艦これ海上戦記譚~明け空告げる、海をゆく~   作:PlusⅨ

52 / 63
第二十三話・チェスト二水戦!(2)

 性は郷海、名は隼人。

 

 生まれは薩摩の人里離れた集落で、時代錯誤な武家者(ぼっけもん)の伝統を頑なに守り続ける豪農の跡取り息子として育てられた。

 

 郷海家先祖代々の家訓に従い海軍士官学校に入校し、そして今では海軍一の精鋭集団、百戦錬磨の荒くれ者たちである秘密部隊・第二水雷戦隊を束ねる男・通称【豪快なる隼人】として、密かに噂される男である―――らしい。

 

 俺が豪快? 冗談でも酷いもんだ。しかも二水戦を束ねるだって? とんでもない。実態は担がれているだけ……いやむしろ、どえらい暴れ馬の背から振り落とされないように必死にしがみついているだけ、というのが正しい。

 

 軍人としての能力も性格もせいぜい人並みか、もしくはそれ以下。それが俺の正体だ。

 

 ただ、幸か不幸かバランス感覚だけは人並外れたものを持っていた。幼いころから祖父に乗馬を仕込まれていたおかげだ。

 

「ぼっけもん足っもん、暴れ馬ん馬上で眠るっぐれでなかてかん」

 

 なに言ってやがんだこのクソジイイと内心では思いつつも、逆らうほど気が強くなかった俺は、爺様に言われるがままに乗馬を仕込まれた。それこそ暴れ馬の背で気を失ってもなお、だ。

 

 まったくよく生き延びれたものだ。馬など二度と乗りたくないというトラウマと引き換えに、激しく揺れる船上でも立ったまま気絶できてしまうなんていう全然誇れない特技だけ身についてしまった。

 

 本当にこの部分だけは我ながら超人的だと思う。今回もハッと気が付いたときは既に訓練が終わっていたが、同じく艦橋内に居た神通が、

 

「流石は提督……あれだけの操艦の中で顔色一つ変えず微動だにもされないなんて……。やはり、恐ろしいお方ですね…」

 

 と、ぶつぶつとつぶやいているのが聞こえて、俺は頭を抱えたくなった。

 

 あのね神通さん、君また誤解してるよ。そうじゃないんだよ。俺ただ気絶していただけなんだよ。むしろ俺は君の方がよっぽど怖いよ。

 

 あ、もしかしてまだ訓練スケジュール残ってるとかじゃないよね。やだよ、もうやめだ。今度こそちゃんと中止って、はっきり言うんだ。

 

「帰っぞ、神通」

 

「……あ、はい!」

 

 よし、言えた。神通も心なしかホッとしたように答え、部下の艦娘たちに対してきびきびと帰投命令を出し始めた。

 

 ……おかしい。神通がこんなにも嬉しそうに帰投したがるなんて。

 

 見た目引っ込み思案で大人しそうだけど、根はガチガチに真面目で、一度決めたことは絶対にやり遂げる頑固者だ。そんな彼女が訓練スケジュールを残して途中で帰るなんて、絶対不服に思うはずなんだが。

 

 と、そこまで考えていたとき、何気なく時計に目を向けた俺は、その時刻を見て思わず声を上げかけた。

 

 訓練終了の予定時刻を大幅に過ぎていた。なんでこんなに予定オーバーしちゃってるの!?

 

「神通…」

 

「は、はいっ! あ、もしかして帰っちゃ駄目でしたか!? わ、私ったらまた思い違いを。申し訳ありません、すぐに訓練を再開し――」

 

「――いや、帰る! それで、いい!」

 

 すぐに訓練再開の信号を出そうとした神通を、俺は何とか押しとどめることに成功した。標準語にこだわるあまり何だか片言めいた口調になってしまったが、どうにか通じてくれて良かった。

 

 それと神通の今の反応で、予定が大幅オーバーした理由も察することができた。俺が気絶していたからだ。

 

 神通は予定していた訓練スケジュールを全て消化したことを例のおどおどした調子で俺に報告していたに違いない。

 

 けれで俺が立ったまま――気絶していたので――何も言わなかったために、俺がまだ満足していないと思い込んで、訓練をずっと繰り返していたのだ。

 

 それも、当の神通自身がへとへとに疲れ果てるまで、だ。

 

 俺の背中にゾッと悪寒が走った。これ、もし俺の目が覚めなかったらどうなっていただろうか。燃料が尽きるか、それとも誰かが倒れるまで続けていたかもしれない。

 

 いや、倒れるだけならまだいい。その時はサポートAIが代わりに帰投してくれる。しかし疲労困憊した状態でそれでも訓練を続けていたら、いずれ船体同士の衝突事故を引き起こしかねなかった。

 

 そうなったら最悪だ。実戦ではなく訓練で艦娘や船体を失うような真似は愚の骨頂である。

 

 俺はペーパー試験の成績だけで出世してきた無能提督だが、部下を訓練で殺すようなクズにだけはなりたくなかった。だから……

 

 ……だから、せめて、今度から気絶するときはちゃんと倒れるようにしよう、と俺は心に誓った。

 

 できるものなら、だけど。

 

 

 

 

 

 

 そもそもなんで俺が、こんなヤバい部隊の提督なんかに任じられてしまったのか。その理由は誰にも分からなかった。冗談みたいな話だが、本当だ。

 

