艦これ海上戦記譚~明け空告げる、海をゆく~   作:PlusⅨ

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パソコン復旧したので、とりあえずサルベージできた分だけ更新します。
秋イベに間に合ってほんとによかった……


第二十四話・身命賭して猫一匹(1)

 隣国が“大鉄塊”を建造している。

 

 その情報が情報部からもたらされたとき、海軍総隊参謀本部は衝撃に揺れた。

 

 “大鉄塊”とは、かつて大洋に存在していた自律型巨大海上要塞「ネルソン」において開発・運用された局所防衛兵器のことである。

 

 全長150メートル、戦艦に匹敵する装甲で覆われた球体状のボディから大量の砲身がハリネズミのように突き出された異形の兵器だ。巨大で醜いウニの化け物と呼ぶものさえいる。

 

 ネルソン要塞のAIが人類からの独立を宣言した後、要塞を奪還すべく送り込まれた世界中の艦隊をことごとく海の藻屑にした最強兵器だったが、要塞と隣接していた火山島が大噴火を起こした際、要塞ともども破壊され、轟沈したと思われていた……

 

 そのはずだった。

 

 要塞と共に失われたはずの兵器が、何故、しかもよりにもよって隣国で建造されているのか。

 

 この情報に接した参謀本部作戦課第一室次長・紫吹 香名は露骨に顔をしかめ、忌々しさを隠そうともしなかった。

 

 大鉄塊は彼女にとって汚点の一つだ。

 

 世界の厄介者だったネルソン要塞が滅んだのは、直接的には火山噴火のおかげだが、間接的には香名が立案した強行偵察作戦によって引き起こされたものだ。したがって香名はネルソン要塞壊滅の立役者でもあるのだが、同時に公にできない大きな代償を支払う羽目にも陥っていた。

 

「あのクソ海賊団ども……次に出会ったときは必ず殺してやるわ……!」

 

 ネルソン要塞壊滅の手柄を海軍に譲る代わりに、示談金を支払え。

 

 と、冗談みたいな武力と態度のデカさで海軍を恫喝し、強請りぬいていった海賊団――その半数は香名が使い捨てようとした艦娘たち――のことを思い出し、香名は殺伐とした決意を再度固めた。

 

 そんな彼女を前にして、情報を持ち込んだ張本人である情報部対外対処担当官・影村 忍は、無表情のまま、しかし呆れているということを彼女に伝えるかのように、ワザとため息を大きく漏らして見せた。

 

「海賊団マンバの動向は常に監視している。時が来れば我々が消す」

 

「私にやらせなさいよ」

 

「時が来ればな。連中にはまだ利用価値がある。しばらくは好きにさせておけというのが野木准将の意向だ」

 

「山賊が海賊をかばうなんて!」

 

「その辺にしておけ。今は大鉄塊だ」

 

 影村から再度資料を突き出され、香名はしぶしぶそれを受け取った。

 

 資料のうち、衛星写真の一枚に目を通す。隣国の沿岸部にある造船所の一角、陸地を掘り下げた幹ドックに、巨大な鉄球が鎮座していた。それも二つも。

 

「こんな目立つものを二つも堂々と造られて、どうして今の今まで気づけなかったの?」

 

「監視衛星対策でドッグ全体が屋根ですっぽり覆われていた。造船所自体も厳戒態勢が敷かれ、内部協力者も次々と摘発されてしまって手が出せなかった。そこまでやる以上、何か重要なモノが建造されている確信はあったが、屋根が外されてみれば、まさかの大鉄塊だ」

 

「大鉄塊の設計図や建造技術なんてどこから手に入れたのかしら」

 

「ネルソン要塞の兵器は、ああみえて意外と既存の技術の範囲内で造られている。各国が真似しなかったのは発想が突飛すぎるのと費用対効果が見合わないだけで、造ろうと思えば造れる」

 

「造る意志があれば、ってことね」

 

「問題は、隣国がなぜその気になったかだ」

 

「大鉄塊は確かに強力な兵器よ、局所防衛なら敵なしでしょうね。でもそれはネルソン要塞のような他に類例のないバックアップ体制があったからこそよ。スタンドアローンで運用できる兵器ではないし、既存の兵器体系と連携が取れるわけでもない。隣国がかつて目指した海洋覇権国家という戦略目的を目指すなら、これを二体造るよりも空母を三隻造った方が安上がりでしょうし、効果的だわ」

