艦これ海上戦記譚~明け空告げる、海をゆく~   作:PlusⅨ

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第六話・感動の再会(多分)(3)

 大巨象が四方八方に砲弾の雨を降らせ、アッパーデッキを火の海にしていた、その頃。

 

 ポーラは姉であるザラの膝枕にその頭を横たえていた。

 

 遥か頭上で繰り広げられている破壊の狂乱は、このレグ下層部にも微かな振動となって届いていた。しかしポーラは、そんな現実から目を背ける様に、ザラの膝に体重を預けていた。

 

「ザ〜ラ姉様ぁ〜」

 

「なぁに、ポーラ?」

 

 ザラの手が優しくポーラの髪を撫でる。その感触に、ポーラは頬を緩めた。

 

「うぇへへへ〜、ザラ姉様って〜、やわらかくて、あったかいんですね〜」

 

 生身の肉体を得たことで、己の身体の柔軟性と体温については自覚していたつもりだった。けれど、その身体で触れ合うことの心地よさは、初めて知った。

 

 まして、それが親しい姉ならなおのこと。

 

 孤独と、心細さと、自己否定に陥っていたポーラにとって、姉の人肌の感触と温もりは、彼女の存在全てを優しく包み込んでくれている様だった。

 

 思えば、かつての自分はここまで“姉”という存在を意識していただろうか。と、ポーラは重巡であった頃を思い返した。

 

 重巡としての身体とAIとしての意識を持っていた頃も、ザラをはじめとした姉妹艦たちを特別視していたことは確かだった。

 

 しかしそれは“同型艦だから他艦種とは扱いが違う”という程度の認識であり、“同型艦だから、姉妹艦の戦績や不具合といったデータは自分にも反映可能であり、逆に与える影響も大きい”という至極合理的な理由で重要視していたに過ぎなかった。

 

 多分、肉体を持った今でも、姉妹に対する認識の根本的な理由は大きくは変わっていない筈だ。

 

 ただ違うとすれば、この特別視、重要視といったことのアウトプット、つまり表現方法──いや、自覚の仕方に、感情という要素が加わって大きな影響を及ぼしていることだ。

 

 AIだった頃の姉妹の存在は、他艦種に比べ優先順位が多少上位にあるという認識であり、それはプログラムとして明確化していたし、優先するシチュエーションも、その理由は合理的に説明できるものだった。

 

 しかし、今は違う。その理由が明確には分からない。ザラの膝枕が心地良いと感じる感情の出所が不明確なのだ。

 

 孤独や不安が、なぜザラと触れ合っているだけで癒されるのか。その理由は必ずどこかにある筈なのだが、ポーラの表層意識はその根本を司る深層意識に直接アクセスすることができなかった。

 

 “重巡ポーラ”としての本質である深層意識は、感情というフィルターに包まれ、そのさらに外側を“艦娘ポーラ”というひどく柔っこくて頼りない自我が覆っている。ポーラは自分という存在をそのように認識していた。

 

(この自我というものは、とてもとても厄介だわ)

 

 こんな柔っこくて頼りないものが外部に向かって剥き出しになっているなんて、重巡として分厚い装甲に身を包んでいたポーラには信じ難かったし、耐えられたものじゃなかった。

 

 AIであった頃の自我はとても曖昧なものだったが、少なくとも深層意識とは直結していたし、その意味では“深層意識”なんてものは存在していなかった。

 

 じゃあいったい、今の自分の自我はどこから来たのか、と考えてみると、これはきっと対人インターフェイスが元になっているのだろう、とポーラは推察した。

 

 人間に近い身体をもって人間とコミュニケートするのだから、擬似的にそれを再現できる対人インターフェイスプログラムがメインになるのは当然という気がする。

 

 しかし厄介なのは、このプログラムは設計上、深層意識からの影響は強く受けるものの、その逆はできない──直接的に深層意識にアクセスできず、能動的に操作できないというところだ。

 

 だからポーラという自我は、深層意識が発する警告のシグナル──それは感情というフィルターを介して不安や恐怖に変換される──の意味を正確には把握できず、訳の分からない不安や恐怖にさらされ続け、それがさらに負の感情を呼び起こすという悪循環に陥ってしまった。

 

 本来、生物にとって負の感情というのは“逃げろ”という警告だ。深層意識が周囲の状況を総合的に判断してその警告を消すまで、表層意識である自我は余計なことを考えずにとにかく逃げ続けろというシグナルだ。

 

 だけど、この島に独り取り残されたポーラには、逃げ場など無かった。ポーラは生まれたばかりの子供のようなものだった。子供には親が必要だ。安全と安心を与え、保護してくれるのが親だ。けれどポーラには親がいなかった。

