出港後、港湾内から防波堤を越えて外洋に出たところで、叢雲は速力を20ノットまで増速した。
「針路240度、宜候。現針路速力での深海棲艦目撃海域到着所要時間、約五時間。到着予定時刻は1630頃です。司令」
「了解。艦隊司令部に状況を報告する。回線借りるぞ」
「軍用秘匿回線は、司令席の左側の受話器よ」
司令席に着いた私は艦隊司令部に通信をつなぎ、現在の状況を報告した。
艦隊司令部も深海棲艦出現の情報は既に掴んでおり、こちらの事情を考慮してくれたのだろう、航空部隊の支援と近隣の警備艦隊からの増援を上申すると、すんなり了承してくれた。
「本島の航空部隊から哨戒機を回してくれるそうだ。当海域へのオンステーションは一時間後。それと近隣の警備艦隊からも支援艦隊を出してくれるそうだが、こちらは距離が離れているために、到着は明日になる」
「今日一日をどう乗り切るかね」
「見敵必殺は難しいが、民間船舶に被害が出なければ我々の勝ちさ。・・・腹が減ったな。取り敢えず腹ごしらえをしてから細かい作戦を練るとしよう。缶飯はどこに格納したんだ?」
「食堂横の305倉庫よ」
「わかった。取ってこよう」
そう言って司令席から立った私を、叢雲が訝しげに見つめた。
「司令自ら取りに行く気?」
「君は操艦中だ。他に取りに行ける人間もいないだろう」
「別に艦橋から離れられない訳じゃないんだけど」
「気にするな。ついでに艦内見学したいだけだ」
他に何か言いかけた叢雲を制して、私は艦橋の階段に足をかけた。
「迷子にならないでよ」
「子供じゃない。一人で戻れる」
「船酔いして艦内を汚したら許さないから」
「船酔いした人間が腹を空かすかよ」
軽口に軽口で返しながら、私は艦橋を降りた。彼女とは半日あまりの付き合いだが、ずいぶん気安い関係になったものである。
しかし、気安くなさそうだという初見の印象が間違いだったかと言えば、そうとも言えないとも思う。実際、彼女の人当たりは良い方では無い。
いや、はっきり言ってしまえば、きつい。
そもそも上官である私に、報告上の決まり文句以外で敬語を使うことさえ稀だ。軍人として極めて問題ありと言える。
だが、不思議と私は、彼女のその態度を受け容れていた。
その理由は、大きく分けて二つあった。
一つは“海尾 守”としての私が持つ記憶と知識だ。正確に言えば“守”が持つ艦娘についての記憶と知識である。
艦娘という言葉を知った時に予感した、見れば理解できる、という感覚は確かに正しくて、今の私は艦娘についての記憶と知識を有していた。
艦娘とは軍艦の能力を有する者たちであり、その女性詞である。彼女たちがどのように軍艦の能力を得たのかは専門的すぎて理解不能の領域であるが、運用面に関して言えば通常の艦艇とほぼ同じだ。
著しく違う点があれば、それは巨大な艦艇をたった一人で運用可能という点ぐらいだろうか。ただし、彼女たちはどの艦でも好き放題に運用できる訳では無い。ワンマンコントロールできるのは、自分と同じ名を冠した艦艇のみであり、そこに互換性は無い。
彼女たち艦娘に階級が与えられていないのは、この互換性の無さに由来していた。つまり艦娘をその艦艇の一部分と捉えているためだ。
艦娘を一種の兵器扱いしている、という言い方に語弊があるなら、特定の艦艇の運用に特化した専門技能保持者とも言うべきか。
階級は異なる任務、役割、職種が入り混じる軍隊という巨大組織で、上下関係と指揮系統を明確にするためのものだ。私のように人事異動で艦艇や部隊を変わるときなど、階級が無いと、その部署でどの役職が適当か判断が難しくなる。
しかし艦娘には個々の運用艦艇に互換性が無いため、一般の士官や海兵のように異なる艦種に乗り換えることがなく、階級の必要性が薄い。
