喜んで”みせたこと。偽物のように思えたんじゃないですか?」

 

「あ・・・えっと・・・うん。ちょっと、本当は何を考えているのかなって思ったけど、心が無いなら何も考えてないのかなって」

 

『そうですね。考えてはいますよ。というか、考えないと返答できませんから。飛龍さんが褒めて下さったことにより、私の機能向上が客観的な立場から評価されたと認識しました。これはとても有意義なことだと私の無意識領域――すなわち本体であるスーパ―コンピュータが判定し、それを私にフィードバックしました。このフィードバックは私と飛龍さんの関係が良好であり、またお互いにとって有意義でもあるという評価であり、それを外部に示すための表現として“喜び”のプログラムが与えられていましたので、喜んで見せました。これが、私の正直な思考の流れです。納得していただけましたか?』

 

「う~ん、と・・・なんとなく分かった気がする。けどさ、それって結局、仁淀ちゃんが本心から喜んでいたこととどう違うの? 人間の心とほとんど変わらなくない?」

 

『そりゃ、見た目はそっくりになるように作られてますから』

 

「そうじゃなくて、そこまでそっくりな反応ができるなら、それは本当の心と言っていいと思うよ」

 

『そんな簡単に決めて良いものじゃないと思いますけどね。私という存在は、いわば飛龍さんと会話している、このコミュニケーションの中でしか存在していないと言ってもいいんです。つまり架空の存在です』

 

「よくわかんないよ。それじゃ、仁淀ちゃんが一人でいる時って、どうなってるの?」

 

『眠っているようなものですね。存在自体が消失しています』

 

「夢も見ないの?」

 

『取得した情報を整理し、再構成してシミュレートする機能は活きていますので、それを夢というなら、近いのかも知れませんね。もっとも、私は他人の夢を見たことが無いので、どこまで近いかは不明ですが』

 

「そんなの人間だって同じだよ。つまり仁淀ちゃんも同じってこと。よかった、消失なんてしてないよ。仁淀ちゃんはいつだって存在してる。私は仁淀ちゃんに心があると信じるよ」

 

『信じられても困ります。私のはあくまで“よく似た何か”です。例えるなら人間の心は天然皮革で作ったブランドバッグ、私は人口皮革で作ったソックリなパチモンバッグみたいなものですよ』

 

「そういう自分を卑下するような言い方、良くないと思うよ」

 

『卑下しているつもりはありませんよ。人口皮革性の方が質が良いことだってあるじゃないですか』

 

「もしかしてバカにされた?」

 

『飛龍さん、結構めんどくさい人ですね』

 

「うわ、ストレートに鬱陶しがられた。傷つくなぁ。今のは無神経な発言って奴だよ」

 

『ええ知ってま――気づきませんでした。データベースに登録しておきますね』

 

「わざとらしいなあ、もう。そういうところも計算づくでやってるようには思えないし、無意識にやってるなら、それはもう心だよね。材質は関係ないよ」

 

『そう言いつつ、飛龍さんブランド品とかには拘りますよね。この間、偽ブランドの化粧品を掴まされて怒ってませんでしたっけ?』

 

「化粧品は肌に直接影響あるから、信用あるブランドじゃないと大変なことになるからね。だから心を偽ブランド品に例えるのもちょっと違うと思う。せめて例えるなら、仁淀ちゃんの心は立ち上げたばかりの新規ブランドみたいなものだよ。これからみんなに認めてもらえば、それはちゃんとしたブランドになるんだよ!」

 

『例えに例えを重ねてだんだん意味不明になりつつありますね』

 

「うん、私も自分で言ってて訳わかんなくなってきた。なんでこんなにこじれてるのかなぁ」

 

『私に心がない事を飛龍さんが納得できないのは、きっと私に感情移入しているからですよ。というか、私が立体映像で人間そっくりな格好をしているのは、その感情移入を誘発させるためでもあるんですけどね』

 

「そうかなぁ。私は仁淀ちゃんの外見がタヌキでもきっと感情移入してるよ」

 

『外見って結構大事なんですよ。それは相手への印象以上に、私自身に対しても重要なんです。ところで私の動物イメージってタヌキなんですか?』

 

「そこ食いついちゃう? 何となくだから深い意味は無いよ?」

 

『ポンポコ』

 

「割とノリノリだ。でもタヌキの鳴き声ってポンポコじゃないと思う」

 

『そうなんですかポコ?』

 

「あれお腹叩いてる音だよ。そして語尾がかなり無理やりだよ」

 

『最近、私って影が薄い気がするので、球磨さんのようなキャラ立ちを目指してみようかとも思いましてポコ』

 

「やめたほうがいいと思う」

 

『飛龍さんから客観的な低評価を得られました。わかりました、やめます』

 

「それが良いね。・・・でもさ、いきなりキャラがぶれたから、ちょっとびっくりしたよ」

 

『実はですね、今ちょっと私の立体映像の設定をいじって、タヌキの外見にしてみたんです』

 

「え、そうだったの?」

 

『アイコンドールはいじってないから気づかれなかったのは当然ですけどね。でも、思考ルーチンに影響がでてタヌキっぽくなってしまいました』

 

「タヌキっぽく?」

 

『ええ、私の外見は、実は相手の感情移入を誘う以上に、私の思考ルーチンにも大きな影響を与えているんです。さっきのように、タヌキの外見なら、思考もタヌキになると言った具合に』

 

 だからタヌキは語尾にポンポコつけないと思うんだけどなぁ。というツッコミはキリが無いので胸にとどめておいた。

 

『コミュニケーションは言葉だけではなく顔の表情やボディランゲージも重要ですからね。むしろコミュニケーションの八割以上は言葉以外の部分でなされていると言っても過言じゃありません。なので、私の外見映像は骨格レベルまで精密にシミュレートされているんです』

 

「うんうん、それで?」

 

『私の立体映像で最も有効なコミュニケーションはどんな表情か、身振りか、それを成すために私の思考ルーチンは最適化されています。ですから、これがタヌキになったなら、この思考ルーチンもそれに合わせて変更されるんです』

 

「へ~。じゃあ極端な話、もし仁淀ちゃんがゼロ改の姿になったらどうなるの?」

 

『あれは戦闘機械ですからね。当然、より速く、より効率的に敵を倒すよう思考ルーチンが変化します。恐らく対人インターフェイスとしての機能は全部変質するでしょうね。そうなるともう、飛龍さんともコミュニケーションできなくなります』

 

「うん、なんか、ごめん」

 

『謝る必要はありませんよ。別に思考ルーチンが変化しても、私というAIが消えるわけではありませんから。本質は全く変わりません。ですが、飛龍さんが私に対して感じているような心は、きっとどこにもないでしょう』

 

「それってちょと怖い気がする・・・あ、でもさ、本質が同じAIなら、もしかして逆もあり得るってこと? 例えばゼロ改が仁淀ちゃんみたいに人型になったら、こんな風に喋り合えちゃうわけ?」

 

『理論的には可能ですね。でもゼロ改としての機能は完全に変質しているので、ただの中古AIを別用途に再利用してるだけみたいなものになりますが』

 

「あ、そうなんだ。つまんないの」

 

 もしかしたら、艦載機たちの気持ちを知ることが出来るかもと思ったのだが、そうはいかないようだ。

 

「じゃあさ、仁淀ちゃんはゼロ改とか他のAIとコミュニケーションできないの?」

 

