2 そのために必要な伏線を数える。
3 その伏線を用意するために、無駄な描写やシーンがどんどん増殖する。
4 話の展開が進まなくなる。
というわけで、第二十四話、まだずるずると続きそうです。
――私の後ろだけを見て、ついてくればいいから。
初風の初出撃の日、雪風はそう言った。
とある海域に集結した深海棲艦の大艦隊、その中心にいる空母棲姫と呼ばれる特殊個体――空母ヲ級の二倍以上の艦載機を要する巨大空母――を狙った夜間強襲作戦だった。
神通、雪風、初風の三隻に大型レーザー探照機を搭載し、敵艦隊に突入。ターゲットである空母棲姫にレーザーを照射し、はるか遠方に居る大和級から放たれた超延伸弾道弾を誘導する。それが任務だった。
――どんな時も、何があっても、私の艦尾から目を逸らさないこと。
出撃前、雪風は口を酸っぱくしてそう繰り返した。
初風はそれに強く抗議した。敵の只中に飛び込むのに周囲を見るなとは正気の沙汰じゃない、と。しかし雪風は聞き入れてくれなかった。
納得いかないまま初風は出撃したが、いざ作戦が始まってしまうと、そんな思いは何もかも吹き飛んだ。
星もない暗闇を、二水戦が航走していく。神通、雪風、初風の単縦陣を護衛するため六隻の駆逐艦がその周りを取り囲んでいたが、誰一人として明かりをつけていなかった。各艦娘は皆、暗視装置に浮かぶ僚艦のぼやけたシルエットだけを頼りに陣形を組んでいた。
敵に逆探知されることを恐れ、レーダーも動かしていない。その状態のまま、二水戦は敵艦隊へと突入した。
暗闇を敵味方双方の砲弾が切り裂き、辺り一帯の海面が沸騰したように激しく沸き立つ中を、二水戦が突き進む。
バラージジャミングによりレーダーどころか通信さえもできない状況下である。初風は敵の位置どころか味方の正確な位置さえ分からなかった。彼女の五感に襲い掛かってくるのは、砲弾が間近をかすめ飛ぶ金切り音と、至近弾の衝撃波、そして砲火の瞬きの中で微かに浮かぶ雪風のシルエットだけだった。
――私の後ろだけを見て、ついてくればいいから。
その言葉の意味を噛みしめる余裕さえ無かった。状況判断も何もあったものじゃ無かった。暗視装置越しですら曖昧なそのシルエットを、初風はただ必死に追い続けた。
肝心のターゲットの位置さえ不明確なまま、そうやってどれだけの時間を走り続けただろうか。不意に、雪風の艦橋からストロボ光が瞬いた。“レーザー探照灯を照射せよ”のモールス信号だ。続いて示された方位へ指示のままに、初風はレーザーを照射した。
そのまま初風は、雪風の後を追い続けて戦線を離脱した。
離脱後、通信が復旧し、作戦が成功したことを知らされた。しかし初風は、自分が照射したレーザーが本当にターゲットを捉えていたのかどうかも分からなかったし、大和級の砲弾が着弾した瞬間も見えなかった。
そして、この作戦の最中、護衛にあたっていた仲間の内、二人の艦娘が轟沈していたことさえも、初風は気が付けなかった……
あの初出撃以来、初風の目は、ずっと雪風を追い続けている。
出撃のたびに誰かが死ぬような部隊に居る以上、生命力の強い者に注目が集まり、それを参考にしようとするのは当然の風潮かもしれない。
しかし二水戦内では、雪風はあまり参考になるタイプではないとされていた。
トップクラスの一人に数えられてはいるものの、別に特別な訓練を行っている訳ではない。実戦でも一人だけ違うことをしているわけでもない。他の艦娘たちと同じ戦術、同じ動きだ。だから一回の出撃あたりの戦果も飛びぬけている訳ではない。
それなのに、雪風の生還率は他の誰よりも高かった。雪風は二水戦へ配属以来、全ての作戦に参加し、ほぼ無傷で生還していた。
生還率が二番目に高いのは神通だが、彼女は旗艦就任前は出撃拒否が多かったため、雪風よりも低い結果になっていた。しかし彼女も、旗艦就任以降は全ての作戦に参加し、そして生還している。
神通の生還率が高い理由については誰もが認めていた。
まず一つ目、司令が乗り込む旗艦であるため、索敵能力や指揮通信能力の向上、そして司令が指揮する区画の装甲を厚くするなどの防御能力の向上といった、船体の各種性能が強化されていること。
二つ目は、司令を守るために随伴艦の手厚い護衛を受けること。
そして三つ目として、神通自身の練度が他の追随を許さないくらい高いことである。
だが、雪風はそうではない。むしろ旗艦を守るために進んで矢面に立つことも頻繁にあった。
なのに、生き残る。ほとんど無傷で生還する。しかし理由は誰にも分らない。何かコツがあるのかと問われても、本人ですら「さあ?」と首をかしげる始末だ。
結局、雪風は運がいいのだ。という風潮に落ち着いた。だからといって、雪風の運にあやかろうなんて思う者は、二水戦には居なかった。居たとしても、そんな者は皆死んだ。
仲間を信じて生き延びた者は居ても、仲間をあてにして生き延びた者は居ない。それが戦場の掟だった。
初風も二水戦で過ごすことで、その掟を身体に刻みつけてきた。だから、それでも雪風のそばに居るのは、参考にしようというのでも運にあやかろうというものでもない。ただ純粋に、個人の感情によるものに過ぎなかった。
でも傍に居るからこそ、初風には、雪風が生き延びてきた理由が、多少なりとも見えてきた気がしていた。
「ねえ、これなんかどう?」
街にあるブティック。そこで初風から洋服を押し付けられ、雪風は困惑していた。
色は白一色ながら細かい刺繍とフリルが全面に施されたゴシックロリータ調のドレスだった。
おかしい、と雪風は疑念を抱いた。初風のおススメは確か「夏の御令嬢風味の白ワンピ」だったはずだ。路線変更したのか、と聞いたら、
「それはそれ、これはこれで可愛いでしょ」
あっけらかんとそう返されて試着室に押し込まれた。