 参謀本部の片隅で雑用をやっていたしがない少佐だった俺に人事異動の辞令書を突き付けてきた当時の上司も、その首がねじ切れるんじゃないかと不安になるくらい首を捻っていた。

 

「おめでとう、と言っていいのか分からんが、臨時昇進付きの大抜擢だ。君があの二水戦の司令だって? どういうことだ?」

 

「…そいをおいに聞かれてん困っもうす」

 

「海軍総隊の人事部長にも問い合わせてみたが、奴もわからんと言っていた。人事AIの推薦だそうだ。“人知の及ばぬ膨大なビッグデータを基にした厳正な適性検査の結果だから悪いようにはならないだろう”なんて無責任なことをほざいてやがった。人事と書いて“ひとごと”と読むとはよく言われていたが、AIの本格導入からより酷くなっている気がするな」

 

 ぼやく上司から受け取った辞令書には配属先が記されていなかった。あるべき部隊名は黒塗りで潰されており、書類の片隅には【極秘】のマークがあった。

 

 上司が言った。

 

「今の二水戦は見ての通り極秘部隊だ」

 

「いつからそげんこっになったとですか?」

 

「知らん。いつの間にかそうなった。任務内容はもちろんのこと、保有戦力から人事の内容に関するまで全て閲覧不可扱いだ。指揮権すら統幕直轄となり、もはや海軍とは名ばかりの部隊と成り果てた」

 

 へえ、今そんなことになっていたのか。聞けば聞くほど不可解な部隊だ。そこに大事な部下を差し出せと言われた上司の憤りは察するに余りある。

 

「おいんこっを気遣うてくださり感謝すっ」

 

 俺が礼を言うと、上司は「何言ってだコイツ」と言いたげな目で見返してきた。

 

「気遣う? 君を? …いや、まぁ、うむ、そういうことにしておこう」

 

 気まずげな上司の様子に、俺は言わなきゃ良かったと後悔する。

 

「まぁとにかくだ」と、上司。「人事AIも二水戦も何を考えているんだか分からんが、残念ながらこれはもう決定事項だ。私や君が何を言ってももう覆らん。君の後任が補充されないこともな。ひどい話だ。今、君が抱えている仕事は私が全部引き継がなきゃならん。異動までになるべく仕事を済ませておけよ」

 

「…了解、です」

 

 不満げな理由はそれか。人事は他人事なんて言っといて、この上司も他人のことを言えた義理じゃなさそうだ。

 

 やれやれ、と上司の元から退席しようとしたとき、再度、上司から呼び止められた。

 

「ああ、君の送別会だがね」

 

「はぁ」

 

「さっき言った通り人事も極秘事項だから周りに知らしめるような宴会なんてできん。悪く思わんでくれ。以上だ、行ってよし」

 

 くそくらえ。温厚で小心者な俺だが、思わずそう叫びかけた。

 

 

 

 

 そんなこんなで心中もやもやを抱えながら着任した二水戦司令部で、秘書艦として出迎えてくれたのが軽巡艦娘・神通だった。

 

 なお、前任の司令は居なかった。なんでも前任の秘書艦と一緒に戦死したらしい。

 

 は? 嘘? 戦死? 聞いてないよ、そんなの。

 

「あの…その…極秘事項らしいので……」

 

 だからって後任にまで秘密にしておくこともないだろうに。

 

 しかし神通に文句を言っても仕方なかった。なにしろ彼女も、前任秘書艦の戦死によって急遽、繰り上げ任命された秘書艦初心者なのだ。

 

 司令と秘書艦、二人そろってロクな引継ぎも受けられず右も左も分からない中、戦隊司令部・戦術AIの助けを借りて部隊運用の勉強をするところから俺の提督ライフは幕を上げた。まったく酷いものだ。

 

 酷いといえば、この部隊の内実もなかなか酷かった。

 

 二水戦は極秘部隊に移行してから一年と半年程度しか経っていないにもかかわらず、司令は既に三度も交代していた。しかもなんと、その理由は全て戦死だった。

 

 それを知ったとき俺は唖然とした。いくら前線部隊とはいえ、後方で指揮を執るべき提督がこうも立て続けに戦死するなんて尋常じゃない。

 

 当然、部下である艦娘たちの損耗率もとんでもないものだった。

 

 なにしろ八個駆逐隊・三十数名もいる艦娘たちの中で、極秘部隊移行当時から在籍している者は神通をはじめわずか数名しかいないのだ。それ以外は皆、死傷により離籍したのだという。

 

 どれだけ過酷な戦場に投入されてきたんだ、いったい。

 

 知るのが怖かったが、知らないわけにはいかなかったので残された戦闘記録に目を通してみたが……吐き気がした。

 

 この世の地獄みたいな戦場ばかりだった。

 

 こんな任務、行けと命令する方もする方だが、従う方も大概だ。よくみんな大人しく命令に従ったな!?