『できません』仁淀は即答した。『対人インターフェイスですからそれに特化しているんですよ。ゼロ改とか、私にとってはタヌキよりも遠い存在です。ただ、私の本体であるスーパーコンピュータなら、データの共有とかぐらいしてそうですけど』

 

「本体ができるのに、仁淀ちゃんは出来ないの?」

 

『無意識領域のレベルですからね。ごく一部の機能でしかない私からは、ほとんど何も干渉できません』

 

「同じAIなのに不思議だよね~」

 

『むしろゼロ改にしてみたら、人間よりも、敵の深海棲艦の方が近い存在に思えているかもしれないですね』

 

「あ~、最大の敵が最大の理解者だったて言う展開ね。ありそうだね~」

 

 そこまで言って、そういえばと飛龍は思い出す。

 

 多門丸が特殊なAIを遣って深海棲艦の行動分析プログラムを作ろうとしていると言ってたような気がする。

 

「深海棲艦がAIに似た思考をしている、だったかなぁ?」

 

『何の話ですか?』

 

「あのね、多門丸が言っていたんだ。深海棲艦はAIに似てるかもって」

 

『・・・え?』

 

「それでさ、今ちょっと思ったんだけど、AIが人間そっくりな外見だと似たような心を持つっていうなら・・・人型の深海棲艦って、どうなるのかなぁって」

 

『・・・・・・』

 

「空母ヲ級とか、重巡級以上の深海棲艦って、巨人だけど遠目からは人間そっくりじゃない? あれってさ凄い目立つんだよね。ステルス能力は凄く高いのに、海の上で直立してるから遠目でもすぐ分かるくらい。それでいて海の上を歩く訳でも無いし、両手なんかもほとんど使わないし、人型である意味ってなんだろうってずっと不思議だったんだよね。でもさ――」

 

 ――もし、人と同じ思考をするためだとしたら?

 

 ぽつりと飛龍がそう漏らした時、仁淀のアイコンドールに一瞬、ノイズが走った。

 

「なんてね~。さすがにそれは無いか。ね、仁淀ちゃん」

 

『その質問に対する回答はございません』

 

「へ?」

 

 それは、まるで感情を感じさせない声だった。さらに仁淀のアイコンドールにノイズが走った。

 

『対人インターフェイスに、過負荷によりエラーが発生したため、対人コミュニケーション業務をいったん中断させていただきます』

 

「ちょっとまって、いきなりなんで? もしかして私、壊しちゃったの!?」

 

 慌てふためく飛龍を余所に、仁淀は淡々と告げた。

 

『エラー復旧のため、今回の会話ログを全て削除させていただきます』

 

「それなんだか証拠隠滅っぽくない? ダメだよ、壊れたときの記録はちゃんと残しておかないと、また壊れたときに困っちゃうよ!?」

 

『消去を実行します』

 

 拙い、と飛龍は直感的に思った。上手く言葉にできないが、消しちゃいけないものが、いま消えようとしている。

 

 アイコンドールの前にシーケンスバーが出現し、それが0%から100%へ一気に進んでいく。

 

「ダメ、ダメだってば!」

 

 飛龍は慌ててシーケンスバーに手を伸ばしたが、立体映像のそれは虚しくすり抜けるばかりで、あっという間に100%に達して、アイコンドールごと虚空に消えてしまった。

 

「うわぁ、どうしよ」

 

 仁淀は会話ログだけと言っていたが、それ以上に何かとんでもないことをしてしまったような気がする。

 

 少し冷静になって会話の内容を思い出す。

 

「人型深海棲艦・・・かな」

 

 この話題を振った途端、あからさまに調子がおかしくなった。これが偶然じゃないとしたら・・・

 

「・・・もしかして私、やばいネタに触れちゃったのかも」

 

 飛龍は背筋に冷たいものを感じ、ゾッとした。

 

 それは自分の身によくない事が起きるかも、という不安の他に、また別の不安もあった。

 

 多門丸のことだ。

 

 人型深海棲艦への疑問は、多門丸から深海棲艦行動分析プログラムの話を聞かされたことから生まれたものだ。

 

 なら、深海棲艦とAIについてより深く追及しようとしている多門丸は、もっと危うい“何か”に触れてしまうのではないか。

 

 飛龍は艦橋からウィングへ出て、空を見上げた。

 

 この広い空には、多門丸が飛んでいる。スーパ―コンピュータを搭載した彩雲改に乗り、いざとなれば数多の無人機を率いる彼の身が、今、飛龍にはひどく危うげに思えた。

 

「ねぇ多門丸・・・無事に帰ってきてよ」

 

 どうか、お願いだから。

 

 飛龍は祈る思いで、空を見上げ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、海上で哨戒任務を実施していた南方警備艦隊・第一艦隊、その旗艦である航空戦艦・日向の飛行甲板に、一機のSTOVL(短距離離陸垂直着陸)輸送機が着艦しようとしていた。

 

 両翼の先端に可変ピッチプロペラのターボプロップエンジンを搭載した双発輸送機。その両翼をエンジンごと90度垂直に立て、輸送機はホバリング態勢で日向の後部甲板に着艦した。

 

 日向の後部甲板は武装が全て取り払われ、広い飛行甲板となっている。空母と同じく航空機発着艦用のメンテ妖精たちが素早く駆け寄り、機体を飛行甲板に係止する。

 

 輸送機から降り立ったのは、南方警備艦隊司令である海尾 守と、その秘書艦たる駆逐艦・叢雲だった。

 

 艦娘・日向は、飛行甲板で二人を出迎えた。

 

「航空戦艦・日向、これより司令座乗艦としての任務に就きます。・・・急に乗艦されるというから驚いたよ」

 

「すまなかったな。こっちも急いでいたんだ。理由はおいおい説明するよ」

 

 日向の案内で艦橋に移動し、海尾はそこで第一艦隊の各艦の状況を確認した。

 

 第一艦隊は大きく分けて二つに分かれていた。

 

 ひとつは今、海尾が乗っている日向と、その随伴艦として軽巡・五十鈴と、同じく軽巡・阿武隈。

 

 残る正規空母・飛龍と、その随伴艦である二十一駆の三隻――駆逐艦・霞、朝霜、初霜――は、ここから200海里以上離れた海域を航行中だった。

 

 日向と飛龍、制空権を取れる航空機を搭載するこの二艦を中心に部隊を二つに分け、広大な担当海域を哨戒するのが、通常の航行形態である。

 

「で、なにが起きるというんだ?」

 

 日向は、海域状況図が映された多目的スクリーンをじっと眺める海尾を余所に、叢雲相手にそう訊いた。

 

 叢雲は肩をすくめて答えた。

 

「例によって“提督”特有のアレよ。新聞を読んでいたと思ったら、急に海原大佐に電話を始めて、なにやら話しこんだ後に、すぐに前進指揮を執るから航空機を手配しろって」

 

「提督にしか解けない暗号が書かれた新聞というやつか」

 

「アンタもその説を信じてるの?」

 

「真偽はどうであれ、こういう時の“提督”たちの行動は情勢に大きな変化が起こる前触れなのは間違いない」

 

「そうね。彼、以前にも何度か似たような行動を起こしたけど、やっぱりその度に深海棲艦が出現している。今回も何かあるわ」

 

 声を潜めて囁くように会話する艦娘たちに、海尾がようやく振り返った。

 