ゴスロリドレスなんてものを着るのは初めてなので勝手がわからないものの、下手にまごついていると初風が試着室に乱入してきかねないので、どうにかこうにか袖を通してカーテンを開けた。
目の前で、初風が携帯端末を構えていた。その搭載カメラが立て続けにシャッター音を鳴らす。
「ほらユキ、表情が固いわよ。笑顔でピースピース」
言われるがままに表情を作ってポーズを決めて更に数枚、おまけに初風も横に並んで自撮りでツーショット撮影をしてから、初風はようやく落ち着いた様子で雪風を値踏みした。
「うーん、いまいち」
「ちょっと!?」
あれだけノリノリで写真を撮っておいてその評価なのか。
「次はこれね!」
そう言ってハイビスカス柄のワンピースを渡された。なんだこれ、フラダンスでも躍らせる気か。いや、可愛いけど。
とりあえず何か言おうと思ったが、その時すでに初風は他の服を見繕うために離れてしまっていた。
「初風ぇ~」
「早く着替えてよ。時間がもったいないから」
振り返りもせずにそう言われたので、雪風はもう色々と諦めて試着室に引っ込んだのだった。
そうやって、あれもこれもと次々と試着した挙句、結局というかやっぱりというか、麦わら帽子に白ワンピの「夏の御令嬢風味」に落ち着いた。
「私の見立て通りね。ユキ、よく似合っているわよ。可愛い」
「ありがと。でも、こんなヒラヒラなスカートに慣れてないから足元が落ち着かないよ」
「いつも下着みたいなホットパンツ履いて生足を晒しているくせに?」
「人をまるで痴女みたいに言わないでよ! あれはパンツじゃないから恥ずかしくないもん!」
「はいはい」
初風は笑みをこぼしながら、近くで控えていた店員へ顔を向けた。
「このまま着ていくわ。お会計をお願いできるかしら」
店員は「かしこまりました」と答えると、鋏を手に、慣れた手つきで雪風が着ている服からタグを切り取ってレジへ向かった。
初風もクレジットカードを手にレジへ向かおうとしたので、雪風は慌ててそれを止めた。
「待って待って、なんで初風が当然のように支払おうとしてんの!?」
「なんでって、私が服を買いたいって誘ったからでしょ?」
「でも私の服なんでしょ、これ」
「そうよ」
何を当然のことを言っているのか、という顔の初風。雪風の服を自分の金で買うという行為に何の疑問も抱いていない彼女を前に、雪風は必死に首を横に振った。
「駄目だよ! 私の服なんだから、私が払うよ!」
「それじゃ私が無理やり買わせたみたいじゃない。そんなの私は嫌なの。だから私に払わせなさい」
初風も強情だ。雪風のために、と初風が好き好んで費用を負担したがることは何度かあったが、これまでは大抵シャンプーやリンスといった日用品程度に留まっていたし、それさえも建前上は「二人の共同生活費」から支出していたはずだ(もっとも、それは初風が管理しており、彼女の性格からして雪風用に多くを割いているだろうとは想像がついていたが)。
だけど今回の服は日用品とは値段が違う。こんな高価なものを奢ってもらうわけにはいかない。
しかし、
「ユキ、これは私があなたに贈ってあげたいの。別にあなたに恩を着せようとか、そういうのじゃないのよ。ただ、あなたに受け取って欲しいだけ。それじゃ、駄目なの?」
「……駄目だよ、そんなの」
雪風の言葉に、初風は傷ついたような表情を浮かべた。
「どうして……?」
「どうしてもだよ」
雪風は頑なに首を横に振った。たとえ親しくとも、金銭的な借りを作りたくない。これは雪風にとって譲れないことの一つだった。しかし、その理由を初風に明かしたことは無かった。明かしたくは無かった。
そのまま、二人の間に沈黙が降りた。初風の睨むような、でもどこか不安で揺れる眼差しが辛くて、雪風は目を逸らした。その視界の先で、レジに立つ店員が戸惑った様子でこちらを伺っているのが見えた。
どうしよう、と雪風は悩んだ。いっそ理由を明かしてしまおうか。でもそれで初風が分かってくれるだろうか。
そう思ったとき、店内の静寂を破るように、雪風の服のポケットから、携帯端末がメール着信を告げる音が鳴り響いた。
二人はほとんど同時に自分の携帯端末を取り出し、画面を確認する。部隊からの緊急連絡かもしれないと思っての反射的な行動だった。
メールは雪風にだけ届いていた。プライベートメールだ。しかし雪風は、そのメールの内容を目を見開いて凝視していた。その顔が、見る見るうちに険しくなっていく。
「ユキ?」
初風から声を掛けられ、雪風は咄嗟にメール画面を閉じた。
「な、なんでもない!」
「え、でも……」
「ゴメン、ちょっと外で電話かけてくるからっ。……あっ、そうだ、これ!」
雪風は自分の財布から高額紙幣を数枚取り出すと、それを初風の手に無理やり握らせた。
「これで代金を払っておいて!」
「そんな、ユキ!?」
「ゴメン、急ぎなの!」
初風を残し、雪風は店を飛び出した。周りを見渡し、人通りの少ない路地を見つけてそこへ駆け込む。
雪風は路地の隅で携帯端末を操作し、アドレス帳を呼び出した。画面をスクロールさせるその指が、細かく震えていた。
雪風は探していた番号を見つけると、一度大きく深呼吸し、それから震える指でコールボタンを押した。
その呼び出し画面には「母」と表示されていた。
数回のコールの後、相手が通話に出た。
『あらぁ、あなたから掛けてくるなんて珍しいこともあるじゃない。どうしたの?』
「母さん……」
明るく甲高い母の声にこめかみが引きつるのを感じながら、雪風は言った。
「さっき、私の携帯に督促状のメールが届いたよ。金融会社からの、借金返済のメール。……どういうこと?」
『あ…あぁ~、あれね。そうそう…』
母の声が一瞬どもり、そして不自然な間を置いた後、こう続けた。
『あのね、すごくいい投資先を見つけたの。これから急成長間違いなしのビジネスでね。今の内に先行投資しておけば、いずれは十倍、二十倍、いいえ、百倍だって目じゃない利益が返ってくるって――』