 

「情報部もおおむね同意見だ。隣国がどんな戦略に基づいてこんなゲテモノ兵器を造ったのか見当もつかない」

 

「しかも二つとも同じ造船所の、同じドッグ内で……何故?」

 

 その問いは影村への問いかけではなく、香名自身に向けての独り言だった。

 

 香名が愛用の扇子を開いて口元を隠したことで、影村は香名が思考を巡らせ始めたのを察し、彼女が次に口を開くのを黙って待った。

 

 香名は衛星写真を眺めながら思考する。

 

 新兵器を開発するなら試作機を複数建造するのは理解できるが、同じ場所で、しかも複数同時に建造するというのは不可解だ。これでは詩作機の開発というより、まるで量産である。

 

 しかし量産にしても、これだけの巨大兵器ともなると、複数の造船所に分散して建造した方が効率的だ。一か所の造船所では荷が重すぎる。

 

 香名は影村に目を向けた。

 

「一か所での同時建造について、情報部の見解は?」

 

「建造効率よりも機密保持を優先したと見ている。現に我々はこの段階に至るまで気づけなかった」

 

「情報畑の見地に立つならそう思って当然ね。でも、用兵的な見地から言わせてもらえば、狙いはまた別にあると思うの」

 

「ほう?」

 

「同じ場所で同時に建造するということは、この二体は極めて高い類似性を持っている可能性が高い。単なる同型艦ではなく、それこそ一卵性双生児のような同一の機体よ」

 

「それがどういう意味を持つのかね?」

 

「二体同時運用。この二体は二つで一つの可能性がある」

 

「ふむん。興味深い意見だが、しかしそれに対するメリットが思い浮かばない。これだけの巨大で高コスト兵器を複数も造っておきながら一か所に投入するのは明らかに割に合わない」

 

 隣国が伝統的に掲げてきたのは海洋覇権国家への野望だ。そのために支配するべき海域はとてつもなく広大であり、さらに深海棲艦が跋扈している。それに対抗するには、空母を中心とした機動艦隊を世界各地に広く配備するのが最も効果的だ。

 

 現に隣国以外の海洋国家は互いに同盟関係を組み、連合艦隊を結成して、世界中の海に艦隊を配備していた。

 

 香名は言った。

 

「既存の兵器、既存の用兵思想においてなら確かに割は合わないわ。でも……」

 

「でも?」

 

「まったく違う兵器体系を持つモノとの連携を前提としているのなら、ありえなくもないわ」

 

 香名の口元を覆っていた扇子がパチリと音を立ててを閉じた。

 

「あのクソ海賊どもが大鉄塊と戦った時の話を覚えているかしら?」

 

「もちろん覚えている。彼らからネルソン要塞でのことを聞き出すのに特別運用費のほとんどを支払わされたからな」

 

「どうせ領収書もいらない使い放題の裏予算なんだから別にいいでしょ。私なんかポケットマネーで払わされたのよ。しかもローン付きで! おかげで昼飯はお弁当生活よ。自炊がすっかり上手くなったわ!」

 

「君の懐事情には同情するが料理スキルはどうでもいい。それより話を進めてくれ。ネルソン要塞の話のどの部分だ?」

 

「大鉄塊と戦った時のことよ。あのとき大鉄塊は深海棲艦にハッキングされ、乗っ取られた。深海棲艦は大鉄塊をまるで自身の艤装のように扱っていたと聞いたわ」

 

「確かにそう聞いたが、それが今回のこととどういう――」

 

 影村はそこまで言って、ハッと気が付いて目を見開いた。普段めったに表情を変えない男だったが、流石に驚きを隠せず、彼は上ずった声で言った。

 

「――隣国はこの大鉄塊を、深海棲艦に供与するつもりか。そんなバカな!?」

 

「バカなって、隣国が深海棲艦に呼応するような動きをしているのは公然の秘密、今更のことでしょう」

 

「呼応といっても隣国が勝手に深海棲艦の動きに合わせていただけだ。あの“イミテーション・ゼロ事件”についても、隣国が意図的にハッキングさせるために造った可能性は高いが、深海棲艦と意思疎通があったかどうかまでは不明だ」

 

「けれど結果だけを見れば、お互いが意思疎通していたと考えれば全て辻褄は合う。あの作戦はそれを前提にして動いたおかげで成功したわ。かなり危ない橋だったけどね」

 

