艦これ海上戦記譚~明け空告げる、海をゆく~   作:PlusⅨ

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注1:今回の投稿に合わせ、「第二十二話(1.5)」は前話に挿入いたしました。

注2:なんのこっちゃ分らんという方へ。前話に飛龍と仁淀の会話パートを挿入しました。

注3:作者はイベントクリアできず。ネルソンが酒豪キャラと知って物凄い後悔してる。(←本編とは何の関係もございません)


第二十二話・人工知能は多元宇宙の夢を見るか(2)

――空中給油を受けた後、彩雲改はB-3を護衛し本土の航空基地へ帰投せよ。

 

 多門丸たちの元へ下されたその命令は、現場指揮官である海尾を介さず、上級司令部から直接もたらされた。

 

『これより第二航空戦隊は、海軍総隊艦隊司令部の統制下となります。私は参謀の紫吹中佐です。よろしくお願いします』

 

「二航戦戦術管制官、多門丸大尉です。紫吹参謀、現在の状況は極めてイレギュラーな事態に思えます。可能なら、状況の説明していただけないでしょうか」

 

『あまり深く考える必要はありませんよ、大尉。あなたも知っての通り、B-3は自己保存のため深海棲艦の艦載機を乗っ取った。それだけです』

 

「その乗っ取った艦載機が、たまたまゼロ改と同じ構造を持つイミテーション・ゼロだったのは、大した問題ではない、と? 偶然にしては出来過ぎている。これは全て計画の内じゃないのか。現に、彩雲改はこれを予測していた」

 

『その話題については、ここで話すことでは無いですね。詳しく知りたければB-3を無事に基地へ帰投させることです。・・・もっとも、私としては今日の出来事について早く忘れてしまうことをお勧めしますが』

 

 まだ現役の飛行士として飛んで居たいでしょう?

 

 紫吹香名はささやくようにそう言って、通話は途切れた。

 

(これは忠告というより、まるで恫喝だな)

 

 多門丸がそんな思いを抱いていると、前席の加来が口を開いた。

 

「あれが噂の“静かなるコウメイ”か。天才軍師と呼ばれているだけあって胡散臭い女だな」

 

「胡散臭いのは同感だが、軍師が全てそうという訳じゃないだろう。偏見でもあるのか、お前?」

 

「天才だの智将だのって二つ名がついてる奴は、大概が悪役と相場が決まっているんだ」

 

「どこの相場だ」

 

「そんなことより、このまま大人しく指示通りにあの基地へ行くのか。あそこは海軍基地だが、情報部専属の戦術飛行偵察隊の駐留基地でもある。真相を教えてくれるかもしれんが、着陸した途端に拘束されて独房入りなんてこともありうるぜ」

 

「真相を知る代償が独房入りなら、安いかもしれん。悪くない」

 

「お前がそんな冗談を言うとはな。なあ、おい、冗談だよな?」

 

「コウメイはさっき“B-3は深海棲艦を乗っ取った”と言った。イミテーション・ゼロじゃない。初めから深海棲艦が狙いだったんだ」

 

「あの機体を手に入れるって意味では同じだろう?」

 

「いや、違う。あの機体は一瞬とはいえ確かに深海棲艦になったんだ。それをほぼ無傷で手に入れることが出来た。・・・この意味はとんでもなく大きいんだ」

 

「隣国の有人機を墜としまくったことよりもか。俺は衝撃を受けすぎて、これ以上の刺激はもう御免だ」

 

「思考を放棄するな、よく考えろ。この三十年間の戦いの中で、人類は初めて深海棲艦を鹵獲したんだぞ」

 

 多門丸にそう言われても、加来は何と答えたらいいのかわからなかった。

 

 深海棲艦よりも、もしかしたら自分たちが戦争の引き金を引いてしまったのではないか、という不安の方が大きかった。

 

 だからこそ、どこか興奮した様子さえ伺える多門丸に、少し苛ついた感情を抱いた。

 

「多門丸、そいつは確かにすごい事かも知れないけどな、あくまで結果論じゃないのか。いくらコウメイでも、たかが深海棲艦の艦載機一機を手に入れるためだけに、隣国と戦争を引き起こす危険を冒すと思うか? だいたいゼロ改をハッキングさせたけりゃ、そのままウチのゼロ改を囮に使えば済む話じゃないか」

 

「我が国は深海棲艦と真っ向から対立している。囮を用意しても警戒されるだけだ。しかし、隣国は最初期に深海棲艦に敗北して以来、戦闘らしい行為はほとんどない」

 

「そりゃ、ずっと沿岸部に張り付いて沖には出てこなかったからな。勝手に出てくる漁船の保護はウチに丸投げしてる有様だ。・・・おい、深海棲艦がウチの国と隣国を区別しているとか言う気じゃないだろうな」

 

「隣国の沿岸部が襲われたという話を聞いたことがあるか?」

 

「・・・無いな」

 

 深海棲艦は、何故か大陸の沿岸部を襲わない。そういうものだと思ってい居たが、よく考えてみれば根拠は特に無い。

 

 それに比べて、我が国に対しては、陸上の軍事施設への襲撃は普通に行なわれていた。現につい最近も、南方警備艦隊が母港とする鎮守府が空襲を受けたばかりだ。

 

「もしかすると」と、多門丸。「深海棲艦は意図的に隣国を避けていたんじゃないのか。いや、むしろ何らかの繋がりさえあるんじゃないのか。そうでなければ、いくらコピー機とはいえゼロ改がああも簡単にハッキングされるとは思えない」

 

「多門丸、妄想も大概にしとけ。いくらなんでも飛躍しすぎだ」

 

「しかし――」

 

「――頼むから、それ以上何も言うな。常識から考えて有り得る訳がないんだ。だけどな・・・この出撃で、俺の中の常識って奴がぶっ壊れつつある気がするんだ。それこそ何が起きてもおかしくない気になっちまっている。なあ、お前も同じなんだろう?」

 

「・・・・・・」

 

「お前の言ってる話は、ある種の被害妄想だぜ。最悪の予想って奴さ。もしそれが事実なら、それに気づいた俺たちは独房入りどころか口封じに銃殺されてもおかしくないレベルだ」