「母さん」
『――これでお父さんが遺した借金も、迷惑かけた人たちへの慰謝料も全部払えるし、あなたにも苦労をかけることも無いわ。良かったわね、もうすぐ働かなくても良くなるのよ』
「じゃあ、この請求は何なの? どうして借金が増えてるの!?」
『それは、ほら、追加融資ってやつ? だって大きく育てるには先立つものだってそれなりに必要でしょう?』
「それなり? これが?」
雪風は母の言葉を信じられない思いで聞いていた。メールで届いた督促状は利子分の請求だけだったが、それですらかなりの額だった。そこから予想した新たな借金の総額を思い浮かべて、雪風は吐き気が込み上げてきた。
「ねえ、いったいいくら借りたの…?」
吐き気をこらえながら、絞るような声で問いかける。
『えっとぉ――』
告げられた金額は思ったよりも少なかった。そのことに雪風は一瞬安堵しかけたが、すぐに、この場合金額に対して利率が異常に高いことに思い至った。
まともな金融機関がつける利率じゃない。どう考えても闇金融だ。
「母さん…」雪風は唇を震わせながら問いかけた。「借りたのは、この一社だけだよね? ……他からはもう借りてないよね?」
お願いだからそうであってくれ、と願いながら、母の言葉を待った。
『あぁ、うん、その……だ、大丈夫よ』
その明らかな歯切れの悪さに、雪風は全てを察した。その瞬間、頭の中が沸騰したように熱くなり、雪風は絶叫した。
「借りたんだな! 他からもたくさん借りやがったな!」
『借りやがったって、そんな乱暴な言い方!』
「うるさい! いったい幾らだ!? 言え! 全部で幾ら借りた!?」
『ひっ……あ、あの……その…――」
告げられた金額に、雪風の熱くなった頭から一気に血の気が引いて行った。
『あ、あのね、あなたからの仕送りじゃ利子も返しきれなかったから、それで他からも借りて……で、でもそれも返しきれなくなったから、請求をあなたに回してもらって……その……』
尻すぼみに小さくなっていく母の声に引きずられるように足から力が抜け、雪風はその場に蹲った。
「母さん…なんで…っ! もう投資も借金もしないって約束したのに…どうして…っ!?」
『だ、だって、絶対うまくいくって、みんな言ってたから…』
「前もそれで失敗したじゃない! その前も! 何回も何回も同じ手に騙されて、どうして反省してくれないのっ!?」
『騙された訳じゃないわよ! たまたま運が悪かっただけなのよ!』
弱かった母の声が、開き直ったのだろう、ここにきて急に強くなった。
『それにほら、あんた高給取りじゃない! これぐらいの借金なんて、あんたなら数か月程度で返せるじゃない!』
母のその台詞は、雪風の逆鱗に触れるものだった。
「黙れっ!!」
『っ!?』
携帯越しに、母が息を呑んだのが分かった。
「…母さん、よく聞いて」
雪風は声の限りに叫びだしたい衝動を必死に抑えながら、言った。
「今日限りで、その投資をやめて。でないと借金は肩代わりしないし、仕送りさえもしないから」
『え…何言ってるの? そんなことしたら、私、どうやって生きて行けっていうの!? あんた、お母さんがどうなってもいいっていうの!?』
「そうだよ」
『なんてこと…あんた、自分が何言ってるのか分かってるの? お母さんなのよ? あんたは私が産んだのよ!? それを見捨てるなんてありえないでしょ!?』
「うるさい! 言う通りにしないなら親子の情なんてこれっきりだ! 父さんみたいに消されようが、飢え死にしようが、知ったことか!!」
『そんな…いや…そんな怖いこと言わないで…ねえ、これはあなたのためを思ってしたことなのよ』
「はぐらかすな! やめるのか、やめないのか、早く選べ!」
『ひっ…いや……いやあぁぁあぁあぁぁ!!!!』
耳をつんざくような金切り声が耳を刺し、雪風は思わず携帯を顔から離した。それでも母のヒステリックな悲鳴が携帯から辺りに響き渡っていた。
『あんたのぉ、あんたのためなのにぃぃぃ、おかあさんはねえっ、ずっと苦労してたのにぃぃぃ!!!』
「うるさい、止めろ、泣くなこの卑怯者!」
『うわあああぁぁあぁぁああぁ!!!!』
ひときわ激しい喚き声の後、通話は唐突にぷっつりと切られた。
「逃げるな、畜生!?」
すぐさまリダイヤルをかけたが、母は既に電話の電源を切ってしまっていた。その旨を告げる電子音声の無感情な言葉を耳にして、雪風は携帯を思わず地面に叩きつけそうになった。
携帯を握った手を頭上に振り上げたところで、かろうじて残っていた理性がその行為を押しとどめた。いついかなる時でも部隊からの緊急連絡、緊急要請に応答できるように備え無ければならない。そんな軍人としての理性だった。
「畜生…畜生…」
雪風は携帯を強く握りしめ蹲りながら、呻いた。
母は泣き喚いた挙句に、雪風が突き付けた選択に最後まで答えなかった。母は追い詰められるといつもそうだ。あいつは癇癪を起して泣き喚けば全て解決すると思っている。
家族が全部尻ぬぐいしてくれると思っている。
父が生きていたころは、それは父の役目だった。クズの見本のような男だったが、妻への愛情だけは本物だった。父は母のためなら何でもやった。合法、非合法を問わず。
母のために何でもやって、やりすぎて、やらかした挙句に殺された。膨大な負債と、母を雪風に押し付けて。
「畜生……っ!」
――それにほら、あんた高給取りじゃない。
脳裏に母の言葉が蘇る。ああ、そうさ、今の私は高給取りさ。と雪風は内心で笑った。
いくら酷い借金だって、今の私なら確かに返せる。なにしろこの命を懸けて、いくつもの死線を潜り抜けて、必死で稼いできたのだから。
――これぐらいの借金なんて、あんたなら数か月程度で返せるじゃない!
