艦これ海上戦記譚~明け空告げる、海をゆく~   作:PlusⅨ

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秋イベントようやく開始しました。今回は初めて甲に挑戦。

まだE-2にして心折れそうです(;´Д`)


第二十四話・身命賭して猫一匹(2)

 週末の外出を心待ちにしていた初風に予定のキャンセルをどう伝えるべきか。うまい言い訳が見つからないまま自室の前まで帰ってきてしまった雪風は、仕方ないからそのまま伝えよう、と腹をくくってドアノブに手をかけた。

 

 ノブは微かに回っただけで硬い抵抗を残して止まった。施錠されていたのだ。

 

(ん? 居ないのかな?)

 

 手持ちのカギでドアを開け部屋に入る。

 

「ただいま~、初風ぇ?」

 

 返事は無かった。照明もついていない。リビングへ行くとテーブルの上にメモが残されていた。

 

≪ユキへ。夕飯の買い物に行ってきます。お菓子食べ過ぎたら駄目だからね。by初風≫

 

 きっと基地近くのスーパーマーケットに行ったのだろう。予定のキャンセルをどう伝えるか悩んでいた雪風は、それが先送りされたことに少しホッとした。

 

 部屋は八畳二間とキッチン付きリビング、それに洗面所、浴室とトイレがついているという間取りだ。”艦娘用居住区隊舎”なんて堅苦しい名前がついているが、構造は民間のアパートメントとほぼ同じである。

 

 そのため月一回の集団清掃への参加と、あとはゴミ出しのルールさえ守っていればプライベートに制約はない。

 

 もっとも全室禁煙というルールもあるので、こればかりは厳しいと感じる者もいたりするが。

 

 初風を待つ間、手持無沙汰になった雪風は喫煙所にでも行こうかとも思ったが、初風がいつ帰ってくるかも知れないので、止めにした。

 

 喫煙所は隊舎脇の非常階段の踊り場にあるので、そこに居たのでは初風の帰りがわからないのだ。

 

 まあ、そんなにかからずに帰ってくるだろう、と雪風は考え直し、リビングの椅子に腰を下ろした。

 

 リビングは簡素だった。壁際に備え付けのテレビが一台あるだけで、それ以外に特に目ぼしい家具といえば雪風が腰かけている椅子とテーブルくらいだ。私物らしい私物といえばキッチンの食器ぐらいのもので――冷蔵庫、コンロ、電子レンジは備品である――その食器類もほとんどは初風のものだ。雪風の食器なんて100円ショップで買った茶碗と汁椀、マグカップが一個ずつぐらいである。

 

 食器に限らず、雪風は私物をほとんど持っていなかった。生活必需品を必要最低限もっているだけで、私服も夏用と冬用が三、四着程度しか持っていない。それさえも外出の際に着るためで、部屋着も碌に持っていない。

 

 初風と同居する前は上半身にシャツを羽織っただけで下半身は下着のみといった格好で部屋で過ごしていた。初風と暮らすようになってからは流石にホットパンツくらいは履くようになったが、私物が極端に少ないのは相変わらずだ。

 

 雪風の私物なんて全部まとめても大きめの段ボール二、三箱で納まってしまう。これは雪風が給料や手当のほとんどを実家への仕送りに当てているのも原因の一つではあるのだが、それ以上に、いつまでもこの二水戦に居続けるつもりが無いという気持ちの表れでもあった。

 

 高額の手当と引き換えに、明日をも知れぬ過酷な戦場に駆り出されるのが二水戦だ。

 

 こんなところ、稼ぐだけ稼いだらさっさと艦娘を引退しておさらばするつもりでいるので、この部屋に私物を増やして腰を据える気など毛頭なかった。

 

 それは同居人の初風も似たようなもので、私物の数や種類は雪風よりも多いものの、同世代の普通の女性に比べればやはり少なくシンプルなものだった。

 

 もっとも、艦娘は自分の“船体”という使い放題の巨大プライベート空間を持っているので、頻繁に使う物でなければ私物の大半をそちらに仕舞い込んでおける。

 

 そのため、雪風や初風のような二水戦所属の艦娘に限らず、他の部隊に所属する普通の艦娘たちも陸上の居住区に大量の私物を置くなんてことは先ず無かった。

 