 

「報酬制なんです…ここ……」

 

 と、神通が言いづらそうに教えてくれた。

 

「正規の規則じゃないんですけど、命令に従って出撃すれば任務の危険性によって基本給の数倍以上の手当がつくんです」

 

 まじか。詳しく聞くと、どうやら名目上は提督のポケットマネーということになっているらしい。財源どうなってんだ。

 

「艦娘たちは任務を拒否することも出来るんです。そのかわり拒否した任務の報酬と同額かそれ以上の金額を払う必要がありますけど、でも、条件はそれだけで、不服従の罪には問われないのが暗黙の了解なんです」

 

 つまり金と引き換えに命の保証を得られるということか。

 

「わ、私は…こんな性格だから、出撃が怖くて……いつも……お留守番してて……」

 

「じゃっで生き残ってこれたちゅうこっか」

 

「も、申し訳ありません…っ。私のような臆病者が秘書艦になってしまって……」

 

 二水戦の暗黙の了解はもう一つあった。司令と秘書艦はどんな出撃も拒否できないというものだ。エグイ、エグすぎる。

 

 上層部はなんと酷い部隊を作り上げてしまったのだ。提督も艦娘も消耗品にしか見ていないような部隊だ。こんなの、秘密にしておくのも当然だ。絶対に表沙汰にできない。

 

 でも、だからといってこの部隊をこのままにして置いたなら、俺が死ぬ。神通も死ぬ。部下たちもある程度は出撃を拒否できるとはいえ、それでもいつしか神通のように否応なしに出撃せざるを得なくなる。

 

 なにより、こんな消耗を前提にしたような部隊は、人的リソースも含めた資源の無駄遣いでしかない。資源を海外に頼る輸入大国でありしかも少子高齢化が深刻化している我が国にとって、これは全く割に合わない話だった。

 

 俺は激怒した。必ずやこの理不尽を正さねばならぬ。俺は小心者で優しさだけが取り柄みたいな男だが、一生に一度くらいは命を懸けて怒らねばならぬ時があることは知っている。そう、今がその時なのだ。

 

 俺は神通に留守を任せ、直属の上級司令部である統合幕僚本部へと乗り込んだ。

 

「二水戦司令、郷海大佐(仮)でごつ」

 

 玄関先の受付に名乗った途端、たちまち守衛の海兵隊員たちに周囲を取り囲まれた。

 

「うかつにご自分の所属を名乗らぬよう、ご忠告いたします」

 

 ドスの利いた声で耳打ちされ、そのままあれよあれよという間に司令部庁舎の地下へと連れ込まれた。

 

「おう、お前さんが新司令の郷海か。わざわざ着任の挨拶に来るとは殊勝な男だな!」

 

 地下の暗い部屋で待ち構えていたのは統幕作戦部長の野木 魔鈴だった。顔の古傷が厳めしい“山賊”だ。

 

「で、他に何か用か?」

 

 山賊の目がすっと細められ冷たい光を帯びた。人殺しの目だ。こんな女が直属の上官なら二水戦があんな性格なのも理解できる気がした。

 

 山賊の眼光を目の当たりにして、俺は股のアレが縮み上がる心地だった。しかしここで言うべきことを言わなければ、俺のアレどころが寿命が縮む。

 

「部隊ん体質改善を求めに来とうです」

 

 俺はなけなしの勇気をあらん限りかき集めて言った。

 

「隊に下される任務があまりにも過酷すぎっど。出撃ごとに必ず戦死者が出っことを前提にした作戦などありえもはん。しかもほぼ二水戦単独ん作戦ばっかいで他部隊ん支援も受けられんのはどげんなもんか。どしこ秘密部隊によっ極秘任務でん、こいではけしめちゅうようなもんじゃらせんか」

 

 俺は部隊の問題点を必死で訴えた。始めは声も足も震えかけていたが、話続けているうちに少しずつ治まり、むしろ熱が入って言いたいことがどんどん言えるようになった。

 

「よろしかと。艦娘は消耗品じゃらせん。彼女たち一人を一人前ん艦娘に育成すっとにどれだけん費用と時間、そして多うん人間ん努力と献身が費やさるっんか理解しちょらるっと。そげんして大切に育て上げた一騎当千ん武家者たちなのど。いや、それ以上に彼女たちにも大切な家族があり、大切な未来があっ。そいをあたら無暗に散らせっような無謀な作戦に投入すっことに、おいは断固として反対いたします。現代ん戦闘はもはや前時代んような人海戦術ん時代じゃなかのど。兵は畑では取れんとじゃ。あてはもっと効率的な、リスクと損害を抑えた部隊運用を――」

 

 ズバァン! と目の前のデスクが大きな音を立て、それで俺はハッと口をつぐんだ。山賊がデスクを叩き付けたのだ。

 

 ただし、俺の発言に激高してデスクを殴りつけた訳ではなかった。

 

 彼女はにやけた笑みを浮かべながら、足元からドデカイ酒瓶を取り出し、それをデスクの上に勢いよく降ろしただけだった。

 

「なかなか威勢がいいな、新入り。お前が何を言っているのか正直さっぱり聞き取れんが、お前の並々ならぬ決意と覚悟と熱意と気迫は伝わった。素晴らしい。気に入った。――飲め!」

 

「いや、おいは勤務中で…」

 

「飲めっ!!」

 

 でかい湯呑いっぱいに酒を注がれ、目の前に突き出された。黒焼酎だ。それもかなりの高級品。芳醇な香りが鼻腔を抜け、思わず咽喉がごくりと鳴る。

 

「で、では、一口……」

 

 酒の香りと山賊の気迫に押され、湯呑を受け取ってしまった。ちびり、と唇を湿らす程度に舐める。………美味い。

 

 かすかに口元を緩めた俺を見て、山賊は一瞬凶暴な笑みを浮かべると、手にしたでかい酒瓶を口元に運び、そのまま片手で豪快にラッパ飲みした。

 