数か月程度? 母にとってはそうだろう。でも私は、明日の命さえ知らないんだぞ!?
「ち…き…しょう…っ!!」
二水戦は秘密部隊だ。家族であっても所属していることさえ明かせない。戦死しても、その理由さえ秘匿される。
もし雪風が戦死したとしても、それは些細な事故による殉職――甲板上で足を滑らせて海に落ちたといった風に――として処理されるのだ。そして母は、ドジな死に方をした娘に呆れながら、遺族年金を受け取ってのうのうと生きていくのだ。
「…ち…く……」
もう嫌だ。こんな人生なんて真っ平だ。だけど逃げ場所なんてどこにも無い。生きるも死ぬも八方塞がりの真っ暗闇だ。あがいても、もがいても、どうにもならない無間地獄だ。
畜生、畜生、畜生…
畜生、畜生、畜生、畜生、畜生、畜生、畜生、畜生、畜生―――
―――畜生ぉっ!!!!!!
「――ユキ」
「っ!?」
名を呼ばれ、雪風はハッと顔を上げた。
路地の入口から、初風が心配そうな顔をしてこちらを見ていた。
「初…風……もしかして、聞こえてた?」
「うん…」
「だよね~」
血相変えて店から飛び出した挙句に、母子そろって喚き叫んでいれば、嫌でも事情は察してしまうだろう。
雪風は自分に呆れて乾いた笑みを浮かべながら、その場に立ち上がった。
初風は、そんな雪風を黙って眺めていた。
本当は声をかけたいのに、何を言えばいいのか分からない、そんな様子だった。
どこか遠くで、消防車だろう、サイレン音が聞こえてきた。それが近づくにつれサイレンも大きくなっていく。
初風は意を決したように口を開いた。
「ユキ…色々と事情はあると思うけれど、私は…どんな時だって、あなたのそばに――」
「あ~、初風、待って、それ以上はやめて」
雪風は乾いた笑みのまま、初風の言葉を遮った。
「私自身がさ、もうこの話題に触れたくないの。考えたくもないの。だからさ……やめて」
「ユキっ!」
サイレン音が初風の叫びをかき消した。彼女の背後の大通りを、消防車が赤い影を残して横切って行った。
遠ざかるサイレン音を耳にしながら、雪風は言った。
「それと、しばらく独りにして欲しいかな。わがまま言って悪いけれど、コンサートには初風だけで行ってよ。磯風たちも待ってるだろうし」
「嫌よ。今のあなたを放っておけないわ」
「独りにさせて。お願いだから、冷静になるための、時間を頂戴……」
雪風は、細かく震える唇をかみしめながら必死で言葉を紡いだ。これ以上何かを喋れば、ぎりぎりでせき止めていた感情があふれ出して、目の前の初風を傷つけてしまいそうだった。
初風はそんな雪風をしばらく見つめていたが、やがて顔を伏せ、背を向けた。
「ごめんね、ユキ」
謝る理由なんてどこにもないのに、初風はそう言って立ち去って行った。見送ったその背中は、泣いていた……
鎮守府敷地内にある、艦艇用の係留岸壁。
間もなく入港しようとする第二十一駆逐隊を出迎えるため、日向と五十鈴は連れ立ってそこに立っていた。
「ねえ日向さん」
「うん?」
「二水戦の印象って、どうだった?」
「ふむん……」
日向は腕組みをして海に目を向けたまま、わずかに思案した。その視線の先では、ちょうど霞の船体が防波堤を回り込んで港内へと進入してきたところだった。外海から吹き付ける風が強く、港内もやや波が高い。
今日の入港は少し難しいぞ。と内心で思いながら、日向は答えた。
「そうだな。なかなか負けん気の強そうな目をした艦娘たちだった。磯風、浦風、浜風、谷風。この四人はまだ新人だな。目に陰りが無い」
「あ、やっぱり日向さんもそう思ったんだ。私もそんな気がしてたのよね。最強の精鋭部隊って噂の割には、ずいぶんと普通の雰囲気な子たちを連れてきたな、ってね」
「まあ訓練も出撃中の様子も見ていないからな。単なる初見の先入観さ。アテにしてくれるな」
「そうかしら、自信もっていいと思うわよ。だって私と同意見だったんだしね」
ふふ、と五十鈴は笑いながらその立派な胸部を誇示するかのように胸を張った。その様子に日向も苦笑を漏らす。
「五十鈴、君は大した自信家だよ」
そんな二人の目の前の海面を霞の船体が通り過ぎ、港内奥の別の岸壁へと向かっていく。
狭い港内だが、霞は強風で流されて航路をはみ出すこともなく進んでいく。風による偏移量を考慮して、舵角や左右の推進力を微調整しているのだ。
いい腕だ、と日向は評価する。
「他の二人は」と、五十鈴が聞いてきた。
「雪風と初風のことか?」
「そう。私は初風も新人の様に見えたのだけど、違うのかしら?」
「違うかどうかは知らないが、そうだな、あの二人は他の四人とは目が違っていた」
「陰っていたということ?」
「それも少し違うな」
「どういうこと?」
「その前に、私の方からも聞きたいのだが良いかね。神通秘書艦はどう思う?」
「そういえば日向さん、迎えのバスは別だったものね。そうねえ……うん、日向さん風に言えば、あの人も“目が違った”かな」
「ほう?」
「それこそ陰り、っていうのかな。心が擦り切れて、何の色も浮かべてないような。ほら、よくある兵隊の末期症状よ。戦闘を幾度も繰り返してきた引退間際の艦娘に多い、あんな感じ」
「そうか、なるほど」
艦娘、というか実戦任務に就く兵士には特有の雰囲気がある。それは大まかに分けて四つに分けられた。
一つ目は実戦をまだ知らない者だ。
命のやり取りを知らない、死というものがまだ想像上の産物でしかない者。そんな兵士は、どれだけ訓練を積んだ者であろうと一目で区別できた。
二つ目は実戦を経験して間もない者だ。