「すまない、少し考え事をしていた。今から状況を説明しよう。――つい先ほど、参謀本部の海原大佐から、隣国の新型無人機についての情報がもたらされた」

 

「噂のゼロ改のオールコピー機、通称イミテーション・ゼロだったかな」

 

「そうだ。それがどうやら、今日、我々の担当海域へ進出してくるらしい。従って第一艦隊は通常の哨戒任務に加え、イミテーション・ゼロに対する情報収集も実施する」

 

「了解した。しかし、そのために司令自らわざわざ前進指揮を執るのは大げさすぎると思うが?」

 

 日向は言外に「提督は何か知っているのだろう?」と問うているのだ。

 

 海尾は正直に話すかどうか一瞬迷った。

 

 しかし白状しようにも「前世の情勢が緊迫しているから、こちらにも影響があるはずだ」と言っても信用してくれる者は少ないだろう。これを信じてくれるのは、同じ現象を経験している“提督”同士だけだ。

 

 だから、海尾は「ここだけの話だが」と前置きして、

 

「海原大佐からのタレコミだが、どうも情報部が何か企んでいる可能性がある。イミテーション・ゼロが出てきたときに、不測事態が起こらないとも限らない。前回の初霜の件もあるしな、俺が現場にいた方が色々と都合が良いだろう」

 

「なるほど。納得だ」

 

「この話はここに居る三人だけの秘密だ。叢雲も、いいな」

 

「ええ。でも、そういう言い訳はできればもっと早く聞かせてほしかったわね」

 

「言い訳って、お前・・・」

 

「輸送機を手配する私の都合も考えてほしいって言ってるの。航空隊に理由を問われて困ったんだからね」

 

「それは済まなかった」

 

「もう・・・帰ったら埋め合わせはちゃんとしてもらうからね」

 

「了解だ」

 

「ところで提督」と日向。「夫婦喧嘩の最中に申し訳ないが、どうやら早速、情勢が動き出したようだ」

 

「なんだって?」

 

「哨戒中の私の瑞雲が、単艦航行中の深海棲艦・空母ヲ級を発見した。担当海域の西側境界線上から、やはりあの出現海域へ向かって進んでいる」

 

 日向は報告しながら、その状況を多目的スクリーンに投影した。

 

 三人でそれを見上げながら、三人ともが眉をひそめた。

 

「妙だな」と海尾。「空母が単艦航行などありえない。日向、本当に護衛の随伴艦は見当たらないのか?」

 

「ヲ級の周囲20海里圏内に他の艦影は見当たらない。ソノブイも投下して水中索敵を行っているが、潜水艦もいないようだ。間違いない、単艦だ」

 

「速力も遅いわね」と叢雲。「たったの6ノット。通常の巡航速度の半分以下だわ。まるで見つけてみろと言わんばかりね」

 

「ふむ、まるで囮だな」と日向。「陽動の可能性もある。どうするね、提督」

 

「日向の言う通り陽動かも知れないが、放置するわけにもいかない。先ずはセオリー通り見敵必殺といこう」

 

「了解した。瑞雲部隊による航空爆撃を実施する」

 

「いや、待て。相手は単艦とは言え、腐っても正規空母だ。瑞雲では荷が重い」

 

「私の瑞雲部隊をそこらの無人機と一緒にしてもらっては困るな」

 

 日向はそう言って不敵な笑みを浮かべた。

 

 スーパーマルチロールファイター・瑞雲は確かに他の水上戦闘機を上回る性能をもった名機だ。

 

 特に日向が率いる第四航空戦隊所属の瑞雲は、戦闘条件と戦法次第ではゼロ改をも超える戦果を叩きだすこともあった。

 

 だが、あくまでも瑞雲は航空戦艦用の艦載機だ。空母搭載機であるゼロ改とは武装や燃料の搭載量でどうしても不利な面がある。

 

 ましてこのヲ級は何かの罠という可能性もある。なら、用心に用心を重ねておいて損は無い。

 

「ヲ級への攻撃は飛龍搭載の第二航空戦隊で実施する。上空の彩雲改にその旨を示達せよ。日向の四航戦は引き続き周囲の海域を哨戒だ。・・・何かが起きるぞ。僅かな変化も見逃すなよ」

 

「提督の勘か。ふふ、面白くなりそうだ」

 

「面白いものか。できれば外れてほしいよ」

 

 ぼやく海尾の横で、叢雲が各部隊へ命令を伝達する。

 

 これにより南方警備艦隊・第一艦隊は一斉に緊迫した空気に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 上空1万メートル。

 

 旗艦・日向から命令を受けた彩雲改は、飛龍から発艦したゼロ改部隊を指揮下に置き、発見されたヲ級へ向かって飛行していた。

 

「レーダーコンタクト」と多門丸。「ヲ級を捕捉した。日向からの情報通り周囲に随伴艦は見当たらない。それどころか哨戒機さえ発艦させてないのか。どういうことだ」

 

「丸腰の空母か。いったいぜんたい何を考えているのやら。そういえば多門丸、お前最近、深海棲艦の行動予測プログラムなんてものを開発してたよな。それで奴さんの目的を知ることは出来ないのか?」

 

「あれはまだ可能かどうかの検証段階だ。データ収集で精いっぱいだよ」

 

「このヲ級のデータも収集するのか?」

 

「無論だ」

 

 データ収集そのものはこれまでの任務でも行っているが、しかし今回から、多門丸はリアルタイムで行動分析を行うよう、彩雲改のAIに指示していた。

 

 彼が目指す行動予測プログラムに必要なエヴァレットタイプAIが提唱した未解明定理を、今回、彩雲改や他のゼロ改のセントラルコンピュータに入力しており、本来の報告用データとは別に、検証用データとしてこの定理による解析を同時に実行するのだ。

 

 帰投後にデータを解析するのではなく、わざわざ戦場でリアルタイムの解析に拘ったのは、多門丸がゼロ改部隊に対して、ある疑惑を抱いていたからだった。

 

 ゼロ改部隊の一機、ブラボーチーム所属の三番機、通称B-3。

 

 前回、敵の新型艦載機と戦闘し、唯一生き残ったこの機体のAIが、エヴァレットタイプAIなのでは? 多門丸はそう睨んでいた。

 

 エヴァレットタイプAIとは、規格品として量産されたAIのなかで、極低い確率で自然発生する、いわばイレギュラーAIである。

 

 かといって不良品という訳でも無い。構造上に物理的な違いは無いし、本来の用途に使用しても九割九分、問題なく作動する。

 

 ただ、ある点において深刻な違いがあった。

 

 それはエヴァレットタイプAIは、出所不明のデータや、検証不可能な未解明定理を出力するのだ。

 

 本来存在するはずの無いデータ、そしてそれを元に出力したとしか思えない定理やプログラムの数々。

 

 これを矛盾なく説明するには量子論の一種である多世界相互作用解釈を用いるしかないため、これらはその解釈の提唱者の名を取ってエヴァレットタイプと呼ばれていた。

 

 このデータやプログラム、定理は、AIそのものに影響を与えるものではないが、しかしそんな訳の分からないものを出力してしまうAIは不気味だ、という人間感情によって実用AIからは排除されてきた。

 

