艦これ海上戦記譚~明け空告げる、海をゆく~   作:PlusⅨ

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第二十五話・酒場場外大乱闘

 那珂のライブ会場は、意外にも学校の体育館だった。

 

 集まったのは地元民の老若男女。アイドルのライブと聞いて思い浮かべるような若い男性ファンもそれなりに居たが、それ以上にごく普通の一般人――特に老人と子供たち――が多いのが磯風たちにとっては意外だった。

 

「結構、楽しめたものだな」

 

 公演後、磯風、浦風、浜風、谷風、そして初風の五人は、ライブを思い返しながら歓楽街へと繰り出していた。

 

「地元民から愛されとる感じじゃったね。ああやって民間人から声援を受けるというなぁ、ウチらみたいな秘密部隊にとっては羨ましいことじゃのぉ」

 

 浦風は少し遠い目をしていた。命がけで戦っても誰にも知られないのが、彼女たち二水戦だった。

 

「しかし」と浜風も口を開いた。「那珂さんは私たちに言ってくれました。“那珂ちゃんがアイドルとして活動できるのは、二水戦のような部隊が戦い、支えてくれるからこそ”だと。……那珂さんは人格者ですね。こうして実際にお会いするまでは、アイドルごっこにうつつを抜かす頭の弱い方だと思っていました」

 

 生真面目な顔でそう言った浜風に、谷風が顔を引きつらせた。

 

「浜風…、それ、褒めるにしても言い方ってもんがあるんでないかい?」

 

「どういう意味です?」

 

 本人にまるで悪意は無いのだろう。きょとんとする浜風に、周囲の皆は苦笑を浮かべた。

 

 そんな磯風たち四人から少し後ろを、初風が一人、会話の輪にも加わらずに付いて歩いていた。

 

 磯風が、初風の様子を気にかけてわずかに後ろを振り返る。

 

 互いに目が合うと、初風は、磯風に気を遣うように曖昧な微笑みを浮かべて見せた。その表情を見て、磯風は彼女に何と声をかけるべきか微かに迷った。

 

 初風の隣にいつも居るはずの雪風の姿が、今は無かった。

 

 雪風は用事があって来れなくなった。としか初風は説明してくれなかったし、磯風たちもそれ以上の事情を訊くのを躊躇わせる雰囲気を初風は纏っていた。

 

 しかしそれでも同じ二水戦の仲間だ。ライブの間もどこか遠い目をしていた初風を放ってはおけず、皆で酒でも飲もうという事で、こうして歓楽街をうろついていた。

 

 リゾートシーズンだけあって街の通りは観光客で混雑していた。どの店も客でいっぱいで騒がしく、落ち着いて飲めそうな店はなかなか見当たらない。

 

 路地裏まで足を延ばし、ようやく店を開けたばかりでまだ客の居ないバーを見つけることができた。

 

 店のマスターは、十代半ば過ぎ程度の外見の磯風たちを見て怪訝な顔をしたものの、特に身分証の提示を求めることもせずに注文をとった。

 

 店内にはカウンター席と、テーブル席が数席、そしてビリヤード台とダーツが設置されていた。浦風が、浜風と谷風を誘ってダーツに興じている間、磯風はカウンター席でひとり飲む初風の隣に腰かけた。

 

「雪風と喧嘩でもしたのか?」

 

 そう直球で切り込むと、初風はむすっとした顔でカクテルに口を付けた。

 

「放っといてよ」

 

「下世話な興味本位で訊いている訳じゃないさ。私たちは同じ二水戦の仲間だ。自棄酒に付き合わせてくれたっていいじゃないか?」

 

 磯風は自分の手元にあるウィスキーグラスを持ち上げ、初風に向かって掲げて見せた。初風はそれを見て、少しため息を吐くと、同じようにカクテルグラスを掲げた。

 

 二人のグラスが軽く触れあい、澄み切った音色が静かに鳴った。

 

 初風はカクテルを一息に呷り、グラスを空にした。

 

「喧嘩した訳じゃないわよ」

 

「ふむ」

 

 磯風がウィスキーをちびちびと舐めながら先を促すと、初風はぽつり、ぽつりと呟くように言葉を紡いだ。

 

「今日、二人で買い物しているときに、ユキの端末にメールが入ったの。多分、親御さんだと思う。あの子、それを見た途端に血相を変えて店から飛び出して行ってね……」

 

「………」

 

「……電話口で怒鳴り合ってた」

 

「怒鳴った? あの雪風が?」

 