 シンプルで簡素な部屋の中で、雪風は数少ない私物である携帯端末でネットサーフィンしながら時間をつぶした。検索ワードは「相手の機嫌を損ねずに予定のキャンセルを伝える方法」だった。

 

 ビジネスマナーやらデートの断り方やら各種様々な伝え方がわんさか表示されたが、ざっと流し読みした限りでは、「まず正直に理由を言ってから埋め合わせの話をする」というのがベターな方法らしかった。下手な言い訳や、もしくは曖昧な言い方や態度で相手に察してもらうなんてのは以ての外だそうだ。

 

 まあ、そりゃそうだ。と雪風は納得して携帯端末をテーブルに置いた。下手な考え休むに似たり。くよくよ考えていてもしょうがない。そのまま有りのままに伝えればいいだけの話なのだ。

 

 ただ、埋め合わせの約束だけはできそうになかった。出撃前に帰還後の予定を組むなんて、そんなのは皮算用が過ぎる。特に二水戦において、それは死を呼び込むジンクスとして嫌われていた。

 

 雪風はテレビでも観ようかと思い、テーブル上のリモコンへ手を伸ばしかけたところで、玄関の方からドアが開かれる音が聞こえてた。

 

「ただいま~、ユキ、帰ってるの?」

 

「おかえり、初風。それとただいま」

 

「うん、お帰りなさい」

 

 買い物袋を片手に下げた初風がリビングへとやってきた。そのまますぐ脇のキッチンに立つ。

 

「初風、あのさ――」

 

「ユキ、今晩の夕飯なんだけど――」

 

 二人の言葉が重なり、二人は同時に言葉を切って向き合った。

 

「ユキ、何?」

 

「ん~、あ~、いいよ、初風が先で」

 

 自分のせいでは無いとはいえ、やはり多少の後ろめたさがある雪風は、初風に話題を譲った。

 

「そう? じゃあ夕飯なんだけど、昨日、ユキはハンバーグがいいって言ってたじゃない?」

 

「うん、言った」

 

「あのね」

 

 初風は少しバツの悪そうな顔で続けた。

 

「ごめん、夕飯のメニュー少し変えていい? 牛肉のハンバーグじゃなくて、豆腐と魚肉のハンバーグ」

 

「はい? …いや別に構わないけど、なんで急にヘルシー志向になってんの?」

 

「別にヘルシー志向になったわけじゃなくて、冷蔵庫の残り物を片付けちゃいたくてね」

 

 初風の言葉を聞いて、雪風は彼女のそばにある買い物袋に目を向けた。キッチンのシンクに置かれたそれは、いつもの買い出しに比べて明らかに少なかった。どうやら食材ではなく別のものを主に買ってきたようだった。

 

 初風が続けた。

 

「豆腐とお魚の賞味期限がそろそろ切れそうなの思い出してさ。だから今日中に使い切りたかったの。ユキ、ごめんね。そのかわりお肉のハンバーグに負けないくらい美味しいのつくるから、期待してて」

 

 初風は手を合わせゴメンと謝りながら、小首を軽くかしげてニコリと笑った。

 

 最初に正直に理由を告げ、雰囲気が悪くならない内にすぐ前向きなフォローを入れる。なるほど、実に完璧な対応だ。と雪風は感心した。

 

 なら私もこれを参考にやってみよう、と雪風は週末の予定につて告げようとしたところで、ふと、あることに思い至った。

 

 そういえば初風はなぜ急に冷蔵庫の中身を片付けようとしたのか。

 

 この部屋の家事は初風が一切を仕切っている。冷蔵庫の管理もだ。そして彼女のルーチンの一つとして、“出撃前には冷蔵庫に生鮮食品を残さない”というものがあった。

 

「初風……もしかして出撃のことを聞いた?」

 

「うん。スーパーで買い物中に神通さんと偶然会ってね。そこで聞いたわ」

 

 初風は顔から笑みを消して、深いため息を吐きながら買い物袋に手を入れた。袋の中から箱入りの栄養ドリンクと、大きな袋に入ったお菓子の詰め合わせをいくつか取り出して、リビングのテーブル上に並べた。

 

「はい、いつもの“航海のお供セット”。あと、美容液とアメニティグッズと、それと日焼け止め」

 

 雪風の前、テーブル上に初風が買ってきたものがズラズラと並んだ。すべて2セットずつある。出撃中の長い航海に、船体で過ごすために必要とするものだ。スケジュールが前倒しになったことを知って、買い出しの内容を切り替えたらしい。