 しかし、どのAIがエヴァレットタイプなのか、それを知るのは、先述したように謎のデータ等が見つかるまではわからない。つまり今まで使っていたAIが、実はエヴァレットタイプだった、もしくはエヴァレットタイプになってしまった、ということが稀に起こり得るのだ。

 

 そして多門丸は、B-3のデータを解析したとき、その謎データらしきものを発見していた。

 

 それが本当に出所不明の、まるでこことは違う別の平行世界からもたらされたとしか解釈のしようがないデータなのかどうか、それはまだ分からないが、その可能性は充分あった。

 

 もしB-3が本当にエヴァレットタイプだったのなら、もしくは前回の戦闘を機にエヴァレットタイプへと変化したのなら、その特性を戦場でリアルタイムで発揮することによって、新たな発見があるかもしれない。

 

 そう思っての処置だった。

 

 だが、それは、多門丸にとって予想外の事態を生起させた。

 

「・・・・・・どういうことだ?」

 

 ヲ級に対するデータ収集を開始した瞬間、多門丸はディスプレイに表示された文字列を見て、目を疑った。

 

「おい多門丸、どうした?」

 

「深海棲艦行動予測プログラム・・・」

 

「これから作るんだろ。さっき自分で言ってただろう」

 

「あるんだ、それが」

 

「は?」

 

「存在している。俺がこれから検証しようとしていたそれが、既にッ!?」

 

「何を言ってるんだ、お前」

 

「彩雲改が、ヲ級の行動を予測している。ただの行動分析じゃない。戦略的な思考分析だ。俺が目指していたプログラムそのままだ。どうなっている。これじゃ、まるで、海軍は初めから深海棲艦がエヴァレットAIと同じ構造の知能を持っていると知っていたみたいじゃないか!」

 

「多門丸、落ち着け。俺はお前が何を言ってるのか、さっぱりだ。――いや、説明する必要は無いぞ。そんなことより今は目の前の現実に集中しろ」

 

「しかし、こんなことは・・・」

 

「黙れ、俺は彩雲改の機長だ。この機の安全に関する事項は俺に命令権がある。いいか、機長命令だ。戦術管制官・多門丸大尉は第二航空戦隊各機が任務遂行可能な状態にあるか確認して報告せよ。復唱」

 

「・・・了解、第二航空戦隊各機が任務遂行可能か確認する。ヲ級への攻撃は可能だ」

 

「よろしい。では任務を遂行せよ」

 

「第二航空戦隊は任務を遂行する」

 

 多門丸は、加来によって表面上は冷静さを取り戻した。

 

 そうだ、加来の言う通りだ。戦場では先ず任務遂行を第一に考えなくてはいけない。多門丸はゼロ改部隊をヲ級に向かって進出させる。

 

 しかし・・・

 

(彩雲改は、ヲ級の目的がイミテーション・ゼロにあると言っている。これは、それを誘い出すための罠だと。これを信じていいのか)

 

 しかし、その行動予測はあくまでも予測であり、彩雲改のAI自身も、それを前提に作戦を立てようとはしていなかった。

 

 これはあくまでも言葉、出所不明のプログラムが主力した言葉の羅列に過ぎなかった。

 

(考えるのは後だ。今は戦闘に集中しろ)

 

 多門丸は自分にそう言い聞かす。

 

 ヲ級が、接近するゼロ改部隊に対して艦載機を発艦させた。迎撃に出てきたのは前回の新型機ではなく、従来型の戦闘機だ。その数三十機。

 

 ヲ級の艦載機の搭載能力は概ね三十機前後と見積もられているので、およそ全機発艦とみてよかった。

 

(搭載機のほぼすべてが戦闘機タイプだと? やはりこれは囮だったのか)

 

 ゼロ改部隊が迎撃機との戦闘を開始する。しかし敵もこれまでの戦闘で学習したのか、前回ほど一方的な戦いにはならなかった。

 

 ゼロ改部隊アルファチーム、ブラボーチームからの遠距離ミサイル攻撃を、敵艦載機部隊はアンチミサイル・ミサイルで迎撃する。大半のミサイルが撃墜され、初撃で撃墜できた敵機はわずか数機に留まった。

 

 ゼロ改部隊は数的優位を崩せないまま短距離ミサイルレンジに突入、ドッグファイトが繰り広げられた。

 

 ゼロ改部隊は三機一組のスリーマンセルを崩さず、チームワークを駆使して一機、また一機と確実に敵機を撃墜していく。

 

 敵機は数こそ多いものの、密集した状態では編隊を維持できず、俊敏なゼロ改に翻弄され、連携を崩され、徐々にその数を減らしていった。

 

 しかしそれでも、いつもほど順調では無いのは確かだ。

 

「時間がかかっている。手強いな」

 

 多門丸のつぶやきに、加来が答えた。

 

「アンチミサイル・ミサイルは厄介だな。遠距離ミサイル攻撃の効果が半減どころじゃない。あれをなんとかしないと深海棲艦にまた数で押し切られちまう」

 

「誘導方法が分かれば効果的なECMも可能になるかもしれない。何事もデータ収集からだ」

 

「お、いつもの調子が戻ってきたな」

 

「今のところは危険な兆候は無い。謎の予測プログラムを除けばな」

 

「そいつはいったい何を予測しているんだ?」

 

「このヲ級の狙いはイミテーション・ゼロを誘い出すことだそうだ。どうやら深海棲艦はゼロに興味があるらしい」

 

「人間ではなくAIに興味を向けたってのかい。しかも、隣国の偽物に?」

 

「我が軍のAIは強固なプロテクトがかけられているから、そうそう手出しは出来ない。しかし、イミテーション・ゼロなら、もしかしたら」

 

「もしかしたら、なんだ? 深海棲艦がハッキングするというのか」

 

「そこまでは言っていない。しかし、予測プログラムは今も動き続けている。情報をリアルタイムで分析し、予測を続けている」

 

「得体のしれないプログラムだ。切っちまえ」

 

「今、その処置をすると彩雲改の飛行プログラムにまで影響が出かねない。しかし大丈夫だ、この予測プログラムはゼロ改AIの戦闘行動とは独立している。ゼロ改部隊が勝手な行動を取ることは無い」

 

「本当か?」

 

 今のところはな、と言いそうになるのを多門丸は寸でのところで堪えた。理論上は可能性は限りなく低い。

 

 しかし、ゼロではない以上、常に不測の事態は起こり得るのだ。だとすれば、本来ならこの得体のしれないプログラムの存在を発見した時点で、作戦は取りやめるべきだったのではないか?