 

「・・・すまない、俺も冷静さを欠いていたようだ」

 

「ああ。わかってくれたなら、それでいい」

 

 口ではそう言って多門丸をいさめたものの、加来の心内では不安はさらに大きくなっていた。

 

 多門丸の言う事は信じていなかったが、しかし全てを否定することは出来なかった。

 

 そして、その否定できない部分がもし事実だったとすれば、それは自分たちを独房に入れるには充分なくらいの不都合な真実だろうという気がした。

 

 そうだとすれば、あのコウメイの忘れた方が良い、というささやきは、やはり忠告として素直に受け止めた方が身のためかもしれない。加来はそう思った。

 

 真実などよりも、家族のもとへ無事に帰ることの方が重要だ。それこそが、加来にとっての唯一の真実だった。

 

 そんなことを考えていると、やがて、前方に空中給油機の機影が見えてきた。

 

 空中給油機は文字通り、空中で他の航空機に燃料を給油する能力を持った、いわば“空飛ぶタンカー”だ。その機体は民間の大型旅客機を元に再設計したものであり、そのため膨大な積載量と長大な航続能力を併せ持つが、その代わり戦闘能力はほぼ皆無である。

 

 防御能力もほぼ無いため、もし戦闘に巻き込まれてしまったなら、わずかな被害がそのまま致命傷になりかねなかった。

 

 また、機動性も鈍重なため、給油の際は、空中給油機“タンカー”が決められたコースを飛びながら給油用ホースを後方に伸ばし、給油を受ける側である受油機がそのホースを目指して飛行し、自らの給油口にその先端を差し込んで行われる。

 

 まさしく針穴に糸を通すような精密なコントロールが必要とされる行為だ。パイロットにとって空中給油は、空母への着艦並に高度な技術だった。

 

「タンカーを視認した。多門丸、通信設定はもう行ったのか」

 

「いや、やっていない」

 

「まだなのか? 忘れるなんてお前らしくないな」

 

 加来は呆れたようにそう言った。

 

 本来ならレーダーで探知した時点でお互いにデータリンクを行い、綿密な連携を取らなくてはならないのに、まだ通信さえ繋げていないというのはあり得なかった。

 

 しかし、多門丸はこう言い返した。

 

「忘れたわけじゃない。する必要が無かったんだ」

 

「は?」

 

「イミテーション・ゼロが・・・いや、B-3が先にタンカーとデータリンクを始めたんだ。俺が指示する前にな」

 

「勝手にやったってのか」

 

「そう、勝手にだ。あれはもう俺の指揮下に無いんだ。コウメイから、B-3を司令部直轄部隊に引き抜いたという命令が出た。ついさっきだ」

 

 多門丸がその命令書を、前席のディスプレイにも表示させた。

 

 司令部直轄とするという文面以外に、“彩雲改はB-3を護衛せよ”という命令も明文化されていた。

 

 コウメイ自身もそう言ったが、しかし、こうして文字として固定されると、その言葉の重さがさらに増したように感じられた。

 

 実際、この命令の意味はかなり重い。

 

 軍人にとって「護衛せよ」という命令は、すなわち「命懸けで守り抜け」という意味だ。最悪の場合、自身を盾にしてでも護衛対象を守らなくてはならない。

 

 そして今、その守るべきモノは、無人機であるB-3だ。

 

 無人機を、有人機が命を懸けて守るのだ。

 

 この当然のようでいて、命の価値を無視したような命令に、加来は一瞬カッとなった。

 

(人命を何だと思っていやがる!)

 

 そんな、人間として至極当然な反感が沸いた一方で、

 

(・・・しかし、B-3の重要性を鑑みれば仕方ないかもな)

 

 軍人として鍛えられた理性が、その感情を抑え込んだ。

 

「B-3がタンカーに接近する」と、多門丸。「加来、B-3の後方、援護ポジションに占位してくれ」

 

「わかった」

 

 心内に葛藤を秘めながら、加来は彩雲改をB-3の左斜め後方へ移動させた。

 

 空中給油機の左翼側からはホースが伸ばされ、B-3はその先端めがけ機体を徐々に前進させていく。

 

 なおイミテーション・ゼロの給油口は機体上部側、背面にあった。ゼロ改と同じ位置だ。オールコピー機だから当然のように思えるが、給油システムは国やメーカーごとに微妙に違うため、本当なら隣国に合わせた仕様になっているべきだ。

 

 しかし、これにほとんど違いが無いということは、給油システム的には、隣国も我が国もほとんど違いがない事を現していた。

 

 一般的に軍事に関わるシステムや技術は機密情報のため、親しい同盟国でも共有はされないものだが、人間の発想というのはどこも同じと見えて、意外と似たり寄ったりなモノを作ってしまうことが多い。

 

 特に軍事技術というのは合理化を極限まで突き詰めていく都合上、空中給油のような限定された環境下のシステムはどこの国もほぼ同じような形に落ち着いていた。

 

 そのためB-3も元々のゼロ改のプログラムをほとんど変更することなく空中給油に臨むことが出来ているはずだった。

 

 もしこれが深海棲艦の艦載機を乗っ取ったのだとしたら、機体構造があまりにも違い過ぎるために、空中給油どころか飛行制御システムそのものを全く違うものに書き換える必要があっただろう。そもそもそれ以前に乗っ取ることができるとは思えないが。

 

(いや、待てよ)

 

 そうなると、深海棲艦がイミテーション・ゼロを乗っ取ることが出来たのは、どういう理屈だろう? そんな些細な疑問が思い浮かんだ。

 

「なぁ多門丸。深海棲艦は本当にイミテーション・ゼロを乗っ取ったのか? アレが僚機を犠牲にしてミサイルを回避したから、まるで深海棲艦のように見えただけで、本当はただAIが暴走しただけっていう可能性は無いのか?」

 

「それは俺もずっと考えていた。正直、ここで確かめる方法は無いんだ。基地に帰ってコンピュータのデータを精密に分析してハッキングの痕跡を見つけるしかない」

 