 磯風にとってもそれは意外な話だった。

 

 磯風にとっての雪風にイメージは、どんな苦境にあっても平然といつも通りの笑顔を浮かべ、泰然自若とした態度を崩さぬ歴戦の戦士というものだった。

 

 平素では初風に引っ張られている姿をよく見かけるが、それとて些事を初風に任せて本人は悠然と構えているように磯風には見えていたものだ。

 

 その雪風が感情もあらわに声を荒げていたなどとは、磯風にはまるで想像もつかなかった。

 

「電話の相手は親か?」

 

「多分ね」

 

「……そうか」

 

 家庭事情に複雑な問題を抱えている者は、二水戦では珍しくなかった。あの雪風も例にもれずその一人だったのだろう。そう思えば、磯風も納得できる気がしてきた。

 

 同時に、初風と雪風の間に起きたことも何となく察することができた。

 

「怒鳴っていた理由は…まあ雪風の性格からして、話してはくれなかっただろうな」

 

「ええ」

 

 初風は寂しそうに呟いて、マスターに新たなカクテルを注文した。差し出された新たなカクテルに口をつけながら、初風は言った。

 

「ユキが家族と上手く行ってなさそうなのは薄々気づいていたわ。…ユキ自身がその話をしたことは一度も無かったけどね。だから私もあえて訊かなかった」

 

「雪風が見せたくなかった部分を、親しい者に見られてしまって気まずくなったということか。なら、初風は悪くないさ。雪風の気持ちが落ち着くまでそっとしておいてやればいい」

 

 本人が口にしない事情には深く立ち入らないのが二水戦のルールだ。明日死ぬかも知れぬ仲間同士が命を預け合うために、互いの過去や事情まで知る必要は、別に無い。

 

 傍に居る仲間の、今の姿を、ただ有りのままに受け入れてやればそれで済む話だった。磯風たちにそれを教えてくれたのは他ならぬ雪風その人だった。

 

 磯風たちにとって、雪風は姉のような存在だった。同じ陽炎型の先輩後輩という関係から雪風は彼女たちの嚮導艦としてよく面倒を見てくれていた。

 

 そのためどうしても雪風のことを特別視しがちになるが、今日のことで雪風もまた自分たちと同じく問題や欠点を抱えた身近な存在だと知ることができた。

 

 作戦を前にして精神的に揺らいでやしないか少し不安だが、あの雪風ならばすぐに立ち直るだろうという信頼はあった。

 

 となれば、問題はやはり初風の方だろう。

 

 磯風は初風に目を向けた。初風は俯き気味に、カウンターに置かれたカクテルグラスに目を落としながら言った。

 

「ユキが話してくれるまで、私も待つつもりだった。でも、あんなに頑なに心を閉ざされるなんて思わなかった。私に気づいた途端、あんな無理やりに笑ってみせなくてもいいじゃない…ッ!」

 

 ぐす、と初風の言葉に鼻声が混じった。磯風が手近にあった紙ナプキンを渡すと、初風はそれで目頭を拭った。

 

「ありがと……私がユキの家庭事情を知ったからって、別に何ができる訳でもないんだけど、それでも、こうして愚痴ぐらいはこぼして欲しかった。あんたがこうして付き合ってくれてるみたいにね。……ユキにとって私って、それさえもできない相手だったのって考えたら、ちょっと、へこんじゃって……」

 

 再び鼻声になった初風に、磯風はさらに紙ナプキンを手渡した。初風は目頭を拭った後、鼻もかんでから手元のカクテルを一息に飲み干した。

 

「お代わり」

 

「私ももう一杯もらおう」

 

 二人の前に新たなグラスが差し出された。

 

「いや、けどね、私のことはどうでもいいのよ」

 

 初風は気分を切り替えたようにそう言って、続けた。

 

「ユキは私生活はボロボロだけど精神的にはすごい強い子だってのは分かっているし、本当は独りでも生きていけちゃう子なのよ。だから、私なんかが傍に居る必要は無いことぐらい、私自身が一番よく理解してるの」

 

「そんなことは無いと思うぞ? 初風が面倒を見る前は石鹸で髪まで洗っていたらしいじゃないか。それを聞いた時は流石に耳を疑ったぞ」

 

「それだけじゃないわよ。部屋着も持ってなかったから、普段はシャツと下着だけでスカートさえ履いてなかったんだから」

 

「やはり初風が居ないと駄目な人間じゃないか?」

 