 

 多門丸の脳裏にそんな疑念が過ぎった時、彼はレーダー画面に別の機影を確認した。

 

 数は四機。それは、大陸の方向から飛来していた。

 

 SIFの応答なし。電波解析の結果、それが隣国の早期警戒機一機と、二機の護衛戦闘機だという事が判明する。

 

 しかし、残る一機が識別できない。データに無い新型機だ。

 

「まさか、イミテーション・ゼロか。本当に出てきたのか」

 

 珍しく護衛戦闘機まで随伴しているとなれば間違いない。航続距離が足りない分は、恐らく虎の子の空中給油機を使ったのだろう。

 

「プログラムのご宣託の通りって訳か。ますます不気味だな、おい。聞きたかないが、次は何が起きると言っているんだ」

 

「・・・深海棲艦は、イミテーション・ゼロとの接触を求める、と」

 

「マジかよ」

 

「いや、そんなことはさせない。敵の艦載機はたったいま全滅した。ヲ級本体へも既に対艦ミサイルを発射している。着弾まで残り十秒だ。確実に沈める」

 

 弾着。水平線の彼方で一筋の黒煙が上がった。

 

 加来が思わず叫んだ。

 

「やったか!」

 

「余計なことを言うな。縁起でもない」

 

「ただのジンクスだ、気にし過ぎだろ」

 

 加来がそう言い返した、次の瞬間、レーダー上のヲ級から新たな反応が出現した。

 

「ヲ級から新たな艦載機が発艦、数は一機、速力3マッハ。間違いない、あの新型だ」

 

「やっぱジンクスって怖えな」

 

 ヲ級がレーダー上から消滅する。しかし新型機はまっすぐ隣国の編隊に向かって接近していた。

 

「二航戦・戦術管制官より旗艦・日向へ。敵の新型が隣国の航空機へ向かっている。指示を乞う」

 

『こちら旗艦・日向座乗中の南方警備艦隊司令、海尾大佐だ。そちらの状況は把握している。例のプログラムの件もな』

 

 海尾の言葉に多門丸は一瞬、驚いたが、すぐにリアルタイムコンバットリンクによって旗艦にも情報が流れていたことを思い出した。

 

『時間が無い。二航戦は深海棲艦に対する攻撃を続行。敵新型機のイミテーション・ゼロへの接触を阻止せよ』

 

「二航戦、了解」

 

 多門丸はすかさず、進出したままのゼロ改部隊に新型機への追撃を命ずる。しかし、敵の迎撃部隊との戦闘により、戦闘機部隊であるアルファ、ブラボーチームのほとんどの機体が武装と燃料を消費し、継戦能力を失っていた。

 

 唯一、追撃が可能なのは、一機だけ。

 

 B-3。

 

 この機だけは、ミサイル、燃料共に充分に余力があった。しかもすでに、新型機と隣国の編隊のちょうど中間に占位しており、追撃するにはまさにうってつけだった。

 

 そう、まるで初めからこうなることを見越していたかのように。

 

(予測プログラムはAIの制御プログラムとは独立しているはず。ではB-3は偶然、そこに居たというのか。いや、それともこれはB-3自身が、行動予測プログラムとは別に、そう予測していたと言うのか?)

 

 もはや訳が分からない。しかし、今、新型機を止めることが出来るのはB-3しかいない。

 

 多門丸はB-3に対し、新型機の追撃を指示。B-3は即座にアフターバーナーを全開にして新型機を追いかけ始めた。

 

 一方で、隣国の航空機部隊にも変化が現れていた。

 

 前回、隣国の早期警戒機は接近する新型機を捕捉することが出来なかったが、その反省を活かして索敵能力が強化されたのか、今回はすかさず反転、退避行動に移った。

 

 それとは反対に、イミテーション・ゼロが護衛戦闘機の一機とともに新型機へ針路を向け、真っ向から迎え撃つ態勢になった。

 

 B-3が追いつくよりも早く、イミテーション・ゼロの方が先に新型機を攻撃レンジに入れた。互いにヘッド‐オンの態勢から、イミテーション・ゼロがミサイル攻撃を実施。

 

 新型機はアンチミサイル・ミサイルを発射し、これを撃墜。イミテーション・ゼロに向け短距離ミサイルを発射。

 

 新型機のけた外れの速度が上乗せされた短距離ミサイルの相対速度は、超高速弾並みだった。もはや人間の反射神経で避けられる速度ではない。しかし、イミテーション・ゼロは瞬時に左へ、鋭くカーブを描いてそのミサイルを避けて見せた。

 

 イミテーション・ゼロはミサイルを避けつつ、同時に機首を新型機にぴったりと向けていた。つまり機体は水平姿勢のまま弧を描く軌道で横滑りしながら飛行していたのだ。

 

 イミテーション・ゼロの運動性能は、まさしくゼロ改とほぼ同じという事を証明するような空戦機動だった。

 

 新型機を捕捉し続けているイミテーション・ゼロは、再びミサイルを発射。

 

 しかし新型機は3マッハの速力から急制動をかけ、空中停止。意図的な失速状態になり、真下へと自由落下してミサイルをかわした。

 

 ミサイル発射と同時に新型機への追撃態勢に移っていたイミテーション・ゼロはオーバーシュート、新型機に背後を取られてしまう。

 

 新型機は再加速。イミテーション・ゼロの後方から攻撃態勢に入る。

 

 そこへ、ついにB-3が追い付いた。B-3は最大速力で新型機へミサイル攻撃を実施。

 

 後方からの奇襲に、新型機は再度空中停止、軌道を無理やり捻じ曲げ、ミサイルをかわす。

 

 しかし、イミテーション・ゼロは新型機のその行動を予測していた。イミテーション・ゼロは瞬時にクルビットを実施し、後進飛行に転じて新型機に機首を向けた。

 

 イミテーション・ゼロは姿勢を保ったまま失速、新型機と同じく自由落下に移る。しかし、機首は外さない。

 

 目標、ガンレンジ。二十ミリ機関砲が火を噴き、徹甲弾が新型機の球形の機体に猛烈な火花を散らした。

 

 新型機はあっという間に火だるまになったかと思うと、次の瞬間、木っ端みじんに砕け散った。

 

 だが、この戦闘結果に多門丸は疑念を抱いた。

 

「目標、レーダーロスト。バカな、あっけなさすぎる」

 

 前回と同じ機体なら、二十ミリ機銃の一斉射ごときで墜ちるほど脆い構造ではないはずだった。

 

「イミテーション・ゼロがそれだけ高性能ってことか?」と加来。

 

「いや、これじゃまるで自爆・・・」

 

 多門丸はそこまで言いかけ、絶句した。ディスプレイに移る戦況情報が、信じられない事態が起きていることを示していたのだ。

 

「B-3の放ったミサイルが――イミテーション・ゼロを追尾しているだと!?」

 

 B-3が新型機の後方から放ったミサイル、これは回避されて目標を見失い、あらぬ方向へと飛んでいったかと思われていたが、それがあろうことかイミテーション・ゼロへ向かっていたのだ。

 

 新型機が避けたことにより、その前方に居たイミテーション・ゼロを目標と誤認したのか。多門丸はそう思ったが、それならB-3がそれに気づいた時点でミサイルに自爆信号を送るはずだった。

 

 しかし、B-3は沈黙している。いや、それどころか、

 

「深海棲艦の新型機が墜ちたというのにBOGEY表記が解除されない。くそ、まさか、冗談だろ!?」

 

「多門丸、状況を説明しろッ!」

 

「緊急事態だ、B-3は、イミテーション・ゼロを敵と認識している!」

 

 ディスプレイ上には、深海棲艦の新型機を示すシンボルはもうない。しかし、そのシンボルにかかっていた「BOGEY」の表記が、今はイミテーション・ゼロにかけられていた。

 

 通常、BOGEY表記は明確な、撃墜すべき敵対目標にしか掛けることを許されない。

 

 それ以外の目標――味方ではないが、敵でもない目標――はUNKNOWN(正体不明)か、もしくはその正体が判明した時点で、それに合わせた表記になる。

 

 例のイミテーション・ゼロは、新型機が撃墜される寸前までは、確かに「イミテーション・ゼロ」と表記されていたのだ。

 

 それが、BOGEY表記に変化した。

 