 だが、と多門丸は続けた。

 

「イミテーション・ゼロが深海棲艦との戦闘以降、制御不能な状態に陥ったのは確かだ。でなけりゃ僚機を犠牲にしてまで自らを守るようなことはしない。・・・結局、あれの正体が何か、何を考えているのかというのは、外部から行動を観察して、その内面を推察する以外に無いんだ」

 

「まるで野生動物みたいなものだな。次に何をしでかすか分かったもんじゃない。なぁ、B-3にはまだ首輪は付いているよな?」

 

「もう俺の指揮下じゃない。新しい飼い主はコウメイだ。あの女がどんな命令を下したかを俺たちに通報してくれない限り、B-3がどう動くかなんて全く予想がつかない」

 

「B-3には元上司への情くらい無いものかね。お前が手塩にかけて育てた教え子だろう」

 

「そんな情緒面は教えていなかった。その機能さえ持っていないからな」

 

「対人インターフェイス用のAIでも組み込むべきだったな。仁淀だっけか。あれぐらい可愛げがあればなぁ」

 

「B-3も仁淀も、AIの構造自体は同じなんだ。ただ用途と、そして機体構造が違うに過ぎない。仁淀をゼロ改に組み込んだところで、その機体構造に合わせて最適化されるだけだ」

 

「AIってのは、そんなにも融通が利くのか?」

 

「利く。今のAIは自らプログラムを生成し、周囲の環境に適応していくんだ」

 

「そう言うのはエヴァレットAIだけの特徴かと思っていたぜ」

 

「エヴァレットAIは、この世界には存在しないデータを生成するから特別なんだ。引き換えに既存のデータが消え去るがな。それが“忘却とひらめきを可能とするAI”と呼ばれる由縁だ」

 

「ふうん」

 

 そう言う事なら、と加来は思う。深海棲艦が機体構造の全く違うイミテーション・ゼロを乗っ取れたことにも説明がつく。多門丸は深海棲艦がAIに似た知能を持っているかもしれないと言っていたから、きっとAIと同じように適応能力もあるという事なのだろう。

 

 しかし、深海棲艦がAIと似ているというなら、そのまた逆もしかりだ。

 

(よくよく考えてみれば、俺たちは深海棲艦並に訳の分からないシロモノを兵器として使っている訳だ)

 

 この彩雲改にもAIが搭載されている。それもゼロ改よりも高性能なスーパ―コンピュータを母体とする強力なAIだ。加来は自分が、野生動物の背にまたがっている気分になった。

 

 今はまだ手綱を握ったつもりでいるが、その内面には人間が御しきれない“何か”が潜んでいるように加来には感じられた。

 

 そんなことを考えている内に、彩雲改の前方では、B-3が給油ホースを接続し、給油を開始していた。

 

 給油中は、ほぼ直進飛行しかできないため、もっとも危険な時間帯だった。彩雲改はレーダーを使用し360度全周警戒を行う。

 

 しかし、今は他の無人機がいないため、マルチスタティックレーダーネットワークが形成できない。そのため、機体真後ろ方向、特に低空から進入してくる目標を捕捉することが難しかった。

 

 だが、そんな限定された弱点を突くことが出来るのは、それこそパイロットの中でも一、二を争うようなトップエース級だけである。常識で考えればまず不可能な真似だ。

 

 だが、しかし。

 

 常識など、そんなものは幾らでも覆され、壊されてしまうものだという事を、加来は忘れていた。

 

 突然、コックピットに甲高い警報が鳴り響いた。ディスプレイに“後方から高速小型目標が接近中”と表示されたとき、加来は思わず、

 

(――バカなッ、有り得ない!?)

 

 そう叫びそうになった。

 

 彩雲改AIがミサイルの接近を告げた。数は三発。

 

 誘導用のシーカー波から、それが隣国が使用するミサイルであることが判明する。あの護衛戦闘機から放たれたものだ。

 

 トップエース級のパイロットが、帰投をも諦めて、命がけで神業的な低空飛行で接近し、攻撃を仕掛けてきたのだ。

 

【10 sec left to hit】

 

 命中まで残り十秒とAIが告げる。

 

【BREAK STARBOARD】

 

 右へ回避せよ、というAIからの上申に従い、加来は反射的に機体を右旋回させた。

 

 その瞬間、後席から多門丸が叫んだ。

 

「違う、左だ。ブレイク ポート!」

 

「ッ!?」

 

 加来が自らの過ち――いや、彩雲改AIによる意図的なミスに気が付いたのは、ミサイル警報が鳴り響いてからだった。

 

 そう、ミサイルそのものは、最初は彩雲改を狙っていなかったのだ。狙われたのは給油中のB-3だ。

 

 加来が最初に聴いた警報は、B-3からの援護要請だったのだ。それを受けて彩雲改は、あえてミサイルの方向へ回避するコースを加来に示した。

 

 その意図は明白だ。身動きの取れないB-3を守るため、自らが囮となってミサイルを引き付けようとしたのだ。

 

「くそったれAIめ! どいつもこいつも人を勝手に盾にしやがって!」

 

 ミサイルはAIの思惑通り彩雲改に標的を替えたようだ。

 

 加来はすぐさまバレルロールを行いながらフレアの射出スイッチを作動。数十発の熱源がまばゆい光と白煙を放ちながら機体後方に連続して射出された。

 

 だがミサイルはそれに欺瞞されることなく、彩雲改の軌道を追ってくる。複合センサーを使用した高知性型ミサイルだ。

 

 加来は引き続きチャフを発射。そのまま機体を急ロールさせ背面降下。急降下により一気に加速する。

 

 そのまま背面宙返りから、アフターバーナー点火、機首を上げ旋回上昇、すさまじい加速Gに目の前が暗くなる。ブラックアウトによる気絶を必死にこらえながら、加来は回避機動を続けた。

 

 ミサイル三発の内、一発を振り切ることに成功した。だが残る二発はしつこく食らいついてくる。このままでは振り切れない。

 

「脱出する!」

 

 加来は拳を上げ、射出座席による脱出を多門丸に示した。射出コントロールレバーの位置を確認する。フライトオフィサコマンド位置にある。この状態でシート上部のフェイスカーテンレバーを引けば両席とも射出される。