特に死の恐怖を間近に感じた者たちは、それまでの死生観を一変させられてしまう。長い人生の遠い果てにあったはずの死が、本当はすぐそばに居て常に己の首に手をかけていることを思い知らされる。そんな彼ら彼女らの目は、まるで老人の様に年老いている。
三つ目は、幾つもの実戦を経験した者たちだ。
当初は老け込んでいた目も、死線を幾度も潜り抜けていくうちに、再び輝きを取り戻していく。戦い抜き、生き延びてきたという実績が自信となり、死を恐れぬ大胆さと不敵さがその目に宿っていく。
磯風たち四人は、ちょうどその段階だと、日向と五十鈴は踏んだのだ。
だが神通は、それを超えた四つ目の段階だと五十鈴は見ていた。
度重なる実戦と、そのたびに襲い来る死の恐怖に心が擦り切れ、疲れ果てた者たちだ。だがこうなるものは今の艦娘たちではかなりまれだ。
こういうのは勝ち戦のときはあまり現れない。たいてい負け戦のように著しく損害が大きい戦場に幾度も遭遇したような、そんな過酷な戦場を経験してきた者たちに多いのだ。
だとすれば神通は、いったいどれほどの地獄を見てきたというのだろうか。そのことに思いを馳せながら、日向は言った。
「二水戦司令・郷海大佐も同じような目をしていたよ」
「そうなの?」
「ああ。だが私が見たところ、単に目が陰っているという訳でも無い。そうだな、強いて言うなら“死人(しびと)の目”をしていた」
「目が死んでるってこと?」
「そうじゃない。戦場に出る前から既に死地に踏み込んでいる者の目だった。生への執着も、死への恐怖もない。“武士道とは死ぬことと見つけたり”の本質を体現しているかのような男だ。流石は二水戦を束ねる将だけあって、思わず鳥肌が立ったよ」
「死人かぁ。日向さんが言うと凄そうに聞こえるけど、でもそれって人間としては破綻してないかしら?」
「まあ、そうなるな。否定はしない。海上武人たらんとする私たちはともかく、一般人にはとんと無縁な境地だ」
海を眺めながら語らう二人の視線の先で、港内奥の岸壁近くに到着した霞が船体を停止させた。岸壁の転送装置が作動し、巨大な船体が光の粒子になって消えて行く。
それを追うように、朝霜の船体が二人の前を通り過ぎて行った。
「雪風と初風は、“死人”とも少し違っていたな」と、日向は言った。「あの二人もどちらかと言えば“死人”寄りなのは間違いない。だが、まだ全てを捨てきっていない。何かに執着している者の目だ」
「そこまで行くと何がどう違うのか、私にはさっぱりだわ」
「ふふ、意外と近くに同じような目をした艦娘が居るぞ」
「誰よ」
五十鈴の問いに、日向は黙って港の入口に目を向けた。
そこには、防波堤を回って港内へと進入してきた、初霜の船体の姿があった。
最後に入港した初霜の船体が光に消え、彼女自身が岸壁へ上ってきた時点をもって第二十一駆逐隊の帰投が完了した。
霞が代表してその旨を報告し、それを受けて日向が頷いた。
「三人とも監視任務ご苦労だった。司令と先任秘書艦はまだ二水戦司令と会議中だ。報告は明日でいいと許可を得ているから、君たちも上陸するといい」
「私たちも会議に出なくていいのですか」
と、霞が質問する。その発言に、傍らの朝潮が露骨に嫌そうな顔をした。
五十鈴がその様子に気づき、くすくすと笑みを零しながら答えた。
「心配しなくてもいいわよ。今日は司令と秘書艦だけの打ち合わせだから。二水戦の他の子たちもとっくに上陸してるわ」
「なんだよ、びっくりしたぜ」朝霜は安堵のため息を吐いたが、すぐに「けどさ、アタイたちが青波かぶりながら必死こいて帰ってきたっていうのに、待ってもくれずに上陸したのかよ。これから一緒に戦おうっていうのに薄情じゃねえか」
今度は口をとがらせ始めた朝霜に、初霜が「仕方がないわ」と肩をすくめてみせた。
「予定時刻より遅れた私たちが悪いのよ。むしろ残っていてくれたなら、逆に私たちの方が恐縮してしまうわ」
「ええ、私も同じ気持ちよ」霞も同意した。「ねえ朝霜。あんた、もし自分が逆の立場ならどうしてた?」
「もちろん、上陸一番」
朝霜はニッと笑って断言した。その現金な態度に「でしょうね」と霞と初霜は苦笑した。
そんな二十一駆に、五十鈴が「ねえ」と声をかける。
「あなた達も那珂のコンサートに行くんでしょう。二水戦の子たちも行くって連絡があったから、そこで会えるかもよ」
「それがいいな。司令部で堅苦しい挨拶するより、気楽に声かけあうほうがアタイは好きだね。…よっしゃ、そうと決まれば、霞、初霜、早いところ会場に行こうぜ」
「はぁ!? ちょっと朝霜、まだ早すぎるってば!」と、霞。
「私は構わないわよ」と、初霜。「コンサート会場には白雪さんと球磨さんが支援に出ているんでしょう。まだ準備が終わってないかもしれないし、私たちも手伝いに行きましょう」
その言葉に、霞も成程と頷いた。
「そういうことなら確かに早く行くべきね。朝霜、あんたもそういう意図で言ってたの? だったら見直したわ。偶には良いこと言うじゃない」
「お? …お、おう。まあな」
笑顔を見せた霞に対し、朝霜は露骨に目を泳がせた。
それで霞も察した。
「あんた、手伝う気なんて全然なかったのね。ただ勢い任せで言っただけなのね」
「う、うるさいな。そういう霞こそ行く気さえ無かったんだから同じじゃねえか!」
「ぐっ!? そこを突かれると痛いわね…」
「で、二人とも」と、初霜が口を挟む。「結局、早めに行くの? それとも後から行くの? どっちでもいいけど、私は先に行くわね」
そう言って、日向と五十鈴に「失礼します」と頭を下げて、霞と朝霜の返事も待たずにその場から歩き始めた。
「あ、こら、アタイも行くに決まってんだろ。おい初霜、待ちやがれ、二十一駆の一番槍はいつだってアタイなんだからな!」