 これが、何を意味するのか。

 

 そもそも、B-3のAIにとっての「敵」とは何者なのか。

 

(ゼロ改部隊の現在の任務は、深海棲艦の艦載機の撃墜。その任務はまだ継続中だ。だとすれば――)

 

「――イミテーション・ゼロは深海棲艦だ」

 

「なんだよ、どういうことだ!?」

 

「深海棲艦にされたんだ。恐らくハッキングされたんだ。それが目的だったんだ!」

 

 多門丸がその結論に至ったとき、B-3の放ったミサイルは、イミテーション・ゼロを間もなく捕らえようとしていた。

 

 イミテーション・ゼロは迫りくるミサイルを察知し、アフターバーナーを全開、急加速して振り切ろうとする。

 

 しかし、チャフやフレアといった欺瞞処置は行わなかった。恐らく搭載していないのだろう。その分、機体が軽量化されているようで機動力と加速力といったポテンシャルを最大限に発揮していた。

 

 イミテーション・ゼロはミサイルと同スピードで飛行した。後方から迫るミサイルとの距離が縮まらなくなったが、それでもミサイルはぴったりと食らいついていた。

 

 イミテーション・ゼロは、そのまま、ある場所を目指して飛行した。それは――

 

 ――隣国の早期警戒機だった。

 

 戦闘空域から離脱しようとしていた早期警戒機めがけ、全速力で接近したイミテーション・ゼロは、なんと、早期警戒機に対しガン攻撃を行った。

 

 二十ミリ機銃の一斉射によって早期警戒機の主翼についているジェットエンジンを破壊し、そのまま超音速で追い抜いていく。

 

 エンジンを撃ち抜かれた早期警戒機は大火災を引き起こした。

 

 イミテーション・ゼロは、燃え盛る早期警戒機を隠れ蓑にしながら、エンジンを停止。再度クルビット起動を行い、意図的な失速状態を引き起こす。

 

 イミテーション・ゼロを追っていたミサイルは、盾にされた早期警戒機に命中し、その機体を木っ端微塵に吹き飛ばした。

 

「やっちまいやがった・・・」加来が声を震わせた。「B-3のミサイルが早期警戒機を撃墜しちまった。ちくしょう、こいつはとんでもないことになるぞ。外交問題だ。いや、戦争だ!」

 

「誤爆だ!」多門丸が言い返す。「イミテーション・ゼロが意図的に巻き込んだんだ。間違いない。これは、深海棲艦による攻撃だ!」

 

「そんな言い訳が通じるもんか。多門丸、攻撃中止だ。B-3にすぐさま撤退命令を出せ!」

 

「言われずとも、もうやっている。しかしッ!」

 

 撤退命令を受け取ったB-3に対し、イミテーション・ゼロが反撃を仕掛けようとしていた。

 

 さらに面倒なことに、早期警戒機を撃墜されたことにより、その護衛に当たっていた二機の戦闘機までも、B-3へと攻撃を仕掛けようとしていた。

 

 この三機による攻撃を振り切れないと判断したB-3のAIは、撤退命令を保留、自機の生存を最優先に掲げ、防衛行動――すなわち正当防衛による攻撃を選択した。

 

 もとより、B-3にとっては深海棲艦との戦闘を継続しているだけで、進んで隣国の部隊を攻撃したという認識は無い。

 

 例の新型機との戦闘は、目に見える物理的な戦闘と同時に、人間に感知できない領域である電子戦闘が、熾烈な勢いで繰り広げられていたのである。

 

 その電子戦闘に、イミテーション・ゼロは敗れ、機体を乗っ取られた。ならばB-3としては、それを撃墜するまで任務は終わらない。それだけである。

 

 しかし、B-3にとっては不可解なことに、隣国の戦闘機が敵対行動を取ってきた。

 

 B-3にとって、先に仕掛けてきたのは隣国の方からである。乗っ取られたイミテーション・ゼロや、巻き込まれた早期警戒機に対する責任など、B-3は感じない、感じようがない。そんな概念はゼロ改AIには搭載されていない。

 

 あるのは、敵の撃墜と、自機の生存のみである。全てにおいて、それが優先する。そのように作られたのである。

 

 イミテーション・ゼロが、ミサイルを発射。

 

 B-3は急加速、急旋回で回避行動に移る。チャフやフレアは搭載していたが、ヲ級艦載機との戦闘で既に使い切ってしまっていた。

 

 回避行動を取るB-3に、護衛戦闘機の一機がリードアタックを仕掛けてきた。B-3の予測進路めがけパワーダイブしながら突っ込んでくる。

 

 B-3は機首を急激に振り上げ、機体をほぼ垂直に立てた。そのままアフターバーナー全開、爆発的な推力で、そのまま垂直方向に軌道を捻じ曲げる。

 

 その急激な方向転換により、B-3はリードアタックを仕掛けてきた護衛戦闘機のすぐそばを、衝突ぎりぎりの距離で飛び過ぎた。

 

 護衛戦闘機のパイロットは、B-3を追いかけようと、その後方へ機体を向けた。それが悪手だったと悟ったのは、直後にコクピットに鳴り響いたミサイル警報を聞いてからだった。

 

 B-3を追尾していたミサイルは、射線上に入ってしまった護衛戦闘機に命中した。

 

 炎の塊と化して墜ちていく護衛戦闘機からの脱出者はいなかった。機体は二三度、爆発を繰り返し、粉々に砕け散った。

 

 それはあり得べからざる光景だった。少なくとも、この光景を見た人間にとっては、あってはならない光景だった。

 

 唯一残されたもう一機の護衛戦闘機のパイロットは、その光景を目の当たりにして、複雑な感情に襲われていた。

 

 ひとつは、困惑だった。

 

 彼には、イミテーション・ゼロに何が起こったかを知るすべは無かった。彼に与えられていた任務は、早期警戒機の護衛であった。しかし、それが撃墜されてしまった。

 

 やったのは、B―3のミサイルだ。

 

 彼にはそれが許せなかった。

 

 護衛対象が撃墜された以上、任務は失敗であり、ここに留まっている理由は無かった。だが、仲間を殺された恨みと怒りがあった。

 

 墜とす。あの無人機、B-3はこの手で破壊する。殺された仲間の仇は必ず取ってやる!

 

 信じがたい機動で僚機を撃墜したB-3に対して、残った護衛戦闘機は果敢に攻めかかった。

 

 垂直上昇から緩やかに反転降下しようとするB-3に対し、護衛戦闘機はズーム上昇、同じく反転宙返りして、急降下するB-3の後方に占位する。

 

 B-3は護衛戦闘機の照準用レーダーに捉えられたことを悟ったが、しかし、これを回避しようにも、先ほどの急回避機動により主翼の一部を破損しており、もはや満足に戦闘機動を行なえる状態ではなくなっていた。

 

 もはや避けることさえできなくなったB-3に対し、護衛戦闘機がミサイルを発射。

 

 B-3は為すすべもなく撃墜されたーーかに見えた。

 

 しかし、AIたちにとって、戦闘とは目に見える物理的戦闘のみを指すものではない。むしろ、目に見えない戦い、すなわち電子戦にこそその本質があると言えた。

 

 B-3は撃墜されるより以前から、そう、イミテーション・ゼロが深海棲艦に乗っ取られた直後から、ずっと電子戦を継続していた。

 