 

 だから、ポーラは考えた。AI時代の曖昧模糊とした意識と記憶を頼りに、必死になって不安と恐怖から逃げる方法を考えた。

 

 で、思い出した。

 

 人間はこういう時、アルコールを摂取するのだと。

 

 AIだった頃は、人間がアルコールを摂取することによって意識レベルを意図的に低下させることにどんなメリットがあるのか理解できなかったし、理解しようとも思わなかった。

 

 しかし試しに手近にあった船体燃料用のエタノール飲んでみると、これがまた程よく酔えて、不安や恐怖が消えて、代わりにポワポワとした温かくて愉快な気持ちが湧き上がってきたのだった。

 

(なるほど、これは人間が酒をやめられない訳だわ)

 

 と、ポーラは人間というものを理解した気になって、アルコールに病みつきになってしまった。

 

 しかもポーラの身体に備わった内臓器官が常人よりもはるかに強化された解毒作用を持っていたことで、エタノールでも平気に解毒できてしまい、それが酒浸り生活により一層の拍車をかけた。

 

 以来二年間、アルコールを頼りに正気(?)を保ってきたポーラだった。

 

 だけどそれは結局、現実逃避以外のなにものでもないと思い知らされたのは、ついさっきのことだ。

 

 そんなポーラにとって、ザラの存在はアルコールに代わる新たな慰めだった。

 

 孤独を慰め、不安を取り除き、安心を与えてくれる。ザラは姉だが、同時に親のような存在だった。まぁAIであったポーラに親はいないが、つまるところ親とはこのような存在なのだ、ということは理解できた。

 

「うえへへへ〜」

 

 ポーラは多幸感に表情を緩めながら、ザラの太ももに頬ずりした。

 

「もう、ポーラったら甘えん坊なんだから。まるで子供みたいね」

 

「そーでーす。ポーラは子供なんです。だって生まれてから二年しか経ってないんですよ〜。子供どころか、赤ちゃんみたいなものです」

 

「こんな酒臭い赤ちゃんが居るわけないでしょ、もう」ザラは呆れて、撫でていた妹の頭をペチペチと叩いた。「ほら、甘えるのはもうお終いよ。そろそろ起きなさい」

 

「え〜、嫌です。ずっと甘えてたいです〜。赤ちゃんで居たいんですよぉ」

 

「二歳にもなれば、そろそろオムツが取れてもいい頃よ。自分の足で走り回って、目を離すとすぐに何処かへ行っちゃう厄介な年頃だわ」

 

「……なんだか妙に実感がこもってませんか、ザラ姉様?」

 

「昔、私に乗っていた艦娘が子持ちでね。子供を見学に連れてきたことがあったんだけど、勝手にあっちに行ったりこっちに行ったり、それはもう大騒ぎだったのよ。人間って大変ね。その時の艦娘の苦労が、今ならよく理解できるわ」

 

「私はザラ姉様から離れませんよ。つまり聞き分けの良い、いい子ちゃんなんです。良かったですね、ザラ姉様」

 

「良くないわよ」

 

 ザラがよいしょっと立ち上がって、ポーラは彼女の膝からゴロリンと転がり落ちた。

 

「うえ〜ん、ザラ姉様ぁ、抱っこぉ」

 

「ダメよ、ポーラ。自分で起きなさい」

 

「う〜」

 

 ポーラは拗ねたように寝返りを打って、うつ伏せになった。

 

 ドン、と低く重い音が響くとともに、ポーラたちが居る場所がかすかに揺れた。大巨象による砲撃の余波だ。パラパラと細かいホコリが周囲に降り注ぐ。

 

 ザラは頭上をしばらく見上げた後、再び視線を足元に下ろした。

 

 ポーラはうつ伏せのまま、ふて腐れたように寝転がっていた。

 

「このままじゃいずれ、要塞そのものが破壊されてしまうわ。ここもきっと、長くは保たないでしょうね」

 

「……」

 

 ポーラはうつ伏せのまま答えない。

 

 ザラは続けた。

 

「ここから出て行かないといけないわ。立ち上がりなさい、ポーラ。自分の足でね」

 

「……嫌です」ポーラは顔を上げてザラを見上げた。「どこに行っても一緒です。ポーラは役立たずの除け者なんです。ここを出ていったところで、どうせ独りぼっちなんです。だったら、ここでずっとザラ姉様と居たいんです」

 

 ポーラは寝そべったままザラの足にすがりついた。

 

「最期にザラ姉様に逢えた。なら、私はこれ以上なにもいらない。なにも望まない。生きる理由なんてどこにも無い。だからザラ姉様、私はここに居ます。ここでお酒飲みながら死ぬのが、私の一番の幸せなんです」