 

 アメニティはちゃんと雪風の肌質や髪質を考慮したブランドを選んでくれていた。初風が使っているものより高級なブランドらしいが、正直、雪風には違いがよくわからなかった。

 

 初風と同居する前は、安い固形石鹸で髪から全身からまとめて洗っていた。

 

 二人が出会ってからしばらくして、あるとき初風からどんなシャンプーやコンディショナーを使っているかと問われ、馬鹿正直に石鹸と答えたら、一瞬呆気にとられ、そしてすぐに物凄い剣幕で怒られ、こんこんと説教された。

 

 いわく「雪風は髪も肌もいいのにもったいない」だの「もっと自分を磨け」だの「そもそも女子としてあり得ない」とか延々と言われ続けたような気がする。

 

 しまいには無理やり美容院に連行された。雪風にとって人生初めての美容院だった。

 

 何が何やら訳も分からないままに髪の毛を好き放題に弄りまわされて数時間、ようやく解放されたとき、雪風の髪はこれまでに経験がない程、艶やかで滑らかな手触りになっていた。

 

 自分の髪なのにそうじゃない気がして、ひたすら髪を触り続ける雪風に、当時の初風は言った。

 

「いいですか雪風先輩、あなたにもいろいろ事情はあると思いますけど、それでも女の子として守るべき一線っていうのがあるんです。訓練については文句は言いませんし、むしろ付きっ切りで指導してくださり感謝しかありませんけど、身だしなみについてはもっとちゃんとして下さい」

 

「は、はい…善処します」

 

 とは言ったものの、美容室で受けたヘアケア方法なんぞまるで覚えておらず――初風曰く動物病院に連れて行った小動物の如く怯えた様子だったらしい。連行した張本人なのに酷い言い草である――しかもいまだにリンスとコンディショナーの違いもわからぬ女子力ゼロのガキンチョである。

 

 しばらくは美容室でもらった試供品で髪を泡立てていたが、それも無くなったので、仕方なく近所のドラッグストアへ買いに出かけることにした。

 

 しかしまあ商品棚にはシャンプーリンスコンディショナートリートメントだのがいくつものブランドを伴ってずらりと並んでおり、なにがなにやらさっぱり理解できない。

 

 で、面倒くさくなって思考放棄して、いつものこれでいいや、と一番安い固形石鹸だけを買い物かごに放り込んでその場を後にしようとしたら、背後からいきなり肩をがっしりと掴まれた。

 

 恐る恐る振り向くと、そこに初風が居た。

 

「先輩…、またそれで髪を洗うつもりですか…?」

 

「うん、まぁ」

 

「ふざけんな」

 

 怖い顔の初風に買い物かごをひったくられ、そこに次々とアメニティグッズを放り込まれた挙句、そのまま初風の勘定でレジを通してしまった。

 

 初風にドラッグストアから連れ出された雪風は、そのまま何故か彼女の部屋に連れ込まれ、あろうことか服を脱がされ、風呂に入れられた。

 

 どうしてこうなった?

 

「いい? シャンプーするときは、先ずお湯でしっかりと髪と頭皮の汚れを落とすこと。それから適量をつけるのよ。多すぎても少なすぎても駄目よ。両手の指を使って髪の根元からなじませてたっぷりと泡立てるの。爪を立ててかきむしるなんて論外だからね」

 

 初風の指が雪風の髪の中に入り込み、頭皮をやさしく揉みほぐすようにマッサージする。

 

 あふぅ、気持ちいい。お湯のぬくもりとやわらかな指の感触、リラックスできるフローラルな香りに視界がとろけ始める。

 

 いつもならグワシグワシと髪をかき回して頭からお湯をかぶって一分足らずで終わってしまうところを、五分以上もじっくりまったり揉みほぐされたところで、ゆるやかな水流のお湯で髪の根元から毛先まで丹念に流された。

 

「コンディショナーも分量に気を付けるのよ。根元から毛先までじっくりしっかり馴染ませたら、シャンプー以上にゆっくり丁寧に濯ぐこと。いいわね? コンディショナーは後に残さないのが原則よ」

 

「…ふぁい」

 

「タオルで拭くときは、髪の根元を中心にしっかり水気を取ること。こすっちゃ駄目よ。雑巾じゃないんだから、こするんじゃなくて、吸い取るのよ」

 