「しかし大鉄塊二体を深海棲艦に引き渡すなど、戦闘機一機を事故に見せかけて奪われるのとは訳が違うぞ。隠ぺいのしようがない。隣国は一党独裁体制だが内実はかなり不安定だ。軍部の不祥事が明るみに出ればクーデターもあり得る」

 

「深海棲艦の侵攻に乗じて我が国への牽制を行ってきたこれまでと違い、もしかするとよりアクティヴに深海棲艦を利用する戦略に切り替えたのかもね。この大鉄塊は、もしかすると深海棲艦を逆にハッキングするためかもしれないわ」

 

「深海棲艦にハッキングされるなら、その逆もまた可なり、か。……いかんな、だいぶ妄想が激しくなってきたようだ。証拠が何もない。空想に空想を重ねた机上の空論だ」

 

「思考実験と言って欲しいわね。まぁいいわ、これ以上ここで話していても結論は出そうにない。こういう時は“ご宣託”を授かるに限るわ。そもそも、そのためにここに来たのでしょう?」

 

「その通りだが、何の考えもなしに“予測プログラム”に頼るのは気乗りしないのだ。98.3パーセントという的中率は驚異的だが、それはあくまでも結果だ。その予測に至る思考過程が不明確過ぎて検証のしようがない」

 

「だからわざわざ私のところにきて意見を聞いたってことね。その割には妄想だ空想だと酷い言われようだけど」

 

「天才の発想は常人には理解しがたいものだとよく分かった。AIを相手にするのと変わらん。君のおかげで予測プログラムと相対する覚悟が付いた。感謝する」

 

「どういたしまして」

 

 香名は澄まし顔で答えた。影村の皮肉じみた発言にいちいち反応するほどデリケートな性格はしていない。

 

 天才とは孤高の存在なのだ。称賛も皮肉も罵倒も、彼女にとっては全て自分が天才であると思われている証にしかならなかった。

 

 香名は影村と共にオフィスを出て、地下にある電算機室へと向かった。

 

 海軍総隊庁舎の地下深くにある電算機室は、一辺が50メートルを超える巨大な立方体の空間だ。その空間を埋め尽くすかのようにコンピューターが設置されている。海軍の中枢を担う戦略AIを搭載した量子コンピューターだ。

 

 その制御室へ向かうための通路は五つの分厚い対爆扉で隔たれており、その一つ一つに厳重なセキュリティが施されている。

 

 本来、最後の扉を解除できる権限を持つのは、専門オペレーターや技官を除けば、海軍長官、艦隊司令長官、参謀長などの大将級の人間だけだった。

 

 だが、一介の中佐でしかない香名と、そして部外者である影村は、何の障害もなくすべての扉を潜り抜け、制御室へと足を踏み入れた。

 

「扉には暗号入力装置や、指紋と網膜のスキャン装置がたくさん付いているが、これらが単なる飾りでしかないと知っている者は、軍全体でもほとんどいないだろうな」

 

「セキュリティなんてしょせん戦略AIの手心ひとつだものね。ねえ、しーちゃん、起きてる?」

 

『起きていますよ。お待ちしておりました』

 

 香名と影村の二人しかいない制御室に、立体映像特有の揺らめきと共に一人の女性が姿を現した。

 

 戦略AIの対人インターフェイス“しーちゃん”こと【C2】だ。彼女はすぐに自ら話題を切り出した。

 

『お二人がここに来られたということは、予測プログラムを起動したいということですね。もしかして例の大鉄塊のことですか』

 

「相変わらず話が早いわね。その通りよ」

 

『情報部の戦略AIからも既に情報は届いております。いつでも予測可能です』

 

「そう。なら早速お願いするわ」

 

『了解しました』

 

 C2が答えると同時に制御室に隣接する電算室から、低いうなり声のような音が聞こえてきた。

 

 量子コンピューターがその能力をフルに使って、ネットワークで繋がっている他の軍用コンピューターとのリンクを開始したのだ。

 

 予測プログラムこと【深海棲艦行動予測プログラム】は、一つのコンピューターではなく、陸海空及び情報部の全ての軍用コンピューターネットワークの内部に偏在していた。そのため、それを起動させるためにはネットワーク全てのコンピューターに一斉にリンクし制御下に置く必要があった。

 

 それが可能なのは、陸海空と情報部のそれぞれの中枢を担う巨大量子コンピューターか、もしくは偶発的に桁外れの処理能力を獲得するに至った“エヴァレットAI”のみだけである。