「フフフ…郷海よ、まぁ座れ」

 

 口元を手の甲で拭い、ギラつく眼光の魔鈴に勧められるまま、俺はデスクの前にあるパイプ椅子に腰を下ろした。両手で握った湯呑は細かく震え、今にも中身をこぼしてしまいそうだ。

 

 怖い。

 

 今にも捕って食われそうな恐怖を誤魔化すために、俺は手にした酒をグッと一息で飲み干した。

 

「いい飲みっぷりだ、郷海。そうだ、酒はそうやって飲まねばならん。舌先で舐めるなど以ての外だ。腹だ。味も、香りも、全て呑み込んで腹の底で味わうのだ」

 

 魔鈴が酒瓶を突き出す。注いでくれるというのではない。瓶ごと受け取れと言う意味だ。俺は両手を伸ばし、ズシリと重いそれを受け取った。

 

「飲め」

 

 逆らったら殺す、とその目が言っていた。俺は焼酎をラッパ飲みした。咽喉がカッと熱くなり、その衝撃に激しくむせ返った。

 

 身体をくの字に曲げて咳き込む俺に、魔鈴が言った。

 

「軍隊も同じだ。任務も命令も、丸ごと呑み込んで腹の底でじっくりと考えろ。それでおのずと答えが出る」

 

「し、しかし准将…」

 

「部隊の改革がしたければ好きにしろ。二水戦はお前の部隊だ。思うがままに弄るがいい。そのために金が必要だというなら幾らでもくれてやる。人員が足りなくなったらどれだけでもかき集めてやる。その代わり任務は必ず遂行しろ」

 

 頭上から圧し掛かる声の迫力に押し潰されるように、俺はいつしかパイプ椅子から転げ落ちていた。俺の心を打ちのめす爆撃のように、魔鈴の言葉が降り注ぐ。

 

「いいか。お前たち二水戦に課せられる任務は、二水戦でなければ成し遂げられぬ任務だ。世界最強の水雷戦隊。不可能を可能にする特殊部隊。それが二水戦だ。それを忘れるな」

 

 飲め、という魔鈴の言葉に逆らえず、俺は再び酒瓶を呷った。それは有無を言わさぬ命令だった。どう考えてもパワハラ、アルハラそのものだが、どうしようもなかった。山賊に常人の倫理が通じるはずがないのだ。

 

 俺は一升瓶よりもさらに大きな酒瓶を空にさせられた後、再び守衛の海兵隊員たちに囲まれ、担ぎ上げられながら、帰りの車へと放り込まれた。

 

 次に気が付いたときは、二水戦司令部の仮眠室のベッドの上だった。

 

 ベッドの傍らで神通が不安げな様子で俺の額を濡れタオルで冷やしてくれていた。

 

「急性アルコール中毒一歩手前だったそうです」

 

「面目なか……」

 

「野木准将からお電話があり、事情をお伺いいたしました。二水戦を今よりさらに精強に改革するという提督の熱意に感じ入り、感動のあまりお互い酔いつぶれるまで飲みすぎてしまった、と。……あの“山賊”と呼ばれ恐れられているお方を酔い潰してしまわれたなんて……流石は提督です」

 

 いったい何の話だ。

 

「准将はおっしゃられました。この提督の元ならば次の任務もきっとやり遂げられるだろう、と…」

 

 嫌な予感がする。俺は痛む頭を押さえながら司令部戦術AIを呼び出し、上級司令部からの秘密電報の有無を確認させた。

 

 案の定、AIは統幕からの出撃命令書を受信していた。出撃は来月。深海棲艦が密集する某泊地への強襲作戦だった。

 

「とんでんなかことになった」

 

「と、とんでん…? え、ええと、その、確かにこの任務はかなり危険ですね。…正直、参加兵力の半分は帰ってこれないでしょう」

 

「そこまで危険な任務なんか?」

 

「過去最高レベルの報酬額に匹敵します。……これほどの金額、拒否するにしても払える艦娘はほとんどいないでしょうね……」

 

 アセトアルデヒドで痛む頭が更に痛んで、俺は卒倒しそうになった。だがここで倒れても事態は改善しない。俺や神通、そして艦娘たちが死ぬ時期が早まるだけだ。

 

「いけんかせないけん」

 

「いけ…?」

 

「おいはこれから作戦を立つっ。みんなで生きて帰っためん方策を探してみる。こん作戦にちてみんなに示達すったぁ方策が立つまでしばらく待っちょってほしか。よかね」

 

「あ、あの、えっと……とりあえず内緒ってことですか。…了解しました」

 

 俺は一人で地下の指令室に籠もり、戦術AIを駆使して何とか生き延びられそうな作戦の立案に取り掛かった。

 

 しかし、何をどうしても戦死者をゼロにすることはできなかった。

 

 どれだけ検討しても、神通の言う通り半数の犠牲は覚悟せざるを得なかった。

 

 戦術AIは俺に言った。

 

『戦力の損失を限りなくゼロにするには、もはや戦略目的を放棄する他に手はありません。つまり出撃そのものを拒否することです』

 

「そげんこっは不可能や。しきっはずがなか」

 

『できるはずがない、とおっしゃるのであれば、投入戦力そのものを拡充すべきです。損耗率50パーセントを1パーセント以下に希釈する程の人海戦術を提案します』

 