「ふぁ……い」

 

 ふかふかのバスタオルに包まれて、その感触の気持ちよさに意識が遠退きかける。柔軟剤ってすごいんだなぁ。今まで使ったことが無かったので知らなかった。

 

「ドライヤーはハンドブローだけでも巧くやれば髪の艶とまとまりが出るから、私のやり方をよく覚えておきなさい。自然乾燥に任せちゃ駄目よ。髪は濡れたままだと摩擦に弱くて傷みやすいし、紫外線ダメージも大きいのよ。先ず前髪からドライヤーを当てて、それから全体的に乾いてきたら風量を抑えて――」

 

「ふぁ………」

 

 ドライヤーの温風に吹かれながら初風の指が雪風の髪をさらさらと梳いていく。もう駄目、気持ち良すぎて眠い。雪風の意識が落ちる。

 

「……風、……雪風……ねえ、ユキ!」

 

「ふぁいっ!?」

 

 呼びかけられてハッと目を覚ます。

 

 目の前に、初風の顔が間近にあった。覆いかぶさるようにして雪風をのぞき込んでいる。彼女の整った顔立ちを目前にして、雪風は思わず息をのんだ。

 

「やっと起きた。途中で寝ちゃうんだもの。そんな恰好で寝てたら風邪ひくわよ」

 

 初風がため息を吐きながら身を離してベッドから降りた。

 

「あ…うん…ゴメン」

 

 雪風は身を起しかけて、自分がバスタオル一枚だけを巻いた格好で横たわっていたことに気づいた。起こした上半身からタオルがはらりとはだけて落ちかけたので、慌てて手で押さえた。

 

 雪風は混乱した。

 

(ちょっとこれ、女同士とはいえ色々と際どくない?)

 

 雪風が現状をうまく認識できずベッド上で固まっているところへ、初風が「覚えてる?」と聞いてきた。

 

(覚えてるって、何をだ。素っ裸でベッドに横たわっていたときのことか。全然覚えていない。でも色々と気持ちよかったことは覚えている。つまり寝ている間に気持ちのいいことされ放題だったてことかな!?)

 

 ベッド上で、バスタオルで胸を隠したまま全身が真っ赤に染まっていく雪風を眺め、初風は呆れて深くため息を吐いた。

 

「その様子だと何一つ覚えちゃいないわね」

 

「は…はい……恥ずかしながら……」

 

「……わかったわ」

 

 初風は決意を込めて頷くと、ベッドに腰かけ、雪風と真っ直ぐに向き合った。

 

「雪風」

 

「は、はい」

 

「これからは私があなたの私生活の面倒を見ます。私には(雪風から指導を受け戦場で守られてきた恩を返すという意味で)その責任があるわ」

 

「せ、責任!?」

 

 その言葉に雪風は打ちのめされた。やっぱり寝ている間に、責任を取ってもらわなければならいないようなことをされてしまったらしい。しかも相手は妹同然に面倒を見てきた後輩だ。

 

どうしよう、どうすべき、うん全然わからない。

 

「これからもよろしくね、雪風」

 

「は、はい、不束者ですがよろしくお願いします」

 

 混乱した頭のままに押し切られ、こうしてなし崩し的に初風との同居が始まったのだった。

 

 以来、私生活については初風が全部世話をしてくれていて、雪風は相変わらずのズボラライフを送っていた。今だってそうだ。夕飯から出港中の身の回りの必需品の準備まで、全部、初風に任せている。タバコだけは買ってきてくれないが。

 

 なお、買ってきてもらったアメニティグッズについては入港後、初風に返すのが二人のルールだった。理由はもちろん、雪風が出港中もヘアケアや肌ケアをちゃんとしているかどうかのチェックだった。

 

 ケアを疎かにしていることがバレると、入港後から数日間は初風の手によって身体の隅々まで洗われる羽目になるので、雪風としても手は抜けなかった。

 

「ねえユキ」初風がキッチンに立ちながら背中越しに言った。「週末の予定はキャンセルね。せっかくの機会だったけど、悪かったわね」

 

「え、なんで初風が謝るの?」

 

「せっかく南の島に行くんだもの。それなりの格好をしていきたいでしょ。市内のショッピングモールに良いのがあったから買ってあげようと思ってたのよ。白のワンピース。ユキなら絶対に似合うのに、残念だわ」