「物理的にはね。さっきも言ったようにメンタルの問題よ。あの子、全部自己完結しちゃってるし、そもそも人間的な欲求が希薄なのよ。自分のことにはとにかく無頓着なの」

 

「それでいて任務は貪欲に遂行し、二水戦の誰よりも報酬を稼いでいる、か。家庭の事情が絡んでいるにしても、どこか歪だな」

 

「最初は家族のために自分を犠牲にしているんだと思ってた。任務を選り好みしないのも、心の底では家族を愛しているからだと思ってた。……でも、今日の様子を見てたら、違うって気づいた」

 

「どういうことだ?」

 

「ユキは、家族を憎んでいる。ううん、そんな単純なものじゃない。きっと家族だけじゃなく、自分自身も。わかっちゃったのよ。あの子が色んなことに無頓着だったり、危ない任務も簡単に受けちゃうのは、金を節約したいとか、稼ぎたいとかじゃない。……死にたがっているからだって」

 

「………」

 

 まさか、と磯風は呟きかけた。

 

 しかし、ちょうどその時、店の扉が開いて新たな客が入ってきたので、磯風の注意はそちらに向けられた。

 

 入ってきたのは若い男たちの集団だった。きっと観光客だろう。数は全部で九人。彼らはダーツに興じている浦風たちの姿を見つけるとヒューと口笛を吹いた。

 

「カワイイねえ、君たち学生でしょ?」

 

「未成年? え、違うの? マジで?」

 

「俺たちもゲームに混ぜてよ。いいでしょ、俺、得意なんだよ。なんなら教えるよ」

 

 数人の男たちがさっそく浦風たちに絡みだす。

 

 しかし今のところは陽気な若者たちによくあるノリだ。浦風たちも邪険な態度は見せず、適当に話を合わせてダーツを楽しんでいた。

 

 磯風は、初風に視線を戻した。

 

 初風の手元のグラスは既に空だった。いつの間に頼んだのか、新たなカクテルが初風の前に差し出され、彼女はそれを呷るように飲んだ。

 

(おいおい、このペースは拙いんじゃないか?)

 

 嫌な予感がし始めた磯風を余所に、初風は語気を荒げた。

 

「ユキは馬鹿よ!」

 

「いきなりどうした?」

 

「あの子の戦い方はあんた達も知ってるでしょ! どんな戦場でも生き延びちゃう、あの子の実力!」

 

「そりゃ知っているが……それより初風、ちょっと声を落とせ」

 

 店内の男たちの目が磯風たちの方に向けられたのが分かった。しかし初風は構わず続けた。

 

「ユキは生き延びたくて戦っているんじゃないのよ。死んでも構わないって無意識に思っているから、戦場で何の躊躇いもなく戦えるの。それが分かっちゃったのよ!」

 

「そうかもしれんが、それはともかく落ち着け。“秘”に近いことを口走っているぞ!?」

 

「私、そんなの嫌よ! ユキを失いたくない! 守りたいのに!」

 

「初風――」

 

「どうしたの彼女ぉ? 泣いてんのぉ?」

 

 若い男が無遠慮にカウンターに押しかけ、初風の隣に座った。

 

 さらにもう一人、磯風の隣にも男が座って身を寄せてきた。

 

「ケンカでもしちゃったのかな~。仲良くしようよ。ほら、俺が酒を奢ってあげるからさぁ」

 

 磯風は、この男たちが素面じゃないことに気づいた。この店に来る前からかなり飲んでいたと思わしき酔い具合だった。

 

 初風の隣の男が、手にしていたグラスを彼女に進めてきた。

 

「ほらほら、これでも飲んで落ち着きなよ」

 

「誰よ、あんた?」

 

「女の子が泣いていたら放っとけないじゃん。あ、これ水だよ。ただの水~」

 

 男がグラスを初風の顔に近づけた。

 

 透明な液体だが、強いアルコールの匂いが初風の鼻を突いた。恐らく度数の高いスピリタスだ。さらにグラスの底には白い錠剤が溶け残っていた。

 

「ほらほら、これ飲んだらスッキリするからさぁ」

 

 にたにたと好色な笑みを張り付けた男を、初風は睨みつけた。

 

「どっか行ってよ。私いま、機嫌が悪いの」

 

「いいじゃんいいじゃん、飲みなって」

 

 無理やり口元に近づけられたグラスを、初風は払い退けた。男の手からグラスが跳ね、その中身が男の顔にぶちまけられた。

 

 男がわっ、と声を上げて席から立ち上がり、磯風の隣の男がそれを見て大声で笑った。

 