 それ単純計算で五十倍の戦力を投入しろと言っているのと同じじゃないか。そんなの海軍全体の戦力を投入したって足りやしない。野木准将は人的補充も惜しまないと言ってくれたが、無い袖は振りようがないのだ。

 

 というか、そんな無理筋の頼みをした日にゃ俺がその場で殺されかねない。いや、絶対殺される。あの山賊ならやる。

 

 じゃあどうするかと言ったら、残る拡充策はもうここの戦力の底上げしかないだろう。

 

 つまり、訓練による練度向上だ。俺は戦術AIに生存確率を上げるために最も効率のいい訓練を考案させた。

 

 で、その結果AIがお出ししてきたのは、これまたとんでもないものだった。

 

 レーダー、ソーナー、通信、灯火の全てを封じた状態での夜間戦闘訓練。速力は当然全速力で、おまけに実弾使用という、コイツ頭狂ってんじゃねえのかと言いたくなるような危険な訓練だった。

 

「実戦ん前に訓練で殺す気か!?」

 

『実戦より厳しい訓練で生き残った者たちなら生還確率は大いに上がりましょう。“訓練は実戦のように、実戦は訓練のように”です』

 

「訓練でふるいにかけちょったら戦力がどしこあってん足らんって。そうじゃなくて、育てっと!」

 

『では、これでいかがでしょう』

 

 次に出してきたプランは、操艦訓練、陣形成形訓練、通信訓練、射撃訓練、被害対処訓練といった基礎訓練のオンパレードだった。目新しさは何もない。むしろ艦娘候補生が練習航海で習うものばかりだ。

 

 なんでいまさらこんな初歩的なものを……と思ったが、訓練回数の項目を見て目を剥いた。

 

 通常の訓練ならばどれも日に二~三度もやれば十分なところが、どれもその二倍から三倍の訓練量を求めていた。

 

「えげつなかっ!?」

 

『これでも最低限の量です』

 

「時間も足らんし、なにより艦娘たちは人間なんじゃぞ。体力が持たん」

 

『必要最低限の休息期間は確保できます』

 

「プライベートゼロで24時間訓練漬けん地獄メニューか。誰がやっちゅうど、こげんもん」

 

『やらせるのは貴方の役目です。司令』

 

「無責任な」

 

『AIが責任を持てるのなら人間の仕事はありませんよ』

 

「……っ!?」

 

 冗談めかした戦術AIの物言いに、俺はゾッとした。

 

 AIは冗談を言わない。対人インターフェイスによって人間らしい振る舞いをしているが、その本質は哲学的ゾンビ以外の何物でもない。

 

 戦術AIはこう言っているのだ。“責任さえ与えてくれるなら、司令として指揮して見せよう”と。

 

 いや、それはさすがに穿ち過ぎか。しかしAIに責任まで負わしてしまえば人間の存在意義が危ぶまれるのも事実だ。

 

 なんてこった。俺は頭を抱えた。俺は自分と部下の命を守ると同時に、人間の存在意義まで守らなくちゃならないのか。

 

 俺は背中に薄ら寒いものを覚えながら、さらにいくつものプランを立てさせた。しかし出てきたものはどれも猛訓練と呼ぶのも生易しい代物ばかりだった。

 

『これをやらねば生き残れません』

 

 断言するAIに何も言い返せず、俺は奇妙な敗北感を味わいながら印刷された訓練案の束を抱えて執務室へと戻った。

 

 デスクの上に訓練案の用紙を投げ出し、椅子に座って悄然としていると、神通が様子をうかがいにやってきた。

 

「あ、あの……どうでしたか…?」

 

「……」

 

 果たして何と答えるべきか。俺が言葉に迷っていると、神通は恐縮しきった表情で「す、すいません…」と頭を下げた。

 

「差し出がましいことをお聞きしてしまいました。……あ、コーヒー、お淹れしますね…っ」

 

「コーヒーよりお茶が良か」

 

 ただでさえ胃が痛いのに余計に荒れそうだ。

 

「わ、わかりました。すぐにご用意を…っ」

 

 あたふたと備品のティーバッグで緑茶を淹れてくれた。それをデスクに置く際、彼女は訓練案の書類に気が付いた。

 

「あの…読んでも…よろしいでしょうか…?」

 

 俺は緑茶を口にしながら頷いた。安物のティーバッグだったが、ストレスで痛めつけられた俺の消化器官にとってはこれでも十分な慰めだった。

 

 けれど、こんな風にお茶を味わえるのも次の出撃までだろう。死んだら、こんなささやかな喜びさえ味わえないのだから。

 

「けしもごたなかなあ」(死にたくないなあ)

 

 思わず漏らしてしまった弱音に、訓練案を読み耽っていた神通がハッと顔を上げた。

 

 拙い。

 

 弱気な本音を聞かれてしまった。これは本当に拙いぞ。

 

「そうですね。…私も、これしか方法は無いと思います」

 

 ん? なんか誤解している? あ、そうか。死にたくないって訛りが通じてなかったのか。ちょっと安心した。

 

 神通はグッと唇をかみしめ、そして続けてこう言った。

 

「生き延びたければ、死にたくなければこの訓練をやり遂げてみせよ。提督はそう仰りたいのですね!」

 

 言ってねえよ!?