 

「あ、う…うん」

 

 調理しながら淡々と語る初風に、雪風は曖昧にうなずいた。

 

 白ワンピースをまとった自分の姿なんてまるで想像がつかなかった。しかしまあ初風が似合うと言うのだからそうなのだろう。

 

 だけど週末の予定とは、てっきり初風自身の買い物に付き合うと思っていたのに、どうやら本当の目的は雪風を着せ替え人形にすることだったらしい。

 

 これじゃ初風はまるで子離れできない母親のようだが、それに依存しきっている雪風としては文句を言えた義理ではなかった。

 

 それに入隊前も含めて割と余裕の無い生活を送ってきた雪風にとって、多少強引とはいえ、人間らしい、そして憧れていた年相応の少女らしい生活に近づけてくれた初風の存在は、正直、ありがたいものだった。

 

 しかしその一方で、この二水戦にいる間は、そんな生き方を選ぶにはまだ早過ぎるとも思っていた。

 

 出撃前に未来の約束をする奴、何でもない日常を懐かしむ奴、恋人の話をする奴は決まって死ぬ。そんな戦争映画にありがちなジンクスなど雪風は相手にしていなかったが、戦場においては未練がましい奴から死んでいく、というのはそれなりに事実であると雪風は知っていた。

 

 未来への未練、過去への未練、そんなものは思考と動きを鈍らせる。

 

 戦場で生き残るには思い切りが大切なのだ。とりわけ二水戦のような部隊では、すぐ隣で親しい仲間が死んでも振り返らないだけの覚悟と思い切りが求められるのだ。

 

 でなければ自分が死ぬ。それが二水戦にとっての戦場だった。

 

 雪風はそのことを初風をはじめとした後輩たちに教えてきたし、初風たちもそれを受け止め、これまで実践してきてくれた。

 

 しかし、雪風とは違い、彼女たちは戦場は戦場、日常は日常という風にしっかり切り分けて考えることができるらしかった。常在戦場とよく口にしている浜風でさえ、雪風から見ればよほど人間的な生活を送っている。

 

 けれど、だからこそこんな殺伐とした任務ばかりの二水戦でも、人間らしく、女性らしく生きていけるのだろう。

 

 雪風は、そんな後輩たちが羨ましかった。本当は雪風もそんな風に生きたいのだが、しかし身についてしまったこの生来の気質ばかりはどうしようもなかった。

 

 これは二水戦に配属されたから、というより入隊以前からの彼女の半生ゆえに形成された性格だった。

 

「ま、今回の出撃は半分バカンスみたいなものだし、クジ引きで勝ち取ったラッキーな参加枠だもの。早まっても特に損は無いわ。買い物なら現地でもできるもの。ね、ユキ」

 

「うん、そうだね」

 

 トントン、と初風がリズミカルに野菜を切る音を聞きながら、雪風はリビングでテレビを点けた。

 

 適当にチャンネルをザッピングするが、特に興味を惹かれるものがなかったので、結局ニュース番組にチャンネルを合わせた。

 

 番組はちょうど気象コーナーが始まったところだった。赤道付近で熱帯低気圧が発生し、近いうちに台風へと発達するだろう、と気象予報士が告げるのを聞いて、雪風は眉をひそめた。

 

 船乗りにとって、台風は面倒の種以外の何物でもない。熱帯低気圧がこのまま台風に発達した場合の進路予想は、南西諸島よりも南東側のコースになっていた。

 

 予報円(70パーセントの確率で進む範囲)の最も西寄りを進んでも南西諸島に大きな影響は無さそうだったが、その代わり二水戦が出撃する予定の海域がちょうど進路上に含まれていた。このままでは作戦中は常に大時化だろう。

 

 これは参ったな、と雪風は思う反面、台風が来るなら危険手当も少しは加算されるかな、と調子のいいことも同時に頭に浮かんだ。

 

 バカンス気分の安全な作戦である分、危険手当も雀の涙程度だったが、船酔いと引き換えに南の島での遊興費が手に入るなら悪い話でもないだろう。

 

「ユキ~、そろそろ夕飯できるからお皿を準備してちょうだい」

 

「は~い」

 

 キッチンからの呼びかけに、雪風はテレビを消して立ち上がった。

 

 週末の予定が潰れ、おまけに台風が来るとはいうが、それはそれで悪いことばかりでもないものだ。

 