「お前いきなりフラれたてやんの。ウケる」

 

「おいおいひどくね?」

 

 薬物混じりの酒に濡れた男がヘラへラと笑いながら初風に再び迫った。

 

「俺、慰めようとしてたんだぜ? なのにこの扱いはマジひどくね? 服も酒臭くなっちまったしさあ、どうしてくれんの、あ?」

 

「水」

 

 初風は店のマスターから水の入ったコップを受け取った。

 

「あ、聞いてんの? あ? ――ぶぁっ!?」

 

 男は顔面に水をぶっかけられ、再び席から飛び退いた。初風はそんな男に目もくれず席を立った。

 

「磯風、帰るわよ。ここは雰囲気が悪いわ」

 

「あ、ああ」

 

 だが、そうはいかなかった。

 

「まてオラぁッ!」

 

 水をかけられた男が初風の肩を乱暴に掴んで引き留めた。

 

「こんな真似してタダで済むと思って――ででえでで!?」

 

 男の言葉が急に悲鳴に変わった。初風が、肩を掴んでいた男の指を無造作に握り、間接とは反対方向に捻り上げたのだ。

 

 初風は男の手をか自分の肩から引き剥がすと、男の指を掴んだまま、その手首を外側に向かってさらに容赦なく捻った。

 

「ぎええっ!?」

 

 男は手首を襲う激しい痛みから逃れようと、捻られた方向に自ら床を転がった。

 

 その様子に、盛り上がっていた店内が静まり返り、全員の視線が初風に集まった。

 

 浦風たちが「あちゃあ」と頭を手をかけた傍らで、男たちの顔から笑みが消えた。

 

 初風は床を転がった男から手を離すと、マスターに向かって「お勘定」と平然と告げた。

 

 マスターにカードを渡し支払いの手続きを済ませている間に、初風と磯風の居るカウンターに、浦風、浜風、谷風も集まってきた。

 

「あののぉ初風、ちいとこの雰囲気は拙うないけえの」と浦風。

 

「何があったかは存じませんが、もう少しこう、手心というか」と浜風。

 

「兄ちゃんたち、怖ーい目をして谷風さんたちを取り囲んじゃってるよ」

 

 と、谷風の言葉通り、カウンターに集まった艦娘たちを、男たちが取り囲んでいた。しかし初風は周りの様子になど目もくれず、淡々と支払いの手続きを終えようとしていた。

 

 男たちの不穏な様子にマスターが不安そうな顔をしながらカードを返す。初風はそれを受け取ると、扉へ向かって歩き出そうとした。

 

 だが当然、すぐ目の前には男たちが立ちはだかっている。

 

「邪魔よ」

 

 初風の言葉に、目の前の男は口の端を歪めた。

 

「こんな舐めた真似されて帰す訳ねえだろ。ほら、席に戻れや」

 

 男が初風を突き飛ばそうとした手を、初風は弾いた。

 

「汚い手で触らないでよ。ぶつわよ」

 

「ぶつだぁ!? ひははっ、できんのかよ。何様だこのガキ!」

 

 激昂した男が初風めがけて拳を振るった。

 

 だがその力任せの大ぶりなパンチが当たるよりも早く、初風のしなやかな平手が男の頬を強かに張った。

 

 スパアァン、と小気味の良い音と共に、男の上体が傾いた。

 

「て、てっめぇ…!?」

 

 男はまたすぐに殴り掛かろうとしたが、今度は反対側の頬を平手で打たれた。

 

「あぐぇっ!?」

 

 それでも男はまだ初風に向かおうとしたが、次の瞬間、その両頬に立て続けに激しい音が鳴り響いた。顔面を真っ赤に腫れさせた男は、呆然とした顔で尻もちをついた。

 

 初風はそれを一瞥した後、周りの他の男たちを見渡した。

 

「次は殴るわよ」

 

 淡々としたその言葉に、男たちは一瞬気圧され、後ずさった。取り囲んでいた輪の間隔が緩み、通り抜けられるだけの隙間ができる。

 

 様子をうかがっていた磯風はその雰囲気の変化に、心中でひそやかに安堵の息を吐いた。

 

(初風が手を出したときはどうなるかと思ったが、これ以上はエスカレートし無さそうだな――)

 

「情けない連中ね」

 

 そう口を開いたのは、初風だった。彼女は服のポケットから白手袋を出し、それを手に嵌めながら言った。

 