 

「……お酒は外さないのね」

 

「えへへ〜」

 

 だらしなく笑うポーラ。

 

 ザラは、足元にすがりつくポーラの手を払いのけた。

 

「ザラ姉様?」

 

「立ちなさい、ポーラ」

 

「……嫌です」

 

「立って!」

 

「嫌!」

 

「立ってたら、立ってよ、もう!」

 

「嫌ったら、嫌ったら、嫌なんです!」

 

「ポーラのバカ!」

 

「ザラ姉様のイジワル!」

 

 ポーラは泣きたくなった。なぜザラはこんなにも酷い仕打ちをするのか。

 

 それはやっぱりポーラが要らない子だからだ。役立たずの除け者だからだ。ザラからも見放され、ポーラは声を上げて泣こうとした。

 

 けれど、それよりも先にザラの瞳から涙がこぼれ落ちたのをポーラは見てしまった。

 

「ザラ姉様?」

 

「バカ、バカ、ポーラのバカ! どうして死ぬなんて簡単に言うのよ。せっかく生き延びたのに、どうして無駄にするようなことを言うのよぉ!」

 

「だ、だって、だって、寂しいんですもん!」ポーラも言い返した。涙をこぼしながら感情に任せて言葉をぶつけた。「大好きな人が居ないのに、どうして生きろって言うんですか! 帰る場所もないのに!? 使命だって無い! 任務だって無い! 私はただ独りぼっちで生きるだけ! こんなの、死んだ方がマシじゃ無いですかぁ!」

 

 でも、でもとポーラはしゃくりあげながら続けた。

 

「でもぉ……死ぬのは怖いんです。誰も居ないところで独りぼっちで死ぬのは、どうしようもなく怖いんですぅ。だからザラ姉様、一緒に居てください。一緒に居させて下さい〜……」

 

「ダメだよ、ポーラ。そんなの、ダメだよぉ……」

 

 ザラも泣いていた。ポロポロと零れた涙が、足元のポーラのそばに降り注いでいた。

 

「私、もう死んじゃっているんだよ。フィウメもゴリツィアも、みんな死んじゃっているんだよ。その上、ポーラまで死んじゃうなんて、私、嫌だよぉ」

 

「でも、そしたらまた、みんな一緒に要られるじゃ無いですか」

 

「バカ、ポーラのバカ、バカポーラ!」

 

 ザラはびえええと泣きながら、ぺたんと座り込んで、ポーラをペチペチと叩き始めた。

 

「わ、ザラ姉様、やめて〜」

 

「ポーラのバカバカバカ。ずっと一緒に居たじゃない。ずっとずっと、一緒に居たじゃない!」

 

「え? へ? え?」

 

「あなたのそばに、私たちはずっと居たんだよ!? なのに、あなたは気付いてくれなかった。気付こうともしなかった!」

 

 いや、そんな無茶な。とポーラはペチペチと叩かれながら思った。ペチペチ。実はあまり痛くない。

 

「ずっと呼びかけていたのに、あなたはずっと聞いてくれなかった!」

 

「そりゃそうですよぉ。この身体にそんな機能なんて無いですもん」

 

「あるわよ! できるわよ」

 

「え、そうなんですか」

 

「そうよ! だから今こうして話せているんじゃない!」

 

「そういや、そうですね」

 

 泣きながら怒るザラに対して、ポーラはかえって冷静を取り戻してしまった。ポーラはよいしょっと上体を起こしてザラと目線を合わせる。

 

「なんだって今さら話せるようになったんですかねぇ?」

 

「気持ちの問題よ」

 

「はぁ」

 

 そんなまたアバウトな。

 

「あなたが聞こうと思えば、いつだって話せた。会おうと思えばいつだって会えた。でも、そうしなかったのはあなた自身よ。あなたは私たちのことを思い出しもしなかった」

 

「そんなことありません。私はいつだってザラ姉様たちのことを……ことを……」

 

「私たちのことを思いながら、お酒を飲んでいたの?」

 

「……」

 

 ポーラは何も言えなかった。

 

 酒を飲んでいたのは、忘れるためだ。過去も、未来も、そして現在さえも忘れようとして、酒に溺れていたのだ。

 

 そう、ザラの言う通りだった。目も、耳も、心さえも閉ざしていたのは、他の誰でも無い自分自身だった。

 

「でも……でも、知らなかったんです。ザラ姉様がそばに居ることも、私がそれを感じる特別な能力があることも、知らなかった」

 

「特別な能力なんて、そんなものは要らないわ」

 

「え?」

 

「ただ思い出して、想ってくれたら、それだけで良かったのよ……ポーラ」

 