そんな風に前向きに考えていた雪風の思いは、翌日、意外な事実が明かされたことによって覆された。

 

 

 

 

 二水戦司令部ブリーフィングルーム。

 

 そこに集った六人の艦娘たち――雪風、初風、浦風、磯風、谷風、浜風――を前に、旗艦・神通は危険手当の増額を提示した。

 

 増額自体は雪風も予想していたが、問題は、その増額幅だった。

 

 新たに提示された危険手当の額は、平均値をはるかに上回っていた。すなわち、参加艦艇に少なくない損害が――最悪、多くの死者が出ることが――予想されるということだった。

 

「状況が大きく変わりました」神通は申し訳なさそう目を六人に向け、言った。「作戦目的や内容の変更については機密事項のため、説明するには条件が付きます」

 

「条件って何ですか?」

 

 雪風の質問に、神通はスクリーンに表示された危険手当の額を指し示した。

 

「あなた方の志願をいったん白紙に戻します。その上で、改めて志願者を募ります。急な変更ですので、まずはあなた方から先に確認しますが、拒否されても違約金は免除いたしますので安心してください」

 

 志願辞退者が出た場合、その枠は別の志願者を募って当てるということを付け加え、神通は、

 

「五分、待ちます」

 

と告げた。

 

 その間に意思を決めろということだ。六人はしばし黙ったまま、提示された危険手当の額を見つめた。

 

 こんな時、二水戦の艦娘たちはお互いに相談しあうなんて真似は絶対にしなかった。作戦参加の進退は個人の自由意志だ。手に入れる金に対し、賭けるのは己自身の命である。その判断に他人が介在する余地はない。

 

 五分の間、六人は黙考を続けた。

 

 しかし雪風は、初めから迷うまでもなく参加を決めていた。彼女が出撃を拒否したことは、これまでただの一度もなかった。

 

 命を危険にさらしてでも稼がなくてはならないのだ。それだけが雪風の理由だった。

 

 なので雪風にとって金額の多寡によるリスクの変化など何の意味もないのだが、他の艦娘たちにとってはそうではなかった。

 

 艦娘たちはみな、提示金額からリスクを見極めようと思考をフル回転させていた。しかし今回は機密作戦のため、金額以上の情報が無い。

 

 そのため、五人の視線は自然と、この面子で再先任であり、練度が高く経験も豊富な雪風に集まっていった。

 

(よくないなぁ、こういうの)

 

 雪風は誰とも目を合わせないように、顔を伏せて目を閉じた。

 

 相談事は以ての外だが、他人の態度をうかがうというのもあまりよろしくない態度だ。と雪風は思っていた。ましてリスク度外視で出撃を決めている自分の態度など、参考にしていいはずがない。

 

「五分経過しました」

 

 神通の言葉に、雪風は目を開けた。

 

「それでは、作戦参加の確認を行います。志願者は挙手を」

 

 皆の判断の妨げになってはいけないと思い、手を挙げるのは一番最後にしよう、と雪風は決めた。

 

 だが、

 

「初風、志願します」

 

 間髪入れずに初風が挙手したのを皮切りに、浦風、磯風、谷風、浜風も次々と手を挙げた。

 

「分かりました。雪風さん以外は皆参加ですね」

 

 意外だ、という表情をしながらも深く訊くこともせずに頷いた神通に対し、雪風も慌てて手を挙げた。

 

「ま、待ってください!? します! 雪風も志願します!」

 

 大声で申告して、たちまち気恥ずかしさで顔が赤くなった。これじゃまるで周囲の雰囲気に流されて志願したようなものじゃないか。

 

 てっきり周りが自分に合わせてくると思い上がっていたこともあって、あまりの気恥ずかしさに周りの皆の顔を見れなかった。

 

(初風も、他の子たちも、私が思っているよりずっとしっかりしてたんだなぁ)

 

 もう先輩風を吹かすのは止めよう、と雪風は心に決めた。

 

 まあ初風からは既に先輩扱いされてないどころか、すっかり妹扱いされてるけど。

 

 それはそれで問題はあるが、しかし悪い気がしないのも事実だった。

 

 彼女と同居を始めてからというもの、職場の同僚という距離感はとっくに超えてしまって、時にそれが初風の進退に影響を与えてしまってないか不安に思う時もあったが、今回は雪風の態度に関係なく自分の意思を示したことに、雪風は安堵を覚えていた。