むしろ下手に階級をつけてしまうと、艦隊編成などで複数の異なる艦種の艦娘を運用する際に不都合が起きかねなかった。
戦艦、空母、駆逐艦といった艦種の違いは単に付与された能力の違いに過ぎず、上下関係に結びつくものでは無い。艦隊内でどの艦娘が指揮をとるかは、与えられた任務の特性によって決定され、それとて任務内容によってかなり柔軟に変更されるのが常だった。例としてあげれば、駆逐艦が空母や戦艦を指揮下に置くことも珍しく無いのだ。
そんな運用をされている艦娘に階級が存在すると、指揮権と階級が食い違うという不都合が頻繁に起きてしまい、逆に指揮系統に支障をきたしてしまうのである。
こういう特殊な運用をされる艦娘たちは、軍人でありながらも上下関係の意識は極めて低い異例の存在だった。
それでいながら海軍の最前線で戦っている者たちであるだけに、その誇りと矜持は極めて高く、階級や役職上の権威が無条件に通じる相手では無いと言うのが、我々のような艦娘運用に関わる将校、通称〝提督”たちの一般認識だった。
噂によれば上官をクソ提督呼ばわりする艦娘までいるらしい。それに対して怒るどころか、嬉々として受け入れる将校が少なからず存在したというのだから、我が海軍の風紀の乱れは極めて深刻である。
そんなクソ提督呼ばわりに比べれば、叢雲の「あんた」呼ばわりはまだ可愛い方かも知れないが、それでも軍人以前に社会人としてどうかとも思う。もっとも、私自身それをあまり不快に思っていないのだから、クソ提督と呼ばれて喜ぶ同僚たちを批判できない。
だが不快に感じていない理由は、決して特殊な性癖よるものではない、と自己弁護しておく。
どちらかといえば、これは、護衛艦むらくも乗員だった“名無し”の記臆に由来するものだ。
私は彼女に対して、名無しが護衛艦むらくもに対して抱いていた、うまく言葉にすることが出来ないが、強いて言うなら親近感の様なものを、無意識の内に感じていたのかも知れない。
そしてその感覚は、今こうして駆逐艦・叢雲の艦内を歩いている事によって、より強く、確信に近くなっていた。
叢雲の艦内構造は、大砲や魚雷が装備されている上甲板を基準(第1甲板)として、
三階建構造の艦橋(二階部分を第01甲板、三階部分を第02甲板と呼ぶ)、
そして下に向かって5層構造(二層目を第2甲板、以下、3甲板、4甲板、5甲板と続く)となる。
なお、第1甲板は艦橋より後方では一段下がって、第2甲板と同じ高さになっているため、表記上、艦橋より後方の上甲板はそのまま第2甲板と呼ばれている。
私は艦橋から直下の第2甲板まで降り、一度、前部側にある12.7センチ連装砲の完全自動化された給弾機構を眺めてから、さらにもう一層下の第3甲板に降りて、船体中央部を目指した。
本来の艦艇であれば、船体を前後に貫く細長い通路に、各武器・機器の整備室や倉庫、そして乗員の居住区が隙間なく空間を埋めているのだが、艦娘によって運用される艦艇は乗員数が極端に少ないこともあってか--私の様な司令部要員や、何らかの理由で他の便乗者を乗せない限り、基本的には艦娘一人のみだ--人間のための行動スペースが殆ど存在しない。
私が今歩いている細い通路沿いには、機器メンテナンス用の小窓の様なドアやハッチがあるばかりで、他には時たま倉庫が見あたるくらいだ。
唯一人間味がある空間といえば、私が目指す食堂くらいのものである。ちなみに食堂は会議室、応急処置室、便乗者待機室、仮眠室も兼ねている。ここ以外で人間用の空間と言えば、あとはトイレと浴室しか無い。
私が細い通路から食堂に足を踏み入れようとすると、ちょうど反対側から小さな人影が幾つか、こちらに向かって小走りにやってきた。
人影と言ったが、それは人間ではなかった。艦内の応急処置やメンテナンスを担当する自立駆動メンテナンスロボットだった。大きさは私の膝丈程度であり、その外見は、猫吊るしにも似た三頭身ディフォルメされたセーラー服少女だ。