 

 先日の“イミテーション・ゼロ事件”の際、二航戦所属の戦術管制偵察戦闘機・彩雲改の機上で多門丸が予測プログラムの存在を知ったのも、リンクしていた配下の無人戦闘機・ゼロ改の一機、B-3がエヴァレットAIだったからだ。

 

 数分ののち、C2は予測プログラムが起動したことを告げた。

 

『予測が出ました。簡潔に結果から申し上げます。あの大鉄塊は南方警備艦隊の担当海域にある例の出現海域に投入されます。そこで深海棲艦と融合するでしょう。それを放置してはなりません。この世に存在を許してはなりません。破壊せねばなりません。あの“人喰い雷巡”が再びあの海域に辿り着く前に――――』

 

 そこまで告げて、C2は突然その姿を消した。リンクが切られ、予測プログラムが機能を停止したのだ。

 

 軍用ネットワークのすべてとリンクしなければならないという条件がある以上、RCL(リアルタイムコンバットリンク)を使ってでもいない限り、安定したリンクは維持できない。しかし戦闘下でもないのにRCLを使用する訳にはいかなかった。それができるのは最前線で戦う部隊の特権なのだ。

 

 ゆえに普段はこのような曖昧な結果のみしか分からず“ご宣託”などと皮肉交じりに言われてしまうのだが、それでも、今の香名たちにとってはこれでも十分な情報だった。

 

 香名は言った。

 

「すぐに野木准将にご報告を。海尾大佐が二水戦と共に進めていた出現海域の共同調査計画を前倒しにする必要があるわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中国地方、内海の某島にある二水戦司令部。その庁舎内の一画にあるブリーフィングルーム。

 

 作戦内容を艦娘たちに説明するためのこの部屋は、他の鎮守府であれば出撃前特有の緊張感が漂う厳粛な場であるが、ここ二水戦では真逆な雰囲気が漂っていた。

 

 部屋の一画に、壁一面に広がる大型スクリーンが設置されており、また別の片隅にはコーヒーメーカー、ウォーターサーバーなどが設置されている。ここまでは他の鎮守府と共通だ。

 

 しかしここには更に、カキ氷機までが並んでいた。

 

 カキ氷機は古き良き手回し式のアンティークだ。しかし不思議なことに、カキ氷用の氷を保管するための冷蔵庫は無かった。食器もない。カキ氷機はただの置物として存在していた。

 

 カキ氷機の脇には、漫画や雑誌で埋め尽くされた大きな本棚。

 

 その隣には何処のものとも知れない置き物が大量に並ぶサイドボード。

 

 さらにその脇に立てかけられていたのは射的用のコルク銃だった。

 

 別の場所には編みかけのマフラーが入った籠を乗せたロッキングチェアー、ジュークボックス、壊れかけのラジオ、壁に掲げられた大漁旗、等々……

 

 これらは全て二水戦所属の艦娘たちが持ち込んだ私物だった。これらで溢れかえっているブリーフィングルームは、もはやただのサロンにしか見えなかった。

 

 実際、艦娘たちもここをサロンのように使っていた。一応、艦娘たちが暮らす隊舎にも共有スペースにサロンが用意されていたが、奇妙なことに、そこはきちんと整理整頓されており、艦娘たちが私物を置きっ放しにすることもなかった。

 

 艦娘たちは、大切な私物は自分の部屋に。そうでもない物はブリーフィングルームに置く。こんな不思議な不文律が、二水戦にはいつのまにか出来上がっていた。

 

 非番の日、特に用事も予定も無かった雪風は、適当に時間を潰そうとブリーフィングルームを訪れていた。

 

 しかし、そこにはすでに一人の先客が居た。

 

 同じ陽炎型である艦娘・浦風がちょうどサイドボードに新しい人形を追加しようとしているところだった。

 

「あ、雪姉」

 

 浦風が雪風に気づき振り向いた。それだけで、服越しでも分かる豊かな胸がブルンと揺れた。

 

 雪風は思わず彼女の胸に視線が引き寄せられそうになるのを何とか堪えた。女同士だが、人間、自分が持っていない物にはどうしたって目が引かれてしまうものなのだ。

 

 雪風は胸を視界に入れないように浦風の目をしっかりと見すえながら訊いた。

 

「浦風、また新しい景品?」

 