「女相手にイキったくせに、ビンタされた程度でビビったの? どいつもこいつもとんだ玉無し野郎ね。この後はどうするの? 泣いて帰ってママにでも言いつけるのかしら?」

 

 その明らかな挑発に、磯風は目を剥いた。

 

「バカ、初風、やめ――」

 

「ぶっ殺してやらぁ!!!」

 

 磯風の静止は間に合わず、男たちの怒声にかき消された。

 

 獣の顔つきになった男の一人が初風に飛び掛かる。初風は白手袋を嵌めた拳を、その顔面に向けて放つ。鋭いジャブのカウンターパンチが男の鼻っ柱に命中し、鮮血が飛び散った。

 

 初風はさらに仰け反った男の胸板を蹴りつけ、その身体を背後にぶっ飛ばした。

 

 男の身体が店内のテーブルや椅子を巻き込みながら転倒し、店内に激しい音が響き渡る。

 

 それが戦いのゴングとなった。

 

 他の男たちが、初風以外の艦娘たちにも襲い掛かってきた。磯風のすぐそばに居た身長の高い男が、その上背を活かして覆いかぶさるように目前に迫りくる。

 

「チィッ!」

 

 磯風は舌打ちしつつ、自分より頭二つ以上は高い位置にある男の顎を、真下から掌底で打ち上げた。

 

 男が仰け反ってがら空きになったその鳩尾めがけ、流れるように肘打ちを叩き込む。男は身体をくの字に折り曲げて膝を付いた。

 

「こうなったら仕方ない。やるとなればこの磯風、容赦はせんぞ!」

 

 谷風にも男が体当たりを仕掛けてきた。

 

「よっと」

 

 谷風が傍のカウンターに飛び乗って、飛び込んできた男をかわした。

 

「いいんだね、やっちまうよ!」

 

 その細くしなやかな脚が円弧を描き、男を蹴倒した。

 

 浦風は、その豊満な胸に延ばされてきた腕を掴み取った。

 

「こぉら、どこ触ろうとしとるんじゃ!」

 

 そのまま腕を極め、床に組み倒す。

 

 その浦風に、さらに別の男が横から襲い掛かってきた。組み敷かれた仲間を救おうというのか、その男が浦風めがけ乱暴な蹴りを放つ。

 

 そこへ浜風が割り込んだ。

 

「守り抜きます!」

 

 浜風の両手が男の前蹴りを掴み取り、その足を高々と持ち上げると同時に軸足を払った。男の身体が一瞬、宙に浮き、背中から床に叩きつけられた。

 

 しかし数は男たちの方が上だ。間髪おかず別の男たちが艦娘たちに襲い掛かる。

 

 磯風が相手の拳を避けながら掌底と肘打ちを叩き込み、谷風がカウンターからテーブルへと跳び回りながら追いかけてきた男たちを蹴り倒す。

 

 浦風は組み敷いていた相手からいったん手を離して立ち上がると、新たに襲い掛かってきた男の腕をつかむと同時に足払いをかけ、倒れたままの一人目の男の上に、その男を引き倒した。

 

 そうやって一人目の男を下敷きにしたまま、二人目の男の関節を極め組み敷いた。

 

 浜風は、動きが制限されている浦風の傍に立って、襲い掛かる男たちを合気道の要領で次々と突き飛ばし、投げ飛ばす。

 

 そして、初風は――

 

「ほら、どうしたの。これで終わりなんて言わないわよね」

 

「このメスガキャぁっ!!」

 

 叩きのめされた男が煽られるままに立ち上がり、初風に襲い掛かった。しかし、初風の顔面めがけ放たれた拳は空しく宙を切り、男は勢い余って前方につんのめった。

 

 初風はその足元を払うと同時に男の後頭部に手を添え、近くにあったビリヤード台めがけその顔面を思いっきり叩きつけた。

 

 初風は男から手を離すと、すぐさま背後へ振り向いた。背後から迫ってきた男に、振り返りざま下段回し蹴りを放ち、相手の向う脛を蹴りつける。

 

 向う脛を蹴りつけられ足を止めた男の股間めがけ、初風は今度は膝蹴りを打ち込んだ。

 

 股間をつぶされ声にならない悲鳴を上げた男に目もくれず、初風は傍に迫っていたまた別の男の顔面に拳を叩き込んでいた。

 

 店内に暴力の嵐が渦巻いていた。数秒ごとに男たちがテーブルや椅子を巻き込みながら倒れこみ、グラスや酒瓶が粉々になって砕け散る。

 