メンテロボは、その軍用とは思えないゆるいデザインから“妖精”の愛称で親しまれていた。
妖精たちは私の存在に気づくと、一旦立ち止まり、脇に寄って場所を空けた。
「ご苦労さん」
私がそう声をかけて食堂に入ると、妖精たちはニコリと笑いながら敬礼して、前部側へと去っていった。おそらく定期的な艦内チェックの途中だったのだろう。
しかし妖精は笑顔を見せたり、敬礼したりと、およそメンテナンスロボには不必要と思われる機能が多い。そもそも三頭身ゆるキャラというデザイン自体が機能美とはかけ離れたものだ。
そもそもなぜこんなものが実装されたかといえば、それは科学技術の発展と、艦娘の精神衛生の保護によるところが大きい。
何でも聞いた話では、開発初期のメンテロボは、それこそ機能一点張りの非人間型だったらしい。性能は抜群だったが、当の艦娘からは猛反発を招いたそうな。
まあ誰だって、狭い艦内で、全身から触手を生やした不定形なアメーバ状の物体と遭遇したくは無いだろう。しかも艦内で一人きりの状況ともなれば、それは悪夢以外の何物でもない。
上層部は、この艦娘たちからの要求というか苦情に対して、速やかに対処した。
メンテロボの開発に高い費用をかけていたことを考えると奇跡とも思える対処だったが、どうやら一部の艦娘がお偉いさんの査察の際に、艦内に閉じ込めてメンテロボで包囲したらしいとの噂もあり、そういった行動が功を奏したのかもしれない。
と言っても、メンテロボの設計や機能が丸ごと変更されたわけでなく、修理用の触手を体内への格納式に変更し、不定形アメーバの外見を三頭身ゆるキャラに固定維持できる様にプログラムを追加しただけらしいが、このデザインが思った以上に現場で好評となり、今では海軍の公式マスコットまでもこの妖精スタイルになってしまった。つまりあの猫吊るしの脱力フォルムも、我らが海軍の公式デザインという訳だ。
少し話がずれたが、要するに妖精たちのあの姿はあくまで仮の姿であるということだ。したがって実際に作業をする場合には、妖精たちはゆるい外見をかなぐり捨て、何本もの触手を生やしたアメーバ状の形態に戻って隙間へと潜り込んで行く。
妖精のその変形する瞬間を見てみたいな、と一瞬興味を惹かれたが、よくよく考えてみれば食事前に目にするものでも無い。
そんなことを考えながら、私は食堂脇の倉庫の扉を開け、缶飯の入ったダンボール箱の蓋を開けた。
私は赤飯、叢雲は確か五目飯だったか。缶飯二つと、さらに副食用にタクアン缶を取り出す。
そしてふと横を見ると、そこに乾物と味噌と書かれたダンボール箱もあった。どうやら糧食担当者が気を利かせてくれたようだ。
私は艦内電話で艦橋を呼び出す。
「叢雲、缶飯の他に味噌も積んでくれたようだ。味噌汁を作るから調理場を借りるぞ」
『構わないから自由に使ってちょうだい。ところで、料理好きなの?』
「調理員の経験がある」
『それ本当?』
「まあ味噌汁くらいでひけらかすものでもないがな。今度、秘伝のレシピで作ったカレーをご馳走してやるよ」
『楽しみね』
私は艦内電話を切り、缶飯と味噌と乾物を抱えて調理場へと移動した。
しかし調理場と言っても大したものではない。一人暮らし用のアパートにある様なシンクとコンロ、それに電子レンジと冷蔵庫とポットがあるだけだ。唯一違うといえば生ゴミ処理用のディスポーザーが備わっているくらいか。
私は食器棚を開けて片手鍋を二つ取り出すと、軽く水で洗って積もっていた埃を洗い流した。
綺麗になった鍋の一つにポットのお湯を入れ、もう一つには水を入れる。その二つの鍋を電気コンロにかけ、お湯の鍋には缶飯を、そして水の鍋には昆布を入れ、蓋をせずに弱火にかけた。