「そう。あんね、昨日、広島の神社でお祭りやっとったけぇ、射的で取ってきたんや。雪姉、見て見て、このニャンコ、可愛いじゃろう?」

 

 浦風はサイドボードに飾った猫の人形を再び取り上げて雪風に見せた。

 

 きりっとした顔立ちの猫だ。可愛いというよりカッコいい系に見える。しかし見る角度によっては、どこか得意げな顔にも見えた。ドヤ顔というやつだ。少し憎たらしくもある。

 

 もっと愛くるしい顔立ちなら銃口を向けるのにも抵抗が生まれそうだが、この猫はむしろ、当てれるものなら当ててみろと言わんばかりの面構えをしていた。

 

「この子、なんべん当ててもなかなか倒れんの。結局、十回以上も挑戦してやっと倒れよってな、ぶち苦労したわ」

 

「よくやるね」

 

「このドヤ顔、誰かに似とらん?」

 

「そう言われてみれば……?」

 

 二人してドヤ猫を眺めていたところに、ブリーフィングルームにまた別の艦娘が入ってきた。

 

 長い黒髪をなびかせた艦娘・磯風だ。

 

 だがその恰好は、三角巾を頭に被り、白い割烹着に身を包んで両手には七輪を抱えていた。七輪の中に炭は無かったが、彼女の頬や手にはまだ炭の黒ずみが残っていた。

 

 雪風と浦風はドヤ猫から顔を上げて磯風に目をやり、そして再び互いに目を合わせて頷きあった。

 

「磯風、だね」

 

「そうじゃのぉ、磯風じゃのぉ」

 

「人の顔を見るなり、なんだいきなり。私がどうかしたのか?」

 

 怪訝な顔で問いかけてきた磯風に、浦風は手元のドヤ猫を差し出してみせた。

 

「あんね、この猫、磯風に似とらん? って雪姉と話しとったの」

 

「似てるか? う~む」

 

 磯風は七輪を抱えたままドヤ猫に顔を近づけた。

 

 磯風は目元涼やかでキリっとした顔つきの美人だ。たまに満足気な時には、この猫のようなドヤ顔になる。

 

「似ているか?」

 

「よう似とる」

 

「そうか……よく分からないな」

 

 磯風は気難しげな顔をしながら猫から顔を離した。どうやら今日はドヤ顔は拝めないらしい。

 

 その理由はどうやら彼女が抱えている七輪にありそうだ、と雪風は見当をつけた。

 

「磯風、またサンマ焼くのに失敗したの?」

 

 雪風が訊くと、磯風は「まぁな」と答え、七輪をサイドボードの脇に置いた。

 

「どうも火加減がうまくいかない。前は生焼けだったから今回は炭の量を多くしてみたんだ。そうしたら、サンマから滴り落ちた油で更に火力が上がってしまってな。結局、サンマまで黒炭だ。苦かったよ、失敗の味だ」

 

「食べてしもうたんかい」

 

 呆れる浦風に、磯風は真面目な顔で答えた。

 

「食材は無駄にできない。サンマも昨今では高級魚だ」

 

「黒焦げを食べると身体に悪いんじゃよ。大人しゅうグリルで焼けばええんよ」

 

「AI任せの自動調理なんて面白くない。こうやって失敗するのも自炊の楽しみの一つだ」

 

 そう言って磯風は笑った。少し得意げな、ドヤ顔だ。

 

「あ、やっぱり似とる」

 

「そうか?」

 

「そうそう」

 

「雪風もそう思うか?」

 

「うん、似てると思うよ」

 

「そうか」

 

「このニャンコね、なんべん当てても倒れんかったんじゃ」

 

「そうか、流石は私に似ているだけあるな」

 

「むかついたけぇ、十発以上、全部顔面にぶちこんじゃったわ」

 

「浦風、お前は私に恨みでもあるのか」

 

「はえ? ある訳ないじゃろう。このニャンコが可愛いけぇ、どがぁしても欲しかったんじゃ~」

 

 悪意のない顔で猫の人形に頬擦りする浦風を前にして、磯風は付き合ってられないとばかりにブリーフィングルームを出て行った。

 

 浦風も猫をサイドボードに戻すと、

 

「ほいじゃ雪姉、またね」

 

 そう言って出て行った。

 

 ひとり残った雪風は、備品のコーヒーメーカーでミルクと砂糖たっぷりのカフェオレを淹れると、本棚から取り上げた適当な雑誌を取り上げて、席に腰かけた。

 