 

 射出ライト点灯を確認、加来は頭上のフェイスカーテンハンドルを引いた。

 

 本来なら即座にキャノピーが接続部を点火スイッチによって破壊され、強制排除、間をおかずにシートのカタパルトガンにも点火し機外へ射出されるはずだった。

 

【BAILOUT ERROR】

 

 両席に表示されたその文字に、二人は目を疑った。脱出装置はパイロットにとって最後の命綱だ。常に念入りに整備され、出撃前の確認も欠かさない。それがまさかの故障だと言うのだ。

 

 多門丸は一瞬、AIによる干渉を疑ったが、しかし脱出装置は単純な機械式構造であるためプログラムの介在は出来ないはずだ。考えられるとすれば、脱出装置全体の回路への電源供給がカットされ、キャノピー破棄を始めとした点火プラグが作動できなかった可能性がある。パイロット安全のため、キャノピー破棄と射出座席は常に連動していた。

 

 多門丸はキャノピーを排除するため、開閉装置のボタンを押す。わずかでもキャノピーが持ち上がれば後は空気抵抗によって外れるはずだ。しかし、これも作動しなかった。

 

 最終手段としてキャノピーを突き破って脱出も可能だが、射出シートのカタパルトは作動しなかった。

 

 やはり開閉装置を含む脱出装置全体の電源がカットされているのだ。これはAIの仕業だと多門丸は確信した。

 

(彩雲改は俺たちを逃がすまいとしているのか。自分自身が生き延びるために・・・ッ!?)

 

 死んでも振り切れ、と人間に訴えているのだ。もはや彩雲改AIはただの道具ではない。必要とあらば人間を道具として利用する自律存在だ。

 

(深海棲艦は・・・AIは・・・人類の予想をとっくに超えているのか・・・!?)

 

 多門丸が戦慄する一方で、加来はそんなことを考えている余裕は無かった。

 

 彼は脱出不可能と知るや否や、生き延びるための残る手段を必死で模索した。フレアもチャフも通じない、回避機動でも振り切れない。

 

【3 sec left to hit】命中まで残り三秒。

 

 加来は一か八かの賭けを決意した。

 

 FCSをガン自動迎撃モードに切り替え、機首方向に目標が入った瞬間に自動的に発砲されるようにすると同時に、フライトコントロールをマニュアルに切り替える。推力変更ノズル最大仰角、フラップ最大。

 

「大Gに備えろ!」

 

 加来の言葉に、多門丸は即座にシートに身体を密着させて全身に力を込めた。すぐに、これまでに経験したことが無いようなベクトルの凄まじい旋回Gが襲い掛かった。

 

 彩雲改は前身飛行のまま急激に機首を上げ、そのまま背後へと引っ繰り返った。クルビットだ。真後ろから接近するミサイルをガンカメラに捉え、FCSがすぐさま機銃を発砲、数分の一秒で数十発を放ち、最も接近していたミサイルを撃墜する。

 

 ミサイルは命中〇.八秒前で爆発、最後の一発がその爆発に飛び込み、同じく爆発。その衝撃波と破片が彩雲改に襲い掛かったが、破壊半径のぎりぎり外に居たため何とか致命傷だけは免れた。

 

 その場で一八〇度反転した彩雲改はそのまま失速し、スピンしながら落下する。その機上で、加来は力を振り絞ってフライトコントローラをオートに切り替えた。彩雲改の飛行制御機能が回復し、高度1000メートルで水平飛行に復帰した。

 

「おい多門丸・・・生きてるか・・・」

 

 後席で多門丸がマスクを外しながら答えた。

 

「なんとかな。しかしマスクに吐き戻してしまった。こんなのは新人以来だ。・・・ゼロ改がやってみせたクルビットか。まさか本当にやってのけるとは思わなかった」

 

「やろうと思えば・・・できる・・・そう言ったよな・・・」

 

「ああ、大したものだ。お前は最高のファイターパイロットだよ」

 

「はは・・・」

 

 加来は力なく笑い、そして激しくむせ返った。咄嗟に外したマスクからどす黒い血がこぼれ落ちた。

 

「加来ッ!?」

 

「・・・しくじったな。大G旋回による内臓破裂ってところかな。おまけ太ももに破片をくらったみたいだ」

 

 出血が激しい。既に左太ももから足元にかけて、流れ出た血でフライトスーツがどす黒く染まっていた。加来は視界がかすむ中、フライトスーツにつけられた耐G機能を調節した。

 

 フライトスーツにはブラックアウトを防ぐため、Gに従ってパイロットの身体を締め付け血液の逆流を防ぐ機能が付いている。加来は左ふとももの動脈への締め付けを強化し、簡易的な止血処置とした。

 

 しかし出血量が多く、既に意識は朦朧としていた。一瞬、加来の意識が落ち、その頭ががくりと垂れた。

 

「加来ッ、おい、死ぬな! 加来ッ!」

 

 多門丸の呼びかけに、項垂れていた頭がハッと持ち上げられた。

 

「はは・・・多門丸、大げさだな・・・」

 

「強がりはやめてくれ。明らかに息遣いが荒い。緊急事態だ、操縦を替わるぞ。アイハヴコントロール」

 

「ユー・・・ハヴ・・・」

 

 多門丸が操縦かんを握ったが、その操作感覚から、すぐに彩雲改が極めて大きなダメージを負っていることを知った。

 

 垂直尾翼と水平尾翼のそれぞれ片方が脱落している上、主翼も一部が損傷していた。飛行状態を維持するのがやっとの状態だ。失速状態から立て直せたのは奇跡に近い。

 

 多門丸はエマージェンシーコールを発信、緊急着艦のため飛龍への帰投針路を取る。

 

「加来、がんばれ、もう少しだからな」

 

 加来からの返事は無かった。その頭が再び項垂れていた。気を失っているだけだと多門丸は信じたかった。

 

「必ず生きて帰るぞ、必ずだ!」

 

 その叫びに呼応するかのように彩雲改AIは飛龍への帰投コースを示し、ナビゲーションを開始した。

 