昆布から出汁がとれるまで少し時間がかかるが、湯煎にかけた缶飯が温まるのにもそれくらいかかるので丁度良いだろう。具材は乾燥ワカメと麸があった。もう一品くらい欲しいなと思いながら再度乾物のダンボール箱を漁っていると、食堂に叢雲が姿を現した。
「操艦は良いのか?」
「20海里以内に近づく危険な水上目標なし。戦闘配置でも無い限り、眠っていても周囲の捜索と操艦は可能よ。どうせ後で戦闘配置に付かなきゃいけないんだろうし、今の内くらい食堂で食べたいわ」
「もっともだな。リラックスはできる時にするものだ」
「で、何を探してるの?」
「味噌汁の具だ。ワカメと麸だけじゃ物足りなくてな」
「冷凍で良ければネギがあるわよ」
叢雲はそう言って冷蔵庫の冷凍室から、冷凍食品の袋に入ったネギを取り出した。その時ちらりと冷凍室の中身が見えたが、ネギの他には何も入って無さそうだった。
私はネギを受け取り、叢雲には食器の用意を頼む。
「わかったわ。・・・えっと、箸と茶碗は何処に仕舞ったかしら」
叢雲は戸棚を開け閉めし、プラスチック製の汁椀を取り出すと、調理場のシンクで軽く洗った。
私は沸騰前の鍋から昆布を取り出しながら、言った。
「この調理場、全然汚れてないな。転属前に念入りに掃除でもしたのか」
「そうよ。私、綺麗好きなの」
叢雲は洗った汁椀を拭おうと布巾を捜していたが、どうやら見つからないようだった。
私は乾物を探している時に、ついでに持ってきた支給品のタオルを彼女に渡してやる。叢雲はそれで汁椀を拭いながら、諦めたように言った。
「嘘よ。調理場なんて使ったこと無いわ」
「だろうな」
「誤解して欲しくないんだけど、料理が出来ない訳じゃないわよ。ただ自分一人だと作る気なくすだけ」
「気持ちは分かる。私も独り暮らしをしている時はそうだった」
「今は違うのかしら?」
「今も独身だ。二人分の味噌汁を作るのは久しぶりだ」
出汁に具材を入れ、煮立たせたところで電気コンロを停めて、味噌を溶く。その間に叢雲が缶飯を湯煎から上げて、タオルで拭い、缶切りで蓋を切り始めた。
私は小皿で味噌汁の味見をして、良い頃合いになったのを確認して汁椀に注ぎ、テーブルへと運んだ。
叢雲も缶を切り終わり、二人向かい合ってテーブルに着く。
「「いただきます」」
叢雲は真っ先に味噌汁に口をつけた。
「少し薄味ね」
「缶飯は味が濃いからな。そっちに合わせたんだ」
「ああ、ごめん。おいしくないって意味じゃないのよ。出汁がしっかり出ていて悪くないわ」
「なら良かった」
私はタクアンをかじりながら、缶にぎっしり詰まった赤飯に箸を立てる。もち米は熱を加えられて柔らかくなっていたものの、それでも箸先にかかる抵抗感はなかなかのものだった。
叢雲も同じく五目飯に箸を立てながら、言った。
「白味噌があったら、私も自慢の味噌汁を振舞ってあげられるのにね」
「そうなのか?」
「そうよ。料理出来ないっていう誤解を晴らしてあげる。でも普通の合わせ味噌じゃあんたのと差が出ないし、やっぱり味噌汁は白よ、白」
「白味噌は使ったことは無いな。いや、確か関西だと使うのか?」
「そうよ、大阪の味噌汁は白。出汁を引き立てるし、野菜の甘みにも合う」
「なるほど、大阪生まれだったんだな」
「実家の近くに造船所があってね。造船所の男たちがよく客としてウチに来ていたわ。・・・あぁ、ウチ、定食屋だったのよ。白味噌汁は人気メニューだったわ」
叢雲は味噌汁を啜り、独り言のように、
「そういえば、艦娘も居たわ」
「定食屋の客にか」
「うん、そう。多分、艦娘だったと思う。本人に聞いた訳でも無いし彼女自身も言わなかったから、珍しい女性船員ぐらいに思っていたけど、今から思えば艦娘っぽい雰囲気を醸し出していたわね。彼女、海での色んな経験を話してくれてね、それがあんまりにも面白おかしいものだから、私もつい憧れちゃった訳よ」