「ああ、コラ! 朝霜も初霜も勝手に行くんじゃないったら! ――日向さん、五十鈴さん、私もこれで失礼します!」
霞も忙しく挨拶を済ませると、二人を追って駆け出した。
「はぁ、はぁ……待ちなさいったら、もう~」
「遅えぜ、霞。このまま正門手前の自販機までダッシュだ。ドベがジュース奢りな」
「コラッ! 抜け駆けしておいて勝手に競争にするんじゃないわよっ! 初霜、あんたもしれっと全力疾走するな!」
「ごめんね霞、でもジュースといえど何かが懸かっている勝負には負けたくないの」
「その変なこだわりは何なのよぉ!?」
三人は全力疾走、正門までは400メートル以上の距離がある。
スタートダッシュで加速した朝霜が初霜を抜いて一時トップに立ったものの、スタミナ切れで減速。最後尾から徐々に加速してきた霞と、そして一定のペースを保っていた初霜が追いつき、三人は横並びで正門手前の自販機の前を駆け抜けた。
「よっしゃあ、ゴール! アタイが一番だよな、なぁ!」
「勝手に決めるんじゃないったら。私の方が一歩早かったわ!」
「異議あり、ですよ。どちらが一位かはともかく、少なくとも私がドベじゃないことは確実よ」
「初霜、あんた普段は大人しいくせに、こういうことには図々しいわね」
「誰にも譲れない一線はあるものよ、霞。けれど、これ以上私たちで揉めていても解決はしなさそうね。……そうだ、ここは第三者の判定を仰ぎましょう」
「第三者?」
「ほら、そこに」
初霜が顔を向けた先には、自販機でちょうどジュースを買っていた村雨の姿があった。
初霜たち二十一駆と目が合い、村雨は“両手に持っていた”ジュース缶を慌てて背中に隠した。
「は、初霜ちゃん!? ま、また競争してたんだ。いつも元気だねっ!」
「ええ、でもここに村雨が“偶然”居てくれて助かったわ」
ニコリと笑った初霜を見て、村雨の額に冷や汗が浮いた。
「そういやぁ、妙だな」と朝霜が首をひねる。「村雨、お前どうしてここに居るんだよ。今日は用事があるから外出しなきゃいけないって言って、コンサートの手伝いも断ってたじゃないか」
「あ、えと、用事ね、うん、ちょっと時間が空いたから、一度帰ってきたの、うん」
「帰ってきたって、それでどうして寮じゃなくて鎮守府に帰ってきてんだよ。別に仕事ないだろ」
「ぎくっ!?」
「それにジュースを二本も買っちゃってねえ」
霞が背中側に回り込もうとしたので、村雨は慌てて向きを変えようとしたが、朝霜と初霜にも回り込まれ、取り囲まれてしまった。
「どれどれ」と、朝霜。「右手にブラックコーヒー、左手にシークワッサージュースか。一人で飲むにゃあ、妙な取り合わせだなぁ、おい」
「村雨、、あなた確か、クリームと砂糖なしじゃコーヒー飲めないって、以前言っていたわね」
初霜に屈託のない笑顔で迫られた村雨は、ついに観念して音を上げた。
「はいはーい、降参します。用事ってのはその……か、彼に逢いに来たの……」
ぽっ、と頬を桃色に染めた村雨に、二十一駆は顔を見合わせニヤリと含みのある笑みを浮かべた。村雨を包囲したまま、互いに目配せし合う。
「いやぁ~、なんだなぁ、喉乾いたよなぁ~」
と、わざとらしく喉元を手で仰ぐ朝霜。
霞も額の汗をわざとらしく拭った。
「全力疾走以前に、監視も大変だったわよねえ。そんな疲れた身体には、さっぱりしたジュースなんか飲みたいわねぇ」
「そうね、親切な誰かがご馳走してくれたら、感激のあまり今見たことなんか全部忘れてしまうわね、きっと」
初霜はそう言って村雨の肩にポンと手を置いた。
「ね、村雨」
「三人とも露骨すぎるよ!?」
「あんたの自業自得よ」と霞。「変にごまかして隠そうとするから後ろめたくなるのよ。“彼氏とデートです”って正直に言って、コンサートの手伝いを断ればよかったのに」
「う~、霞ちゃんの正論が耳に痛いよぉ。でも、なんていうか、やっぱりちょっと恥ずかしいし」
とほほ、とため息を吐きながら村雨は、可愛い花柄模様の小銭入れを取り出した。
と、そこへ他から声がかかった。
「おいおい、あんまり俺の彼女を困らせてくれるなよ?」
快活な男性な声。初霜たちがそちらへ振り向くと、そこに海兵隊仕様の迷彩服に身を包んだ若い男の姿があった。
鎮守府の警備も担当している海兵隊員の青水耕平二等軍曹、村雨の言っていた“彼”である。
「あ、耕平くん!」
村雨が安堵と共に表情を綻ばせた。朝霜がそれを見て、わざとらしく舌打ちをした。
「ちぇ、救援部隊のご到着かい」
「ホワイトナイトと呼んでほしいね。お姫様、白馬の騎士が助けに来ましたよ。悪い小鬼たちを追い払って差し上げましょう」
青水はキザったらしくそう言いながら、自分の携帯端末を自販機にかざした。電子マネーが入金され、購入ボタンに光が灯った。
「さあ飲み放題だ。俺の財力の前にひれ伏すがいい!」
「お、太っ腹だねえ。じゃ、遠慮なく」
朝霜が真っ先に、一番値段が高く、量も多い炭酸飲料を選んだ。
「もういっちょ、倍プッシュだ!」
「調子に乗らないの!」
更に別のボタンを押そうとした朝霜の手を払いのけて、霞が値段が高く、しかし量は少ないフルーツジュースを選ぶ。霞は量より質派である。
最後に初霜が一番安いお茶を選んだ。
「「「いただきま~す」」」
「どうぞ、召し上がれ」
「耕平くん、ごめんね」
「なあに、密会の口止め料なら安いものさ」
爽やかに笑う青水に、村雨もはにかむような笑みを返しながら、持っていたブラックコーヒーを手渡した。
その傍らで朝霜がジュース缶に口を付けながら言った。
「おー、おー、甘酸っぺえなあ。付き合い始めて半月だっけか。どこまで進んでんだい?」