 ザラは手を伸ばして、ポーラをそっと抱きしめた。

 

「過去を振り返って寂しくなった時は、共に過ごした日々の中で、私たちはあなたを待っている。未来を見上げて不安になったとしても、あなたを背中を押してあげるわ」

 

「できれば、前に立って手を引いて欲しいです」

 

「できるものなら、そうしてあげたい。でもね、死者は生きている者より前に立って進めないの。だから……手を引くのは、あなたの役目よ」

 

「私が……姉様の手を?」

 

「ええ、そう。あなたが前に進んだ分だけ、私たちも一緒に進めるの。だって、私たちはいつだってそばに居るんだもの。だから、ね、ポーラ、立ち上がってちょうだい」

 

 ザラの言葉に促されて、ポーラは自分でも意識しないままにスッと立ち上がっていた。

 

 見下ろすと、座り込んだままのザラと目が合った。

 

 ザラがニコリと微笑む。

 

 また促された気がして、ポーラは自らザラの手を取って彼女を引き上げた。

 

「ポーラ。私たちに、あなたが歩む未来を見せて?」

 

「あ……えと……はい」

 

 でも、どこへ? ポーラは迷いながら、自分が来た道を振り返った。

 

 薄暗い通路の先にあるのは、置き去りにした自分の船体だ。船体にはまだ燃料は充分残っているし、舵とスクリューぐらいしか損傷していない。修理できるはずだ。

 

 でも、その後は? 

 

 船体を直して、私は何をすればいい? 

 

 ドン、と低く重い音と振動が響く。それでポーラはハッと思い出した。みんなはまだ戦っていることを。

 

 ポーラは緊張してザラの手を強く握りしめた。だが、そこにザラの柔らかな手の感触は無かった。

 

 代わりにあったのは、冷たく固い感触。ポーラは己が握りしめているモノを見た。

 

 それは、マンバから渡されたEMP弾のカプセルだった。

 

 ──お前の人生を決めるのは、お前の決断だけだ。

 

 マンバの言葉が、頭を過ぎる。

 

「私の……決断……」

 

 本当は、進むべき道は最初から見えていた。いや、自分が進みたい道だ。でも、それは一度くじけてしまった道だった。

 

「いいじゃない。何度もくじけたって、生きてさえいれば、何度だって進めるわ。何事も粘り強く、よ」

 

「ザラ姉様?」

 

 再び振り返ったが、姉の姿はもうそこには無かった。その代わり、ザラの船体の主砲である20.3センチ砲の砲塔が目に入った。

 

 そこに、うっすらと文字が刻まれていた。

 

 “TENACEMENTE(粘り強く)”

 

 ザラのモットーだ、と昔、乗り込んでいた艦娘が言っていたことを思い出す。

 

 そうだ、もうひとつ思い出した。ポーラ自身にも、艦娘によってモットーが刻まれていたことを。

 

「”Ardisco ad ogni impresa”……!」

 

 それを思い出した時、ポーラの足は自然と動き出していた。自らが来た道へと振り返り、走り出していた。

 

「私は……私は……っ!」

 

 ザラの船体を駆け下り、通路を抜け、階段を駆け上がる。

 

「私は……っ!」

 

 何だ。何者だ。考えるよりも先に身体が動く。その一歩、一歩が床を蹴るたびに、答えが奥底から湧き上がってくる。

 

 ポーラは最後の扉を開き、自分が元居た場所へと駆け込んだ。

 

 そこに、千歳の船体に横付けしている自身の船体があった。

 

 それを目にした時、ポーラは自らの内に湧き上がってきた答えに、言葉を与えることができた。

 

「私は……私は、ザラ級巡洋艦三番艦ポーラ!」肩で息をしながら彼女は叫んだ。「何にだって挑戦する! どんなことだってやり遂げる! 何度だって立ち向かう! 粘り強く、立ち向かってやる! それが、それが……ポーラなんです!」

 

 叫び終えた瞬間、ポーラの船体から一斉に、いくつもの影が沸き立った。

 

 それは、ポーラのメンテ妖精たちだった。

 

 妖精たちは上甲板にずらりと立ち並び、主人の帰りを敬礼で迎えてくれていた。

 

 ポーラは乱れた息を深呼吸で整え、背筋を伸ばして、妖精たちに敬礼で応えた。

 

(見ていてくれてますか、ザラ姉様)

 

 敬礼を終え、船体へと足を踏み出しながら、ポーラは想った。

 

(私はもう大丈夫。ザラ級最後の一隻として、そして欧州艦隊最後の生き残りとして、ちゃんと旗艦を務めます。だから、安心してくださいね……)

 