 手にした雑誌は数か月遅れの女性週刊誌だった。記事など端から読む気はなく、紙面を彩る男性アイドルたちの整った顔立ちをぼんやり眺めながらカフェオレを飲む。

 

(みんな綺麗な顔してるなぁ。私よりも美人だわ。でもタイプかと言われてもピンとこないや。じゃあ、どんな男性がタイプなの、と聞かれても答えに困るけど)

 

 そもそも初恋だってしたことがなかった。義務教育時代も学校の同級生やクラスメートに異性は沢山いたが、バイトに明け暮れていたせいで色恋沙汰とはとんと無縁だったのだ。

 

 いつか艦娘を引退したら人並みに恋をしてみたいと思ってはいる。その前段階として、せめて推しのアイドルの一人くらいは選んでおこうかという気分で偶にこうして雑誌を眺めているのだが、いまだにピンと来る者はいなかった。

 

 ぺらぺらとページをめくっていくと、誌面に見知った艦娘の写真が現れた。

 

 艦隊のアイドルこと川内型軽巡洋艦の三番艦・那珂だった。

彼女のことはそれなりに知っている。もっとも、同じ川内型である神通から話を聞いている程度であり、直接会ったことは一度もなかったが。

 

 同じ艦娘ということもあって興味を惹かれ、これまで読み飛ばしていた記事に目を通す。なにかのスキャンダル記事かとも思ったが、そうではなかった。地方巡業アイドルとして活動していた彼女が南西諸島にある宮吉島に転勤になるので、これからは離島の地方アイドルとして活動していくとのことだった。

 

(いくら海軍公認アイドルだからって、かりにも軍人の人事異動がこうも大々的に報道されていいのかなぁ)

 

 人事異動さえ極秘扱いな二水戦に所属する身としては非常に複雑な思いだった。それはともかく、この宮吉島といえば、来月、とある海域の調査作戦のため二水戦の一部部隊が寄港する場所でもあった。

 

 その作戦には雪風も参加することになっている。

 

(会えたら、せっかくだからサイン貰っとこうかな)

 

 ミーハー気分でそんなことを思いながらカフェオレを飲み干し、雑誌を閉じた。

 

 他の雑誌を読もうかとも少し思ったが、あまり興味を惹かれるものが無かった。

 

 なので、雪風は何となくサイドボード脇に立てかけられていたコルク銃を取り上げると、数メートル離れて、猫の人形に狙いをつけてみた。

 

 照準器越しに見たドヤ猫は、まさしく磯風そっくりだった。よくこれで何発もぶち込む気になれたものだ。と雪風は浦風の不可思議なメンタルに首をひねりつつ銃口を下げようとした。

 

 しかし、ちょうどその時、

 

「おんや、雪風さんじゃないか!」

 

 背後から大きな声と共に背中を叩かれた。

 

「はぇっ!?」

 

 思わず引き金に指がかかる。ポンと軽い音を立ててコルクが飛び、ドヤ猫に命中して床に落とした。

 

「あ、倒れた」

 

 思わずつぶやいた雪風の肩越しに、声をかけ背中を叩いた張本人が顔を覗かせた。

 

「射的かい? 一発で落とすたぁ、うまいもんだねぇ」

 

「谷風ぇ、びっくりさせないでよぉ」

 

「あれ? 驚いた?」

 

「うん」

 

「そりゃ悪かったねぇ」

 

 谷風は悪びれもせずに活発な笑顔を見せながら雪風の背中から離れた。

 

 ショートカットの黒髪に細い手足。そして雪風の背中に密着した時ですら存在感を全く感じなかった絶壁の胸。ボーイッシュで竹を割ったような性格の彼女は、雪風にとって何の気兼ねもなく付き合える同僚の一人だった。格差が無いのは良いことだ、うん。

 

「谷風も射的する?」

 

 ドヤ猫を拾い上げ、サイドボードに置きなおしながら訊いてみたが、谷風は首を横に振った。

 

「やりたいのはやまやまだけどねぇ、その前に浦風と磯風に用事があってねぇ」

 

「二人ならしばらく前までここから出て行ったよ」

 

「あちゃあ、間に合わなかったかい。まあいいや、こいつは雪風さんにも関係ある話だからよ」

 

「私も?」

 