 

 

 

 

 

 護衛戦闘機のパイロットは、B-3への攻撃が失敗したことを知り、一瞬、呆気にとられた。

 

 まさか有人機が、無人機をかばってミサイルを引き付けるとは思わなかった。

 

 彩雲改が囮になっている間に、B-3は空中給油を中断し、離脱、そのまま逃げ去ってしまった。護衛戦闘機パイロットは最初、B-3を追おうとしたが、すぐにそれを諦めた。

 

 もう燃料がほとんど残っていなかった。その状態ではどうしたって追いつけるはずがない。

 

 それに・・・無人機を墜としたところで、殺された仲間たちが浮かばれるだろうか。そんな想いがパイロットの胸に浮かんだ。

 

(人の命は、人の命で贖うべきだ)

 

 空中給油機がよたよたと必死に逃げようとしていたが、彼はそれには見向きもしなかった。祖国への帰投を諦め、死を覚悟でここまで来たのだ。それに相応しい代償を奴らに払わせなければならない。

 

 パイロットは機体の針路を変更し、飛龍へと向けた。もうミサイルは撃ち尽くし、残っているのは機銃のみだ。

 

(チャンスは一度きり。狙うのは着艦寸前。ここしかない)

 

 ぶつけてでも殺してやる。パイロットは固くそう誓った。

 

 

 

 

 

 

 エマージェンシーコールを受け、飛龍は二十一駆とともに全速力で海上を駆け抜けていた。彩雲改もこちらへ向かっているが、それでも少しでも早く合流するためだ。

 

 向かっている間にも、飛龍は緊急着艦に備え抜かりなく準備を行っていた。先に着艦したゼロ改は全て格納庫に収められ、甲板上には機体の炎上に備えた消火チームと、加来の負傷の報を受けて救護チームがストレッチャーを用意して待機している。

 

 さらに負傷者搬送のため、日向に着艦していたSTOVLが既に飛龍へと移動していた。

 

 その飛龍を護衛するため、二十一駆の三隻は輪形陣を敷いて周囲の警戒に当たっていた。

 

 その旗艦である霞に、海尾から通信が入った。

 

『彩雲改を襲った隣国の戦闘機は再び姿を消した。しかし航続距離から考えれば、帰投はまず無理だ。あきらめて海上に不時着することも考えられるが、しかし、そうでなければ・・・』

 

 ディスプレイの向こうで、海尾は一瞬、言葉を濁した。

 

 霞は、その言わんとしていることを察した。

 

「・・・そうでなければ、相打ち覚悟でまた襲ってくるってことね」

 

『そうだ』

 

「で、その場合はどうするの? 今さら警告して退いてくれる相手でもないでしょ?」

 

 霞はそう問いかけながらも、既に腹を決めていた。だから、これは指示を請うているのではなく、指揮官の覚悟を問うているのだ。

 

『発砲を許可する』海尾は間髪入れずに答えた。『彩雲改を含む我が部隊の防護のため武器の無制限使用を許可する。警告、威嚇射撃は危険が差し迫っている場合、省略を許可する。その判断は霞、君に委任する』

 

「二十一駆旗艦・霞、了解したわ」

 

 霞は敬礼、通信を終了する。

 

 霞は、仲間の二人と通信を繋げた。

 

「朝霜、初霜、指示については聞いていたわね」

 

 霞の問いに、二人のアイコンドールが頷いた。

 

 霞は指示を下す。

 

「第二十一駆逐隊、対空戦闘用意! ステータス、エアーワーニングレッド、ウェポンズタイト。以後、各艦の識別コードを旗艦:K(キロ)、朝霜:A(アルファ)、初霜:H(ホテル)とする!」

 

「アルファ」

 

「ホテル」

 

 二人はコードのみを返信し、了解の意を伝えた。

 

 対空戦闘は時間との戦いだ。高速で飛来する目標を迎撃するには、通信にかかるわずかな時間さえ短縮する必要がある。

 

「いい、二人とも・・・ためらっちゃダメよ」

 

 コンマ数秒でも躊躇えば、それが命取りとなる。そんなことは実戦を潜り抜けてきた彼女たちにとっては言うまでもない事だった。しかし、霞はそれでも言わずにおられなかった。

 

 撃つ相手は深海棲艦ではなく、人間なのだ。

 

「アルファ」

 

「ホテル」

 

 仲間二人からの返信はすぐに返ってきた。感情を感じる余地も無い簡潔なものだが、二人も同じく覚悟を決めていることが、霞にもわかった。

 

 その霞の対空レーダーが目標を探知する。SIFを受信、味方だ。

 

「彩雲改をレーダー探知。全艦、対空警戒を厳となせ。――絶対に守るわよ!」

 

 彩雲改の距離が近づいたことで、飛龍と二十一駆は針路を風上へ向けた。そのまま向かい風を最大限に利用するため、全速力で航行を続ける。

 

 飛龍は彩雲改へ呼び掛けた。

 

「イーグルアイ、ワイバーン。本艦の針路350度、速力33ノット、相対風は艦首から50ノット、飛行甲板クリア。緊急着艦準備よし、進入差し支えなし!」

 

『イーグルアイ、ラジャーブレイク。当機は損傷が激しい。右エンジン停止、現在は左エンジンのみで飛行中だが、こちらもいつ止まるか分からない状態だ。再進入は出来ない。火災防止のため余分な燃料は投棄する。着艦は一度きりだ』

 

「ワイバーン、ラジャー。バリアネットを展開する』

 

 飛龍は焦燥感を必死に抑えながら返信した。冷静になれ、と自分に言い聞かす。訓練で何度も繰り返してきた事を淡々と行うだけだ。それだけだ、と。

 

 それでも全身に冷や汗が浮かび、両手の拳は無意識のうちに固く握りしめられ、力を込めすぎて白くなっていた。

 

(お願い、多門丸・・・死なないで・・・!)