「ちょ、朝霜ちゃん!?」
「ん~、キスから先にはなかなか進ませてくれなくてなあ」
ぬけぬけと言い放った青水に対し、その隣で村雨が真っ赤になりながら否定した。
「ま、まだだよ! き、キスとか、その……手をつないだりとか…ぐらいだよ……」
「なんだいそりゃ。小学生の恋愛かよ」
呆れた朝霜にかわり、今度は霞が、青水に言った。
「あんたも奥手過ぎじゃない? まあそれだけ大事にしているってことなんでしょうけど」
「お褒め頂き光栄の至り。だけど、俺は別に嘘は言ってないよ?」
「って言ってるけど、村雨、どうなの?」
「う…その…一回だけキスした……告白されたときに……」
そこまで言って、村雨は両手で顔を隠しながら青水の背中側に隠れてしまった。
霞はため息を吐く。
「先は長そうね、これは」
「そういえば」と、初霜。「青水さん、正門の警備は宜しいんですか?」
この自販機は正門から少し離れている。目が届く範囲程度の距離とはいえ、警備の者がいつまでも離れている訳にもいかないだろう。
しかし青水は笑って答えた。
「大丈夫だよ。俺は今日は守衛任務でここに来てる訳じゃないからね」
「では、どうして鎮守府に?」
海兵隊の基地は島の別の場所にあり、警備任務の当番者がそこから派遣されてくる態勢だった。
「装備開発局が新装備の試作品を持ち込んできていてね。その検証を兼ねた訓練をやることになったんだよ。市街地戦を想定した屋内用偵察ドローンさ」
そのため、この鎮守府の敷地にある建物を使わせてもらっているのだという。
ちなみに今は休憩中だそうで、間もなく再開するとのこと。
「良かったら君たちも見学するかい?」
そう誘われて、二十一駆も見学させてもらうことにした。
村雨ももちろん付いてくる。その理由は新装備への興味なんかではなく彼氏のそばに居たいだけ、というのが明白だったので、訓練場への短い道中、村雨は再び三人からからかわれる羽目になった。
訓練場として使用していたのは、資材倉庫の一棟だった。
広い倉庫内には、人の背丈ほどのコンテナや、使っていない冷蔵庫や洗濯機にエアコン等の家電製品、芝刈り機や箒といった清掃用具、その他雑多な物品がところどころに積み上げられている。
そこに、青水と同じ海兵隊員が九名と、そして灰色のつなぎ姿の男が一人集まっていた。
青水が艦娘たちの見学希望を伝えると、皆、快く受け入れてくれた。
「艦娘さんたちも興味を持って下さるなんて嬉しいですね。今日のは歩兵用の個人装備ですので艦艇用装備とは勝手が違いますが、是非、忌憚ないご意見を頂きたいものです」
そう言ったのは灰色のつなぎの姿の男、装備開発局から新装備を持ち込んできた技官だった。
彼は試作ドローンの準備を行いながら説明し始めた。
「今回の試作品はですね、陸海空すべての環境に適応した汎用偵察ドローンなんです!」
そう言って彼はドローンを手に乗せて艦娘たちに見せた。
ドローンの大きさは両手の平サイズほど。細長い流線形のボディの前後に、左右に大きく張り出したブームがあり、その先端にオープンホイールのスパイクタイヤがついていた。いわばフォーミュラーマシンのような四輪車の形状だ。
その四つのタイヤの根元に、それぞれプロペラが上を向いて装着されている。また、ボディ最後尾にはスクリュープロペラも付いていた。
「御覧の通り、このタイヤで地上を走行、プロペラで飛行します。またボディとタイヤには新素材を使用することによって比重を軽くし、水に対して浮力を発生させることに成功。後方のスクリューで水上を高速航行することが可能です! もちろんカメラも高性能。高画質、高望遠機能はもちろんのこと、広角レンズで視界を確保しているほか、暗視装置もついているので暗闇でもばっちりです! まさにありとあらゆる戦場を制覇する最強の偵察ドローンと言えるでしょう!」
鼻息荒く早口で説明する技官。
「おお、すっげーじゃん。面白そうじゃん」
「なんかこんなオモチャ見たことあるわね」
「とりあえず動いているところを見せてもらいましょう」
朝霜、霞、初霜と三者三様の反応を見せる艦娘たち。ちなみに村雨は説明をそもそも聞く気も無いようで、青水の隣で買ってきたジュースを飲んでいた。
「では実際にお見せいたしましょう。海兵隊の皆さん、準備お願いします」
「へ~い」
その場に居た十人の海兵隊の内、半分の五名が倉庫内に散らばり、思い思いの場所に身を潜めた。現役の隊員ばかりとあって、彼らはその影も気配も完璧に消していた。
青水を含めた残る五名は艦娘たちと共に技官の周りに集まる。
「それでは、スタート!」
いつの間にかバイザー付きヘルメットを被っていた技官は、両手で持ったコントローラーを操作してドローンを起動させた。
途端にドローンの四つのプロペラがけたたましいモーター音を響かせながら回転し、その機体を空中に浮上させた。
「カメラで捉えた映像はバイザーの内側に投影されます! またこのタブレットにも同時送信しておりますので、他の皆さんはこちらからご覧ください!」
モーター音が倉庫内に反響しているせいで技官の声は聞き取りづらかったが、傍にあるタブレットには皆気づいていたので、言われるまでもなく既にそちらを見ていた。
「操作は簡単、自動ホバリング機能がついているので、操縦者は前後左右と高度を選ぶだけ! さらにアクロバット飛行も全てプログラミング化してありますから、360°フリップも、高速ロールに急バンク旋回だってボタン一つで操作可能! 初心者でも戦闘機のような高度なドッグファイトを楽しめます!」