「明日の夕方、急に出撃前ブリーフィングをやるって神通さんから言われたんだよ。面子は雪風さんの他に、この谷風。それと浦風、磯風、浜風、初風だよ」

 

「あれ? その面子って……」

 

「来月に行われる宮吉島周辺海域の調査メンバーですね」

 

 そう答えたのは、新たにブリーフィングルームにやってきた別の艦娘だった。

 

 磯風のようにキリっと引き締まった顔つきのクール系美人だ。谷風と同じくショートカットだが少し長めの前髪のせいで真面目な目つきの瞳が片方隠れがちになっている。

 

 雪風は正直、彼女のことが少し苦手だった。なぜなら前髪で隠れがちなせいで、彼女の目が上手く見れないからだ。

 

 浦風以上にたゆたう豊満な胸部から目を逸らそうにも、相手の目が見えないんじゃ視線が泳いでしまうじゃないか。

 

「おんや、噂をすれば浜風じゃないかい」

 

「谷風、あなたが探していた二人とは先ほど出会えましたので、ブリーフィングの件は私から伝えてきました」

 

「かぁー、そいつは助かるねぇ。じゃあ、あと知らないのは初風だけかい」

 

「あ、それなら」と雪風は言った。「私から伝えておくよ。どうせ同じ部屋なんだし」

 

「そうしていただけると助かります」と浜風。

 

「でも来月の作戦のブリーフィングを急に明日やるなんて、どういうこと? 予定が前倒しにでもなったのかな?」

 

「どうやらそのようですね」

 

 浜風はブリーフィングルームの片隅に設置してあるラップトップ端末を操作して、大型スクリーンに二水戦の出撃計画を表示させた。

 

 左から右へと日付が並ぶスケジュール表の、来週の週末部分に【宮吉島周辺海域調査(南方警備艦隊合同作戦)】の文字をともなった矢印が、半月ばかりの日をまたぎながら右側へと伸びていた。

 

 雪風はそれを見てため息をついた。

 

「うわぁ、本当に前倒しにされてる。週末に予定を入れてたんだけどなぁ」

 

 初風もショックを受けるだろうな、と雪風は週末を共に過ごす予定だった相棒の顔を思い浮かべた。

 

「まー、でもさー」と谷風が言った。「今回は危険手当も安い比較的安全な作戦だし、南の島でのバカンスが早まったと思えば悪い話でもないね」

 

「確かに」浜風も頷いた。「むしろ志願者が多くてクジ引きで参加者を決めた作戦ですからね。私たち自身で決めた以上、予定が早まったことにとやかく言う権利はないでしょう。せめて大いに楽しむとしましょう」

 

「前向きだね、二人とも」

 

 雪風が少々呆れを含んだ声でそう言うと、

 

「何を言っているんですか」と浜風が言った。「“後ろを向いた者から死ぬ”。そう私たちに教えてくれたのは、雪風、他ならぬ貴女ではないですか」

 

「それは戦場での話だよ。別に日常生活全般でまで無理に前向きにならなくてもいいよ」

 

「日々これ精進です」

 

 浜風はフンスと微かに鼻を鳴らして胸の前で小さくこぶしを握った。たったそれだけの動作なのに、彼女の胸はたゆんと揺れた。

 

 困る。目のやり場にとても困る。見たい訳じゃないのに目が引き付けられてしまって、そんなことしてたらその内「雪風は助兵ぇ」なんてあらぬ風評被害が立ちそうでとても困る。

 

 なので雪風はさっさと踵を返した。

 

「じゃあ私、部屋に帰って初風に伝えてくるから」

 

「あ、雪風、待ってください」

 

「ん、なに?」

 

「“綾波の銃”を持ったままですよ」

 

「あっ」

 

 雪風は手にしたままのコルク銃を定位置であるサイドボード脇へと戻した。その銃把には【アヤナミ】と彫られてあった。

 

 それはかつて二水戦に在籍していた艦娘の私物であり、同時に残された数少ない形見でもあった。

 

 ブリーフィングルームには他人が勝手に使ったり、いじったりしても構わないものばかりが置かれていたが、それを持ち出して自分のものにしてしまうような者は滅多にいなかった。

 

 ここにあるのはほとんどが誰かの形見であり、そして、いずれそうなるかもしれない物だった。

 

 死者を忘れず、しかし引きずられないようにするための空間。いつしかそんな場所になったブリーフィングルームを、雪風は後にした。

 

 

 

 

 

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