 

 思わずそう叫びかけたが、口に含んだお茶を吹き出さないようにするのに必死で何も言えなかった。

 

 かろうじてお茶を飲み込んだが、その際に俯いてしまったのを、彼女にはどうやら俺が頷いたように見えてしまったようだ。

 

「わかりました…。私、覚悟を決めます…っ。散っていった仲間たちのためにも……そして何より、私たちをそこまで思ってくださる提督の思いに応えるために……神通、やります!」

 

 そう言い切ってくれた神通だったが、けれどその目は涙ぐみ、手も足も細かく震えていた。待ち受ける実戦と、死と、それに匹敵する猛訓練を超えた猛訓練への恐怖だった。

 

 そんなの、俺だって震えてしまう。けれど神通は、それに屈する一歩手前で、それに必死に抗っていた。

 

「神通……やってくるっか…!?」

 

「はい。…提督、どうか私たちを導いてください」

 

「承知した…っ!」

 

 思わず、本当に衝動的に思わず、俺は神通の決意に応えてしまった。そう、全てはここから始まったのだ。

 

 ……始まってしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 生き残るために猛訓練を課す。と二水戦の艦娘たちに告げた時、当然、激しい反発が起きるものと思っていた。

 

 しかし意外なことに、彼女たちは素直にそれを受け入れた。

 

 個人的に差異はあるが、基本的に彼女たちが従った理由は、やはり成功報酬にあった。なにしろ過去最高額に匹敵するほどの報酬の任務だ。これを拒否するには同額以上の金を払わなければならないが、それができるものはほとんどいなかった。

 

 しかし、もちろんというべきか、この高額報酬を手に入れるために積極的になる艦娘たちもいた。むしろそっちの方が多かった。報酬のためなら命の一つや二つは惜しくないという気概の艦娘たちが大半だったのだ。

 

 だが、俺はそんな彼女たちを守銭奴と軽蔑する気にはなれなかった。

 

 艦娘たちも人間で、ここに来るまでの人生があるのだ。若い女性たちが青春を捨て、命を危険にさらしてでも大金を手に入れようと戦うに至った、そんな壮烈な半生を経てきた者たちで二水戦は編成されていた。

 

 むしろ神通のような女性がなぜこんな部隊に居るのか、そっちの方が不思議だった。

 

 俺は訓練が始まる前、たまたま休憩所で一緒になった古参の艦娘の一人に、神通の評価をこっそり聞いてみた。

 

「あ~、あの方はですね~」

 

 駆逐艦・綾波はペットボトルのお茶を手にしたまま、おっとりとした口調で話し出した。

 

「頼りなさそうに見えますけどね~、でもねえ、これまでちゃんと生き残ってきましたからねぇ」

 

「出撃拒否も多かったち聞っどん」

 

「拒否するにもお金がかかりますからねぇ。二~三回も連続して拒否してたら赤字じゃ済まないですよ。……自分が確実に生き残れるかを見極める戦術眼と、危険を避ける本能的な直観。彼女のそれを疑う艦娘なんて、ウチには一人もいませんよ」

 

「戦術眼…」

 

 そういえば今回の作戦、任務指令書をざっと眺めただけで戦術AIとほぼ同じ損害を見積もってみせたが、あれは偶然じゃなかったのか。

 

「まあ、神通さんの凄さはそれだけじゃないんですけどねぇ」

 

 そう言って綾波は薄く笑った。

 

 そのときの綾波の目は、獰猛な獣のそれだった。外見は神通と同じくらい温厚でおっとりとしていたから気軽に声をかけたのだが、その中身はいくつもの死線を潜り抜けてきた兵(つわもの)だった。事務仕事ばかりやってきた俺なんかとは格が違う。

 

 綾波は外見は穏やかな雰囲気を崩さぬまま、茶を口にしながら間延びした口調で続けた。

 

「“あの人が出る海域なら楽勝だ”。そう侮って死んでいった艦娘たちを私は何人も見てきました。そりゃあそうですよ。だって神通さんの基準で測って死なないんであって、その辺の艦娘のレベルじゃないんですからねぇ」

 

「神通はそれなりん実力者ちゅうこっか?」

 

「それなりどころかトップレベルですよ。だから生き残ってきた……その彼女が次は死ぬかもしれないって言うんです。それがどれだけヤバいか、みんな分かろうってものですよ」

 

 でも、それでも君は出撃に志願するのか。俺はそう問いかけそうになって、慌てて口をつぐんだ。茶飲み話で聞くには、それはあまりにも踏み込み過ぎた質問だった。

 

 綾波は次の出撃で生還したなら、その数週間後には引退が決まっていた。

 

 作戦開始まで一か月。

 

 二水戦は猛訓練に猛訓練を重ねた。俺も会議やどうしても外せない業務以外は、可能な限り艦娘たちの船体に同乗し、訓練に付き合った。

 

 AIが計画した通り、必要最低限の休息しかない地獄のような訓練漬けの日々だった。

 

 だけど、それはとても効率的な訓練であったのは間違いなかった。

 

 訓練を終えた出撃当日の朝、意外なことに、二水戦の艦娘たちの目には疲労の色ではなく、絶対に生き残るという自信の光が輝いていた。

 

「行きましょう、提督。私たちは決して負けません。みんなで、生きて帰りましょう!」

 

 神通の、いつもとは違う、決意に満ちて覚悟も決め切って、それどころかなんか色々と振り切ってしまって興奮さえしているような雰囲気に引きずられるように、俺たち二水戦は深海棲艦がひしめく敵の泊地へ夜襲をかけたのだった。