「それで艦娘になったということか。夢を叶えたんだな」
「艦娘に憧れたんじゃなくて、世界中を航海することに憧れたんだと思うわ。まあ、今の自分も悪く無いと思ってるけどね」
叢雲はもう一度味噌汁を啜り、そこで、はたと気づいたように言った。
「なんでこんな話をあんたにしてるのかしら」
「食事中の世間話だ。身の上話くらい、おかしくないさ」
「じゃあ、あんたの話も聞かせて。調理員の経験者って事は、元は一兵卒でしょう? そこから大佐まで昇り詰めた経緯には興味あるわ」
「ふむ・・ん」
私は赤飯を味噌汁で胃に落としながら、少し考え込んだ。
正直、叢雲の認識には誤解がある。調理員経験者というのは護衛艦むらくも乗員の記憶の一つであり、これらの記憶だけで言えば、今の私は艦艇乗員のあらゆる職種の知識と経験を得ていると言って良い。
だが、これをまともに説明しても他人には理解不能だろう。私自身だってまだ理解できていないのだから。
一方、海尾 守の経歴はといえば、これまた、あまり語るべき部分が無い。
十九歳で海軍兵学校に入学し、名に恥じないよう頑張ったつもりではあるが、成績自体は可もなく不可もない順位で卒業。
その後は、罵声を浴びるのが主任務とも言える初級士官時代を得て、兵学校の同期生仲間では比較的遅いくらいの順番で、ようやく少佐になった具合だ。
それが、それがだ。いきなり二階級特進で大佐だ。全く意味がわからない。軍隊では戦死者は二階級特進というのが慣例だが、私は実は知らぬうちに戦死扱いされているのかもしれない。
フィクション小説によくある様な、死んだ筈の軍人たちで構成された秘密部隊なんてものに組み込まれてしまったのだろうか。馬鹿馬鹿しい考えだが、雷撃されて沈んだ乗員の記憶がある身では笑えない冗談だった。
そうやって箸を咥えたまま黙りこくった私を、叢雲が不安そうな様子で見つめていた。
「もしかして・・・訊かない方が良かった?」
「あ、いや、そういう訳じゃないんだ。ただ、まだ記憶が混乱していてな」
「そう、なら良かった。・・・ん? いや、全然よくないわ」
「そうだな、あまり良くない。だが指揮はしっかり取るから心配するな」
「当然よ、あんたと私は一蓮托生なんだから」
一蓮托生。
なかなか信頼関係を現してくれそうな言葉だが、同じ船に乗っている以上は文字どおりの意味でしか無いのだろう。戦場に単艦で乗り出す駆逐艦というのは、お釈迦様の蓮よりもよっぽど不安定な代物だろうからだ。
艦の安全と戦闘そのものに関しては、叢雲自身に寄るところが大きい。ならば司令としての私の役割は、彼女が安心して全力を尽くせる様、作戦を立て、そして退き際を見極めてやることだった。
食事を終え、二人して空き缶と食器を片付けていると、不意に、叢雲が独り言のように言った。
「鎮守府から通信が入ったわ」
「なんだ、突然?」
「このフネの通信機が、たった今、鎮守府からの情報を受信したのよ」
「何も介さずとも直接わかるのか」
「眠っていても操艦できると言ったでしょう。これくらいは出来るわよ。ただ情報量が大きかったり暗号通信だったりしたら、中身まではハッキリと分からないけど。これはその両方ね」
叢雲は少し首をかしげて宙空を眺めながらそう言って、そして食堂の壁にかかっていた多目的スクリーンに向かって、軽く手を振った。
多目的スクリーンに光が灯り、そこに情報ファイルのダウンロード状況を示すシーケンスバーが表示される。
「ずいぶん重いデータだな」
「内容は深海棲艦に関するもののようね。どうやら最初に通報した民間航空機が目標を撮影していたみたい。そのデータが当局に提出されたから、あの子が転送してくれたらしいわ」
「あの子?」
「そう、名前は、えっと、なんだったかしら。あのAIよ」
「ああ、猫吊るしか」
「そうそう、猫吊るし--ぷ」