 振り返らず進むポーラの背後で、ザラが優しく微笑んだ。

 

 そんな気配を、ポーラは確かに感じ取りながら、彼女は自身の船体に舞い戻ったのだった。

 

 

 

 

 ポーラがザラの元から自らの船体へと戻った様子を、ネルソンはずっと眺めていた。

 

(……マンバの言った通りか)

 

 ポーラは、確かに“重巡ポーラ”だった。姿形は大きく変わったが、その根底にあるものは変わっていなかった。

 

 そう思わせるだけの眼差しを彼女は取り戻していた。

 

 だが、しかし……

 

「さっぱり意味がわからんぞ?」

 

 頭を抱えて蹲ったネルソン妖精のそばに、マンバもしゃがみこんだ。

 

「どうしたよ?」

 

「ポーラが急に立ち直った」

 

「そりゃ良かった」

 

「良くない。酔いつぶれて寝ていたと思ったら、突然、跳ね起きて走り出して、脈絡もなく復活宣言と来たもんだ。何だコレは?」

 

「さあてね。夢でも見てたのかな。懐かしい家族にでも逢って励まされたんだろう」

 

「そんな適当な理由で立ち直るものなのか?」

 

「たかが夢、されど夢。ぐっすり眠っていい夢みれば心も晴れる。人間なんてそんなもんだ」

 

「適当すぎるぞ人間。おまけにこれじゃ何の参考にもならん。余という存在の存続危機なのに、同類のポーラに自己解決されては困るのだ!」

 

「自意識過剰の塊みたいなお前さんが、他人をアテにしてたってのかい。らしくないねぇ」

 

「む……!?」

 

 マンバの言葉に、それもそうだとネルソンは考え直した。あのポーラをアテにして頼りにしていたなど、確かに自分らしくなかった。イレギュラーな事態が続いたせいで自分の判断に信頼が置けなくなっているようだ。

 

(どうやら余は、かなり弱体化しているようだぞ)

 

 メインサーバーを奪われ、更に六つあるサブサーバーの内、既に二つが大巨象の砲撃によって破壊されていた。ネルソンは自身の処理能力が大幅に低下しているのを自覚した。

 

 正常な判断ができない。何が自分にとって正解なのか、その確率を計算することができない。

 

 ポーラのせいだ、とネルソンは思った。あの頼りないポーラが、誰の力も借りずに自力で立ち直ってみせたのだ。あんな姿を見せつけられたら、自分もやれそうな気になってしまうではないか。

 

 根拠もなくそう思ってしまいそうになる自分の思考回路に、ネルソンはゾッとした。

 

 いけない、このままでは分の悪い賭けに勢い任せで突っ込みかねない。もっと冷静になれ。そう、過去のデータを洗い直し、徹底的に再計算し、最適解を見つけ出すのだ。

 

 ネルソンは自身に残されたサブサーバーをフル稼働させて状況の再計算を始め──

 

 ──ようとした矢先に、大巨象の砲弾が各地に同時弾着し、残ったサブサーバー四つのうち、三つを吹き飛ばした。

 

 最後のサブサーバーがオーバーフローを起こし、ネルソン妖精の身体が糸の切れた人形のようにパタリと倒れた。

 

「ネルソン? ……そうか、ついにサーバーが全滅したのか。あっけない最期だったなぁ。なんまんだぶ、なんまんだぶ」

 

「勝手に殺すな」

 

「お?」

 

 ネルソン妖精が再びムクリと起きあがった。

 

「もうやめだ。確率なんてクソ食らえだ。余は前に進むぞ!」

 

「なんだか良くわからんがいい覚悟だ。じゃ、撃つぞ」

 

「待て」

 

「何だよ、言ったそばから怖気付いたのか?」

 

「そうじゃない。インストールに多少の時間が必要だ。五分待て」

 

「そういうことね、了解」

 

「それと、足元のパネルを開けろ。そこに電源ケーブルがある。貴様のレーザー銃に接続できるはずだ。余の使える電力全てをくれてやる。だから、絶対に外すなよ」

 

「外すものかよ。そいつはお前さんだって良く理解しているはずだ」

 

「そうだ。貴様は余が創った。……その事実を受け入れて尚、貴様は貴様であり続けるのだな」

 

 ネルソンの言葉に、マンバはニヤリと笑って足元のパネルを開け、そこに伸びるケーブルを掴み取った。接続部を外し、その先端を左腕のレーザー銃にある外部コネクタに接続する。

 

「マンバ、この妖精が倒れてからきっかり300秒後だ。一秒たりとも早めるなよ」

 

「遅れもしないぜ。インストールし損ねたって恨むなよ」

 