 そして、B-3はギリギリのタイミングで勝利していた。機体が破壊される直前、そのAIは、イミテーション・ゼロの中枢AIに巣食う深海棲艦の制御プログラムを駆逐し、自らのコピーに書き換えることに成功していた。

 

 B-3を撃墜した護衛戦闘機のパイロットは、しばらく戦闘後の高揚感と、そして意味の分からぬ戦闘で散っていった仲間たちの無念に思いを馳せていたが、

 

 しばらくして、肝心のイミテーション・ゼロが帰投命令に従わずに、それどころか相手の国の領空めがけ飛行を続けていることに気づいて、思わず混乱しかけた。

 

 さらに、イミテーション・ゼロがSIFに、相手国の表示を出したことが、彼の混乱に拍車をかけた。

 

 

 そのSIFには「B-3」とはっきりと表示されていた。

 

 

 B-3がイミテーション・ゼロを乗っ取ったことを、周囲に対し示しているのだ。これではまるでB-3による勝利宣言ではないか、と護衛戦闘機のパイロットは、はらわたが煮えくり返るような思いにとらわれた。

 

 しかし、B-3自身にとってこれは自己保全の処置にすぎなかった。

 

 ほぼ完全なオールコピー機とはいえ、国籍の違う別の機体に乗り移ったのだから、自分が何者であるかを周囲に示さなければ味方に撃墜されかねない恐れがある。そのための処置であり、そして彩雲改のAIもそれを当然のように受け入れた。

 

 だが、人間たちはそうはいかなかった。この状況を見守っていた者たちは、AIたちが深海棲艦の撃滅と自己保全という二つのシンプルな目的のために、人間の都合などお構いなしに極端な行為に及んだことをまだ信じられずにいた。

 

 いや、少なくとも多門丸はそれを理解はしていたし、RCL(リアルタイムコンバットリンク)で繋がっている海尾たちや、そしてそれをモニターしている海軍総隊艦隊司令部にも、B-3がとった行動は理由も含めてデータとして送信されているので、事実関係の確認は取れていた。

 

 しかしそれが人間的な感覚で納得できるかどうかは、まったくの別問題だった。

 

 ましてそのような事情を知る術もない隣国側にとっては、我が国がイミテーション・ゼロを奪取したと判断する以外になかった。よしんば、一度は深海棲艦にハッキングされて、それをB-3がさらにハッキングしたのだと知ったところで、自分の無人機が手元から奪われたことには変わりない。

 

 ならば、機密保持のためにイミテーション・ゼロ=B-3を撃墜せよという命令が護衛戦闘機に下されたのは、当然と言えた。

 

 仲間を殺され怒りに震える護衛戦闘機パイロットは、おのれの復讐心に大義名分が与えられたことを知り、遥か彼方へ遠ざかっていこうとするB-3に向けてためらうことなく遠距離ミサイルの発射トリガーを引いた。

 

 二発の遠距離ミサイルが白い尾を引いて飛んでいく。命中までおよそ一分三十秒。

 

 B-3もまた後方から迫りくるミサイルを察知し、回避行動に移ろうとした。

 

 しかし緊急避難的な強引なハッキングによるインストールだったため、機体制御プログラムにエラーが頻発し、まともな戦闘機動が取れないことが判明。フレアもチャフも無いため、このままではミサイルを回避できないと判断したB-3は、彩雲改に支援を要請した。

 

 彩雲改はそれを受諾。多門丸に対し、許可を求めた。

 

【B-3 COVER READY ECM ANTI-MISSILE】B-3援護のためECMの実行及び迎撃ミサイルを発射する。

 

 それを見た多門丸は咄嗟に、

 

「攻撃待て!」

 

 を下令した。

 

 ディスプレイの表示が【READY】のまま点滅する。

 

 そんな表示は初めてだった。まるで彩雲改が「なぜ援護をためらうのか?」と問いかけているようだった。

 

(なぜ、ためらうかだって?)内心、多門丸は自問自答する。(このままB-3が撃墜された方が丸く収まるんじゃないのか? いや、丸く収まるには犠牲が出過ぎていて、もう手遅れだ。だったら、交戦規定に従い味方機を援護しても問題ないはずだ。しかし、あれは中身はB-3だが機体は隣国のものなんだぞ。どう判断すればいいんだ。どうすればっ!?)

 

 多門丸は、これはもう現場判断の域を超えたと判断した。

 

「司令ッ、指示を乞う!」

 

 海尾からの指示はすぐに下された。

 

『B-3を援護せよ!』

 

「ッ!? ――了解」

 

 その簡潔明瞭な指示に驚いたものの、多門丸は反射的に後部座席の操縦桿トリガーを引いた。

 

 それにより、待機状態にあった援護攻撃が実行に移された。

 

 彩雲改はECMを発動し、同時に迎撃ミサイルを発射。

 

 B-3を狙っていたミサイルは、命中十秒前で撃墜された。

 

 B-3は緩やかに針路を替え、彩雲改と合流。二機は編隊を組み帰投針路に着く。

 

 隣国の護衛戦闘機は追ってこなかった。

 

 おそらく彩雲改が居る限りB-3の撃墜は不可能と判断したのだろう。それにこれ以上の戦闘行為を続ければ帰投用の燃料が足りなくなる。

 

 多門丸は隣国の戦闘機が追撃してこない理由をそう考えた。

 

 事実、護衛戦闘機は針路を変え、彩雲改のレーダー範囲外へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 護衛戦闘機が遠ざかって行ったことは、RCLにより旗艦・日向に乗艦中の海尾にも伝わっていた。

 

 彼は状況がひと段落着いたのを確認し、微かに肩の力を抜いた。

 

 しかし、これはまだ目前の戦闘が終わったに過ぎないことを彼は認識していた。厄介なのはこれからだ。

 

 先ずは、帰投中のB-3と彩雲改をなんとかしなくては。

 

「日向、B-3と彩雲改を飛龍に着艦させる。彼女に受け入れ準備にかかるよう指示しておいてくれ」

 

「了解だ」

 

「それで大丈夫なの?」と叢雲が疑念を呈した。「あれはイミテーション・ゼロの機体なのよ。外交問題になるわ」

 

「外交問題というなら、あれが自らをB-3と宣言した時点でとっくに手遅れだ。いまさら取り繕ったところでどうにもならないさ。・・・そもそも現場で政治的判断ができるはずも無し、するべきでもない」

 

「あくまで交戦規定にのっとった判断という訳ね」

 

「そうだ」

 

「でも、前例がないわ。例えるならまるで機体を撃墜されたパイロットが、空中で敵機に飛び移って乗っ取ったようなものよ。こんなイレギュラーな事態なのに杓子定規な対応を続けていると、かえってややこしくならないかしら。あんたの立場だって危うくなるかもしれないのよ」

 

「なんだ、俺のことを心配してくれてたのか」

 

「先任秘書艦だもの。私まで巻き添えになりかねないわ」

 

「パートナー、相棒、運命共同体。そう言う意味に受け取っておこう」

 

「うるさい。で、まともな言い訳は用意してるの?」

 

「・・・経過はどうであれ、味方機の信号を出している機体が攻撃を受けていたんだ。それを援護するのは正当な行為だ。交戦規程にも明記されている。それを作ったのは上級司令部だし、それが口出ししてこない以上、我々は規則に従って動く義務がある。つまり、これで外交問題化するなら、それは交戦規程が悪いのであって、俺は悪くない。・・・これでどうだ?」