 

 マニュアル通りに緊急着艦に備える傍ら、思い浮かぶのはそればかりだ。こんなにも不安を感じたのは生まれて初めてだった。これが多門丸でなければもっと冷静になれたのに、と彼女はふと思い、すぐに振り捨てた。

 

 これじゃ、まるで他の人間なら死んでも構わないと思っているようなものだ。

 

 飛龍はそれ以上深く考えるのを止め、ただ多門丸の無事を祈りながら、自分のすべきことをし続けた。

 

 飛行甲板前部側にバリアネットが立ち上がり、着艦準備はすべて完了する。彩雲改とデータリンクを開始。

 

 彩雲改では、多門丸が必死に機体を操っていた。前席と違い、後席では前方正面の視界がほとんどない。特に着艦に一番気になる前方下方は完全に死角になっていた。そのため後席による操縦の際は外部カメラによる映像をヘルメットバイザーに投影して視界を補うのだが、ミサイル爆発のダメージによってそのカメラさえも壊れていた。

 

 そうなれば頼りになるのは飛龍からの着艦誘導のみだが、しかし・・・

 

 ディスプレイに表示されていた飛龍への着艦コースが、突然消失した。

 

「ワイバーン、イーグルアイ。データリンクが切れた。アンテナの不調だ。ボイスでの誘導を頼む」

 

『えっ、嘘、――あ、ワイバーン、ラジャー! 現在20キロゲート通過、針路速力そのまま』

 

「イーグルアイ、ラジャー。飛龍、君に命を預ける。・・・だけど、死んでも文句は言わないよ」

 

『ちょっと、急にそんな縁起の悪い事を言わないでよ!?』

 

「わかった。じゃあ化けて出る。君が寂しがらないようにな」

 

『こんな時に冗談止めてよぉ。らしくないよ、多門丸、どうしたの?』

 

「加来ならこんな時、軽口を叩くと思ったんだ。口から先に生まれたみたいなアイツが黙りっぱなしなのは、正直、きつい」

 

『あのさ、加来っち、もう死んでたりしない? 大丈夫?』

 

「まだ生きてる。多分な」

 

「おい・・・多分て、ひどいな」

 

 前席で加来が身じろぎした。

 

「気が付いたか」

 

「三途の川を渡りかけていたけどな・・・お前の冗談が寒すぎてツッコミに戻ってきたんだよ。・・・で、なんだっけ?」

 

「何でも無いから気にするな。お前は大人しくしていろ。もうすぐ着艦だ」

 

「それを聞いたら余計に気になってきた。おい、もう飛龍ちゃんが見えてるじゃないか。高度が高すぎる。少し下げろ」

 

『10キロゲート通過、針路そのまま、高度300まで下げ』

 

「ほおら・・・飛龍ちゃんもそう言ってるだろ・・・」

 

「お前はちょっと黙ってろ」

 

「俺がいないと寂しいって言ってなかったか・・・?」

 

「空耳だ。言ってない」

 

『加来っちが黙ってるとキツイって言ってたよ』と飛龍。

 

「言ってたんじゃねえか」

 

 加来が笑って、そして激しく咳き込んだ。

 

「だからお前は黙ってろ。着艦前に死ぬぞ!?」

 

「わかった・・・お前と、飛龍ちゃんを信じるよ・・・」

 

 彩雲改は飛龍の後方を続行する朝霜の頭上を通過。

 

『イーグルアイ、ワイバーン。降下を開始せよ。降下速度、毎秒18メートル』

 

「イーグルアイ、ラジャー」

 

 彩雲改はギア-ダウン、フラップ‐ダウン、アレスティングフック‐ダウン。空気抵抗が増し、速度と高度が落ち始める。

 

『降下が早いよ。出力アップ、機首上げ』

 

 飛龍の指示により多門丸は操縦かんを引き、スロットルレバーをわずかに押す。本当なら目の前には飛龍の飛行甲板が迫っているはずだが、後席からはほとんど何も見えなかった。これは目隠し飛行と一緒だった。

 

『いいよ、進入角度適正、そのまま、そのまま・・・』

 

 飛龍の声だけを頼りに操縦かんを戻していく。

 

 その時だった。コクピットに警報音が鳴り響いた。飛龍との衝突警報かとも思ったが、違う。

 

 左からだ。西の方角。

 

 海面スレスレから現れた戦闘機が急上昇し、彩雲改めがけ接近を開始していた。

 

 最初にその存在を探知したのは、飛龍の左側に位置していた初霜だった。

 

 対空レーダーを掻い潜る超低空飛行の目標を、彼女は動体検知器によって捕捉した。

 

「目標探知!」初霜は即座に報告した。「250度、距離2万、まっすぐ突っ込んでくる!」

 

 動体検知器の探知範囲は対空レーダーに比べかなり狭い。彩雲改が機銃の射程に入るまでもう十秒もなかった。

 

 報告を受けた霞はすぐにこの目標を敵機と認定し、トラックナンバーを付与、命令を下す。

 

「キルオーダー! ホテル‐キル、アルファ‐カバー!」

 

「ホテル!」

 

「アルファ!」

 

 撃墜命令、攻撃艦は初霜、朝霜はそれを支援せよ。

 

 初霜が了解を返した時、戦闘機は急上昇、その頭上を飛び越えようとしていた。

 

「デジグFCS‐1、アサインマウント――」

 

 船体とリンクした初霜の目が戦闘機を捉え、伸ばした腕に主砲が連動して狙いを定める。

 

 指先に疑似トリガーの感触。

 

「――射ち方始め!」

 

 発砲。12.7ミリ対空砲弾が連射された。毎秒一発、三発目が発砲されたとき、初弾が戦闘機の至近距離で爆発、その片翼を吹き飛ばした。

 

 戦闘機は、今まさに彩雲改を照準に捉え、機銃を発砲しようとしたところだった。

 

 そこへ衝撃、片翼を失ったことで機体は安定を失い、照準が外れた。

 

(ここまでか!)

 

 最期にせめて機体をぶつけてやろうと思ったが、彩雲改は高度をわずかに下げて戦闘機を避けた。戦闘機は海面へ向けて墜ちていく。

 

(復讐はならなかったか。だが、充分やった)

 

 パイロットは脱出レバーに手を懸けながら思った。

 

(奴らに思い知らせてやった。見たか、これが俺の意地だ!)