思わず吹き出した叢雲が、手で顔を覆って、肩を震わせる。どうやら笑いのツボに入ったようだ。
「猫吊るし・・くく・・そりゃ確かにそうだけど、あんたも結構ひどいわね」
「あんな珍妙な絵を表示する方が悪い。だいたいアレ、なんで猫を吊るしているんだろうな」
「猫が好きなんでしょう。空襲でエラー起こしてるって言ってたし、きっと落ち着きを取り戻す為に癒しを求めているのよ」
「AIが癒しを求めるのか。そんな馬鹿な、と言いたいが、あの猫吊るしならそれくらいの感情は持っていそうだな。・・・叢雲、猫、好きなのか?」
「嫌いじゃないわ。実家の周りにもよく居たのよ。造船所って何でかノラ猫が多いのよねぇ。あんたも猫好き?」
「飼いたかったが猫アレルギーだから諦めた」
「お気の毒」
ダウンロードが終了し、スクリーンに画像が映し出された。
スクリーン一面に、航空機から見下ろした海原が青く広がっている。その中心に黒いシミのような影が映っていた。
「これが目撃された深海棲艦か。細部が分からないな」
「他にもトリミングして画像分析にかけた画像もあるわ」
画像がスクリーンの片隅に縮小し、別の画像が現れる。そこには黒い涙滴状の物体が海面に浮き上がり、白い航跡を引きながら泳いでいた。
一見すると大型の鯨の様にも見える。だがその表面は人工的な直線の組み合わせで構成されていた。ならば潜水艦に似ているとも言えるが、しかし、次に別角度から映された画像を見たとき、その異質ぶりが明らかになった。
その画像は、深海棲艦が海面から大きく浮上し前半分が海面上に露わになっていた。先ほどの画像では水中にあった艦艇部の“巨大な顎”がハッキリと視認できる。
画像に続いて艦隊司令部での分析結果が表示された。
【深海棲艦・駆逐イ級】
イ級は深海棲艦の中でも最も数が多いとされる艦種だった。個体によってそれぞれバラツキはあるが、全長はおよそ100〜150メートル、推定排水量2000〜3000トン、武装は5インチ単装砲が1基〜3基である。
個体としての能力は我が海軍の標準的な駆逐艦と比べて格下と言って良いものであった。一対一で戦ってもまず負けることのない相手だ。
しかしイ級の厄介なところは、ほぼ必ずと言っていいほど群れをなすということだ。最低でも三隻で艦隊を組み、海原を海流に乗って遊弋している。つまりこの南方警備海域には最低でも後二隻は潜んでいるということだ。
まるで一匹見つけたら三十匹は潜んでいる陸のアレみたいなものだが、深海棲艦という存在は、厄介度で比べればアレが可愛く見えるほどである。まあだからといってアレの扱いをよくする気は無いのだが。
そもそも深海棲艦とはなにか。
それは、およそ三十年ほど前に突如として世界中の海域に出現した謎の存在である。
大砲まで装備しているところから“艦”と呼んでいるが、それは本当に人工物なのか、それともイレギュラーな進化を果たした生命体なのか、それすら分かっていないのが現状だ。
とりあえず判明している数少ない事実としては次の通りである。
・深海棲艦は海溝などの深海奥深くから出現し、海流に乗って遊弋している。
・その戦闘能力から駆逐艦、巡洋艦、戦艦などのタイプに分類される。また、体内から複数の自立飛翔体を放つ空母タイプ、海中で魚雷を放つ潜水艦タイプなども存在する。
・その多くは群れ(艦隊)で行動する。
・深海棲艦の皮膚(装甲)は電波及び音波の吸収に非常に優れた性質を持ち、レーダーやソーナーでの探知が難しい。
だが上記した他に、最も重要かつ、そして明確な事がもうひとつあった。それは、
・性格は極めて凶暴であり、人類に対し異常なまでの攻撃性を示す。
すなわち深海棲艦とは、人類共通の脅威であり、敵であった。
深海棲艦の出現により世界中の海上交通が存立の危機に晒された結果、経済を海上輸送に頼る海洋国家各国は共同して海上護衛に尽くすことになった。