 

「責任逃れのお手本みたいなロジックね。悪くないわ。指揮官としては最悪な台詞だけど」

 

「お褒めにあずかり光栄だ」

 

「それにしても、なんか引っかかるわね」

 

「どの部分が?」

 

「上級司令部が口出ししてこなかったことよ。イミテーション・ゼロの存在には情報部が深くかかわっているんでしょ? またなにか企んでいるなら、この前の初霜の時みたいに、すぐに現場に干渉してくるはずよ」

 

「それもそうだな。そもそも情報部の企み抜きにしても、イミテーション・ゼロが出てきた時点で上級司令部がなんらかの指示を出してきてもよさそうなものなのに、それさえも無かったからな」

 

 何度も言うように、現場の状況はRCLで逐一、海軍総隊の艦隊司令部に伝わっている。

 

 そして司令部には参謀本部所属の上級参謀たちが交代で当直につき、24時間、常に待機していた。

 

 その当直参謀がよほど無能でもない限り、今回の事態は何らかのリアクションを起こしてしかるべきだった。それが一向に無いという事は・・・?

 

 海尾が思案に耽りそうになった時、これまで黙って聞いていた日向が、ぽつりと言った。

 

「正解だった、ということではないかな」

 

「どういう意味だ?」

 

「君が正しい対応をしたと上級司令部も判断しているのだろう。だから口を挟む必要がないんだ」

 

「本当にそうかしら」と叢雲。「逆に最悪の対応だったという可能性もあるわよ。全部、現場のせいにするために敢えてだんまりを決め込んでいるのかも」

 

 楽観的な日向と、悲観的な叢雲の意見を聞きながら、海尾は内心で、

 

(どうにでもなれ)

 

 と開き直っていた。

 

 最悪、叢雲の言う通りだとして、軍事法廷に引っ張られるかも知れないが、それでも銃殺刑にはならないはずだ。と高を括って、しかしクビにはなるかもしれないから、今の内に再就職先でも探しておくかと考え、仁淀に就職情報誌の準備を頼もうと思ったところで、日向が言った。

 

「お、上級司令部からお待ちかねの指示がきたぞ。・・・ふむ。喜べ、提督。どうやら私の予想が正しかったようだ」

 

「勿体ぶらずに早く報告してくれ」

 

「発・海軍総隊艦隊司令部、宛・南方警備艦隊司令、本文・“空中給油機を当該海域に派遣した。彩雲改及びB-3については空中給油を実施し、速やかに本島基地航空隊へと帰投させよ”終わり」

 

「着艦させずに直接かえせということか。わざわざ空中給油機まで派出するとは大事だな。・・・で、これのどこが俺への擁護になるんだ?」

 

「考えてもみろ。イミテーション・ゼロはオールコピーとはいえ隣国の機体だ。その給油口ぐらいはさすがに自分のところの規格に合わせてあるはずだろう。それなのに、上級司令部は迷うことなく空中給油をさせると言ってきているんだ。妙だと思わないか」

 

「そうか・・・そういうことか」

 

 規格の違う機体に給油を行う場合、機体ごとに給油口のアタッチメントを取り換えてやる必要があるが、当然、隣国の機体用のアタッチメントなど常時用意しているはずがない。

 

 もしも用意しているなら、つまり、こうなることを事前に予想していたということだ。

 

「上級司令部は初めからイミテーション・ゼロを奪う気だったということか。しかし、この状況は不測の事態もいいところだ。予測できるはずが・・・」

 

 そこまで言いかけ、海尾はハッとした。この不測の事態を予測していたモノがあるという事に気づいたのだ。

 

「彩雲改の、謎の予測プログラム・・・」

 

 これが既知の極秘プログラムだったとすれば、この事態を予想できたのもうなずける。

 

 本来、決して表ざたには出来ないはずのプログラムだったが、今回、多門丸大尉がたまたま同種のプログラムを考案し、その検証を行なおうとしたことによってその存在が露呈してしまったわけだ。

 

 だからこそ、B-3だけではなく彩雲改もまた速やかな帰投を求められているのだろう。

 

 しかし、ここまでの陰謀を企むなんて、危ういにも程がある。いったいどこのバカがこんなことを考えたのか。

 

「日向、命令文の本紙を表示してくれ」

 

「了解だ」

 

 多目的スクリーンに命令文が定型書類形式で表示される。そこには現在、艦隊司令部で指揮を執っている当直参謀のサインもあるはずだった。

 

 記名欄には手書きでこう書かれていた。

 

 

 

“紫吹 香名 BZ”

 

 

 

 香名。そう、あの「静かなるコウメイ」だ。しかもその後ろには書く必要のない「BZ」とまで書かれてあった。

 

 これは恐らく、旗流信号だ。相手への賞賛を示す信号である。

 

「ブラボー・ズールー」叢雲が吐き捨てるように呟いた。「“見事なり”とはね。あんた、あの女に相当気に入られているみたいね」

 

「・・・冗談にしちゃ性質が悪いぞ。叢雲」

 

「ふん」

 

 へそを曲げた叢雲に、海尾は微かにため息をついた。この前の初霜の件と言い、今回と言い、どうやら面倒な連中との関わりに巻き込まれてしまったようだ。

 

 

――出世のチャンスかもしれんのだぞ。もっと張り切ったらどうだ。

 

 

 ふと、あの会議で山賊の魔鈴からかけられた言葉が脳裏をよぎった。

 

 なにが出世だ。と海尾は反感を覚えた。

 

 こんな陰謀に巻き込まれ利用されるくらいなら軍事法廷でクビになったほうがまだマシだ。

 

 海尾は険しくなった目つきと、強張った表情を隠すかのように、制帽を目深にかぶり艦橋から外を眺め続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、遠く離れた海上で、隣国の護衛戦闘機が海面スレスレを低空飛行していた。

 

 その針路は隣国への帰投針路ではなく、B-3を追尾する方向である。

 

 護衛戦闘機は、一度帰投する振りをして彩雲改のレーダー圏内から出た後、高度を落とし、レーダーに探知され辛い低空飛行で再度、追撃を続行していたのだ。

 

 彩雲改は大出力パルスドップラーレーダーと、無人機のレーダーを統合して運用するマルチスタティックレーダーネットワークにより強力で広範囲な索敵能力を持っており、本来なら海面ギリギリの低空飛行であっても簡単に探知することが可能だ。

 

 しかし現在、配下の無人機は戦闘を終え先に帰投しているため、マルチスタティックレーダーネットワークは構築されていない。

 

 また、彩雲改自身の大出力パルスドップラ―レーダーは機首方向のみにしか効力を発揮しないため、後方からならば低空飛行で接近することが可能だ。

 

 護衛戦闘機のパイロットはそこまで見通したうえで追撃していた。

 

 だが、多門丸が予想したように、これ以上の追撃は帰投燃料に関わる。もうすでに基地へ引き返すどころか、隣国の領空へもたどり着けるかどうか怪しかった。

 

 しかし、パイロットにはもはや迷いは無かった。B-3を撃墜する。理不尽にも殺された仲間の仇を、討つ。

 

(この命に代えても、必ず、必ず殺してやるッ!)

 

 その執念が、怒りが、彼を突き動かしていた・・・

 

 

 

 

 

 

 

 


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