 

 どんなに親しくなろうが、死ぬときは独りだ。その覚悟が初風にもちゃんとある。それが分かっただけでも恥をかいた甲斐はあったかもしれない。

 

 雪風は自分にそう言い聞かせ、作戦説明を始めた神通に顔を向けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 神通に真っ直ぐに目を向け、作戦説明に聞き入る雪風の横顔を、初風は隣でじっと眺めていた。

 

 雪風の顔立ちはとても幼い。ショートカットの髪形のせいもあるだろう。ふわふわな手触りの髪質はきちんとした手入れをすればとても美しく、「ロングにしたらいいのに」と何度も勧めた。

 

 しかし雪風からはそのたびに「ショートの方が楽だから」と突っぱねられた。

 

 絶対に可愛いのに、と力説しても雪風は微妙な顔をして困ったように首を横に振るだけだった。

 

 雪風は自らをひどく過小評価している、と初風は思っていた。

 

 顔つきや身体つきが幼いことを気にしていることも知っていた。だけど同時に、艦娘である間はどうせ成長しないのだからどうにもならない、と開き直っていることにも気づいていた。

 

 初風としては、艦娘であっても女子なのだから、外見年齢相応に着飾るのは当然だし、むしろそうするべきだとも思っていたが、雪風にはその気が全く無さそうだった。

 

 というよりも、そんな発想そのものが無いのだ。と、初風は雪風と同居するようになってから気が付いた。

 

 ことあるごとに「雪風だって女の子なんだから」と説いても、「まぁその内ね」とはぐらかされてきたが、その実、どうしたらいいのかわからないというのが雪風の本音だったのだろう。

 

 生まれてこのかた、お洒落なんてしたことがないのだ。そんな家庭環境で育ってきたのだ。

 

 それが具体的にどんなものであったか、それを本人の口から聞いたことは一度も無かった。

 

 しかし雪風がこれまで一度も作戦を辞退せずに貪欲なまでに危険手当を稼いできたこと。そしてそのほぼ全てを実家に仕送りしているらしいということを鑑みれば、その半生がどんなものであったかは察しがついた。

 

 初風自身も似たようなものだった。そもそも、この二水戦は大概がそんな連中ばかりだった。

 

 だから雪風に限らず、人生に余裕がない者やそれさえも知らない者などは他にもいくらでも居て珍しくもなかったが、それでも初風はどうしてだか雪風に惹かれた。

 

(私がこの子を守らなくちゃ)

 

 そんな思いに囚われ、私生活の面倒まで見るようになってしまった。

 

 理由は正直、自分でもよく分からない。

 

 もしかすると、この生きるか死ぬかの二水戦で生き抜くために、金以外にも執着するべき対象が欲しかっただけかもしれない。

 

 だからその対象は本当なら、ここにる浦風でも磯風でも谷風でも浜風でも良かったのかもしれない。その中で、たまたま最も身近だった雪風を選んだに過ぎないのかもしれない……

 

 ……そんな思いに囚われるたびに、初風は、だからどうした、と自分に言い聞かせてきた。

 

 きっかけなど些細な事だった。今となっては雪風が初風にとってかけがえのない存在になっているのは事実なのだ。

 

 雪風のそばにいて、雪風を守ること。それが今の初風にとっての二水戦にいる理由だった。

 

 その初風の視線に気が付いたのだろう、雪風が「ん?」と小首をかしげて初風を見た。

 

「…どうしたの、初風?」

 

 苦笑を浮かべた幼い顔立ちに、大きめの丸い瞳が戸惑いに揺れていた。

 

「別に、なんでもないわ」初風は微笑みかけながら答えた。「見てただけよ」

 

「あ…そ、そう」

 

「あの、初風さん。できればこっちを向いてほしいのですけど……」

 

 神通が困り顔で注意してきた。

 

「ごめんなさいね、神通さん。反省してます。ちゃんと話は聞くわ」

 

 すぐに謝って向き直る。そうだ、今は作戦内容のブリーフィング中なのだ。既に戦場にいる気持ちで聞かないと。少しの油断が死に繋がるのだ、と初風は気を引き締めた。

 

 

――ユキは、私が守るんだ。絶対に……

 

 

 初風は湧き上がる気持ちを、胸の底で固く抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

 


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