それから三十年、世界は終わることの無い深海棲艦の脅威に晒され続けているものの、ある一定の海上交通の安全を確保することには成功している。そしてこれは同時に、三十年間、海を舞台にした人間同士の国際紛争も起きていないことを表していた。
皮肉なことに深海棲艦の存在が、人類に仮初めの協調を促したのだ。
もっとも、この協調を行い海の平和に貢献しているのは沿岸国か島国ぐらいなもので、大陸国家や内陸国などは相も変わらず人類同士でいがみ合っている有様だ。人間、その本質はそうそう変わらないらしい。
まあ、今はそんな人間哲学なんぞにかまけている暇はない。すべきことは、私が任されたこの警備海域から脅威を排除し、民間船舶の安全を確保することだ。
叢雲がスクリーンに分析結果の続きを表示した。
「どうやらこのイ級、昨日の艦隊の生き残りみたいね」
艦隊司令部の分析結果によると、目撃地点と画像に映るイ級の身体特徴から、私の前任者が昨日戦って敗走させた敵艦隊の生き残りの可能性が高いらしい。
そこから推測される潜伏戦力は、イ級3隻。
「叢雲、やれるか」
「至近距離での砲雷撃戦は厳しいわね。超長距離からの先制SSSM攻撃で一息に決めたいわ」
SSSM(surface to surface and submarine missile)とは叢雲の魚雷発射管に収まっている多目的ミサイルである。射程およそ150キロメートル。対艦ミサイルと対潜ミサイルの両方の性能を兼ね備えており、深海棲艦が海中へ逃げ込もうとも追尾攻撃することが可能だ。
しかし前述の通り、深海棲艦は対レーダー、対ソーナーステルス能力が極めて高いため、超長距離から攻撃を行うには空中哨戒機などによる敵の位置の正確な把握と、そして相手に気づかれないうちに先制攻撃を仕掛ける必要があった。
今回、こちらには空中哨戒機一機が支援についてくれるので、後は目標を発見さえできれば先制攻撃が可能だった。哨戒機には叢雲同様SSSMが四発搭載されており、協同攻撃を仕掛けることもできる。
私は、叢雲にスクリーンへ海流図を出すように指示し、イ級が遊弋しそうな場所を選定した。
「ここと、ここと、・・それとここもだな。この三つのエリアを時計回りに哨戒しよう。ほとんど決め打ちだが、このエリアなら通商航路をほぼカバーできる」
「どのみち単艦で出来ることなんてタカが知れてるし、悪くないと思うわ。じゃあ後は哨戒機からの報告待ちね」
「到着まであと一時間半ほどか。眠っていても操艦できるなら、仮眠でも取るといい。休めるのも今の内くらいだ」
「そうね。でも先に入浴したいわ。今朝からバタバタしすぎて、いい加減しんどいのよ」
「だな。風呂はやっぱり海水風呂か?」
「そうよ。人間用設備が少ないから真水タンクも小さいの」
「でかい艦に一人暮らしなんだから、真水も使い放題かと思っていたが、意外と世知辛いものなんだな」
知らなかった事実に私が驚いていると、彼女がまた小首を傾げて、何かを聞き取る仕草をした。
これは、また、何らかの通信が入ったという事だろうか。
案の定、彼女はこう言った。
「緊急信を受信したわ、猫吊るしからよ」
「内容は?」
「付近を航行していた民間貨物船で故障が発生したらしいわ。舵を破損して操船能力が著しく低下。予定航路を大きく外れているみたい」
叢雲はスクリーンに貨物船の位置と進路を示す。
それは深海棲艦の出現予測エリアのひとつへとまっしぐらに進んでいた。
「よりにもよってね。入浴はお預けだわ」
「機関第四戦速だ。急いで追いつくぞ」
「了解!」
叢雲の返事と同時に、船体奥で唸っていたタービンエンジンの咆哮が、さらに大きくなった。
艦首が波に乗り上げ、艦内が縦に揺れる中、私は叢雲と共に艦橋へと戻った。