 

 そう、人間は、人間相手に戦うからこそ、そこに意味を見いだせるのだ。パイロットは死を覚悟しつつ、同時に満足感を覚えながら脱出レバーを引いた。

 

 

 

 

 

 

 隣国戦闘機が彩雲改に接近したとき、多門丸はとっさに機首を下げて、それを避けた。

 

 しかし衝突は避けられたものの、着艦に必要な高度が足りなくなっていた。

 

 コクピットに前方衝突警報が鳴り響く。このままでは飛行甲板に達する前に高度が下がり、飛龍の艦尾に激突する。

 

 多門丸はすぐさま操縦かんを引き、スロットルを押し出す。しかし機種は上がったが、出力が上がらない。

 

 不調だったエンジンがついに停止した。彩雲改は滑空状態で飛龍に突っ込んでいく。

 

 多門丸が死を覚悟した、その時、

 

『機首上げそのまま。大丈夫、多門丸は、私が受け止めてあげるから!』

 

 飛龍は機関停止、すかさず後進一杯をかけて速力を一気に落とした。それはほとんど急ブレーキに近かった。

 

 彩雲改との相対距離が縮まり、機体は艦尾に突っ込む前に飛行甲板に達した。

 

 後部ギアが甲板に接地、アレスティングフックがワイヤーを捉え、機体に急制動を懸ける。機首が下がり、前部ギアも接地、速力ゼロ。

 

 着艦成功。

 

 コクピットが静けさに包まれた。が、それもすぐに消火チームが駆けつけてきたことによって破られた。バックミラーで後方を確認すると、エンジンブロックから真っ白な煙がもうもうと上がっていた。

 

 メンテ妖精たちが消火ホースを構え、大量の泡消火剤をエンジンブロックめがけ浴びせかける。

 

 多門丸がキャノピー開閉スイッチを押すと、キャノピーは問題なく開放された。もう乗員を拘束する必要は無いとAIが判断したのだろう。

 

「現金なやつめ」

 

 思わずそう呟いた一方で、彩雲改も必死だったのだと思い直した。見捨てないでくれ、と必死にしがみついていたのだ。それは道具としては危険極まりないが、一個の自律存在としてみるなら理解はできる気がした。

 

 多門丸はコンソールを撫でるように手を置いた。

 

「ここまでよく耐えてくれたな。・・・ありがとう」

 

 それに応えるように、ディスプレイに【MISSION COMPLETE】の文字が表示された。

 

 多門丸はハーネスを外し、席から立ち上がって前席に身を乗り出した。

 

「加来、起きろ。降りるぞ」

 

「・・・降りるって、どこへだ。・・・ああ、地獄へか」

 

「寝惚けたことを言うな。着艦成功だ」

 

「知ってるよ。まったく、ひでえ着艦だった。基地に帰ったらシミュレーター百回やり直せ」

 

「わかった、わかった。ほら、救護班が来たぞ。ハーネスを外せ」

 

 数体の妖精たちがコクピットへよじ登り、加来の身体を機外へと降ろした。そのままストレッチャーに乗せる。

 

 その時、アイランドのドアが開かれ、飛龍が飛行甲板に姿を現した。

 

「多門丸、加来っち!」

 

 飛龍がストレッチャーに駆け寄る。

 

「ねえ大丈夫、ちゃんと生きてるよね?」

 

「いや、死んだな。だって、ほら、目の前に天使がいる」

 

「あのね、そういうセリフは家族に言ってあげなよ? 奥さん泣かしたら、めっ、だからね?」

 

「はは、そうだな」

 

 加来はそのまま、STOVLに運ばれていった。

 

 多門丸もそれを見送りながら機体を降りる。すぐに飛龍が駆け寄ってきた。

 

「飛龍――」

 

 助かったよ、ありがとう。そう礼を言う前に、彼女に飛びかかられ、唇を塞がれた。

 

「!?!?!?」

 

 固く抱きしめられ、身動きが取れないままキスされて数秒。

 

 ようやく唇を離されたとき、多門丸は混乱と酸欠で目を白黒させた。飛龍も酸欠気味になったのだろう、赤い顔で涙目になって息を喘がしていた。

 

「え、えと、飛龍?」

 

「うぁ――」

 

「?」

 

 飛龍の瞳から大粒の涙がボロボロと零れた。

 

「――うわあぁぁああぁん!!!」

 

「わっ!?」

 

 飛龍は大口を開けて泣きわめきながら、多門丸の胸に顔を埋めた。

 

「たもんまりゅぅぅ、いぎでてよがったよぉぉ、あだじ、ごわかった、こわかったよぉぉ!!!」

 

 子供のように泣きじゃくりながら、もう離すまいとするかのように固くしがみつく飛龍。

 

 多門丸はそんな彼女の頭を、優しくなでた。

 

「心配かけてしまったな。飛龍、ありがとう・・・ただいま」

 

「うん、おか・・・おかえりなしゃい・・・」

 

 しゃくりあげながらも答えてくれる飛龍が可愛くて、多門丸は彼女の顎に指をかけて、その顔を上げさせた。

 

 飛龍の顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていたけれど、それが誰よりも愛しく感じて、多門丸はもう一度、彼女にキスをした。

 

 今度は長く、深く、二人はいつまでも離れることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦闘機墜落地点の近くでパイロットが救出されたのは、彩雲改の着艦から数十分後のことだった。

 

 救助に当たった朝霜によれば、パイロットの命に別状は無いとのことだった。

 

「初霜。よかったな、なぁ!」

 

 霞への報告後に、朝霜はそう付け加えた。

 

「ええ」

 

 初霜は短く答えながら、自分の右手を見つめていた。

 

 引き金を引いたその指は、まだ微かに震えていた。

 

(初めて人を撃った・・・)

 

 初霜はその手で、自分の身体を抱きしめた。

 

(殺さずに済んだ。それでも・・・・・・身体の震えが、止まらない)

 

 覚悟はできていたつもりだった。だから、躊躇せずに引き金を引いた。撃たねば仲間が殺される。殺さねば、殺される。

 