 

 その戦闘の結果は……まぁ、酷いものだった。

 

 任務自体は成功したが、内容は地獄だった。

 

 闇夜の奇襲は、突然現れた深海棲艦の別動隊と出くわしてしまったことにより出だしから失敗し、敵味方双方ともに予期しなかった遭遇戦が勃発、戦場はあっという間に大混乱、大乱戦となった。

 

 敵味方が複雑に入り乱れる中で艦娘たちは必死に陣形を立て直し、死に物狂いで戦い抜き、なんとか任務を成功させた。

 

 だが、その代償として、俺たちは駆逐艦・綾波、夕立、雪風を失った……。

 

 

 

「よくやった!」

 

 初出撃の後、俺は統幕司令部に呼び出され、そこで野木准将から賛辞の言葉をかけられた。

 

「秘密部隊の極秘任務だから勲章はやれんが、それに匹敵する戦功だ。なにしろ半数は生還できぬと言われた作戦を戦死者一人で抑えたのだからな! 船体も二隻失ったが、AIデータさえ無事ならそんなものは損失でも何でもない。郷海、お前さんはとんでもない偉業を成し遂げたぞ!」

 

 上機嫌に笑う山賊を前に、俺は陰鬱とした気分でたたずんでいた。

 

 確かに、綾波と夕立の船体は失ったが、そのAIデータは転送できたし、艦娘たちも救助できた。

 

 ただし、瀕死の状態でだ。

 

 夕立は片手片足を失い、綾波に至っては意識不明のまま、いつ目覚めるとも知れなかった。

 

 戦死した雪風の船体はほとんど無傷のままAIによる自動航行で帰還した。至近距離で爆発した艦載機の破片が、狙いすましたかのように艦娘だけに当たったのだ。

 

 俺たちは戦闘が終了し、艦隊が帰投を始めてしばらく経つまで、彼女の戦死に気づかなかった。

 

 二水戦は結局、三名の損失を出したことになる。しかし、俺の心に陰りを落としている理由は、それに加えてまた別にあった。

 

 あの戦場で、俺は何もできなかった。しなかったのだ。あの闇夜の大混乱の戦場で、敵の砲火に曝されながら激しく揺れる船上で、俺は立ったまま気を失っていた。

 

 そのまま全てが終わるまで気絶していたのだ。俺は戦場で何もやっちゃいない。やったのは……戦術AIだ。

 

 神通の船体に搭載された司令部戦術AIのコピーAIが、気絶していた俺に代わって、俺の声音を合成して、俺に成りすまして指揮を執っていたのだと、俺は後になって知った。

 

 俺がハッと目を覚ました時、神通が俺を陶酔しきった目で見ていた。

 

「あの大混乱の中で微動だにせず冷静沈着に指揮を執られるお姿……神通、感服いたしました!」

 

 全てを悟ったとき、俺は筆舌にしがたい恐怖を感じた。何故俺が二水戦の司令に選ばれたのか、その理由に気が付いてしまった。

 

「郷海。お前は二水戦史上、もっとも素晴らしく、もっともふさわしい司令だ!」

 

 上機嫌な山賊の言葉に、俺は確信を深めた。そう、俺は最適だったのだ。

 

“AIの操り人形”として―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 船体がほぼ無傷で残されていた雪風に新たな艦娘が着任してから、一年が過ぎていた。

 

 この一年の間、新雪風はめきめきと腕を上げていった。戦術AIが課す猛訓練にも難なく付いていけるようになり、さらに複数の実戦も潜り抜けた。

 

 彼女がこなした任務は、先代雪風が戦死したあの海戦ほど厳しいものではなかったものの、それでも難易度がそれなりに高いものばかりだった。

 

 それらを生き延びた雪風の実力は、いつしか二水戦のトップクラスの一人に数えられるまでに達していた。

 

「補充兵、ですか?」

 

「ええ、雪風さんに出迎えをお願いしたいのですが…いいですか?」

 

 神通からの頼みに、雪風は条件を出した。

 

「“危険手当”は幾らですか?」

 

「新兵だから、これくらいでどうでしょう」

 

 平均クラスの出撃報酬よりもやや高めの金額を提示されたことで、雪風は納得した。

 

 遠洋航海を終えたばかりのヒヨッコの船体に同乗して“歓迎会”をするのだ。多少の色を付けてもらわなければ割に合わない。

 

「では、私たちは先に沖で待っていますね」

 

 神通はそう言って、二水戦を率いて出港していった。

 

 ひとり残った雪風は、船着き場でフェリーを待ちながら、ぼんやりと一年前のことを思い返していた。

 

 右も左もわからぬままにここへ放り込まれ、理不尽ともいえる訓練を課せられたあの時。ただ今になって思えば、そんなものは戦場という名の地獄に比べれば生ぬるいにも程があった。

 

「一年かぁ…」

 

 一年間、死ぬ思いをして大金を稼いできたが、実家への仕送りはまだまだ必要だった。ロクデナシ親父が遺した借金はまだ半分以上も残っていた。

 

「…てことは、あと一年かぁ」

 

 海に向かって乾いた笑いをあげながら、一緒に薄い紫煙をふぅーっと吐き出した。

 

 レモン味のメンソールタバコ。子供の吸うモノだ、とバカにする同僚もいたが、まぁ私まだ子供だし、と雪風自身は開き直って気にも留めなかった。

 