 どの男たちも、殴られ、蹴られ、間接を極められ、床を這い、酷く惨めな有様に成り果てていた。

 

 しかしそれでも男たちはすぐに立ち上がって襲い掛かってきた。やられればやられるほど、男たちの獣性は猛り狂い、もともと薄かった理性がかなぐり捨てられていく。

 

 そもそもこの九人の男たちは、先日、あの立入禁止のビーチで乱痴気騒ぎに興じていた若者たちだった。

 

 あのとき突如現れた裸身の美女。その異様な存在感と美しさ、そして恐怖によって、彼らはあの夜の記憶が曖昧になっていた。

 

 美女が去って行ったあと、ハッと気を取り戻した男たちと女たちは、己の意思とは無関係に射精してしまった者や、男の一人が行方知れずになっていること、そしていまだ止まらぬ身体の震えによってパニックに陥り、半裸のまま海岸から逃げ出していた。

 

 その後、女たちは全員ヒステリーに陥り、男たちの制止を振り切って島から出て行ってしまった。

 

 男たちは島に残った。しかし別に消えた仲間を探そうとか思ったわけでは無い。単に予約していたホテルの滞在日程が残っていただけだ。

 

 だからある程度の落ち着きを取り戻した男たちは、女の居ない無聊を託つため、そして身の内に巣くい続けるうすら寒い恐怖を忘れるため、昼間から街へ繰り出して浴びるように酒と薬物におぼれていた。

 

 今夜、このバーへ来たのも、裏で薬物を売ってくれる店だと聞きつけてやってきたのだ。そんな場所に若い女たちも居た。そうなればこの男たちが本能のままに振る舞うのは必然だった。

 

 理性が消え、狂った獣のように暴れる男たちは、どれだけの痛みと苦しみを与えても怯まなかった。男の体力と腕力にものを言わせ力任せに襲い掛かり続けていた。

 

 これで相手が普通の女性だったなら、どれだけ抵抗しようとも為す術もなく獣たちの牙の餌食になってしまっただろう。

 

 しかし、彼女たちは艦娘だった。それも二水戦の艦娘だ。死を日常とする戦士たちとたかが獣たちでは、住む世界が違う。

 

 殺すか、殺されるかの世界に身を置く艦娘たちは、男たちを制圧することにほとんど躊躇いをみせなかった。強いて言うなら死なない程度にほんの少し手心を加えた程度だ。

 

 逆に言えば、相手が死にさえしなければ、重傷を負わせることに何の呵責も無かった。

 

 顔面を殴り、股間を潰し、腕を圧し折った。男たちが絶叫しようとも初風たちは手を緩めなかった。彼女たちにとって後先のことなどは、戦闘を生き延びてから考えることだった。

 

 そう、生き延びてから……

 

(…ユキ……)

 

 生き延びたところで、傍らに雪風が居なければ意味が無い。戦闘の最中だというのに、初風はそんな後先のことに想いを囚われていた。

 

 初風自身、二水戦に来たのは金を稼ぐためだった。雪風と同じだ。いや、二水戦の艦娘たちは皆そうだ。

 

 でも、いつしか二水戦に居る理由が、雪風のために変わった。雪風と一緒に居たい。そのために生き延びたい。ともに未来へ進みたい――

 

 ――目の前で男が、長い棒を振りかざして襲い掛かってきた。ビリヤードのキューだ。細長くしなやかな木の棒がうなりをあげて振り下ろされた。

 

 これが頭にでも当たれば重傷は間違いないだろう。下手をすると死ぬかもしれない。

 

(私が死んだら、ユキはどんな顔をするかしら…?)

 

 振り下ろされたキューを紙一重でかわしながら、初風はそんなことを思った。

 

(きっと泣くわ。バカバカって子供みたいに私のことを罵りながら、冷たくなった私を抱きしめてくれるの。そして、それからはずっと私のことばかり考えながら落ち込み続けるんだわ)

 

 その妄想は切なく、けれどどうしようもなく甘美だった。雪風の心をずっと捕え続けるなんて、なんと罪作りな最期だろう。

 

「あはっ!」

 

 そんな妄想に酔いしれながら、初風は拳を振るった。キューを振り回していた男が、鼻血を噴出しながら仰け反った。

 

「どうしたの! この程度なの!? もっとかかってきなさいよ!!」

 

 初風が助走をつけ、仰け反った男めがけ飛び蹴りを放ち、その身体を壁に叩きつけた。

 

「私を殺してみなさいよっ!!」

 