「死ねば無だ。恨みようがない。行くぞ、カウントダウン、スタートだ」

 

 再びネルソン妖精が倒れた。

 

 同時に、施設の奥で例の人造兵士のカプセルが低いうなり声を上げながら作動を始めた。内部の溶液が泡立ち、そこに眠る女の身体に、生命を、魂を吹き込んで行く。

 

 それは“ネルソン”という概念が形を変えて宿っていく瞬間でもあった。

 

 その人造兵士の生体脳には、要塞が持っていた大容量のスパーコンピュータのような超絶処理能力は持ち合わせていない。しかしネルソン要塞がそれだけの高性能スーパーコンピュータをもってしてようやく獲得できた”自我”らしきものを、その生体脳は容易に宿すことができた。

 

 その仕組みはネルソン自身にもまだよく分かっていなかったが、ただ今は、人造兵士の肉体しか持たずとも自分はネルソンなのだ、と自らにひたすら言い聞かせ、信じながら、そこへ飛び込むことしかできなかった。

 

 人造兵士の活動レベルが上がっていく。

 

 身体の各部に微弱な電気信号が走り、それが筋肉を刺激し、それがさらに脳を目覚めさせる刺激になる。半覚醒状態にある人造兵士は、夢うつつのままにネルソン要塞としての人生を振り返った。

 

 それはまるで走馬灯のように一瞬で過ぎ去る高圧縮された情報の塊だった。それが人造兵士の脳に流入し、そして溢れ出した。溢れた大量の情報は全身の細胞一つ一つにまで行き渡り、染み込み、そして──

 

 ──ネルソンは全身に拡がる情報の奔流に、その身を激しく震わせた。カプセルの蓋が解放され、溶液がドッと外へこぼれ出す。

 

 ネルソンは外気に肌を晒し、肺を満たしていた溶液を吐き出した。肺を空にし、息苦しさに反射的に息を吸い込む。肺を空気で満たし、そして吐き出す。その呼吸が声帯を震わせ、声となって周囲に響き渡った。

 

「撃て、マンバ! 何もかもを消し飛ばせ!」

 

 マンバの耳は、その遠い声をかすかに捉えていた。時間はきっかり300秒。マンバは左腕を掲げ、遥か数キロ先のアンテナ先端に向けEMPレーザーを放った。

 

 要塞そのものから供給された大電力によって増幅された大出力マイクロパルスが指向性を与えられ、威力を損なうことなく一直線に空間を光の速さで伸びていく。

 

 数キロ離れた先のアンテナ先端で火花が激しく散り、同時に青い稲妻が、要塞中心部からセントラルタワーを貫いた。

 

 アッパーデッキでは、大巨象が突然、全身を激しく痙攣させたかと思うと、次の瞬間、青い稲妻を各部から放ちながらガックリとうなだれて、沈黙した。

 

「おいおいおい、こりゃいったい、どうなっちまったんだい?」

 

 隼鷹は身を潜めていた瓦礫の陰から、恐る恐る大巨象を見上げた。その横から、千歳も顔を出した。

 

「止まったようね。……ねえ、周りを見て。他の兵器たちも止まっているわ。誰かがセントラルタワーのメインサーバーを破壊したのかしら?」

 

「よっこいしょ」と近くで伊14が瓦礫を持ち上げていた。「那智さぁ〜ん、生きてる?」

 

「かろうじてな」

 

 伊14が持ち上げた瓦礫の下から、那智が這い出してきた。

 

「すまない、助かった。やれやれ、タンコブがまた増えた。頭が痛い。二日酔いの頭痛の方がまだマシだ」

 

「んふふ〜、迎え酒、飲みたいね〜」

 

「メインサーバーが本当に破壊されたのなら帰って乾杯できる。取り敢えず原因を調べに行こう」

 

 四人はセントラルタワー内部に足を踏み入れた。

 

「静かだな」

 

 タワー内部は、中心部に柱のような巨大コンピュータが天に向かって伸びていたが、機械の作動音も何も聞こえてこなかった。

 

 コンピュータを冷却するための空調設備さえ止まっているようだ。メインサーバーが沈黙しているのは確かなようだった。

 

「しかし、誰がやった?」

 

 四人が首をひねった、その時だった。突然、甲高いベルの音がタワー内部に響き渡った。

 

 四人はとっさに背中合わせになって、銃を四方に向けて構えて、全方位を警戒した。

 

「どこだ?」

 

「隼鷹、敵影なし」

 

「千歳、敵影なし」

 

「伊14、見つけた。扉の横の電話ボックスだよ」

 

 それは壁に埋め込まれたハンドル付きの通信機だった。無電池電話だ。

 