技官の説明に合わせ、ドローンが倉庫内を縦横無尽に駆け回る。
「続いてランディングモード!」
ドローンがスッと垂直着陸し、今度は床をギュルギュルと音を立てながら爆走を始めた。
「大口径ホイールとスパイクタイヤで、どんな障害物だって軽々と走破! 操作に慣れてくればドリフト走行だってこの通り――」
「――はい、もうそこまでで結構」
青水はそう言って、技官の肩を叩いた。ドローンがドリフト走行しながら、その足元に停まった。
「なぜ止めるんですか!? これから本格的な偵察を開始するところだったのに!?」
「偵察以前の問題なんだよ。……おーい、みんな、もう出てきてもいいぞ」
青水の指示で隠れていた隊員たちが姿を現した。その誰もが、自分の耳を手で押さえていた。
「どういうことか、これを見れば分かるだろう。このドローンは駆動音が大きすぎるんだよ。これじゃ偵察がバレバレだ」
「そ、それはここが倉庫内だから音が反響して」
「その屋内で使うための装備だろ、これ」
「うっ!?」
あまりにも当然で、そして致命的な指摘に、技官は言葉に詰まってしまった。
そんな技官を横目に、青水は艦娘たちに目を向けた。
「君たちからも意見ある?」
「そうねえ」霞が真っ先に口を開いた。「先ずコントローラーが両手持ちっていうのが頂けないわ。歩兵は小銃を持っているのよ。両手が塞がっていちゃ銃を扱えないでしょ。せめてテレビのリモコンみたいに片手で操作できるようにすべきだわ。そうなると操作も簡単にすべきね。アクロバット飛行とかそもそも必要無いでしょ。むしろ画面見てたら気持ち悪くなってきたわよ。それからサイズがまだまだ大きすぎるわ。ドローン自体は両手の平サイズだけど、コントローラーや予備バッテリーも含めて収納しようと思ったらアタッシュケースぐらいのサイズになっちゃうでしょ。それを歩兵の荷物に加える気? たださえ武器弾薬でいっぱいいっぱいなのに、負担が大きすぎるわ」
「ぐえっ!?」
霞の歯に衣着せぬ批評に、技官は殴られたように仰け反り、その場に崩れ落ちた。
「まあまあ技官の兄ちゃん、アタイは面白いと思ったぜ。次はアタイにも遊ばせてくれよ」
「お。オモチャじゃないんですよう……」
「私もコンセプトは悪くないと思いましたよ――」
初霜も慰めるようにそう言いながら、蹲った技官に寄り添った。
「――ただ、陸海空を一つの機体にまとめるより、それぞれの用途に特化したドローンを別々に開発したほうが、サイズや静粛性、コスト的にも良いものができると思いますよ」
「初霜ちゃん、的確なアドバスのように聞こえるけど、それコンセプトから全否定してるからね。一番えぐいこと言ってるからね」
「あら?」
村雨の指摘に意外そうに声を上げた初霜の足元で、心を完膚なきまでに折られた技官が俯せになってに伸びていたのだった。
「いや~、面白いもんで遊べて楽しかったぜ」
あれから数十分後、二十一駆の三人は鎮守府の外を並んで歩いていた。
あの後、検証を兼ねた訓練はもはや意味を失い、ドローン操縦の習熟というでっち上げの名目のもと、希望者(主に朝霜)によるドローン操縦講習が行われたのだった。
まあその実態は朝霜の感想からも分かる通り、ラジコンのオモチャで遊んでいるのとほぼ変わらなかったが。
霞がため息を吐いた。
「オモチャじゃなくて、あれも一応軍の備品なんだからね。あんたが壊しゃしないか気が気でなかったわよ」
初霜も言った。
「でも、あれだけのモノを作り上げた技術力は評価できると思うわ。失敗は成功の母よ。次はもっと良いものができるはずだわ」
そんなことを言いながら歩いていた初霜の足が、不意に、止まった。
「どうしたの、初霜?」
前を歩いていた霞と朝霜も、数歩先で立ち止まり振り返った。
初霜は歩道で、何かに耳を澄ませるかのように首を傾げていた。
「ねえ二人とも……何か、聴こえない?」
「あ?」
朝霜も首を傾げ、耳を澄ました。
「いや、全然」
「気のせいじゃないの?」
「いいえ」初霜は目を閉じ、手を耳のそばにかざした。「確かに聞こえるわ。これは……猫の鳴き声よ」
「なんだよ、猫か。野良か?」
それを聞いて霞の表情が緩んだ。
「そういえばこの辺りに猫が居たわね。ご近所さんで面倒を見ていた仔猫が」
霞は少し目元を緩めながら、辺りを見渡し始めた。普段はクールな言動が多い彼女だが、実は可愛いものに目が無い。
「出ておいで~、チョチョチョ」
歩道脇の草むらに向かってしゃがみ込み、舌を鳴らす霞だったが、初霜の耳はそちらではなく、別の方向に傾けられていた。
「拙いわ…」
初霜の目が見開かれた。その視線は、足元に向けられていた。
「地面の下だわ!」
その言葉に、緩んでいた霞の表情が固まった。
「そんな、嘘でしょう!?」
「間違いないわ」
初霜は歩道と車道の境目にある場所へ、躊躇なく身体を伏せて腹這いになった。
「ここよ、ここから聴こえてくるわ!」
初霜が腹這いになって覗き込んだ場所、そこは道路に降った雨水を地下の排水溝に流すための側溝だった。格子状の蓋の下から、か細い猫の鳴き声が漏れ聞こえていた。
「排水溝に落ちて出られなくなったんだわ」
初霜が溝の奥の様子を確認しようと目を凝らしたとき、それまで頭上から差し込んでいた太陽の日差しが急に弱まり、周囲に陰りを落とした。
初霜が顔を上げて空を見上げると、先ほどまで晴れていた空一面に、黒い雨雲が拡がっていた。
「なんてこった」朝霜が呻いた。「こんなときに、よりにもよってスコールかよ!」
湿気を多く含んだ冷たい風が、三人の周りをびょうと吹き抜ける。その風上である海の彼方で、遠雷の轟が、おどろおどろしく鳴り響いたのだった―――