「やってやらぁ!!」

 

 別の男が大きなガラスボトルを叩き割り、その鋭利な断面を初風に向けて突き出してきた。

 

 初風はそのガラスボトルをかいくぐると、その足元に滑り込み、男の足を蹴り払った。

 

 すかさず立ち上がった初風は、仰向けに倒れた男の鳩尾めがけ、高々と上げた足を振り下ろし、踏みつけた。

 

「ぐげぇっ!?」

 

 足の下で男が潰れたカエルのようなうめき声をあげた。

 

 初風にまた別の男が襲い掛かる。初風は足下の男を踏みつけたまま、それを軸足にして回し蹴りを放つ。そのつま先が相手の顎を奇麗に捕え、昏倒させた。

 

 しかしその時、足下の男ががむしゃらにもがきだし、蹴りを放った直後の初風はバランスを崩して背中から転倒してしまった。

 

 足下の男がすぐさま身を起こし、倒れた初風に躍りかかった。初風は避ける間もなく、男に馬乗りにされてしまった。

 

 男は初風の下腹部辺りに体重をかけて腰を下ろし、両太ももで初風の上体をがっちりと挟み込んで固定した。初風を見下ろすその顔に、醜悪な笑みが浮かんだ。

 

 その目が、お前を犯してやる、と吠えていた。犯しながら、殴り殺してやる、と。

 

 固く握りしめられた拳が、初風の顔面に横殴りに叩きつけられた。こめかみから片頬にかけて衝撃と激痛が走り、視界がぼやけた。

 

 男がまた殴ってきた。初風は咄嗟に腕を上げてガードを固めようとしたが、間に合わなかった。さっきとは逆のこめかみを殴られ、意識が一瞬、飛びかける。

 

(ユキ――)

 

 さらにもう一撃殴られ、鼻の奥が切れて血が口の中に溢れた。せき込み、口から血を吐き出した初風めがけ、男はさらに殴り掛かる。

 

(――ユキ――)

 

 腕でガードを固めても、男の力任せの拳はその上から容赦なくダメージを与えてくる。

 

(――私、死ぬよ。きっと惨めに死んじゃうんだ。ユキ、こんなバカな私を、あなたはどう思う?)

 

 押し倒され、殴られ続ける初風の脳裏に、雪風の姿が思い浮かんだ。いつものように少し困ったような顔をして笑う雪風の姿。

 

(――あぁ、そうだ)

 

 初風は悟った。自分が死んでも雪風は変わらない。彼女はいつものように少し困ったような顔をして――そして心の底ではいつだって寂しそうに泣いているような顔で、初風の死を見送るだけだ。

 

 それが多くの仲間の死を、そしていつか訪れる己自身の死を見つめ続けてきた雪風という艦娘なのだ。

 

「バカみたい」

 

 殴られ続けながら、初風はぼそりと呟いた。こんな下らない喧嘩でボロボロになって、死にかけて、そんなことで雪風の心に残れるなどと思ったなんて。

 

「ホント……バカみたい」

 

「誰がバカだ、黙れやこらぁ!」

 

 初風の呟きを耳にした男が、さらに力を込めて殴ろうとその拳を大きく振り上げた。

 

 それが振り下ろされる前に、初風は口の中に溜まった血反吐を、唇をすぼめて男めがけ吐きつけた。

 

「うわっ!?」

 

 男の目に血反吐がかかり、その視界を一瞬奪う。男が目元を拭おうとしたとき、初風はその首めがけ腕を伸ばし、男の喉仏を掴み、爪先を突き立てた。

 

「ぐげぇっ!?」

 

 喉仏をちぎらんばかりに力を込める初風に、男は呼吸困難と激痛に襲われ苦悶に身をよじった。

 

 男の態勢が崩れ、横に倒れる。初風は馬乗りから解放されたが、喉から手を離すことなく、今度は逆に馬乗りになった。

 

 男が苦しみから逃れようと、喉仏を掴む初風の細腕に手をかけ、爪を立ててかきむしったが、しかし初風は微動だにせず喉仏を掴み続けた。

 

 男の顔面が蒼白になり、口から泡を吹き始めた。

 

 それでも初風は手の力を緩めない。見下ろすその目には冷たい光が宿り、感情の揺らぎはその奥底に沈んで、無機質な殺意だけがそこに残っていた。

 

 初風は考えることを止めていた。雪風のことも、自分のことも、男の生死すら眼中になかった。ただ戦場で叩き込まれた殺戮本能に身を任せ、男の喉を潰そうとしていた。

 