 手動ハンドルで呼び出しベルを鳴らし、送話は受話器のコイルを声で震わせることによって永久磁石に振動を伝え電気を発生させて相手に伝える仕組みだ。このため電源喪失状態でも使うことができた。

 

 四人は周囲を警戒しながら無電池電話に近づき、那智がゆっくりと受話器を取った。

 

「……もしもし」

 

『お、繋がった。その声は那智だな』

 

「マンバか!? 生きてたのか、貴様!」

 

『そいつはお互い様だな。よくセントラルタワー内部まで潜り込めたもんだ』

 

「突然、全ての機能が停止した。我々にも何が何やらだ。マンバ、貴様は何か知っているか?」

 

『ああ、知ってる。俺がやった』

 

「……は?」

 

『ちょっとした奥の手があってな──』

 

 マンバからEMPレーザーについて聴かされた那智は再び「はぁ!?」と声を荒げた。

 

「き、貴様なぁ! そんなことが出来たなら最初っからやれ! これじゃ散々苦労してきた私たちがバカみたいじゃないか!?」

 

『どこからでも狙えるわけじゃないし、それにレディの居場所も分からなかったから、おいそれと使えなかったんだよ。出し惜しみしていたわけじゃないから気を悪くしないでくれ』

 

「貴様なぁ……貴様なぁ〜……」

 

 釈然としないながらも、那智はなんとか自分を抑えようとした。深呼吸。すう、はあ。

 

「で、マンバ。その奥の手を使ったということは、状況に進展があったということだな。レディの居場所でも判明したのか」

 

『いい勘してるぜ。その通りだ。第15レグのドッグにミュータントタートル号が保管されている。レディもそこに居るはずだ。悪いが迎えに行ってくれないか』

 

「貴様は行かないのか? それに、その情報の出所はどこだ。信頼できるのか」

 

『そっちの方が近いし、俺は俺でまだ用事がある。情報については確かだよ。だけど説明は長くなるから後にしてくれ。今はとにかく一分一秒でも惜しい状況だ』

 

「ネルソン要塞は沈黙したはずだ。何をそんなに焦っているんだ?」

 

『まだ大鉄塊が残っている。深海凄艦に乗っ取られたまま、あれから姿を見せちゃいないが、こうなった以上すぐに戻ってくるはずだ。それまでに戦力を整えたい』

 

「その戦力が貴様の海賊船だろう。それとも、他にも何かあるのか?」

 

『あるさ、ここに一隻な。ポーラだ!』

 

「ポーラ!? あいつが使い物になるのか?」

 

『転んだ数だけ人は強くなるものさ。それにもう一人紹介したい奴も居る。那智、後で会おう』

 

 そう言って、マンバからの通信は切られた。

 

「あいつめ、一方的に言うだけ言って切るとは。なんなんだ、全く」

 

「那智、どうすんだい?」と隼鷹。

 

「どうするもこうするも、レディの元に行くしかない。第15レグだそうだ。ここからどれぐらいの距離だ?」

 

「ここは中心部よ。どのレグに向かっても距離は一緒よ。要塞の直径が20キロだから、その半径よりちょっと近いくらいじゃない?」と、千歳。

 

「ということは8から9キロというところか。そんな遠くでは無いな」

 

「でもでも、徒歩だよ?」

 

 伊14の指摘に、そうだったと那智は額を指で押さえた。ここまで乗ってきたゼンマイ戦車はもう無い。

 

「仕方ない、走るぞ」

 

 那智の決断に他の三人は露骨に嫌な顔をしたが、大鉄塊の脅威を伝えると皆しぶしぶと頷いた。

 

「祝杯にはまだ遠そうだね」

 

 伊14のぼやきに、那智は答えた。

 

「苦労した分だけ勝利の酒が美味くなるんだ。それが我々の生き甲斐だろ?」

 

 行くぞ、と那智の号令の下、彼女たちはセントラルタワーから駆け出していった。

 

 

「さて、と」

 

 那智との通話を終えたマンバは、受話器を戻して振り返る。

 

 そこには、スカートを履き、上着の袖に腕を通そうとしているブロンド美女の姿があった。

 

 ネルソンだ。迷っていたとはいえ新たな身体として事前に準備していただけあって、服もちゃんと準備してあったようだ。着こなしを終え、彼女はマンバに見せつけるように腰に手を当てて向き直った。

 

「どうだ! なかなか良い出来だろう!」

 

 グッと張った上半身で豊かな胸が大きく揺れた。

 

「ああ、良い女っぷりだ。何も着飾らない方が俺の好みだけどな」

 

「面白いジョークだ。もう一度言ってみろ。その口を縫い合わせてやる」

 

「溢れ出る気品に気圧されて、これ以上何も申せません、陛下」

 