 そう、私はまだ子供だ。甘酸っぱいレモンみたいな青春に憧れたっていいじゃないか。

 

 ここで大金を稼いで、借金も全部返して、実家も自分も働かなくても暮らしていけるだけ稼いで、そしたら引退して後は青春を謳歌するんだ。

 

 艦娘である間は成長も老化もしないので、雪風の外見はまだまだ幼さを残していた。

 

 私はまだ子供だ。と、雪風は自分に言い聞かせながら二本目のメンソールに火をつけ、煙を胸いっぱいに吸い込んだ。

 

 子供だから、私の未来はまだ拡がっている。だから……

 

「…死ぬもんか」

 

 絶対に、負けるものか。

 

 沖からフェリーが近づいてきたのを認め、雪風は咥えていたメンソールを携帯灰皿に押し込んだ。

 

 フェリーが船着き場に横付けし、架けられた桟橋から一人の少女が降りてきた。彼女は岸壁で待つ雪風の姿を見つけると、腰に片手をあてて、値踏みするような目で雪風を眺めた。

 

 態度の大きな子だ。と雪風は内心で苦笑した。

 

 雪風は小柄で、顔も体形もかなり幼い。対してこの新入りはそれなりに大人びていた。外見で相手を判断するな、というのは艦娘同士の付き合いでの鉄則だが、新兵はこれがなかなかできないのだ。

 

(ま、人は外見が九割って言うしね)

 

 どうせその内、いやでも体に叩き込まれていくことだ。雪風は気にする素振りを見せず、彼女に声をかけた。

 

「私は雪風。あなたが次期“初風”ね」

 

 そう訊くと、彼女は素っ気なく「そうよ」と答えた。

 

「私はいったい何人目の“初風”なのか、知らないけどね」

 

 面白くなさそうに“初風”は言った。なるほど、おさがりで中古の船体は嫌だ、という訳か。と雪風は察した。最新鋭で新品の船体は新兵にとって憧れの的なのだ。

 

 雪風は笑った。

 

「信頼性の高い船体に経験豊富なAIじゃ不満なの?」

 

「そ、そういうわけじゃ…ないです」

 

 彼女は口ごもって視線を逸らした。一応、雪風が先輩であるということは理解しているようだ。

 

 初風は言った。

 

「そ、それより迎えに来たのがどうして“雪風”なんですか。普通は“初風”本人が来るべきでしょう?」

 

「ああ、それなんだけど……」

 

 雪風は微かな既視感を覚えて言葉を濁した。自分もかつて同じ質問をしたという懐かしさと、そして答えをためらったあの時の彼女の気持ちを理解して、何とも言えない感傷が胸の内に拡がっていた。

 

「言えない理由でもあるのかしら?」

 

「ん~、別にないけど」

 

「なら、教えてほしいわ」

 

 生意気な子だなぁ、と雪風は思う。きっと一年前の自分もそう思われていたに違いない。

 

「死んだよ」

 

「…えっ?」

 

「戦死したの、先月の出撃でね。敵の砲火の中で、回避行動の最中に味方と衝突して、首の骨を折ったの。船体は大した損害を受けなかったのにね……」

 

 不運だった。

 

 そんな言葉を言いかけて、雪風はそれを飲み込んだ。運なんてものは、自分が一番嫌う言葉だ。なのに、ふと気を緩めればそれを口にしてしまいそうな自分がいる。

 

 怖い怖い、と雪風は心の中でかぶりを振った。

 

 姉のように慕っていた先輩の戦死から何とか立ち直れたと思っていたのに、まだ心は死人に引きずられかけていたようだ。

 

「“初風”!」

 

「は、はいっ!」

 

 気分を変えるためにわざと明るい声で新入りの名を呼ぶと、彼女は青ざめた顔で返事をした。

 

 どうやら前任者の戦死は、彼女にもかなりのショックを与えていたらしい。そんなところもかつての自分に似ている、と雪風は思った。

 

「あなたは今からもう“初風”だよ。普通の艦娘とは違って、ここじゃ懇切丁寧に引継ぎなんかしてくれない。二水戦はそういう部隊だからね。でも、大丈夫。私が初風に、生き延びる方法を叩き込む。…厳しいけど、でも絶対、大丈夫!」

 

「は、はい。よ、よろしくお願いします」

 

 初風は今度は大人しく頭を下げた。

 

「よし、じゃあ早速岸壁に行くよ。引継ぎが終わったら、すぐに出港準備だからね」

 

「え? い、今から!?」

 

「そう。――“歓迎会”するからね」

 

 少しだけ意地の悪い表情になっていることを自覚しながら、雪風は笑った。

 

 

 

 

 




次回予告

 かつて敗れた隣国の野望

 海洋覇権国家としての再興を求めて、封印されし禁忌の兵器が不気味な胎動を始める。

 その頃、あの出現海域の謎を探るべく、二水戦の艦娘たちは南方警備艦隊と合流する。

 雪風と、初霜。二人の異能が出会ったとき、その足元深くで迷い猫が鳴いた。

次回「第二十四話・身命賭して猫一匹」

初霜「にゃお~ん、にゃあ~ん、にゃんにゃあ~ん!?」
雪風「え…なにやってるの、この人……?」
初霜「子猫が排水溝に落ちたんです。子猫さん、どこですか、返事してください。にゃおーん!」

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。