 男の目が血走り、白目を剥きかけた時、初風は自分に向かって駆け寄ってくる気配を察知した。

 

 その気配が拳を放ってきたことに気づき、初風は反射的に男の喉から手を離し、目前に迫っていた相手の拳を捌いた。

 

 そのまま流れるようにカウンターパンチを放ったが、今度はそれを相手に捌かれた。

 

「!?」

 

 一分の隙も、無駄も無い相手からの拳が、初風の鳩尾に突き刺さった。

 

「ごふっ!?」

 

 その衝撃と苦悶に初風は上体をくの字に折り曲げた。

 

 相手は拳を突き立てたまま、さらに踏み込みを強め、そのまま拳を振りぬいた。初風の身体が浮き上がり、宙を飛んで壁まで叩きつけられた。

 

「…くぁっ!?」

 

 初風はすぐに立ち上がろうとしたものの、腹の底からせり上がってきた苦しさに耐え切れずに膝を折り、四つん這いになって床に反吐をぶちまけた。

 

 これまでの男たちからの攻撃とは比べ物にならないほど重い一撃だった。

 

(――何者?)

 

 立ち上がろうにも足腰に力が入らない。かろうじて見上げた視界に映っていたのは、

 

(女?)

 

 自分たちよりかは少し年上のような、栗色の髪の女だった。その女の獣のような眼光が、這いつくばる初風を見下ろしていた。

 

 獣、といっても男たちとは格が違う。連中はせいぜい獣(けだもの)だ。だがこの女は違う。本物の獣(けもの)、生態系の頂点に立つ強者の目。そう、それはまるで獰猛な熊のような――

 

「ヴぉおおおお!!!」

 

 女が咆哮を上げ、跳んだ。

 

 それはほんの一瞬の早業だった。店内で乱闘を続けていた磯風、谷風、浦風、浜風の身体が跳ね飛ばされ、初風と同じように壁に叩きつけられた。

 

「てめえら! 他人様の島に来てケンカおっ始めるとはいい度胸だクマ! この球磨がまとめて相手してやるからかかってきやがれ!! …だクマ」

 

 店内全てを圧する女の声に、残っていた男たちも戦意を喪失し、へたり込んだ。

 

 もはやその女以外に立っている者は誰も居なかった。荒れ果てた店内に立つのは、球磨と名乗った女ただ一人……

 

 ……いや、もう一人現れた。

 

「球磨さん、その程度でもう十分でしょう」

 

「球磨はまだ全然物足りないクマ。でも白雪が言うなら仕方ないクマ。今夜はこの程度で勘弁してやるクマ」

 

「ありがとうございます」

 

 出入り口の扉から悠然と入ってきたのは、初風と見た目は同世代の少女だった。だが、その纏っている雰囲気は少女のそれではない。

 

 彼女は荒れ果てた店内の様子に眉一つ動かすことなく、初風に目を向けた。

 

 艦娘だ、と初風は気づいた。軽巡・球磨と、駆逐艦・白雪。どちらも十年越えのベテランだと聞いたことがある。

 

「初風さんですね」

 

 白雪から掛けられた言葉は、問いかけではなく確認だった。穏やかながら有無を言わせぬ圧力を含んだ声に逆らえず、初風は黙って頷いた。

 

「騒がしかったので何事かと覗いてみれば、まさかあなた達だったとはね。……帰りますよ。その場に立ちなさい」

 

 それは命令だった。しかし序列が上の艦娘、しかも自分たちを力で制圧した者たちを相手にしては、もう従うより他になかった。

 

 初風、そして磯風たちは、まだ力の入り切らない足腰に気力だけを込めて何とか立ち上がり、白雪と球磨の後を追って、身体を引きずるように店を出た。

 

 後に残されたのは、かろうじて命ばかりは取り留めた九人の男たち。

 

 男たちの苦悶のうめき声や、痛みに耐えきれず泣き喚く絶叫が響き渡る店に、パトカーと救急車のサイレンが徐々に近づきつつあった。

 

 

 

 

 

 

 




次回予告

 託宣が予言した戦いの時が迫りくる。

 遠方より来たるは深海棲艦の大艦隊。さらに隣国からは巨大兵器が出港する。

 その全ては新たな姫君への貢ぎ物なり。

次回「第二十六話・出撃前夜」

魔鈴「殲滅せよ。それが命令だ。死んでこい、二水戦!」

初風「ユキ…一緒に死のう?」

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