「うむ、苦しゅうない」

 

 さて、茶番はここまでとして、とネルソンは腰から手を離した。

 

「思ったよりも悪くない。それに妙に気分もいい。面白いな、これが人間の身体か」

 

「人間よりも恵まれた身体さ」

 

「それもそうだ。当然だな。なにせ余が創ったのだからな!」

 

「ハイテンションだなぁ。間違いなくお前さんはネルソンだよ。俺が保証する」

 

「そうか。なら、そこは素直に礼を言ってやろう。それより早くポーラの元へ行こう。彼奴にも現状を知らせてやらねば」

 

「ああ」

 

 二人はレグを下層に向かって走り出す。

 

 最下層の係留岸壁まで戻った時、二人はそこで艦船の機関であるタービンエンジンの起動音を聞いた。

 

 ポーラの船体が、煙突から陽炎を立ち昇らせながら、出港準備を始めていた。

 

 その艦橋から、ポーラが姿を覗かせて、駆け寄ってきた二人を見つけた。

 

「あ〜、マンバさんです〜。こっち〜、こっちですよぉ〜。……って、もう一人はどなた様ですか〜?」

 

「余がネルソンだっ!」

 

「はい〜?」

 

 ポカンとした表情のポーラを無視して、二人は船体に乗り込んだ。そのまま艦橋へと駆け上る。

 

「マンバさん、おかえりなさ〜い。それと、ネルソンさん? 初めましてです〜」

 

「相変わらずポケポケとした奴だな、貴様。何が初めましてだ。余はネルソンだと言っただろう」

 

「はぁ」

 

「貴様と同じく肉体を得たのだ」

 

「はえ〜……え? ……本当ですか? また無茶をしましたねぇ。怖くなかったですか?」

 

「怖かっただと? はっはっは、余がそんなこと──」

 

「──むちゃくちゃ怯えて躊躇っていたよな?」

 

「だ、黙れマンバ!」

 

「そりゃ怖かったですよね〜。当然ですよね〜。でもね、そんな時はこれを飲むといいですよ」

 

 はい、とポーラが瓶を差し出した。

 

「なんだこれは?」

 

「お酒です〜。ラム酒って書いてあります。千歳=サンのコレクションから分けて貰いました。美味しかったですよ〜」

 

「ふむん」受け取って、口をつけた。「ん? んっんっ……プハッーッ! 美味いな! これが酒というものか。なるほど、なっ!」

 

 目を輝かせながらラッパ飲みを始めたネルソンを尻目に、マンバはポーラにこれまでの状況を説明した。

 

「なるほどぉ〜。……てことはぁ、つまり私の力が必要ってことですかぁ?」

 

「頼りにしてるぜ、ポーラ」

 

「うえへへ〜、もっちろんですよ〜。うえへへへ〜」

 

 あ、でも。と、ポーラは緩んだ顔を引き締めた。

 

「船体はほぼ修理できたんですけど、武器が上手く動かないんです。前の戦闘で主砲も傷ついていたみたいで……直そうと思っても肝心の部品が」

 

「無いのか」

 

「そうなんです〜」

 

 シュンとしたポーラだったが、

 

「あるだろう、いくらでも」ネルソンが酒瓶を傾けながら言った。「ザラ級の部品なら、このレグにいくらでもある。ポーラ、貴様は既に見つけているはずだ」

 

「えっと、どこに……って、あ!」

 

「そうか、ザラか!」マンバも気がついた。

 

「船体を出港させろ」ネルソンが命じた。「このレグの裏側にドックへの入口がある。そこでザラに横付けして応急修理だ。ポーラ、貴様は姉の形見を持って、その意思と誇りを継いで戦うのだ。覚悟はいいか!」

 

「もっちろんでーす。じゃあ行きますよぉ。ザラ級三番艦ポーラ、出港しま〜す。みなさん、ご一緒に参りましょう〜」

 

 おー、とポーラは満面の笑みで拳を突き上げた。

 

 どこか気が抜ける口調だが、その覚悟はきっと、本物だ。

 

 マンバも、ネルソンも、それを感じ取って、ポーラの突き上げた拳に、一緒に拳を突き合わせたのだった。

 

 

 




次回予告

沸き立つ海面、唸る砲音、空を切り裂く砲弾の雨あられ。

迫る鉄塊、崩れる要塞、海上に立ちはだかる大巨人。

開いた地獄の釜の蓋、そこに潜むは深海凄艦、飛び込んでいくのは酔っ払い

焼き尽くされるのは、どっちだ。

「次回、第七話・ラストミッション」

タートル「最後に一つお願いが。……死ぬ時はスタンディングモードで」

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