 守るために、殺す。

 

 それが戦場の掟だ。それでも、

 

(引き金が、こんなにも軽く感じるなんて・・・)

 

 それが人の命の重さと同じ意味なのだと、彼女は今、初めて知った。

 

 言葉もなく、その衝撃に震える初霜に、霞が声をかけた。

 

「初霜、あんた一人が背負う事じゃないわ」

 

「・・・霞?」

 

「キルオーダーを出したのは私なんだからね。あんたは指示に従っただけよ」

 

「・・・うん」

 

 それは慰めではなく、霞もまた同じ衝撃を受けているのだと、初霜は悟った。

 

 きっと、朝霜も同じだ。初霜が撃ち損じれば、彼女がすかさず撃っていたはずだ。彼女にも躊躇いは無い。

 

 三人が、三人とも、割り切れない感情を必死に割り切ろうとしていた。

 

 これが任務だ。これが軍人だ。そして、仲間を守ることが出来た。それに納得していたが・・・

 

 ・・・しかし、身体の震えが止まるには、もう少し時間がかかりそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本土にある海軍最大の航空基地。

 

 そこに辿り着いたB-3は、着陸後、人知れず存在する地下格納庫へと搬入された。

 

「こいつが、人類が初めて鹵獲した深海棲艦って訳か」

 

 B-3を前にしてそう言ったのは、統合幕僚部作戦部長・陸軍准将 野木 魔鈴。“山賊の魔鈴”だった。

 

 その一歩後方には、“静かなるコウメイ”こと紫吹 香名と、“影狩りのシノビ”こと影村 忍の姿もあった。

 

「私の計画では」と香名が言った。「もっと穏便に済ますはずでした。不確定要素は充分に考慮していましたが、あの護衛機があそこまで執念深かったのは想定外です」

 

 悔しさをにじませた香名に、魔鈴はクックッと喉を鳴らして笑った。

 

「人間て奴はいつだって予測不可能なことをしでかすんだ。ま、作戦自体はこっちの勝ちさ。あのパイロットには敵ながら天晴ぐらいに思っておきな」

 

「天晴で済むのでしょうか。パイロットを捕虜とした以上、これは外交問題では?」

 

 香名の疑念に、忍が淡々と答えた。

 

「そこまで問題は大きくはならないでしょう。隣国も深海棲艦とのつながりは表沙汰には出来ますまい。現に、既に隠ぺい工作が始まっているようです。イミテーション・ゼロの存在は、その護衛機のパイロットも含め“無かったこと”になるかと」

 

「祖国に捨てられたか。可哀そうになぁ」

 

 魔鈴は口ではそう言ったが、そこに憐憫の情は欠片も含まれていなかった。

 

「まあ、そんなことより」魔鈴は言った。「隣国との関係なんか些細なことさね。それより重要なのはこのB-3だ。コイツの存在は、これからの深海棲艦との戦いにおいて大きな変化をもたらす」

 

 B-3を見つめる魔鈴。その機首についているガンカメラが彼女にピントを合わせたのだろう、微かな作動音が静かな格納庫内に響いた。

 

「あたしを見ているな」

 

「人間に興味があるのでしょう」と忍が答えた。「かつて深海棲艦は人間社会への浸透を図り、人造人間を作り上げましたが、あまりに人間に似過ぎてしまったために独自の意思を持ち、制御不能となってしまいました」

 

「知ってるよ。コウメイが立案した“ネルソン要塞偵察作戦”での出来事だろ」

 

 魔鈴の言葉に、香名が苦々しい顔になった。

 

「あの作戦は私の生涯の汚点です。あんな想定外の塊は参考にもなりません。忘れ去りたいくらいです」

 

「ですが、重要です。あの事件以来、深海棲艦は戦略を変え、人間そのものではなくAIに狙いを替えました。AIを足掛かりに人間への接触を図ろうとする。例のプログラムが導き出した予想が、今回の作戦でも立証されました」

 

「驚くべき的中率です」香名が続けた。「今回の作戦で、予想的中率は98パーセントを超えました。ここまでくれば、もはや予想の範疇を超えています」

 

「予想ではなく、預言とでもいうべきかねぇ。多元宇宙からもたらされるご宣託だな」

 

「エヴェレットタイプからもたらされたデータから構築されたプログラムですからね。あながち否定はできませんわ」

 

「ふふっ」

 

 魔鈴は含み笑いを漏らした。

 

 謎に満ちた深海棲艦、それにハッキングされたAI、そして多元宇宙からもたらされたデータから作り上げられたプログラム。

 

(我ながら、胡散臭いにも程があるな)

 

 自嘲の笑みが漏れるが、しかし、それ以上に高揚感の方が勝った。

 

「単純にドンパチ撃ちあっているだけの時代は、もう終わりさ。深海棲艦と人類の戦いは、これから新たなステージに突入する。悪いがお前ら、まだまだ付き合ってもらうぜ。覚悟しておけよ」

 

 魔鈴の言葉に、二人は静かに頷いた。

 

 その新たなステージというのが、更なる地獄の戦場であることを、二人は知っていた。

 

「深海棲艦が滅んだ時、そこに人類が一人でも立っていれば、それが勝利だ」

 

 地下深く、静かな格納庫のなかで、魔鈴の言葉が不気味に反響していた。

 

 

 

 

 

 




次回予告

 世界の海を荒らしまわる無敵の海賊である俺様が、まぬけなことにトラックに轢かれて死んじまった!

 気が付いたらそこはどことも知れぬ海の上。まさかの異世界転生たあ驚いた。

 新たな世界で、俺は相棒の艦娘・レディとともに海の上を駆け巡る。

 俺の名はマンバ、海賊マンバ!

次回「第X章~海賊マンバと酔いどれの戦乙女たち~第一話・暁に出会った水平線」

「ねえマンバ、このドリルのついた海賊船の名前は?」

「ミュータントタートル号って言うんだ」

「じゃあ、あなたが咥えている変なタバコは?」

「タバコじゃない、葉巻さ」

「もしかしてその左腕って・・・」

「・・・・・・」

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